ロシアンルーレット

敗 者 復 活 戦

 

6.

 女性はミコしか知らない真也ではあったが、女性がセックスの際に見せる様々な痴態が人それぞれであることは、知識としては知っている。麻里絵の変化はその範疇のことだろうと真也は思った。
 ミコという同一の女性であっても、時として驚くような反応を見せることがあるのだから、初めて抱く女性が想像の範囲を超えていたとしても不思議ではない。

 麻里絵の変化が激しくなったのは、セックスの終わり頃だった。
 それまでも確かに、ミコと比べて感度が良すぎるなと真也は感じていた。快感、官能、愉悦、恍惚、悦楽、絶頂……。麻里絵が敏感に肌を震わせるたびに、真也はそれらの言葉を反射的に脳裏に思い浮かべていた。だが、深く考えることは出来ない。真也もどんどん昇り詰めていたからだ。

 挿入感も摩擦感も、真也にとっては初めてのもの。何人もの女性と経験をすれば、初めての相手との未経験の感覚にも、我を忘れるなんてことはなくなるのかもしれない……そんなことを考えたのは随分あとになってからで、ミコとなら“ここでどんな風に攻めてみようか”とか、“もう少し長引かせてみようか”などと思ったかもしれないが、この時の真也は、自分のこみ上げてくる感覚に正直に、ただ快感を求め続けた。

 だから、気がつかなかったのだろう。
 麻里絵の反応が、セックスによるあらゆる悦びによるものから、いつしか異質のものにかわりつつあったを。
 それは、嗚咽、震え、叫び、苦悩、痺れ、苦痛……、といったものが近かったかもしれない。

 麻里絵は我慢した。多くの男性経験を持つ彼女にとって、真也がラストスパートに入っていると察知するのは、容易だった。だから、真也が絶頂に達するまではと必死でこらえていた。
 このとき麻里絵は、麻薬の禁断症状にさいなまれ初めていたのだ。
 幸いにも性器はタップリと濡れている。真也から与えられる性的な快感がかろうじて麻里絵を禁断症状の責め苦から救っていた。

 初めて触れる女体とそのヴァギナを存分に味わい尽くした真也は、麻里絵の中に何度も何度も熱いエキスを迸らせた。ピルを飲み、数々の男たちにお金と引き換えに身体を提供してきた麻里絵である。何の遠慮もいらない……そんな思いはすっかりと消え去り、真也は麻里絵の中に放出した喜びでいっぱいになっていた。
 恋愛感情とは異なるのかも知れないが、こうして麻里絵と最後の瞬間まで必死になれたことが、何よりも充実感を与えてくれた。麻里絵が売春婦だとか、自分には彼女がいるとか、そんなことは彼女と交わっているうちにどうでもよくなっていた。

 真也も肩で息をしていた。それを何度か繰り返し、息が整ってきて、ようやくベッドに仰向けに自分の身体を放り投げた。そして、気がついた。麻里絵に異変が起こっていることに。

 彼女はベッドの上で身体を丸めていた。息が荒く、身体は小刻みに震えている。真也は麻里絵にそっと触れた。肌の冷たさに、思わず触れた手を引っ込めた。あれほど身体中を火照らせて快感に身を委ねていたのに、終わった途端にこんな状態になるのか? それとも、麻里絵はどこか身体の具合を悪くしたのでは?
 ぐっ、ぐっ、とくぐもったような声を麻里絵は発する。唇を噛み締めて何かの悲しみをこらえているかのようだ。
「大丈夫、かい? なにかの、発作?」
 頼りなげな真也の問いかけに、麻里絵は「みず……お水が欲しい」とだけ言った。
 真也は冷蔵庫からミネラルウオーターのペットボトルを取り出し、キャップを外してから、麻里絵の前に差し出した。この時、真也は初めて苦悶に表情を歪ませる麻里絵を見た。

 麻里絵はサイドテーブルのショルダーバッグに手を突っ込み、震える手で探り出した一錠のタブレットを取り出して口に放り込むと、飢えた猛禽類が獲物を奪い取るような勢いではペットボトルを真也からひったくり、猛烈な勢いで口の中に水を流し込んだ。
 はあ、はあ、はあ。
 軋む筋肉を無理やり動かして麻里絵は深呼吸をする。
 ゆっくりと麻里絵の表情から苦悶が消えてゆく。
「何? どこか、悪いの?」
「ううん……。ドラッグの禁断症状……。ごめんね、巻き込んじゃって……。もう、自分の意思だけじゃ、我慢できなくなってるのよ」

 麻里絵はゆっくりとベッドに仰向けになった。うっすらと開いた瞼は、視線は天井を向いていても、何かを見ているようには思えない。激しくセックスをしているときは、あんなに女だった麻里絵が、小動物のように思えた。
 真也はそっと彼女の胸に手を触れた。温かみが戻ってきている。それどころか、そのわずかなボディータッチに彼女の肉体は官能の片鱗を感じてすらいるようだ。甘い吐息を漏らしている。
「もしかして、感じてる?」
「うん……。また、濡れてきた……」
「もう、苦しくないの?」
「苦しくないよ。クスリ、飲んだから。あっという間に、気持ちいいトコに連れて行ってくれる……。怖いでしょ? ちょっと気がつくの、遅かった。気持ちよくなりたいときだけ飲んでるつもりだったのに、抜け出せなくなっちゃった」

 真也は麻里絵にキスをした。
 これ以上にないほどの、優しいキス。
 同時に、ヴァギナに指を差し入れる。
「ひあ! んんんん……、ああ〜」
 さっきまでの苦悶が嘘のように官能の喘ぎ声をあげ、蜜を溢れさせ、麻里絵は腰を振り始めた。
「これ、ちょうだい」と、真也のものに手を伸ばしてくる。
「もう、よそうよ」と、真也は言った。唇を重ね、性器に悪戯までしておきながら、勝手な言い草なのはわかっていたが、彼女の身体が麻薬に翻弄されているのだと思うと、もう手を出してはいけないような気がしたからだ。
「お願い。これで、最後にするから……」

 服用したばかりのクスリのせいで、あっという間に麻里絵の性欲は湧き上がった。
 脳と身体に異変をもたらすことを目的としたドラッグなのだから、飲む方も即効性を求めるのだろう。
 あきらかに頂点に達した麻里絵だったが、それでも執拗に求めてくる。山の頂になお満足せず、彼女は空中に舞い上がり、急降下し、激しく旋回をした。彼女がどれほどの快感を得ているのか、クスリの経験のない真也にはわからなかったが、普通のセックスでも病み付きになるのだから、想像を絶する気持ちよさに違いないと真也は思った。
 麻里絵は感じまくり、濡れまくり、悶えまくり、真也は腰を振り続けた。

 ミコもセックスには貪欲だから、おかげで鍛えられている。ある程度の時間なら、出る直前で我慢しながら女性を悦ばせ続けることも出来たし、それも限界になったら、少し動きを止めるだけで再開することも可能だ。わずかに漏らすことで、せっぱつまった射精感をごまかして、時間を延長する術も知っている。
 ミコは真也との長時間の接触で、何度もイッた。でも、ミコだって、快感にただ身を委ねているわけじゃない。コントロールによって完全にイってしまうことを制し、そのかわりに何度でもイク。
 ふたりで協力しあいながら、一緒に高みを目指すセックスだった。

 しかし、麻里絵は違う。クスリの力で強制的に持ち上げられ、感じるはずのない強烈な快感に翻弄されるばかりだ。そう思った真也は、我慢をせずに麻里絵の中に再度の放出をして、彼女との交わりを終えた。
 十分にイキまくり、体力的にはとっくに限界を超えていた麻里絵は、真也の射精を悟ると、「ありがとう」と言った。

 ベッドの中で、麻里絵はポツリポツリと自分自身のことを話し始めた。

 麻里絵は高校をやめてから、一度ドラッグ中毒になっている。遊び仲間にはドラッグをする者もそうでない者もいた。やがて麻里絵にボーイフレンドが出来た。彼はドラッグをやらない。ボーイフレンドは麻里絵に麻薬をやめるように何度も忠告した。麻里絵もやめたいと思っていた。けれどこの時、自分の意思だけではやめられないところにまで来ていた。
 家を出て数ヶ月。親にさんざん心配をかけていることを麻里絵は自覚していた。居所は知らせていないが、定期的に連絡はしていた。住み込みで働いていると伝えていた。実際は身体を売りながらあちらこちらを転々としていたが、そんなことを言えば親はますます心配するだろう。本当のことは言えなかった。探されて連れ戻されるのも嫌だった。
 中毒からは脱したいが、医者になどいけない。きっと親に連絡されるだろう。
 麻里絵は自力で禁断症状と戦うことを決意した。彼が全面的に協力してくれた。貸し別荘を借り、そこでクスリが完全に抜け切るまで、彼が麻里絵を拘束したのである。

 そうして一度は立ち直ったものの、最近また手を出してしまった。
「やせ薬」だの「疲労回復剤」だのという誘い文句が実は「魔の手」であることは知っていたが、「違法性はない」という言葉に騙されたのだ。新しい薬で、まだ取り締まりの対象になっていないだけだった。
 新しく開発されたクスリで、用法容量を守っていれば危険なことな何もない。そう遊び仲間に薦められた。かつて麻薬にはまった時の快感を身体が覚えていた。
 以前に経験したドラッグよりも協力で、ヤバイと思ったが、たった一度でやめられない状態になっていた。もう二度と手を出すまいと決意していたのに、かつての感覚にガッチリと取り込まれてしまった。

 欲するままにのめり込んでいったわけではない。このままではダメだと強く感じた。でも、我慢しきれなくなる。2度とやっちゃいけないという危機感とクスリへの猛烈な欲求がせめぎあい、混乱した。この混乱を沈めて落ち着いた状態に戻るにはもう一錠服用するしか方法がなかった。そして、後悔。罪悪感。自己嫌悪。鬱。その繰り返しだ。
 追い詰められた自分を救ってくれるのは、やはりクスリだ。
 快感を得たいと意識して呑むのではない。クスリが切れた途端にもう一錠が欲しくなる。

(わたしは一度立ち直った。今度だって出来る)
 麻里絵は再び自力で禁断症状と戦うことにした。しかし、今度は当時のボーイフレンドはいない。本当にたった一人だ。
 最後まで戦い抜く事が出来るだろうか。たった一人で。でも、やるしかない。クスリはもう手元にはない。拠点としていた町から自分の痕跡は既に消してある。売人が麻里絵を探し出して再びクスリを売りつけることは不可能だろう。そんな手間隙をかけなくても買い手はいくらでもいる。 だから、これを乗り越えれば、なんとかなる。
 でも、乗り越えられる? 見守ってくれる人はいない。想像を絶する事態になっても病院に担ぎ込んでくれる彼はもういない。万一のときは死ぬだけだ。クスリ漬けになった身体から急激にそれを抜くことはリスクを伴う。痛みや苦しみに耐えられるだろうか。ショック症状を起こしたり脳内出血を発生したりして死ぬこともありえない話ではない。

 最後の一錠を呑み、その効果が切れるまでに、麻里絵は自分を隔離状態に置くつもりだった。だが、前途に予想される過酷な状態。 そんなときに、偶然、真也と出会ったのだ。
「貸し別荘は手配してあるの。叫んでも、わめいても、わたしの声はどこにも届かない。そんな山の中。本当は自分で行くはずだったんだけど、時間切れ。ごめん、全ての用意は整ってるの。ただ、連れて行ってもらわないと、もう自分ではどうしようもないの」
 貸し別荘の集客用パンフレットと申し込み受付確認書を真也は手渡された。
「ごめん。巻き込んじゃって。でも、送り届けてくれるだけでいいの」
 山の中に点在する貸し別荘は、いいアイデアだと思われた。大声を出そうが、助けを呼ぼうが、気づくものはあるまい。

「次に禁断症状が現われるまでに……。お願い」
 さっき飲んだクスリの効果時間がどのくらいで、いつ禁断症状が現れるかなど、真也には知る由もない。急いだほうが良さそうだ。

 真也は大学に入った年に運転免許を取得している。だが、車は持っていない。車さえ確保できれば麻里絵を貸し別荘まで送り届けることは出来るだろう。
 どうすればいい?
 麻里絵を部屋に残したまま、レンタカーを借りに行くのは難しいだろう。男女が揃ってチェックアウトしなければ、不審に思われる。なら、親父に頼むか。だが、ラブホテルまで車を持ってきてもらうには、それなりに事情を説明せねばなるまい。それは出来ない。
 考えた末、大学の友人である吉岡に電話をした。秘密を守ってくれそうな友人と思いをめぐらせたとき、とっさに吉岡の顔が浮かんだからだ。

 理由を作らなくてはならないな。恋人以外の女とラブホテルでエッチをしていたら、急に彼女が苦しみだした。発作の持病があり、かかりつけの医者に行けばすぐに静まるという。お互い別々に恋人がいるので表ざたに出来ない、だから救急車は呼べない。
 こんなことを電話で話したら、吉岡はすぐに事情を察してくれたようだった。

 吉岡とその恋人が2台の車で駆けつけてくれた。キーを受け取ると二人を先に帰らせた。恋人の車で二人は去って行く。真也はそそくさと清算をすませ、ふたりして借りた車に逃げ込むように乗り込んだ。

 麻里絵が用意していたのは、貸し別荘の手配と、タオルや着替え類、ビタミン剤、そして手錠だった。真也は空腹を覚え、麻里絵も同意したが、レストランに寄って食事をしている余裕があるのかどうか、それすらわからない。食料をまだ買っていないと麻里絵が言うので、コンビニに寄った。二人分の弁当のほかに、彼女のリクエストに従って、水とロールパンとジャム各種、そしてカロリーメイトとチョコレートなどを買った。

 貸し別荘へは県境をふたつ越えなくてはならなかった。外はもう暗くなっている。時計を見ると、8時をすぎていた。
 貸し別荘に麻里絵を送り届けたあとは、彼女を放置することになる。禁断症状を克服するまでは、そうして欲しいという彼女の希望だ。正常ではない女の子を1人残しておくのは気がひけたが、彼女の決意を全うさせてやらなくてはいけないと思った。いったん貸し別荘に入れば、症状が無くなるまで、彼女は外出することすらできない。手錠とロープで彼女の行動を制限した上で、放置して欲しいと依頼されている。
 必要なものは、麻里絵の行動範囲内、すなわちロープの長さの半径内に揃えておいてあげる必要がある。買い残したものはないか? 考えたが、真也は何も思いつかず、そのまま車を走らせた。

 医者がいるわけでもなく、医療設備が整っているわけでもない、訪れる人もいない貸し別荘。麻里絵の孤独な戦いが待っていた。

 

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