「わお〜」な想い



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ひげそり  2000/09/22
 朝の商店街。一軒の店から電気カミソリの音が聞こえてくる。覗くと、店主が開店準備をしながら髭をそっている。
 開店準備と言っても、とっくに開店時間はすぎており、シャッターは開いているのだ。
 こういうシーンを目撃すると、多くの人は「店を開ける前に、身だしなみを整え、店の準備も完璧にしておけ。客を迎えるべき店で髭をそるっているとは何事だ」なんて怒る人が多いだろう。
 でも、僕は好きだ。のんびりしていて、人間らしくて、ルーズでアバウト。なんとなく暖かい気がする。開店してから店主が髭を剃っているような店は、きっと店を閉める時間だって適当だろうし、閉まりかけの店に飛びこんだって気持ち良く対応してくれるだろう。
 マニュアルづけのショップだと、こうはいかない。全てにおいてきちんとしているかもしれないが、閉店時に飛びこもうものなら、きっとマニュアルにもとずいた「断り方」で対応されるに違いない。


  2000/09/22
 浴室から脱衣室へ、1人のおっさんが出てくる。扉は開けっぱなしだ。いい大人が自分で開けた扉を閉めることさえ出来ない。
 それを苦々しげな顔で見ているもう一人のおっさん。脱衣所の長いすに座ったまま、去っていくおっさんを目で追う。
 その後、何人かが出入りしたが、扉を閉める人はいない。誰も気がつかないのか、わかっていて自らそんなことをしたくないのか、まあいいやとでも思っているのか。
 ついに、長いすに座っていたおっさんが立ちあがった。まったく、どいつもこいつも、扉を閉めることすら出来ないのか、というような怒りの感情を抱いているようだった。扉を力をこめて閉めた。扉はいったん締まって、反動でバーンと開いた。おっさんは知らん顔でその場を去った。
 おまえも、そのへんの礼儀知らずとかわらねえよ。扉はゆっくりしずかに最後まで閉めてくれよな。


オリンピック  2000/09/18
 うーん、オリンピックねえ。なんだかもうどうでもいいような気がする。
 いや、こういうと誤解を招くよね。確かに僕はテレビ中継を見て、楽しんでいるし、そのことについて誰かと語り合ったりもする。ただ、それはオリンピックだからではなくて、それぞれの競技においてとても優秀な選手が戦うからなのだ。それがオリンピックである必要は無い。
 世界的なスポーツの祭典。それではいけないの? というか、「オリンピック」という単語や概念に含まれるうさんくささが、どうも好きになれないんだなあ。選手や競技が嫌いなわけじゃない。それは素晴らしいと思うよ。頂点を極めようとしているスポーツ選手達を冒涜する気なんてサラサラないんだ。けど、オリンピックって、選手達を冒涜していないか?
 ま、こういう大会は、大きくなればなるほど、そういうもんだろうな。地元の秋祭りの「飛び入り参加」が認められた「すもう大会」のような純粋さは決して無いだろう。

 だから、「選手にコンドーム支給」なんてバカなことが起こるんだろう。「必要なら自分で買え」

 「参加することに意義がある」なんて言われたのも今は昔。「メダルがとれなくても、オリンピック選手に選ばれたことがそもそもすごいことなんだ」とか、そういう意味なんだろうけれど、「選ばれる」ことはちっとも偉くないと思う。特にスポーツ選手にとって。「勝ちとって」こそ価値あるよなあ。
 それに、オリンピックぐらい、エントリーすれば誰でも参加できたらいいのに、と思う。つまり、「アジア予選」の「日本予選」の「関西予選」の「大阪予選」とかあっていいんじゃないの? それで、誰でも参加できるし、最底辺の予選であってもそれは「オリンピック」なのよ。変に「オリンピックの選考会をかねた大会」みたいな考え方や運用をするからもめるんだと思うよ。これだと従来の方式なら絶対出場できた選手が、当日怪我とか体調不良とかで予選落ちするかもしれないけれど、それは仕方ないじゃない。「この選手ならメダルの可能性があるのに、予選なんてものがあったために、そして、その予選でリタイアしてしまったために、日本はメダルがとれなかった」なんて考えたら、そこでもう純粋さが無くなるのよね。
 予選だって、オリンピック。一般市民も参加できて、参加することに意義がある。これでいいじゃないの?

 もうひとつ、気に入らないことがある。それは、「パラリンピック」
 どうして、名前や日程を変えてやるのかなあ? 身体障害者に関する色々なことに、僕は造詣が深くないから、見当違いなことを言っているかもしれないけれど、「パラリンピック」というものの存在が差別だと感じているんだ。
 健常者(という言い方は好きじゃないが、ほかにどう言ったらいいのかわからないので便宜上使う)と障害者が競い合う、というのは、無茶な話だと思うけれど、例えば、柔道に何キロ級ってわかれているのと同じレベルで、健常者が100メートル走をして、その前か後か、どっちでもいいけれど、「オリンピック陸上競技100メートル走車椅子部門」をやればいいと思う。
 そりゃあ、大会運営は大変になるよ。コースの設営から、ボランティアの配置から、何から何まで二通り以上のものを常に考えないといけないからね。会期だって長くなるし、選手村だって大変だ。でも、オリンピックだからこそ、それをやるべきだと思うなあ。そうでないと、身体障害者は「オリンピックに参加できない」ということになるよね。

 ま、そんなわけで、僕は「スポーツの祭典」のひとつとしてしか見ていない。

 ちなみに、大阪市がオリンピック招致だのなんだの言ってるけれど、市民はどう感じているんだろう? 僕は、警備が厳しくなったり交通制限が行われたりして、流通や経済の流れが悪くなって、地域的には不景気になると思ってる。(日本全体では景気は良くなるだろうけれど、日本全体を分母としたらそれはとてつもなく大きいから、オリンピック効果なんてなきに等しいと思うなあ)
 長野オリンピックのときは、交通規制で車が来なくなりガソリンスタンドが打撃を受けたとか、どうせ宿なんて取れないだろうとスキーヤーが別の地区へ行ったので民宿は閑古鳥が鳴いたとか、そんな話しか聞かないし。


メール  2000/09/17
 今日は20通ぐらいメールを書いた。(いつもはこんなに書けない)
 ジオシティーズのコミュニティーリーダーというのをしているんだけど、サイトの巡回訪問が時間的に苦しくなり、気持ち的にも余裕が無くなってきたので、「半休会」状態なのだ。ジオさんのご好意で、「巡回できなくても質問メールに答えてくれれば当分はそれでいい」と言ってくださったので、甘えている。
 最近はめっきり質問が減った(というより、なかった)のだけれど、今日はなぜか3通も来たんだよね。不思議だなあ。僕のお答えで理解頂けました? だったら嬉しいんだけど。


ミレニアム大賞  2000/09/17
 小学館の「ビッグコミックスピリッツ」誌上で「ミレニアム大賞」というのを募集している。マンガとマンガ原作を同等に審査するとか、大賞賞金が1000万円とか、色々画期的である。
 5回連載を想定した募集で、原作の場合、原稿用紙にして第1話分が35枚、第2話分が15枚、3〜5話分は2枚程度のプロットという形で応募する。全て完成原稿で応募するなら100枚程度の中篇になるからちょっと大変だけど、完成原稿とプロットを含めて50枚ちょっとなら「書く作業」はたいしたことはない。その分、ストーリーを練りこめるのでありがたい。
 締め切りは9月30日。
 この賞の募集が始まったときは是非応募したいなと思っていたのだが、イマイチ、ピンとくるストーリーが出てこない。締め切りまで2ヶ月を切った時点で実は諦めていた。でも不思議なもので、一昨日突然ストーリーが沸いて出てきた。350枚の賞(落選したけど)も一月で書いたことを思えば、まだ間に合う。通勤電車の中や夜寝る前にちょこちょこと書いていたら、第1話が完成してしまった。
 マンガの場合は、1話40ページ、2話20ページ、あとはプロットという形なので、60枚の原稿が必要になるから、締め切りまで半月を切った状態でサラリーマンをしながら投稿するなんてとても無理だろう。申し訳ない。(って、すっかり入賞する気でいたりする)
 ま、落ちたら、手直しして「綾綴人形」で連載するつもりなので、無駄にはならないし。

 そういえば、以前、「賞に落ちたら綾綴人形に掲載する」と告白したら、「ただで読めるから落ちて欲しい」などと言われたっけ。そう言われて不思議と嬉しかったりした。「キミの作品なら、落選したものでも読みたいんだよ」そう言われているようで。(なので、綾綴人形で現在発表している。改作して連載ものに組み込んだから、どれかはわからないと思う。勝手に想像してね。オンライン小説の中には、「○○に投稿して落選した作品です」って、堂々と書いてあるのもあるけど、落選したものを改作もせずにそのまま掲載する勇気は僕にはないのだ)
 まあ、でも、今のところ、一応入選を祈ってくれ。

 ま、そんなわけで、少しHPの更新のペースが落ちます。ごめんね。(それにしても、連載を前提にして書くのって楽しいね。応募要項には「長編でも5話で一区切りつけること」とあり、長期連載を前提にした世界観を構築してもいい、って受け取れるし)
 ところで、もし入選したら、原作の場合、マンガ家を指定できるんだろうか? 出来ると嬉しいな。実は、矢野健太郎先生の絵を思い浮かべながら書いている。


判断  2000/09/13
 なんか、難しい。
 報告を受けて、自分で判断して、それに基づいて指示する。それをまた上に報告して、判断を仰いで、指示される。
 もうなんかどうでもいいや、って感じ。要するに、面倒くさいだけなんだけど。
 自分で即決できること、やりたいなあ。「アスワンの王子」に登場する旅芸人の一座の1人に、ちょっと代弁させているけれども、気がついてくれた?


渋滞  2000/09/12
 会社に忘れ物を取りに行った。(休日だったのに)。Aというルートを使うとなぜか思わぬところで渋滞していた。六甲の有料道路と阪神高速湾岸線の中間で神戸市内を走るのだが提示がおかしく道に迷った。それでも1時間半。電車なら片道2時間半かかる。これなら晴天で(雨だった)普通に走れれば1時間だなと思った。
 反対車線が混んでいたので、帰りは往路とは異なるBというルートを使った。また渋滞した。阪神高速の堺線の急カーブと、環状線の激しい合流地点の2箇所である。これは予想範囲内だったが、ラジオで「交通集中の自然渋滞」などと放送している。常に気になっていたのだが、「交通集中の自然渋滞」なんてのはこの世にほとんどない。たいていが「道路設計ミスにより走行車が必要以上のスピードダウンを余儀なくさせられて後続車に影響が出た」というのが正しいのである。のんきに交通情報を報道機関に流している暇があったら、道路改修したらどう?
 ま、いずれにしても、渋滞が減って無駄な燃料消費が減ると、税金収入が減るから、あまり手をつけないんだろうなあ。おい、生瀬橋(国道176)、いつになったら完成するねん。(怒り)
 しかも、空港線で事故。「渋滞1キロ」という情報も間違っていて、実際は5キロぐらいだったろうか。ワゴン車が横転して横向きに追い越し車線をふさいでいる。その手前によけきれずに巻き込まれたらしい乗用車が一台。よく1台で済んだなと思った。(あ、12日付で書いているけれど、アップするのは12日になってからだからそうしているのであって、これは11日の出来事だからね。)
 何があったか知らないが、こんな大雨の日にどうせ無茶な運転をしたんだろう。迷惑この上ない。延々渋滞で待たされた挙句、事故現場の横を通りすぎるときには、窓を開けて罵声を浴びせ反省を促すとともに、悪化した精神状態をいくばくかでも解消することにしているが、この状態で当事者が現場に残っているとは思えず、それらしき人も発見できなかったので、やめた。
 2車線が1車線に合流するときは「ファスナー合流」が推奨されている。どちらの車線からも仲良く1台ずつ交互に進入しなさい、というものだが、これもどうだろう? そういう道路ならともかく、こんな事故のときは、片方をしばらく止めて、スイスイと20〜30台づつ行かせたほうが単位時間あたりの交通量は増やせるんじゃないのか? このための交通整理に誰かが立つべきだろう。
 それにしても、このために失った時間や燃料、そして精神的な苦痛に対する慰謝料など、当事者は払ってくれるのだろうか? 是非払って欲しい。飛行機に乗り遅れた人には、航空券代も払わねばなるまい。取引を不意にした人や会社にも弁償すべきだ。行政処分も刑事処分もしてくれなくていいから、金払わせろ!

 で、そのあと。道路はスイスイ走れるのだけれど、さっき悲惨な事故現場を目撃したばかり、その迷惑をこうむったばかりなのに、大雨の中を猛スピードでぶっ飛ばしていく車。おまえ、あほか。喉もと過ぎれば熱さ忘れるにもほどがある。頼むから、俺の後ろで事故ってくれ。

 「綾綴人形」更新。「風の予感」第4話の(5)と(6)です。「あなたはだあれ?」も更新。

 綾綴人形の一部コンテンツを徐々に移動させつつあるのだけれど、そこにバナー広告付けているのよね。ワンクリック15円。今月に入ってからだし、まだその作業の出来たページはわずかだけれど、収入150円とは情けない。


4コママンガ  2000/09/10
 イヤな4コママンガを新聞で見た。
 ひとこまめ。若い人のようにシャツの裾をズボンに入れるべきか、それとも外に出すべきか、中年のおじさんが悩んでいる。
 ふたこまめ。「私は昔から裾だしですよ」と、もうひとりのおじさんが登場する。
 さんこまめ。バックに散髪屋が描かれており、昔から裾だしのおじさんは、散髪屋さんだったことがわかる。
 よんこまめ。中年のおじさんと散髪屋のおじさんが、静かに微笑んでいる。

 この4コマ目がいやだ。いかにもほのぼのと微笑を浮かべる中年男二人が不自然で不気味である。読者をほのぼのとした気持ちへ誘導しようとしたために、マンガの中に「ほのぼの」を描き、結果として不気味なものになっているのだ。
 お笑い芸人が笑いながらギャグを言ってはならない。まじめな顔をしておかしなことを言うから面白いのだ。マンガもこれと同じで、読者は読み終えて「ほのぼの」した気持ちになれば良いのであって、マンガの中にそれを表現してはならない。
 「さあ、あなたはこれを読んでほのぼのした気持ちになりなさい」と強制されて、愉快なものか。
 こんな失敗作を描いて、ギャラを取っているのだから、しょうがないなあと思う。テーマも悪い。
 モチーフは良い。だが、どうせなら、若者風俗に影響を受けつつある中年男に対して、「私はずっと自分のスタイルを通しているんですよ」と颯爽と散髪屋の親父を登場させ、自分のスタイルを守ることの尊さを語らせたらどうだ?
 これが「裾を出さない」人がそんなことを言っては単に「頑固親父」なのだが、若者風俗とは無関係にこの親父は裾を出してきたのである。「自分流」をとくにはもってこいのキャラクターである。
 ま、とにかく、気持ち悪かったな、このマンガ。

 「綾綴人形」更新。何を血迷ったか、「読書占い」なんてのを製作してしまった。監修はルネ・ヴァンダルイ・デタラメ。本当はネル(寝る)ヴァンダルイ(晩ダルイ)にしようかと思ったけれど、ここまでちがうと何のパロディかわからんようになるかもと思ってやめた。


  2000/09/06
 数日前から急に気温が下がった。そのせいだろう、近所の家の中の色々な音が聞こえてくる。クーラーを使わずに窓を開け放つようになったからだ。
 そして、おもむろに耳に届くげろの音。喉の奥から搾り出すような苦しげな音響が炸裂する。
 ちょうど深夜0時。真夜中の急病、ではなくて、おそらく呑みすぎた酔っ払いの所作であろう。
 というわけで、次の項目、「酔っ払い」に続くのだ。


酔っ払い  2000/09/06
 (1)夜の天王寺駅、環状線ホームでの出来事である。ホームの上の屋根を支える鉄骨の柱にもたれ、上半身をがっくりと落としながら、地面にベタリと座りこむ男。既に酩酊しており、自分で立ちあがることが出来ない。
 連れの男が後ろから両脇の下に手を差し込んで立たせようとする。酔っ払いの頬は膨らんでいて、口の端からはラーメンらしきものが一本垂れ下がっている。戻したものの外には吐き出さず、かろうじて吐瀉物を口の中におしとどめているのだ。「こんなところでゲロしちゃいかん。まわりに迷惑がかかる」と、かろうじて理性を保っているのだろう。
 だが、第2段が男を襲い、とうとう口の中には収容しきれなくなったらしい。ぱかっと開いた口からドシャドシャとホームの上に吐き出されるゲロ。何しろ2回分だ。あっという間に広がっていく。吐いちゃいかんと思うなら、第2段に襲われるまでに飲み込んでしまえばいいのに。

 (2)すし屋のカウンターにお好み焼きが広がった。普通のお好み焼きよりも材料ははるかに高級だが、残念ながら食べられない。

 (3)車道に座りこむ男。酔ってわけがわからなくなったのは自業自得とはいえ、放って置けない。通り掛かりの人と僕の二人がかりで担ぎ上げ、歩道まで引きずって行く。「危ないから、酔いが醒めるまでここに座ってじっとしていること」と言い渡すが、すぐに立ちあがって車道へ向かおうとする。車道に差し掛かったところでふらつき、その場に座りこむ。それをまた歩道までズルズルと引きずっていき、再び説得。「危ないから動いちゃダメだ」。しかし男はまた立ちあがる。
 さっき車道にいたときはぴくりとも動かなかったくせに、歩道に連れてくるとどうして車道へ行きたがるんだ? 死にたいのか?

 (4)電車の中でわめきちらす中年男。呂律が回らず、意味不明。・・・・でもないか。どうやら会社でリストラでも言い渡されたか。「なんで俺が」みたいなことを叫んでいる。まわりに若い人たちが何人もいるから、どうやら「リストラ社員の送別会」だったのかもしれない。若い人の1人が携帯電話で話している相手は、どうやら男の奥さんらしい。改札口まで迎えがどうとか言っている。酒飲む前に次の職探せよ。

 僕はこんな風には酔えない。ベロベロになるどころか、それより遥かに早く、二日酔いの症状にみまわれる。ほろ酔い程度でガツンガツン頭の芯に杭を打ち込まれるのだ。ヘベレケになれる人が羨ましい。顰蹙まで買いたいとは思わないけれど。


思いつき  2000/09/04
 動物占いがブレイクした。実は僕にはよく理解できない。
 占いにはいくつかの種類がある。「タロット」や「おみくじ」などのように、その場その場の「卦」で変化していくもの。全ては偶然の産物のようにも思えるが、どこかで何かの力がそこに働いていると考えれば、趣がある。
 「タロット」のように術者の「リーディング」技術に左右されるものと、「おみくじ」などのようにズバリ結果が書き記されているものとがある。これらは「動」の占いである。
 一方、「占星術」のように、なんらかの法則によって判断される占いもある。自分の星座は普遍であり、星の運行によって運勢を読み取るわけだから、これは「静」と「動」を組み合わせたものである。
 インターネットにはそのほかさまざまな占いがあって、「回転寿司占い」などは、自分がどの寿司をとるかによって占われるから、「動」である。嗜好があるといってもそのときの気分で選ぶ寿司は異なるだろうから、なんらかの作用がそこには働いていて、まさしくこれも占いであろう。
 しかし、動物占い。これはわからない。勝手に「くま」だの「ゾウ」だのと決められてしまい、かつそれは生年月日で固定している。なぜその生年月日がその動物なのだ? さらに「ライオン」とその占い結果の内容とにどんな必然性があってそれがむすびついているのだろう? 考案者が勝手なことを言ってるだけじゃないのか?
 そもそも、これは占いではない。まったく固定されているのだから、「姓名判断」のようなものである。本も一冊出ればそれでいいのであり、読者も一冊買えば十分である。
 ところが、世の中にはしたたかな人がいたもので、「やさしいライオン」だの「せっかちなパンダ」だの、より詳しい「動物占い」なるものが出版されている。

 さて。インターネット上にはさまざまな占いが氾濫している。これを批判する気は無い。まあ、一種の遊びである。そのページから娯楽を享受できればいいのであって、「ふん、馬鹿馬鹿しい」と思う人は最初からアクセスしなければそれでいい。
 このネット占い、実はアクセスも多い。そこで僕も、占いをはじめようと思いついた。現在作成中である。


みたらし団子  2000/09/02
 どこかの国では、「お願い、あなた、今日はその気になれないの」と拒否する妻を無理やり抱くと「レイプ」が成立するらしい。
 ところで、本日の夕食のデザートに食卓に上ったのが団子である。つぶあんをトッピングしたヨモギ団子とみたらしであった。
 そういえば「逆みたらし団子というのがあるんだよ」と、僕は言った。団子の中にみたらしが入っていて、手が汚れない。口に含んで噛むとはじめてみたらし団子の味覚が味わえる、というシロモノである。
 妻も母も「そんなものがあるものか。また作り話をして、ひっかけようとしている。そんなものがあるなら持って来てみろ」と、相手にしてくれない。
 じゃあ、あったらどうするんだよ、と僕が言うと、母は千円をやるという。妻は「うーん、どうしよう」と考え込んでいるので、「じゃあ、拒否権無し1回」と僕は提案、「あら、3回でいいわよ」
 さて、これで取引成立である。ちなみに拒否権とは、「今日はその気になれないの」の、ことである。
 逆みたらし団子は人様からもらったもので、どこで売っているのかすら判然としないが、こういうときのためのインターネットである。
 キーワードを「みたらし団子」と「手が汚れない」のふたつにして「グー」で検索すると、該当無し。あらためて「インフォシーク」で検索すると、何件かあった。そのうちのひとつに、「逆みたらし団子」があったのである。
 そのページへ行くと、製造元が宣伝のために作ったページではなく、「へんな食べ物」を紹介したジオシティーズの個人ページであった。そこには写真で詳細に紹介されている。パッケージ写真、パッケージを開けたところ、団子を包丁でカットして中の「みたらし」がトロリと流れ出すところ。
 「パッケージ写真があるのなら、そのパッケージに製造もとの住所や電話番号が書いてあるはずなのに、それがホームページに掲載されていないのは、この写真がやらせだからだ」と妻は往生際が悪い。多分作者はジオシティーズが商用を禁止しているので、製造もとの詳しい紹介を遠慮したのであろう。
 とにかく賭けは僕の勝ちである。「拒否権無し3回」を獲得した。母から本気で千円とろうとは思っていないが。

 それにしても、「あったらどうするんだよ」と言う僕に、なぜか母も妻も「なかったらどうするんだよ」とは訊かなかった。これでは本当は賭けが成立していないんだけどなあ。ま、いいか。拒否権3回だもんね。
 「でも、今日は勘弁してね」という妻に、「いいよ」と答える僕。拒否権成立してるじゃんか。

 「綾綴人形」更新。表紙ページをリニューアルして、新しい提示板を導入。さらに、パワフルオンライン作家リング一覧を更新。「綾綴人形」を「とらおランド」から切り離す計画は一歩も進んでいない。


身近なIT革命  2000/08/31〜09/01
 9月1日から、僕の入っているプロバイダが月2000円でつなぎ放題になる。どうやらテレビCMなどを見ていると、いくつかの大手プロバイダが同じ施策をとるようだ。これまでの制限時間が撤廃された上に、料金そのものが安くなるのだからめでたい。
 そんなわけで、いつもなら11時のテレホタイムスタートと同時につなぐのだけれど、今日だけ24時まで待つ。
 あとは電話料金だね。


おれってガキ  2000/08/30
 恥ずかしいので詳しいシチュエーションは省くけれど、往来で妻にキスを迫った。断られた。思わず「ケチ」と口走ってしまい、大後悔。


あ〜あ  2000/08/29
 職場から駅への道のり。約15分。ひとしずく、頬に水滴。空を見上げるといつのまにか雲が覆っている。
 やばいかな、一雨来るかな。そんなことを考えていると、ポツン、また、思い出した頃に、ポツン。このペースなら、なんとか駅までもってくれそうだ。
 と思ったのもつかの間、ドザアーっと雨が降ってきた。ひえええー。暑苦しいので雨に濡れるのは気持ちいいが、布のバックにはノートパソコンが入っている。これが濡れるのはまずい。
 僕を小走りに追い越していくスーツ姿のサラリーマン。彼も駅へ向かうのだろう。そして、その後からタクシーの空車。サラリーマンはとっさに手を上げてタクシーにかけこんだ。
 「駅へいかれるのですね? 割勘にしませんか?」
 声をかけようと思ったが、面倒くさくなってやめた。雨が降れば濡れればいい。傘を持っていないのだから仕方ない。タクシーに乗るなんて悪あがきは潔くない。そんなことを考えたのは、タクシーを見て咄嗟に乗車を決意したサラリーマンの機転がねたましかったのかもしれない。たった一言声をかけるだけでずぶぬれにならなくて済んだのに、見知らぬ人に声をかける勇気のなさを「面倒くさいから」と理屈をつけて、結局行動を起こさなかったことへの後悔かもしれない。
 サラリーマンを乗せたタクシーは走り去る。その直後、雨がやんだ。
 ま、そんなモンよね、世の中って。


「イヤ」といえる生活  2000/08/28
 養護学級の先生や知恵遅れの子供達のお世話をしているボランティアの方など、常にそういう子供達と接する立場にある人を除けば、僕は知恵遅れの子供達に接する機会が世間一般と比較して多いほうだと思う。
 ひとりの少年が大声で「ヤダヤダヤダ! ○○はヤダ! ○○もヤダ! ○○がいい!」と叫んでいる。福祉グループが主催している団体プログラムに参加しているわけだから、「ヤダ」といっても通らない。仲間達はみんなそのプログラムにそって行動している。
 だから、「ヤダ」と言いながら団体行動をボイコットしながらも、そこには自分しかおらず、「寂しい、寂しい。誰もいない」を連発する。(引率の大人はいるけれど)
 「知恵遅れ」とはイヤな言葉であるが、それはそれとして、知恵の遅れていない人は「イヤ」も「寂しい」もぐっと我慢しているんだろうなあ。わめいたところで少年の主張は認められるわけではなく、結局我慢しなくてはならないことに変わりはないのだけれど、感情を素直に表現できることは幸せなのかもしれないと思った。(もちろん、介護なしで社会生活に馴染めるかどうか、という観点は別である)


またバカ親  2000/08/28
 おい、こら! 鉄道少年よ。運転台に向かってストロボを焚いて写真を撮っちゃいかん!
 そんなことをしたら、運転士の視力がその瞬間に「0」になり、回復するまでの時間、電車は前方目視ができないまま走るんだぜ。
 と、思ったら、そばに小さな子供がいて、写真を撮ったのは少年などではなく、大人だった。多分その子の親だ。
 あのなあ。・・・・
 こういう大人を見て育った子供達は明らかに荒れるぜ。
 大人が善悪の判断を教えなくなったと言われて久しいけれど、とうとう善悪の判断までできなくなったんだね。


ダメ  2000/08/28
 「能力給」という制度をあちこちの会社が取り入れ始めた。
 個人の業績を評価してそれに応じた給与を支払う、といえばいかにも聞こえはいいけれど、実態は歩合制であり、自分の給与を確保するには数字としての実績を上げねばならず、会社が何も言ってこなくても過大なノルマが課せられたのと同等である。
 これが現代サラリーマンのストレスの一因になってきていると言う。
 おいおい、ちょっと待ってくれよ。少し前までサラリーマンは「会社は俺達の業績を正当に評価していない」とかなんとか言っていたんじゃないの?
 固定給に年功序列が気楽なら、大きなことを言わなければいいんだ。そもそも会社というのは労働者から搾取しなくては成り立たないんだから、そこんとこを理解しないとね。だって、自給自足の生活なら自分が食べる分だけを確保すればいいけれど、会社という組織を成り立たせるには労働者の稼ぎをピンハネしなきゃどうしようもないでしょう? その分組織に守られているんだからさ。
 こういう給与システムはダメ、ああいう給与システムもダメ、なんでもダメダメ言いながらストレスだけためているなんて、そういう人が一番「ダメ」なんです。


謝る  2000/08/28
 僕はサービス業に従事している。今日、お客様を怒らせてしまった。といっても、責任はない。責任とは、「自分達が原因であり、自分達が善処すれば対応できる」という意味である。では原因はどこにあるかというと、他のお客様なのだ。
 つまり、僕達サービスの提供者側がどう走りまわったところでクレームの解決が出来ないのである。
 そこでまあ、向こうにもご協力をお願いするようお伝えしますが、ここはどうかそれぞれの事情はおありでしょうから、お互いにご協力を頂いて、などなど適当なことを言いながら、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんと頭を下げておく。
 とにかく機嫌を直して帰ってもらわないとこちらの負けである。時々様子をうかがいながら声をかけ、そのたびに申し訳ありませんでした、と繰り返す。
 で、まあ、こちらがあまりにも恐縮していると相手の目にうつったのであろう。ある時点を境に相手の態度が変わった。それはこちらの誠意が伝わったとかそういう類のものではなく、大人気なく大声を張り上げて罵倒したことが恥ずかしくなったらしかった。
 なるほど、大人気ない態度をとり、相手がそれを受け入れてしまうと、人間とは恥ずかしくなってしまうものなのだ。下手に出るとつけ上がるタイプの人間もいるので誰にでもこの方法が使えるとは限らないけれど、「謝り倒す」というのは使える。

 なに、謝られたからと言って別に恐縮してくれなくてよい。こっちは商売であり雇われ人であるから頭を下げているのであって、自分がオーナーなら気に入らない客とは喧嘩したって構わない。というか、それ以前に能力の限界ギリギリまで客を入れたことで客同士迷惑をかけあうなんて事態は認めないね。だって、忙しくなっててんてこ舞いするのはイヤだから。
 ま、いずれにしても、プライベートでお付き合いなどしたいとは思わないから、安心してもらって構わんよ。あなたが人間として恥ずかしい行為をしたとかどうとか、そんな評価はしないから。

 リンクページ更新。「はっぴ〜亭」と「Hagi’s HomePage」です。長編小説「綾綴人形」更新。「アスワンの王子」で「凶都の4」です。「僕たち初心者ホームページ作成講座」更新。デッドリンク修正、「Hagi’s HomePage」を卒業生リンクに追加。

 そうそう、この新リンクサイトのWEBマスターお二人とBBSでリンクがどうこうとカキコしあっているのは、従来からWEBでのお付き合いのある方だからであって、はじめてのカキコでリンクの話題を出してくるのはルール違反だからね。


だらしない大人  2000/08/26
 野外バーベキューガーデンのすぐそばで子供たちがボール遊びをしている。そのボール、いつ、誰の食卓へ飛んでいくかわからない。そんな接近した状況。少し離れれば、安全な場所、他人に迷惑のかからない場所はいくらでもあるのに。
 保護者たちは子供たちを無視して酒を飲んで大騒ぎ。あなた達にとって子供とはなんですか?

 リンクページ更新。「Koyama Hideo net home」です。さわやかな感じです。長編小説「綾綴人形」更新。「寝台新幹線『みらい』殺人事件」の第三回です。

 頭痛持ちですぐにダウンしてしまうおいらもだらしない大人です。肩こりが原因かなあ?


負ける  2000/08/26
 人に思いを伝えるのは大変だ。「何度同じことをきくんだよ」「どうして真意を理解できないんだ」
 真剣に心配してくれている人にほど、想いが伝わらない。ものすごく簡単なことなのに。心がヘトヘトになる。あーもう、しんどい。
 口で伝えるのが下手だ。正しいと信じるなら、どんな反応をされようと、堂々と告げる、ただそれだけのことが出来ない。
 自分自身に負ける、なんていうけれど、負けてしまったらラクだろうなあ。
 あー、もう、どうでもいいや、とか思う。はいはい仰せの通りでございます、とやっておけば、疲れずに済むのだろうか?
 せめて文章を書く。


木の殿堂  2000/08/25
 家族旅行で「木の殿堂」なるところへ行った。城崎温泉に向かう途中で「木の殿堂」という道路標識を見つけ、予備知識はなかったが新聞でそういう施設がオープンしたと知っていたので立ち寄った。
 新聞には上空からの写真が掲載されていた。森の中に出来た円形の施設である。なぜ記事を読まなかったのか記憶にないのだけれど、とにかく記事を読んでいないからどういう施設なのかは行ってみないとわからない。
 工房があり木で作ったおもちゃやパズルが展示されていて実際に手に触れて遊べた。ただの博物館の類ではない。木や木造建築やアウトドアに関する文献も豊富である。完成させる自信もないくせに子供たちは木のジグソーパズルをひっくり返してしまう。「遊んだらきちんと片付けましょう」の注意にしたがって尻拭いをするのは僕だ。しかし、子供たちはあっという間にコツを覚えてつぎつぎ挑戦するのである。
 建物の作りが凝っている。円錐形の上部を切り取ったような形で、その中央にさらに噴水の中庭がある。通路や展示スペースは回廊状になっているが、不思議なことにその途中に出入り口がある。出てもどこへも行けない。目の前の入り口に入るだけ。要するに、外気に触れるための場所がある、ということだ。
 館内は土足はだめなのだが、その外に出た部分の床はコンクリート、そして裸足(またはスリッパ)で歩くためにじゅうたんが敷いてある。
 なるほど、と思った。この施設は著名な建築家アンドウタダオ(漢字がわかんねー)が設計したもので、建築家や設計屋にありがちな「マスタベーション」のたまものなのだ。
 兵庫県所有のこの施設、想像でしかないけれど、施主は「構想」だけを建築家に伝え、建築家は実際の運用を全く考慮せずに図面を引いた。
 床は美しい板張りで、施設の管理運営を任された現場スタッフが「土禁」を決めたのだろう。最初からそうだったのか、この美しい床を維持するために後にそう決定したのかはわからないけれど、現場スタッフが維持管理(ことに清掃)に頭を悩ませた挙句、土禁にしたのだと想像できる。
 そういう目で見ると、入り口付近の「すのこ」や下駄箱は、この美術的な建物にはそぐわない。設計者が意図しなかった備品なのだ。
 現場の意見や一般大衆の心理を無視した遊び心にあふれる設計は、施設の運営者にとっては迷惑この上なく、僕も散々困惑してきたのだが。
 遊び心にあふれた設計、大いに結構だが、同時に建築家や設計屋は、人の一般的な心理をもっと勉強し、実際に運営しやすい施設を作るように心がけて欲しい。アンドウ某はきっと言うだろう。「玄関に昔の小学校のようなすのこなど設置されたら台無しだ。利用者は入り口で靴など脱がない。え? 床が汚れる? 靴の泥をきちんと落として入館するように案内すればいいじゃないか」 そんなこといちいちやってられるか!

 僕の誤解だったらごめんなさい。でも、この使い方が最初から構想されたものだとしたら、玄関の靴箱とすのこはダサイです。外気に触れる場所に、とってつけたように絨毯が敷いてあるのも変です。あまりにもお粗末な設計です。

 「木の殿堂」スタッフのみなさん、とても楽しかったです。ありがとう。また行きます。施設管理ご苦労様です。


贅沢な悩み  2000/08/23
 「とらおランド」は改築工事中のはずなんだけど、ちっともすすまず。新コーナー「わお〜」だけ、快調に飛ばす。ま、いっか。


混沌  2000/08/23
 不法侵入者の対応に追われた。有刺鉄線で自分の指を傷つけながら大工仕事をして一日が終わった。
 俺が悪いのか? 俺がいったい何をしたって言うんだ。

 悪いのは犯罪者のほうだ。ここで言う「犯罪」とは、法を犯したもの、という意味ではない。常識や慣習や礼儀といったものまで包括し、ようするに「人に後ろ指さされるようなことをした輩」全てという意味だ。
 「犯罪」というと「前科○犯」とか「凶悪な」とかいうイメージがあるかもしれないが、そうではなくて、文字通り「罪」を「犯した」と解釈して欲しい。

 ホテルをはじめとした宿泊施設は常に「無断キャンセル(ノーショー=現れない)」の対応に苦慮している。悪いのは宿泊施設か? 違う。約束を守らなかった奴だ。そんな奴への対応は宿泊業の仕事ではない。快適・安全・清潔な一夜の宿を提供するのが仕事である。だが、現実に無断キャンセルがいる限りその対応をしなくてはならない。その経費は、約束を守ってやってくる正しい客の宿泊料金にリスクとして上乗せされている。
 駆け込み乗車するやつのためにどうして鉄道会社は安全対策を施さなくてはならない? 身体障害者のためのエレベーター設置よりも優先されるのはおかしい。閉まりかけたドアに足先を突っ込んで発車妨害をし、そのためにダイヤが乱れて、正しい乗客が迷惑する。
 500円玉を偽造する奴がいるから、一部の自動販売機で500円硬貨が使えなくなり、その対策のために多額の費用がつぎ込まれて新500円玉が作られ、その新500円玉は現在全く自動販売機やATMは対応していない。お金を偽造するやつのために市民は不自由を強いられている。

 まさしく「正直者がバカを見る」世の中だ。掟を守らなかったために村八分にされてしまう世の中はもはや存在しない。

 だったら、もういいんじゃないの? 好きなようにやり放題で。
 欲しいものは盗み、嫌いな奴は殺し、強いものは弱いものを無条件で従わせればいい。そんな世の中に未練はない。遠慮なく殺してくれ。
 俺は、一番正しいもの、すなわち一番弱いものとして、真っ先に殺されてあげよう。
 一度でも自らの力を行使して勝った者は、やがて「誰も殺さずに死んでいった者」を羨ましく思うだろう。だが、気がついたときにはもう遅い。既にそいつは人間ではない。獣だ。


アイディア  2000/08/23
 鉄道の話題だが、別にマニアックな話ではない。

 「大阪」と「関西空港」や「和歌山」を結ぶ快速列車に、「関空快速」「紀州路快速」というのがある。この列車は1+2の3列シートである。「広い座席」を目的とした特急のグリーン車とは異なり、「広い通路」と「広い立席スペース」確保のための措置である。
 じゃあ、極端に座席が少ないのだろうか? 計算してみると実はそうではない。
 山手線や大阪環状線をはじめとする、いわゆる「通勤型」といわれる車両の、中間車の座席数は一部例外があるけれど、次のようになっている。
 3人掛(ドア)7人掛(ドア)7人掛(ドア)7人掛(ドア)3人掛。
 これが通路を挟んで向かい合わせになっているので、1両に座席は54席ある。
 一方、関空快速/紀州路快速の中間車は
 片方が、4人ボックス(ドア)1人掛が6つ(ドア)1人掛が6つ(ドア)4人ボックス
 もう片方が、4人ボックス(ドア)2人掛が6つ(ドア)2人掛が6つ(ドア)4人ボックス
 1+2シートだが、車端部だけはボックス席になっている。
 つまり52席もあるのだ。

 そして、座席のない部分、つまり、通路や立席は明らかに関空快速/紀州路快速の方が広い。なぜかというと、通勤型タイプの車両はベンチシートに通路に向かって座るから、通路に着席者の足があるのだ。一方「関空/紀州路」快速は観光バスのように前向きに座るから、着席者の足は前の座席の下に入るため、通路に出ない。
 さらに言えば、通勤型タイプの「7人掛」に、実際に7人座るのは困難であるから、もし6人で利用すれば座席数そのものでも負けてしまう。
 「いや、あのロングシートは7人掛けと決まっている」と主張する人がいるかもしれない。だが、普通の体格の男がスーツを着て7人ズラリと座ったらどれだけ窮屈か、体験した者ならわかるだろう。京浜東北線の車内アナウンスで「長いシートは6人から7人掛けとなっています」というのを一度だけ聞いたことがあるが、常に7人を強要するのは無理だ。

 結論。贅沢に見えるあの「1+2」シートのほうが快適で合理的なのである。しかも立客にも都合がいい。つり革のほかに、シートの背もたれについている手すりを持つことも出来るからだ。
 世の通勤型車両は全て「関空/紀州路快速」タイプに取り替えるべきだ。ドアが3枚と少ないのがネックだが、停車時間を長くすればいいじゃないの。そんなに急いでどうする。


オンライン書店  2000/08/21
 オンライン書店の隆盛に従来の店舗型書店が危機感を強めている。オンライン書店には「紙の手触りの感覚」だの「インクのにおい」だの「店員との触れ合い」だのといったものが無いなどと主張して、従来の店舗型書店はその良さを再認識させようと必死である。
 そうか? 店舗型書店の良さって、そんなものか?
 オンラインの場合、フォームに入力して注文しカードで決済すれば確かに店員との触れ合いは無い。けれど、メールで問い合わせなどをすれば、おおむね店頭で質問するよりも丁寧な回答が返ってくる。メールの場合、忙しくない時間帯に自分のペースで問い合わせに応えられる上に、自分の知らないことなら調べてから返事が出来るというメリットがある。昔ながらの「手紙」のやりとりの良さなどもあるだろう。店頭で店員に対応してもらうよりずっと人間的な触れ合いをそこに感じる。
 では、オンライン書店有利かというと、そうではないと思う。店舗型書店のいいところはなんといっても立ち読みである。似たような本はたくさんある。その中のどれを購入するか、手にとって、一部のページをめくって、そして好みのものが選べる。これが最大のメリットだ。これを打ち出さない限り店舗型書店に勝ち目は無い。
 そして、もうひとつは、「展示即売」である。手にとって気に入った本をその場で購入して持ちかえることが出来る。オンラインではそうはいかない。注文から配達まで必ずタイムラグがある。
 しかし、本当のオンライン書店の怖さに、プロの書店主たちは気がついているのだろうか?
 それは、オンラインノベルである。(別にノベルでなくてもいいけれども、ここでは小説を取り上げる)。
 オンライン作家が執筆した小説は、インターネットに接続すれば、誰でも読める。作品紹介を読み、気に入ったらページをめくり、夢中になることもあるだろう。期待外れだったらさっさと別のページへ行けばいい。
 バナー広告で生計を立てるプロのオンライン作家が本格的に現れるのはそう遠い時代ではないだろう。
 出版社はオンライン作家に広告を斡旋して斡旋料をもらうとか、あるいは作品を出版社のページに広告と同時に表示させ、アクセス数に応じて作家に報酬を払うとか、そういうことを考え始めたほうがいい。さもないと広告代理店に先を越されてしまうだろう。あるいは、作家がクライアントと直接契約を結ぶこともあるだろう。
 え? 従来型の書店? そりゃあ、無くならないと思うね。だって、「本」という形、「印刷物」といういつでも手に取れるもの、そういうもののメリットはたくさんあるもの。オンライン小説をプリントアウトして、それを手元にファイルして保存しておくのって、けっこう億劫だと思うし。

 ところで、僕の小説に広告付けてください。


押すな! バカ野郎!!  2000/08/20
 僕の目の前には、腰の曲がった老婆が、電車をおりようとしているんだぞ。
 テメエからは俺の影になって老婆が見えないかもしれないが、なんでもかんでも押すんじゃねえ。
 急いでいるんなら、なぜ家をもっと早く出ない?
 テメエの都合だけで行動するんじゃねえ!


「もののけPRESENT」  2000/08/20
 みやさかたかし先生著作のマンガ「もののけPRESENT」2巻を読んだ。
 うーん、いいよねえ。メジャーな作家ではないけれど、固定ファンがいて新刊を待ち望んでいるのが良く理解できる。
 「もののけ」と言ってもホラーじゃない。SFとも言いにくい。あえて言えばファンタジーか。しかし、ありがちな剣と魔法の物語ではもちろん、ない。
 狐女(というには、可愛いすぎるけど)をメインキャラに据えたシリーズ読みきりものである。優しさや愛に満ちている。
 ストーリー展開は決して地味じゃない。けれど、読後感に「派手」さは感じない。むしろほのぼの感が漂っている。作家が(たとえ締め切りに追われていようとも)優しい気持ちで描き、読者がその気持ちをたっぷりと受け取るからだろう。
 「覚えていてくれたら、また会えるね」というのは作者自身もきっとものすごくお気に入りの台詞なんだろうと思うけれど、僕も大好きさ。
 この作品、きっとメジャー誌に掲載されれば大ヒットするんだろうなあ。
 作品の完成度について語れるほど僕は批評眼があるわけではないけれど、基本的にそれぞれの作品には出来・不出来は別として、どの程度の読者がこういうジャンルや作風やテーマを受け入れることが出来るか、というのがあると思う。「もののけPRESENT」はかなり多くの人に受け入れられる作品だと思う。
 ただし、それが随分と出版社の力に左右されるってのが、かなり悲しかったりする。


一緒に暮らそー!  2000/08/20
 11月に沢田聖子さんのニューシングル発売が決まった。タイトルは「一緒に暮らそー!」である。松下電工の「家の買い替え・リフォーム」のためのビデオに収録された歌。KBS京都テレビ「うわさの街WA!」という番組でコンビを組む立原啓介さんと沢田聖子さんの二人が、このビデオに出演している。
 もともとこの曲はCD化の予定は無かったらしい。けれど、新曲ということで、ライブなどではよく歌っている。
 僕はバンドバージョンも弾き語りバージョンもそれぞれライブで聴いたけれど、とても素敵な曲だ。
 歌詞カードが手元にあるわけではないので記憶だけを頼りに書くのだけれど、1番は、好きな人と結婚をして新しい家で一緒に暮らそうというもの、そして、2番は、結婚だけでなく、おじいちゃんもおばあちゃんもみんな一緒に暮らそうよ、というものである。
 僕が書くととても陳腐だけれど、メジャーコードミディアムテンポの明るくさわやかな曲で、耳ざわりが良く、しかもただ通りすぎるのではなく、しっかりと心に残る歌。愛する人と、家族と、大切な人と、みんな仲良く一緒に暮らそうよ、そんなメッセージがとても貴重で大切なものに思えるのは、現在が殺伐とした時代だから余計であろう。
 若い人が切キレたり荒れたりするのは、「男遊びの金欲しさに保険金をかけた自分の子供を殺し、さらに夫や子供にまで手をかけた」女がいるように、大人が無茶苦茶だからだ。全て大人が悪い。(もちろん、僕も含めてだ)
 仲良く一緒に暮らそうというメッセージは、善悪を見失った大人たちを少しでもいい方向へ向けてくれるだろう。
 あまり商業ベースに乗らず、どちらかといえばマイペースで納得の行く音楽を送り出してきた聖子さんだけれど、僕はこの歌だけは大ヒットして欲しいと願う。
 ゴールデンタイムに松下電工がメインスポンサーになり番組を制作、その中のCMで使われればまんざら見込みが無い事もなかろうと思うのだが、いかがだろう。
 ついでに番組のテーマソングになればもっといいけれどね。


心のままに  2000/08/19
 心のままに生きていくことが出来たら、いいなあ。
 だけど、いつのまにか、「心のままに」が見えなくなる。


誰のせい?  2000/08/18
 知人の知人、であるから直接面識は無いのだけれど、その人は警察官である。暴走族の取締りで追跡中に時速100キロで中央分離帯に激突、重体である。先日、2度目の手術を受けた。
 警察官の悪行がとり沙汰されているけれど、それはごく一部の人であって、多くの警察官がこうやって日々職務を遂行している。危険にさらされる職業はたくさんあるけれど、警察官というのもその一つだろう。
 事故を起こしたのは本人の運転技術が未熟だったのかもしれないし、他に何か原因があったのかもしれない。しかし、逃げたやつらがのうのうと生きているのだと思うと、納得できない。
 そんな形での取締りしか出来ないのだろうか?
 「盗聴法」のような、その犯罪とは全く無縁な人のプライバシーまで国家権力に知られる恐れのある間抜けな法律は成立するくせに、どうして現場の警察官の生命が守れないのか、と思ったりする。
 暴走族を追跡すると言うのは、いわば現行犯逮捕である。道交法に違反しているばかりか、無関係な一般市民を恐怖に陥れ、まかりまちがえば何らかの巻き添えを食う。そういうことへの取り締まりはもっと厳密でいいのではないか?
 特別に訓練された狙撃手を呼び、タイヤでも打ち抜いてやればいい。
 バイクは間違い無く横転するだろう。運転手も擦り傷程度ではすまないはずだ。
 だが、まじめに職務に取り組む警察官と、法を犯し迷惑行為をする輩と、どっちが怪我をするべきだろうか? こんな取締りが認められたら、世間が許さないだろうか?
 犯罪者が過度に保護されている点と、根は同じような気がするが。


修道院  2000/08/16
 あの時のショックは忘れない。おそらく今までの人生で一番の衝撃をうけた出来事だった。
 1998年、秋。僕はドイツのマールブロン修道院を訪れた。世界遺産に登録された建物である。ガイドの案内がないと中に入れないのだが、さらに僕達一行には通訳までついている。贅沢な旅である。
 建物はしっかりと管理されていたが、所詮は「遺産」。ガイドの説明と通訳がなければ、ただの「荘厳な古い建築物」で終わっていただろう。もちろん衝撃を受けることもなかったはずだ。
 ガイドはその建築物の歴史的な価値についてももちろん解説をしてくれたが、目がくらむほどのショックを受けたのは修道僧たちの生活だった。
 「会話をすることは禁じられていました。司教の話を聞くだけです」
 「お祈りは、午前2時から午後○時(聞き逃した!)まで一日8回」
 「いったん修道院に入ると出ることは出来ません」
 「庭師などここで働く者とは区画が分けられていますから、外部の者との接触はありません」
 全ては神に祈りをささげるため。ひたすら祈りつづけて、そして生を終える。

 死ぬために修道院に入るのだ。

 外界のあらゆる刺激から閉ざされ、何の感動もない生活。喜怒哀楽から隔絶され、不幸に落ち込むこともない変わりに、幸福にうちふるえることもない。毎日同じことを繰り返すだけの味気ない生活。
 だが、彼らにとって、神とともにあることが感動であり、幸福であり、人生の全て。だとすれば、これ以上ない満ち足りたエクスタシーに身を浸したまま死んでいったのかもしれない。

 余計なことは何も考えず、たったひとつの目的のために、毎日同じことを繰り返す。そこにはつまらないいさかいもなければ、人生に対する疑問もないだろう。至福、とはこのことだろう。
 だけど。
 気が遠くなる。僕には出来ない。


決断力  2000/08/15
 「キカイダー02」が新連載?
 ・・・・絶句。
 確かに、「キカイダー01」は存在した。しかし、あれから、もう何年? そもそも「02」の登場を前提に「01」なんてネーミングをしていたとは思えないのだが。

 懐古的に喜ばれるだろうけれど、同時にこういうやり方への批判も大きいはずだ。特に当時の思い入れが強ければ強いほど。
 残念ながら僕はどちらでもない。「02」は「02」として、その作品自体を評価する。したいと思う。けれど、実は興味が余り沸かない・・・・すいません。(って、謝ることはないんだよな)
 ただ、批判が大きいであろうことを承知の上で、「02」を登場させた決断力は凄いと思う。批判を乗り越え、押しのけるだけの作品を生み出してくれるのだろう。

 「宇宙戦艦ヤマト」もまた映画になるみたいだし。今度は松本零士さんの手から離れないでね。



怒ってる?  2000/08/15
 「駐車場はゴミ捨て場ではない。ここにゴミを捨てるな」
 「ここに大便をしないでください」
 街角の提示。みんな、怒ってる?

 でも、繁華街の路地で大便はいかんよ、大便は。



多面体  2000/08/14
 「とらおランド」のリニューアルに、「何か嫌なことがあったのですか?」とメールを頂いた。
 「傷つける言葉」や「消失」を読んでくださったのね。ゴメン、そんなつもりではなかったんだよ。
 僕自身が傷ついたわけではないし、ふてくされているわけでもない。
 今までここにいた僕があまりにも偏っていただけ。本当は多面体。誰だって、そう。ここは僕の一部であり、全てでもある。やがてたくさんの言葉が並べば、いつしかその中心にいる僕という実態が浮かび上がってくると思う。
 僕にとっては、自分を確認する作業かもしれない。

 心配してくれてありがとう。嬉しかったです。心配かけてごめんなさい。大丈夫です。



少し  2000/08/14
 HPで知り合った方とお会いした。
 盛り上がる話題を探し当てるまもなく、いや、それどころか、「何を話していいのかわからなくなる」ところまですら行きつかないほどの、短い時間だった。
 でも、そんなのがちょうどいいのかな、とか思ったりする。

 あ、リンクページが無い。旧サイトから引き継ぐべきコーナーなのに。復活させた。


傷つける言葉  2000/08/13
 その気がなくても人を傷つけてしまうことがある。どんなに気を使っても。
 傷つけてしまうかもしれないとわかっていても、伝えなくてはいけないこともある。
 そして、自分の言葉で誰かが傷ついたと知ったとき、自分もまた傷ついてしまう。
 人は、こんなにもナーバスでデリケートで、しかし、だからこそ支えあって生きていけるのだとも想う。

 でも、傷つけるために、言葉を発する人もいる。自分は決して傷つこうとせず、他人が傷ついたことに満足感すら抱く。
 そういう人から言葉を使う権利を剥奪してやりたいと思う。そんなヤツのために傷ついてなんかやるものか。

 表紙ページを少しいじった。新コーナー、「『わお〜』な想い」をオープン。


きらわれもの  2000/08/13
 経理のKさんが、「2000円札は、なるべくお釣りで出してください」とお触れを発して回っている。
 ATMで入金できないから、閉店時に2000円札があると困るのだ。銀行の窓口はとっくに閉まっている。(悪いのは銀行だと思うけれど)
 2000円札をお客に渡そうとすると、「すいません、千円札でください」だって。嫌われたものだ。
 新しい500円玉まで「自動販売機が使えないので、両替してください」
 ちなみに、海外からやってきたお客さんは、時々古いお札で支払いをする。海外の銀行にはまだ旧札が残っているのだ。これもATMが使えないから困るんだけどなあ。

 どうでもいいけど、お金を偽造するなんてさもしい真似はするなよ。


消失  2000/08/13
 失うことこそが重要だ。

 なんのためにホームページを作っているのか、わからなくなってしまった。
 「とらおランド」をやめてしまおうと思った。
 もうひとつやっている自作長編小説のサイトには、そんな想いが沸かない。
 でも、やめてしまう前に、もう一度振り返ってみようと思った。そして、出た結論が、新しい「とらおランド」だ。充実した多岐にわたるコンテンツになど、何の意味もない。書きたいことを書いて、いらなくなったことを捨てて、そして、訪問してくれた方の幾ばくかが、何らかの思いを受け止めてくれたら、それで僕は満足だ。
 ここはただ、行き場のない言葉を吐き出す場所だ。そして、正しいことを言っているのかどうかもわからないのに、誰かがやってきて読んでくれているのを認識して、満足する。自己中心的なサイトだ。
 文句のあるやつは・・・・、かかって来い! と言いたいところだけれど、静かに帰ってくれる方がありがたい、かな?


更新  2000/08/13
 更新記録もここに書こうと決めた。

  ちょっとさかのぼるけれど、8月10日頃に「三題噺」新作発表。12日に「とらおランド」急遽閉鎖。そして、新しい形でスタート。

 更新記録のコーナーなんて、もう作らない。知りたかったら、ここを読んでくれ。搾り出すようにして作った文章だ。どこが新しくなったか知りたかったら、せめてこのコーナーぐらい読んでくれ。



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