最終話 ノンストップエレベーター「一緒に暮らそー!」  =4= 



「それは約束が違いますね」と、杉橋は言った。
 今日の彼のいでたちはスーツ姿である。
 杉橋と面会しているのは、演歌歌手のマネージャーすなわち依頼人と、その付き人としての僕である。
「あなた、ご自分がデビューしたいばかりに、この若い人のプロフィールを使ってテープを送ってきたんですってね。そして、審査の場にあなた自身もいた。これでプロモーションしろだなんて、詐欺みたいなものじゃないですか」
 業界ではそれなりの顔であるベテランマネージャーが小さくなった。
 ところで、杉橋の役割は、プロモーターである。テレビ番組とのタイアップやビッグイベントの開催、曲発表前の話題作りなど、この男の手にかかったらヒット間違いなしと言われている(ということになっている)。
 昨今のJ−POPはこのように多角的な相乗りをしないとヒットなど望めない。曲の良し悪しなど関係ない。
 一介の便利やでしかない杉橋が、どうしてこのような名声のあるプロモーターに化けることができたのか僕は知らない。社長と杉橋が策を弄したのだ。
「若い新人演歌歌手のプロモーションは私も初めてです。これまでのノウハウを全てつぎ込んで、さらに新しいことも色々やりながら、と私も楽しみにしていたんですけれど、残念です」
 オーディションに合格したら杉橋を使って揺さぶりをかけると社長は言っていた。それが、これなのだ。
 合格の結果報告とともに僕の元にもたらされた報告はこうだった。
「さっそくものすごいプロモーターが会ってくれるらしい。さすがにそこでは偽のプロフィールでは通用しないから、キミには付き人として同伴してもらってそれなりのフォローを頼みたい」
 しかし、フォローなど出来ようはずもなかった。
 肝心の依頼者は詐欺師呼ばわりされて小さくなりぐうの音も出ない。僕は僕で、風の予感の大先輩である社長と杉橋の策に翻弄されるばかりである。
「あなたの年齢でデビューしてヒットを出せば、当然世間はそれまでの経歴に興味を持つでしょう。インチキなオーディションで合格したなんてことは簡単に漏れてしまいますよ。私はそんな人のプロモーションなどしたくないですね」
 杉橋にボロクソに言われて、依頼者はガックリと肩を落として席を立った。

「社長、仕組みましたね」
 事務所に戻った僕は社長に言った。
 今回の依頼は、依頼者がマネージャーとして仕えていた演歌歌手が本当に「自分のなきあとはキミが歌え」と思っていたかどうかを調査することだ。演歌歌手がマネージャーの歌唱力を褒めていたのがリップサービスか本気だったかを調べるためのオーディションだった。オーディションに合格させてそのままデビューなどという筋道はもともとなかったのである。そもそもプロフィールを偽っているのだからそのままデビューなどありえない。
 なのに、プロモーターをでっち上げてまで嘘を見破ったぞと本人に突きつけることに何の意味があるのだろう。
 僕は自分の思いを淡々と告げた。口調は「淡々と」でも、気分的には社長に詰め寄っていた。「担当者は僕ですよ。余計なことはしないで下さい」というニュアンスを含んでいた。
「でも、依頼者は偽者のプロモーターにボロクソに言われて落ち込んでいたと言うじゃありませんか」
「当然だと思います。嘘を看破されて詐欺師呼ばわりされたんですから」
「僕はそうは思わないんですよ。デモテープは実力を測るためだけのものでした。偽のプロフィールを掲げて覆面歌手としてやっていくわけではないんでしょう? だったら大物プロモーターを名乗る人物から連絡が入って、どうしてノコノコ会いにいったんでしょう?」 「え?」
「あのテープは実は私でしたと事実を述べ、あわよくばそのままデビューと考えていたからに違いないんですよ。だけど、本当に実力があると本人が信じているなら、そんなもの蹴って自ら堂々と社内で名乗りを上げればいいんですよ。それをしなかったのは、なぜでしょうか? ヒットメイク間違いなしのプロモーターに頼ろうとしたのはなぜでしょうか? 本人が自分の才能に一番疑問を抱いていたんじゃないでしょうか」
「ほ、本人が実力に疑問を抱いていた、って、そんな・・・。デモテープを聴かされた関係者は『いける』って判断だったんですよ」
「その場に審査員の一人として依頼者がいたんでしょう? だったらあてになりませんよ。審査したメンバーの中では依頼者はそれなりの年配ですよね。だったら彼が『うん、悪くないね』と口走れば、まわりは同調しますよ。これまで色々な歌手を成功に導いてきた敏腕マネージャーなら、なおさらです」
「実力で戦ってしのぎを削っている歌手の世界で、そんなことがあるんでしょうか」
「実力ですか? その程度の実力なら、素人だっていくらでもいます。彼らは実力ではなく、スター性で戦っているんです。『馬鹿野郎。詐欺師呼ばわりする暇があったら俺を売る方法を考えろ』くらい言える人物でなければ、成功は難しいと思いますけれどね」
「結局、自身がなかった。だから、風の予感に依頼をした。社長はそう判断しているんですね」
「そうです。調査は死者のためでなく、生者のためにあるのです。依頼者は、歌唱力では歌手になる条件を満たしていたかもしれませんが、それ以外の部分が足らなかったんじゃないでしょうか」
「引導を渡すんですか?」
「ま、そういうことになりますね。このままマネージャー業を続ければ人生を狂わせるほどの大きな失敗はないでしょう。でも、何もかも捨てて新たな生き方に賭けるというのは、彼の年齢からしてきついでしょう。しかも、本人に自身がなければなおさらです」
「じゃあ、報告書はどうするんですか?」
「演歌歌手は人情家だった。もし本当に依頼者に才能があるのなら、『俺のマネージャーなんか辞めてすぐにデビューしろ』と言ったでしょう。『おまえには歌唱力はあるが才能はない、などと言わず、俺が死んだらなどと言っていたのも彼の人情のなせるわざ。まさか本人もこんなに早く死ぬとは思っていなかった』ぐらいの報告書でどうでしょう。ですから、今後は、『その演歌歌手は人情家だった』というデータ集めに方針を切り替えてください」
「わかりました」

「と、言うわけなんだよ」と、僕は清花に伝えた。
 汗ばむほどの陽気に包まれたまるで初夏のような日だった。
 僕と清花はちょっとした仕事の合間を利用して、「一緒に住む家」を探して回っているところだ。
 言ってみればこんなに甘いデートはないはずなのに、職場が同じなのでどうしても仕事の話になってしまう。
「それはそうと、例の怖いお兄さんのキャンセル料はどうなったの?」
「ああ、あれね」と、僕はそっけなく言った。
 不動産屋から鍵を借り地図をもらったのはいいけれど、延々と続く上り坂にいい加減二人とも息が切れてきた。
「結局、あれじゃキャンセル料には足りませんってことになって、さらに200万円請求して、ケリ」
「え? なによ、それ。そんなに経費をかけてるわけないじゃない」
「あおいさんが清掃員として潜入するために清掃会社に払った袖の下とか、会社の内情を秘密裏に探るために専門家に依頼したハッキングとか、そういうものの経費がたくさんかかっているんだって」
「本当にかかってるの?」
「ううん。社長が珍しく怒ってね。それなりの大きさの会社のくせに自分たちで何も判断できず依頼してきたくせに、さっさと依頼を取り下げるなんてけしからん。人の気持ちを何だと思ってるんだ。ポンと500万出せばそれで済むってもんじゃないだろう。もう200万出せ、みたいな」
「ブーッ!!」
 清花が吹き出した。
「社長らしい」
「笑い事じゃないよ。あの怖い兄さんから、さらに金を取るんだから」
「でもさ、さらに500万出せ、じゃなくて、200万っていうのがおかしいじゃない」
「そんなものかなあ。金に執着するなんて社長らしくないと思ったんだけど」
「執着しないから、悔し紛れのあと200万円なんじゃない」
「ふうーん」
「ともあれ、ひとつ案件が片付いたわけね」
「まあね」
 本当にこれで片付いたと言っていいのだろうか。

 それにしてもすごい上り坂だ。さっきから後方で原付スクーターがうんうん唸りをあげているが、いっこうに僕たちを追い越さない。50ccではこの上り坂は苦しいと見える。不動産屋から渡された地図によるとそろそろ着いても良さそうなのだが。
「まだかなあ、いい加減くたびれたよ」とうんざりしかけた頃、道は険しく右にカーブしていた。おかげで先を見通せなかったのだが、曲がりきると急に道が細くなり、家並みも途切れ、両側には木々が生い茂っていた。
「騙された!」と、清花が言った。
「騙された、って?」
「不動産屋って足が速いってこと忘れていた」
「足が速い?」
「説明では徒歩20分って言われているわ。でも不動産屋の徒歩何分なんてもともとあてにならないじゃない。そのことを忘れてたってこと。にしても、わたしたちかれこれ30分は歩いていると思わない?」
 僕は時計を見る。その通りだった。喋りながらのんびり歩いているにしろ、30分はかかりすぎだ。
「まあ、毎日これだけ歩いたら、健康にはいいだろうけれど」
「毎日の調査で歩き回ってるじゃない。十分もう健康よ」
 それは言えてる。自主休講の日々を送っていたときの僕に比べたら歩行距離は20倍にも30倍にもなるだろう。
 原付スクーターはどこかの家に入ってしまったのか、結局僕たちを追い越すことなく、気配を消してしまった。
「もう帰ろうよ、和宣」
「え? 見ないのかい?」
「だって、駅からこんなに遠かったら、遠くまで調査に行った日なんて帰る気がしなくなる。どうせわたし達のことだもん、こんなに家が遠かったら調査のときなんかやたらめったらビジネスホテルに泊まるに決まってる」
「そうだな。今までだってそうだったもんな」
「でなきゃ、社長みたいに事務所に泊まっちゃうかもね」
「社長夫婦と僕たちが事務所に同居したりして」
「やっぱり、多少高くても、狭くても、遅くまで最終電車が走っている都心の駅の近くがいい」
「うん、そうしよう」
 僕たちは現場を見ずに引き返した。
 家を借りたいと言えば不動産屋は普通、車で現場まで送り迎えしてくるんじゃないのかと鍵を渡されたときは思ったが、なるほど自分で一度駅から歩いてみなさいと言うことだったのか。車で送迎されて、契約をして、後になって「駅から遠すぎる」と文句を言われるのを防ぐためだったのかもしれない。

 例の演歌歌手にかかわる「人情話」を収拾するのはきわめて簡単だった。仕事には厳しい人だったようだけれど、気配りや優しさと言う点では僕が接触した限りは完璧な人だった。
 僕はそれらエピソードを中心に報告書をまとめ、社長にOKをもらった。
「橘君はまだフィールドワークが残っているんでしょう? 依頼者への報告は僕の方でしておきますから」
「はい、お願いします」
 調査員として依頼者とはいくつかの行動をともにしているから、それなりの情も移っている。報告まできちんとしてあげたかったが、忙しかったのも事実だった。けれどもそれ以上に社長は僕が余計なことを言わずに済むようにしてくれたのだと感じた。もう一言付け加えてあげたいと思ってもクールに割り切らなくちゃいけない時がある。

「ところで橘君、テキヤの件はどうなっていますか?」
「まだ調査中です」と、僕は言った。そして、「実はあんまり進んでいません」と、声を潜めて付け加えた。
 依頼者はテキヤの親分だが同時にサラリーマンなので、平日の昼間に連絡が取りづらい。出来るだけ遠慮してくれるよう本人からも言われている。周辺から固めては行っていたが、ナンバー2の今村さんの台詞が僕の頭から離れず、イマイチ思い切った行動に出ることが出来なかった。
「親分についていくだけ」
「任せたと言われればちゃんとやる」
 彼らも多少なりとも不安はあるだろう。しかし、不満は持っていない。
 先代の思いはともかくとして、現状にそれほどの問題があるとは思えなかった。問題があるとすれば依頼者の煮え切らない態度だけである。
「そうですね。僕たちの仕事の大部分は『思いもよらない結論を出してあげる』ことではなくて、依頼者が本当はどうしたいのかを汲み取って、安心してそれを遂行できるだけのデータを集めてあげることですからね」
「立花さんに言わせれば、きっと『調査不足』ってことになるんだろうなあ」
 僕は独り言のように言った。以前、そう言われたことがある。それは何の調査だったろう。
「ところで橘君、その依頼者の勤める会社なんですが、ちょっとやばそうなんですよ」と、社長は言った。
「やばいって?」
「急激にリストラを進める様子です。早期退職者を募ろうという動きがありますね。しかも、まもなく脱税で告発されそうです。土地や株の含み損も相当あるようですし、海外展開しようとしていた事業もなんだか凍結されています。重要な取引先のいくつかが倒産してその影響も受けていますし」
「そんなことどうやって調べたんですか」
「新聞を見てればある程度わかりますよ。業界の風評も伝わってきますし、インターネットからも読み取れるデータがあります」
「アームチェアディテクティブですね」
「いや、そんな格好のいいものじゃないんですけどね。それはともかく、先代は依頼者にテキヤをついで欲しかった、という結論は出てきませんか? さっさと今の会社を退職させてあげた方が良いように僕には思えるんですよ」
「でも、社長。それは出すぎたまね、ではないですか?」
「もちろん、そうです。ただ、せっかく依頼してきてくれたからには、幸せになって欲しいんですよね。いえ、もっと正しく言うと、不幸にはなって欲しくないんです。まして、我々の出した結論に従った末にそれが悪い選択だった、なんてのはちょっと辛いじゃないですか」
「まあ、そうですね」
 一応社長に同調はしたものの、なんとなく納得いかなかった。
 調査報告書がどうあれ最後の最後は本人が決めることだ。
 そんな風に考えている僕は、もしかしたらまだまだ「風の予感」のスタッフになりきっていないのだろうか。

 一方で、清花からも連絡があった。妻に先立たれた男性の再婚の件である。
 清花は都市伝説がどうとか言っていたが・・・
 社長に中間報告をする前に、相談に乗って欲しいと電話がかかってきた。
「じゃあ、うちに来る? それとも、清花の所へ行こうか?」
 ここのところ清花とは、お互いの住処を行ったり来たりして、一緒に過ごすことが多い。
「外で会わない?」
「いいけど」
「賑やかなところがいいわ」
「うん」
「じゃあ、場所はわたしに任せて」

 そこは炉端焼きの店だった。
 入り口を開けると中から熱気と有線らしいJ−POPがドワっと溢れ出し、「らっしゃい」という掛け声が次々かかる。
 店員の誰かが「お二人様!」と叫べば、誰かがそれに「へい。お二人様! こちらへどうぞ!」と呼応する。僕たちは4人用のテーブル席に案内された。カウンターでもいいのだがと言おうとしたが、清花から仕事の相談があるといわれていたことを思い出して、案内されるままにテーブルに座った。広げるべき書類があるのかもしれない。
 その間にも、「○○あがったよ」「チューハイ2丁」「3番テーブルさん、オアイソ!」など、声が行きかっている。その騒々しい中で会話をする客たちの声も自然と大きくなり、店員の掛け声はそれよりもさらに大きな声で響く。
 なるほど、清花が賑やかなところがいいと言った意味がわかった。
 ここでなら、どんな会話もはばかる必要はないだろう。 「お飲み物は!!」
 威勢の良い声につられて、「いよっ、生、2丁!」と応える清花。
「へい! こちらさん、ナマチューニチョーね!!」と奥に声を張り上げる店員のお兄さん。
「ふふ、生でチューだって、なんかエッチだよね」
「おまえ、もう酔ってるのか?」
「ご注文はお決まりですか!!」
「焼き鳥の盛り合わせ」と僕が言えば、清花は「刺身適当に」と続ける。
「あ、それから豚キムチとえのきベーコン」と、僕が追加する。
「トーフサラダと、シシャモと、揚げシューマイ。それから、ミックスピザと焼きそばね」
「お、おい、もうよせよ。そ、そんなに食えるか?」
 蒼くなりかけた僕を「こんなんで足りるの?」と制して、さらに清花はホタルイカの沖漬けとサイコロステーキを頼んだ。

 食べ切れるのか、と思ったが、食べきれた。ひとつひとつの量が少ないのである。例えば、ミックスピザひとつが「目玉焼き」くらいの大きさしかない。
「ね、色々食べたいときに、このお店は重宝するのよ」
「量が少ないからといって安いわけではないみたいだけど」
「そのかわり美味しいでしょ」
「ま、確かに」
 仕事の相談があるといっても、先にこういうところに来てしまうと、まず腹ごしらえをしてしまうのが僕と清花のならわしだ。アルコールも入って気分が良くなってきたところで、いよいよ本題だ。
「ところで、相談って?」
 清花が調査していたのは、妻に先立たれた男からの依頼による案件だった。依頼内容は複雑なものではない。身体がそれほど丈夫でないその妻から男は常々言われていた。「わたしが死んだらさっさと後釜を見つけなさい。あなたは一人では何にも出来ない人なんだから」。ところが、男には妻が死ぬ前から後釜がいたのである。後釜、というか、愛人だね。
 新しい女を見つけなさいと妻に言われていたのはあくまで「死後」の話。ところが、生前から見つけていたその女と一緒になって、あの世の妻に呪われたりしないだろうか、というものだ。
「そういえば、都市伝説とか何とかいっぱい集めて、男を脅すとか言ってたっけ」
「ううん、そっちは全然ダメ。都市伝説って、怪談じゃないのよ。どっちかっていうと無責任な風評による怖い話に背びれ尾ひれがついて、面白おかしく広がっているだけ。だから、今回は使えないわ」
「そっか、で、どうするの? 相談って言うからには、それなりのデータが集まったんだろう?」
「そ」
 清花はA4用紙をドサッとテーブルの上に置いた。10枚はあるだろう。もっとも、上から下までびっしり文字で埋められているわけではない。一枚につき一件の報告が簡単に記されている。
 何の報告かと思うと、依頼者の女房が生前に浮気をしていた事実の報告である。
「うひゃー、すごい」
 ざっと目を通しながら、僕は言った。
 普通のサラリーマン、自営業のおやじ、学生、フリーター、若手の医者、旦那の同僚、近所の人など、男のつまみ食いもおびただしい。
「身体が弱いからっていうからさぞつつましやかな生活をしてるのかと思ったら、そうでもなかったの」と、清花。
「それが身体に負担をかけていた、とか?」
「というより、わずかに残された命のともし火を謳歌しようとしていた、ってとこかしら」
「何とでも言えるもんだなあ」
「旦那に愛人がいるってことも知っていたみたいよ」
「お互い様か」
「特定の相手がいるのに、なんかよくわからないよね」
「それは清花がまだおこちゃまだからよ」
「一人の相手をきちんと愛しぬくことができないほうがおこちゃまだと思うよ。和宣は、大人なの? それともおこちゃま?」
「今のところ、大人かな」 「ま、この清花ちゃんの魅力を上回る女の子なんて、そうそういないからね」
「そうだね」
 僕はうっかりと肯定してしまった。いや、事実、僕にとってはそうなんだけど、こんなことを言ったら清花を調子ずかせるだけじゃないかと、言ってから後悔した。
 けれど、清花は調子づくどころか、黙り込んでしまったのだ。
「あれ? え? どうしたの?」
「バカ。あんまり正直に答えるから、ちょっとジンときちゃったじゃないの」
 ジンときたのなら、「あんまり正直に答えるから」ってなフレーズは無いだろう、と思うのだが、これも清花流の照れ隠しだろう。
 清花は俯いたまま、テーブルの上に並んだ料理の上空で箸を旋回させながら、言った。
「でも、『今のところ』ってのは気になるわね。和宣は、わたしがいるというのに、浮気したりするの?」
「浮気はするかもしれない。あ、浮気って言ったって、『あ、きれいなひと』ってフラフラ〜って視線で追うのもそうだし、エッチもしちゃうかもしれない。そういうのを全部含んでの話だよ」
「なんだかんだ言って、エッチするんじゃん」
「だからあ、それはたまたまそうなってしまったってことで。そういうこと、あるだろう? だけど、清花以外に特定の人を作って継続的に付き合うって言うことは絶対ないから」
「なに言い訳してんのよ。『一回』も『ずっと』も、一緒じゃない」
「一緒じゃないよ。だって、清花だって、望まないけど、雰囲気に流されてしまったってこと、あるだろう?」
「わたしは、そんなのないわ。和宣は、あるの?」
「今のところ、ないけど・・・」
「ふうーん。また『今のところ』か。一夜のお戯れってのに、憧れてるんだ」
「憧れてるわけじゃないけど、まあ、そういうことになったら、そうなるだろうなと」
「ま、いいけどね。わたしにバレなけりゃ」
「え? いいの?」
「な〜に嬉しそうに言ってるのよ。バレなきゃいいってのは、わたしにとったら決して気分のいいことじゃない、ってことじゃないの。察しなさいよ」
「ごめん・・・」
「ま、いいけどね。気持ちはわかるから。わたしだって、『あ、いい男』とか思うことあるしね。でもさ、だからってフラフラするのは、嫌のなの。私自身が許せないのよね」
「うん、わかった。ごめん」
 僕は清花の前で神妙な気持ちになっていた。
「ま、いいわよ。わたしの気持ちだけでも理解してくれたんなら。ただ、ね」
 清花は「ただ、ね」と言いながら、ふうっとため息をついた。
 視線が遠くに注がれる。それは物理的な遠さではなく、見えない空間へと向けられているようだった。
「一緒に暮らそうってだけならまだしも、どうせわたしたち結婚しそうじゃない。そうして、和宣は、わたし一人に縛られるんだよ。それでもいいの?」
 結婚かあ。
 一緒に暮らすことと、結婚すること。何がどう違うんだろう。
「ほうら、答えられなくなった」
 鬼の首を取ったように、清花は僕を睨みつけた。
「違うよ」と、ポツリと返事をする僕。
 ムキになって言い返してくるとでも清花は思っていたのだろうか。ボソッと言葉を吐き出した僕に拍子抜けしたようだった。
「一緒に暮らそうってことで、部屋を探してるだろ。それはそれでいいと思ってたんだけど、清花が突然『結婚』なんて単語を使うもんだから、同棲と結婚とどう違うんだろうとかふと思っただけ」
「そうねえ。わたしは和宣と一緒にいたいって思うし、一緒に暮らしたいと思うけど、今すぐ結婚しようって気にはならないのよね。なんでだろ。多分、気分の問題だろうな」
「気分、ねえ」
 そんなものかもしれない。
「で、和宣はどうなの? わたし一人に縛られて、いいの?」
 僕は「いいよ」と答えた。だから付き合ってるんじゃないか、と思う。
 そして、「もし、そうでなくなったら、ちゃんと言うから」と付け加えた。
 また余計なことを言ったなと自己嫌悪しそうになったが、清花は満足そうに、「そうね、そうよね」と頷いた。
「だから、わかんないのよねえ。旦那がいながら、あっちこっち男に手を出す女・・・」
 依頼者の死んだ妻のことを言っているのだ。
「いや、でも、清花だってさっきは『気持ちはわかる』って言ったじゃないか」
「あれ? そうだっけ?」
 テーブルの上に運ばれてきていた料理の数々はほとんどがなくなっていた。僕と清花は生ビールをおかわりする。
「で、仕事の話だけどさ、和宣はどう報告したらいいと思う?」
「どうって?」
「その1。奥さんも浮気しまくってました。もちろん旦那が浮気しているのも知っていました。だから、今さら、許すも許さないも無いでしょ。好きな人がいるならその人と一緒になれば?
 その2。奥さんの浮気については、旦那には内緒にしておく。でも、その愛人と一緒になるのは認める。だって、自分は死んじゃったんだもの。
 その3。『わたしが死んだら新しい人と』って言ったのよ。わたしが生きているうちから新しい人を作っていたなんて、許せない。恨んでやる。
 どれがいいかな?」

 ああだこうだとディスカッションしているうちに、ビールが日本酒に、やがてワインになった。
 ワインといっても国産の安物である。正確には、ワイン風の味わいがするアルコール飲料、といったほうがマシな代物だった。食べ物はそこそこ美味しい炉端焼きの店なのに・・・
 しかし、いずれにしろ僕たちは二人とも正しく味わうことができる状態ではなかった。いわゆる酔っぱらいだ。
「社長ならどうするかなー」と、清花が言った。
「知らないよ、そんなの。僕は社長じゃないもんねー。本人に訊けば〜?」
「あー。和宣、酔っ払ってるウ。訊くったって、今、何時だと思ってるのよ」
「明日訊けばいいだろ?」
「うんうん、わかったわかった」
 そう言いながら携帯電話を取り出す清花。
 おいおい、酔っ払ってるのはどっちだよ。
 清花は何度か電話をしようと試みるのだが、手元が狂ってうまく電話できない。僕はマジで心配になった。
「大丈夫かよ、おい」
「大丈夫、大丈夫。わざと失敗してるんだから。だって、こんな時間に電話したら迷惑でしょ?」
「本当に大丈夫だってんなら、僕に電話してみろよ」
 ちなみに僕も先日携帯電話を手に入れたばかりである。ただし、誰からもかかってこない。
「和宣の電話番号、教えてもらってない」
「あれ? そうだっけ?」
「教えてみ」
「あ、ええと・・・」
 使っていない携帯電話の番号なんて覚えてやしない。覚えていたとしても、アルコール漬けになった脳みそからその番号を引っ張り出すのは至難の業だろう。
「ええと、どこ押したら、自分の番号出るんだっけ・・・???」
「もう、酔っ払い」
「それは、そっちだろ!」
「ん。ちょっと見せてみて」
 清花は僕の隣に移動してきた。4人がけの席を二人で向かい合わせに座って使っているから、それぞれ隣の席が空いているのだ。
「どれどれ」
 僕の手の中にある携帯電話を覗き込もうと、清花は必要以上に身体を寄せてくる。
 既に馴染んだ清花の香り。ちょっと汗の匂いが混じっている。朝からずっと出歩いて、そのまま僕を呼び出したのだろう。
 横から手を伸ばして僕の携帯電話のボタンをいくつか清花は押したが、「ホント、わかんないねー」なんて言って、そのまま僕にもたれてしまった。
「あー、なんだか面倒くさくなっちゃった。どこかに泊まろうか」と、清花。
 賛成だ。
 
 




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