最終話 ノンストップエレベーター「一緒に暮らそー!」  =3= 



 目が覚めると清花はもういなかった。交通事故裁判のご両親に会いに行ったのだ。仕事の都合で「出勤前しか時間が取れない」そうである。
「電話で愚痴られたわ。同僚はリストラされたり、見限って別の会社に行ったり、とにかく人員がどんどん減ってゆく。不景気で仕事も減ってるが、それ以上に人がいない。取引先からは値段を叩かれ、会社もそれに応じるから、売っても売っても儲けにならん。社員一人あたりが扱う量は壮絶に増えたね。けど値段叩かれてるから、さっぱり収入にならん。仕事だけが多い。どれだけ仕事をしたって給料は増えん。ただただ過酷なサービス残業があるだけだね。うちの規模の会社を支えるのに必要な人員を既に割ってるんだな」
 朝しか会えないというのは、まあこんな事情のためだ。
 僕は僕で、別に行動をする。
 宗田一家が入らせてもらっている祭りやイベントなどの主催者をいくつかたずねようかと思っている。幸い何人かとアポが取れた。その後は宗田一家を実質仕切るナンバー2の今村さんに会いたい。

 最初に僕が会ったのは、サラリーマンだった。中規模の駅前に第3セクター方式で設立した複合シッピングセンターで、色々なテナントが入っている。中央に位置するのがイベント広場で、客寄せのためのさまざまなイベントが企画されているのだが、そこに時々呼ばれるのが宗田一家だった。
「買い物に応じて点数をもらえて、何点分集まったらくじ引きが一回、そういうことをどこでもするじゃないですか」
 企画課長と名乗った男は言った。
「どこでも、ありますね、そういうの」
「でも、ただ、それだけじゃつまらないですから、夜店のような屋台を出してもらっていたのです」
 僕は宗田の親分がどんな人だったか尋ねてみた。
「さあねえ。打ち合わせなどは今村部長とさせていただいていましたから」
 僕は心の中で吹き出した。一家のナンバー2も対外的には「部長」などという肩書きを使っているのだ。
「じゃあ、親分さんにお会いしたことは?」
「お会いすることはしょっちゅうありますよ。あの方は、実質的な打ち合わせはしません。でも、イベントの前後に挨拶にお越しになります。あと、盆暮れですか。菓子折りとか手土産を下さるんですが、それをこちらが受け取ると、決まり文句だけ丁寧に述べて椅子にも座らずに帰られますね」
「何か特別な構想とか企画とか、そういうのは持ち込まれなかったですか?」
「ああ、そういえば、ポスレジがどうこうとか・・・・。そういうのは祭りの雰囲気が壊れるからやめてくれってお返事しました。世間話というか、冗談だと思っていたんですが、こんなにあっさり亡くなられるとはね。そうとわかっていたら、もっと真剣に話を聞いてあげればよかった」

 何件か訪問したけれど、ポスレジ構想の話が出てきたのはショッピングセンターの企画課長からだけで、後は似たような話だった。挨拶のための訪問を欠かさない。椅子に座らない。すぐに帰る。これだけだ。
 午後になって、急速に気温が上がってきた。長袖のブルゾンでは汗ばんでくる。かといって、その下は白い丸首Tシャツなので、まるで下着だ。僕は腕まくりをした。このまま今村さんのところへ行こうと思っていたが、昼食もとっていない事に気がついた。目に付いた喫茶店に入る。もう冷房が効いていた。僕はピラフセットを頼んだ。
「お飲み物は?」
「アイスコーヒーください」
「アイスコーヒーは、食後になさいます? それとも、同時にお持ちしましょうか?」
「すいません、先にもらえますか?」
 ウエイトレスは一瞬怪訝な表情をしたが、僕の額から流れる汗に気がついたのか、「かしこまりました」とその場を辞した。

 今村さんはテキヤのナンバー2というよりも、近所の気のいいオッサンという風情だった。
「親分が亡くなったって何も困りゃせん。これまでも、今も、これからも、同じようにするだけだ。ま、2代目はサラリーマンされてるから、挨拶回りのタイミングは少しずれてるがね。その分、わしらがきっちりやりゃいいことよ。頭がいくらしっかりしとったって、わしらがいい加減じゃどうにもならん」
「それはそうですけど、こういう所の親分って、サラリーマンと兼業でできるものなんですか?」
「そんなことはわしは知らん。2代目に従うだけだ」
「じゃあ、もし、2代目が一家をたたむ、と言ったら?」
「そのとき考える」
「はあ・・・」
「なあ、お若いの。そんな先のことばかり心配しとっても仕方なかろう?」
「そうかもしれません。けれど、お言葉を返すようですが、先のことも大切だと思います」
「ああ、確かに大切だ。だが、どうなるかわからない未来のことをアレコレ考えたって心労が重なるだけだ。目の前のことも見えなくなる。目の前のことが見えなくなれば、思わぬ失敗もする。今の失敗が将来の可能性をつぶす。違うかな?」
 僕は返す言葉を思いつかなかった。
「2代目は一家の将来のことを誰ぞに相談しておるらしいな。昨日も若い女の子がわしのところに来たよ」
 それは清花だ。
「子分のわしに相談などできんだろうが、案ずるな、と言ってやりたいもんだな」

 なにものでも受け入れる鷹揚さと、どんなことも飄々と受け流す器量と、いかなる結果にも動じないであろう覚悟。そんなものが今村さんにはあるような気がした。
 清花には具体的なことをいっぱい語ったようだが、僕にはもっとスケールの大きなことを喋った。相手を見て話題を変えるだけの機知もあるということだ。
 僕たち外野がごちゃごちゃと口を挟むなんて小賢しく、宗田さんが「任せた」と今村さんにひとこと言えばそれですべて解決、のような気がしてきた。

 この日の夜、僕たちは事務所でミーティングをした。
 僕と清花の報告を聞いて、社長は珍しく渋い顔をした。
「僕は『下調べをしてください』と言ったんですよ。その上で、『方針を決めましょう』って。それを独断でじゃんじゃん進めてしまって、もう。困りましたねえ」
 社長の望んだ「下調べ」らしくなっているのは、僕が担当したテキヤの件のみですね、と言った。
「演歌歌手のほうはダメですか?」と、僕。
「このさい、依頼者本人の歌唱力なんて関係ないと思いますよ。多分、そのオーディションは合格するでしょう」
「どうして断言できるんですか?」
「その方は大手芸能プロダクションで長年マネージャーを務めそこそこの地位にいるんですよ。自分が世間にプロとして通用するかどうかくらい客観的に判断できます。もちろん、通用すると思ったからこそ、相談してきたんじゃないですか? 通用しないと思ったのなら最初から依頼に来ませんよ」
「あ!」
「わたしのは、どうなんですか?」と、清花。
「ううーん。どうにもこうにも。都市伝説なんて突拍子過ぎて、僕にはどう判断したらいいのか見当もつきません。ただ、亡くなられた奥さんの本意とは全然関係ないですよね。要するに浮気から始まった恋愛でも、自分の亡き後はその人と幸せに暮らして欲しい、そんな思いを抱くような人だったか、そうではなかったか。そこから調べるべきではありませんでしたか?」
「あ、はい・・・そうですね」
 清花はうつむいてしまった。
「で、交通事故の件は、どうだったのですか?」
「ご両親の怒りは全然冷めていません。ですから、お話をお伺いしてても、どこから手をつけたらいいのか、判断できませんでした」
「え? それでそのまま帰ってきちゃったんですか? 立花さんらしくないですね」
「いえ、ご主人が会社に行かれた後、奥さんにお願いして、お子さんの日記をお借りして来ました。お子さんが上告を望むのかどうか、という依頼でしたから、その子がどんな子だったのか判断するにはひとつの材料になると思います」
「うん。それはきっと正解ですね。あとはお友達とかにも話を聞いて人物像を浮き彫りにしていけばいいと思いますよ」
「はい」
 社長が「正解ですね」というフレーズを口にしたとたん、清花の目が輝いた。
 清花のガックリした表情は僕をも滅入らせる。逆に、イキイキした清花は僕を元気にさせてくれる。
「二人とも、一勝一敗ってとこですか。ま、仕方ありませんね」
 社長はにやりと笑った。どんな報告をしても社長はどうやら「一勝一敗」を宣言するつもりでいたんだと僕には思えた。
「調子に乗ったらダメだぞ。でも、ま、そこそこいけてるようですね」
と、釘をさすのと励ますのと同時にやろうとしていたんじゃないだろうか。
「ま、とりあえず、コーヒーでも飲みましょう」

 コーヒーでも飲みましょうと言ったくせに、社長は席を立たなかった。まさか清花が「じゃあ、わたくしがおいれしましょう」なんぞとほざくのを待っているわけではあるまい。
「僕の淹れたコーヒーはまずいですよ」と言いながらも、その役を決して他の誰かにさせようとはしなかった社長だ。いまさら清花に「並みのお茶くみOL」のようなことを期待などするとは思えない。
 社長は「とりあえずコーヒー」と言ってはみたものの、何か気がかりでもあって考え込んでいるのかと思った。清花も似たり寄ったりの想像をしているのだろう、社長が動かない様子をじっと見ているが、何も言わない。ただ、待つのみ。
 しばらくすると、奥の給湯室から芳しい空気が漂ってきた。
 え?
 社長の代わりに誰かがコーヒーを淹れているのか? まさか社長の「コーヒー」に反応して自動的にコーヒーを淹れてくれるマシンが導入されたわけではあるまいな。
 あ! そうか!
 あおいさんだ!
 正解だった。まもなくあおいさんがトレイにカップを4つのせてやってきた。
「おまたせしました」
「わあ、久しぶり。キャー!」
 清花がはしゃいだ。
「うふふ、お久しぶりね。ここでは清花ちゃんが先輩だから、よろしくね」
 エプロン姿のあおいさんがにこやかに笑った。
「その衣装は社長の趣味ですか?」
 なんかちょっとメイドさんっぽい。
「ば、馬鹿いわないでください」
「やあだ、照れなくていいでしょ?」と、清花。
「そういえば以前、安手のテレビドラマに出てくるいかにも探偵みたいな、黒づくめの衣装を用意してましたよね。社長って、コスプレの趣味があるんじゃないですか?」
「そ、そんなことより、早くコーヒーを頂きましょう。僕の淹れるコーヒーと違って美味しいですから、さめちゃもったいない」

 いつまでもコーヒーを飲みながら歓談しているわけにはいかない。僕たちは調査方針をひとつづつ固めていった。
 テキヤの件は、とりあえず依頼者に途中経過を報告することになった。このまま調査をすすめて父親の意志がたとえはっきりしたところで、あの2代目はどうも優柔不断っぽい。何が彼にとって、そしてテキヤの皆にとって、幸せなことなのか。現状では判断できない。そこで、途中経過を報告して彼の反応を見ようと言うことになったのである。
 交通事故の件は、彼の生前の友人や周囲の人たちに徹底的にインタビューすることにした。人柄、性格、普段の言動やものの考え方。これに日記の中身を加味して、結論を出す。
 演歌歌手の件は、オーディションに合格するかどうかの結果待ちだ。だが、社長の予想では、たぶん合格するだろうということだった。その段階で、杉橋を投入して揺さぶりをかける。どんな揺さぶりをかけるかは・・・・、まあそのうちにね。
 浮気の件は・・・・、方針が固まらなかった。「もう本人の好きにしてよって気分だけどね」と、ミーティングの最中であるにもかかわらずやけくそ気味に清花が言った。自分のやり方に社長が「ノー」を宣告したから、この件に関しては不機嫌になるのはわかるけれど。驚いたのは社長がそれに同意したことだ。「全く、そのとおりですね」
 そして、社長が下調べに当たっていた「会社の跡継ぎ」の件は、あおいさんが清掃員になって会社にもぐりこみ、社内の雰囲気をもう少しつかもう、ということになった。が、翌日になって、妙なことになる。もちろんこの時点で僕たちはそれを知る由もないのだが・・・。

 翌日。
「立花さん、いったいその『都市伝説』って、なんですか?」
「簡単にいうと、現代風都会版怪談、でしょうか」
「怪談、ですか・・・」
「マルドナルドハンバーガーには猫の肉が使われているとか、百姓チェーンの餃子には食用ミミズが使われているとか」
「ぷ! それのどこが怪談なんですか?」
 あおいさんが吹き出した。
「どこそこの学校には出るとか、あそこの桜の木の下には死体が埋まっているとか」
「普通の怪談だよね」と、僕。
「んー・・・・。そう言われればそうなんだけど。ほら、怪談って、普通、歴史があるじゃない。番町皿屋敷とかさ。そういうんじゃなくて、現代人の怨念とか、嫉妬とか、そういうマイナーな感情が霊という実体になって・・・」
「霊に実体なんてないだろう?」と、僕。
「あ、そっか。それはそうなんだけどさ。とにかく都会版現代版なの。そうそう、有名なのがあるわ。『希望荘の大妖怪』ってやつ」
「ああ、学校に行けなくなったいじめられっ子が、合宿してお互いの心を癒しながら義務教育課程をそこで終えるって言う・・」
「そうそう。そこに居る子達はもちろん生きてるわけよ。でもね、生きている彼ら彼女らが、霊を作り出しちゃったのよね。同じ境遇の人たちが集まって語り合ううち、自分たちはなんて理不尽なことをされてきたのだろうっていう『負』の感情を共有しあうようになったのね。もちろん彼ら彼女らはそれに対抗できるだけの逞しくて優しい心を持って卒業してゆくのよ。でも、同時に『私たちだけがどうしてこんな思いをしなくちゃいけないの? 私たち、なにか悪いことした?』って。そういう気持ちが寄り集まって霊として実体化して、いじめていた人たちに霊障を及ぼしたわ」
「そう言う人もいるし、科学的根拠がないと言う人もいるけどね」
「でも、お払いで解決したわよ」
「それも含めての話だよ」
「うん。信じる信じないは人それぞれ。あくまで一例ってこと」
「今日もその取材、続けるんですか?」と、社長。
「取材はもうしませんけど、せっかく集めた資料ですから・・・」
「ひととおりまとめてみますか。じゃあ、僕もお付き合いさせてください」
「わかりました」
 こんなわけで、珍しく社長が清花に同行することになった。
「書類整理ならここでやれば?」と、僕。
「何? やきもち? そういう負の感情が都市伝説の元になるのよ」と、清花。
「そんなこと言ってないだろ。あおいさんが清掃員として例の会社に乗り込むんだから、清花も社長も居なくなったら誰が留守番するんだよ」
「だけど、左沢博士っていう、その道の専門家の方に、ご意見を伺ったりとか」
「アポをとってあるんですね?」と、社長。
「はい」
「ではなおさら、同行したいな。悪いけど、橘クン。留守番頼みましたよ。今日は特に調査の予定はないですよね」
「ええ、昼のうちは、まあ・・」
「急に出かける用事が入ったら、電話を僕の携帯に転送するようにセットだけしてくれれば、それはそれで構いませんから」
「わかりました」
 そうして僕は、事務所に一人残された。
 そこへタイミング良く(悪く)やってきたのが、占い師兼弁護士を名乗る男だった。
 かんべんしてくれよな。こういうややこしーのは苦手だ。清花や社長ならうまくやるんだろうけれど。

 飯塚というその男は、100万円の束を五つ、応接コーナーの机の上にどん、どん、どん、どん、どんと積み重ねた。
 飯塚のいでたちは普通のビジネススーツ。ちょっとばかり高級そうに見えるが、他になんら不審な点はない。にもかかわらず、なんとなくうさんくさそうに見えたのは僕の勘だ。勘は僕にポケットの中の小さなリモコンのスイッチをとっさに押させていた。札束をテーブルに載せるあたりから撮影できているだろう。
「これは? うちはまずお見積もりをさせて頂くシステムになっておりますので、いきなりお金を頂戴することはないんですが」
 僕は丁重に言ったつもりだった。いきなり大金をちらつかせるなど、ヤバ系に違いない。
「違約金だ」と、男は言った。
「違約金ですか? すると、既にご注文いただいている?」
「そうだ」
 男は会社名を名乗った。それは後継者問題で風の予感に依頼をしてきた会社だった。
「確かに承っておりますが、解約、ということでしょうか」
「そうだ」
「でしたら、お渡ししてある契約書をご提示いただいて、解約のための諸手続きを・・・」
「うるさい」
 男に一喝されて、平静を装っていた僕もとうとうびびってしまった。いや、最初からびびっていたのだけれど。
「十分な違約金のはずだ。納めてくれ」
「い、いや、その。い、違約金にも、途中解約の際の、ちゃんと、ですね、取り決めがありまして、」
「釣りはいらん。迷惑料だ」
「あ、迷惑料という名目のですね・・・」
 威圧感を振りまいていた飯塚は、ふう、とため息をついて肩の力を抜いた。
「あんたも融通のきかん男だなあ。責任者じゃなさそうだからこんな金を渡されたって扱いに困るだけだろうとは想像してたけど、それにしたってひどすぎる。決断力ない割りに頑固なんだから・・・」
「余計なお世話です」
 思わず僕は思ったことを口に出してしまった。
「この金を受け取れないというのなら、とりあえず預り証でも書いてくれ。責任者が戻ってきたら連絡くれたらいいから」
「あくまでもこのお金を置いていく、ということですね」
「あくまでも受け取らんつもりか?」
 再び威圧感を取り戻して胸を張る男。
「か、書きますよ。預り証ぐらい。ただし、僕の個人名ですよ。個人責任でやりますから」
「わかったよ」
 飯塚は再び肩の力を落とした。
   




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