余韻    9

 

◆裸(ら)

 なだらかな坂の向こうには、賑やかな駅前のロータリーが見え始める。
 クラブ活動の帰りらしい中高生らがたむろするコンビニエンス・ストア。その人波をくぐり、祐一がワタシの首輪を引き上げて、店内へと入った。
 レジでハイライトを受け取ったアナタは、くしゃくしゃの千円札を差し出す。
 面倒くさそうに店員がそれをとり、祐一の手にお釣りをのせた。
 ふと、ワタシに振り返ったまま、アナタは手のひらを床に返した。
 チャリン――と小さな金属音をたて、小銭が床に散らばった。
「悪い……拾って」
 困惑するワタシの首輪を、アナタが掴んで引き下げた。

 ゆっくりと、前屈みになりながら指先で硬貨をさらえた。
 無差別な視線に晒される胸、内腿、尻肉……

――おい、あれ、じゃねぇの? 生ケツかぁ?――

 ひそひそと聞こえ始める声の中、ワタシは立ち上がった。そして、自動ドアをでていく祐一を追いかけようとした時、誰かがワタシの背中をノックした。

 

◆両(りょう)

「あんた……おれがいること知ってて来ただろ?」
 振り返った祐一に近づいた店員は汀だった。
「なんで? これから飯食いにいくんだよ……菫子と」
 祐一が引き上げた首輪のため、ワタシは無防備な喉を汀に向けた。何故汀が、此処にいるのかすら、飲み込めないまま……

「てめぇぇぇぇっ!」
 汀が殴りかかったその腹を祐一が蹴り上げた。
「俺は腹が減ってんだって……」
 地面に突っ伏した汀の背中や横腹を、鈍い音で蹴り続ける。
「やめて、祐一……お願いっ……汀が死んじゃうっ……」
 ワタシは汀に覆い被さり、必死で叫んだ。
「ちゃんと……ちゃんと祐一の言うとおりにするから……」
「はは……犬同士、傷の舐めあいかぁ?」

 高笑いしながら祐一は、目の前の横断歩道を渡っていった。
 ワタシは汀の顔を胸に抱え上げた。そして、血に濡れた汀のの瞼を、舌先で何度も舐めあげた。

 

◆類(るい)

 汀をワタシの部屋に入れたのは初めてだった。

「祐一のこと……知ってたの?」
 汀の顔を濡らしたハンドタオルでゆっくりとなぞる。
「時々店に来て……おれの顔を見て笑うから、変な人だなって……」
 ワタシのコトバにこくんと頷く汀の仕種は、母親に甘える子供のようだ。

 左の眉の上にバンソウコウを貼り付けておしまい。
「痛い……? まだ……」
 汀は左右に頭を軽く振ったあと、横座りしたワタシの膝に手を伸ばした。
「おれもあの人と同……かな……さっき見えた菫子さんのアソコが……」
 膝からそのまま手を滑らせて、スカートを無理矢理押し上げた。ワタシは、後ずさるように頭を倒しながら開脚する。
 床に寝そべった汀が、両手の親指でワタシの秘唇を押し開く。
 生温い汀の舌が襞の内側を掬うたび、ワタシは喉を鳴らした。そして両手で汀の頭を抑えながら、もっと欲しくて太腿で挟み込んだ。

 

◆例(れい)

 月曜日の朝礼が終わり、ワタシと祐一は二人きりで会議室にいた。
「なんだ?」
「今までお世話になりました」
 ワタシは祐一の目の前に近づき、白い封筒を差し出した。
封筒を机の上でバウンドさせながら、アナタは神妙な顔つきを保ち続ける。
封筒が机の上をバウンドしながら、ワタシはアナタを見下ろしている。

「お前も結局、そこらへんの女と同じだったって訳だ」
「ワタシはいつだって、女でした」
えば、汀みたいに、お前だけをみてくれるわかりやすい男……」

 アナタはワタシの膝に、靴を脱いだ爪先を擦りつけた。ワタシは一歩ひいたまま、深々と頭を下げてから踵をかえす。
「そこなしめ……」
 ワタシは会議室のドアの前で立ち止まった。
「男なしじゃいられねぇくせに」
 ワタシは背中越しに、祐一の罵倒を聞きながらドアをバタンと閉めた。
 閉じた瞼を涙が押し上げるけど、これは悲しさなんかじゃない。

 

◆楼(ろう)

「ねぇ……もう、忘れ物はないの?」
 汀が辺りをくるくると見渡しながら側によってきた。
「ええ、一通り詰め終えたから、あとは業者がくるだけ。大丈夫よ、ありがとう」
「後悔してないの……菫子さん……」
「何を?」
「会社だって……辞めちゃうんでしょ?」
「今になって怖くなったの? ワタシと暮らすこと?」
「ううん……そうじゃないよ……本当に祐一さんのこと、いいの?」
 ワタシは、心配そうな顔をみせる汀の鼻先に人差し指を当てた。
「ワタシね……あの人が求めるなら何だってよかったの……」
「ん……」
「結婚して……なんて一度も言った事……なかったのに……」
 汀がワタシを引き寄せ、胸に抱きしめた。
 その胸はまだ、もたれかかるには薄すぎる。

 とうとう、住みなれた上を離れるのね……なんてセンチメンタルに。

 

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