最終話 ノンストップエレベーター「一緒に暮らそー!」  =1= 



 春になって、自宅から電話がかかってきた。
「学費の振りこみ用紙がまだ届かないけど、和宣なんかきいてる?」
 お袋からだった。既に退学届を提出してある。学籍のないものに振りこみ用紙など送られてくるわけがない。
 しかし僕は、退学のことも就職のことも、実は両親には告げていなかった。
 なんとなく言いそびれていたのである。
 この電話がかかってきたときに、「実は」と切り出せば良かった。にもかかわらず、僕はとぼけてしまったのである。
「さあ、今度、事務に問い合わせておくよ」
「そうしなさい。郵便事故ってこともあるし、学費が納入されなかったから除籍しました、なんてことにならないようにね」
 除籍どころか自主的に退学したのだが。

 このことを清花に言うと、清花は数分間笑い続けた。そして、やおら真剣な顔になった。
「けど、ちゃんと言わないと、ますます言いにくくなるわよ」
「もうとっくに言いにくくなってるよ」
「馬鹿なんだから。本人どうし婚約しながら、なかなか先へ進まなかった社長と、大差ないよね」
「お互い気を使って、ふんぎりがつけられなかった・・・・か」
「社長の場合はね。和宣は単にいい加減なだけよ」
「さっき大差ないって言ったじゃないか」
「先へ進まないって点でよ」
 もう言い返すことが出来ない。その通りなのだから。
「大学は辞めるけど、ちゃんともう就職も決まっている。というか、してる。収入もそこそこある。これで反対する親はいないと思うけど。反対したところで、いまさらどうしようもないし」
「そうなんだけどね」
「おまけに、こーんなステキな彼女まで出来て」
「そうそう」
「んで、同棲までしそうな勢いでさ」
「そうだよなあ」
「だから、さっさと親に報告しなさい!」

 そして僕は、延々2時間にもわたる説教を電話で聞かされた。
 まず、中途半端に大学を辞めてしまったことに対して。
「やりはじめたことを最後までやり遂げることが出来なくて、そんなんで就職したってうまく行かないに決まっている」
 あんたを雇った会社が気の毒とまで言われた。
「何言ってんだよ。会社の方から、やらないかって誘われたんだ」
「あーら、そんな人を見る目のない会社じゃ、将来性なんてないわね」
 ともかく、叱責には耐えることにした。相談もしていないし、報告だって遅れている。叱責を聞いてあげることが親孝行なのだ。と、そんな風に思えるのは、清花がそう思ってあげなくちゃダメよと事前にアドバイスしてくれたからだ。
「で、それはどんな会社なの? 年収は?」
 歩合制なので年収はわからないと、僕は素直に答えてしまった。
「フリーターと変わらないそんな状態で、何が就職なの。いい加減にしなさい」
 いや、完全歩合制じゃない。フリーターではなくちゃんとした社員だから、固定給はある。5万円だ。外回りがない時は、事務所で電話番。この固定給は正味電話番の賃金だ。そう言うとさらにお袋は激した。5万円で何を偉そうに、というのである。そこで僕はさらに付け加えることになる。仕事はそれなりにあって、日当も安くない。世間のサラリーマンに比べれば手取りはあきらかにいい。
「何言ってるの。金額の問題じゃないってことぐらいわからないの?」
「さっき金額を問題にしたじゃないか」
「会社の運営がいい加減だって言ってるのよ。金額以前の問題だって」
 こりゃあ何を言っても無駄だと思った。
 黙秘権・・・・。親に対して子どもが黙秘権を持ってるかどうかは知らないが、もう何とも説明しようがない。
「で、いったい何をする会社?」
 これを親にわからせるのは難しい。「死者の気持ちを調査する」だなんて、理解されっこない。
 とにかく、人様の幸せのためにやる仕事には違いないから、「福祉関係・・・みたいな・・・」と返事した。
「福祉?」
「そう。まあ、人様の心の安寧に携わる仕事って言うか」
「ふうん・・・」
 そこでやめとけばいいのに、つい、死者の気持ちを調査して遺族を慰めてあげる何ぞと言ってしまった。
「そんな死者を冒涜するような仕事のどこが福祉なの! いい加減にしなさい!」
 やはり、お袋にこの仕事の内容を理解させるのは無理だったか。調子に乗って説明しようとしたことを後悔した。
 お袋の説教は、「人の生き方とは」とか、「仕事と言うものは本来」とか、「男子の本懐と言うものは」とか、「家族の大切さと信頼関係」とか、「社会人の責任とは」とか、あっちこっちにテーマが展開しながら延々続いた。
 そして、「そんなんじゃいつまでたっても結婚も出来やしない」とまで言われた。
 僕はついムキになって、「彼女ぐらいいる!」と宣言した。
「さっさと別れてあげなさい。あなたみたいな甲斐性なしじゃ、その彼女も気の毒よ。将来を棒に振ってるようなものだわ」
 さすがに「職場恋愛」とは言えなかった。

 翌日、「風の予感」の事務所で清花と顔をあわすと、さっそく訊かれた。
「ちゃんと、親に報告したの?」
 そこで僕は、昨日のことを詳細に聞かせてやった。
 2時間をだいたい10分の一に縮めてレポートした。
 人の不幸は蜜の味とはよく言ったものだ。僕がどんないたたまれない気持ちで(時にはむかついたりもしながら)親と対話したかなど、清花に伝わろうはずもない。清花はまた笑いっぱなしだった。
 そして、最後に言った。
「ま、親にとっちゃ、子どもはいくつになっても、子どもだからね。説教くらいきいてあげないとね」
 それだけで片付けるなよ!

 この日は電話の一本も無いままに午後2時になった。僕と清花は店番をしながら交代で食事に出た。それにしても、電話がなければ事務も何もすることがない。こんなことで月5万円ももらって大丈夫なのか。いや、「風の予感」の心配より、自分の心配だ。依頼がなければ、こなすべき仕事がない。仕事がなければ、日当もない。
 そんなことを清花と喋っていると、社長が戻ってきた。
「そんな心配はどうやら無用ですよ。それより、この依頼の山をどうやってこなすか、そっちの心配をして下さい」
 社長はアタッシュケースをどんとミーティングテーブルに置くと、中から書類をいくつも取り出した。
「さすがに連チャンで依頼者に会うと、疲れますね。っていうか、ちょっとうんざりだったりします」
「朝から、ずっと依頼を受けていたんですか?」と、僕。
「朝からじゃありません。昨日の午後からです。秋月クンも恵子さんもちょっとこっちの仕事には携われそうにありませんから、我々3人でこれだけこなさないといけません。そろそろ結婚の準備も色々あるというのに
「この不景気に仕事があるんだから感謝しなくちゃ」
 清花はウキウキしている。色々な人生ドラマに首を突っ込むのが大好きなのだ。ようするに、野次馬根性だね。

 1件目
 テキヤの親分が死んだ。親分というからには一家を構えているわけで、子分達には妻も子もいたりする。さて、このあとどうするか。親分の息子からの依頼。息子はサラリーマン。一家をたたむかサラリーマンを辞めて跡目を継ぐか。
「そんなの、自分で決めろって感じなんですけどね」

 2件目
 妻を亡くした男からの依頼。常々、その男の妻は、冗談半分で、「私が死んだら、さっさと新しい女房を見つけてね。あんたは一人ではナンにも出来ないんだから。わたしに義理立てなんかしちゃダメよ」
 もともと彼女は心臓が弱く、ある程度死期を悟っていたらしい。ところで、依頼者の夫には、既に愛人がいた。
「死んだら新しい女房をって言われてましたが、実は妻が生きているうちに、女を、つくっちまっていたんです。浮気してたんですよ、私は。その女と結婚なんてして、妻に呪われたりしないでしょうか?」
「全く。馬鹿馬鹿しいにもほどがあります」

 3件目
 芸能プロダクションに努めている男からの依頼。マネージャーとして長年つかえていた演歌歌手が死んだ。依頼人は実は若い頃は自分も歌手を目指していたが、芽が出ずに挫折。所属していたプロダクションで、歌手からマネージャーに転進。その過去を知っていたその演歌歌手は、常々、「俺が死んだら、俺の歌はお前が歌え。人は死んでも歌は残らなくちゃならんからな。なあに、お前は運がなかっただけだ。歌い手としての才能があるのは、俺が一番良く知っている」と言われていた。
 社内で自分はそこそこの地位にいるから、ごり押しして自分がCDを出すくらいのことは出来る。だが、その死んだ演歌歌手が本気でそう言っていたのか、半ばなぐさめのつもりでそう口にしていたかのかがわからない。それを調べてくれという。
「そのプロダクションでそこそこの地位にいるのですから、売れると思えばデビューすればいいし、売れないと思うのならやめといた方がいい、と思うんですけどねえ」

 4件目
「ちょ、ちょっと待ってください。まだあるんですか?」と、僕。
「ありますよ。人は毎日たくさん死んでいきますから」と、社長。
「まさかその死者全員をフォローするつもりじゃないでしょうね」と、清花。
「依頼があればこなさなくてはなりません」
 で、あらためて4件目。
 息子が交通事故で死んだ。1審では「殺意は認められない」と、加害者は業務上過失致死として判決を言い渡された。
「私達は、殺人だと思っています。納得いきません。でも、上告すべきかどうか、迷っています。息子の意思に従いたいと思っています。どうあっても息子は戻ってきませんから」
「こういう事例なら、真剣に取り組んであげたいわよねえ」と、清花。
 僕もそう思う。

 5件目
 某企業の重役連中から連名での依頼。社長の死後、派閥争いが激化して、次期社長が決まらない。社長は自分が引退するとき、後釜についての腹案があったようだが、誰もそれを聞かされていない。
 派閥争いで疲弊しきった社内。社長の意志にしたがってさっさと社内を正常な状態に戻したい。社長は誰を次期社長にと思っていたのか調べて欲しい。
「そんなもの、社内の人間が聞かされていなければ、我々外部の人間にわかるはずがありません」

 社長がいちいちねげやりなコメントを付け加えた気持ちがよくわかる。
「じゃあ、全部で5件なんですね?」
 テーブルに放り出された調査依頼書やその他書類を手元に引き寄せてはしげしげ眺めていた清花が言った。
「他は断りましたから」
「え? まだあったんですか?」と、僕。
「ええ、動物関係は全て断りまから」
「動物関係?」
「うちのポチは葬儀を望んでいたかどうか、とかですね」
「犬、ですか」
「猿だそうです」
「おかしな世の中ですね」と、僕はため息をついた。
「おかしな世の中だから、こんな商売が成り立つんですよ。死者の気持ちは、本当は周りの人間が汲み取ってあげるものなのです」
「なるほどね」
「いずれにしても、これでは、我々3人に杉橋を加えた4人体制で、どんどん調査をしていかないと、間に合いません。せっかく固定給を払うことにして、電話番が確保出来たと思ったんですが」
「アルバイトとか、雇わないんですか?」と、僕。
「こういう仕事ですからね。何件かこなして機微を掴んでもらわないと、事務だから、電話番だからっていっても、任せられないんですよ」
 それはそうだ。
「僕が立花サンにスカウトされたように、誰かをお手伝いに駆り出してもいいんでしょうか?」
「基本的には構いませんが、依頼者が払う経費は調査員の数に比例しますから、依頼者に了解をもらわないといけません。それに、了解がえられたとして、そんな人材が簡単に見つかりますか? 橘クンの場合は、とくに立花サンがピンと来たからでしょう?」
 清花はうんうんと頷いている。
「そういう出会いはめったにないとは思いませんか?」
「それはそうですけど」
「人材派遣センターみたいなところに、とにかく誰でもいいから、何人お願いします、そんな気にはなれないんですよ」
「それには僕も賛成です。それではいい仕事は出来ません」
 僕がそう言うと、「お、言うようになったじゃん」と、清花がちゃちゃを入れた。
「とりあえず、増員は望めません。我々正社員3人で、がんばるしかありません」
「わかりました」と、僕は言った。
 僕は清花との出会いを思い出した。あの時だって清花は、2件の案件を抱えていたのだ。3人で5件、これくらいこなせなくて、どうする。
「ところで、社長」と、清花が済んだ声で言った。「質問があります」
「はい、なんでしょうか?」
「私たちは正社員になったわけですが、肩書きは相変わらず主任ですか?」
 おいおい、もっとまともな質問は出来ないのか? 人手はない。依頼は山積み。こんな状況で質問すべきことは他にあるだろう。

 社長から新しい名刺が渡された。「(有)風の予感」が「有限会社 風の予感」に変わっていた。これまでの(有)は、有限会社のことではなくて、社長の有田からとった屋号の商標のようなものだと説明されていた。しかし、この名刺を受け取ったら誰しも「有限会社」だと思うだろう。間違って解釈した方が悪いという、まるで詐欺のような名刺だったのだ。
 それはともかく、名刺の肩書きは「主任」ではなかった。僕は「調査課課長」で、清花は「探索課課長」だった。
「わ。出世した!」
 清花は単純に喜んだようだが、固定給5万円では、肩書きも迫力がない。
 いずれにしても、この社長にしてこの社員あり。いや、逆か?
 清花の喜ぶツボを抑えている社長だった。

 新しい肩書きが決まったけれども、コーヒーを入れるのは相変わらず社長の仕事だった。
「さて、では作戦会議といきましょうか」
 芳しい香りがたちこめる狭い部屋で、社長が口火を切った。
「会議、というより、どちらかというと、こういう方針でやってくださいって言う業務命令のようなものですけど」
「わ、業務命令。サラリーマンみたい」と、清花。
「サラリーマンなんだよ。我々は」と、僕。
「たった5万円の?」
「余計なことは言わなくていいんですよ」と、社長。
「はいはい」
 清花が照れ笑いをする。
「会社からの依頼については、僕が下調べをします。残りの4件は、立花サンと橘クンで2件ずつ下調べをして下さい。その結果を持ちよって、あとはチームプレイと行きましょう。この段階で杉橋にも加わってもらいます。それぞれ、調査の出来る時とそうでない時がありますから、スケジュールを厳密に組んで、効率的に同時進行でいきます。お二人とも、頭の中をきっちり整理して切り替えて案件にあたってくださいね」
「わかりました」と僕は言い、清花は黙って頷いた。さっきまでなにかといえばまぜっかえしていた清花も、真剣な表情だ。
「あ、そうそう、ひとつ付け加えないといけません。さっき、メンバーの増員は見込めないと言いましたけれど、下調べが終わった頃から、一人新しいメンバーが加わります」
「え? ホント? 助かる!」と、清花が目を輝かせた。「バッチリと仕込んであげるわ。ううーん、それにしても、こんな所に就職したいなんて人がいたなんてねえ」
 清花には珍しく気付いていないようだったが、僕にはそれが誰かわかった。
「あおいさんですね」と、僕は言った。
 社長は、お嫁さんに、「事務くらいは手伝って欲しい」と以前言っていた。そして、さっき。「事務員といえど、いくつか案件をこなして機微を掴んでもらわないと任せられない」と言った。
「そうです」と、社長は照れずに言った。

 僕は「テキヤ」の件と、「芸能プロダクション」の件を担当することになった。
 そのテキヤ、明日の夜、高町を出しているという。僕はそこへ出張ることにした。芸能プロの件は、本人に連絡をしたところ、あさってが都合がいいという。これでとりあえずのスケジュールは決まった。
 清花もいくつか電話をしたりして、自分のスケジュールを組みたてている。
「和宣は明日の夜から動くのね。明日の夜なら、わたし、空きそうだけど、一緒に行ってあげようか?」
 清花がいれば心強い。だからそれは、とてもありがたい申し出であったけれど、僕は断った。
「いや、やめとくよ。もう僕たちはプロなんだから、一人ですべきことはする。休むべき時は休む。そうすべきだと思う」
「成長したわね」と囁く清花は、少し嬉しそうだった。
「そのかわり、それが済んだら、会いに行くよ」
「うん、待ってる。がんばってね」
   




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