「わお〜」な想い



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ゴホンゴホン  2002/02/01
 ポロシャツにGパン、足元はサンダルっつう職場から転勤になりまして、現在はスーツにスラックス、そして革靴で過ごしているわけですが、いやあ、足が臭くなりますわ。
 一日中靴を履いているだけでこれですから、ルーズソックスの女子中・高生に水虫が流行るのは当然ですな。

 それはともかく、今日は出社前に薬局により、除菌消臭のために「ファブリーズ」を買いました。ついでに、咳がひどいので咳止めシロップを。
「用法・用量をまもってください」と白衣のお兄さんにわざわざ言われましたから、いまだに咳止めシロップの一気飲みでトリップ! なんてことをしている連中がいるのでしょう。
 しかし、咳が出て苦しく、薬を飲めばそれから開放されるとわかってて、用法・用量なんぞ守れませんなあ。効くまで飲む。効いたらやめる。の繰り返し。最低4時間あけて服用しなさいとあるけれど、最短2時間で追加服用しちゃいました。これくらいはどってことないでしょうけれど。
 ところが帰宅時に持ち帰るのを忘れ、いままたコンコン苦しめられております。はい。


失業率が上がってるつうのに。  2002/01/31
 雪印食品、えらいことをしてくれましたなー。
 生産者を裏切り、消費者を裏切り、国民を裏切り・・・。日本国中全て敵に回してしまいましたね。
 この期に及んで「食肉事業からの撤退」とか言うてる場合と違いまっせ。
 会社が潰れるのは勝手だ。けれど、失業率が5.6%を上回ったのなんのと言う大変なご時世に、事業を縮小したり工場を閉鎖したり、会社の再建のためにリストラをしたりと、そんなことをしてまで会社を維持しようとしてる場合と違うやろ?
 ただちに全ての施設を同業他社に従業員居ぬきで無償譲渡して雪印食品は解散、経済や流通や雇用を確保するべきと違いますか? 会社なんか立て直さんでよろしい。
 だいたい新社長だって元役員なんだから、そんな傷の舐めあいをしていたって世間は許しちゃくれませんぜ。

 そうそう、雪印製品がボイコットされる中で、一部では雪印製品の「投売り」なんてのが行われているらしいですが、そんなもの絶対に買ったらダメですよ。
 なにしろ「総需要」は限られているんだから、そんなことをしたら、インチキ詐欺会社の安売り製品が売れて、まじめにやってる会社の真っ当な価格の商品が売れなくなってしまいます。これは許されることではありません。価格も破壊されデフレが進行します。雪印を買うのなら、定価で買いなさい。


引越し&復活  2002/01/30
 このコーナー「わおーな想い」を復活します。

 つうか、別に廃止したわけではなかったのですが、もともと「とらおランド」という別のサイトに掲載していたものです。
 「とらおランド」そのものがほとんど更新停止状態だったので、どうしようかと思っていると、突如そのページがジオシティーズより停止処分を食らいまして、やる気がなくなったので、そのまま放置してしまおうと決めました。

 で、徐々に、「綾綴人形」で復活させてゆきます。

 従いまして、ここから下は、もともと別サイトに掲載されていたものです。違和感がある場合はご容赦下さい。


ワークシェアリング  2001/11/05
「もっとね、みんな、きちんと休暇がとれるようにやらないとダメだよ、キミ」
「だったら人員を増やしてくださいよ」
「このご時世に何を言ってるんだ。特定の人に業務が偏らないようにみんなで協力し合って、ワークシェアリングしなきゃ」
 幸いこれは我が職場の会話ではない。
 よそへ出かけていたときに耳にした上司と部下の会話である。その上司とも部下とも僕は日常的にお付き合いがあり、世間話などもよくするし、酒の席での会話だったので、僕という部外者がいるにもかかわらず、つい油断したのだろう。もっともまさかHPのネタにされるとは思っていないだろうが。
 ワークシェアリングの本来の意味を僕は知らないが、現在使われているのは上に書いたような意味ではない。
 不況で失業者が増えているので、自分の給与が2割カットされるかもしれないが、1人でも多くの人を雇って、少ない仕事を分かち合いながら、なんとか生活できるだけの給与を得ましょう。こういう意味である。
 残業どころか、休日もロクに取れない職場で使う言葉ではない。
 ことほどさように、雇用側というのは何でも都合のいいように解釈するのである。

 ワークシェアリング、良いではないか。
 仕事も収入も減るが、その分、文化や教養に時間を使えばよい。別にカルチャースクールに通えと言っているのではない。金など使わなくても文化や教養に親しむ方法はいくらでもある。
「金、金、金」と目を血走らせて朝から晩まで仕事に追われているよりも、よほど人間らしい生活だと僕は思うぞ。


やっぱりダメダメ朝日新聞  2001/11/04
 朝日新聞の11月3日付けだか4日付けの記事に、今回の戦争に自衛隊が海外派兵されたことについての記事が載っていた。
 一般市民がホームページを立ち上げて、憲法第9条やその周辺に関わることを問題定義し、多くの人に語りかけている、というものだ。
 問題定義といっても、もちろん海外派兵を批判するものであろう。
 朝日新聞が「ダメダメ」なのは、こういう市民の動きを取材して他人事として掲載している点だ。ホームページを紹介し、その作者にインタビューし、日常の活動を掲載している。
 で、朝日新聞は、どう思ってるの? 新聞として、何が言いたいの? 読者に何を考えて欲しいの?
 まるで「◎月○日、どこそこで暴力団同士の抗争で発砲事件がありました」と事件を報道するかのようだ。
 新聞というのは、単に事実を報道するだけで良いのか? そもそも限られた紙面で、かつ、読者を増やし広告を取らなくてはならない一企業として、「事実」を過不足なく報道できるのか? 嘘偽りを報道しているわけではないにしろ、過不足なく全てを報道することなど物理的に不可能である。ならば、新聞としての役割があるはずだ。
 例えば今回の記事ならば、「憲法第9条」を掲載し、これに関する法律判断、つまり代表的な過去の判例なども紹介し、その解釈について解説するなどの編集がなされていても良いのではないだろうか?


カルボナーララーメン  2001/10/04
 我々の職場は宿泊を伴う勤務である。よって、夜食なんぞもよく作る。
 僕の作る料理は「ハルマゲ丼」(はるまげどん)といって、世の中が破滅するほどおぞましいという意味を込めて、評判が良くない。
 つっても、見かけだけであって、実際は美味しいのだが、ご飯をよそったお茶碗に何でもかんでもその時あるものを載せて食べるから、一般的に避けられている。
 だから、僕しか食べない。

 しかし、たまには気合を入れて作ることもある。

 最近、評判が良かったのがスパゲティである。冷凍スパゲティを使うので、ゆでればすぐに食べられるのだが、ゆでるのすら面倒なので、レンジでチンをした。ついでに、スパゲティの具となるムキえびもレンジで解凍する。
 フライパンに油を引き、たっぷりのオロシニンニクを炒め、そこにスパゲティを投入。えびも解凍時にでてくる水分と一緒に投入。3ミリぐらいに輪切りにしたソーセージも投入。ざっと炒めて塩・胡椒・中華のなんたら言うスープも入れて味付け。
 これが実に評判が良かった。

 調子に乗って、新作に挑戦する。
 これが、カルボナーララーメンである。
 もとはといえば、韓国の人にもらった「辛」というラーメンだ。これが大好きな人もいるが、僕はイマイチ。韓国料理はたいてい好きなのだが、このインスタントラーメンだけはいただけない。スープが辛いだけで味わいや深さがなく、まるでこくがないのだ。
 たくさんもらったんだけど、誰も食べないので、しかたがないから、料理してしまおうと言う寸法だ。
 ベーコンがなかったので、ソーセージの輪切りをまた使う。冷凍のムキえびがあったので、これもまた使う。葱の刻んだのがあったので、これも使う。
 さて、料理方法は簡単だ。まずラーメンを硬めに湯がき、ざるにあける。フライパンに油を引き、解凍しておいたえびとソーセージを放り込んで炒め、ラーメンをそこへ投入して混ぜ合わせる。
 事前に、生クリームと卵黄をミックスしたものを作っておき、それをフライパンに流し込み、さっと麺に絡めて味付けをすれば出来上がりである。このとき、ラーメンについていた具も入れる。粉末スープは入れない。
 長い間火にかけておくと、卵黄が固まってぱさぱさになる。ねっとりしたカルボナーラの食感を出すには短時間で勝負だ。
 そんなわけで、味付けが少しモノ足らず、塩コショウをもう一度食べる前に振り掛けることになったが、それさえクリアできれば完璧な新しいラーメン料理である。

 みなさんも、いかがだろうか?


考える  2001/09/27
 アメリカ同時多発テロに関する電話調査アンケートが新聞に掲載された。
 たとえば、アメリカの動きを「支持する44.1%」「支持しない26.7%」とか、これに対して日本は「積極的に協力すべきだ24.7%」「ある程度は協力すべきだ62.4%」などとなっている。
(読売新聞9月26日朝刊)
 しかし、こんなものに何の意味があるのだろうか疑問だ。突然電話がかかってきてなんとなく直感で答えた人もいるだろうし、しっかりした考え方を元にその結論として答えた人もいるだろうからだ。
 また、自分の意見が多数派と違う、という人はこの新聞記事を見てどうすればいいのだろうか? 考え方を改めなくてはならないのか? 自分の意見が多数派だったら、それでよしとするのか?

 国の方向性を決めるにはこういった国民の意見の集約は必要だろうが、マスコミがそんなことをしてはいけない。

 我々は今、どうすべきなのか。それは、「自分で考えて、自分の意見をまとめ、それを発表する」ことである。
 なぜか?
 ここには大きくふたつの役割がある。
 ひとつは、自分の意見をきちんとまとめることである。「発表する」ことを前提にまとめれば、自分の意見の中に含まれる矛盾などにも気付き、問題点を自分の中で追求し、より完成度の高いものになる。なんとなく生きていてはダメだ。考えないといけない。
 もうひとつは、「発表する」すなわち色々な人の意見が「公表される」ことによって、それを読むことが出来る、ということだ。自分の意見が唯一無二の正解ではない。しかし、どんな意見にも「100%間違っている」というものもない。たくさんの考え方を知ることはとても大切だ。他人の意見を否定する必要はない。自分の意見と比較検討して色々な考え方を学ぶことだ。

 なので、僕も自分なりの意見をまとめたいと思う。
 まず第一に、武力による報復には反対だ。今回のテロで多数の善良な市民が死傷したが、武力報復を行えば報復先に同様のことが起こる。つまり、テロ行為と武力報復は同等レベルのものだということだ。報復する限りはテロを非難できない。アメリカが「自由と民主主義」を旗印にするなら、テロリストたちにもそれに同様のものがあるだろう。
 では、どうするべきなのか。国際的な理解と協力の元に、首謀者や実行犯やそれらの協力者の身柄を拘束し、裁判にかけることである。そのためにたとえ5年かかろうと、10年かかろうと、決して諦めず、手を緩めず、テロという悪事に対する断罪を行うために、徹底的にやる。(もちろん同時にテロ再発防止などの措置を講じなくてはならないが、それはまた別のレベルの問題である。)

 しかしながら、アメリカが武力による報復をする、というのならば、日本は徹底的にそれに協力しなくてはならないと思う。なぜなら、同盟国だからだ。それが国際的なルールである。もちろんそれを日本独自の考え方で拒否することも出来る。国の方針として「軍事」には一切の協力が出来ないと言うのなら、それもいいだろう。
 明らかにおかしいと思うのは、今回の日本の動きだ。
 後方支援?
 冗談じゃない。
 先頭に立って相手を殺傷するのも、後方で補給・医療その他の活動を行うのも、「戦争・殺人」行為には変わらない。全く同等である。
 自分たちは武器を持って戦うことが出来ないから後方支援に徹しますよ。だって、平和憲法なんだもの。なーんてことを言うのは、偽善者のすることである。後方支援だって軍事殺人行動になんら変わらない。
 アメリカが「テロを支援する国家はテロリズムとみなす」と言っているのと同等に、「戦争を後方支援するのは戦争と同じ」なのだ。

 だから、日本のとるべき態度は「協力を一切しない」か、または「武力攻撃を含む全面協力」をするか、どちらかである。
 でも、今の日本で「協力を一切しない」という態度はとれないだろう。
 となれば、アメリカを中心とする多国籍軍と行動を同一にし、最前線で戦闘すべきなのだ。日本の「自衛隊」が「軍隊」となったとき、どれだけの強力な武力になるかは推して知ることが出来るだろう。

 でもね、本当に国際社会の中での日本の立場を考えたとき、「平和憲法」を持つ日本は、「調停」の役割を担っているのではないかと本質的には思う。
 日本がすべきことは戦争への協力ではなく、第3国としてその間に入り平和的解決を図るためのありとあらゆる手段をおこなうことだ。

 それに僕は、日本が戦争に加担することに、ものすごい恐怖を覚える。なぜなら、日本もテロたちの格好のまとになるからだ。(既になっている、という意見もあるが、アメリカに加担すればその度合いは極端に高くなるだろう)
 日本は弱い国だ。仮に第3国の戦闘機が爆弾を搭載して日本の上空を通過しようとしても、それを撃墜できないのだ。撃墜できるのは、爆弾が落とされてからなのである。
 自衛隊は法的に日本国民や国土を守ることは出来ない。爆撃を受けて初めて反撃できるのだが、それでは遅い。その時既に誰かが死んでいる。その誰かは、自分かもしれない。
 こんな国が戦闘に加担してターゲットにされるようなことをしてはいけない。


占い師  2001/08/19
 夜の御堂筋での出来事。占い師が出ています。そして、携帯電話でおしゃべりに興じていました。

 うーん、営業中の占い師って、いわば受付カウンターだよね。そこで私用電話かよ。それって、心がけがなってないんじゃないの?
 なんてことまで心配いたしません。別にその占い師が商売上がったりでも、こっちは関係ないもんね。

 だけどさ、文明の利器を使っている占い師に、どこか不可思議なもののある「卦見」をお願いしようとは思わないよな、すくなくとも僕は。
 いや、占いって言うのは、ある意味統計学の粋を集めたものできわめて科学的なものでもあるから、別に文明の利器を使ってはいけないってコトは無いんだろうけれど、まあ、気分の問題です。


音信普通  2001/08/19
 壊れたパソコン、まだ戻ってきません。
 つーか、見積もりやらなにやら、なんの連絡も無いんですけど?


BBS  2001/08/19
 BBSって、大切ですね。
 約一月近く更新できないでいたんですが、その間も、アクセスカウンタは回ります。
 ここにはアクセス解析をつけていないんですが、他のサイトではつけていまして、それによると約4割が新しい訪問者の方です。つまり、残りの6割の方がリピーターさんなのですね。

 リピーターさんは以前の更新ペースを覚えていてくれて、いつまでたっても更新されないこのページを、「いくらなんでもそろそろ更新するだろう」とつないでいてくれているのでしょう。申し訳ないです。
 しかし、こんなサイトでも、BBSへのレスだけはまめにしているつもりです。毎日ではありませんけれど。(つないで見るのはほとんど毎日やってます。明日から2日ほどネット環境の無いところに出張なので失礼しますが)
 BBSへのカキコがあって、レスがある。これだけで、「このサイトは生きている」ということになります。
 ほんと、BBSって、大切です。見てくださっている方、ありがとうございます。カキコまでしてくださる方、本当にありがとうございます。


詐欺  2001/08/19
 とうとうネット上で詐欺に会いました。
 僕がやってる別のサイトなんですが、広告をつけているのです。で、「試用掲載を2週間お願いしたい。その結果、正式に契約するかどうか決定する」とのことでした。
 「試用掲載」というのは別に珍しいことではありません。しかし、普通はその分、日割りで計算して広告料をもらえるものなのです。
 ところが、2週間たっても何の返事も来ません。こちらから連絡しても、無視。
 それどころか、「試用掲載を2週間お願いしたい。その結果、正式に契約するかどうか決定する」という新たなメールが別の担当者名で届きました。アドレスも微妙に違っています。(しかし、微妙に似ているんですよ。本文の文面は同じでした)
 やられた、と思いましたね。
 試用掲載は普通、1週間が相場で、いわば広告効果を試すというある種失礼な行為でもありますから、その分の日割り広告料は早々に振り込んでくるものなのです。
 どうして「2週間は長すぎる」と気がつかなかったのか迂闊でしたが、だまされたものは仕方ありません。その2週間の間、僕はせっせと無料で広告をしてあげていたのです。

 同じ手口であちこちのサイトさんが騙されているに違いありません。みなさん、気をつけましょう。


クレーム  2001/08/19
 ホームページを開いている人にしか関係ないことなんだけどさ、自分のコンテンツにクレームが来たらどうする?
 それがまあ、来ちゃったんですよねえ。
 あ、「とらおランド」ではないんですけどね。でも、そっちのページに書くと、またひと悶着起きそうでいやなので、ここで愚痴を披露することに。
 「きちんとした説明を求める」だの「誠意ある対応」だの言ってきたくせに、こっちの返信には「承知」とも「不承知」とも、言ってこない。こっちはメールを受信したその日のうちに返信してるのにね。
 もっとも、そういうやりとりは不毛なのはわかっているので、一週間待って、「お返事がいただけないので、この件については終わりにしましょう。以後、おこごとの無い様に願いたい」とメール送信したら、こちらの第1便を適当に解釈して自分の都合の良いように脚色した物語をメーリングリストに流されてしまった。
 夜明け近くまでかかって書いたメールを「関係ないことばかり書き連ねて」あげくに「どう返事しようか思案していると」「以後クレームは受け付けない」との返事が一方的に来た、とのことであった。
 それで、メーリングリストの仲間にご相談ときたもんだ。おいおい、関係ない人を巻き込むなよな。

 ただ、ここを読んだ人に勘違いして欲しくないんだけど、別に僕は対抗措置としてこんなことを書いてるわけでもないし、こちら側からアクションを起こす気は毛頭ない。だって、不毛だもの。
 何を言いたいかというと、世の中にはこういうことがいっぱいあって、それで多くの人が傷ついてサイトを閉鎖してしまうんだな、ということ。つまり、サイトを開くには、誹謗中傷を受けるリスクを負いなさい、ってこと。そして、そういうことがあっても気丈であれ、ということ。だから、「誰もがあなたのサイトを温かく迎えてくれるわけじゃないから、心無い言葉で傷つけられることは当然あるんだよ、けどね、ほとんどの人はあなたのサイトを温かく迎えてくれてるんだから、ほんの一部のつまらない言葉で傷つく必要なんて無いんだよ」ということです。
 僕も気丈にページ作りに励みます。
 そうそう、どうして「ほとんどの人があなたのページを温かく迎えてくれている」と言い切れるのか、説明しておきます。簡単なことです。あなたのページに興味を示さない人は最初から無視をするからです。あなたのページを温かく迎えてくれる人だけが、あなたのページにアクセスしているのです。だから「全ての人が」と本当は言いたいんですけどね。たまには心無い人もいるわけです。


パソコンがまたまた壊れた  2001/08/19
 日付は8月19日ですが、実は下の記述の「FMV−BIBLO NB7/80R」購入後、5日目のことです。
 パソコンも購入から故障までの期間がどんどん短くなっていきますね。
 故障の内容は、「ネットに接続できない」というもの。このパソコンには自己診断能力があるのでそれを実行したら、エラーのナンバーが表示されました。
 サポートに電話すると、例によって例のごとく、電話はつながるけれど「しばらくお待ちください」のテープ音声。やっとつながったらそれが受付係員で、その場で答えはもらえない。ただ、エラーナンバーが、物理的な故障によるものではなく、設定のミスかアプリケーションのエラーによるものであることは教えてくれました。
 「具体的な復旧方法は係りの者が明日10時30分に電話をするので、連絡先を教えて欲しい」
 教えましたが、かかってきませんでした。
 第一、そんなもの待っていられません。物理的な故障が無いなら、バックアップを取ってシステムの再インストールをするのみです。
 本当はHDDを三つに分けたかったのですが、リカバリーディスクではそれは出来ず、三つ以上に分けるにはドスコマンドを使え、とのコト。キューハチ時代にやったことはありますが(しかも、config.sysとかのファイルの中身を手動で書き直すんだぜ)もう忘れちゃいました。
 とりあえず、CドライブとDドライブの容量を変更し、かつ、いらないアプリケーションは徹底的にインストールしない。
 これで購入時7GBあったプレインストールされたソフトの容量が3GBになったんだからめでたい。
 購入時にこういうカスタマイズをすれば理想的なんだろうけれど、ゲームなんか使ってみないとわからないしね。だから、一通り使った挙句にいらないものを最初からインストールしないっていう理想的なカスタマイズ(こういうのをカスタマイズと言うのかどうか知らんが)出来たわけです。
 ちなみに、ネットには接続できるようになりましたが、時々できなくなります。再度立ち上げれば直ります。


パソコンがまた壊れた・・・  2001/07/24
 パソコンがまた壊れました。機種はNECのラビで、「LaVie NX LB500J/2」という機種。ペンV500MHZ、HDD12GB、メモリは増設して128MB、OSはWin98、1年3ヶ月前に購入したばかりの機種ですが、このスペックだけでももう「時代遅れ」を感じさせますね。でも、まだ十分使えるのに・・・。
 話をわかりやすくするために、このパソコンを「ラビ2」と表現することにします。
 ということは、「ラビ1」が存在するわけですが、こちらは、CPUが130MHZ、HDDが2GBというから、時代の格差を感じさせますね。

 さて。ラビ1は97年の購入で、HDDもほとんど残り少なくなったのを圧縮して蘇らせたりして使った非常に愛着のあるマシンで、僕がインターネットを始めたのも、ホームページを作りだしたのも、このマシンです。これ以前に持っていたパソコンは5インチフロッピーディスクドライブをふたつ搭載したいわゆる「キューハチ(エプソン製)」(デスク1)で、現在では古いゲームの専用機としてまだ現役ですが、とにかくラビ1は、ウインドウズを基本とした新しいパソコン世代の初号機でもあったのです。3年間、故障などはまるでなく、ただスペックのもう少し高いのが欲しくてお役ごめんとなったのでした。
 もっとも、廃棄処分などするつもりはなく、小学生の息子がパソコンを欲しいと言い出したので、「それなら僕が新しいのを買い、ラビ1は息子に」と決めたのでした。ラビ1からラビ2へデータを移しながら、ラビ2を少しづつカスタマイズし、本格的に稼動させたのは購入から3ヵ月後。ラビ1のデータをほとんど処分し、息子に「使っていいよ」と譲り渡したのでした。
 ところがその直後、ラビ2が故障。液晶パネルが突然消えてしまったのです。
 パネルに何も写らないのでは、作業のしようがありません。バックアップすらとれない状態ですが、とにかく修理に出し、息子には事情を話してラビ1を取り戻し、再びメイン機として活躍を始めました。

 さて、ラビ2は約一ヵ月後に、悲惨な状態で戻ってくるのですが、その数日前、ラビ1が故障をしました。FDドライブから異音を発しはじめたのです。おそらくFDドライブを交換すれば大丈夫なのでしょうが、スペックも古く、パソコンとはこんなに次々故障するものなら、もう古い機種は放棄して、家にどっしりと備え付けられるデスクトップパソコン(デスク2)を購入しようと決意したのでした。

 そして、ラビ2は戻ってきました。液晶パネルが消えただけなのに、HDDが交換されてしまっていました。液晶パネルが物理的に発光しなくなったこととHDDには因果関係があるとは思えないのですが、問答無用で初期化されてチェックしたところ、不良が見つかったということらしです。そんなもの出荷前にチェックしておけよ、といいたいですね。せめて有料でもいいからバックアップのサービスを提案するとか、もう少しやりようがあったのではないかと思いますが、ラビ1は息子に渡すために文書ファイルは全て破棄されており、完全に全てのデータが消えてしまったのでした。

 おまけに、修理から戻ってきたパソコンは組み立てに不良があり、本来なら外枠の中に隠れているべき「ツメ」がはみ出し、その影響で外枠がひん曲がっているというていたらく。販売店に無理を言ってお願いし、メーカー送りにせずにその場で直してもらって、持ち帰ってきました。

 いずれにせよ、NEC製品は2度と買わないと心に誓ったのです。

 ラビ1は、まだ処分されずに我が家にありますが、使われてはおりません。そして、ラビ1が担うはずだった息子のおもちゃという役目を、さらに新しく購入したAcerのパソコン(デスク2)が引き継ぎました。このデスク2が納品されるその日、父の老人大学のパソコン講座の卒業日と重なり、これまでパソコンなどとは全く縁のなかった妻も興味を持ち始めて、僕のサブ機ではなく、家族共有のメイン機になってしまいました。
 いやあ、複数人数で使うと、パソコンも、あれですなあ。デスクトップに配置したアイコンなんか勝手にどっかへ行っちゃうし、色々な設定がいつのまにか変わっているし、「フリーズしてどうしていいかわからなくなったので、コンセントを抜いた」なんぞと妻に告白されるし、とてもじゃないけれど、共有して使いたくない気分。でも、丈夫で故障なし。やっぱ、ノートは持ち歩くから痛みやすいのかなあ。

 当時「来年こそもう一台自分専用のデスクトップを買おう」とか決意したのですが、さてその来年になってみると、ラビ2が故障して、再びノートを買う羽目になってしまいました。会社に持ち込んで自分の専用機としても使っているし、私用にももちろん使っているから、ノートがないと困るんですよ。

 ラビ2が使えなくなってしまうまでの道のりは、それはもう劇的でした。普段は使っていないネスケを立ち上げようとしたんですが、その動作がものすごく遅くなったのです。ネットでダウンロードしたネスケで、「バージョンが古いから新しいのをダウンロードしなおせ」なんぞと余計なメッセージが出たところで動かなくなり、ようするにひとつのアプリケーションが立ち上がりかけた状態で中途半端にストップして、その影響か、他のアプリケーションや何やかやもやたらと動作が遅くなってしまいました。

 そのときは深く考えなかったのですが、翌日パソコンを起動しようとしたら、HDDから異音が発生し、やたらと長時間HDDを読みにいっているし、変だ変だと思っているうちに、とうとう「ドライブCに書き込みができない」みたいなエラーが出て、そこから先へ進まなくなってしまいました。エラーメッセージは黒い画面に白字で出ているので、DOSでパソコンは立ち上がってしまったのか?

 リセットをかけるたびにHDDからのギーギーガッチャンガッチャンという音はだんだんひどくなってきます。最初の「Win98」の初期画面は表示されるのですが、そこから先へは進まず、エラーメッセージが表示されるのです。
 これは、まずい。CD−RWドライブを購入してバックアップを取ってはいましたが、ちょっとサボり気味で、前回とったのは2ヶ月前。仕事でも重要な書類が入っていて、プリントアウトはしてあるものの、それを再入力することを考えると、ぞっとします。データーと印刷物はぜんぜん違うんですよねえ。

 CD−RWドライブは自宅にあり、今は会社。外部記憶媒体は、フロッピーディスクがなんとか20枚ほどあるのみ。とにかく、なんとか起動させて、重要な書類から順にフロッピーへ落とさなくては。それで足らなければ、近くの文房具屋へ買いに行こう。しかし、それもこれも、とにかくパソが起動してくれないとどうしようもありません。

 祈るような気持ちで、「お願いします、一回だけでいいので、もう一度動いてください」と、両手を合わせました。するとどうでしょう。ああら不思議。超スロースピードながら、なんとウインドウズが立ち上がったではないですか。
 何度かやるうちに「不調部分が回復」して、それ以後、支障なく使える、というのはよくあることですが、今回はそうは思えません。おそらく、これが最後でしょう。一瞬、「よし、直った、ためしに、リセットかけてもう一度立ち上がらせてやろう」なんぞと思いましたが、それで失敗したら目も当てられません。

 とにかく、慎重に、慎重に。普段の20倍も30倍も処理に時間がかかるのですが、余計な負担をかけないために、一つ一つの作業が終わるまで、待ちます。同時進行でいくつもの作業をさせるなんてことはさせられません。フリーズしちゃったら、おそらくそれで一巻の終わりです。

 前回のバックアップ以降の新しいファイルで、なくしてしまったら致命的なものを、どんどんフロッピーに収めてゆきます。例えば、ホームページのファイルなどはサーバーからダウンロードすればいいのですが、サーバーにアップしていない作りかけのものは、絶対に残しておかなくてはなりません。
 作業にはものすごい時間がかかるので、その間、色々な本などをパラパラ見ていたのですが、そこに復旧の方法を見つけました。CドライブのファイルをDドライブにコピーして、その後に、Cドライブにシステムを再インストールすればいい、と。Cドライブはいったん初期化されますから、必要はファイルは全てDへ移しておかなくてはなりません。フロッピーへのコピーは18枚に達し、あとはなんとかなるだろうと、ハードディスク間でのコピーをスタートさせました。これがどうやら失敗。というか、まだ大切なデータをまだフロッピーに落とし残しがあることに気がつき、同時にその作業を実行したのがまずかったのでしょう。過負荷がかかってフリーズ、いずれの作業も失敗した挙句、再起動以外にパソコンを復活させる以外方法がなくなってしまいました。もちろん、通常時ならそれでオッケーですが、基本的に壊れていますので、これにて万事休すとなってしまいました。

 電源を入れるとウインドウズの初期画面までは表示されますが、その後、スキャンディスクが実行され、「修復できません」というメッセージとともに、DOSコマンドの入力状態になってしまいます。これは、何度やっても同じでした。

 フロッピーとCDで起動させることはできないものかと思ったのですが、マニュアルにはそのような方法は書かれていません。初期化、再インストールについてのことばかりです。WINが壊れているのなら、WINだけを上書きインストールすればいいのではないか、とも思うのですが、僕が所持しているのはリカバリーディスクのみで、いわゆる製品版のWINを持っていませんから、それも無理です。それに、HDDが物理的に壊れているのなら、そんなことをしても無駄ですしね。

 それにしても、いまさらのように思い当たるのが、HDD駆動時の異音です。最初の故障のときにHDDを入れ替えられたのですが、そもそもその作業に間違いがあったのでは、と思い当たります。それまでなかった「カッチンカッチン」という音が、時々するようになりましたから。いわゆるHDDが動く音ではなく、物と物がかすかに当たるような・・・。修理後にきちんとパソコンが組み立てられていなかったことから考えても、その可能性はあります。ことほどさようにNECはいい加減な仕事をしているのかどうか、それは再度修理に出せばわかるでしょう。

 さて、修理が済むまで待っているわけには行きませんので、新しいパソコンを購入しました。
 バックアップデータを復帰させ、ホームページファイルはダウンロードし、各種アプリケーションと周辺機器のドライバのインストールなど、やることはいっぱいありますが、まずは使いやすいように設定しなくてはなりません。まず、よく使うアプリケーションのショートカットをデスクトップに見やすいように配置します。各種オンライン申込みのアイコンを削除(後でアンインストールもするんだけど)します。よくまあこれだけいらないものを一生懸命詰め込んでくれたものです。

 メーラーだってどうしてデフォルトが「html」形式なのか見識を疑います。アイコンだって、どうして最初から「拡張子」を表示しない状態になっているのでしょう。不便で仕方ありません。まあ、あれこれとごく初歩のカスタマイズをするわけで、これは難しくはありませんが、やたらと面倒くさいのです。

 いらないアプリケーションを削除する一方で、もともとのディレクトリ構成など全く無視して、自分で作ったファイルは全てひとつのディレクトリにまとめるようにHDDの中を構成します。このディレクトリだけをバックアップすればいいようにしておくわけです。アプリケーションごとに文書ファイルの置かれる場所が異なるのではたまったものではありません。

 まあ、そんなこんなで作業中なのですが、ここで新しいパソコンの紹介をいたします。

 メーカーは富士通。FMV−BIBLO NB7/80Rという機種です。CPUはデュロン800MHZ、メモリは最初から128、HDDは20GBとの触れ込みだけど、実際は17GB程度で、既に7GBほどもプレインストールで使われています。そんなに必要なのかどうか疑いますね。CDドライブはもちろんRWです。3.5インチフロッピードライブももちろん内臓。(していない機種が結構出ているのにびっくりしました)。
 機種的に気に入ったのは、ボリュームの調整が、パソコン本体についている「ダイヤル」でできること。電源のスイッチがスライド式で「ON」「OFF]が手動で操作できること。マニュアルにも、フリーズしてリセットもきかなくなったら、「電源を切ってください」と明示されています。そう、これこそが電気製品の本来の形です。こういう終了方法をしても、次回いきなりスキャンディスクが動いて「てめーの終了の仕方が悪かったんだ」なんぞというメッセージは出てきたりしません。だって、フリーズして、こうするよりしょうがなくなったのに、そんなことを言われてもどうしようもないじゃないですか。それより、ダメージに強いものをメーカーは作らなくちゃだめなのです。そして、なにより、キータッチの感触が最高によく、パチャパチャと気分良く打てるのが最高です。クリックボタンが硬いのが少し気になりますけれど。

 パソコンだけに関わっているわけにはいきませんし、とりあえず至急しなくてはいけないことと、いずれはしなくてはいけないけどまあとりあえずいいや、ということがありますから、本来の自分の望む形に生まれ変わるには、それなりの時間を要しますが、まあ、顛末を「わおー」にかけるくらいには新しいパソコンの環境も整ってきました。

 だけど、修理からラビ2が戻ってきたら、またそういう作業をしなくちゃならんのか。やれやれ。
 


ひと安心  2001/07/14
 2008年オリンピックが、北京に決定しました。

 中国の皆さん、北京の皆さん、おめでとうございます。

 いやあー。それにしても、大阪にならなくて良かった。いい加減、頭に来ていたんですよ。なにかといえば、「オリンピック招致にかかわることなので」でごり押しして来る連中に。
 僕は、オリンピックを大阪ですることに大反対だったのです。それで自分の職場がぐちゃぐちゃになるのは目に見えていたからね。既に、そうなりかけていたし。こんなことが徐々にエスカレートしながらあと7年も続くなんて、耐えられないモンな。詳しくは書かないけど、オリンピックが来たら、うちの経営が傾くのは目に見えていたし。
 なによりかにより、「オリンピック招致」といえば、誰でも彼でも協力するべきだというそういう関係者の態度が気にいらん。反対している者だっているのだ、ということを念頭に置かない、無神経な連中だからだ。

 そんなことで、オリンピックが呼べるわけないでしょ?
 あーあ、それにしても、これまで使ったお金、どうすんのかね。責任は誰が取るの? 知ーらないっと。

 誤解のないように付け加えておきますが、大阪開催には反対でしたが、北京には賛成です。


見下す  2001/07/14
 背が低く、痩せていて、背中が丸く、顔色も悪く、今にも落ちそうな眼鏡をかけた中年男が僕の乗っている電車に乗ってきました。
 もとより混雑していて座席などありませんでしたが、その中年男は、ヨタヨタと車両の中ほどにまで人に迷惑をかけながら進んできて、ちょうど僕の隣に立ちました。
 どうして人をかきわけてまでここまでこなくてはならないのか。それも、ふらつきながら。
 僕の隣の位置を見定めていたようで、一心不乱に、しかし、不器用にやってきたのですが、普通の人ならもっとスマートに身体をひょいひょいとひねって、あっというまに辿りつけるはずです。
 僕はこの時点で、この中年男を見下していました。
 不恰好で不器用。自分の能力もかえりみず、ただ自分の欲望の為に、他人に迷惑をかけることなどなんともおもわず、行動するうだつのあがらない中年サラリーマン。そんな印象を持ちました。
 僕は、自分がそれほどたいした人間だなんて思ってはいませんが、この中年男にくらべればはるかに優れた人間であるなと思いました。
 ああ、醜いのう、自分よ。


ドレッシング  2001/07/14
 食べ物に気を使う年齢になっています。
 糖尿だの高血圧だの肥満だのに悩まされている母親が、ノンオイルのドレッシングを買ってきました。僕はマヨネーズが好きなので、野菜にはマヨネーズと決めていましたが、マヨネーズは肥満の原因になるとのことをテレビでいっていたので、なるほど、あれはサラダ油の固まりだから、避けた方がいいなあと思い、母親の「ノンオイルドレッシング」を使うようになったのです。
 しかし、たまたま、その日は切らしていました。
 以前、トマトのサラダを食べたときに、非常にシンプルなドレッシングがかかっていたことがあります。塩・胡椒・オリーブオイル。たったそれだけ。ノンオイルドレッシングはベースがどうやら二杯酢のようなので、ハタと思いつきました。醤油・酢・塩・胡椒をあわせれば、それなりのドレッシングになるのではないか、と。
 配合具合のこのみは人それぞれでしょうけれど、このシンプルなドレッシングがなかなかいけたのです。
 さらに!
 いっそのこと、塩と胡椒だけで食べたらどうだろう、そんな風におもいついて、試してみました。
 うまい!


僕はイーグル  2001/07/12
 新書版で450ページもあって、ページ内はもちろん段組という、おそろしく活字の量が多い小説。それが、「僕はイーグル」
 いやあ、面白い。「面白かった」と過去形でないのは、(1)を読み終えたばかりで、まだ(2)を読んでいないから。前編・後編でないところをみると、(3)(4)・・・と、続くのだろうか?

 本の感想、ということになると、面白い反面、気になるところもある。主人公の一人である「漆沢美砂生」が自衛隊に入る動機付けだったとはいえ、必要以上にひどい目にあうシーンの連続など読んでいてゲロを吐きたくなるくらい不愉快になった(電車の窓から本を捨ててやろうかと思ったぐらいだ)し、登場人物の交錯具合などはまるで安物のトレンディドラマみたいで救いようがない。ご都合主義もきわまれり、だ。椎名へきるだの小柳ルミ子などの芸能人を比喩の為に引っ張って来るなど、もうこれは出来そこないのジュニア小説なみの下らなさだ。

 どうしてここまでボロクソに書くのかというと、ストーリーそのものがめちゃくちゃ面白いから、その分、逆に悪いところが目立つし、惜しいと思うからだ。

 描写もきわめて秀逸だ。戦闘機F15イーグルで、40000フィート以上の高高度を音速で翔けるその浮遊感・爽快感・とてつもなく激しい孤独感、スピード感、どれをとっても素晴らしい。
 プロペラ旅客機がバードストライクのアクシデントにあい、破れた全面窓ガラスから飛びこんで来た鳥に直撃されパイロットが気絶、しかもエンジンのひとつにも鳥が入って停止し、きりもみ状態で墜落していく様も、そして、それを海面衝突ギリギリで回避するシーンも、その後の自衛隊機のエスコートで那覇空港になんとか辿りつくくだりも、見事なまでに手に汗握る。
 そうそう、領空侵犯をした国籍不明機を追跡する場面も素晴らしい。国籍不明のスホーイはなんと韓国の旅客機を撃墜しようとするが、既に日本の領空から離れた公海上。となれば、スホーイ(国籍不明)と旅客機(韓国籍)の接触に自衛隊機が関与するのは、他国間の国際紛争に武力を持って手を出すことであり、日本の憲法からも自衛隊法からも、出来ないことなのだ。しかし、今、目の前で民間機が撃墜されようとしている。これを黙って手をこまねいて見ていないといけないのか? このジレンマの描写だって、たいしたものだ。
 防衛大学卒のキャリア組パイロットと航空学生出身の幹部候補パイロットとの、意識の違いや確執なんかもよく書けている。

 欠点も少なくない小説だけれど、活字の好きな人には、お薦めだ。活字で語られているだけだが、戦闘機F15イーグルがいかに繊細で美しいかが、全ての読者に伝わって来るだろう。


沢田聖子  2001/07/12
 2泊3日で出かけてきました。1泊が福岡、もう1泊が那覇。
 何のためかというと、「コンサート」を観るためです。長年ファンをしてい る沢田聖子(しょうこ、と読む)さんの地方公演を、追いかけたのでした。
 福岡は、聖子さんとギタリストの二人編成。聖子さんはピアノやギターの弾 き語りをしたり、ハーモニカやアコーディオンやパーカッションなどをしたり と、なかなかバラエティー。ニューアルバムの関係でアップテンポのメジャー コード曲がほとんどで、テーブルや椅子のある会場でしたからさすがにスタン ディングはないものの、手拍子の絶えないノリの良いステージでした。
 構成がシンプルなので、音のひとつひとつをきっちりと認識出来る、ピュア なライブでした。観客動員数は約35名。
 翌日が沖縄。こちらはさらに観客が少なく、30名を切っていました。にも かかわらず、聖子さんのほかに、ギターが2人、ドラム、キーボードというバ ンド編成。本当はもう一人、ベースがいるのだけれど、今回欠席なので、マッ クにプログラムされていました。
 このサポートメンバーは、かぐや姫のコピーを中心に沖縄で活動する「かぐ やひも」という、「かぐや姫公認の偽者」(本人談)。基本的にはアマチュア バンドだけど、リーダーの「南こっせつ」さんはこのライブハウスのオーナー でもあり、最近では東京や北海道でも公演をしているからセミプロです。オリ ジナル曲もあり、CDも出しています。
 ギターの「ニセ正三」さんがCDを耳コピーして楽譜に起こし、リハーサル は当日のみという凄さですが、完璧でした。むしろCDなどは重ねて録音した りしますが、それをライブでやっちゃうんですから、その凄さはおして知るべ し。ライブの場合、それなりにアレンジするのが普通ですが、耳コピーが基本 になっているので、普段のライブよりよりCD音源に近い演奏を楽しませても らいました。
 それにしても、ライブ終了後、ライブハウスでさらに飲物を追加注文してフ ァン同士で歓談、やがて出演者(こっせつさん)がその輪に加わったり、その 後、さらにファン同士で外へ呑みに行ったりと、めちゃくちゃアットホームな ライブなのでありました。

 このあと、名古屋・大阪・京都・東京とツアーは続きますが、僕は大阪と京 都にさらに参加予定。さすがに都市部は観客動員もそれなりにあり、大阪は去 年まではヒートビートでやっていました。(閉まったので、今年から会場が違 うけど) 真夏のライブを楽しませてもらっています。
 
 永井真理子も行かなくちゃ。


アクセス  2001/07/01
 「アクセス」と、その教本が我が家にやってきた。妻が買ったものである。妻が「エクセル」を始めたとき、その勘の良さに驚いた。これまで全くパソコンなど扱った事が無い初心者のくせに、あれよあれよと使いこなしていく。いまでは僕の知らなかった機能まで「ほらほら」と伝授してくれる。
 実は僕は古い人間なのである。エクセルを使えば簡単に色々な種類の表やグラフができるのだが、そういうものは「X,Y」を指定して、時には「Z」も指定して、そして描線し、範囲指定をして色をつけて・・・、そんなめんどうくさいことやってられっか、とついこの間まで思っていたのである。
 で、妻はどうやらかなり新しい人間らしいのだ。
 それにしても、アクセスなるソフト、「これを使えば便利に出来る」なんてことをどうやって知ったのだろうか、それが不思議である。
 実は僕は数年前からアクセスを使っている。しかし、他人に作ってもらったものだ。大枚はたいて外注し、やってきたプログラムが、その時は「市販されているアクセスというソフトを使って構築されたもの」なんぞとはつゆしらず、教えられたとおりに使い、なんてすごい機能を持ってるんだと感嘆していたのである。アホとしかいいようがない。
 というわけで、妻と一緒にアクセスの勉強をこれから始めるのだが。どうなることやら。
 


キャッチセールス  2001/07/01
 あー。いまだにこんなことやってる人がいるんですねえ。
 後ろ姿しか見えなかったので、彼が中学生か高校生かわからなかったけれど、彼の行く手を右斜め前方から立ち塞がった者がいた。男だ。避けるように左手に進もうとしたその後ろ姿の彼を、今度は左斜め前方から女性が立ち塞がる。
 なるほど、真正面にたったひとりで立ち塞がらないのが、妙に巧みで嫌らしい。
 僕は一定のペースで歩いているので、どんどんその後ろ姿の彼に近づいていく。さて、どうやって助けてやろうか、そんなことを考えていると、後ろ姿の彼は、二人を押しのけて立ち去った。
 なかなかやるじゃないか。そうだ。そうでないといけない。
 キャッチセールスをするような輩は、最初ッから、相手にしてはいけないのだ。もっとも軽蔑するべき類の仕事のひとつである。


卑劣な商売  2001/06/25
 投資信託とは、卑劣な商売である。客が損をしても得をしても、決して商品を提供した側は損をしないからである。手数料をがっちりとれるからである。
 まともな神経で考えると、「真面目に」「一生懸命」「必死で」仕事をしても、そうでなくても、決して損をしないのだから、「手を抜く」のが当り前である。
 もちろん客に損ばかりさせていると会社の信用が落ち、それで商売は終わってしまうから、決してそんなことはないだろうが、それは意識的な話しであって、無意識的にはどうしても手を抜いてしまう。それが人間と言うものだ。そういう人間を非難することは誰にも出来ない。しかし、そういう商売を否定することは出来る。

 この低金利時代に利率6%というポスターを銀行のウインドウに見つけた。外貨預金だろうが、それにしても利率が高い。よく見るとそれは、50%が外貨預金、50%が投資信託というセット商品の場合、外貨預金に6%の利率がつくのだということだった。なんとひどい金融商品だろう。
 本当に6%もの金利を付加して銀行がやっていけるのなら、妙なセット販売をせずに、それだけで単独の商品にすればいい。外貨預金とは為替相場の変動や両替の際の手数料などユーザーのリスクの大きい商品である。それにさらに投資信託をくっつけるなどもっての他だ。
 投資信託にしても、本当に自信があるなら単独で販売すればいい。6%という高い金利とセットしなければ売ることが出来ないような投資信託なら頭から信用しない方がいい。どうせいい加減な運用しかしてもらえない。そう考えるのが普通だ。

 そもそも「元本を保証してはいけない」などという法律がおかしい。投資信託は元本を保証すべきである。そのかわり、儲かったら、その儲けの部分については、銀行とユーザーが折半である。損をしたら、その部分については銀行の赤字である。こうすれば投資信託の運用も銀行は必死になってやってくれるだろう。
 これでは銀行に不利なように思えるかもしれないが、そんなことはない。手数料は取れるのだし、一生懸命仕事をして儲かったら、半分は銀行のものである。もし損をしてもユーザーは知らん顔になるからおかしい、と思うのなら、それは間違いだ。ユーザーは元本だけ保証されたって仕方ないのである。それくらいなら、どんなに金利が安くても預貯金に回した方がいいのだ。
 もっともこれでもまだ銀行側が有利である。売りと買いを両建てで常に取引していれば、銀行は絶対損をしない。元本は増えも減りもせず、ユーザーは手数料だけを取られてしまう。うーん、やっぱりこれでもユーザーは不利なのだ。やはり投資信託と言うものがそもそも間違った商売なのだ。投資をしたければ、自分でするべし。


メトロポリス  2001/06/25
 手塚治虫原作、大友克洋脚本、りんたろう監督・・・、その他壮絶なメン バーで編成されたスタッフ陣。構想5年、製作費15億円。観た人も多いの ではないでしょうか。アニメ映画「メトロポリス」・・・・
 「本日限り」という看板が映画館に出ていたので、思わず入ってしまった。  確かに、凄い。最新のアニメ&CG技術の全てをぶち込み、金も労力も時 間も惜しまずって感じで、もう何がなんだかすごかった。

 けど、僕にとっての評価は低い。
 技術や映像に走りすぎ、ストーリーが弱く娯楽性に乏しい。

 CGはダメだ、昔ながらのセルでやれ、なんてことを言う気はさらさらな い。最新技術はどんどん取り入れたらいいと思う。けれど、あの凄さを全編 にわたって取り入れられても、それを観賞する集中力が続かない。集中力を 持続させるのは、「この先どうなるのだろう」のワクワクハラハラであり、 それは必ずしも技術が伴わなくてはならない、というものでもないだろう。  子供向けの「ワンピースねじまき島の冒険」だって、場所によってはすご い映像に唸らされたが、いわゆるアニメマンガタッチの映像も多く、技術と 娯楽のバランスがとれていた。
 パンフレットによると、切り口を変えて手塚を表現したかった、とのこと だが、それは成功していると思う。原作にないロックというキャラクターを 登場させたり、新しくストーリーを構築したという点についても文句はない。  原作はどうあれ、コミックとアニメ映画は別物だからだ。
 ついでだけれど、宝塚歌劇になんの興味のない僕が、「ブラックジャック」 だけは観に行った。原作とは関係ないオリジナルストーリーのはずだったが、 とても良かった。それくらいの評価は下せる程度の、「別物」の認識はある つもりである。

 さらにパンフレットを読むと気になる記述もある。原作にないロックを登 場させたのも、ティマ(原作ではミッチイ)の設定を変えたのも、「物語が スムーズに転がり、楽だから」というニュアンスの発言が掲載されており、 映像にあれだけ苦労を重ねたのに、ストーリーが「楽だから」に流れて、い ったいどういうつもりなんだよ、と言いたくなったりした。

 立体感やリアリティーは本当に凄く、これがアニメかよ、と言いたくなる のだけれど、しかし、アニメ絵の美しさ、という点では、必ずしも最新技術 を駆使したものが良い、とも言えないとも感じた。
 例えば僕は、「釣りキチ三平」や「化粧師」や「イニシャルD」や「バサ ラ」などのテレビアニメを見たときも、「綺麗な絵だなあ」と感嘆したんだ もの。あるいは、劇場用アニメ、という迫力や娯楽の面で行けば、「ルパン 3世カリオストロの城」や「となりのトトロ」などの方が、「メトロポリス」 よりも上を行くと思う。

 手塚マンガ特有の群集シーンを入れたかった、ということに関しては失敗 している。何度も読み返せるコミック本と違い、観客の認識度合いにかかわ らずどんどん先へ進む映画で、群集が口々にああだこうだ言ったって、僕に はなんのことだかさっぱりわからなかったからだ。ここはまずレッド公が登 場し、それがジグラットの完成記念式典であることを完璧に観客に理解させ、 かつ、大統領などとの微妙な関係をも先に説明した上で、群集シーンを見せ るべきだった。
 音響の演出にも失敗している場所がある。警報音が鳴り響くシーンだ。観 客に対してリアリティーを持たそうとしたのだろう、特定のスピーカーから だけその音を会場に流し、いかにもどこかで警報音が鳴り、それに対して登 場人物が右往左往していることを表現しようとしたと思えるのだが、今まで の音の聞え方が急に変わったことによって、映像にどっぷり意識を奪われて いた僕は、とたんに現実に戻ってしらけてしまった。まるで、自分がいるこ の映画館そのものになにか異変が起こって、警報音が鳴っているような感じ がしたからだ。こんなものは音の強さのレベルを低くして流せばそれで済む。
 新しい、というか、今まで僕が体験しなかった演出に、古い人間が拒絶反 応を示しているだけだよ、といわれればそれまでだけれど、技術に傾倒しす ぎて、肝心の手塚治虫からのメッセージが弱くなっているような気がした。 メッセージに熱さがないのだ。そして、娯楽性が薄い、とは、ひらたくいえば、「つまらなかった」「面白くなかった」ということである。

 これは僕の評だが、世間の評は、みなさんの評はどうだろう?


悲惨な事件  2001/06/22
 小学校に包丁男が乱入して8人もの児童が死亡した。
 悲惨な事件である。だが、悲惨なのは事件だけではない。報道もひどい。
 子どもをなくした親にカメラとマイクをつきつけて、それでいったい何になろう? 悲惨な事件であり、報道を見るにつけ心が痛む。僕もその一人である。だが、所詮他人事だ。やじうま根性以上のものが視聴者にあるとは思えないし、それ以上に「やじうま根性」をあおるような報道の仕方しかしない。
 報道の役目は他にあろう。
 一般論である。
 そのような事件がおきないようにするには、どうすればいいのか。誰が、あるいはどこが、どんな対策をたてていたのか。そのどこが不備で、さらにどんな対策を立てるべきなのか。
 このような事件があったとき、どのような体勢で挑むシステムが整っているのか、いないのか。整っていないのなら、どうするべきなのか。
 人々の感情を揺さぶる報道をするよりも、「明日、こんなことが自分の身に降りかかるかもしれないんだから、そうならないためには、また、そうなったときには・・・」というのが報道の役目だろう。
 訓練中の飛行機とヘリが空中で衝突したときも同じことを思った。もし、自分の家にそれらが落ちてきたら、どんな保障を誰がしてくれるのだろうか。あるいは、してくれないのだろうか。そんなことを報道している骨のあるマスコミはない。

 ちなみに、犯人は極刑にすべきだと思う。極刑とは、死刑ではない。死刑など安楽死と同じだ。一瞬で罪の意識から逃れてあの世へいけるのだから。死刑は廃止すべきだ。
 極刑とはこうである。
 全裸にした犯人を身動きできないように縛り、全国をキャラバンすることである。国民はおしなべて石を投げたり鞭を打ったり殴ったり蹴ったりする。死にそうになったら、治療する。治療が完了したら、再び国民総出のリンチの場へ引きずり出す。これを繰り返す。生きている限りこれが続く。徐々に、視力や聴力を奪い、恐怖心を叩きこんでやるのもいいだろう。手足をもいでしまうのも良い。
 この様子は全国に放映すべきである。
 人を殺したところで、安楽死にしかならないような罰則に、罪への抑止力はない。犯罪者にだって人権はあるが、殺人に関しては別である。人の生を奪ったやつに人権も人格も認める必要はない。けだものとして処分するが妥当であろう。


イエスマン  2001/06/22
 サラリーマンと言うのは、多かれ少なかれ「イエスマン」である。
 業務命令に対して、正当な理由をもって「ノー」と言うことは出来るけれど、かといって、上司の思惑とことなることに対して「決済」はおりない。
 はやく退職出来るように身の回りを整えなければ。
 自分が腐ってしまう。


すずしい格好  2001/06/22
 一番涼しい格好はどんなものか、というのをテレビでやっていた。
 結論から言うと、ノースリーブのワンピースで、胸元がちょっと広めに空いていて、スカートはフレアタイプのミニ。なのだそうである。
 手足はラジエーターみたいなもので、なるべく露出してしまうのがいいそうである。広めの胸元から入った風がスカートの裾へ向かって流れて非常に涼しいからワンピースがいいらしく、だから、ワンピースであっても腰をベルトなどで絞ってはいけないそうなのだ。そこで風の流れが止まるからだ。
 妻に聞くと、確かにワンピースは涼しいという。
 なるほど、風の流れだけを考慮すると、下着をつけただけのセミヌード状態に外気をさらしているわけで、かつ直射日光があたらないから、涼しいわけだ。(直射日光を考慮するなら、手足だって露出しない方がいいと思うが、果たして?)
 ちなみに、へそだしは良くないそうである。身体の幹の部分、つまり胴体をさらすのは、健康その他の面で悪影響があるとテレビでは解説していた。(だったら、ワンピースで風が流れるのだって、良くないんじゃないかと思うが、果たして?)
 所々で論理が破綻しているとは思うものの、まあ涼しいことには違いないだろう。
 ところで、ワンピースなるもの、日本では少なくとも女性の衣服である。男性は着れない。それどころか、ネクタイにスーツにスラックスとくれば、最悪ではないか?
 ワンピースが涼しいポイントは、胸から入った風が足元へ駆け抜けることにある。ネクタイをしていれば、風がそもそもはいってこない。ベルトをしているから、風の流れを止める。スラックスにスカートと同じ効用はとても望めない。最悪だ。くそあつい時期にこんな格好をしているなんて狂喜の沙汰と言えよう。
 幸いスーツを着る職種ではないので、助かっている。(つっても、数年前までは着ていたんだけど。それで事務所にガンガン冷房をきかせたら、「寒い」って女性諸君に言われるんですよ。そっちは涼しい格好をしてるんだから、そりゃあ寒いだろう)
 ユニホームがポロシャツなので胸のボタンは全て外しているし、裾の長さもあるから、ズボンの外に出してるんですよね。だから、上半身だけだけど、風が流れる。最近、股上の浅めのGパンに変えたら、これがまた涼しい!
 スーツを着なくなってから、だんだん着るものがいい加減になってきている。


Webな愚痴  2001/06/22
 別サイト「綾綴人形」で自作長編小説を掲載していて、「パワフルオンライン作家」というリングを主宰している。加盟サイトは順調に増えているのに、ちっともアクセスが伸びない。原因は、幽霊サイトだった。
 いつのまにかサイトを廃止しているのにリングの登録は放置していたり、いつのまにかナビゲーションを取り外していたり、である。ナビゲーションをクリックすることによって読者は次々と加盟サイトをサーフィンすることが出来るシステムなので、サイトやナビゲーションがなければそこでサーフィンは途切れ、当然のことながらアクセスは増えないのだ。
 リングを主宰するということはある種「苦労を買う」みたいなものなので、別に構わないんだけど、マナーが悪いなあと思う。
 やめるならやめるで、登録の削除ぐらいしたらどうだろう?
 サイトの廃止ならまだ仕方ないけれど、リニューアルと称してナビゲーションを外すなんぞ外道のすることだ。こちらが気がついて登録を抹消しなければ、そのサイトへはナビゲーションを辿ってよそから訪問者があるのに、自分のところに来た訪問者は他所へ流さないという、卑劣極まりない状態なのである。
 ひどいサイトはいくつもある。「精神状態が悪くなったので休止します」何ぞとかいてあり、きっちりナビゲーションも外してあったりする。おいおい、こっちの精神状態の方がよっぽど悪くなるぜ。
 「ひどい訪問者がいてあらされたので一般公開を止めます。読みたい人はメールを下さい。URLを教えます」なんてのもある。ひどいのは訪問者ではなく、テメーだ。だいたい、そんなあいさつ文を載せているサイトに対して、わざわざURL教えてください、なんてメールを出す奇特な読者がいるとは思えない。
 こういうサイトを僕は「幽霊サイト」と呼ぶことにし、こういったサイトの削除を「除霊」と位置付けた。
 660を越えようかというサイトが加盟していたが、一月に及ぶ除霊作業で現在は590サイトを割っている。この間も当然、新しいサイトの加盟はあるので、だいたい100サイトほどを除霊したことになる。現在も巡回と除霊を続行中である。多分まだまだ加盟サイトは減るだろう。

 ところで、別の何かのリングだったか同盟だったかに、面白いことが書いてあった。
 「広告の表示義務がある無料サーバーで広告の表示をしていないサイトは、公序良俗に反していることになるから、加盟を認めない」
 要旨、こんな内容だった。なるほど、公序良俗に反するとは、エロ関係だけではないのだ。
 サイトを廃止したのに登録を自ら抹消しなかったり、登録の条件であるナビゲーションの設置を、登録を抹消することなく勝手に取り外すなどと言う行為も、まさしく公序良俗に反する行為である。情けは無用だな。


着メロ  2001/06/18
 ドコモの503iを入手した。それまで使っていたセルラーの携帯は97年のもので、親父が純粋な意味での携帯電話が欲しいといいだしたので、僕が最新機種を買い、古いほうを親父に譲ることにしたのである。「純粋な意味での携帯電話」とは、電話が出来ればあとはなにもいらない、ということである。

 さて、着メロ。僕の好きな曲はマイナーモノなので、ダウンロードなんぞ望めない。いくつかのサイトで「沢田聖子」を探したが、ない。
 そこで、プレインストールされていた曲の中から、「ダイヤモンド(プリプリ)」をとりあえず使うことにし、着メロを自分で作ることにした。
 3和音で自作曲が作れるので、メロディーを耳コピーしてハ長調で入力、あとはキーボードとドラムでも重ねれば良いかとか思ってたのだが、あれれ?
 3和音は「3和音」であって、「3音源」ではない。うっかりしていた。「シンガーソングライター」というソフトで曲作りをしていた僕としたは、ついうっかり3和音と3音源を勘違いしていたのである。

 しかし、「ダイヤモンド」は決して3和音なんかで演奏されていない。もう一度聴いてみる。自作曲は「音階」しか入力できないのだが、「ダイヤモンド」にはドラムなどもちゃんと入っている。だから、機能として3和音までしか出せないのではなく、作曲機能が制限されているのである。いま、説明書を見ても探し出せないが、そのときは、ダウンロード曲などは16音源だか16和音だかになっている、と書いてあった。

 なるほど、たしかにあの携帯の小さな画面で、8トラックのそれぞれに音色や和音を設定して入力するのは無理であろう。それに、そんなに複雑になったら、作曲する楽しみもなくなってしまう。そういう複雑なことは、パソコンやシンセサイザーですべきなのだ。(シンセでの入力もかなりかったるいけどね)

 さて、たった3和音だけの作曲、というか、編曲なんてつまらない。せめて、ボーカル(メロディ)のほかに、キーボード、ギター、ドラム、ベースくらいは入れたいじゃないか。そこで、パソコンで曲を作ってサーバーに送りこみ、それをダウンロードすればいいのだと気がついた。既に僕が使っているサーバーには自作曲がおいてあるので、それをダウンロードしてみよう。
 ・・・・・できない・・・・
 なんか、エラーメッセージが出てしまう。
 うーん。着メロはmidiではなかったのか。だとすれば、どんな形式のファイルで、そのファイルをどうやって作れば良いのだ? 着メロ作曲ソフトなんてのがあるのか、それとも、「シンガーソングライター」でも、そのファイル形式をサポートしているのか?
 考えるのが面倒になって、とにかく3和音でいいやと、永井真理子の「少年」を打ちこみ始めた。メロディーは完成。使える音符は残りふたつ。しかも、作曲ソフトのように、同一のトラックで途中から音色を変えたりすることも出来ない。ま、ピアノとベースかな? さて、どんなアレンジにしましょうかねえ?


素直になれよ  2001/06/18
 義理で気を使ってやってんだよ。なのに、なにスネてんだよ、全く。
 もし、「友達」という関係だったら、即座に終止符だ。
 義理なんだよ、義理。しょうがないから、やってんの。
 いつまで、スネた態度や言葉を続けるの?
 こっちだって、不愉快だよ。だけど、こっちには、「不愉快だから」で済ますことが出来ないんだよね。そういう立場上のことがわかってて、あえてそんな態度を取り続けるんだね。
 別に、いいけど。それで救われないのは、そっちなんだから。


飛行機  2001/06/18
 地方空港に離着陸している国際線が、採算割れで撤退したり、あるいは、「集客が見こめない」からと地元(日本だよ)の要請に応えることが出来ないでいる、などというニュースが流れた。
 その採算ベースというのを聞いて驚いた。稼動率が70%だの、80%だの言っている。そりゃあ、無理と言うもの。70%はともかく、80%といえば、ほぼ「満席」に近い。便によって偏りが出るのは仕方ない話であるから、需要の多い曜日や時間帯では「満席お断り」が続出する、という状態のことである。
 そんな状態でないと商売が成り立たないのなら、これはかなり危険な商売である。客がいなくて倒産するか、採算ベースにのる乗客があるのなら、それは「席がいつもとれない」と同義でクレームの嵐となろう。

 これは実は国内線でも似たようなもので、採算点は以前なにかで65%だかなんだか、とにかく60%台だと聞いた事がある。

 しかし、これはおかしい。あんなにディスカウントして席を売っておきながら、一方で「空席が目立つので赤字になるから飛行機が飛ばせない」といってるのである。

 僕が航空会社をしきるなら、こんな馬鹿な商売はしない。
 「全席スーパーシート」にして居住性を良くし、喫煙と禁煙を完全に仕切りで分けて喫煙者にも喜んでもらえるようにする。全席スーパーシートだから、座席数が減るので、客室乗務員も減らすことが出来る。国内線なら一切の機内サービスを廃止して、さらに客室乗務員を減らす。
 機内でジュースなんか配らなくていい。そんなもの空港で買っとけばいいのだ。おしぼりだって、飛行機に乗るときにひとりづつ「ご利用ありがとうございます」と手渡せばいいのだ。
 そんなことに経費(スタッフ)を費やする余裕があるのなら、地上係員を増やせ。定刻に飛行機を飛ばせ。
 一方で、料金の値下げをする。しかし、一切のディスカウントを行わない。こうすることで、座席単価の平均値をいまよりも上げる。多少高くてもスーパーシートなのだから仕方ないが、意味のない割引を廃止することで料金の平均化を計れば、現在のエコノミークラスノーマル運賃よりも安く出来るはずだ。
 こうすれば、ノーマルで買わざるを得ない人は、明らかに僕の経営する航空会社を選ぶ。なにしろ、座席が良くて安いのだ。しかし、全席スーパーシートなので、キャパが少ない。すぐ満員になってしまう。こうすることで座席の価値が上がり、臨時便を出せばそっちも満員になるし、料金を上げたってかまわない。

 割引競争をした挙句に、とうとう満席になっても赤字状態、残るは経費節減とスタッフを減らされ、一人当たりの仕事量は激増、しかし、割引のために収益は上がらず給料は増えない。こんな状態のどこがいいのだ?
 少ない座席数(乗客)で正当な利潤を含んだ運賃を取り、十分なスタッフで運営する方が、いいに決まっている。こんな簡単なことがどうしてわからないのかなあ?


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