「わお〜」な想い



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更新情報  2001/03/09
  3月9日「長編小説」に「風の予感 番外編 2」を掲載しました。
  3月5日「永井真理子の元気のとびら」をオープンしました。


絶望  2001/03/01
 ついに日本経済が破綻してしまった。覚悟したほうがいい。

 公定歩合が再度引き下げられ、景気は「ゆるやかな回復」をしているとうそぶいていた輩がとうとう「景気は悪くなっている」と本当のことを宣言した。
 追い討ちをかけるように経済の専門家が「景気のピークは実は去年の○月だった」などと述べ、もう何ヶ月も前から景気は悪化の一途を実は辿っていたのだと評論した。
 テレビも新聞もとにかく報道機関は景気が下向いていると連呼している。これにあおられるように庶民の気分は暗黒に叩きこまれた。

 おいおい、いったい誰が「景気はゆるやかに回復している」なんて感じていたんだい? バブル崩壊以降、景気は悪化の一途を辿っていると、普通の感覚の人なら感じていたはずだ。
 回復したのは「企業の業績」だけである。しかも、リストラによって、だ。つまり、賃金がカットされたり首が切られたりしたのだ。では、どうしてこのようなリストラが行われたか。景気が悪いからである。賃金がカットされたり、失業者が増えれば当然消費は減り、さらに景気は悪くなる。当り前だ。ではなぜ、景気の悪化が即リストラにつながったのか? 銀行がお金を貸してくれないからだ。なぜ銀行が金を貸さないか。自分達だけが生き残ろうとしたからだ。そして誰も金を借りなくなり、まず最初に破綻するのは銀行であることに気がつかないままに・・・。
 こんな状態を手をこまねいて見ていたばかりか「ゆるやかな回復」なんぞと寝ぼけたことを言い、ついに景気が底を打ってから「景気は悪くなっている」なんぞと追い討ちをかけるようなことを宣言して何になる? これから日本経済は、景気の底からさらに、底無し沼か蟻地獄に引きずり込まれるように落下していくだろう。

 覚悟をしておいた方がいい。年収は10%〜20%ダウンする。失業者は5%〜10%増える。3セク方式の会社は80%以上が倒産するか、または公的資金が導入されての一時凌ぎが余儀なくされる。本当に覚悟しておいたほうがいい。

 さて、それでは、どうしてこんな事態になったのだろうか。
 庶民が「安いことこそ正義だ」みたいに感じ、ディスカウントに群がったからである。
 「安いことは悪である」と、今こそ認識を改めるべきである。
 なぜ、安いことは悪なのか? 簡単なことである。
 正当な労働に対しては、正当に報酬が得られなくてはならないからである。誰だって働いた分だけはお金で評価されたいはずだ。ここまではわかっていただけるだろう。
 なのに一方で、どうして安さを求めるのだろう? 自分の収入は多くありたいと思う一方で、支払いはしたくないというのはエゴだ。商品やサービスなど、それらを得ようとするときは、それらに携わった人に敬意と感謝を込めて正当な報酬を支払うべきだったのだ。それをしなかったからこんなことになったのだ。正当な報酬を他人に支払わないということは、正当な報酬を得られないということである。簡単な理屈だ。
 マクドナルドさんには申し訳ないが、「安売り=悪」の図式の例をマクドナルドを例にとって説明しよう。
 マクドナルドは「平日半額」でなんとハンバーガーの売上個数を4.8倍にした。これは驚異的なことだ。そして、このことが日本経済の失速に大きく貢献している。
 外食産業における平均的な原価率は20%台である。マクドナルドなど大規模外食産業になれば、まとめ買いや中間の問屋などを介さない直接契約等で18%くらいに抑えているのではないかと思うけれど、計算をわかりやすくするために20%としよう。
 これも計算をわかりやすくするためだが、原価20%で売値100円のハンバーガーを半額の50円にしたら、売上個数が5倍になった、ということで計算をしてみる。
 これまでハンバーガーをひとつ売ると、売値と原価の差額は80円あった。ここから人件費や事務費、広告代、水道光熱費、家賃、借入金返済、税金その他の必要経費を支払い、残ったのが利益になるわけだ。ところが半額の50円で売ると差額は30円になる。
 一方、売上が5倍なので、これまで80円しか稼げなかった同じ単位時間内に150円を得たことになる。倍近く儲かったような気がするが、これはまやかし。5倍もの商品を売るためには、それまでの5倍働かなくてはならない。それはおそらく不可能であるから、新たに人を雇うことになる。かといって、5倍もの人を雇うわけには行くまい。
 仮に2倍の人を雇うとしよう。とすると、150円ではなく、80円の倍の160円稼がなくてはならないのではないか? もちろん商品が5倍はけたからといって、なにもかも経費が5倍かかるわけではない。家賃や広告代はそれまでと変わらないはずである。
 だとすれば、大雑把に言って、5倍の商品を2倍の人員で売って、ようやくトントンというところか。つまり、半額で売っても、これまで通りに売っても、儲けはちっとも変わらない、ということになる。

 ここで問題になるのは、この5倍(正しくは4.8倍)という数字である。
 これがもし、20%オフにしたら、売上が20%伸びた、というのならめでたい。これまで「ちょっとおなかが空いたけど我慢しよう」と消費を控えていた人が、「20%オフなら買って食おう」と、消費意欲を促進したことになる。ところが、5倍近くも売り上げているということは、あきらかに「他の店で食事をするのをやめて、マクドナルドにしよう」と行動したからに他ならない。
 人の雇用は2倍にしかなっていないのに、5倍も食事を売ったら、他の外食産業が打撃を受けるに決まっている。他の外食産業の売上が落ちればリストラが進んで雇用が減る。だが、マクドナルドはこれまでの倍しか人を雇っていなかったとすれば、失業者が増えたり、パートタイム労働者の労働時間が減ったりして、景気が失速するのだ。
 それに、これは個人的な見解だけれど、マクドナルドは人をこれまでの倍も雇ったとは思えない。だから、確かにマクドナルド内には儲けが蓄積されただろう。一人勝ちの状態だ。
 しかし、実際にそこで働く人は明らかに労働が多くなっているはずで、これを称して「貧乏暇なし」というのです。
 それにしても、どうして「ダンピングだ」と、モスバーガーやロッテリアは訴えないのだろう。訴えるべきである。

 誤解のないように申し上げるが、マクドナルドを批判しているのではない。わかりやすい例として取り上げただけで、これは全てのディスカウント行為について言える事である。

 こうして経済は失速し、デフレ状態に陥り、何もかも安くなっているのに、誰も購買意欲を持たなくなってしまった。不景気のどん底である。こんな状態で公定歩合を0.1%さげたってそれこそ焼け石に水である。
 以前、ここで公定歩合は上げるべきだと述べたが、今回撤回する。公定歩合を廃止すべきだ、と。

 壊滅してしまった日本経済を立て直すには、なまはんかなことではダメである。荒療治が必要だ。選択肢はそう多くない。かつてのような高度経済成長が見込めない現在、打つべき手はほとんどない。だが、全くないわけではない。それをこれから述べる。

 次に掲げる事項を、ただちに同時に実行すれば日本は立ち直る。

 (1)消費税の税率を100%にし、物価を2倍にする。
 (2)意味の無い公定歩合を廃止する。
 (3)公共工事を全て凍結し、来年度は一銭も使わない。
 (4)海外援助を中止する。(災害などに対する緊急かつ人道的なもののみ実施する)
 (5)日本人の海外旅行を禁止する。
 (6)内閣総辞職と衆議院の解散、および、日銀総裁の辞職。
 (7)国債の清算。
 (8)規制緩和をやめて、規制を強化する。
 (9)銀行への政治介入の強化。
 (10)その他(以前にここで述べた日銀の株の買占め、消費者金融の利息の上限を低くするなど)
 以上である。

 これには解説が必要であろう。
 消費税を100%にすれば物価が2倍(本当は110%にしないと物価は2倍にならないけど)になり、消費意欲は一気に減速してしまう。しかし、最低限の衣食住は支出せざるを得ない。それでいい。しかし、これでは社会的弱者が困窮するので、公的な補助を受けている人に対する補助金を一気に10倍にする。
 なお、消費税は一ヶ月ごとに10%下げていく。同時に、公的な補助も減らしていく。消費税が90%になれば、補助は現行の9倍に、消費税が40%になれば補助は4倍に、という風にするのだ。そして、最終的に消費税は0%にする。公的補助は現行水準に戻すだけであって、もちろん0にしてはならない。
 目的は一気にインフレ状態にして物価を上げること、それにより減退した購買意欲を10%ごとに緩和することで、庶民を「もう我慢できないし、消費税が少し下がったからものを買うぞ!」という気持ちに、10ヶ月連続でさせることである。そしてやがて消費税0%で一気に購買意欲を爆発させる。
 公定歩合に付いては、何の役にも立たない絵空事であることは既に証明されているから、廃止してしまう。これにより、今まで甘い汁をさんざんすってきた銀行に文字通り自由競争をさせる事が目的である。銀行が自分のところの儲けだけを考えるから、お金が流通せずにデフレになるのだ。
 公共工事の凍結や海外援助の中止は、消費税の大幅アップ分の税収とあわせて、国債を一気に償還するための財源である。もちろん国債を持っている個人・法人に対しては、約束通りの金額を支払う。5年後、10年後にならないと現金にならなかったお金を、一気に現金化してしまうことで、流通貨幣を大幅に増やそうというしているわけだ。しかも、消費税の大幅アップと便乗値上げでそれらは支出に回さざるを得なくなる。
 海外旅行の禁止は、もちろん「物価の安い海外へ脱出すること」を禁止し、国内で金を使わせることを目的としたものだ。法律でどうこうされたわけではないようだが、数年前韓国でこのような政策がとられた。海外旅行をする韓国人は韓国では極端に言えば「非国民」扱いされたと聞く。これは経済危機に陥ったためだが、これと同じ事を日本でしようと言うのである。もちろん、1年後には解除されていなくてはならない。ついでにいうと、公共投資の中止も海外援助の中止も1年だけのことである。
 内閣総辞職と衆議院の解散、および、日銀総裁の辞職は、今日の経済危機への責任をとってもらうためである。これにより、海外投資家によって円が高くなり、株が上がる。
 規制の強化は、今日の経済状態が規制緩和によって自由競争させようという目論見が失敗して景気が失速したわけで、失敗は正さなくてはならないからだ。もちろん何でもかんでも規制を強化せよ、といわけではない。主に不当なダンピングが行われないようにするための強化である。ダンピングをさせないためには、過当競争にならないように、規制を強化しなくてはならない。とくに調子の良い会社やチャレンジ精神が旺盛な会社が異業種に簡単に参入できないようにする必要がある。ただし、銀行業は別。まともな感性の人が新しく銀行を始めた方が良い。
 銀行に対しては「貸し渋り」などに対して罰金・営業停止・営業許可の取り消しなど厳しい措置をとる。政治的にきわめて強力に介入し、ありとあらゆることに対して「命令」を実施する。しかし一方で、さらなる自由競争をさせ、不必要な銀行は取り潰してしまう。貨幣の流通が正しく行われるようにするための措置である。
 そして、「その他」の項だが、先に「景気経済論2」で書いたようなことも実施していく。

 高度経済成長が望めない今、経済は若干のインフレ基調でなくてはならない。物価は少しずつ上昇し、それを追いかける形で収入が増えるようにするのが理想である。

 最後に、もう一度繰り返そう。なにかを買うときは、感謝の気持ちをこめて、正当な報酬を支払うようにしましょう。このままでは、収入の減少が先にあり、その後を追うようにして物価が後からほんの少しだけ下がる、という最悪の状態になります。人間は少しでも良い思いをしたいから働くのであって、働いても働いても報酬がえられない、それどころか、逆に報酬が減り、やがて首を切られたんでは、いずれ誰も働かなくなり、日本という国の中で経済が回らなくなり、全員が海外に脱出しなくてはならなくなる。こうして日本は滅びていき、海外に脱出するだけの余力の無い人は野垂れ死にをする。そう、野垂れ死。これが蟻地獄不景気の最後の行きつくところです。最初に、覚悟して下さい、と書いたのは、そういう意味です。


チクリメール  2001/02/28
 当方にもとうとうチクリメールが来ました。
 わたしのやっている「A」というサイトにある「α」というコンテンツが、誰がやってるかわからない「B」というサイトから、まるで「B」というサイトのコンテンツの一部のようにしてリンクされています。──というものでした。
 実は「A」も「B」もわたしのやっているサイトです。ついでに「C」というサイトもやっています。そして、各コンテンツはA・B・Cそれぞれのサイトからつながっていたり、つながっていなかったりするのです。全く異なるサイトがコンテンツを共有しているのです。だから、3サイトとも共有しているコンテンツなら、これを更新すると、3サイト全てに更新マークがつくわけなのです。
 このあたりの事情を説明するために、お返事メールを書こうとしたら、そのかたのメルアドが、「tokumei@kibou.com」でした。
 匿名@希望.com・・・・・・・
 親切心からの報告だったのでしょうけれど、僕の性格のせいかもしれないけれど、こういうのってイヤだな。
 本人はもしかしたら「通りすがりの親切な人」「礼など一切不要」みたいな気持ちだったのかもしれないけれど。

  「長編小説」に「少年 春合宿 2」を掲載しました。


トイレ&風呂な夢  2001/02/28
 大学の教室である。時間は12時。午後の最初の授業は体育実技であるから、僕は1回生なのだろう。今日の体育実技は何か特別なことをするらしく、厳密に出席をとり、かつ一切の遅刻を認めない、トレーニングウエアに着替えて時間厳守でグランドに集合と、事前に周知されていた。このため、教室内に緊張が走っていた。

 さて、食事である。大学なのになぜか給食だ。給食そのものはおそらく小学校のイメージであるが、当番が配るのではなく、バイキング形式。いつのまにか教室内にバイキングが儲けられ、セルフサービスで食事をとってゆく。が、ホテルのバイキングというか、屋台形式のように一部メニューのところにはスタッフがいて、取り分けてくれる。このスタッフが同級生だったりする。
 理由はわからないが、僕はこれに出遅れた。食べ物も少なくなっていて、残っているものも同級生のスタッフから「これは○○さんのだから」と、分けてもらえない。しかも、教室の机が移動している。さっきも述べたが、大学の講義室ではなく、小学校のイメージであり、ひとりひとつの独立した机がある。これをみんなが動かして仲良しグループで島を作って食事をしているのだが、僕の机だけ隅っこに放り出されているのである。いじめだ。

 結局、昼食を食べたか食べていないかわからないうちになんとなく食事時間が終わってしまっていた。これが夢のいい加減なところである。夢の中の食事はなかなか食べられないのだ。
 時間は12時30分。ともあれ1時の体育実技には余裕で間に合うが、うんこがしたくなった。大問題だ。この時点で僕はこれが夢であることを半分ほど自覚していて、何度も同じ夢を見るのだが、この校舎はトイレがとかく不備なのである。

 ここからは高校のイメージになる。僕の行っていた高校のトイレが決して不備だったというわけではない。ただ、丘陵地にあったために、A棟の3階がB棟の2階であり、かつC棟の3階であるというような複雑な構造だったために、記憶がややこしくなっていてトイレの位置も変なのだ。
 それと、根本的に僕の夢の中に出てくるトイレは、個室の両側に扉がついていたり、内部でふたつの個室がつながっていたり、オープンなスペースに洋式便器がならんでいたり、鍵がかからなかったり、鉄筋コンクリートの建物のトイレなのに中に入ると向こう側が木造でその壁が傾いて穴が開いていたり、とにかく誰かが覗ける状態になっていて、おちついて気張ることが出来ないのだ。
 もっとも、夢の中で小便や大便をすればすなわちお漏らしであり、普通は夢で排便できないともきく。

 しかしとりあえず1時までに大便をしなくてはならない。だが前例に漏れず、建物もトイレもおかしい。
 どうやら僕は3階か4階にいるらしいのだがここにはトイレが無い。なので下のフロアに行こうとするのだが、今度は階段が変だ。階段は半分降りると踊り場になっており、本来ならそこで屈曲してさらに下の階へ行くのだが、屈曲せずに再び上に上がろうとしている。
 同じフロアに別の階段があるかもしれないので、探す。するといつのまにか学校の外に出ていた。こんなに便利な学校があれば幸せである。鉄道の駅と直結しているのである。駅員にトイレの位置を尋ね、指差された方を見ると、なんと鉄格子の中。腰ぐらいまでの高さの扉で「スタッフオンリー」を示すことはあるが、これはまるで刑務所である。
 駅のトイレでは排便する気にはなれず、また探す。

 そして、ついに発見した。絨毯とも毛布とも判然としないものが敷き詰められた6帖ほどの大きさの部屋で、その片隅にある洋式便器もなにやら布に覆われている。排泄物を落とすべき穴は極端に小さい。
 扉は引き戸で、例によって完璧に閉まらないから、当然のことながら鍵もかからない。
 とにかく用を足す。小さな穴にきちんと落ちるように、慎重に。クラスメイトがいつのまにかやってきていて見物しているが、夢の中の排便で覗かれるのはいつものこと、気にしていたらきりがない。
 排便に失敗してものが跳ね、足首から下がドロドロになった。

 教室に戻ると1時が近い。今から着替えて授業に間に合わせるのは絶望的だ。それより、風呂に入りたい。
 僕が教室に戻るのと入れ違いに走って出て行ったクラスメイト数人は、「間に合わなかった」とつぶやきながら戻ってきた。
 そもそも僕はどうして教室にいるのだ? 僕はとっくに大学は辞めており、既にきちんと就職して給料をもらっているではないか。
 そうだ、風呂に入ろう。

 事務所内の警報機が鳴った。いつのまにか僕はどこだかわからない職場の事務室にいる。警報ランプは風呂の異常を訴えている。点検に行くと風呂の湯が溢れ出しており、廊下まで水浸しだ。非常口の扉を開けるとそこから水は排水されたが、地下にあるはずの風呂の湯が1Fにあふれるとはどういうことだろう?
 しかもその原因が、2F廊下の床に穴が開いていたからとは。
 わけがわかりません。

 ちなみに、夢の中で大便をしましたが、ちびってはいませんでした。


景気経済論 2  2001/02/22
 諸外国では日本の物価が下がっていることに危機感を抱いているという。日本はデフレ状態だと言う説もある。農作物を例に取れば、豊作なら値段が下がり、不作なら値段が上がる。これと同じように通貨にも需要と供給の関係があり、お金が不足している状態が「デフレ」である。受け渡しをするべきもの(お金)が不足しているのだから、それが少なくてすむような状態になること、すなわち物価が下がるのがデフレである。そして、これを解消せよと日銀にプレッシャーがかかる。例えば、ゼロ金利政策を復活させて通貨をもっと流通させよ、という意見だ。

 果たして、この見方は正しいのだろうか? 完全に間違っていると僕は思っている。ゼロ金利にはならなかったが公定歩合が下げられた。これは失策である。下げるべきものは他にあるが、これは後で述べる。

 さて。それがなぜ失策なのかを説明しよう。
 あなたの手元に仕入れのための資金が500万円あるとしよう。これを素直に使ったのでは500万円分しか仕入れることが出来ない。しかし、これでは現実問題として、あなたのお店では品切れが続発し、せっかくお客が来ても売るべきものが無い。せっかくの商機を逃してしまうことになる。ここであなたは一計を案じる。
 「ツケにしてくれないか? たくさん仕入れれば、たくさん売れる。あんたも儲かるぜ」と、卸主にもちかけるのだ。
 しかし、卸主も、一銭もお金が入らないままに品物をおろせば、資金繰りが出来なくなってしまう。
 「話はわかった。だが、全てツケというわけにはいかない。4分の一は現金で払ってくれ」
 こんな話がまとまったとしよう。すると、あなたは500万円で2000万円分の品物を手にすることが出来る。つまり、キャッシュの実物は500万円しかないけれど、実際は2000万円が動いたのと同じである。流通貨幣の4倍ものお金が存在するのと同じなのである。つまり、市場には十分なお金が出回っていることになり、デフレにはならない。

 ところで、いわゆるディスカウントショップが品物を安く仕入れるひとつの手法として、こういうのがある。
 「現金で今、全額払うから、安くしてくれ」
 価格破壊で名をはぜたディスカウントショップの社長がいつも大量の現金を持ち歩いて仕入れをしている映像がテレビで流れたのはそれほど昔ではない。(今は安売りのからくりはもっと色々あるけれどね)
 ツケで買われたら現金が入るのは来月である。それが即金で手に入るのだから、「よっしゃ、わかった。あんたのところには7掛けで卸してやろう」ってなことになる。
 すると、ここでは500万円の資金は、350万円にしかならない。もちろん残りの150万円でさらに仕入れるわけだから500万円動くことは間違い無かろうが、この瞬間で見れば500万円ありながらお金は350万円しか動いていない。つまり、流通貨幣が減っていることになる。これがデフレなのである。

 こんな現金買いは、卸し主にとっても決して良い話ばかりではない。なぜなら、今月に限って言えば、「先月のツケ」と「今月の現金」の2ヶ月分の現金が手に入ることになるのだが、それは「今月」だけの話であって、来月になれば来月の現金しか入ってこない。すなわち、カケ売りで毎月一ヶ月遅れて入金があったときと、なんら事情はかわらないのである。しかも、「ちょっと資金繰りが苦しくてツケにしてくれない?」なんて言われたら、現金の入金が途絶えてしまう。
 しかもツケなら、所持金以上の仕入れをしてもらえるが、現金なら手持ちの分しか買ってもらえない。すなわち、売上が落ちる。しかも、現金だからと値引きをさせられている。つまり、儲けが減るのである。

 これが特定のディスカウントショップだけならともかく、我も我もと値引き交渉をされるからたまらない。だが、前例を作ってしまった以上、ある程度応じないわけには行かない。その中には有力なお得意様もあるだろうし、そこが潰れれば商売が成り立たなくなる恐れもある。だから、応じる。しかも、取引条件は相変わらず掛売りだったりする。
 こうしてどんどん儲けがへってゆく。商売とは適切な儲けがあってこそ商売なのであって、儲けが無くなれば潰れてしまう。100で仕入れたものを150で売れば人件費を払えるけれど、110で売れば家賃すら払えなくなる。そこで人件費が削られ、経費節減の名の元に家賃の値引き交渉が始まったりする。

 人件費が削られれば給料が減る。儲けが薄くなれば会社の体力がなくなる。やがて会社が潰れる。失業者が出る。給料が減ればお金が流通しない。失業すれば再就職までは倹約に倹約を重ねねばならない。ますますお金が出まわらなくなる。消費意欲はどんどん低下し、意欲だけではなく現実問題としてお金がないのだから、いくら安くしてもものが売れなくなる。
 100円ショップやディスカウントショップでは「本来無くてもいいけれど、あると便利だし、安いから買おう」なんて客はいなくなり、「そこでしか買えない」からという客ばかりになる。
 こうしてお金が流通しなくなり、デフレ状態になって物価が下がる。物価が下がるのはいいがそれ以上に手持ち資金がなくなる。薄利多売で忙しいのならいいが、購買意欲も手持ち資金も無いから、お店は薄利少売状態になってしまう。

 こんな状態で、日銀が介入したからって、景気が良くなると思うのは、大きな間違いである。公定歩合をいじったところで何の役にも立たない。返すお金の目途が立たなければどんなに利息が安くなっても誰もお金は借りない。こげつきが怖いから銀行は貸さない。つまり、現金が出まわらない。それならいっそ公定歩合を上げて利息をたっぷりつけ、その利息で物を買わせるようにした方がいいに決まっている。だから、公定歩合は上げないといけないのだ。

 下げるべきは、消費者金融の利息である。クレジットカードのキャッシングの利息である。また銀行においても定期預金を担保に「通帳にマイナスをつけて引き出せるお金」の利息である。ちょっと今、手持ちの資金が無いけど、誘われてて呑みに行きたいし、というときに積極的に庶民がお金を使える(借りられる)状態にすることである。だから、規制を緩和するのではなく、貸付利息の上限を法律でもっと低く抑えるようにしなくてはならない。

 では、政府はなにをすべきか。公共投資を極力控えて税金を安くし、庶民が自由に使えるお金を増やすと共に、妙な公的商品券を配るのではなく、現金を配ることである。対象を特定せずに、全国民に広くお金をばら撒くことである。
 では、日銀はなにをすべきか。株を買い占めればいい。もちろん現金で買うのだ。これで現金は出まわるし、株価は上がる。株価が上がったところで、抽選か何かの手法を用いて実勢価格を無視し、その株を入手したときの値段で売る。株が下がらないようにすこしづつ、だ。こうして、ばら撒いた現金を回収する。
 公定歩合はいじってもどうにもならない。


プライド  2001/02/19
 プライドと身分のどちらが大切ですか?
 森首相退陣説が流れて、株価が上がった、とのこと。
 こうまで世間に馬鹿にされて、それでも首相の座にしがみついているその気持ちが僕には理解できない。僕がその立場なら、取り巻き連中がなんと言おうと、さっさとやめている。この期に及んでプライドを守る唯一の方法がそれであろうと僕なら思う。
 首相職がなくなったって国会議員を辞職させられるわけでなし、石川県金沢市というあの強固な地盤があれば、選挙だって負けはしないだろう。食うには困らない。
 それとも、そんなに総理大臣の椅子は座り心地がいいのだろうか? 田中角栄さんにとっては確かにそうだったろうと思うけれど、森さんにとってはずっと針の筵のような気がするんだけど。
 いや、単に恥知らずなだけなのか?

  「長編小説」に「アスワンの王子 王宮の1 荒廃」を掲載しました。


偶然  2001/02/18
 飛行機のニアミスは最終的には片方のパイロットの目視による回避行動で衝突を避けることが出来たが、潜水艦と実習船はぶつかってしまった。

 なんで? と思う。
 この「なんで」は、どうして未然に事故を防げなかったのか、という意味ではない。広い大海原でどうしてあんな小さなものどうしが衝突してしまうのか、その偶然に「なんで?」と思うのだ。
 電車なら線路という限られた上を走っている。ほんの些細なことでぶつかってしまうだろう。なにしろ、右にも左にも上にも下にも逃れられない、1次元の世界なのだ。
 地表、海上なら2次元。航空機の場合はこれに高さが加わるから3次元。潜水艦と実習船の事故は海上だが、潜水艦は上下動ができるのでやはり3次元の偶然である。しかも、同じ時間に1点に同時存在するわけだから、タテ・横・高さの3次元に時間軸が加わった4次元の世界なのである。
 1メートルごとき離れた位置に潜水艦が浮上したところで、実習船はその影響を避けられなかっただろうけれど、少なくとも1メートル離れていれば衝突はしなかった。なんらかの影響を受けたとしても、これほどの悲劇にはならなかったろう。
 ぶつかってしまう確率など天文学的に低いに違いない。
 捜索はまだ続いている。少しでも良い結果がでれば良いのだが。


就職氷河期  2001/02/15
 大阪で企業説明会が行われた、と毎日新聞の14日付夕刊に掲載されていた。
 就職するのは来年の4月であるから、これに参加するのは現在の大学3年生の面々である。「就職協定」などという単語ももはや死後、のんびりしていられない。そして、4月中旬ごろには内定のピークを迎えるのだそうだ。
 まあ、早かろうと遅かろうとどっちでも結果的には同じなんだろうけれどね。

 その就職説明会の様子の写真が掲載されていた。新聞のモノクロ写真、しかも斜めからの俯瞰なので、それぞれの表情が読み取れるほどではないが、まあはんで押したようにスーツにネクタイである。この前まで、好き勝手な格好をし、格好だけならともかく言動まで適当であった連中が、さあ、いざ外見だけ繕って、それでうまく採用担当者の目を誤魔化せたりするわけがないのだが・・・
 そういえば、「いちご白書をもう一度」という古いフォークソングにも、就職が決まって髪を切って、というくだりがあるから、今も昔も変わらないのかもしれない。だが、就職が決まってから髪を切っているところが潔いじゃないか。つまり採用試験は、ロンゲで受けた、ということだね。それでいいんじゃないの? どうせ見破られるんだから。

  「沢田聖子のそよ風の街角」に「2月12日ライブレポート」を掲載しました。(昨日付け)


景気経済論 1  2001/02/08
 安いことは、いいことなのだろうか? いわゆるディスカウントが現在の不景気を招いているような気がする。というようなことを思いつきのままにシリーズで書こうと思う。

 まず、1回目は「値下げ罪悪論」である。
 というか、終始そういう話になるんですけどね。
 さて。関西国際空港内にあるホテルに泊まろうと思ったら、どれくらいの金額が必要だろうか。実は、ノーマルなシングルでも2万円を下らない。だから、2人、3人といったグループになると、タクシーを使い大阪市内のホテルに泊まった方が安くつくのである。
 では、このホテルが1人1泊10000円(半額以下だけれど、一応半額と思ってください)にしたらどうなるか、というお話である。
 客が倍も来るだろうか?
 仮に客が倍くれば、仕事量も倍になる。スタッフを補充しないという前提にすると、現有スタッフは倍も忙しい思いをしなくてはならない。そして、ホテルの利益は確実に減る。
 乱暴な計算だけれど、1人の宿泊者が消費する水道光熱費やアメニティーグッズやリネンの類と言ったら、おそらく多く見積もっても2000円から3000円だろう。ホテルのアメニティーグッズの類はピンキリなので明らかなことは言えないけれど、一般的な民宿やペンションの場合はおおむね500円から1000円に抑えられているはずだ。
 仮に3000円として、2万円の宿泊費をとれば残り17000円である。一方、宿泊費が10000円だったらわずか7000円である。宿泊費は半額でも残るお金は半額以下である。しかも、ここから、人件費、事務費、原価償却、広報宣伝費、借入金返済、税金などなどがどんどんひかれていく。
 しかも仕事量が倍になればスタッフを補充しないわけにはいかないので、実入りが少ないのに支出が多くなることになる。
 従って、不用意に値下げをするくらいなら、少ない客を相手に高い宿泊料で高飛車な営業をしている方がいい、ということである。
 だって、楽して儲かる方がいいに決まってるじゃないの。

  「綾綴人形」に「語り部は由美」の新作、「高校1年生 火遊び(1)」を掲載しました。


エコノミークラスシンドローム  2001/02/07
 飛行機から降りると、その途端に、死んでしまう。こういう症例がいくつも報告されているそうだ。名付けて「エコノミークラスシンドローム」なのだそうだ。その窮屈な座席にじっと座っていることが原因であるらしい。しかも、俗に「エコノミークラスシンドローム」と言われてはいるものの、ファーストクラスでも起こるらしい。
 医学的、科学的には、どうこう・・・・、というのがあるらしく、元看護婦の母はテレビのニュースをきちんと理解して、血液循環がどうこうで血栓ができてなんたらかんたらだから、通路を歩くようにしてああだこうだと説明してくれるが、僕にとってはそんなことはどうでもいい。
 あの狭い座席に拘禁されるということそのものが苦しく、まさしく死にそうな気分にさせられる。もう2年ほども前になるけれど、フランクフルト→成田直行便で、気分が悪くなり冷や汗が出て息が苦しくなり頭痛に見舞われ、しかも自分が自分でないような、ナンというのだろうか、自分が現在おかれている状況やまわりに見えるものが幻覚のような感じさえして、このまま死んでしまうんじゃないか、と思った。
 今、思い出しても、「2度と国際線になんか乗りたくない」と思う。(国内線は、可能な限りスーパーシートを使っているが、エコノミークラスシンドロームがどうこう言われる前からそうしているのであって、これもあの死ぬ思いをしたことが、自分にそう言う選択をさせているのだろう)

 今の国際線料金なら、倍の値段を払ってもいいから、一人当たりの居住面積を倍にしてほしいね。


更新  2001/02/07
 少しずつ形が変わってきました。
 昨日付けで、「あなたはだあれ」の規約改正を行いました。それから、風の予感の第4話が完結。(やっと・・・)

 ところで、長編小説サイト「綾綴人形」を随分イメージチェンジさせましたが、いかがでしょう。サイト構成変更の都合で「とらおランド」からのリンクを切る、と以前宣言していたんですが、しばらくはそのままで行けそうです。どこかに支障が出れば切りますけどね。
 色々な方からのメールでも同じように悩みを告白されるのですが、「職場関係の人とかが自分のHPを知っているので、思い通りの活動が出来ない」のだそうです。僕もまたしかり。


ニアミス  2001/02/04
 思ったとおり、管制ミスでしたね。
 だいたいパイロットがそんないいかげんなことするわけないじゃん。自分が死んじゃうもの。
 飛行機が空中で衝突しても、管制官は死なないしね。


渡る世間はバカばかり  2001/02/04
 お袋が「渡る世間は鬼ばかり」が好きなので、テレビで流れていたりするから、どうしても見てしまう。
 エンタテイメント作品としては最低レベルの作品で、観ていると気分がめいるばかりで、浮世を忘れてフィクションに心を遊ばせようとテレビを観るには全く不向きなのだが、いったん目が行くと「続きが気になって仕方ない」というわけで、やはり上手な作り方をしているのだろう。

 それはともかく、今週の「渡る世間」はあまりにも馬鹿馬鹿しくて大笑いしてしまった。
 「子供の開設したホームページを親が勝手に見た」と言って、子供が親に怒鳴りつけているのである。
 いくらなんでも、このような間違った認識をテレビで放映してはいけない。
 ホームページとは全世界に向けて不特定多数に公開すべく開設するものであり、子供の日記を親が盗み見るのとは全然わけが違うのである。
 「IT」をお題目のようにとなえる森総理もさぞや嘆いておられることだろう。

 ドラマは最後には親子が和解し、「お母さん、これからも僕のホームページを見てね」ってな具合になるのだが、どうしてHPでないとダメなんだ?
 「日記」を親が盗み読みし、ケンカになり、やがて和解し、親子で「交換日記」をする、なんてシナリオでいいんじゃないの?
 どうしてもインターネットを使いたければ、バスワード制限をしたページに親がハッキングした、なんて設定でも良い。ハッキングというと大袈裟だが、例えば、子供の恋人の名前を試しに入れてみたら、パスワードが通った、なんてほほえましくて良いじゃないの。

 いくら大物シナリオライターでも、間違いはまわりが正してやらないとダメだ。それが公共メディアというものだ。HPの個人ページとは違うんだぜ。


国内航空運賃  2001/02/02
 一言。「割引なんかしなくて良いから、値下げをしてくれ」

 いったい、なんなんでしょうね。特割だか超割だかしらないけど、そんなものに「話題作り以外」のどんなものがあるというのでしょう。
 基本的な運賃を値上げしておいて、「特割」もくそもあるかい!!
 割引なんてのは、「往復」「年少者」「高齢者」「身障者」「回数」などだけでよろしい。それより、誰もが使いやすい値段にしなさい。特殊な割引をしなくても利用者が納得するような料金にしなさい。わかりましたか?


名物  2001/01/27
 中国自動車道の西宮名塩サービスエリアで休憩していたときのこと。
「名物、神戸ラーメンだって。どこがどう名物なんだよ」と、嘲笑まじりの会話が聞こえて来た。
 見まわすと確かに「神戸ラーメン」と書いてある。
 神戸ラーメンなんて、そう言えば聞いたことないなあ。そもそも「札幌ラーメン」とか「喜多方ラーメン」とかあげくに「和歌山ラーメン」なんてのまであって、他にも色々もちろんあるんだけれども、どこがどう違うんだ?
 ラーメンなんて日本中どこに行ってもあるし、地名を冠しないといけないような特徴のあるラーメンなどお目にかかったことがない。
 「店名」を冠したり、あるいは「固有名詞」として威張っていいようなラーメンは確かにある。だが、地名は違うだろう。まして、神戸ラーメンって・・・・?
 会話は続いている。
「三田牛の牛丼だって。三田(さんだ)ってナンだ?」
 お、おいおい。それは違うぞ。三田牛っていのは、日本でも最高の品質を誇る牛肉のうちのひとつなのだ。「三田屋」というステーキハウスがチェーン展開するほど有名なんだぞ。(でもまあ、「三田屋」は屋号だけどね) それはともかく、「美味しんぼ」に最高級として登場するくらいの牛肉なのだ。
 知識がないって言うのは恐ろしいなあ・・・・、と思いつつ、もしかしておいらは「ラーメンに関する知識」が欠落しているのか? だから、地名ラーメンに疑問を感じるのか?
 神戸には中華街があるし、なにか独特のノウハウがあるのかもしれないなあ・・・・
 と、思いつつも、札幌でであったラーメン屋「彩華」のことを思いだし、やっぱり地名ラーメンはおかしいぞ、とか思うのだ。
 「彩華」はもともと「天理ラーメン」とか「スタメン(スタミナラーメンのこと)」と呼ばれていて、タップリの豚と白菜と唐辛子が載ったラーメンだけで勝負していた。テーブルにはニンニクと唐辛子(トウバンジャンだろうな)が山盛りになっていて自由に追加できる。それがあっちこっちに店開きをするに従って、「天理」の文字を捨てた。というか、もともと店としては「天理ラーメン」などと名乗っていなかったような気もする。僕たちが勝手に「天理ラーメン」と呼んでいただけなのかもしれない。屋号は確かにずっと「彩華」だった。
 地元の人なら安くて美味しいラーメン屋を知っているだろうが、おそらく旅行者が札幌で食べることの出来る一番安くて特徴的なラーメンが「彩華」なのである。500円である。(だって、海産物を載せるだけのラーメンなら素人がインスタントラーメンを使ったってできるもん)
 それに、「天下一品」なんてラーメン屋も、かなり特徴的なスープを使っているけれど、地名など全くつけていない。地名を冠することはことラーメンに冠する限り「ダメダメ〜」で、虎の威を借る狐のようなものかもしれない。
 ただ、やはり地名付が全てダメなのというとそうではないからむつかしい。「利尻昆布」といえば間違いなく最高級昆布である。だが、地名付ダメダメはラーメンに限らず、例えば「丹波の黒豆」というのはそのものが品種名であり、別にどこで取れても「丹波の黒豆」であるから大抵の人は誤った解釈をしているという。(これについては確信はなく、人の話をそのまま書いているのだけれど) とはいえ、丹波の黒豆はおいしい。知り合いの農家から分けてもらったりしてるから丹波産の「丹波の黒豆」なのだが、他所産の「丹波の黒豆」だって美味しいはずだと思う。
 つまり、食べ物に関しては、自分で「おいしいかどうか」「好みかどうか」を確かめようってことですね。何物かわからない神戸ラーメンだっておいしければそれでいいんだもの。

  「綾綴人形」に「アスワンの王子」の新作、「凶都の10 別れの朝」を掲載しました。


書籍掲載  2001/01/23
 「僕たち初心者ホームページ作成講座」が、『勢津子おばあさんのパソコン入門知恵袋』(株式会社SCC発行)に掲載されました。
 まだ実物を拝見していないのですが、編集プロダクションの方からご挨拶状が届き、掲載誌を進呈するということですので、書店に探しに行くのはやめました。
 (けちけちせずに、せっかく載せて頂いたのだから、買えば良いのに、と思うものの・・・・)
 BBSには既に、この本を購入された方からカキコしていただけるし、本当に光栄なことです。
 最近とみに「○○に掲載されました」という記述のあるHPを見かけますし、羨ましいなと思ったりしていたのですが、WEB紹介雑誌ではなくて一般書籍に掲載されたと言うのは、感慨深いものがあります。
 それにしても、1日50アクセスの前後をウロウロしているこんなHPを、いったいどこでどうやって見つけてくださったのでしょう。
 ここ1年くらい、積極的に相互リンクのお願いなど全くしていませんし、アクセス数を伸ばそうとも全くしていなかったんですけどね。
 ともあれ、高齢の方にも親しみやすく役に立つサイトを紹介されているということですから、他にどんなHPが紹介されているのか、気になるところです。

  「沢田聖子のそよ風の街角」に「ライブレポート」と「読者のお便り」を掲載しました。


KSD  2001/01/23
 贈収賄、ということで、なんだかんだと言われておるわけですが。
 ま、金で権力のある人を買収して便宜を計ってもらう(計らせる)ということで、これは悪事なのでしょうし、事実犯罪として扱われているのですが、これを単純な言葉で言いかえると、次のように言えるのではないでしょうか。
 「金のあるものが金にものを言わせ、権力のあるものが権力にものを言わせた」
 これって、政治家や官僚に対して行われたから犯罪なのでしょうけれど、本当にそれでいいのだろうか。
 金にものを言わせるやつ、権力にものを言わせるやつ、って、世の中にゴマンといまっせ。


センター試験  2001/01/21
 センター試験ですね。
 国立大学のためだけの「共通一次」ならともかく、ここまでくると異常だよね。何もかも画一化していってどうするんでしょ。
 子供たちは「自ら考える力が欠落してきている」といわれるけれど、大学ですら試験問題を考える力が欠落しているんだから、当然でしょうね。

 ともあれ、受験シーズンはスタートしています。
 「たった1枚の紙切れで人が選別されてしまうなんて」と、僕たちが子供の頃はよく言っていたし、言われていましたけれど、社会に出てそれは間違いであることに気がつきました。
 「選別する手段としてたった1枚の紙切れが採用された」が正しいんですよ。

 ああ、むなしい。
 けど、このむなしさは、何も受験生だけじゃない。人生に「たった1枚の紙切れ」はついて廻ります。社会に出ても試験はいっぱいあるし、婚姻届も住民票も辞令も紙切れだし、死亡証明書だって、そう。そして、最後は、遺族が葬儀屋と交わす契約書によって終わるって?

 だからね、僕が受験生の人たちに言いたいのは、「1枚の紙切れに嘆いていてもしょうがない、それが社会のシステムなんだから諦めなさい」ってことと、本当の「心の豊かさ」ってのは、全然別のところに存在するものなんだよ、ということ。
 ま、がんばって。


おわび  2001/01/19
 インスピレーションクイズの締め切りがとっくに過ぎているのに、まだ結果発表が出来ていません。
 申し訳ありません。
 近いうちに必ずやりますので、ご容赦下さいませ。

 しかし、現在いただいている回答の採点と発表はもちろん行うのが前提なのですが、いや、どうもそれらに取り組む気力が沸きません。
 こういうのは読者にビビットに伝わるのでしょう。回答者も回答数もどんどん減ってきています。
 自分的には、もう終わった企画なのかも、とすら思ったりします。

 採点して編集して掲載するだけなのですから、新作小説を書くよりもずっと手間はかからないのですが、にも関わらず、「よし、やるぞ」ってな気分にならんのです。
 数が少なかろうと、楽しみにして投稿して下さる方がおられるのに、こんなことでは申し訳ないのですが、そろそろ潮時と言えましょう。
 独自ドメイン取得の手続きをしつつ、「とらおランド」の再構築についても考えています。
 ほとんどのコーナーは残るし、引っ越したとしてもリンクはしますから、読者サン的には問題は少ないのですが、ここに残るのは「沢田聖子コンテンツ」と「HP作成講座」くらいかなと思ったりします。
 「わおー」については引っ越します。僕のやっているほかのサイトからも見ていただけるような構成にしますので。

 というわけで、「なんだよ、それ」と思われた方、ごめんなさいです。
 


頭に来る話  2001/01/19
 ネットをやっていて、頭に来る話をいくつか。いや、頭に来るといっても、激怒しておさまらないというのではなく、「おいおいそれはないだろう?」と思うことについてである。

 その1。僕はウェブリングを作っているんだけど、登録だけしてほったらかしたり、間違って登録して来る人。
 小説サイトのほうの名前が「綾綴人形」というので早合点したんだろうけれど、「手作り人形ギャラリー」の方が登録されました。そこで、申し訳ないなと思い、「綾(人と人とのつながり)」「綴(文章で綴る)」「人形(思いを形にする)」みたいな意味説明までして、丁寧に登録お断りせねばならない旨のメールを出したのに、返事ひとつよこさない。それは礼儀がなってないと思うな。いくらかわいらしい日本人形を作っていてもさ。

 その2。DM。いや、DMそのものは悪くないと思う。紙媒体に比べて資源が節約できるし。
 だけど、「今回限りですので」という注釈を裏切って毎日のように届いたりする。「いらないから送らないで欲しい」旨の返信をすると、宛所なしで戻って来る。どういう設定をしたらそうなるのかわからないけれど、卑劣なやり方だ。
 だから、ホームページの記載があるDMについては、そのページに繋いで、掲載されているメルアドあてクレームを送る。
 「御社が発送代行を依頼している業者から毎日のように何度も何度も同じメールが来て迷惑しています。おそらく1通送っていくらの契約をされているものと思いますが、同じメルアドに何通も送って合計いくら発送しましたなどと報告しているような誠意のない業者はただちに切った方が御社のためであると思います」などと書いてあげる。
 これが事実なら業者は痛手だろうし、業者委託せずに自分のところでやっているのなら、担当者が叱責されるであろう。
 僕は黙っていないからね。こう言うことに関しては。


合併  2001/01/19
 近ツリと日本旅行が合併だって?
 あー、びっくりした。本当にそんな事がありえるんですね。それぞれの社員さんは、どんな気持ちで入るのか、想像もつきません。どちらに所属しているにしても、現在の自分の立場のなかでみなさんせいいっぱい仕事をされているのだと思いますが、ふたつの社が合併してひとつになるということは、内部的には何もかもがいったん分解されて再構築されることでしょうから、リストラの不安もあるでしょうし、てんで違うことを扱う部署に回されるかもしれませんし、心中穏やかでないでしょう。

 いずれにしても、悪い方向へは行って欲しくないと思います。
 うちの近所に太陽神戸銀行があったんですが、太陽神戸三井(さくら)銀行になってしばらくすると人事異動が進み、また銀行の体質も徐々にかわって、不親切になりました。
 母は、合併して「太陽神戸」になる以前は、さらにもっと親切だったと言います。
 そして、今度は住友とさくらが合併します。うちの市には駅前に両方の銀行がちょうど向かい合って立っているのですが、どちらもATMも窓口も待たされ、駐車場は不充分で出入り口が狭い(どちらかというと住友のほうがマシ)のですが、合併してどちらかの店舗が廃止されると、こりゃあどうしようもないです。
 複合的に立て替えてくれれば、両方の土地を有効に使えて、かなり便利になるはずですが、さてどうなることでしょうか。
 でも、それではリストラ効果が薄いしなあ。


恋愛 crown  2001/01/16
 タイトルは、高河ゆんさんのマンガであるが、この3巻が出ていたので、買って読んだ。
 感動!
 高河さんのマンガにはよく、「他には何も要らない。あなたより大切なものはなにもない」という表現が出てきて、僕がこうして文章にすると陳腐なのだけれど、その痛いほどの思いにいつも胸を打たれる。
 が、「恋愛crown」3巻はそれだけではない。
 家を出た少年が父親と和解するシーン。これが圧巻だ。
 「親というのは子供の一番の味方なんだろう? その味方を説得できなくて、僕にいったい何が出来るというのだろう」と、少年はその想いを父親に告げる。逃げずに、真正面から。
 これこれ! これなのよ!


凍結  2001/01/16
 凍結した道路を初めて車で走った。
 道路が何となく白いのだが、別にどうということはない。走っていて何か異変を感じたりはしない。しかし、道そのものが凍り付いて白いのだ。
 僕は急に不安になって、妻に電話をかけた。
 というのは、タイヤをスタッドレスに変えたと聞いていたのに、あのスタッドレスタイヤ独特の走行音がしなかったからである。妻は「かえてあるよ」と、あっさり返事した。
 そこで、ハタと思いついた。そうか、スタッドレスタイヤは凍結した路面の方が、快適に走れるのだ、ど。
 実はそこでようやく気が付いたのだ。僕は凍結した道路を今まで走ったことがない。
 これまで僕が走ったのは、「雪が積もっている道」ばかりだったのである。

  「綾綴人形」に「少年『第2章 春合宿(1)』」を掲載しました。


凍結  2001/01/16
 沢田聖子さんとルクプルのジョイントライブに、三重県の山深い町へ出かけた。
 おりしも寒波が押し寄せており、終演後のアナウンスに「道路が凍結しています。注意してお帰りください」などと流れるほどだ。
 僕はSさんの家に泊めてもらうことになっており、Sさんの家からSさんの車で会場まできたわけだが・・・・
 「どうしよう、エンジンがかからない。不凍液なんて入れていない。だいたい普通はこんなに寒くならない」と、Sさんはボンネットを開けて点検をする。
 その後、ギアが「ドライブレンジ」に入っていることが判明した。これを「パーキングレンジ」に移動させて見事エンジン始動!
 いやあ、オートマ車はやっかいだ。
 僕が運転初心者だった頃、オートマのレンタカーを借りて、なぜか交差点の真中でエンストしたことがある。ミッション車は結構乗っていたが、オートマ車は教習所以来である。
 どうしてもエンジンがかからず、車を押して脇に寄せ、「うーん」としばらく考え込んだ。
 「パーキングレンジ」に入れて「ブレーキペダル」を踏みながらキーを回さないとエンジンがかからないことを思い出すのにしばらくかかったことがある。
 まあ、そういうわけで(というわけでもないあ)マニュアル車が好きである。
 オートマの一番嫌なのは、アクセルを踏み込んだときに自動的にギアが変わって「ううーん」とエンジンが唸る事である。あれはびっくりする。


成人式  2001/01/11
 僕は成人式に出ていない。
 その日はある事情でバイト先がめちゃくちゃに忙しく、とても「成人式」なんて個人的な用事で休ませて欲しいなどと言える状態ではなかったのであり、つまり「成人式」なんぞに出なくても僕はきちんと社会人としての自覚を既に持っていたわけだから、いまさら「成人式」なんぞ出る必要は無いと思っていた。
 などと言うとちょっとカッコイイかなと思うけれど、実情はお金の方が大切だったのである。もちろん、常軌を逸して忙しいときであったのはそのとおりなのだが。
 さらに本音を言うと、「成人式」なんつーものに、いったい何の意味があるんだろうと疑問を抱いていたのである。
 と言うとちょっと考えてるようだけれど、実はそうではなくて、そういう「上からのお仕着せ」が嫌だったのだ。

 さて、2001年一月8日。成人式の惨憺たる様子が報道された。

 ここでひとつ言っておかなくてはいけない。
 私語が収まらず終始会場は喧騒に包まれていただの、祝辞を述べている人がとうとうたまりかねて「出ていけ!」と言えば「おまえこそ出ていけ」と野次が飛んだだの、携帯電話の呼び出し音がひけも切らないだの、メールのみならず会場内で大声でしゃべるだの、ケンカをはじめるやつがいるだの、最前列に座って一升瓶をかっくらっているやつがいるだの、そういうのはおそらく一部の会場だけだろう。
 事実、「どこそこの会場はまともでした」というレポーターの発言もあった。が、そういうのではニュースにならない、視聴率を稼げないから、特に荒れているところに取材にいっているのだ。
 主宰者側はこのようなマナーの悪い新成人に対抗するため、ゴルフ場のような「静かにして下さい」のプラカードを作ったの、妨害電波を発する装置を導入して携帯電話を通じなくするようにしただの、希望者だけをつのって「静かにする」という誓約書付の申込書を書かせただの、こういうのも一部の自治体だけだろう。
 なぜなら、そういうのでなくてはニュースにならない、視聴率を稼げないから、特に荒れているところに取材にいっているのだ。
 マスコミに騙されているのだよ、我々は。
 (ちょっと前までは、成人式の報道なんて、季節の風物詩だったのにねえ。僕は荒れた現場より季節の風物詩の方が視聴率稼げると思いますよ)

 しかし、全部ではないとは言え、成人式が荒れているのは事実である。
 そこで、マスコミに報道されてしまうような究極の幼稚な新成人に言いたい。(誤解の無いように言っておくが、新成人全員に言っているのではない)
 「嫌なら行くなよ、バカ。自分が出席したい式典と、そうでない式典の区別も今の新成人はつかなくなっているんだな」
 たった2〜3時間のための成人式のために、担当者がどれだけの時間と労力をかけて準備していると思ってるんだ? 大人ならそれくらいの判断は出来るはずだ。己の新成人を祝うために、役所の仕事とは言え赤の他人が駆けずり回ってるんだから、出席する限りは感謝の気持ちを忘れちゃならん。それが大人と言うものだ。
 そして、それらは税金なんだよ。新成人のほとんどは所得税なんて払っちゃいねえだろう? (消費税とか自動車重量税は払っていたとしても)
 おめーら、税金泥棒だ。

 一方で、そのための「対抗策」を考える大人たちも情けない。
 大人ならわかるでしょ? 「どっちが悪いの?」
 悪い方にリスクを負わせれば良い。会場が騒がしければ、予定した出し物を全て中止し、時間が来たら「終わりました」でいいんでないの?
 「うちの自治体の成人式は毎年ひどいから、もうやめます」でいいんでないの?
 「どうしてもして欲しかったら、会費制のパーティーにします。お一人様一万円となっております」でいいんでないの?
 悪いことをしている馬鹿者どもに迎合する方がおかしいんだよ。
 そもそも若い人が荒れるのは、大人が悪いんだ。「成人式の意義がどういうものかなんて考えたことはありません。昔からやっているので今年もやるだけです」なんて自治体がほとんどじゃないだろうか? だって、成人式の担当者って、たまたまそういうのを扱う部署に配置されていた人が、業務命令でやるんでしょ? で、とにかく無事に式典が終われば良いんでしょ?
 そんな大人たちが用意した式典で、新成人が成人の意義なんて感じることが出来るわけありません。

  「沢田聖子のそよ風の街角」に「12月25日今世紀最後の弾き語りコンサート(大阪公演)」のライブレポートをアップしました。


午後12時  2001/01/08
 「午後12時とは、いつのことか?」
 こう質問をすると、だいたい5人のうち4人は「正午のことでしょ」と答える。
 残りの一人は、「深夜0時」という。
 まあ、答えはこの二通りしかないだろう。
 そして、正解は「深夜0時である」。(と、思う)

 僕が自説の正解を発言すると、「なんでやねん。午後の12時が夜中のわけないだろう? 夜中は午前0時だ」といわれる。
 しかし、考えてみて欲しい。午前と午後はつながっているのであって、午前の終わりが午後の始まりで、午後の終わりが午前の始まりなのである。従って、深夜0時が午前0時であるならば同時に午後12時なのである。
 「いや、それはおかしい。午後12時というからには、昼間だ。俗に昼の12時というじゃないか」と、敵はなおも食い下がって来る。
 「だから、昼の12時とは、午前12時じゃないか。つまり、午後0時だ」
 「違う違う。じゃあ、夜の11時は午後11時だろう? その1時間後は12時。つまり、深夜0時イコール午後12時だ」

 どうしてこんな問答になるのか?
 それは多分、「昼の12時」とか「夜中の12時」といった言い方はしても、通常、「午前12時」とか「午後12時」という言い方はあまりしないからであろう。そして、それらは微妙にもう一方の呼び方の0時とイコールになっていたり、なっていなかったりする。
 まあ原因はともかくとして、みなさんは「午後12時」は何時だと思いますか?   「CGルームその4」に「子猫の懺悔室」のヨーコさんから頂いた年賀状CGをアップしました。


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