最終話 ノンストップエレベーター「一緒に暮らそー!」  =2= 



 4月の気候は独特だ。天気が良ければ昼間は汗ばむほどなのに、朝夕はぐうーっと涼しくなる。
 今日は晴れ間があまり見えず、昼間の温度もさほど上がらなかった。そのまま夕方を迎えると、めっきり空気は冷え込んで来た。身震いするほどだ。1か月ほど冬に逆戻りしたかのようですらある。
 冷水で絞ったタオルでピシリと肌を叩かれたような冷涼な空気に包まれて、僕は依頼のあったテキヤが出ている神社にやってきた。歴史的なこと、民俗的なこと、あるいは、宗教的なことなどは何もわからないけれど、もともとは農作業の合間に行われていた春祭りらしかった。春の農作業がこのまま順調に終えられますようにという祈りと、朝から晩まで続く厳しい労働から一時開放されるため、というふたつの目的があるとテキヤの新しい親分は言った。
 だが、神社にやってくる人の多くがサラリーマンであり、子供たちはただ祭り気分に浮かれており、今ではただの「地区の年中行事」という感じだ。
 僕は「風の予感」に依頼をしてきたテキヤの親分2代目の宗田さんに案内をしてもらいながら、夜店を一巡した。
 たこ焼き、いか焼き、ヨーヨーつり、りんごアメ、くじ引き、射的、金魚すくい、カルメラ焼き、かき氷、アメリカンドック、輪投げ、お面屋、綿菓子、型抜き、その他色々の屋台と、それをとりまく人々の雑踏の中をすすむと、境内に至る。小さいながらも櫓があり、踊りの輪があった。
 その輪を、境内の端っこの木の根元に座ってぼんやりと眺めている清花を、僕は発見した。焼きとうもろこしを右手に、缶のラムネを左手に持っている。缶には昔ながらの「ビンのラムネ」の絵が描かれているが、それで気分が出ると言うものでもないだろう。
「なんだよ、一人でいいって言っただろ?」
 僕は清花に近づいて、言った。
「あら、和宣は調査でしょ。わたしは、遊び」
 ウインクしながら、悪戯っぽく笑う。
「じゃ、好きにしな」
「だから、好きにしてるわよ。今日は晩ご飯のかわりにここで屋台を食べまくろうって決めてきたんだから」
 

 夜店を仕切る宗田一家は、年中あちらこちらをキャラバンしているが、ここ十数年は、春のこの時期はこの祭りにやってきている。
「父が亡くなっても、皆がやってくれるので、屋台そのものは何の支障もないんですが・・・」と、2代目親分は切り出した。
 祭りの主宰者や他の一家との調整などは親分の仕事だ。気を抜いたり、舐められたりしたら、縄張りなどあっという間に失ってしまう。
「もっとも、大切なのは縄張りよりも、一家の信用ですけどね」
 頼りない、きちんとした仕事をしてくれない、トラブルばかり起こす・・・。そんな噂が流れれば、それこそ宗田一家の縄張りは草狩場になってしまうのだ。
「そんなことになるくらいなら、早々に解散して、うちの衆が他の一家に入れてもらえる様に、頭を下げて回らなくちゃなりません」
「随分弱気なんですね」
「組織の歯車やってる私に、一家が張れるとは思えないんですよ」
「じゃあ、結論は出てるじゃないですか」
 気落ちして僕は言った。一念発起してサラリーマンを辞め、一家の頭を張ってやろうと言う気概など微塵も感じられない。悩む以前の問題だと僕は思った。
「いや、しかし、親父の気持ちや、親父に黙ってついて来たみんなのことを考えると・・・」
「じゃあ、やるしかないですね」
「その決意がつかないから、こうしてお願いをしてるんじゃないですか」
 物静かに喋る宗田さんが、珍しく感情を声にあらわした。といっても、ほんの一瞬だったが。
「親父はどう思っていたんでしょう。私がサラリーマンの道を進んだときも何も言いませんでした。自分の代で終わることを良しとしていたのか、それともいずれ継がせたいと思っていたのか。どちらにしても、こんなに早く死ぬとは親父本人も思っていなかったでしょう」

 祭りの真っ只中、たくさんのお店が出ている中で、いつまでも親分を一人占めしておくことは出来ない。それぞれの屋台を巡回し、様子を見たり、声をかけたりするのは、親分の重要な仕事だ。僕は引き上げることにした。
「とりあえず今日は、様子を見せていただいただけ、ということで。今後のことはまた明日にでもご連絡差し上げます」
「あ、いや、それは・・・。事情が事情とはいえ、会社にとっては私用電話になりますからね。私の方から、時間を見計らって、携帯からでもご連絡差し上げますよ」
「そうですか。まあ、こちらはそれでも構いませんが、でも、親分がそんなことでは、テキヤの方はこまるんじゃないですか?」
「実は、そういう実務は、実質ナンバー2の今村という男に任せているんですよ」
「支障は出ていない、と?」
「そうです」
「差し出がましいようですけれど、じゃあ、いっそのことその方に任せて、宗田さんは引退するとか、そういう選択肢はないんですか? さっきからお話をお伺いしていると、一家を支える自信がない、というようなニュアンスばかり感じるんですよ」
「いや、それは出来ません。今村は実力はありますが、あくまで宗田の看板があってナンボ、ていう世界なんです」
「そうですか・・・」

「なーんだか、弱気な男よねえ。ううん、弱気なのはいいのよ。弱気なのは。でも、弱気なくせに『やめる』っていう決断も出来ない、ほーんと、煮え切らないったら。そういう男、嫌いだなあ」
 プルトップを開いたにも関わらず、その缶ビールには口をつけないまま、清花は一気に喋った。言いたい事を言うと、僕のコメントなど待たずに、グイグイーっとビールをあおる。
「まあ、そう言うなよ。あれでも依頼者なんだから。一応、お客様ってことで」
「あはは。『あれでも』だの『一応』だの言うところを見ると、和宣も同じような印象を抱いてるんでしょ?」
「ま、まあね」
 清花は僕と宗田さんとのディスカッションが終わるのを祭り見物をしながら待っていてくれた。そして、一緒に僕のアパートまでついて来たのだった。
 清花は屋台の食べ物で充分お腹を膨らませているが、僕はそうではない。途中で僕たちはコンビニに立ち寄り、僕は弁当を、清花はビールとつまみを買ったのだった。
 帰宅してさっそく弁当に箸をつけている僕の横で、清花はビールを飲んでいる。
 自分の部屋に彼女が訪ねてきてくれていると言うのに、どうして僕は彼女の手料理ではなくコンビニ弁当を食べているのか、ふとそんな疑問に捕らわれたが、清花は当り前のようにビールをあおっているので、まあ、それはそれでいいとしておこう。
「なんだかちょっと、懐かしいな」と、清花が言った。
「なにが?」
「覚えてるでしょ? わたしたちの、出会い」
「ああ、覚えているよ」
 あの時は、こんな日が来るなんて思ってもいなかった。
 あれから、ほぼ1年の月日が流れ、僕と清花の距離は、その月日の流れ以上に急速に近づいた。
「まさか、一緒に仕事をするようになるとは、思わなかったわ」
「なに言ってるんだよ。仕事に誘ったのは清花の方だろう?」
「まあね。でも、一度きりのつもりだったもの。というより、なんか手一杯で誰かの助けを欲していたのね。手一杯っていっても、どっちかっていうと、精神的なものだけど」
「だろうな」と、僕は言った。「素人の助っ人なんて、結局、役に立たないもん」
「そんなことなかったわ。確かに、あの時の和宣は素人の助っ人だったけれど、とても救いになったのよ」
「ま、ね。今はそのことがわかるよ。当時だってそれは何となく感じてたんだろうけれど。だって、役立たずだって、自分を卑下したりしなかったし、それどころか、ガンバローって気にすらなってたもんな」
「ねえ、和宣、私たちって、もともとなんか惹かれあうようなところがあったのかな?」
「どうだろう? 今、こういう関係になってみれば、そうだったんだとも言えるけど、本当はどうかはわからないな」
「そうかな。私は、あのときから、惹かれあってたんだと思うけれど」
 ちょっとそれは違うかな、と僕は思った。清花はあのとき、ただ誰かに救いを求めていただけなんだと僕は思っている。もちろん、その相手が誰でもいいということではなかっただろうけれど、僕でなくても構わなかったのだ。そして、結局のところ、僕は彼女の救いになどなっていない。僕たちがたまたま恋愛関係になったから、清花が開放されただけなのだ。
 でも、と思う。僕と清花だから恋愛関係になったのかもしれない。他の誰かなら、こうなるという保障はない。ということは、最初から清花は僕に何か感じるものがあったのかもしれない。僕たちは最初の出会いから惹かれあっていた?
「どっちでもいいや」と、僕は言った。
「何が?」と、清花。
「ううん、何でもない」

 僕が弁当を食べ終わると、清花は僕にビールをよこした。そして、清花は2本目を開ける。
「ところでさ、和宣、わたし、宗田一家を実質切り盛りしてるって言う今村さんと少し話をしたんだけど・・・」
「え? そうなの?」
 今村さんとはゆっくり話しをしたいと思っていた。
 肝心の宗田さんがあの調子では、これ以上接触したところで、何も出てこないと思ったからだ。そもそも宗田さんは依頼者であって、その依頼者の依頼を解決するために、本来はその外堀を埋めていかねばならない。
 だとすれば、まず会って話を聞くのは、ナンバー2である今村さんしかないと感じたからだ。
「で、どんなことを言ってた?」
「初代親分の、夢を語ってくれたわ」

 僕は清花の話を聞いて、ぶったまげた。
「や、屋台にプリペイドカードを導入するってえ?」
「そう」
「なんだか、途方もない話だな」
「わたしも最初はそう思ったわ。それもただのプリペイドカードじゃないんだから、なおさらよ」
「ただのプリペイドカードじゃないって、どういうこと?」
「ほら、今、高速道路の料金所に試験的に導入されてるでしょ? ゲートを通過するだけで、自動的に料金徴収されて、いちいち止まらなくっていいってやつ。ああいうのが夢なんだそうよ」
「それは、途方もないって言うより、無理なんじゃないの?」
「で、それをポスシステムに連動させれば、効率的な屋台の経営も出来るはずだって、そこまで考えていたそうよ」
「や、屋台でポス???」
 僕は全くイメージが沸かなかった。屋台と言うのは、品物と引き換えに客から現金をもらい、それを箱かなんかに放りこんでおく。1日の売上の集計などは当然するだろうけれど、在庫管理や仕入れなんていうのは、どちらかというと職人的な勘に頼るものだと思っていた。明日はこれくらい売れるだろう、在庫はだいたいこれくらいある、なら、新たにこれくらい仕入れよう。そんなことは、伝票やデータで管理するのではなく、勘でピンとこなければ屋台などやっていられないのではないだろうか?
「それにね、親分には大きな夢があったのよ。誰でも安全に楽しめる夜店っていう」
「安全に楽しめる。そりゃあ大切だけどさ。それとポスと、どんな関係が・・・」
「それがあるのよ。ああいう人ごみにはスリとかがやってくるでしょ。子供たちなんかはせっかくのお小遣いをいれた財布を落としたりなんかもする。そういうのが一気に解決するの。プリペイドカードを本人しか使えなくするのよ。例えば、暗証番号とか、指紋の照合とか。こうしたら、他人のものを盗んでも使えないでしょ? それに、ポスを導入したら、店側のメリットだけでなくて、誰がどこで何をいくらで買ったかとかデータが残るじゃない。だから、カードをなくしても本人確認さえ出来れば簡単に再発行が出来るの。だから、子供たちも、カードをなくしたって嘆かなくてもいいのよ。さらに、高速道路の料金所を何もせずに通過するみたいに、カードをいちいちポケットから出し入れしなくてもさっとそこから購入代金分が差し引かれたりすると、落とす心配そのものがなくなるよね」
「なるほど」
「技術面でむつかしいことはもうほとんどないそうよ。ただ、問題は、システムの導入と管理に、経費がかかることね。ひとつの組織でなんてとてもできない。多くの一家に声をかけて、みんなで取り組まないとね。だけど、そのための説得には、とてつもない時間と労力が要るだろうって。それに、システムが導入できても、かけた費用ほどに、合理化が出来るのかとか、お客さんに喜んでもらえるのかとか、色々あるらしいわ」
「うん、そうだろうな。つまり、それは、今のところはまだ単なる夢、ってことだ」
「そうよ」
「だったら、せっかくの話だけど、今回の案件とは、それほど関係ないんじゃないかなあ」
「それがそうでもないのよ。親分は、息子を大学に行かせたのも、一般社会の中で働かせたのも、いずれこの屋台のプリペとポスの導入に、大きな力になるだろうっていう目論見があったらしいの」
「え? そうなの? 今村さんははっきりそう言ったの?」
「うん。そして、こうも言ってたわ。親分のこういう構想は、全てオリジナルじゃない。もともとは『安全で楽しい夜店ってなんだろう』っていう、ぼんやりした思いだったらしいの。で、社会の変化って言うのかな、プリペイドカードが登場して、『あ、これだ!』と思ったり、高速道路の料金所の新しいシステムを聞いて『これも使えるんじゃないか』とピンと来たり、ようするに既存のアイディアをアレンジしてるのよね。でも、それって、そのまま祭りの縁日に使えるわけじゃないでしょ。より夜店らしいものを新たに開発するには、新しい血が必要だ、それを息子に期待して、大学に行かせてサラリーマンをさせてる、ってまあこういうことなのね」
「だったら、今回の依頼は、もう解決したも同然じゃないか」
 僕は思わず目を見開き、声を高めていた。
「まって、和宣。それは違うわ。わたしたちは、死者の思いを遂げるために仕事をしてるんじゃないでしょ? だいいち、2代目が初代の夢を叶えたって、初代がそれを認識してあの世で満足するの? 死人にそんなことは認識できっこない」
「そうだったよな」と、僕は呟いた。
 僕たちの仕事は、あくまで生者のためのもの。生者が調査結果に満足し、納得し、そして、幸せにならなくてはならない。あの2代目に、「サラリーマンを辞めて一家を背負いなさい。それがあなたのお父さんの願いです」と宣言するのが正しいとは思えなかった。
「それと、これはわたしの意見だから異論があるかもしれないけど、初代親分は、息子に夢を継がせようとしたんじゃないと思うのよ」
「と、いうと?」
「息子の力を借りて、息子と一緒になって、自分自身で自分の夢を実現しようとしていた。そんな風に思えるわ。偏見かもしれないけれど、ああいう世界の人って、ある種、刹那的なところがあるとも思う。自分が死んだ後のことまで考えてないんじゃないかな。自分が、今、こうしたいからこうする、みたいな」
「異論もないし、偏見だとも思わないけれど、それがこの案件にあてはまるかどうかは、わからないな」と、僕は正直に言った。
「そうよね」

 次の日、僕は小さなスタジオにいた。デモテープを作るためだ。
 歌手を夢見、しかし夢が果たせず、マネージャーとして芸能界で生きて来た、長谷川徹。彼が長年仕えて来た演歌歌手は、死んだ。しかし、その演歌歌手から長谷川さんは常々言われていた。「俺が死んだら、俺の歌はお前が歌え。人は死んでも歌は残らなくちゃならんからな。なあに、お前は運がなかっただけだ。歌い手としての才能があるのは、俺が一番良く知っている」
 演歌歌手は本気でそう言っていたのか、それとも、夢果たせずマネージャーに甘んじている長谷川さんに、半ばなぐさめのつもりでそう言っていたのか。
 それを見定めるには、故人が本当はどう思っていたのかをあの手この手で調べるよりも、長谷川さん本人に歌ってもらうのが一番だと思ったからだ。
 僕はこのデモテープを、「僕が歌った」と称して、長谷川さんの所属するプロダクションに持ちこむ。飛びこみでそんなことをしたって相手にしてくれないだろうが、なにしろ長谷川さん本人が「有望な新人がいる」と吹聴して社内で段取りをつけるのだから、わけない。なんなら、レコード会社の人間やプロモーターなんかも呼んだって構わない。
 そして、長谷川さん本人もその場にいて、色々な関係者に意見を言わせるのだ。
 プロフィールは僕のものを若干アレンジした。年齢や出身地や学歴は僕そのもの。調べたときにボロが出ないようにするためだ。しかし、違うところは、『アマチュアバンドを組んでいたが、そこを飛び出して、現在は一匹狼。ボーカリストを目指している』という部分である。
 録音するのは、流行りのJ−POP。若くて実力もある演歌歌手も年に何人かはデビューするけれど、それよりもJ−POPで人気者になりたい、なんて方がリアリティーがあるだろうと言う事になったのだ。
 で、長谷川さんは、慣れないメロディーをカラオケに合わせて歌うのだった。
 これも手が込んでいて、長谷川さんが「有望な新人のデモテープを作るんだから協力してくれ」とレコード会社に頼み、オリジナルの音源を手に入れて来た。
 長谷川さんは年季の入ったマネージャーで、それなりの立場に登っているし、人望もあるし、これくらいのことは簡単なのだ。

 僕がスタジオに詰めている頃、清花はいわゆる「都市伝説」を取材していた。浮気男に、たくさんのデータを提出するためだ。
 旦那にさんざん浮気をされた挙句に先立ってしまった妻が、この世にどんな未練を残し、旦那にどれだけの怨念を抱いていたかを、たくさんの例を具体的に突きつけることによって表現したかったからだ。
 依頼者は妻をなくした男。妻からはよく、「私が死んだら、さっさと新しい女房を見つけてね。あんたは一人ではナンにも出来ないんだから。わたしに義理立てなんかしちゃダメよ」と言われていたが、実際は妻が生きているとき既に「浮気」で付き合っている女性がいた。女房には「私が死んだら新しい女を作って一緒に暮らせ」と言われていたが、生前から女房を裏切って付き合っていた女なんかと一緒になって妻に恨まれないだろうか、という依頼である。
「こういう人はね、亡くした後こそ、奥さんのことをきちんと心に抱きながら余生を送るべきなのよ」と、清花は言った。調査もくそもない。最初から結論を出してしまっている。
「それって、本当に依頼者のためになるのかい?」
「依頼者のためにはならないかもしれないけど、生者のための調査って言う『風の予感』のポリシーは崩れていないわ。だって、こんな男が次々新しい女に手を出したらいけないのよ。女がどんどん不幸になるわ。だから、そうならないために、手を打つの。ね、生者のため、でしょ?」
 勝手な解釈のような気もしたけれど、それより僕は、清花と付き合っている限りは絶対浮気はすべきでないと思うのだった。

 なんだか次から次へ適当に案件を処理しているような気がしないでもないけれど、さすがに息子を交通事故で失った両親からの依頼には、慎重な取り組みが必要だと、僕も清花も思っていた。
 1審判決は、殺意は認められないと、「業務上過失致死」だった。だが、依頼者のご両親は納得しなかった。あくまで「殺人」だったと感じているのだ。けれど、上告してさらに裁判を継続し争うことが、息子の望んだことなのかどうか・・・。
 スタジオ収録を終えてアパートに戻った僕は、ボーッと寝転んでいた。交通事故の件は清花の担当だけれど、僕が一人で担当するはずだった「テキヤ」の件で清花も協力してくれたし、時間が許す限り僕も清花に協力してやろうなどと考えていた。
 電話が鳴る。清花だった。
「今日も、そっち行くから。いい?」
「ああ、いいよ、もちろん」
 1日中足を棒にして取材して、疲れ果てて清花は帰って来るだろう。それでコンビニ弁当とビールでは可哀相だ。それに、僕だって、仕事が先に終わったとはいえ、きちんと業務を終えたのだ。そんな自分に対してもコンビニ弁当はやはり可哀相だ。
「何か食べたいものある? 作っといてやるよ。今日はもうすることがないから」
「ラッキー。じゃあ、リクエストする」
 清花が躊躇せずに僕に料理を作らせるのは、僕の腕を知っているからだ。特別な腕前ではもちろんないけれど、一人暮しをしていればそれなりのものは身につくものだ。
「じゃあね、豚キムチに、えのきベーコンに、ジャコおろし。それから、揚げシューマイとエビチリも」
「居酒屋のメニューばっかじゃないか」
「だって、呑みたいんだもの」
「はいはい」
 僕は買い物に出かけ、そして、料理を作った。
 それらの料理が整う頃、まるでタイミングを見計らったみたいに清花は戻ってきた。
「ただいま」
「おかえり」
 僕たちは、テレビを観ながら、ビールを飲みながら、ゆっくりと食事をした。
 そして、清花は思い出したように言った。
「さっきの、『ただいま』は、変だったかな」
「どうして?」
「だって、わたし、ここに住んでるわけじゃないもの」
「そうか・・・。でも、今朝、ここから出て行ったんだから、いいんじゃないの?」
「そうお? でも、ナンか変。和宣だって、『おかえり』は変だよ。ここはわたしの部屋じゃないんだもの。『ようこそ』とか『どうぞ』とか。個人的には、『待ってた』とか『おいで』とかの方が嬉しいけどね」
「そうだね。なんか、一緒に暮らしてるみたい」
『一緒に暮らす』・・・、何気なく発した僕の言葉に、ふたりとも急に無口になってしまった。妙に意識してしまったのだ。
 しばらくして、清花は「どうして黙り込むのよ」と不満そうに言った。
「清花だって、黙り込んだじゃないか」
「あげ足、とらないで」
「な、何があげ足だよ。そもそもそっちが最初に、『ただいま』って帰ってきて、そのくせ自分から、『ただいまはおかしい』って言い出して・・・・んぐ」
 キスされてしまった。

「ねえ、和宣?」
 長いキスの後、清花は耳元で囁いた。
「わたし達、別々に暮らさなくても、いいんじゃない?」
「ああ、一緒に暮らそうか」
「うん・・・」
 そして、また、沈黙。
「ねえ、今の、プロポーズ?」と、清花。
「違うよ。一緒に暮らそうっていうだけさ」
「ま、いいけどね。同じことなんだから」
「そうか? 全然違うと思うけど」
「わたしとじゃ、結婚なんかしたくないんだ」
「そうじゃないよ。結婚ってものが、まだよくわからないんだ」
「そんなもの、わたしにもわからないわ」
「でも、ま、一緒に暮らすのは、なんか、悪くないと思う」
「わたしも・・・」
   




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