「わお〜」な想い



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新年ご挨拶  2001/01/03
 昨年12月30日から始まった年末年始の勤務は、1月2日で終わりました。3日、4日と2連休。これが僕の事実上のお正月休みだったりします。
 
 とらおランドをごらんの皆様、あけましておめでとうございます。
 前世紀はお世話になりました。
     今世紀もよろしくお願いいたします。

  「長編小説(=綾綴人形)」に「風の予感第3話『スーベニール未来の子供達のために(12)(13)』」を掲載しました。(1月1日付)


またまた「ユニスタ」ネタ  2000/12/29
 「ユニスタ」とは、USJのことであるが、僕は「USJ」という省略形に納得していないので、「ユニスタ」と呼ぶと、以前ここで書いた。
 それはともかく、USJという標記や表現が世間からすっかりなりをひそめていることに気がついただろうか?
 正式名称は「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」であり、これ以外の表記を認めないというお触れが出ているらしいのだ。広告業界の方が言うに、「ユニバーサル、点、スタジオ、点、ジャパン。これ以外の表記をしたところとは、金輪際お付き合いをいたしません」とユニスタ側が言っているとか。(真偽はわからない)
 いやあ、それにしても、強気である。マスコミにこびへつらわず、これだけ強気でいけるのが羨ましい。こちとら、拝み倒して取材に来てもらい、かつ、どんな書き方・扱い方をされようとも文句ひとつ言えず、「このような扱いだけは絶対しないで下さい」とお願いした方法で扱われてしまう。悔しいですね。
 しかし、もっとも悔しかったのは、大手広告代理店が既に営業不振で休止に追いこまれているCS放送とのタイアップを持ちかけてきたことだ。
 「ユニスタ」に対してこんなことをすれば、担当者の首は飛ぶと思うけれど、僕の所にはお詫びの電話ひとつもない。


史上最悪「渡る世間は鬼ばかり」  2000/12/29
 小学生同士のいじめのシーンがあった。男の子4〜5人に女の子が殴る蹴るのいじめを受けるもので、女の子はその場に倒れて動かなくなった。「おい、やばいそ、死んじゃった」と、男の子たちは逃げていく。
 僕はこのドラマはもともと嫌いで、見ていてこんなに気分の晴れない娯楽は他にないと思う(かといって笑いも感動も何もない。ただ気分が悪いだけ)のだが、母親が観ている居間にたまたま足を踏み入れてこのシーンを目撃した。
 ドラマでいじめを扱うのが良くない、というのではない。相手が気を失って倒れるまで殴る蹴るの行為を繰り返すのが良くない、と言っているのだ。そして、動かなくなってしまった相手を見て逃げ出すようなシーンが良くないのだ。
 「気に入らないヤツは殴り殺して逃げなさい」と、このドラマは教えているのだ。刑事ドラマやヤクザ映画で人が次々殺されるのとはわけが違う。
 いいか、言っておくけれど、フィクションというのは観るものにそれなりの心構えをさせるものだ。だから、エロ映画で女が強姦されたり、推理ドラマで人が死んだりするのは、かまわない。それは、フィクションであり娯楽である。現実とは違うことを見る者は認識している。(認識できない人がいるとすれば、それはその人こそが治療の必要がある)
 しかし、このような日常ドラマで、こんなことをやってはいけない。
 3年B組金八先生が校内暴力を加速度的に増加させたのと同じ理屈である。
 ハシダスガコもイシイフクコももう終わってるよね。だいたい、年末にこんなに気分の悪いドラマをスペシャルでやるって、どういうこと? 芸能人水泳大会でお約束のオッパイポロリの方がよっぽどいいよ。

  「長編小説(=綾綴人形)」に「フライデーナイトアベニュー」に「8月の3番目の金曜日(3)」を掲載しました。


また  2000/12/24
 いやもう、「すいません」の世界ですね。
 別人格でやっているサイトが廃止の憂き目にあいました。誰が悪いってもう本人が悪いんですけどね。でも、参りました。よーくここを読んで下さっている方なら、僕が「別人格」でやっているサイトがどのようなものか、なんとなく想像つくと思う(昔はリンクまでしてた)のですが、諸般の事情でやめなくちゃならなくなったのです。
 でも、やめてしまうわけにはいかないので、タイトルもURLも変更して再出発。リンク先にはリンクの変更をお願いし、サーチエンジンには、登録の変更や新規登録を・・・
 だけど、なかなか効果は現れないんですよね。1日に2000あったアクセスが昨日時点では1日350。うーん、先が長いなあ。
 かつてBBSにカキコしてくれた方約700名にもDMしたりして、引越しのご挨拶。これもどれほどの効果があるかわかりません。
 綾綴人形の時は、旧サイトに引越しの案内を出せたから良いのだけれど、今度ばかりは完全廃止だし、新しいサイトはタイトルからして違うから、多くの人が「何で急に無くなっちゃったんだよー」とか思ってるだろうね。ごめんなさい。でもどうしようもないです。ああ、愚痴でした。それにしても、引越しって大変です。はい。もうしたくないなあ。

  「長編小説(=綾綴人形)」に『風の予感第4話「スーベニール未来の子供達のために(11)」』を掲載しました。


クラクション  2000/12/17
 親父の車のクラクションが鳴りっぱなしになり、止らなくなった。
 叩けば止るものの、すぐにまた鳴りだしてしまう。
 さあ、困った。取扱説明書をひらくもののさっぱり要領を得ない。そもそも車の説明書の「各部名称と働き」のところに、クラクションが掲載されていないのだ。そんなバカな。
 カバーを外して「接触部分」に紙とかの絶縁体をかませばそれで済むはずなのだが、外し方がわからない。アレコレ触っているとまたクラクションが鳴る。
 もう一度落ち着いて説明書を見るが、「ラジオの聴き方」だの「テープのかけかた」だの、そんなことばかりにページを費やしている。
 「故障のときは」のページを見たら、車を速やかに安全なところに停めてエンジンを切ってどうたらこうたらと、そんなん当り前やんか、って言うことしか書いていない。踏みきりで立ち往生したらマニュアル車ならギアを1か2かバックに入れキーを回したままにすれば脱出出来るが、オートマ車ならそれは出来ないので、ギアをニュートラルに入れて誰かに押してもらえ、踏みきりの非常ボタンを押し、場合によっては発煙筒を使え、と、そんな車に乗る前に習得してあるはずのことばかり書いてあって、さくいんにも「ホーン」「クラクション」「警音機(器)」などの記述は一切ない。
 そうか、トヨタカリーナにはクラクションは最初からついていなかったんだ。もちろん実際にはついているけれど、メーカーの見解としてはそうなのだろう。
 車が好きな妻の弟のアドバイスを得て、「ホーンのヒューズをとってしまえ」ということになり、それをさがすが、またわからない。なにしろ、ヒューズの説明よりもカーオーディオの説明に何倍ものスペースをとっているのだ。そう簡単にわからない。そうか、車とは、走らすものではなく、音楽を聴くものだったのか。もちろん車は移動手段なのだが、メーカーの見解としては車は音楽室なのかもしれない。
 幸いヒューズの説明のところには、どれがホーンのヒューズなのかがわかるように書いてあったのでアドバイス通り事無きをえた。これで夜中にクラクション鳴りまくりなんて事態は避けられる。
 それにしても、すきこそモノの上手なれとはよく言ったもので、妻の弟に感謝。僕なら、「そんなん、ヒューズとってしまったらええやんか」なんてことに、思い当たらない。熟練の応用力とは、こういうものだ。


ひとにらみ  2000/12/17
 女子高生二人組が、連結部分を渡って隣の車両に移った。連結部分を渡るには、手前の車両と向こうの車両の両方の扉を開け閉めしなくてはならない。その2枚の扉の、向こう側だけは彼女達はきちんと閉めたが、こちら側は開いたままだった。
 車端部に座っていたそこそこの年齢の男性が、彼女達の方を睨んだ。いや、僕のところからは頭しか見えないので、どんな表情でどんな目つきだったのかは知る由もないのだが、その人が一言も発しなかったのは確かである。そして、女の子たちと目が合った瞬間、ほんのわずかに頭が揺れた。
 向こうの車両に座ろうとしていた彼女達は再び腰を上げ、扉をきちんと閉めにやってきた。
 ひとにらみ、というヤツである。
 いまや、こんなことをしても誰も注意しないし、それどころか、開けた扉を閉めないこと自体が無作法でもなんでもなく、当り前の世の中になっているが、そういうことにいちいち神経を尖らせる人がおり、そして注意をする。いや、注意どころか、たったひとにらみだ。どんな迫力のある表情をしていたのだろう? ちょっと想像がつかない。
 ともあれ、痛快なひとときであった。


明日はわが身  2000/12/17
 電車が終着駅につき、乗客の全員がゆるゆるとたちあがる。通路を挟んだ向かい側の席に、スーツ姿の人。膝の上にはショルダーバッグ。
 横着をせずに、まずショルダーバッグを肩にかけ、それから立ちあがれば良かったものの、それらを同時に行おうとして、失敗をした。半分腰を浮かせたために狙った位置とはわずかに違うところにバックがあり、掴み損ねたのである。
 しかし、予定では既にショルダーバッグは手に掴まれているはずである。そういう予測のもとに腰を浮かせたからたまらない。ショルダーバッグは膝から床に一直線。
 その瞬間。ショルダーバッグの大きさや外見からはとても想像できないほどの大きな音が車内に轟いた。
 「あ、ノートパソコン・・・」
 あやうく口に出すところだった。僕も普段持ち歩いているからわかる。あの中には間違いなくパソコンが入っているに違いない。
 「パソコン、壊れたかも」
 カバンを落とした男性が、連れにボソリとつぶやいた。やはり・・・・。自分も気をつけなくては。


銀行のいいわけ  2000/12/14
 「銀行はなぜ3時で閉まるのか」という小冊子を、10年近く前だろうか、職場の上司がもらってきた。
 僕は何でもすぐにムカつくのであるが、この時も相当ムカついた。
 「俺は銀行が3時で閉まる理由などは知りたくない。3時で閉まることそのものが不便であり、利用者を無視している」と言いたいだけなのだ。しかし、銀行はそういう声には耳を貸さず、いかに自分たちが正しいかを主張するためにわざわざ経費をかけて小冊子を作るという横柄さ。
 泥棒にも三分の理、とはよく言ったものだ。こんなことを弱小市民の僕が言うと、銀行はきっといい返してくるだろう。「一寸の虫にも五分の魂」
 しかし、銀行よ。周りをよく見まわしてみな。ほら、いつのまにか四面楚歌になってるぜ。


児童手当  2000/12/14
 児童手当が手厚くなると聞いて「それはいいことだ」と思ったが、中身を知ってそれがとんでもない悪政策であることがわかった。
 現行の児童手当はこうである。年収670万以下の世帯に対して、子供二人目まで一人当たり月5000円、三人目から10000円が未就学の期間、支給される。
 さて、これがどのようになるのかというと、年収の制限が770万円に引き上げられるのである。
 おいおい、ちょっと待てよ。年収が700万円もあって、いったい生活の何に困るというのだ? 700万円もの収入がある人に、一人目の子供に対して年間6万円もらったって、何の意味もないぜ。そもそも670万円だって多いくらいだ。おそらく、選挙に影響するのは、これくらいの年収の人の意識であろうから、そういう施策が取られたのであろう。
 それよりも、年収500万円以上の人には支給しない。そのかわりに、500万円未満の人には児童手当を倍増させるとか、さらに400万円未満の人には義務教育の期間中は児童手当を支給するとか、もっとやりかたがありそうなものだ。
 誰にでも一律の税金がかかる消費税にしても、累進課税の緩和にしても、全てが「強きを助け、弱きをくじく」のが日本の政治である。つまり、貧乏人は死ね、と政治家は言ってるのだ。

 こんな簡単なことに誰も気がつかず、誰も批判しない。マスコミも評論家も学識経験者も、所詮は資本主義社会の「支配者層」であり、「貧乏人は死ね」と言ってるのだ。これに気がつかない国民はもっとバカだ。もっとも気がつかないからいいように支配されているわけだけれども。

 ところで、僕の年収は400万円台前半である。これはサラリーマン所得であるから、税金はあらかじめひかれている。それに、昨年はホームページ関連のSOHOで140万円の収入があったが、それに対しては20万円ほどの税金を払っている。児童手当は、二人目の子供が未就学児なので年間6万円もらっているが、はっきりいって、児童手当なんぞいらん。その分、税金を安くしてもらいたい。そして、稼いでいる人からタップリ税金を取り、収入の少ない人に分配してあげて欲しいと思う。



半年  2000/12/10
 ボーナスが出た。夏が冬になり、半年過ぎたんだな、と思う。
 ところで、「デカンショ節」というのをご存知だろうか。丹波篠山の民謡である。「デカンショ、デカンショで半年暮らす。あとの半年ゃあ、寝て暮らす。ヨーイヨーイ、デッカンショッ」という。

 この「デカンショ」とは何であるか、については諸説あるのだが、有力説のひとつが「どっこいしょ」である。どっこいしょ、とは、仕事をすることだ。つまり、半年間だけ仕事をして、あとの半年は寝て暮らす、というのである。

 デカンショ=どっこいしょ(仕事)説が有力な理由について個人的に思い巡らすのだが、やはりこれはロマンではないだろうか。
 仕事をして暮らすのはなんと1年の半分だけ、というのである。憧れのようなものがそこにはあるだろう。まさしくロマンである。

 そんなことを思い巡らしていると、ふと気になった。「あとの半年は寝て暮らす・・・」。おいおい、ちょっと待てよ。あとの半年を遊んで暮らせば確かにロマンであるが、寝て暮らすとなるとこれは違うのかもしれない。
 1年のうち半年しか仕事が無いので、あとの半年はとにかくエネルギーを使わないように「寝て暮らす」しかないという「超不景気」説。あるいは、仕事があまりにもキツイので半年間で身体を壊してしまい、残りの半年は寝て(養生して)いなくてはならないという「重労働」説。

 やっぱりそういうのはイヤだなあ。ここはひとつロマンだけにとどめて、深くは追求しないでおこう。冬のボーナスで半年間遊んで暮らせればいいな、とか思いながら。

  「長編小説(=綾綴人形)」に『風の予感第4話「スーベニール未来の子供達のために(11)」』を掲載しました。


ギルガメッシュ  2000/12/10
 石ノ森章太郎さんのマンガ「ギルガメッシュ」が文庫落ちしていた。25年くらい前の作品ではないかと思うのだが、僕はこれを連載中にコミックで買っていた。だが、一冊だけ、どういうわけかないのである。誰かに貸したままになっているような気もするし、一冊だけ買いそびれていたような気もする。
 4冊全てを手にとってレジへ急いだ。石ノ森マンガとしてはマイナーな部類だと思うが、「化粧師」とならんで僕の好きな作品だ。超古代人類がミイラからクローン技術で現代に蘇り、神と悪魔が戦うのだが、この「神」と「悪魔」は単なる呼び方であり、敵対する者として捕らえられている。また、古代人類が宇宙からやってきたものである、との説が元になっていたりもして、まあかなり好きですね。

 同じ出版社からやはり文庫で「呪凶介PSI霊査室」や「メギドの火」など、つのだじろうさんのマンガも出ていて、なかなか目の付け所の鋭い編集者がいるなと思ったりする。このふたつも古本屋などで長い間探していた作品であり、次回は購入しようと思う。



工面  2000/12/04
 明日から出張なのだが、気がつくと財布の中に2000円しかない。新幹線の切符は買ってあるし、現地で日当も出るからいいものの、手持ちがこれだけではなんとなく不安である。
 だからといってパチンコに行くこともないのだけれど、行ってしまった。このままでも銀行でお金をおろさねばならないことには変わりない。万が一負けてもたった二千円だ。
 「遠山の金さん」をモチーフにした(多分)花吹雪というスロットを打つ。この台とは相性がよく、だいたい1000円でかかるのだ。「かかる」とは、「777」が揃うなどでボーナスゲームに入り、確実にコインが増えることを意味する。
 ・・・・1000円すった。
 もう1000円。いや、その前に財布の小銭を確かめる。若干残しておかないと、ジュースも買えない。うん、500円玉があるからよしとしよう。もう1000円。
 きた!
 「777」が揃って、ビッグボーナスのスタートである。ビッグボーナスとは、1枚がけ(通常は3枚がけ)で15枚の払い戻しが8回受けられるボーナスゲームが3回セットになったもので、持ちコイン数が一挙に増える。しかも、この機種のビッグボーナスには、「並」と「超」があり、「超」になるとボーナスゲームとボーナスゲームの間も、15枚払い戻しの「役」が当たり易くなる。ちょっと気をつけて打てば600枚ぐらい払い出されるのだ。ビッグボーナス2回分の払い戻しに近い。
 で、大抵の場合、「超」になる。実際の確率がどの程度かはわからないが、僕とこの台は相性が極めていいのである。
 ところが、今回は「並」であった。目打ちで「役」を狙うも難しく、405枚の払い戻しだった。さて、このボーナスゲーム終了から100ゲームはサービスゲームである。この間にビッグボーナスをひくと、必ず「超」になる。
 残念ながら、ビッグボーナスは来なかった。この台では珍しく、もう2000円も使っていることだし、ここらが潮時だ。景品に交換したら、3000円になった。

 次に、「パルサー」を打つ。これは古い機種なのだが、先日新装開店でこの台が入ってきた。リーチ目は公表されているが、これには最近流行りの予告機能が一切ない。ドラムが怪しげに右側から先に回転したり、レバーをたたいたときの音の変化などはあるけれど、当たりとの因果関係がよく分からない。
 さて、1000円。リーチ目を見たわけではないが、なんとなく怪しい。目打ちをするが、止らない。しかし、怪しいのである。もしかしたらと、「BAR」を狙ったら、きっちりと止った。レギュラーボーナス。すなわち、ボーナスゲーム一回。15枚×8回の払い戻しである。これで手持ちのコインが増えて、しばらく打てると思っていたら、まもなくリーチ目が来た。左ドラムに「7・チェリー・カエル」が並び、右ドラム上に「7」が来たのだ。あせらずにじっくり「7」を狙ってビッグボーナスゲットである。
 その後、100枚を注ぎ込んだが、何の反応もないので撤退。100枚とは、新しくコインを買えば2000円分である。
 さて、また台を変えるが、今度は当たらず。手持ちの1000円札がなくなった。
 そこで、先ほどレシートに交換しておいた「パルサー」のコイン分を景品に交換。4000円になった。最終的には、2000円が4000円になったわけで、セコイといえばセコイけれども、まあこれでなんとかなるだろう。

 しかし、財布の中には2000円しかなかったけれど、セカンドバッグに10000円入っていることを思い出した。最初からわかっていれば危ない橋を渡らなくて済んだのに・・・。ま、いいか、少し増えたから。
 


ホームページビルダー  2000/12/04
 ホームページビルダーをはじめて使った。職場のホームページで、これまで僕が一気に引き受けていたのだが、それを各担当者にやってもらためだ。僕のようにhtmlの直打ちは望めない。
 「ビルダーか何かを使わないととても出来ません」と、直訴されたのである。
 それはそれでいいのだけれど、僕が作ったページをビルダーで開くと、失礼なことに「エラーがあったので修正しました」なんぞとメッセージが出る。しかも、開いたページはぐちゃぐちゃになっていた。修正した上にぐちゃぐちゃにされたらたまらない。おまけに、僕が使っているタグで認識してくれないものもある。
 やっぱり作成ソフトはダメダメだなあとか思ったのだが、これを使わないと引継ぎが出来ないので、仕方ない。ビルダーで一から作りなおしなのである。やれやれ(/o\)


足抜け  2000/12/03
 「○日までっていう約束だったんですが、少し早くやめさせてもらうことになるかもしれないんです。かまわないでしょうか?」
 バイトさんにこんな風に言われたら、普通はどう対処するのだろう?
 「いえ、約束通り○日までいてもらわないと困ります。これは契約行為ですから、破ることは出来ません」と突っぱねるか、「仕方ないですね。わかりました」という対応か。ま、これらが順当なところなのかもしれない。
 しかし、僕は自分で意地悪だなあと思うのだが、「かもしれない、じゃ、判断のしようがない。いいとも悪いとも言えない。次に行こうとしている所が早く来てくれって言ってるの? 具体的にはいつという提示を受けているの、受けていないの? わかってるんだったら早く言ってもらわないと、どうしようもないよ」と、返事をした。
 「とにかく、双方合意の上で、○日までって決めたんだから、こっちが優先でしょ。そのことは先方に言ったの? 向こうに待ってもらうのが筋じゃない? それとも、どうしても早く来てくれないと困る、来れないのなら他の人を雇うって言ってるの? だったら、あなたの人生だから、それは協力するよ。けど、まず先にこっちとの約束が○日までって言わなくちゃ」
 こういうやり取りの末、「じゃあ、○日まででかまわないでしょうか?」と、彼女は言った。
 「では、そうしましょう」と、僕は答えた。

 彼女の真意はわからない。こちらが「それは本当に困るんです」と言えば、先方にそのことを伝えようと思っていたかもしれない。あるいは、「早めにやめるよ」という予告を打って様子を見ながらタイミングを見計らって「○日にやめます」と言うつもりだったのかもしれない。実は本当に具体的にはまだあまり決まっていなくて、「場合によったら早くなるかもしれません」ということだったのかもしれない。そんなややこしい筋論を言ってくるなら、出来る限り早くやめてしまう約束を取り付けようと具体的な日にちをとっさに決めたのかもしれない。

 こんなことはいくらでもある。逃げ出してから電話で辞意を伝えてくる場合もあった。ボロクソにののしって電話を切ったこともあるし、連れ戻したこともある。置き手紙を残していったやつもいる。
 もうたくさんだ。なぜ、「急なことで申し訳ありません」と素直に詫び、「実は、どうしても・・・・なので」と事情説明が出来ないんだろう?
 正面からぶつかってくるやつには絶対悪いようにはしない。


だるだる  2000/12/02
 やれば何でも出来そうな気持ちになることがある。逆に、そんなこと出来っこないやと思うこともある。
 でも、どっちかというと、そのどちらでもなく、適当にやっておけばなるようになるでし、なんでそんなに無理してきばらなくちゃならないの、とか思うことのほうが多い。
 だけど、そういうのって、人に見ぬかれるんですよね。で、指摘される。ほどほどでいいじゃないって思っていても、人に指摘されると、そういうの良くないよなあ、必死になってがんばらないとなあ、とか思わされてしまうのだ。
 んで、ぐったり疲れたりするんですよね。がんばりすぎて疲れるんじゃなくて、おもわずがんばっちゃう自分に疲れる。
 あー、だるだる、なのよ。もう本当に、適当に、そこそこで、みんなが手を打ってくれれば、楽な世の中になると思うんだけどなあ。けど、こんなこと書くと、誰かに「弱者は死ね」とか言われそうだね。


年賀状  2000/12/02
 パソコン歴10年以上になるが、パソコンで年賀状を初めて作った。
 パソコン以前にワープロで年賀状を作ったことがある。住所などを全部入力して、その後、裏面印刷。使う色ごとに版を作り、それぞれのインクリボンで印刷した。黒で一回、緑で一回、赤で一回、青で一回てな具合で、これに表の印刷が加わるから、最後のほうになると年賀状がくにゃくにゃになり、プリンターをまともに通過しなくなった。
 結局、ワープロで年賀状を作ったのはその一度きり。
 結婚してからは、もっぱらプリントごっこだった。宛名は手書きである。それもここ数年はプリントごっこすらだるくなって、裏面は印刷屋に発注したりした。ずっとパソコンを使っていなかったのは、プリンターがなかったからである。
 さて、今年はデスクトップのパソコンを新調した。10万円ちょっとでプリンターまでついている。で、妻が、年賀状作成の本を買ってきた。そういえば、プリントごっこを使っていたときは、プリントごっこ用の図案集をよくかったものである。しかし、今回はパソコン用である。宛名ソフトと図案集のCD−ROMが2枚ついていた。
 エクセルに入力していた住所録はその宛名ソフトにそのままコンバートできる機能がついており、はがきの裏面作成に特化した画像処理機能もついている。あとは、図案を組み合わせたり文字を載せたりして出来あがり。これがまあ、あっという間、テレビを見ながら、食事をしながら、数時間で出来あがってしまった。カラーで次から次に印刷できるプリンターが家庭に普及するなんて、僕たちが子供の頃には想像できなかった。

 12月に入ってすぐに、年賀状が完成したのは、これがはじめてである。快挙と言えよう。


別世界  2000/11/30
 駅のホームで電車を待っていると、おばさんの姿が目に入った。おばさんは時刻表を見上げている。しかも、「土休日用」の方だ。
 そっちは違いますよ、と声をかけてあげようとして、やめた。自信が無くなったのだ。ホームの人の数が、平日のそれよりも明らかに少ない。僕の勤務は土日関係無しでローテーションを組むから、時々曜日感覚が無くなってしまう。今日も、そうだと思った。
 いや、待てよ。それは違う。今日は、ええと、明日が公休で、あさっては土曜日の出勤だったから、今日はやっぱり平日だ。なのに、なぜこんなに人が少ない?
 天王寺駅についても、それは同じだった。まっすぐ歩くのが困難なほど前方から人が押し寄せてくるはずなのに、まるで広場を歩いているようだ。
 何かあったのだろうか? 例えば、環状線か関西線が不通にでもなっていて、いつもと人の流れが違うとか、大事件が起こって大阪市内への人の流れが抑制されているとか。しかし、それにしては、みな落ち着いて行動をしているようだった。
 環状線もすいていた。鶴橋ではいつも近鉄からの乗換え客が押しこまれてくるが、それもない。
 京橋で乗り換えた東西線もそうだ。あっけなく座れた。そもそも、ホームに立って電車を待つ人の数が、圧倒的に少ない。
 平日であることは間違い無いし、ダイヤが乱れているというアナウンスも無い。そわそわしたり、イライラしている人もない。ただ、単純に人の数が少ない。
 偶然が重なって、エアポケットのように人の波が途切れているだけなのだろうけれど、いつもと違う、ということがこんなにも僕を不安にさせるのだ。
 似ているけれど、違った別の世界、パラレルワールドに迷い込んだのではないだろうか。


人工肛門  2000/11/29
 病巣の切除は一般的な外科手術の手法のひとつだが、不幸にも肛門を取ってしまわないといけないこともある。そのような場合に「人工肛門」というのがつけられる。場所は下腹部である。
 本物の肛門のように自分の意思で「ギュっと閉める」とか「きばって排泄」などという機能はなく、いわば穴が開いていてからだの内部と外部が直結した状態になる。
 知識としては知っているが、そういう人に出会ったことはこれまで無かった。ところが、出会ってしまったのである。身体的な機能が一部不全または無い、という人に対して特別な感情を抱くことは、差別である。
 だから、最初に言っておくけれど、僕はその人を差別した。

 アホな知識人が単語の一つ一つをあげつらって「それは差別用語だ」なんぞとほざいているが、単語そのものに差別など無い。差別心を持ってその言葉を使う人や、言葉そのものを差別だと定義する人の心にこそ差別がある。つまり、心の問題である。
 (注。ただし、言葉を使う本人に差別心が無くても、その語源が差別から来ているものは、使うべきではないと思っている。ここんとこ、誤解の無いように願いたい)

 さて。いったい人工肛門の何に僕は差別してしまったか。
 匂いである。
 それはバキュームカーやボットン便所のような鼻のひん曲がるような匂いではない。清潔な水洗便所に、自分で排泄したときの匂いである。出来たてホヤホヤの大便の匂いだ。
 汲み取り式トイレのタンクのように「不潔感漂う」ものなら、「クッサア!!」で済むのだが、排出したてのフレッシュな匂いというのは、あまりにも現実感が伴いすぎる。「いやだ。あっちいってくれ」と思わず言いたくなってしまう。そして、その匂いにずっと取り囲まれて暮らさなくてはならない本人の状態を思うと滅々とした気分にすらなった。

 やむをえない事情があったに違いない。生きるためにはそれしか選択肢が無かったのだろう。それに対してこんな感情を抱くのは明らかな差別心。僕の心の中でこんなにも明確に「おまえ、今、差別の気持ちを持っているぞ」と自分自身に感じたのはこれが始めてである。
 人間誰しも、誰かに対して差別的な気持ちになることはあるだろう。しかし、僕の場合はそういう時、自分自身への警告が発せられる。「ばかやろう、なに差別してるんだ。おまえ、最低だぞ」と。人によってその警告の発せられ方は異なるだろうが、理性的な何かが働いて自分の感情に対して「ノー」という自分が発見できるはずだ。
 だが、今回は違う。生理的にその人のことを「嫌だ」と感じているのだ。こんな侮蔑的な差別が自分の中にあるのだ。逃れようも無いし、言い訳も出来ない。謝罪はしないでおこうと思う。そんな口先だけの謝罪で自分の中身が浄化されるわけではないのだから。

 こんな自分が救われるための方法として、僕はひとつだけ思いついた。医学への批判である。
 いったい医学とはなんだろうと思う。人工肛門にしなくては、おそらく命が危なかったのだろうと思われるが、そこには「命さえ救えればなんでもいい」という医学のおごりを感じる。
 確かに、人工肛門の技術は素晴らしいだろう。人の命を救うのだから。しかし、それほどの技術があるのなら、匂いに対するなんらかの技術も当然可能なはずだ。それに手をつけていないのは「おごり」だと思う。「生命」はあればいいというものではない。それは「生活」と同義であり、医学とはその後の生活も本来ケアするべきものであって欲しい。
 もしかしたら、最新技術ならばその点を解決しているのかもしれないが。

 だがしかし、助かる見込みの無いものをただ人口呼吸機で命だけ存えておけばいい、というのと同じものが、医学の根底にあるように思われて仕方ない。その考えを医学界が正さない限り、医学とは人の幸せのためのものではなく、医学者の命遊びの範疇を抜け出せないのではないかと思った。

  「長編小説(=綾綴人形)」に『風の予感第4話「スーベニール未来の子供達のために(10)」』を掲載しました。


一緒に暮らそー!  2000/11/25
 「一緒に暮らそー!」は沢田聖子さんのニューシングルです。結婚ラブソングですね。素敵です。
 色々な感情を集約したら、最終的に出てくる言葉は「一緒に暮らそう」「結婚しよう」というところにいきついた・・・そんなとてもとてもハッピーな唄。子供が出来てやがておじいちゃんとおばあちゃんになっても、仲良く一緒に。大きなテーブルを囲んでみんなで一緒に暮らそう! そんな詞です。そのまま転載できないのが残念ですね。
 エエカッコシイの詞が氾濫していますが、この曲は違います。とても等身大で、ハートフルで、そして少しだけ理想を織り込んだ、ミディアムテンポメジャーコードの、耳馴染みのいい曲であります。アレンジも爽やかで透明感がありかつしっくりと落ち着いた雰囲気です。
 家族崩壊などが取り沙汰される今こそ、こんなさりげない日常の中にとても大きくて素朴な幸福を唄った歌が必要なのだと心から思います。
 人それぞれ音楽の趣味があると思いますが、そんなものを通り越して「いい曲」だと皆さんにお勧めできる曲です。
 是非買ってください。音楽なんて自分の肌に合うものを聴けばそれでいい、いわば嗜好品でありますが、「一緒に暮らそー!」は誰が聴いても気持ち良い歌です。この曲だけは大ヒットしてほしいと願います。街のあちこちでさりげなく流れる日々が待ち遠しいな。沢田聖子の新しい「らしさ」がでていて、これからの彼女の代表曲になるでしょう。ファンを続けていて良かった!
 日本クラウン CRCP−52 1200円(税込み) マキシシングル (つっても大きいだけだが)

 なお、カップリングは同じく結婚ラブソング、「二人の明日」。こちらはギター系の楽器とわずかな鳴り物だけを使ったむちゃくちゃアコースティックで美麗なアレンジ。ほとんどの楽器を編曲担当の坪井寛さんが演奏しています。
 それから、ジャケット写真がかわいいですねー。特に、内側に歌詞と一緒に印刷されたモノクロームの聖子さん。とてもとても38歳には見えませんよ。


不思議な縁  2000/11/25
 さて、前項「沢田聖子」の続きですが。
 マキシシングルなのでアルバムのコーナーに入っていたりするわけなんですが、「沢田聖子」の隣にあったのが、同じ事務所の「sayuki」でした。不思議な縁ですねえ。女性ボーカル「サ行」って範疇だから、まあ、別に不思議じゃないですけど。sayukiもフルアルバム出してくれたら買うんだけどなあ。
 んで、聖子さんとジョイントコンサートなどで縁のある「白井貴子」「鈴木聖美」なんてアーティストも同じサ行で近所においてあったりするから、なんだか懐かしくなってしまいました。


文芸ナイフ  2000/11/23
 「パワフルオンライン作家」リングに新しく加盟された「らら美」さんのサイトに、「文芸ナイフ」というコーナーがあります。文章の書き方やストーリーの組立などについて解説したものです。コバルト文庫やスーパーファンタジー文庫などを出しておられ、最近は商業著作はないらしいのだけれど、WEBで活躍しておられます。
 さて、この講座、「何か書いてみたいんだけど、何を書いたらいいのかわからない」という人に、まず書き始めるためにはどうしたらいいのか、というようなところからスタートしていますので、既にあれこれ書いている人には少し物足りないかもしれません。が、読みすすめているうちに講座はどんどんレベルが高くなってきます。

 『きっとどんな文章教室でも、安易な擬音語・擬態語の使用は控えましょう、と教えていると思います。品がないし、頭が悪そうに見えるからです。
 でも、擬音語や擬態語は日本語独特の表現ですから別に悪いもんじゃないし、下手な比喩をひねり出すよりは、すぱっとダイレクトにイメージが伝わります。』

 (「文芸ナイフ」 より)

 文章の書き方を説いたもので、こんなことを書いているのを僕は始めて見ました。どんな文章講座でも確かに「擬音語・擬態語は控えよ」と述べていますが、異口同音に解説していることを採用したのでは、個性的な文章など出来やしませんね。いや、安易な擬態語・擬音語の多用が無様な文章を生むことは確かなので、これには注意が必要ですが、しかし、それを踏まえたうえで、さらにもう一歩を踏み出すには、「らら美」さんが言われているような表現方法に挑戦することも必要でしょう。

 『同じ言い回しの繰り返しも、擬音語や擬態語と同様、文章教室ではやめた方がいいと言われると思います。単調になるからです。でも、単調だということは、裏を返せば一定のリズムを持っているとも言えます。「〜と思った。」を二回繰り返すだけならまずい文章でも、五回繰り返せばそれなりの文体に見えないこともないでしょう。
 ただし、五回繰り返したあと六番目の文章では、目先を変えた表現で全体を引き締めることを忘れてはなりません。』


 いやあ、これにもびっくりです。ここでも一般的な文章教室に「No」と言っているのです。この講座にはなにか凄いことが埋もれているような気がしてきました。

 そして、やはり凄いことがあったのです。こんなことを教えてくれる人は他にはいないのではないでしょうか?
 少し長くなりますが、引用します。(あ、「文芸ナイフ」というコーナーがあるらら美さんの「一輪庵」は、引用転載自由なのです)

 『大好きな何かについて、上手くその魅力を言葉に出来なかったり、とても感動したのに、その感動を表現するピッタリな言葉が見つけられなかったり、書いていてじれったくなることは、しばしばあるのです。そんなときのためのヒントを、一つだけ、みなさんにお教えしておきましょう。
 「ピッタリの言葉」を探すのを、やめるのです。
 あーでもない、こーでもない...と考えて、結局言葉がでてこずに文章に出来ない...(中略) だからもう開き直って、「あーではなく、こーでもないが...」と文章にしてしまいます。
 例えば、映画で見た俳優さんの「何とも言えない表情」がすごく良かった...というのを言葉で表現したいけど、ピッタリくる表現が見つからない場合。「何とも言えない表情」と書いただけでは、読者には何がなんだか分かりません。でも、例えば、「悲しむでもなく、諦めるでもなく、ただじっと見つめるその表情が、何とも言えず良かった」と書けば、少しは読者にもイメージが伝わるでしょう。
 言葉は、そのものズバリを直接に表現するだけではなく、「こうではない何か」「そうではない何か」を、間接的にイメージさせることも出来るのです。線で囲った内側を示すのではなく、塗り残しの余白を示すように、言葉を使うことも出来るはずです』


 このみっつを取り入れたとき、僕は「表現することなんか出来やしない」と思っていたことが、表現できるようになりました。それはちょうど今日アップした「アスワンの王子 凶都の8」で見事実現しています。(見事と思っているのは僕だけかもしれませんが)
 何が表現したかったか。実はつい先日、「押尾コータロー」さんのライブに行ってきました。ギターのインストのライブです。ギター1本でオーケストラを表現する男、というのは僕が押尾さんにつけたキャッチコピーですが、この凄い演奏をなんとか文章として伝えたいと思ったのです。どう凄いのかを、僕なりに色々書いてみたりもしました。例えば、「戦場のメリークリスマスというピアノの連弾の曲を、ギター1本で演奏する」とか。しかし、どうもしっくりこないんです。なぜか? 戦場のメリークリスマスを知らなければ、話にならないからなんです。
 おりしも、アスワンの王子では新キャラ登場を予告しています。なら、この新キャラに新しい楽器を持たせて、この世界を表現してやろう。というか、ちょっと順序が逆なんですが、らら美さんの文章講座を読んで「これなら押尾さんのギターを描写できるんじゃないか?」と思ったので、アスワンの新キャラにそれをたくしてみたわけなのです。
 擬音語や擬態語を使いまくりました。こんなものを多用するからジュニア小説はバカにされるのだ、なんて思っていましたが、作品世界を広げるのに他人の批評なんて構っちゃいられません。
 同じ言葉の繰り返しを避けるのに頭を悩ますくらいなら、じゃんじゃん同じ言葉を使って、その後のことに工夫を凝らせば良いんです。
 ピッタリの言葉が思いつかないのなら、あーでもない、こーでもないと書き散らし、読者も一緒に核心の周囲をぐるぐる回る楽しさを味わってもらえればいいのです。小説はエンタテイメントであってマニュアル本じゃないんですから、言葉世界に遊んだらイイじゃないの。

 そうそう、他にこの講座で「あ!」と感じたのは、「起承転結」の解説です。小説や文章の書き方について解説した本にはおそらく必ず出てくるでしょうけれど、実はこれがよくわかりません。何がわからなかったのか。「承の部分が作品全体の70%を占める」「クライマックスが近づくにつれて緊張感を張り詰めさせてゆく」という意味あいのことが「文芸ナイフ」には書かれているんです。(引用じゃなく、これは僕の解釈です。このへんをきちんと書いておかないと、らら美さんにも読者にもしつれいですので)。このふたつ貴重です。僕はこれだけで、「起承転結の秘密」を探り当てたような気になりました。また、「序破急」という言葉も、おそらく小学校か中学校の国語の時間に習ったきりさっぱりきかなかったんですが、ここには出てきています。「起承転結」について語り、「序破急」に触れていない文章教室なんて、あてにしない方がいいと思います。

 実際の押尾コータローさんのギターと、作品中に出てくる演奏とでは、ちょっと違います。あくまで僕の作品世界ですから、忠実に押尾さんの演奏を描写したわけではありません。けれど、この作品に出てくる奏法はほぼ実在するんだと思って頂いて間違いありません。凄いでしょう? しかも、書ききれていないんです。「どん、ばばばん!」という演奏もどこかでいれたかったんですが、どうしても無理で・・・。まあ、それは次回のお楽しみということにしておきましょう。
 ちなみに、次回の押尾さんのライブは12月25日、大阪三国ヶ丘のライブハウスFUZZです。開場7時、開演8時、前売2000円、当日2500円、前売ペア3500円。このほかに、ドリンク&フード1000円。こんな値段でこの方のライブが聴けるなんてきっと今だけですよ。あっという間に7000円クラスのアーティストになるはずです。悔しいことに沢田聖子さんのライブと重なってしまったので、僕は聖子さんの方に行きますが・・・。

  「長編小説(=綾綴人形)」に『アスワンの王子「凶都の8 サナとソワン2」』を掲載しました。


歯磨き  2000/11/21
 歯を磨いた。歯磨き粉の味が、おかしい。
 チューブを見る。白髪染めだった。我が家に白髪染めなどがあった記憶はないが、白髪染めだから仕方ない。
 歯磨き粉だと思っていたときは白く泡立っていたそれは、白髪染めだとわかった途端、どんどん黒くなってゆく。
 おかしい、なぜなんだ?
 そんなことを考えながら歯を磨いていると、歯はますます黒くなってゆく。
 今すぐ歯を磨くことをやめて口をゆすがなくてはならない。なのに、それが出来ない。歯磨きを止める。口をゆすぐ。そして、正しい歯磨き粉でもう一度磨く。それだけの動作を頭の中で考える。なのに、実行できない。
 口の中にはざらざらした感触が広がってゆく。

 夢シリーズ第二段。意味なし。


加藤さん  2000/11/21
 ・・・加藤さん・・・


  2000/11/19
 夢というのは、潜在意識にあるものだという。そりゃあそうだろう。自分で紡ぎ出すのが夢なのだから。
 この夢を、忘れないうちに記録しておいたら、人生何かの役に立つかもしれない。自分の深層心理を分析する、などという大袈裟なものではなくて、ちょっとしたヒント、という程度だ。
 最近しばらく「空を飛ぶ」夢を見なかったが、そろそろ見たいなあと思っていると、先日久しぶりに見た。
 正しくは鳥や飛行機のように「空を飛ぶ」のではなく、「ジャンプする」という感じ。歩くときよりもほんの少し力強く蹴り出せば、ポーンと空に舞いあがり、ゆっくりと上空で円弧を描いて、再び地面に立つ。どの程度の高さまで上がるのかというと、自由自在だ。商店街のアーケードの上ぐらいまでの時もあるし、高い山の頂きを見下ろすこともある。
 長距離を必要とするときは、空中で宙を蹴る。あるいは、泳ぐときのように手で空気を掻く。こうすると空をジャンプする僕の軌跡は円弧ではなくなる。やがてそれは重力にとらわれた「円弧」ではなく、自由移動に変わる。この場合も、鳥のように飛ぶのではない。自由にただ「浮遊する」という感じだ。
 電車の屋根と電線の間、のような精密な細かさで、自分の意思通りに浮遊することが出来る。しかし、なぜか、手を広げていたりしない。通常はあくまで立っている状態。そのままでは通過できないときだけ、体勢を変える。
 なぜこのような夢を見るのか、そして、夢の中で飛んだその先に何を目指しているのか、これらはさっぱりわからない。

 昨夜の夢はひどかった。仮面ライダー「グリーン」なるものが登場した。基本的な姿は仮面ライダーであるが、薄い緑色を基調とした格好をしている。そして、緑色のマントをなびかせている。右手には刷毛、左手には緑色のペンキが入った入れ物。悪とは戦わず、ひたすらにトイレの壁を緑色に塗って回る。
 落ち着いて用を足すことが出来ず(覗かれたのだ)、あきらめて個室の外に出ると、なんと数十人の仮面ライダー「グリーン」がいて、一生懸命トイレの壁を緑色に塗っている。

 さて。こんな夢を記録していて、本当に何かの役に立つのだろうか?


「神戸さくみ」さん捜索願い  2000/11/19
 「神戸さくみ」というマンガ家の方が、タイムスリップをテーマにした作品を描いていませんでしたでしょうか? ご存知でしたら教えてください。
 ・・・と、このようなメールを頂いた。僕は連載当時この作品を読んだことがあるのだが、残念ながらタイトルを覚えていない。しかも、おそらく単行本にもなっていないはずで、今から手に入れるのは至難の技であるが、とりあえず知っている限りの事を書いて返信したのである。
 少年キングで「9か月年上」(これがデビューではないだろうか?)と「龍一くんライブ」を連載。後者は雑誌の休刊(後に復活しているので文字通りの休刊だが、その後いよいよ本当に廃刊になった)のため連載打ち切りで未完。
 活躍誌上を少年ビッグコミック(これも廃刊になっている)に移して、読みきり中心に活躍。中でも、何度か行われた「一挙100ページ掲載読みきり」は評判が良く、僕も大好きだった。多感な少女が主人公の、透明感のあふれる青春物語。こののちに、このタイムスリップテーマの連載が始まったが、6回で終了。不人気による打切りだと想像している。
 なにしろテーマがわかりにくく難しい。頼るものが記憶しかないのだけれど、ひとつの「石」が二つに割れ、その片方を主人公が持っている。そして、もう片方の石に誘われるようにして時間移動を繰り返すのだ。で、失われた何者か(恋人だったか、家族だったか記憶に残っていない)を探すというか、なんかそんなストーリーだったと思う。
 今ならエヴァンゲリオンよろしく「なにがなんだかわからない」で人気が出たかもしれないが、その場では解決にいたらない謎が多かった。多分、もとの構想としてはスケール壮大なもので、それなりの長期連載をすれば作者の創り出した世界観を味わうことができただろうと思う。
 その後、神戸さんはビッグコミックスピリッツにややアダルトな作品を連載。「龍一くんライブ」で思春期の男の子の完全燃焼ストーリーを読まされているだけに、スピリッツに連載された「大人の女」とそれに近づこうとして近づききれない「男」と「少年」の間にある主人公の葛藤が、僕にはどうしても中途半端なものに思われて、納得しずらかった。
 さらに活躍の場をレディコミに移すが、レディコミ自体がまだ「超過激」に到達しておらず、やはり中途半端。神戸作品とのお付き合いは終わることになる。現在、どこかで活躍されているのか、それともされていないのか、わからない。少女マンガは平気で買うけれど、レディコミはさすがに躊躇するのだ。たまに買っても、エロビデオのやってるシーンだけを取り上げたような作品が必ずあり、しらけてしまったりもする。
 ま、僕の評はともかく、知っている限りの情報を記してメールを返信した。すると、すぐに感謝のメールが帰ってきた。ヤフーの提示版にも書きこんだが思ったほどの情報が得られなかったので、ここまでの情報がもらえるなんて、ということなのだそうだ。
 メールの主は、当時この作品を少年ビッグコミックから切り離して保存していたが、紛失したらしい。なんとかもう一度読みたいが、掲載誌を持っている人はいないだろうか、というのがもともと僕への質問の根っこにあったようだ。
 そこで。
 どなたか、掲載当時の少年ビッグコミックを持っておられたら、彼女に貸してあげていただけませんでしょうか?
 かなり古いことなので、もし持っている方がおられたら、よほど大切に保存されているに違いないし、当時の少年ビッグコミックがあるというだけで、とてつもない貴重品であることは理解できる。なので、彼女のメルアドをここで発表して、当人同士で連絡を取り合ってもらった方がいいだろうと僕は思っているが、現在、メルアドを公開しても良いかどうか問い合わせ中である。とりあえず、現状では、僕宛てにメールを下さい。


とんでもねえ  2000/11/18
 一昨日、つまり16日の話しなのだけど、駐車場をジャックされた。
 この日、僕は仕事が休みで、夜はコンサートに行く予定だった。で、駅近くまで車で行き、駐車場に入れようとしたら、誰かの車が止まっているのである。
 月極契約をした駐車場で、使用者の名前まで書いてある駐車場に、誰かが勝手に車を止めているなんてことをいったい誰が想像するだろう?
 といいつつ、実はこれが2度目である。前回はからくも駐車場を後にする人影にクラクションを鳴らし、幸いその人影が犯人だったので事無きを得たが、今回はそれらしき人物はいない。
 さて、どうしたものか。
 管理人の家がすぐ横にあるのはわかっている。もともとは布団屋で、仕事場兼用の自宅であるから結構大きいのだが、数年前に駐車料金の怒涛の値上げにより生計を立てることを決意したらしく、我々借り主はソレ以来苦しめられているが、地主はのほほんと生活しているらしい。もと仕事場だった所は薄暗い電灯がついているだけで、誰もいない。クラクションを鳴らしても出てこない。
 無断駐車の車の前に自分の車を止めて進退きわまらせてやろうかとも思ったが、それでは通路をふさぐことになり他の車の迷惑だ。男手の4〜5人もあれば持ち上げて道路に放り出すことも出来るだろうが、一人では無理。しかし、ひっくり返すことは出来るかもしれないなと考える。しかし、これも隣や後ろの車に危害が及ぶ。
 ボディーに尖った石で傷をつける。パンクさせる。フロントガラスを叩き割る。火をつける。ペンキで落書きをする。うーん、どれもこれも犯罪である。出るとこに出たらこっちが不利になる。
 ちくしょう、腹立つなあ。
 管理人の自家用車用のスペースが空いているので、そこに車を入れて、「誰かが自分のスペースに無断駐車をしているのでココに止める。無断駐車している車の番号は・・・・・・・である。責任の所在を明確にして欲しい」と、メモに書きつけ、フロントガラスに貼りつけた。
 もちろん件の車にも、「勝手に止めるな」「迷惑だ」などと書いたメモを貼りつけておく。これがB6サイズのメモ用紙なのが悔しい。せめてA4サイズならインパクトがあったのにと思う。A全サイズならなおいいが、そんな紙を持ち歩いているわけもない。せめてもと、フロントとリアの両方のワイパーに挟み、されに運転席のウインドウにねじ込んでおく。
 どう見ても「ヤバ系」の車ではなかったので、「ナンバープレートは控えた。電話をしてこい。話をつけよう」と、名前と電話番号も書いたが、風で飛んだりして無関係の人が拾ったりすると何に使われるかわからないので、やはりやめた。
 コンサートを終えて駐車場に戻ったのが11時頃。例の車はなくなっており、3枚貼りつけたメモのうち1枚が地面に残っていた。多分、運転席ウインドウにねじ込んだヤツが落ちたのだろう。今から思えば、ラジオのアンテナに突き刺しておけば良かった。お詫びのメモくらい借主の名前を示すネームプレートに貼りつけておけば良いのに、何もない。
 自分の車につけておいたメモもそのままである。管理人から詫びのメッセージもない。おそらく、自家用車のスペースに誰かが車を勝手に止めたことにすら気がついていないのだろう。
 そんなわけで、結局は全て僕の一人相撲であった。悪いことをするやつ、人に迷惑をかけるヤツが一番得をするように世の中はなっているのだと、改めて思い知った。やはりフロントガラスの一枚でも割っておくべきだった。


ねずみ講ネット  2000/11/12
 毎日のように「ネットねずみ講」のメールが届く。広告とかのDMなら別にうっとおしいとも思わないし、本物のDMに比べてはるかに邪魔にならないし、捨ててもゴミにならないから、郵便物DMより望ましいくらいだ。けれど、ねずみ講ばかりはゴメンである。気分が悪い。
 調子のいいことを言って人を騙し、簡単に金儲けをしてやろうというようなヤツが、俺の元にDMなんぞしてくることが腹立たしいのだ。なめんなよ。
 システムはいたって簡単である。いくつかの系統があるが、ひとつを紹介する。メールには、4人の銀行口座が書いてある。その全員に1000円ずつ送金しろ、となっている。そして、一番目の人の銀行口座を削除し、2番目の人のそれを1番目に繰り上げ、3番目を2番目に・・・、というふうにして、最後の4番目にあらたに自分の銀行口座を書いて、それを新たなメールとしてばら撒くのである。
 自分が10人を勧誘し、自分の下に付いた者がまたそれぞれ10人を勧誘し・・・と、続けていくと、自分が一番上に来る頃には、10×10×10×10=1万人になる。そこから1000円ずつ入ってくるので、1000万円になる! とこのような内容である。
 3000円を3人に送るタイプのものも出まわっているし、MLM何ぞと称して、レポートを買うという形式で「商品」を介在させ、ねずみ講ではないように見せかけている悪質なものもある。
 日本の法律ではこれは実は「ねずみ講」とは言えないらしい。なぜなら、元締めが存在せず、一箇所にお金が無限に集まってくる「無限連鎖講」ではないからだ。上の人が順次抜けるので、法的には問題ない、ということになるのだ。しかし、法律に反してなければ何をやってもいいのか? 俺は「恥を知れ」といいたい。こんなものがまかり通る世の中を情けなく思う。が、こんなものは実はまかり通らない。
 これらに携わった人全てに制裁を加えてやりたいと思うが、オンラインを使ったリンチ的なことを行えば、同じ穴の狢である。いや、やつら以下の人間に成り下がってしまうだろう。そうではなく、社会的に制裁を加える方法はないものか、と思う。
 いずれチェーンメール(受け取った人が何人もの人に対して同様のメールを次から次へと出すことで成り立っているから、これは明らかにチェーンメールである)に対する規正法はそう遠くない将来に成立するだろうし、ねずみ講を禁止する法律だって、裁判になれば、条文をどのように裁判官が運用し、どんな判例が出るかなど実際はわからない。上の人が順次抜けたからといっても、それぞれの段階で一番上の人は「元締め」なのだから、ねずみ講である、という解釈だって成り立つはずだ。
 そんなわけで、手元に届いたその手のメールは全てフロッピーディスクに落として保管してある。(ハードディスクからは消してるけど)なにかの折に「証拠」として提出する用意はいつでもある。銀行口座が書いてあるから、個人を特定することは簡単にできる。だから痛い目にあいたくなかったら、俺のところにはそのようなメールをよこさないことだ。こういうメールに腹立たしさを覚えている人は、同様に記録を残しておこう。そのうち復讐できるだろう。

 ところで、こんなもので金など稼げるはずがないということを、ここで立証しよう。先の4人に1000円づつ送る、という例を使って説明する。
 自分のところにメールが届いた段階で、既に自分より上に、4人がいることになる。そして、自分がメールを出し、それが次々連鎖して、やがて自分がトップになったとしよう。
 そのときの、計算式は、こうである。
 10人×10人×10人×10人×10人×10人×10人×10人=1億人!
 こんなことが実際に世間でまかり通っていたら、ネット回線はこのメールだけでパンクしてしまい、銀行は毎日、1000円を振りこむ人で長蛇の列ができ、それどころかやはりシステムがパンクするだろう。
 おまけに、メールによってはご丁寧に成功率が0.3〜0.5%であると書いてある。多く見積もった0.5%で計算するとして、自分が序列のトップに来るためには、どれだけメールが流れなくてはならないか?
 10人づつを勧誘しようとすれば、送ったメールの総数の0.5%が10人なのだから、2000人に送らないといけない。二千人×二千人×二千人×二千人=16兆人である。
 地球の人口を考えれば、こんなことはありえないのである。つまり、このねずみ講は成り立たないのだ。実際はほとんどの人がこんなもの無視しているのだけれど、100%の人がこれを信用して行動すればどうなるか? 毎日山のようなメールが届き、そして、とてつもない数の振込みをしなくてはならない。同時に、自分のところにも山のようにお金が届くだろう。つまり、1000円がぐるぐる回っているだけで、得をするのは銀行だけである。


なんでも解決110番  2000/11/12
 先日、このコーナーで、購入したマンガのタイトルをいつくか書いた。全ての作品の作者がわかった方はメールを下さい、と記述したら、「ひとつだけわかりませ〜ん」という反応がBBSにひとつだけカキコされたのである。
 そこで、本日はその答え合わせ。「わかりませ〜ん」とカキコしてくれたのは常連さんの「きむち」さん。わからなかった作品は「なんでも解決110番」という作品である。正しい表記は「なんでも解決!? 110番」のようだ。
 この作品は、主人公の日本橋が、隣に住む憧れのお姉さんに「結婚する人の職業はなにがいいか?」と質問したのがきっかけで、お姉さんが「警察官」とこたえたものだから、警察官になったという所からはじまる。
 おどろいたことに主人公は大学を卒業してT種国家公務員試験に合格したキャリア。警部補(見習)として南町交番に配属される。交番勤務のおまわりさんだから、刑事じゃない。つまり、事件の捜査などはしない。にもかかわらず、あれやこれやの事件に巻き込まれてしまうのだ。
 事件の組みたてはきちんとしているけれど、基本的にはドタバタコメディ。日本橋のお父さんは大学教授。そのお父さんがエボラ出血熱のウイルスをどこかに置き忘れてしまう。ネコのスプラッタな死体を掃除させられる。木にひっかかったものを取ろうとして木に登り、枝が折れて落っこち、その下にいた同僚にドスン。たまたま唇同士が触れ合ってしまい、「ホモのおまわり」なんぞと近所に噂される。などなど。
 交番には警察マニアの女装した男の子(これがかわいい。どうみたって女の子だね。ミニスカートにブラウスにセーター、サラサラのロングヘアー、ルーズソックス・・・なんて具合です)がストーリーを引っ掻き回したり、警察犬を引退した大きなシェパードが登場したりと、まあ作者の趣味が出てること出てること。そのあたりは作者さんご本人のホームページをご覧頂きたい。「ヤオイ」小説や、「お座敷シェパードぽちこ」との触れ合いなどなどが記されております。
 そんなわけで、作者は服部あゆみ先生です。
 クセがなさそうで実はさりげなくクセのある絵(キャラクター)が好きで、コバルト文庫の「星子ひとり旅シリーズ」に挿絵を書かれていた頃から、いいなあ、と思っていました。長編連載をする漫画家さんとして活躍されていると知ったのは、服部先生が「パワフルオンライン作家リング」に加盟してくださったからなのであります。
  「僕たち初心者ホームページ作成講座」で11人目の卒業生が名乗りをあげました。
  「あなたはだあれ」で人事異動。新委員さん二人入会。
  「長編小説=綾綴人形」で「風の予感」の「スーベニール『未来の子供達のために』(9)」を掲載。
  「長編小説=綾綴人形」で「毎日が夢気分」の「ボーイズラブ(4)」を掲載(これだけ11/08)。



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