「わお〜」な想い



前のページに戻る


ネットねずみ講  2001/05/28
 最近、メールでのねずみ講の勧誘が来なくなった。不毛なことに気がついたのだろうか?
 ネットねずみ講と言うのは、こんなシステムだ。メールには3〜5人ぐらいの振り込み口座が書いてあり、そこに1000円(金額は様々)を送れと指示されている。次に、名簿の一番上の人を削除し、一番下に自分の振りこみ口座を書いて、たくさん発送せよ、となっている。
 仮にこれを10人に送り、それを受け取った人がまた10人に送り、それをまた10人に送り、と繰り返されれば、最終的には数千円の出資で何百万円という収益がある、というのである。

 さて。
 一度独自ドメインから発送されたこういうメールを受け取ったことがある。メールアドレスが「個人名@屋号.co.jp」だったのである。「屋号」の部分が「******ya」となっていたので、これを「屋号」と判断した。メルアドだけのために独自ドメインをとることはないだろうから、ホームページがあるにちがいないと判断した。そこで、「http://www.屋号.co.jp」と入力してみたら、ビンゴ!

 お弁当屋さんだったのである。
 そこで、そのホームページに掲載されているメールアドレス宛てに、こちらが受け取ったメール本文を添付し、「貴社の社員が貴社が与えたメールアドレスを用いてねずみ講をやっている。メールアドレスで貴社名が判断出来るので、貴社の名誉を損ないかねない。注意されてはどうか」と、メールを送った。

 返事が来た。
 「そのような名前の社員はいない」「そのようなメールアドレスは使っていない」「プロバイダに調査依頼をした」「ご迷惑をおかけして申し訳ない」といった文面の返事である。
 しかし、その社のホームページを見ると、そのような名前が「代表取締役」として掲載されており、ご丁寧にも写真まで掲載されていた。おまけに同業者の組合の理事長だかなんだかの肩書きまで持っている。弁当の通信販売の料金の振りこみ先も、メールに書かれていたものと同一である。

 もちろんそんなことを追求するメールをさらに送ったりはしていないが、まあ笑えるな。


こだわり  2001/05/23
 JR阪和線「鳳」駅構内の蕎麦屋に入った。メニューに「牛丼」というのがあったので、最初はそばを食うつもりだったが、牛丼を食べたくなって注文した。
 すると、吸い物がついてきた。すまし汁で、ねぎだけが浮いている。飲んでみると、蕎麦のスープだった。うまい。出汁が濃い。
 そういえば・・・。盛岡だったか仙台だったか忘れたけれど、やはり駅構内のラーメン屋で「カレーライス」を食べた。このときはカレーが食べたかったので、ラーメン屋だが「カレーライス」と書いてあったから入ったのだ。
 するとやはり吸い物がついてきて、ラーメンのスープにねぎが入っていた。
 いずれも、「うちは蕎麦屋です」「うちはラーメン屋です」と、こだわりの主張をしているかに思えた。
 いや、別の吸い物を造るよりも、楽だからなんだろうけれど。


祈り(沢田聖子)  2001/05/23
 沢田聖子の3年半以上ぶりのニューアルバム、「祈り」発売。
 どこにもない。
 三田市と神戸市北区のCDショップを5時間以上かけて10件以上回ったけれど、どこにもない。
 東京、秋葉原の石丸電気では、他のどのアーティストよりも大きなポスター(看板?)を掲げて大キャンペーンをやってるみたいだけど、そんなところに何百枚おいてあったって、地方在住者には関係ないんだよ。
 大阪から1時間圏内でこれだから、他の地方ではどうなんだろう。ほとんど流通していないんじゃないだろうか?
 予約すればいいんだろうけれど、「売りきれるから予約しとかないとやばい」ならともかく、ねえ。予約したら、「予約した店でしか買えない」から、僕の場合はあんまりおいしくないんですよ。フラリと入ったお店にないと困るの。
 それに、予約が前提になるんなら、インディーズで通販のみ扱い、のほうが確実に手に入ってありがたいんだよね。あるいは、どこそこのお店に行けば、確実にあります、他の店には置いていません、ていう情報とか。
 そもそも、CDの棚がいっぱいで入らない、ってわけじゃない。多くの店の棚はスカスカ。もともと「売る気」がないんだよ。コンビニやスーパーに品物を卸しているメーカーなど、いかに棚を確保するかに必死になっているのに、CDショップの棚に余裕があるということは、レコード会社は何もしていないということになる。
 ショップの方も、やる気がない。これまでの売れ行きとか、タイアップがどうなってるとか、知名度がどうとか、話題性がどうとか、そういうものを全てデジタル化して一定以上のものでないと、そもそも仕入れないのだろう。これが現代流のマーケティング戦略、というものなのだろう。お笑いだ。店のポリシーも経営方針も何もない。寝てても売れるものを大量に仕入れるだけで、音楽業界の一角を構成しているという責任も自負もない。
 これじゃあ、マイナー路線だけれど実力派っていうアーティストがのきなみインディーズに流れるのも頷ける。CDショップの棚がガラガラなのももっともだ。多少待たされても、送料を負担させられても、確実に手に入る自主レーベル製作によるインディーズの方がいいに決まっている。
 下の「最終回」に出てくる「アワーズガール」っていうマンガ雑誌があるんだけど、これの読者欄を読んでいると、「書店の店主に勧められて買った」というのがあった。こういう気持ちがレコード店になければ、もうCDショップなんていらないぞ。

 商売をするときに大切なことのひとつに、「仕入れ先をおさえる」というのがある。一定の品質で一定の仕入量を確保することである。レコード店の場合、これはアーティストにあたるだろう。ところが、現在の音楽業界はどうなっているか。産地直送の割合がどんどん増えて行っている。つまり、インディーズだ。消費者がアーティスト(が作った個人レーベル)に個人的に注文をする。インターネットの普及がインディーズ流行に拍車をかけている。問屋も小売も関係ない。消費者とアーティストの間にあるのは、運送屋さんだけである。もうそういう時代になってきているのかもしれない。

 ともあれ、音楽流通がこんな状態だから、SMC(沢田聖子さんの所属事務所=ショウコミュージックカンパニー。名前でわかると思うけれど、自分で作った会社ですね)も、自主レーベルでインディーズ出版に切り替えることを考えた方がいいんじゃない?
 って、SMCレーベルって、既に存在してるし。
 ところで、明日、東京へ行きます。


最終回  2001/05/23
 またまたマンガの話で恐縮。m(__)m
 月刊「アワーズライト」連載の「KAZAN」が最終回。コミックも最終巻の7巻が来月にソッコーで発売されるんだけど、なんとか最終回は雑誌掲載時点で読みたかったんだよね。で、買いに行く。ところが、ない。いつもなら、コンビニとかにも結構在庫が長い間おいてあるのに、全然ないんだよねー。兄弟誌の「アワーズ」なんか、増刊号まで含めてあっちこっちにおいてあるのに。それに、コミックの6巻もどこにもないし。困ったもんだ。
 21日発売なのに、今ごろまで買わずにウロウロしている方が悪い、といわれればそれまでだけど。ま、何件か回って無事に購入いたしました。
 でもね、兄弟誌の「キングダム」(4日発売)は残ってたんだぜ。うーん、こっちは「Home Sweet Home」が最終回じゃないか。やっばー。こっちも購入、と。「キングダム」は毎月買ってなかったから・・・(すんません)
 ついでに、「アワーズガール」もようやく3号目でゲット。川原由美子さんが3号には描いてないじゃないの! ま、いいけど。「アワーズガール」、始めて手にしたけれど、これ、かなりイケますね。レベル高いです。
 ぜーんぶ、少年画報社ですね。少年キング(廃刊)以来、お世話になっております。もう少年誌は出さないのでしょうか? 「少年アワーズ」とか・・・


天使失格  2001/05/21
 「天使失格」という本をようやく入手。ファンというには不熱心だけれど、作者の服部あゆみさんの描く作品は好きだ。
 実はこの作品、どうやら編集方針の変更とかで、単行本一冊分で連載打ちきりとなった模様。すげえ残念。このあたりはさすがにプロだと思うのだけれど、そういう中途半端な状態であっても、世界観を描ききり、メインのストーリーだけは完結させている。とはいえ、設定を生かしきれなかったり、用意したエピソードが挿入できなかったりなど、数々の悔しさが作品のあちこちから散見される。
 しかし、残念。これらが全て生きてたら、壮大な物語が展開されたろうになあ。

 で、どんな作品だったのかというと、「サイバーパンクSFでオカルトホラーな味付け」なのだそうで、実はモロ好み。
 時は、西暦2126年。場所は東京ベイシティ。地球温暖化で海水面が上昇し、東京のほとんどは水没、そのかわりに、限りなくでかい海上都市が建設されていた。なんと地上1000階。その高さは4000メートルというから富士山より高い。基部の広さは現在の山手線よりも広い。ここに東京都民の90%が暮らしている。面白いことに、各階の天井には空が投影され、夜になれば暗くなり、外灯がともる。

 さて、ここからが面白い世界観なのだが、これらが科学万能で建設されたものでは無いと言うことだ。これだけの規模のものを作るには、霊的なパワーが必要だとされている。古くから、家を建てたり、旅に出たりするのに、「場所が良くない」とか「方角が良くない」などと言われるように、ここはまさしく「良くない」場所である。しかし、そういうパワーの満ちているところでないと、これだけの建築物は作れない。しかも、人柱までが採用されているのだ。

 そして、ここでは、科学の力と霊的な力が渾然一体となっていた。それが、死者を蘇らせる術。こうして作られたのが、いわゆるクローン人間ではなく、不法再生体。クローンとは遺伝子を同一にする別の人格だが、ここではまさしく死者を蘇らせる。蘇った肉体に、死者の記憶を移植する。これがこの東京ベイシティの裏稼業なのだった。

 バイオテクノロジーと霊的なパワーによって、オカルティックな生物や、死者や、不完全生命体などが跋扈する、最先端の大都会。人の命や心が必ずしも本来あるべき状態で扱われない世界。そういう体勢に反旗を翻して、霊的なパワーの源になっている場所、すなわち人柱を破壊しようとする、主人公達。そう、そういう「反体制」みたいなのにも、すごくすごく心を引かれてしまう僕なのだ。

 ね、面白そうでしょ。
 みなさんも、こういうのに、興味のある人は、どうぞ。

 それはそうと、もうひとつマンガの話題。「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」の関連性だ。続編の銀河鉄道999は、確かテツロウ(漢字がああああ、思い出せない)が地球に戻った1年後に始まったという設定だったと思う。1年ではなかったかもしれないが、そんなに年月は経ていない。そして、旅立ちの直後に地球は消滅する。
 一方、新しい宇宙戦艦ヤマトは、西暦3199年だったかな、とにかく元のヤマトの1000年後という設定だ。もちろん、地球は存在する。
 パラレルワールドといわれればそれまでだが、999とヤマトは宇宙の海で時々遭遇している。広大な宇宙の海では、違う次元や時間が交錯しているのだと言う意味合いのことは何度も999で説明されているので、パラレルワールドどうしが一瞬どこかで接していても、別に不思議ではない。
 けれど・・・・。メーテルによると、テツロウはやが光も時間も追い越して走るときが来る、のだそうだから、滅んだ地球が蘇るという伏線なのかもしれない。しかも、ヤマトと999の敵はどうやら共通のものらしい。続きが楽しみだ。


メールの受信は無料  2001/05/21
 妻が携帯メールのアドレスを変えた。もともとは電話番号@ドコモだったのだが、わけのわからんメールがいっぱい来るから、任意のアドレスにして「教えていない人にはわからない」状態にしたのだ。僕は携帯は持っているが、97年から使っている機種で、定型文を送ることは出きるらしいけれど、いわゆるメールなんぞ使えない。そもそもこれだって、前の機種が故障したから新しくしたのであって、そうでなければ、もう1世代前のものをいまだに持っていただろう。
 それはともかく、テレビのCMで「メール受信は無料」をやっていた。これだったら、色々なところからわけのわからんメールが来ても、料金がかからないから、お徳ですよ、ということなのだろう。
 だけど、本当にそれでいいのか、とか思う。
 タダだから送りつける。タダだから送られてきても構わない。それでいいのか?
 送る方は情報の貞操観念など一切無く、めったやたらと、送りつける。その中でアホウが一人でも二人でもひっかかってくれたらラッキーといった感じで送る。パソコンのBCCで送れば、何の苦もなく大量に送れる。郵便のDMのようにひとつひとつに経費が発生しないから、いくらでも送りつける。
 一方で、受け取る方は、タダだから、構わないと思う。興味の無いものを捨てるか、あるいはDMなら無差別で捨てるか、そういう選択をするだけだ。自分のプライバシーを自分でまもろうという気持ちが薄れる。メルアドの管理がおろそかになる。スパムメールを送りつけるような連中に、批判する気持ちがなくなる。
 これはいかんと思う。
 無理やり送りつけられたメールに料金が請求されるからこそ、きとんとメルアドを管理しなくちゃという気持ちも芽生えるし、そういうことをする人への批判心が育つ。みんなが問題意識を持つ。そうすると社会問題になる。やがてスパムメールに対する法整備なども行われるだろう。だが、受信無料がはびこると、野放し状態になる。
 電話会社だって、受信無料にすれば最初は契約者が増えるかもしれないが、自社の設備やトラフィックを消費することになるのだから、経費がかかる。だが、収入はない。経営を圧迫する。サービスには対価を要求すべきなのだ。
 メール受信が有料であれば、スパムDMは「望まない人に、無理やり料金を払わせている」ことになり、いわば「押し売り」だ。そのことをみんなが認知するためにも「受信無料」はよろしくないと断言する。


知人の超人気HP  2001/05/21
 知人がやってる超人気HPがあるんです。ここをご覧の方もかなり多くの方がご覧になっているはずです。一応「個人でやってるページです」とは書いてあるものの、自己紹介と日記とペットと家族や学校や会社のことと、それからマイブームなんかの話題などで占められた個人ページとは異なり、れっきとした「役に立つ情報提供」のページなのです。
 しかし、そこにはなぜか、管理人の日記のコーナーだけは存在します。才のある人で、日記と言ってももちろん「読ませる」ためのもの、自己の行動や思慮が原点になっているとはいえ、「日記」というよりも「エッセイ」という感じです。
 で、その日記なるものを読むに、「ネットでの収入が本業の収入を上回った」と書いてある!!!
 おいらなんぞ、メルマガに広告をつけたって半年でようやく1000円を超える程度の収入しかないのに、どうやったらそんなにネットで稼げるのだ? 不思議である。しかも、そのサイトには、広告らしい広告がついていない。何がネット上の収入源になっているのだろう?
 不思議である。


電車を一両さしあげます  2001/05/14
 少し下に「バスを一台差し上げます」というのがあるのだけれど、ついに「電車を一両差し上げます」を見つけてしまった。
 何の企画だったか、どこの鉄道会社だったか忘れてしまったけれど、赤い電車の写真が新聞に載っていた。
 維持費や、その運行に要する費用は本人負担だそうである。
 これはいくらなんでもいらない。バスなら欲しいけれど、電車はいらん。
 どっかの航空会社が「飛行機一機差し上げます」ってやらんか?


R−17  2001/05/14
 R−17の原案コミック本「めまい」(ももち麗子作)を読んだ。非常に良く出来た作品だ。
 主人公の京子は高校3年生。実力より遥か上のT大学を目指す受験生でもある。父親は超名門高校の教諭で生活指導主任。そのランクの低さの為に、自分の娘がどの高校に通っているかを同僚には恥ずかしくて言えないでいる。せめて「T大」に合格しろと、親からのプレッシャーはきつい。だが、京子はそのショボイ高校ですら成績が芳しくないのである。
 そして京子はS(覚せい剤)に出会う。ドラッグのおかげで中間試験の3日3晩、一睡もせずに、良い成績を残すことが出来た。同時に、リバウンドのために何度も失敗しているダイエットにも成功する。しかし、薬に頼らなかった次の試験は散々で、ダイエットの方もまたリバウンドに見舞われてしまう。
 こうして京子は薬におぼれて行く。京子に思いを寄せるエイジが、京子のドラッグ使用に気付き、やめるように忠告するが、「わたしは薬にのまれたりしない。薬と共存する」と宣言する場面は、迫力があり、ショッキングでもあった。ストーリーが良く出来ていて、その境遇に追いこまれた京子を読者は十分納得出来るだけに、「薬と共存する」のひとことが切実でもあり、説得力もあった。
 やがて親にバレ、幻覚症状も現れて深刻な状態になるが、父親は体裁の為に娘を病院にはやらず、自宅で監禁して薬を抜こうとする。京子も薬を断つ決心をする。が、そこに、ドラッグ仲間が侵入して、京子にまた薬を。京子は「これが最後だから」とそれに手を出してしまった。また、トリップ・・・・
 ドラッグは小分けにして家の中の至るところに隠されていた。京子は「これが最後」とまた手を出す。薬が切れれば幻覚症状に見舞われ、それが恐くてまた薬。ドラッグがやめられないことで悲しくなり、その悲しさから逃れるためにまたドラッグ。
 「あなたに迷惑はかけない。わたしの実家へ連れて行ってそこで直します。お母さんと一緒に、がんばろうね」
 母親のたまりかねた台詞が、脳裏に焼き付けられた「受験ガンバレ」の言葉と重なって、京子の気持ちに大きな揺さぶりをかける。
 「わたし、がんばるから。がんばってT大に合格する。だから、お願い、Sを下さい。あれをやれば眠くならない。勉強出来るようになるのよ。だから許してくれるでしょ。だって、お父さんが喜んでくれるもの」
 そうして、父親ははじめて誤りに気がついた。
 娘がドラッグ中毒になったので、家族で力を合わせて中毒と闘うために、父親は教頭に休職を申し出る。なんだったら退職でもかまわないと付け加える。その決意に満ちた表情がなんとも印象的だった。何も感情を表さないその表情は、「迷いのないこと」を物語っている。

 この作品は講談社「デザート」平成11年11・12月号に掲載された作品である。これがテレビで?
 大丈夫だろうか、と思う。
 11月号と12月号の掲載の切れ目が判然としないが、おそらく「薬と共存」を京子が宣言し、エイジが「そんなことありえない」と京子の後姿に叫ぶところが前半のラストだと思う。コミックではここで既に「薬」にノーとはっきりと言っている。
 どのようなシナリオかはわからないが、コミックでは最初、ドラッグが(京子にとって)どれだけ素晴らしいものかを延々と述べている。こうしないと、京子がドラッグにのめり込んでいく過程を描けないからだ。ドラッグの入手方法も克明だ。これをテレビで? 「ドラッグ賛美」なものにならなければいいが。これが恐い。
 というか、これだけの出来のコミックなら、京子が薬の良さに惹かれていく過程だけを描いたとしても、その根底にある真摯な訴えや悲壮感が、読者に「くすりっていいものなんだ」とは決して思わせない。が、テレビドラマにいま、それだけの実力はない。いや、力及ばず表現が十分でないのは仕方がない。が、それ以上に、視聴率が稼げればなんでもいいのだと感じさせるものがたくさんあるのだ。
 3年B組金八先生が校内暴力を加速させたと僕は信じている。「同情するなら金をくれ」がいじめをより流行させたと疑わない。テレビドラマはもはや娯楽ではない。麻薬である。視聴者ではなく、製作者サイドが現実と虚構の区別がつかなくなっている。
 本当にいいのか? テレビでやって。
 こんなに素晴らしい作品を、テレビで貶めてしまっていいのか?

 そういえば、報道番組で、こういうのをやっていた。官僚をめざす東大生だったか、官僚を目指して東大受験に挑む高校生だったか。「ドラッグ? みんなやってますよ。中毒にならないように必要なときだけ使えばいいんです。恐がるのはナンセンス」というニュアンスのことを、インタビューを受けて、顔にモザイクのかかったその青年は答えていた。正しい大人のすることは、それを報道することだろうか? 違う。その青年を正しく導くことである。その場で取材を中止してしかるべきところに通報し、しかるべき導きを青年に施してやることだ。そういう正しい社会人としての行為を全うせずに、テレビと言うのは視聴率を稼ぐことに奔走しているのですよ。


アメリカへガソリン輸出  2001/05/14
 朝日新聞5月13日付け朝刊によると、日本の石油元売大手2社が、アメリカへガソリンを輸出したという。
 アメリカではガソリン価格が高騰しているので、日本のガソリンに割安感があるためだと説明されていた。

 それはそれとして、資本主義社会としては誤ったことではないのだろうけれど、僕は危機感を覚えた。こんなことでは、地球は滅ぶ。なぜなら、日本は石油(原油)産出国ではないからだ。
 つまり、日本にあるガソリンはどこかから輸入してきたものであり、その輸入の為に燃料を使っている。にもかかわらず、アメリカへ輸出するためにまた燃料を使うことになる。資源の無駄遣いだ。価格競争の名のもとに環境破壊が進んでいると断じていいだろう。
 もっとよく考えるべきである。一時のガソリン価格の安さを求めたり(アメリカ)儲けを第1に考えたり(日本)することで、資源は確実に浪費される。よく考えた方がいい。

  「僕たち初心者ホームページ作成講座」改定新版5月10日2章を追加。(一部未完成)


バスを一台差し上げます  2001/05/05
 妻が少し前の時刻表を「面白いことが書いてある」と持ってきた。
 それは、JR高速バスの全線を踏破しようという企画だった。いわゆるチャレンジ20000キロのバス版である。僕はこんな企画があることを知らなかった。(この企画は既に終了している)
 そこには、10線区賞はじめ様々な賞が、踏破した基準によって色々あるのだけれど、「全線踏破」の人への賞を見て、びっくりした。
 「ハイデッカーバスを抽選で1台」と書いてある。
 な、なにいいい????
 バスを一台くれるのか?
 なんかすっごい破天荒な企画だ。面白い。
 1路線踏破しただけでもオレンジカードが貰えて、これはこれで「良いなあ」と思うのだが、それ以外の中間賞が極めてしょぼい。しかし、最高賞品がバス一台なのである。すんげえ。
 おまけに「有資格者に限る」と書いてある。1路線踏破でもれなくオレンジカードが貰えるのに、全路線踏破しても賞品が貰えるのは抽選で1名だけ、しかも有資格者でないと抽選さえ受けられない。具体的には書いていないが、大型免許を所持し、かつ、駐車場が確保出来ること、などが条件であろうと思う。
 それにしても、これは明らかに暴走企画。普通、こんなことを企画したら、誰かが反対しそうなものだ。「バスなんか一般の人が貰ってもしょうがない。扱いに困る」と。しかも、単なる抽選でない。条件が整わないと、全路線を踏破したって最初から対象外なのである。こんな賞品では「チャレンジしたい」という士気をあおることは出来ない。だから、普通はやらない。
 それでも、バスを賞品にしてしまうところが、なんとも素晴らしい。シャレが効いている。おそらくバスなんか貰ったってたいていの人は困るだけだが、そうとわかっていて「どうだ、バスをやるぜ」ってんだから、「まいった」としかいいようがないのである。

 もっとはやくにこの企画を知っていたら、挑戦していたな、というのが妻と僕の共通する見解である。
 僕は大型免許を持っているし、妻の実家は運送屋なので、駐車場には困らない。
 ハイデッカーバス、我が家なら本当に貰っても困らないぞ。

 それにしても、いったい誰がこの幸運(?)を手にしたのだろう? お会いしてみたい。


苦労  2001/05/05
 人間というのは不思議なもので、思ったとおりに現実を変えてしまう能力を持っている。
 「こうだったらいいのにな」と思えばその通りになるし、さらに強く「こうでありたい」「こうしたい」などと思えば、そのとおりになる確率はもっと高くなる。口にすれば更に有効だ。

 理由がある。「意志の力」とかなんとかいうような胡散臭いものではない。きわめて科学的な理由があるのだ。
 人生には様々な分岐点がある。そこで選ぶことが出来るのはひとつだ。ふたつは選べない。そんな分岐点は、大きなものもあれば、本人すら気がつかない小さなものもある。小さなものは、無意識のうちに選択している。これが重要だ。「こうでありたい」という願いが強ければ強いほど、それに近い方を無意識に選択する。強く望めば夢は叶うのだ。
 口に出すとさらに効果的なのは、誰かがそれを覚えていてくれて、チャンスを持ってきてくれる可能性が大きいからだ。

 さて。これも不思議なもので、「なんとかなるさ」と思っていると、なんとかなるし、「なんともならない」と思っているとなんともならない。
 さらに不思議で重要なのは、「苦労して努力して血の吐くような思いで必死にならないと実現できない」と思っていると、それを実現するのに苦労や努力をしてさらに血を吐かないといけない。「苦労なんざしたくない。のんびり気楽にやっていて、かつ夢を実現したい」と思っていると、そのようになる。だから、苦労は望んではいけない。そんなもの買ってまでするもんじゃない。

  「僕たち初心者ホームページ作成講座」改定新版5月4日1章、5月5日2章を追加。


子供の喧嘩に・・・  2001/04/27
 小学校3年生の息子が喧嘩をして帰ってきました。
 石を投げっこしたらしく、額にあたって流血の惨事。僕が知ったのは仕事から帰宅後のことですが、相手の少年は血を見て「とんでもないことになった」と、息子が額を手で押さえて帰宅するのに付き合って、息子の自転車とカバンを届け、息子にずっと謝っていたと妻からききました。
 「殴り合いならいいが、棒を振りまわしたり、石を投げたり、道具を使った喧嘩はだめだ」と僕は息子に説教をしました。喧嘩の時点から時間がたっているので、叱りつけるというようなことはせず、本当に淡々と。まさしくこれは説教という感じだなと自分で思いながら。
 妻は相手の少年の家に行く、と言いました。相手の少年は家まで付き添って帰ってきてしかも謝ってるのだし、そんなことする必要はないと言ったのですが、「でも、相手の子はこのことを親に言ってないでしょう? それで、他の人からこの喧嘩の事を知らされたら、どう思う?」と、妻は言うのです。なるほど。そういう観点からもものを考えないといけないのか。親同士の付き合いというのは単純にはいかないようです。
 数日後、たまたま相手の親と妻が路上で出くわしました。幼稚園の頃から親どうしの付き合いがあるので、今回のことが話題になり・・・・。
 実は相手の少年、あれからずっと気に病んでいたらしく、相談する相手もおらず、ずっと精神不安定だったとのこと。親が「どうしたの?」と訊いても、叱られることの恐怖から「なんでもない」としか答えなかったらしいのです。相手の少年は、幼稚園の頃から知っているとはいえ、1学年上のため、学校でも息子と顔をあわす機会がなかったのでしょう、流血のその後が気になってしかたなく、また、いつ親にばれて叱られるかという思いも同時にあり、どうやらここ数日間、怯えて暮らしたようです。
 とうとう今日など、ちょっとした精神の破綻的な状況になり、泣きながら学校を早退して来たとか。もちろん相手の親にはなにがどうなってるのかさっぱりわかりません。うーん、妻が言ったように、その日の内に相手の少年の家に行っておけば良かったのでした。
 ともあれ、ものを使った喧嘩は思わぬ事態になること、人に怪我をさせてしまったこと、そのことを黙っていると日々気がかりが増していくこと、日がたつとますます言えなくなってしまうことなど、相手の少年は多くのことを今回のことで学んだでしょう。
 僕が子供の頃はこんなことは日常的な出来事でしたが、現在はそうではないようです。そしてやがて、相手を殴り殺すことが出来るぐらいの腕力をもつ年齢になり、本当に人を殺してしまう。子供の頃の喧嘩は必要なことなのでしょう。
 色々なことを考えた今回の出来事でしたが、どうやら我が息子は何も学んでいないようです。傷口が開くといけないから激しい遊びはしないようにと言われ、「もう痛くないもん」と、ただただ不満そうにしているだけでありました。

  4月27日「長編小説」に「アスワンの王子 王宮の3 案内人」を掲載。
 って、もうリンク外してるから、ここで更新情報として流すのも、変なんだけどね。ま、習慣かな?
 にしても、URLの問い合わせ、来ないです。ま、そんなもんでしょう。



ナビゲーション  2001/04/23
「あんた、自分だけがオイシイ思いをしたいと、思ってるでしょ?」
「オイシイ思いはしたい。けれど、自分だけが、なんて思っていない。みんながオイシイ思いをできればいいと思っている」
「サイテーね。自分だけがオイシイ思いをしたいって言うほうが、純粋だわ」


ナビゲーション  2001/04/22
 人生のナビゲーションなんていうけれど、自分をナビゲートするのは、結局自分なんだよね。

  4月22日「僕たち初心者ホームページ作成講座」改定2章追加。
  4月21日「長編小説」に風の予感第6話(1)をアップ。リンクを外す。


ソース  2001/04/15
 とある検索エンジンで「とらおランド」を検索した。全然関係のないページが出て来た。ソースを見た。・・・・絶句。そのまんま使うにしても、キーワードくらい書きなおせばいいのに。別にいいけど。

  4月17日「僕たち初心者ホームページ作成講座」改定作業スタート。


らしく? ために?  2001/04/15
 人を使うのも、人に使われるのも、もうイヤだなあと、とみに最近思う。
 考えたこと、感じたこと、やりたいこと、そんな様々なことが、人の手を経てどんどん歪んでいくのが、だんだん我慢ならなくなってきたりする。ま、仕事上の話だけど。
 根底のところでは、「自分らしく」とか「自分ために」とか、そういうところとつながっているのかな、なんて思う。
 自分が自分でないのなら生きている価値などないのか、それとも、自分が自分であるために生きるべきなのか、わからなくなってくる。

  4月15日「長編小説」の「語り部は由美 夏の火遊び(3)」をアップ。
  4月13日「長編小説」の「パワフルオンライン作家リング加盟サイト一覧」を更新。
  4月12日「長編小説」に「毎日が夢気分 ボーイズラブ5」をアップ。


誕生日  2001/04/09
 かねてからお願いをしていたノートパソコンのソフトケースを妻が作ってくれた。ピカチュウとピチュウのイラストが描かれたキルティングの生地をパソコンのサイズに合わせて袋状にしてくれたものだ。
 「1週間遅い遅い誕生日プレゼントだね」と言ったら、妻もまんざらでは無いようすだった。
 というのも、誕生日の数日前に「なにか欲しいものある?」と訊かれて「キミが欲しい」と言ったら、すっかり相手にされなかったし、その後その話題は出てこなかったのだ。
 しかし、また問題が起こった。どういうわけか4歳の娘が今日、手紙をくれたのだ。中身は「また一緒に遊ぼうね」というものだったが、娘はいつも色々なものをくれるので、いつもどおりの反応をしていたら、妻にやきもちを焼いてしまったのだ。「わたしにも誕生日プレゼントありがとうと言って」というのである。
 もちろん、言ってあげた。


リイドコミック  2001/04/09
 僕はこれまでリイドコミックなる雑誌は読んだことが無かった。そもそもほとんど見かけないし。
 そのリイドコミックが、連載を全て終了させ、全新連載として「リイドコミック爆」というものに変身した。そこには矢野健太郎さんの新連載が掲載されているので、探して買った。
 リイドといえば「ゴルゴ13」ぐらいの知識しかない僕は、手にとって作家陣を眺めて「おおー」と声をあげそうになった。
 石山東吉さんも新連載をしている。石山さんは少年チャンピオンで「ヤンキーもの」や「応援団もの」を連載していたが、パチンコ漫画を最後に見かけなくなっていたのだ。確かに、あのパチンコ漫画は苦しかったと思う。なにしろ、高校生がパチンコを「競技パチンコ」としてプレイするのだから、ストーリー展開もしんどいし、現実離れしていて読者も入りづらい。まだ不良高校生がパチンコで金を稼いでいる方が読みやすいだろう。
 そして、もうひとり。深谷陽さんにも再会した。たしかモーニングかアフタヌーン系で、アキオ紀行シリーズを連載していた。後に別のところ(スーパージャンプだったかな?)でも描いていることをしったけれども、僕としてはアキオ紀行シリーズ以来なのである。深谷さんの絵柄が好きで、シリーズ続編を期待していたのだがどうもその様子が無く、再び会えるのかどうかやきもきしていたところだった。しかし、相変わらず、東南アジアものなんですね。大好きですよ。
 オキニ作家が3人もいれば購読するのに差し支えはないが、さて、この先、この雑誌はどうなるだろう?
 昔、少年キングという雑誌があって、イッキではなかったが、雑誌刷新のために編集部を入れ替え、読者のついていた連載ものをかたっぱしから切って大失敗をしたことがある。この時の読者離れが原因で、その後の起死回生策も効果が薄く、結局廃刊になってしまったのだ。(このあたりのことは少年キングを出版していた「少年画報社」のホームページに掲載されている)
 少年画報社の場合は、レディコミのMAYや青年誌ヤングコミックがあったし、少年キングの兄弟誌「ヤングキング」が発展して、「キングダム」「アワーズ」「アワーズライト」の4青年誌を持つまでになったし、増刊の「斬鬼」や「アワーズガール」などもあるけれど、リイドの場合はボナンザがない今、「リイドコミック爆」がコケたらまずいんじゃないの? 余計な心配だろうか?

 (後日談・・・・やっぱりコケました)


とりあえず更新記録  
  3月7日「岡崎倫典の輝く大地」を独立。「押尾コータローの彩られたひかり」を新設、ディスコグラフィーとライブレポをアップ。
  4月3日「長編小説」に「少年 春合宿(3)」をアップ。


ムース  2001/03/29
 髪の毛が伸びてきた。ボリュームたっぷりに広がるので、どうもいけない。以前このような状態になったときに、「ハード&ウエット」のムースで撫で付けていたことがあるのだが、気に入らなかった。男前ならどんなヘアスタイルでも似合うのだろうけれど、僕は男前ではない。なので、まるで何日も頭を洗わなかった不潔な奴の脂ぎった髪のようになってしまった。
 それくらいなら、ふわりとしているほうがいい。
 しかし、それにも限界がある。そこで今回は、「ソフト&ドライ」のムースにしてみた。するとどうでしょう・・・・???
 ムースをつけているので手で触れると確かにねっとり感があるものの、見た目には乾いている。これが科学の力というものだろうか?


腐人  2001/03/29
 「ええ〜! こんな人がこんな職業についているなんて世も末だ」ていうの は、どこにでもあることだと思いますが、このような現象の目立つ職種という のがあります。例えば、警察官。例えば、弁護士。
 僕が本日出会ったのは小学校の先生でした。ろくな生徒指導も出来ないくせ に外部に向かっては大きな面をして一人前の台詞を吐く。しかし、さすがに学 校の先生です。声は大きく良く通り、独自の理屈を展開して他人を罵倒するの がお得意なようでした。生徒は先生を選べないから気の毒です。
 これもどこでもあることなのですが、たった一人のそういう人のために、日 夜一生懸命されてるかたの努力がパーになってしまいます。人の振り見て我が 振りなおせといいます。私も自分の安易な行動が、努力されている方々の労を 無駄にしないよう、恥ずかしくない仕事をしなくちゃいかんと、自分を戒めま す。


葬式  2001/03/20
 急な訃報が飛びこんできた。仕事関係だが大変親密な関係でありこれからも大切にしていかねばならない付き合いで、単に「通夜」や「告別式」に出ればいいと言うものではない。
 受付、関係者の送迎、その他様々な雑用など、お手伝いに行かねばならない。
 「休日」の者を急遽2名出勤させることとし、シフトも大幅に組替えて、2日間の空白を作った。これで事業所は回るが、しかし僕自身の仕事はストップする。

 なにしろ葬儀である。なにものにも優先する行事はおそらく葬儀だろう。訃報が入るたびに慌てふためくのにもいい加減慣れたが、それでもうんざりだ。一ヶ月以上も前から過不足無く人員配置するために、お客様の入り込み状況を念入りにチェックし、必要に応じて再確認し、シフトをくみ上げていたものが、たったひとつの訃報でパーになる。
 仕方のないことではあるし、愚痴ったところで死者を冒涜するような台詞と受け取られても困るので、誰にも何も言わずに黙々と段取りをつけることになるのだが・・・
 僕はもういっそのこと「葬儀はしないこと」と、遺言状でも残しておこうかと思うくらいである。

 でも、よく考えると、それは無駄なことである。なぜなら、拙作「風の予感」で自ら書いているように、こういう「死者」のためのイベント(例えば、葬儀もそうだし、墓参りもそうだ)は、「死者」のためにあるのではなく、まぎれもなく「生者」のためのイベントだからだ。
 実際に顔を出したのか、香典にいくら出したのか、せめて弔電のひとつでも打ったのか・・・、これらは生者が生者の気持ちを量るためのものなのである。

 僕は死者になってまで必死に生きている人たちの段取りを狂わせて慌てふためいたりさせたりしたくないので、やはり葬儀なんかして欲しくない。僕のことを偲んでくれる人がいるなら、たった5分でも1分でもいいから、静かに思い出してくれたら、それでいいと思う。僕は、僕のことを大切に思ってくれている人の心の中で、永遠に生き続ける。


南海電鉄 減量ダイヤ改正  2001/03/20
 ついに南海電車が「列車本数を減らす」ダイヤ改正を実施した。時期を少しずらしながら「高野線」「本線」ともに行われた。
 これまで基本的に10分1単位だったダイヤが12分1単位になったのである。
 これで現実的に「不便さ」は感じていないし、運賃が変わったわけでもなく、表面的には何事も無かったかのようだけれど、これは不景気やデフレスパイラルやリストラ等の影響を受けた実質的な「事業後退」である。町の発展と鉄道の利便性向上(本数増加やスピードアップ)は相互に作用しあって前進してきたが、鉄道という社会の大きな使命を担ったものが、過疎地でもなんでもない、むしろ大都会である大阪で衰退し始めたのである。これはただごとではないだろう。
 先にこのコーナーで日本の経済破綻に「覚悟せよ」と書いたが、現実がジワジワとやってきているのだ。本当に覚悟した方がいい。

 なお、誤解が生じるといけないので、若干の解説をしておく。興味の無い人は読まなくて大丈夫。特急はパターン外なので除いてある。
 「高野線ダイヤ改正概要」(昼間時間帯のパターン)
 これまで10分の間に「各停」と「優等列車」がそれぞれ走っていた。優等列車は「急行」「区間急行」「準急」であり、それぞれ1時間に2本ずつあった。
 このうち「準急」は「泉北ニュータウン」へ乗り入れており、1時間に2本では足らないので、さらに2本が追加されていた。つまり、「泉北ニュータウン行き準急」はおおむね15分に1本だったのである。
 つまり10分単位と15分単位のふたつのパターンが上手に混在して、1時間に14本の列車が走っていた。
 今回の改正で、これが12分単位となり、この間に「各停」が1本、「急行」が1本、「準急」が1本走るようになった。「準急」は増えたのだ。全体の1時間あたりの本数も15本と1本増えた。しかし、「準急」は運転区間が短い。もっとも運転区間の長い「高野山行き急行」は30分ごとから36分ごとに変更され大幅節約が実現し、また「区間急行」の廃止によって停車駅が少なくなり、必然的に所要時間も短くなるから、これも車両の節約になっている。きわめてテクニカルなリストラが行われたのである。
 「本線ダイヤ改正概要」(昼間時間帯のパターン)
 テクニカルな高野線に比べて、きわめて露骨である。これまで10分の間に「普通」が1本、「急行」が1本走っていたが、そのまんま12分単位になっており、1時間あたりの列車本数が2本も減った。


リンク  2001/03/18
 久しぶりにリンクを増やした。いったいどれくらいぶりだろう?
 記録を見ると、リンクページは昨年の8月に更新したきりだった。この時もデッドリンクの整理が主な目的だったような気がする。
 このとき、「相互リンク募集中」の文言を外した。相互リンクを無条件にじゃんじゃん募集するというスタンスにかすかな疑問のようなものが、なんとなく浮かんできていたのだ。で、「しばらく考えさせてください」と記述した。
 「しばらく」だから、いつまでもそのままにしておくことは出来ない。そこで・・・
 リンクフリーです。相互リンクはご相談下さい。なお、「相互」が条件となるリンク(相互リンクしてくれるなら、リンクしてあげますよっていうやつ)はお断りします。
 ・・・と、書きなおしてみた。これで、意図は伝わるだろうか?


対抗  2001/03/18
 上司の話。仕事上の困ったことや悩み事には真剣にアドバイスしてくれるのだが、いざ方針や意見となったら断固として変えてくれない。
 「意見があったら言ってみろ」とは言うものの、真っ向から正反対のことを言おうものなら、すぐに途中で口を挟まれてこちらの発言を遮られ、プレテにすらならない。
 そこで、こんなことを考えてみた。
 僕が部下を集めてミーティングをする際に、その上司を呼び出して立ち会ってもらい、部下に言って聞かすという体裁でついでにその上司の耳にまで突っ込んでしまおう、という作戦であった。
 自分の部下が、さらにその部下に対して訓示を垂れたり、業務上の指示をしているのを、さすがに遮るわけにはいかないだろう。
 この作戦は半分成功した。僕の発言は途中で遮られたりしなかったが、上司は聞いてもいなかった。やれやれ。

  3月16日「長編小説」に「語り部は由美 夏の火遊び(2)」をアップ。
  3月18日 リンクに「永井真理子公式ページ」と永井真理子ファンページ「akichannel」と「smile smile smile」を追加。久々のリンク追加だね。


中古  2001/03/14
 古本屋が目に入ったので立ち寄ってみた。出版社別、作者50音順にきちんと整理された古本屋で、しかもどうやら、買い取った本をそのまま並べているだけではなくて、きちんとメンテナンスをしているらしい。
 (古本のメンテナンスって、どうするんだろう? グラインダーにかけたりするんだろうか?)
 実は、コミック専門店「とらのあな」へ行けば、僕程度のコミックファンなら、ほとんどの作品がそろうはずだと思っていた。ところが、通ううちに、出版社(というかシリーズ)にかなりの片寄りがあることに気がついたのである。
 「マーガレットコミックスがほとんどない!!!」
 「少年画報社」や「ソニーマガジンズ」や「竹書房」や「新書館」や、そういうところのはタップリあるのに、どうして集英社の「マーガレットコミックスシリーズ」がないのだ?
 実は何を探していたかというと、「清原なつの」著作のコミックスである。花岡ちゃんシリーズや、ちょっと切ない恋愛コミックの数々、そしてSFのアレックスシリーズや短編など、ものすごいファンでずーっと集めていたのだ。
 ところが、ある時期から、プツンと著作を見かけなくなった。マーガレットそのものは「愛してナイト」の時代の読者なので、まさか清原なつのさんがマーガレットに移籍しているとは全く気がつかなかった。で、このことを僕はインターネットで知ったのだ。
 5〜10年ほど前の作品らしく、この程度の古さなら、「とらのあな」で絶対に手に入ると思っていたのだ。なにしろ、絶版とされているコミックなども棚に並んでいるし、それを購入すれば、次回には補充されていたりする。しかし、マーガレットはないのだ。
 で、今日見つけた古本屋には、マーガレットコミックスがたっぷりあったのだが・・・、残念ながら見つけられなかった。
 そのかわりに、CDコーナーで、崎谷健次郎(現在はインディーズでしか販売していない模様)と森川美穂を発見! 目的は変わってしまったが、こちらを購入した。森川美穂など3枚も買ったもんね。(って、全部でどれだけ出ているのだろう? 今も活動しているのだろうか?)  それにしても、久しぶりに聴く森川美穂はいい!!!
 伸びのある爽やかで力強いヴォーカルが、気分を爽快にしてくれる。たっぷり眠った朝、カーテンの隙間から差し込む陽射しに刺激されて、外に飛び出したような感覚。
 ちなみに、僕の中の順位は、沢田聖子、永井真理子についで、3番目である。

 と、いうわけで、何が言いたかったかというと、中古屋にあるような作品でも、感性に触れたものはいつまでたっても僕の中で現役なのだ、ということ。
 なので、「清原なつの」情報、「森川美穂」情報、をお持ちの方は、ご連絡下さい。


小学館漫画賞  2001/03/14
 小学館漫画賞受賞作が発表された。この中に、集英社の「世紀末リーダー伝 たけし!」が含まれていた。なんで?
 小学館の少年作品の中にも素晴らしいものがたくさんある。それらは決して「たけし!」に劣る作品とは思えない。
 「自社から刊行した作品だけを賞の対象にするようなケチクサイことはいたしません」というポーズなのだろうか?
 にしては、他の部門は全て小学館から出た作品である。小学館以外のすぐれた作品が「ない」なんてことは全くない。
 審査にけちをつける気は全くないのだけれど、小学館作品だけを対象にしていたら、なにか都合が悪いことでもあるのか? いや、小学館の賞なんだから、なんら不都合はない、と僕はこのように思うのだけれど、いかがだろうか?


バトル・ロワイヤル  2001/03/14
 話題の、あの「バトル・ロワイヤル」を、買ってみた。
 色々な評がこの作品に下されたが・・・、この作品は、「命の大切さ」を訴えた作品であった。確かに、表現方法は極端だろう。だが、極端だからゆえにダイレクトに伝わるメッセージというものがある。残酷を売り物になどしていないし、殺戮を推奨もしていない。

 簡単にルールを説明しておこう。
 バトル・ロワイヤルは、中学校3年生の学級のひとつが突然、参加させられるゲームを舞台にストーリーが展開する。そのルールだ。
 選ばれた学級は、所定のエリアに連れていかれる。所定のエリアは、この物語の主人公の場合は、小島だった。無人島ではない。だが、住人は既にこの「クソゲーム」のために島を開け渡していた。
 ゲームの内容は同級生同士の殺し合いである。最後の一人になるまでゲームは続行される。
 クラスメイトのひとりひとりには、あらかじめ若干の食料と水と武器が支給される。また、各自の首には首輪がつけられている。この首輪によって生徒達の現在地と生存状況を当局は知ることが出来る。
 なお、この首輪には爆弾が内蔵されており、24時間に渡って誰も死ななければ、全員の首輪が爆発することになる。
 また、エリア(小島)はあらかじめブロックに区切られており、時間と共に立入禁止のブロックがどんどん増えていく。このブロックに所定の時間以降にいた場合、首輪が爆発する。
 従って、ゲームそのものに反旗を翻しクラスメイト全員が結託して誰も殺さないようにすれば、24時間後に全員が死亡する。また、自分だけが「殺さず・殺されず」を決め込んで逃げ回ろうとしても無駄である。なぜなら、エリアは次第に絞り込まれていくからだ。やがて誰かの標的にされる。

 こういった極限状況下で中学3年生のクラスメイト達は、追いこまれていく。
 気が触れて殺人鬼になるものもいれば、仲間を集めてなんとか助かる方法はないものかと考えるものもいる。「みんなで助かろう」と呼びかけて標的にされ死んでいくものもいる。裏切るもの、裏切られるもの、信じるもの、信じないもの・・・・
 死ぬか、殺すかの選択に迫られたとき、「死ぬ」を選択することは出来ない。なぜなら、「自分一人が犠牲になれば全員が助かる」というような甘い状況ではないからだ。理不尽な状況下でどうすれば生き延びることが出来るのか。そうこうするうちにもクラスメイトはどんどんその数を減らしてゆく。
 
  3月12日「長編小説」に新しいゲスブを設置しました。
次のページに進む


目次に戻る