杜の庵
エピソード2 笑顔が一番好きだから

 

 「杜の庵」という名の店は、宿泊室3室を備えたログハウスの食堂である。
 北海道の広く深い山の中で、ここまでやってくるバスは一日3本。しかも終点である。
 一日のバスのダイヤは次の通り。
 前日から宿泊していた運転手が1便を出発させるのが午前6時。
 次のバスは午前10時にやってきて、午前10時20分に折り返す。この間ドライバーは杜の庵でお茶やコーヒーを飲んだり、庵の主や妻とおしゃべりをしたりして過ごす。
 2本目のバスは13時に到着する。このバスは上り3便となって16時に発車する。運転手は杜の庵で昼食をとり、また、宿泊室の一室で仮眠や休憩をとることもできた。
 杜の庵から16時に出るこのバスが実は最終である。19時に到着する便はあるけれど、これは翌朝まで動かない。ドライバーは庵で夕食をとり、そして眠る。
 たった3室しかない宿泊室のひとつを、昼は仮眠、夜は宿泊用にバス会社が年間を通じて借り上げている。だから、お客が実質泊まれるのは2室だけだった。
 それでもこの2室について言えば、だれも使っていない日の方が多い。


 この日、最終バスを降りたのは3人だった。
 ひとりはバスの運転手。そしてもう1人は、リュックを背負った男。痩せてはいるが引き締まった筋肉がうかがえた。何かスポーツをやっているのかも知れない。どちらかというと痩せている人がするスポーツ。というより、体重があっては出来ない種目だろう。ウエイトの軽い階級のボクシング、乗馬、マラソン。そんなことを妻は考えながら、店に入ってくる客を迎えた。
 事前に男性客1人の予約をきいているから、多分その男が予約客だろうと妻は考えた。バスの運転手を含めて今夜は二人が宿泊するはずだった。
 ところが、さらにもう1人がバスから降りた。デイパックとボストンを抱えた少女。それぞれの鞄はさほど大きくない。山登りをするような格好でもなく、こんな時間にバスで来ればここに泊まらざるを得ない。
 ほとんどの客は車でやって来て、お茶を飲んだりご飯を食べたりして、そのまま車で去って行く。
 だが、自ら移動手段を持たず、バスでやってくるのは、宿泊の予約をした客か、野宿の用意など大きな荷物を背中に担いだ登山客がほとんどなのだ。
 果たして少女はバス事情を知っているのか、知らないのか。とにかく予約なしの客であり、宿泊する可能性は充分あった。


  「予約をしてないと言うんだけど、この娘、とまれるかな?」
 杜の庵に入るなり、運転手が言った。
 少女は運転手の陰に隠れるように、後に従っていた。
 「僕は予約をしてあります」と、痩せた男が言った。「浅羽といいます」
 「はいはい。浅羽様ですね。伺っております。それから、もう1人の女性の方も、お泊まりいただけますよ」
 ただし、あいにく部屋がふたつしかないので、さらに飛び込み客がきたら相部屋でお願いしますよと、庵の妻は付け加えた。
 「僕は構いませんよ」と、浅羽は言った。少女はこくんと頷くだけだった。
 「よかったね、お嬢ちゃん。何も考えなしに、一番山の中まで行くバスを案内所で訪ねて気まぐれに乗ったらしいんだよ。折り返しで帰るつもりだったようだけど、あいにくこのバスは明日の朝まで戻らないから、さあどうしようと言うことになってね。まあ、急ぐ旅じゃないというし、部屋が空いてれば泊めてもらえばいいよなんて話してたんですよ」と、運転手が事情を説明した。
 「あらあら。満員だったらどうするつもりだったの?」
 「満員だったらなんて、考えてなかった。だって、終点まできたら同じバスで引き返すつもりだったもの」
 奥からのっそり熊、ではなくて、庵の主が姿を出した。
 「なあに。満員だったら運転手を放り出せばいい」
 「そりゃあ契約違反じゃないですか」と、運転手。
 「外で寝ろとは言ってないよ。俺らの寝室に泊めてやる」
 「ごめんですよ。今が盛りの夫婦と同室なんてのは」
 「盛りかどうかなんて、あんたにわかるのかい?」
 「そりゃあ、人生50年やってればね、一目でわかるさ」
 そんなやりとりの間に、妻はお茶を入れている。
 お茶を全員に配り終えると、宿泊者カードとボールペンが浅羽と少女の目の前に差し出された。誰が勧めたわけでもないが、彼ら彼女らはひとつのテーブルを囲んで座っていた。
 少女は「山科恵」と氏名欄に書いた。年齢は19歳。少女だのこの娘などと呼ぶのはちょっと失礼だったようだ。だが、第一印象は15か16に見える。
 深い森に囲まれたたったひとつの人口建造物『杜の庵』。主と妻、バスの運転手、男性客浅羽と女性客恵。おそらく半径15キロ以内にいる人間はこの5人だけ。ささやかに群れた人間達は小さなログハウスで今宵一夜を共にする。
 6月になったばかりの北海道をこれから遅い春が猛スピードで包み込み、気が付いたらいつしか夏へと変化する。これを「北海道には春と夏が同時にやってくる」と言う人もいる。
 2年間の移民生活を終えた遥香が都会へ帰る前にここ『杜の庵』に立ち寄ってから、3日後のできごとである。
 浅羽と恵が宿泊者カードを書き終えると、妻はそれぞれ宿泊料金を受け取り、奥へ引っ込んだ。
 主は椅子を180度回転させて、背もたれの上に両手を重ね、さらにその上に顎を載せた。
 姿勢が悪く背中を丸めがちな人にとってこのスタイルの方が背もたれにもたれるよりも楽なのだ。
 それに客商売の主がいくら楽だからと言ってもふんぞり返ってお客と会話をするわけにはいかない。逆に前屈みで顔を付きだしたようになるこの格好だと、興味津々という印象を話し手に与えるのか、気が付いたら誰かが一生懸命に喋っていたりする。
 最初は主から話し始める。「どこからきたの?」「ふうん、遠いところからありがとうね。ここは何もないところだけど、自然だけはいっぱいある。歴史がないから観光しても面白くない。でも、ただ自然の中にいるだけで気持ちよくなれるところだ」
 客が語りはじめると、主は無口になる。あまり質問もせず、ふんふんと頷いたりするだけだ。その表情はいつも「それで?」と、先を促すような好奇心に満ちている。
 言葉のキャッチホールも楽しいけれど、自分が話すことをじっときいてくれる人がいるというのも、語り手にとってはすごく気持がいいものだ。
 この日最初に口を開いたのは、浅羽と名乗った男の方だった。
 彼はマラソンの選手だったが足の故障で引退し、今はコーチをしている。だが、走ることへの未練があり、リハビリを続けている。その一環というわけではないのだけれど、「長時間歩く」という課題を持って彼はこの地にやってきたのだと語った。
 歩くことは走ることほど足に負担がかからない。ならば、連続運動のトレーニングとして「長時間」「歩く」という手法を選んだのであり、どうせ歩くなら自然に満ちあふれた土地をのんびりと無理せずに取り組もうと考えたのだそうだ。


 長袖、長ズボンのジャージを脱ぎ、タンクトップと短パンのジョギングスタイルになった。
 肌の表面にわずかに寒さを感じる。
 走りはじめるとこれでも汗が流れ出す。もう少し気温が低いと楽なのだが。
 実際の気温とは無関係に、参加者の熱気が伝わってくる。
 だがこの熱気も僕がいつも参加するマラソンのそれとは違い、どこか牧歌的でほのぼのしていた。

 正式名称を「第1回○○市 スポーツ市民ジョギング大会」といい、僕はゲストである。
 マラソン大会と基本的にコンセプトが全く違う。
 市民マラソンというと、ハーフをはじめ、5キロだの10キロだのの短いコースが設けられるが、「マラソン」という名前そのものが参加にブレーキを掛けているのではないか。日常の健康増進や、趣味として走っている人、ストレス解消の手段としている人、ただ身体を動かして汗をかくことが好きな人、目的は違っても手段を同一にするスポーツ好き市民が一堂に会して走ろうじゃないか、というのがこの大会の趣旨である。
 それならいっそ、マラソンではなく、ジョギングと名乗ろう。主催者のもくろみは成功したようだった。
 普段走ったことのない人でも、走ることに興味のない人でも、参加オッケーだからどんどんエントリーして下さいと、実行委員会が呼びかけたのも良かった。初めての試みにしては十分な参加者が集まった。
 この市に本社と工場を持つ会社に所属するランナーである僕はこの大会のゲストとして迎えられた。
 コースは10キロ、5キロ、3キロに別れている。基本的に僕は参加選手ではなく、走りながらインタビューをしたり、感想を述べたり、初心者を見つけては走り方のアドバイスをしたりするレポーター役である。
 テレビ局とタイアップしているのだ。
 カメラもトップグループをターゲットにはしていない。基本的には僕を中心に回される。
 面白い試みも行われた。犬を連れての参加、ローラースケートでの参加などが認められている。スケボーは身体に密着していないので、他の選手に危険があると判断されて認められなかった。だったら全く別の生き物である犬はどうなんだ、という意見もあるが、僕は主催者ではないからその問には答えられない。出発前の雰囲気をやわらげるには犬は最高だった。
 スタートの合図を待つ集団も、前の方に陣取った人々はピリピリした雰囲気を漂わせていたが、少し後ろに下がるとそうではない。スタート前の雰囲気を感じるに、試みは成功のようだった。
 確かにトップグループは記録を争うのだろう。それはそれでひとつの楽しみ方だから、僕はそれでいいと思った。
 人それなりの参加の仕方、楽しみ方。
 ランナーとして会社の看板を背負って走らなくていいという開放感が、ただ好きで走っていた頃を僕に思い起こさせた。

 悲劇はスタート直後に起こった。
 スタートを待つ集団が前へ前へと去っていった後、僕はその場にぽつんと取り残されていた。準備運動を怠ったつもりはないが、緊張が欠落していたのだろうか。油断があったのだろうか。原因はよくわからない。アキレス腱を切ってしまった。
 著名な選手が集う国際マラソンではなかったから生放送ではない。
 インタビューはディレクターが行い、編集の段階でコメンテイターとして僕の声を重ね、放送には支障をきたさなかった。しかし僕の選手生命は終わった。

 「いいの? 走らなくて」
 アッキーが言った。
 「なんだか、今日は面倒くさくて」
 選手生命を失った僕は、それでもコーチとして会社に残ることが出来た。
 僕は国際大会で華々しく上位に食い込めるような選手ではなかったけれど、いくつかの大会でそれなりの成績を収めることが出来たから会社にとってある程度はメリットをもたらしていたと思う。チームの中では最も僕は優秀なランナーであったわけだ。その選手が突然故障した。前例のないことでもあった。会社はコーチとして後進の指導に当たってくれないかと打診してきた。
 会社としては打算だったのだろう。走れなくなったから即クビというわけにもいかなかったろうから、とりあえずコーチに、という安易で無難な提案をしたようだ。
 来年30歳。アキレス腱を切らなければ、まだまだ現役でいられると思っていたし、走ることそのものにも未練はあったが、コーチをしてくれといわれたとき正直僕は悩んだ。
 普通のサラリーマンとしてこの先給料をもらうには、そろそろ転向の限界である。時間が不規則な業務を極力避けて、業務より走ることに主眼を置く毎日が長く続けられるわけがない。
 しかも、若手選手の実績を伴わなければ、僕の立場はすぐになくなるだろう。
 監督とコーチ、二人も遊ばせておくほど、会社は甘くない。
 そんなとき、「未練があるんでしょ? だったら、とことんやったらいい」と、僕の背中を押してくれたのがアッキーだった。
 恋人として少し距離を感じ始めていたときだったが、事故以来アッキーはやたらと僕のそばにいた。
 それは彼女なりの優しさだったのかも知れない。
 頻繁に泊まりに来るようにさえなった。それまでは、肌を重ねると言えば、ホテルということになっていた。
 「だめよ。走ることの感覚を失ったら、コーチはつとまらないんでしょ? 付き合ってあげるから。」
 そうだった。僕が言いだしたことなのだ。アッキーが一緒に走ってくれなかったら、僕は徐々に走らなくなったろう。もちろん本人が走らなくても素晴らしい指導を出来る人はいる。だが、僕には無理だ。僕自身が走る感覚や感動を失ったらコーチとしてもはや務まらないだろうと自覚していた。つまり、コーチ失格となり、会社にもいられなくなる。

 「もうあまり無理はしないで。」
 シャカリキになって僕はリハビリをした。コーチ就任は既に決定していた僕に、いつもアッキーは「無理しないで」と言った。
 医者には望み薄と言われながら、僕は復帰の夢を捨てきれなかった。
 だからリハビリに必死になり、時に悪化させたこともあった。
 復帰の夢をアッキーには語らなかった。ただ、「走ることの感覚を失ったら、コーチは務まらない」とだけ僕は繰り返して言っていた。
 アッキーがかなり疲れていたことに、僕は後で気が付いた。
 何しろ、車椅子、松葉杖を経て、普通に歩けるようになるまで、ずっとそばにアッキーがいてくれた。
 そして、日常生活が出来るようになり、彼女はホッとしたのだ。ある意味で、ひとつの役割を終えたような気分だったに違いない。
 でも僕は、リハビリをやめなかった。
 彼女は「しょうがないわね」と、言った。


 「さ、お食事ですよ」
 妻が配膳をはじめると、主も手伝った。
 客とおしゃべりばかりして仕事なんてしないと言われている主だが、まわりにそうと意識させないだけで実際は良く動いているのではないかとバスの運転手は思った。
 配膳が終わると、主と妻は奥へ引っ込んだ。
 二人は客と一緒に食事をとらない。食事をとらないものが同じテーブルを囲むのも変だが、それ以上にけじめをつけているのだった。
 だが、客の話を聞くときの主は「仕事だから客に気持ちよくなってもらおうと色々と話させているんだ」なんてことは意識していない。ただ、好きでそうしているのだ。
 客にしたって、自分のことを語る義務なんて無い。好きで語っているのだ。
 だが、食事となると別である。明らかに仕事として提供しているのだし、客だって対価を払っている。
 だから主と妻は席を立つのだ。
 「それで、結局、今は選手として復帰したんですか?」と、恵が訊いた。
 「いや。選手はもう無理だよ。ただ、走ることそのものまで諦めるなんてことはできなかったんだね、今から思うと。だからリハビリをして、選手としてじゃなく、自分として走りたい。そんな気持だったんだろうね」
 「じゃあ、コーチとしては? 上手く後輩が育っているんですか? それとも、失敗して会社を辞めざるを得なくなったとか」
 「お嬢さん、まずは食事を頂きましょう」と、ドライバーが口を挟んだ。
 「でも、気になるじゃないですか」
 「成功してますよ、間違いなく。顔を見ればわかりますね」と、運転手は浅羽を見た。
 「ええ」と、浅羽は微笑んだ。


 コーチとして、僕は自分でも意外なほど、若手を育てることが出来た。
 選手だった当時僕は「まだまだのびる選手」「才能がある」などと言われていた。自分もその気になっていた。その階段が途中で崩れたのだ。だからお前は優秀なコーチになれたのだ、と監督は言った。
 「お前は一流になる前に選手ではなくなった。だから、一流への階段をもがき苦しみながら上っている選手達の気持ちや身体のことがよくわかるんだよ。もしお前が、一流選手として引退していたら、コーチとしては二流以下になっていたかも知れないな」
 そんなものかもしれないと思った。


 「な、言ったとおりだろう?」と、バスの運転手は言った。
 食事が妻の手によって下げられた。
 主が酒を手に再び登場する。
 「純米大吟醸。結構な値段がする。本物の米のワインだ。おごりはいっぱいだけ。気に入ったら後はお金を払って呑んでくれよ」
 「結論はわかったから、先に休みますよ。6時のバスを運転しなけりゃならんからな。もちろんおごりの分だけは頂くがね」
 誰ともなく、「おやすみなさい」「お疲れさまでした」などの声が発せられた。
 すこしずつ体内のアルコール濃度を濃くしていくメンバーの中で、妻はひとりだけジュースを口にしていた。
 「奥さんはおのみにならない?」と、浅羽が気を使っていった。
 「妻に酒をおごってくれると言うのなら、代金だけ置いていってくれ」と、主が言った。
 「冗談ですよ。あなたが言うとちっとも冗談に聞こえないから、お客さん引きつってるじゃないですか。浅羽さん、どうぞお気使い無く。後かたづけをするものまでが酔っぱらってしまうと面倒ですから」
 「あはは。そうですね」
 「そうですよ。ところで、恵さんはどうしてこんな所へ? あてもなくやって来たご様子ですけれど」
 「ええ? 今度は私の番ですか? 弱ったなあ」
 「旅の一夜、どうせこの先会うこともない人たちですから、なにも弱らなくていいんですよ。もっとも無理じいはしませんけれど、よろしければ」
 妻が恵に2杯目の酒を注いだ。
 「さっきのは主人のおごり、これは私のおごり」
 「いただきます。じゃあ」


 「明日は1限目から授業でしょう?」
 私は翌日の授業の始まる時間によって寝る時間をだいたい決めていた。夜更かしが好きでキリがないからだ。
 曜日によって寝る時間が違うという生活にも慣れた。高校生の頃はいつも遅くまでテレビやラジオや電話にふけっていたけれど、朝起きる時間は同じだった。母親にたたき起こされていた。それでも若さのためか、それとも学校での友達や彼と過ごす時間が刺激的だったのか、睡眠不足を感じることはなかった。
 ところが、大学生になってみて。
 授業中に居眠りすることが多くなった。親しい友人はいるけれど、クラス単位での結びつきが希薄で、さぼることも日常茶飯事だから、「いつもいるはずのクラスメイト」がいなくても誰も気にしなかった。
 それでもそこそこ単位は取れる。
 いったい何なんだろうな、と学生生活に疑問を持った私は、少なくとも自分が選んだ授業だけはまじめに受けようと思った。
 試験の成績なんてどうでも良かった。要領のいい友達からノートのコピーをわけてもらうこともやめた。
 まじめに授業に出て、真剣に講義を受けよう。
 適当に遊んでどこからかノートのコピーを手に入れて単位だけを取る。そんなことをやめようと決意して、ますます友達付き合いが減っていった。ちょっと変な話だけれど、一時的な馬鹿騒ぎとノートだけの付き合いが友達関係を維持していることに気が付いたのだ。
 もちろん全てがそうではなくて、友達らしい友達はちゃんと存在するのだけれど、人数が減った。
 私の決意が「友達の選別」という副産物をもたらしたのだった。
 そんなわけで、小学校以来のことだけれど、母親が私の寝る時間を気にしだしたのだ。
 これは簡単なことで、テレビ番組が一週間サイクルだから、このドラマが終わったら、このニュースが終わったら、このコーナーが終わったら、という感じで私の寝る時間が固定されていったのだ。
 実際はその後布団の中で本を読んだり、電話をしたりすることもあるのだけれど。
 「いいの。もう学校へは行かないから」と、私は言った。
 はじめ母親は本気にしなかった。
 「もう」という単語を聞き逃したかのように、私に色々言ってくる。
 「あしたの授業、全部休講になったの?」
 「体調でも悪い? そうは見えないけど、明日お休みするの?」
 「さぼるつもり? まあ、高校じゃないから、うるさいことは言いたくないけど、そういうのはクセになるから、あまり良くないわよ」
 「ううん、そうじゃなくて、もう学校へ行くのはやめるの」
 風呂から上がってきた父親も交えて大騒ぎになった。
 悪い仲間が出来たのかとか、成績が極端に芳しくないのかとか、いじめられているのではないかとか、あげくには教授にレイプされたのかとか、彼との間に子供が出来て結婚しなくちゃいけなくなったとか、我が親ながらその想像力に感心する。
 想像力には感心するけれど、我が子の実体を全くわかってないんだなあとも思った。
 彼氏なんて存在はもう2年もいないし、自慢できないかも知れないけどわたしは処女だ。
 ソファーに寝っころがったまま無関心そうにテレビを見ている妹も聞き耳だけは立てているみたいで、時折肩がヒクヒク動いている。
 「そうじゃなくて、学校なんて、もうやめるのよ」
 「どうして」
 説明するのは簡単で、とても難しいと思った。
 私にとって得るものはなにもないから、そう結論を出したからだ。大学が意味のないところだと言っているつもりはない。あくまで「わたしにとって」である。
 遊びやバイトに夢中になれるのならそれでもいいし、真剣に研究に取り組めるならそれもいい。友達付き合いが重要というならそれもまたしかり。授業が面白いというのでもいい。
 でもわたしはそのどれにもあてはまらない。
 強いて言うなら、「私がいるべき場所ではなかったことに気が付いたから」だ。
 これを両親に上手に説明できるだろうか。両親と血はつながっていても他人。肉親に対して他人という表現が冷たいというのなら、別個の人格と言ってもいい。
 私は自分の心情を両親がきちんと理解できる形で説明できるとは思えなかった。
 それに「なにも辞めること無いじゃないの」と言われるのは目に見えていた。
 だからこそ、一言も相談せずに決めたことなのだ。
 私が何からどう説明しようかと思い悩んでいる間に、親の方からマシンガンのようにあれこれ言ってくる。
 「おまえももう19なんだから、困ったことがあったならがんばって解決しなさい。自分でできなければもちろん私達も力を貸す」
 「慌てて結論を出すことはない。2〜3日、いや一週間でも一ヶ月でもいい、学校を休んでゆっくり考えてもいいじゃないか」
 「友達には相談したのか? そういうことを相談できる友達はいないのか?」
 「大学だって、担任の先生はいるだろう?」
 「私達の意見は聞いてはもらえないのか?」
 「もう結論を出したように聞こえるが、ほんとうにきちんと悩んだのか? 考えたのか?」
 「どうしてもだめだったら、きちんと休学の手続きをとっておこう」
 休学も何も、既に退学届けを事務に出した後だった。


 「それでも私は、両親のことをありがたいって、この時思ったんですよ」
 「なぜ?」と、主が問う。
 「学歴に傷が付くとか、入学金がもったいないとか、そういうことを言われませんでした」
 「そうか。いいご両親だ」
 「ええ」
 「しかし、だからこそ、きみがそういう子に育ったんだろうなあ」
 「どういうことですか?」
 「気を悪くしないでくれ。入学金とか学歴とか言う親の元で育った子は、きっとバカ遊びをしながらノートのコピーを手に入れて要領よく単位を取って、適当なところに就職するんだよ。そういうものさ」
 「あ、でも私、そういう学生の過ごし方も否定はしてませんから。私に合わないと思っただけで」
 「ははあ。きみの大切な友達がそういう学生なんだ。でも、素敵な友達。そういうことだろう」
 「まあ、そうです」
 「うん。俺もきみの友達は否定しない。だけどそういう学生の過ごし方は、うん、少し、否定するな」
 「少し、ですか?」
 「そう、少し、だ。俺も自分の考えだけを押しつけるのは、客商売をやるようになって遠慮することにした」
 恵も浅羽も大笑いをした。妻も笑った。主は何故笑われているのかわからなかった。
 「友達、というか、パートナーというか、自分の側にいる人は大切ですよね」と、浅場は言った。
 そして、浅羽は自分のことを再び語りはじめた。


 ある夜、僕はアッキーと二人で走っていた。
 十分なリハビリを積んだ僕のペースに、もはやアッキーは付いてこれない。
 僕は面白がって、時々ダッシュした。
 アッキーは悔しそうに歯を食いしばり、必死で僕を追いかけた。
 僕は、折り返し地点にしている公園で彼女を待った。
 フラフラになってやってきたアッキーは公園のベンチにへたり込み、長い間ゼエゼエ言っていた。僕は息が乱れていないことに気が付いた。現役の頃とほとんど変わらないような気がした。
 「やっぱり、走っているときの姿が好き。走り終えた後の笑顔が好き」と、彼女が言った。
 いきなり、何を言おうとしているのか、一瞬僕はわからなかった。
 「こっそり、何度か練習を観てたことがあるの」
 「うん、それは知っていたよ」
 「選手と一緒に走っていたよね」
 「走りながらアドバイスするんだよ。もう監督には出来ない。歳だから」
 「随分走れるようになったじゃない」
 だけどそれは、ほんの一時のことである。それに、僕はアドバイスを喋りながらだから、黙って走り続ける選手と肩を並べているのは本当にその時だけだ。喋りながらなんて長く走れるわけがないし、だからといって黙々と走っていたのではコーチにならない。だから真剣に走れるとどうなのかなど、自分にかわからない。
 「でも、現役にはもう戻れないと思うよ。贅肉も付いたし、持久力は落ちたし」
 「誰も、現役にもどれなんて言っていないわ。私にもコーチをして欲しいの」
 「才能がないよ、故障したランナーにも付いてこれないんじゃ」
 「だから、一緒に走ろうって、言ってるのよ」

 僕はアッキーを抱きしめていた。
 僕に欠落していた何かが、手元に戻ってきたように感じた。
 昔、アッキーとの間に距離を感じ始めたり、彼女が妙に疲れていたりしたのは、そのせいだったのかも知れないと思った。
 運命はいろんなものを僕から奪い、僕に捨てさせたけれども、一番大切なものはそばに残して置いてくれたのだ。
 僕が気が付かなかっただけなのだ。

 エピソード3「振り向けばいつもあなたがいた」を読む

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 「笑顔が一番好きだから」は「杜の庵」に掲載するためにリニューアルした作品です。