杜の庵
プロローグ バスドライバー

 

 一日3本のバスが最後に辿り着くところ。
 「杜の庵」
 お客のほとんどは車でやって来て、お茶を飲んだりご飯を食べたりして、車で去って行く。
 深く広い森が連なり、観光客は展望台で眼下に広がる木々の海原を一刻楽しむ。
 展望台は「杜の庵」からちょっとばかり険しい道を30分ほど登ったところだ。
 山を下りてきた人たちは、満足感と疲労感を伴って、「杜の庵」の客となることが多い。
 ログハウス調の建物はまわりの風景にマッチしていて、大森林を堪能して離れがたい気持ちになった人達が、この地を離れる前に「木の温もり」を最後に味わうにふさわしい。
 わずか2室だが、宿泊用の部屋もある。(もとは3室あったのだが、現在1室は年間を通じて借り上げられている)
 ただ深い森があるだけで、とりたてて観光資源もないこの地に、それでも宿泊客はある。何もない、けれども自然がある。そんな地にただ我が身を浸していたい。そういう客が「杜の庵」に宿泊する。
 まさしく庵の主(あるじ)はそんな客のために寝室を用意したのだ。
 周辺の住人は少ない。バスの客はもっと少ない。誰も乗っていないことすらある。
 それでも庵には必ず客がやってくる。どんなシーズンオフでも。
 それはバスの運転手である。
 最終便でやって来た運転手は夕食をとり、宿泊をし、朝の1便に乗務して町へ向かう。6時きっかりにバスは出る。朝食は提供していない。
 下りの1便は10時になってようやく「杜の庵」に着く。
 これには大きな荷物を持った登山客が乗っていることもあるが、それも短い夏の間だけだ。
 このドライバーにはお茶かコーヒーを提供する。10時20分に上り2便となって町へ向かう。庵の宿泊者も町へ出る者は大抵このバスに乗る。
 下り2便が着くのは13時。ドライバーは昼食を食べた後、16時の出発まで庵の宿泊室を自由に使うことができる。
 宿泊室で仮眠する者もいれば、結局部屋には入らずにずっと主とおしゃべりする運転手もいる。山菜の季節には山に少しはいる者もいるが、これは本来やってはいけないことだ。「杜の庵」で待機する、というのが業務だからだ。万が一山で捻挫でもしてバスの運転が出来なくなったら責任問題である。
 16時に出る上り3便が最終である。
 このあと、19時に下り3便が到着し、ドライバーはここで泊まる。
 町まで2時間かかるし、こんな時間に折り返しても客は乗らないし、翌朝の始発も早いからである。
 そんなわけで、3室のうち1室はバス会社に借り上げられていて、昼は仮眠に、夜は宿泊に供されるのだった。


 庵の主の風体は典型的だった。山男の多くが「クマさん」とあだ名されているが、そのものだ。髪の毛と髭の区別が付かない。30代半ばと思われた。
 妻はいるが子供はいない。
 妻はまだおそらく20代だろう。後半であることは間違いないが、細面で華奢な体つき。化粧っけはないが、きめの細かい肌で、素肌美人である。
 美女と野獣などと評されることにはもう慣れた様子である。
 妻はよく働き、主はちっとも働かない。日がな客とのおしゃべりに熱中している。
 「客の心を解きほぐすのが俺の仕事なのさ」と、はばからない。
 実際、この男は多くの客の心を解きほぐしてきた。だから、こんなへんぴな地でいつの間にか常連がつき、商売が成り立っていた。
 常連、といっても、良くて年に数回、ひどい客になると、数年に一度しかやってこない。
 ひどい、といってもこの手のケースが一番多く、最初ひとり旅だったのが2度目は二人連れ、次に来るときは3人とか4人になっていた。
 大人は懐かしそうに目を細め、子供は走り回った。
 客は年月と共に自分と自分の回りの変化を連れてくるけれども、庵はちっとも変化しなかった。
 年賀状だけが毎年増えていった。
 まれに主が仕事をするのは、妻が買い出しや所用で出かけているときぐらいだ。しかしそれも「なるべく客が来ないとき」を見計らって出かけるから、やはりあんまり仕事をしない。


 4月になり、バス会社にも新しいドライバーが就職し、勤務のローテーションが変わった。
 馴染みのない若い運転手が時々乗務してくる。
 彼は無口だが、挨拶だけはきちんとした。
 下り1便でやってきて、お茶だけ飲んで帰ることが多かった。
 わずかな折り返し時間だが、それなりに会話をすることは可能である。けれども彼は、席を立つときに「ごちそうさまでした」というだけだ。
 6月になって、若い運転手が下り3便でやって来た。今夜はここに泊まりなのだ。
 夕食の前に「いただきます」と言い、食べ終えて「ごちそうさまでした」と手を合わせた。
 庵の主も妻も、すぐに部屋に引っ込むものだと思っていた。
 元来無口なせいもあるだろうけれど、それ以上に「何を喋っていいのかわからない」のだと彼のことを思っていた。
 無理に会話をする必要など何もない。ここでは、本人の居心地のいいようにすればいい。
 二人ともそう思っていたから、こちらから声をかけたりはしなかった。
 「おそまつさまでした。」と、型どおりの挨拶をし、お風呂の場所を教えた。
 しかし、彼はいつまでも席を立たなかった。
 しばらくモジモジしていたが、やがて、「あの、お願いがあるんですが」と言った。
 「なあに?」
 妻が優しく声をかけた。主は黙って振り返った。
 「目覚まし時計を忘れてきたんです。起こしてくれませんか?」
 「ああ」とだけ、主は答えた。
 よほど寝過ごしてしまうことに恐怖を抱いていたのだろうか。ぶっきらぼうな主の一言に、若い運転手はとびきりの笑顔を作った。


 だが、バスは定刻に出発しなかった。
 主の妻がドライバーを起こしてあげたのが5時30分。返事はしたものの若い運転手は2度寝してしまったのだ。
 起こしてあげたことで安心した妻はもう一度布団に潜り込んでいた。
 「杜の庵」は9時開店である。運転手以外の宿泊者がいるときでも起きるのはせいぜい7時。朝食は8時に出す。
 普通はそんな時間に起きないはずの妻が次に目を覚ましたのが6時半。何だか悪い予感がしたのだ。表に出るとまだバスが止まっている。
 やっぱり。
 大慌てでもう一度ドライバーを起こす。
 いつもなら9時か10時頃に起きてくる主も物音で目を覚ました。
 「慌てるな。慌てると事故を起こす。コーヒーぐらいのんで行け」
 結局バスは1時間近く遅れて出発した。


 それからしばらくその若い運転手の顔を見ることはなかった。
 主と妻は「たった一度の失敗でクビになんかならないわよね」
 「ああ。でも謹慎ぐらい食らったろうな」
 「うちじゃ、1時間ぐらい開店時間が早くなったり遅くなったりするのはしょっちゅうだものね」
 宿泊客がいるときは朝食の時間に合わせて8時に店を開ける。天気の悪い日は客も来ないだろうからとゆっくり店を開ける。
 「馬鹿。バスは時間通りに走らなくちゃならん」
 かといって、他の運転手に聞くのもはばかられた。
 何もなければそれでいいし、処分を受けたのならそんなことを聞くのはかわいそうだ。


 彼が「杜の庵」に現れたのは9月になってからだった。
 しかも、いきなりの泊まり乗務だった。
 「久しぶりね」と、妻が言った。
 「ええ。泊まり勤務にも慣れましたから、明日は寝坊なんかしません」
 「どうしていたんだ。そんなにコロコロローテーションは変わらんだろう?」と、主。
 「夏の間、貸切バスの部門に回されていたんですよ。3カ月ぶりに路線の担当に戻りました」
 「そうか。朝寝坊が原因で謹慎させられたのかと思った」
 「少しの間させられました。それから、始末書も。貸切で泊まりの時は二人乗務なので、そちらへ回されたんでしょう」
 庵の主はニヤリと笑った。
 若い運転手も笑った。
 「季節の移ろいと共に夕食のメニューも変わりました。ゆっくりお召し上がり下さい」
 妻がよそ行きの声で言った。

 

 エピソード1 「春の陽射し」を読む

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 WEBでお付き合いさせていただいている伊薙なつみさんに差し上げたショートストーリーが、「杜の庵」です。続編を執筆して連作するにあたり、シリーズ名を「杜(もり)の庵(いおり)」とし、第一作であるこの作品を「プロローグ・バスドライバー」とタイトルをつけ直しました。