約束の場所は君のために
(5)奏でるメロディーに心合わせて





 友人から車を借りた。
 免許は取ってもおいそれと車は買えない。
 明日、ドライブに行こうと思う。
 隣に誰を乗せるかは決めていない。
 ユキちゃんも木立も誘っていない。
 決めかねているのだ。
 本当は誰と行きたいのか自分でもわからなかった。1人になりたかったのかもしれないと思う反面、誰かとセックスしたくもあった。
 我ながらいい加減なヤツだなあと思う。
 誰かと、というのなら、ユキちゃんに決まっていた。
 僕はユキちゃんと共有する時間にかけがえのないものを感じていた。
 心も身体もくつろぐことが出来た。
 ユキちゃんと木立を比較して考えないと気が付かないのだけれど、木立といるとき、僕は明らかに緊張を強いられていた。それはそれで悪くはない。ひとつの娯楽ではある。だけどいつまでもそんな関係が維持できるとも思えなかった。
 考え事をしながら慣れない車を運転していると、前の車との距離が空いてしまった。
 アクセルを踏み込もうとしたとき、信号が黄色に変わる。
 後続車が接近していないことをミラーで確認し、ブレーキを踏む。
 何しろ借り物の車だ。そして僕は初心者だ。「下手に信号にビビルなよ。急ブレーキをかけたりしたらオカマ掘られるぞ。あ、信号が! と思ったときは駆け抜けた方がいい。但し、対向右折車がいるときは出来るだけ止まってやれ」
 友人のアドバイスに僕は忠実に従おうと決心した。でも、オカマをほられる心配がないのなら、やはり止まった方がいいだろう。
 ああだこうだと考えているうちに、目の前の信号が青になった。けれどもエンジンが何故か止まってしまった。
「あれえ?」
 慌てない、慌てない。
 エンジンなんてものはキーを回せばかかるのだ。
 .....かからない。
 もう一度。....かからない。何故だ?
「いやあ、ウチは車3台あるから、気にするなよ。親父のと、兄貴のと、俺のと。兄貴がずっと単身赴任で東京に行ってて、駐車場代もバカにならないってんで、置いていったんだよ。だから俺はずっと兄貴のを使ってるんだ。性能がいいから。んで、自分のは普段使ってないんで、遠慮なく借りてくれ。たまには動かしてやらないと機嫌損ねるし」
 たまには乗ってやらないと機嫌損ねる?
 すでに機嫌損ねてたのか?
 つまり、しばらく整備もされずにほったらかしにされていた?
 冗談じゃない!
 後ろの車はクラクション鳴らしまくってるし、ええい、押して脱出だ。
 幸い左折してすぐの所にバス停がある。歩道をえぐって、そこにバスが止まっていても走行中の車の邪魔にならずに停車できるようになっている。
 バス待ちの客が並んでいるところを見ると、もうすぐバスも来るだろうが、それまでに何とかすればいいわけだし。
 僕はシフトレバーをニュートラルにいれ、車から降り、そして、押した。
 ああ、かっこ悪い。
 パワステだからエンジンかかっていない状態ではハンドルは重いし、散々だ。
 やっとたどり着いたバス停。
 さてどうするか?
 ボンネットを開けたところでわかるはずもない。
 誰か知っている人がいたらイヤだなあ。
 そう思った途端に、声をかけられた。
「あら、高安じゃない? どうしたの? 故障?」
 クラスメイトの小林初音だった。
 あちゃあ、勘弁してくれ。なんだって知り合いに逢うんだよ、恥ずかし。
「急にエンストして、それでエンジンかからないんだ。」
 恥ずかしいけれど、ホッとしたことも事実だ。小林がメカに詳しいとは思えないけれど、ひとりよりふたりだ。心細さが少し解消された。
「エンジンがかからない?」
 どれどれ、と小林は運転席に乗り込んで、シフトレバーをパーキングに押し込み、ブレーキペダルを踏みんがら、キーを回した。
 あっさりとエンジンはかかった。
「あ、バスが来てる。動かさなきゃ。ほら、早く乗って」
 いわれるままに僕は助手席に乗り込む。
 何とかなって助かったのは事実だけれど、この上なくかっこわるい。
「そういえば、免許取り立てだって言ってたね。オートマ限定じゃないでしょ?」
「うん」
「やっぱりね。オートマ車は安全のために、手順を踏まないとエンジンかからないのよ。教習所でマニュアル車ばかり運転してると、つい忘れちゃうのよね」
「そうだったね」
 僕は何故エンジンがかからなかったのか、小林の所作を見て、すぐに思い当たったのだった。シフトレバーはパーキング。そして、ブレーキを踏みながら。こうしないとエンジンはかからない。
「こうまで安全に気を使わないと動かないようになってるなんて、基本的にオートマは危険だということだな」
 ふてくされて僕が言うと、小林はアハハと快活に笑うのだった。
「ところで、どこまで行くの? バスを待ってたんだろう? お詫びに目的地まで行っていいよ。僕はどうせ暇だから」
「いいのいいの。家に帰るところだったんだから。それより、暇ならお茶でもしない? あんた、汗びっしょりよ、少し休んだ方がいいかも」
「そうするよ。出来れば横になりたいくらいだ」
 深い意味はなかった。無事に車が動いた途端、僕は正直ぐったりしてしまったのだ。
「そう。じゃ、ホテルに行く?」
 ええ? なんでそう簡単にホテルなんて口にすることが出来るんだ。
「横になれるわよ」
 しゃらっと言う。
 僕が「任せるよ」というと、車は本当にホテルの駐車場に入っていった。


 展開の早さに唖然としている僕を横目に、「コーラ、もらうよ」と小林は冷蔵庫から缶を出し、ベッドのへりに腰掛けて、のどを鳴らして飲んだ。
「プワアー」と、まるでビールを飲み干したあとのオッサンみたいに声を出す。
 僕はまだ自分がなんでこの子とホテルになんかいるんだろうと思いながら、ベッドに転がっていた。
 掌を重ねて頭の下に敷き、左足の膝を曲げ、その上に右足を組んだ。
「高安君って、やっぱり誰とでも寝るの?」
「は、はあああ?」
 唐突の質問に僕はうろたえた。
「じょ、冗談じゃない。君から誘ったくせに」
「やあだ、非難してるわけじゃないよ。ちょっと君に興味があったから、ノッてくれたらラッキーって思いながら誘ったんだけどさ。」
「なんだよ、興味って」
「ほら、風変わりな子とばかり付き合ってるじゃない」
「風変わりって、ユキちゃん、堺さんのこと?」
「だけじゃないでしょ? 木立さんとも」
「げげ。付き合ってるわけじゃないよ」
「でも、仲良くふたりでいるところをよく見かけるわよ」
「仲いいだけだよ」
「そうかなあ。ま、いいけど、もうわかったから」
「わかったって、何が?」
「女の子から誘ったら、ノコノコついて来るって」
 そうじゃないよ、と否定しようとして、やめた。少なくとも今の僕はその通りだ。
 反論の余地はない。
「君の耳には入ってないと思うし、気が付いてもいないだろうけれど、女の子の間では君ってけっこうイイセン行ってるって事になってたのよ。」
「まさか」
「ほら、気が付いてない。でも、そうなの。だけど、女の子になんか興味なさそうな顔をずっとしててさ、なのにいつの間にか、堺さんと付き合ってる風になってたし。
 私は堺さんとは顔と名前を知っている程度だけど、多分素敵な娘なんだろなって思ってた。でも、ヤな噂があるじゃない? だから君が堺さんと付き合いだしたと知って、君のことをすこし見直したんだよ。」
「彼女のこと悪く言う人はいるけどね。おまけに僕が彼女と付き合ってると知って、やめろと忠告してくれるヤツまでいる」
「それは君の大きさを知らない人が言うのよ」
「僕は大きくなんかないよ。君は人を見る目がない」
「そんなことないよ」
「そうなんだって。自分からは誘わないくせに、女の子に誘われるとノコノコついてくる」
「だから、誘ったのよ。木立さんだって、そうやって君をモノにしたんでしょ?」
 そうかも知れない。
「だったら私にもチャンスがあるかな、なんて。偶然転がり込んできたチャンスは逃さないわよ」
「ちょっと、怖いような気がする」
「女の子は怖いモノなの」
「心得ておくよ」
「ね、だから優しく抱いてね」


 なにが「優しく」だ。
 小林の方がずっと激しかったじゃないか。
 僕は弄ばれたような気分にさえなった。
 彼女は舌と指と乳房を使って僕の全身を愛撫した。そのあと、フェラチオ。
 精気を全て吸い取られるかと思った。
 でも、とにかく気持ちよかった。
 僕が突けば、演技じゃないのかと思わせるほど全身をガクガクと震わせた。
 終わってみればあっけないほどあっさりしていて、シャワーをさっさと浴びに行く。
 小林は髪を拭きながら「あー、良かったあ。気持ちよかったよ」と言った。
 そのさっぱりした顔はまるでスポーツの試合を終えた敵と味方が勝敗に関わらず「お互いよく頑張ったな」と褒め称えあっているようだった。
 そう言えば、なにかのスポーツできいたことがある。試合のあと、一緒にお風呂に入るんだと。
 まだぐずぐずと裸のままでいる僕などお構いなしで、小林は服を身につけ、またコーラをぐびぐびと飲んだ。
「俺って、自分で思っているより、ずっともてるのかなあ?」
 調子に乗ってつぶやくと、小林は即座に否定した。
「そんなことないよ。見かけがそこそこで優しそうな感じもするから、ときどき話題になるだけ。ちょっと好印象をもたれてるって程度かな? 言っとくけど自分から女の子を誘っちゃダメよ。無責任に噂してる女の子がクラッとくるほどはいい男じゃないんだからね。まあ、せいぜい、自分から誘ってくるような女の子だけ相手にしてれば、傷つかなくて済むわよ」
「なんだか、そういう言われ方の方が傷つく」
「心配しないでいいわ、大丈夫。私や木立みたいに、タイプは違うけど、自分から誘っちゃうような女の子って、結構いるんだよ。そういう子にはもてる、君はそんな感じだから」
「女には不自由しないってことかい?」
「苦労はするかもね」


 苦労、か。
 小林とは一度きりだろうけれど、木立とは、なあ。


 ハッとした。
「小林とは一度きりだろうけれど」か。
 どうして「一度きりだから」と、思えなかったのだろうか?
 僕自身が優柔不断なのだ。
 相手が「いいよ」と言ってくれるのならいいじゃないかと、僕自身が思っているからだ。
 木立と別れられないんじゃない。
 僕が別れようとしないんだ。
 ユキちゃんは僕のそんな性格をわかっている?
 だから「待つ」と言ってくれたのだろうか。
「浮気を認めてるわけじゃないからね。早く、ケリつけて、わかれてね」
 ユキちゃんの言葉が僕の心の中でこだまする。
 電話で別れ話をするなんて卑怯だと、誰かが言っていた。
 卑怯でいい、と僕は思った。
 どうせ別れるのだ。卑怯がなんだ。
 木立に電話をした。
「良かった。こっちから電話しようと思ってたとこだった」と、木立は言った。
「いや、そのことなんだけど」
「一方的で悪いんだけど、わたし、彼が出来たの」
 嬉しさをめいっぱい伝えまい気を使っているのが良くわかった。
 なんだ、木立こそ別れ話をしようとしていたのだ。ちょうどいい。
「良かったね」と、僕は言った。「どんな人?」
「優しくて、あんまりエッチじゃない人」
「なんだそりゃ。誰と比較してるんだよ」
「あなたに決まってるじゃない」
(そうか?)
「ごめんね。で、ありがと。それが言いたかったの」
「うん」
「わたしから誘わなかったら、あなたは抱いてくれない。それはわかっているからわざわざ彼が出来たなんて報告しなくても良かったんだけど、ちょっとお礼が言いたくてね」
「お礼って、なんだよ、それ」
「いいの。わからなければ、それで」
 電話は切れた。わからなければ、それでいい、か。本当はわかって居るんだけどね。
 僕と別れたあとの彼女と僕は出会いたかった。
 いずれにしても、これでいいのだ。


 安心したのもつかの間、小林から電話がかかってきた。
 また、会いたい、という内容だった。
 僕は「会えない」と言った。
 木立とも別れた。誘われたら断りきれない自分はもういやだ。そのことに気付かせてくれたのは君だ。僕はユキちゃんだけを選ぶと告げた。
「大丈夫、私は君とセックスしたいだけなんだから。人前ではしらんフリするし、君さえ黙っていたら誰にもわからないから。」
 僕はバカだ。
 小林の誘いに乗ってしまった。


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