第4話 スーベニール「未来の子供達のために」  =3= 



 僕と清花は東京駅ホームにやってきた。関西に向かうためだ。今回の案件は、依頼者こそ東京在住の人間だが出身は関西だし、事件そのものが関西で起こっている。
 そこで僕たちは、青山からもらった「同窓会出席予定者名簿」に従って、順次訪ね歩こうと考えたのである。
 乗車するのは東京発9時52分の「のぞみ9号」博多行きである。「のぞみ」号は全車指定席なので当然指定券をキープしてある。だから、そんな必要はないのだけれど、僕はホームに書かれた乗車口につい並んでしまった。
 「自由席を使い慣れているのね。貧乏性なんだから」
 清花はそんなことを言うが、並んでいるのは僕だけではない。清花的には同じく貧乏性である前後の数人に、じろりと睨まれてしまった。もっとも、そんなことを意に介するような清花ではない。
 「そうそう、餌を仕込んどかないとね。荷物見ててね」
 手ぶらで姿を消した清花は両手にビニール袋を下げて嬉々として戻ってきた。
 中身は缶ビールにシュウマイ、イカクン、ピリカラソーセージにナッツ詰め合わせである。
 「まるで旅行に行くみたいだな」
 「旅行じゃない」
 「仕事・・・」
 「仕事で旅行に行くんでしょう?」
 貧乏性を指摘されて一番露骨にムッとしていたすぐ前のおばさんが「ぷっ」と吹き出した。
 僕たちの席は、二人がけの方だった。清花は窓側に座り、さっそくビールとつまみを、窓枠やら引っ張り出したテーブルやらにセッティングをする。
 僕は自分のテーブルにまで配給品を並べ立てられてはかなわないと、先に書類を広げた。
 「なにやってるの?」
 「うん、僕なりに、今回の事件の整理をしようと思って」
 「ふうん、じゃあ、先にやってるよ」
 「ああ」
 プシュっと音がした。清花がビールのプルトップを開けたのだ。シューマイの箱を切り取り線に従ってびりびりと破り、さっそく備え付けのピックでシューマイを刺し、口の中に放りこんでいる。
 「そんなに食べて飲んで、良くその体型が維持できるなあ」
 「いい女は太らないのよ」
 「あ、そう」
 「あ、和宣もつまんでいいからね」
 「当たり前だろ。どうせ経費なんだから」
 「そうだよ」


 清花が青山から入手した名簿と、青山からの証言および、社長が集めてくれた資料などをつなぎ合わせて、僕は自分なりに登場人物を整理してみた。こんな具合である。

○青山健二
 フリーター 東京都大田区在住
 今回の依頼者 殺害された水野弥生の元恋人で、おそらくまだ未練がある

○梶谷武史
 大学生 埼玉県浦和市在住
 東京から青山と同行 大阪駅で別行動
 現地にたどり着けなかった模様
 殺害された水野弥生の元恋人。青山から水野を奪ったが、今はもう付き合っていない。

○大田原光博
 旅行代理店勤務 兵庫県神戸市在住
 ミニ同窓会の実質幹事

○水野弥生
 大学生 兵庫県三田市在住 殺害された
 ミニ同窓会の発案者で会場は彼女の自宅

ここまではこれまで何度もディスカッションの中に登場した人物である。
だが、この先は、まるで予備知識のない登場人物だ。

○葵双葉
 主婦 大阪府堺市在住
 弥生の家に泊まっていたはず

○榊原チエ
 商事会社OL 兵庫県姫路市在住
 弥生の家に泊まっていたはず

青山メモによると、このほかに、誘われていたかどうか不明の者、2名


 「ふう」
 僕はメモを整理し終えて、ため息をついた。博多行「のぞみ9号」は新横浜を出発しようとしていた。

 「懐かしい?」
隣の席から清花が話しかけてきた。
 「なんで?」
 「和宣って、広島なんでしょう?」
 「うん」
 「想像だけど、東京に来てから、広島に帰ってないんじゃないの?」
 図星だった。アルバイトをしながらも僕は日々勉学に励んでいると、両親は信じて疑っていないだろう。しかし実体がフリーターとあらば、おめおめ我が家に顔など出せるはずもなかった。
 「けど、それがどうして懐かしいのさ」
 「西へ向かう列車に乗って、少しホームシックになったりとかしないのかな? とか思ったのよ」
 「僕たちは大阪で降りるんだよ」
 「わかってるわよ」
 「だったら」
 「大阪も広島も、わたしたちがいるところから見たら西だもの。わたしだったら、ちょっと胸キュンしちゃうけど」
 「あいにく、そんな繊細な神経は持ち合わせてないんだ」
 「人一倍繊細なくせに」
 僕が繊細かどうかはともかく、清花に指摘されるまで、「大阪も広島も西」だなんて、思いつきもしなかった。
 広島、というより、「我が家」は僕にとって、アメリカよりも遠い地であり、方角で言えば東西南北のどれでもなく、ファンタジーに出てくる空想の異世界のようなものだった。どこかにあるけれど、どこにあるのかわからない。

 「教えて」と、清花が言った。
 「なにを?」
 「和宣がなぜここにいるのか?」
 「おまえ、もう酔ってるの?」
 「バカ! そういうことじゃないでしょう? どうして和宣がこんなことをしているのかな、って。そういうことよ」
 「お前が『風の予感』に誘い込んだんじゃないか!」
 「だから、そうじゃなくて、東京に出てきて、学生のくせに学生じゃなくて、わたしの誘いに乗ってしまったのは、何故? そういうことよ」
 何故? と訊かれて、色々なことが頭の中をぐるぐる回り始めた。
 「一言で簡単に言うのは難しいけど・・・」
 「大阪まで2時間以上あるわ。充分でしょう? 和宣がそんなに複雑な人生を歩んできたとは思えない」
 こんちくしょうと思ったけれど、その通りだった。僕の人生なんて単純なものだ。

 僕の身分は学生である。だが、ここ1年、ロクに大学に行っていない。
 授業料も払っているし、退学や休学の手続きをとった覚えもないから、僕の名前が学籍にあることは確かだけれど、僕の名前を覚えている学生や教授が果たしてどれだけいるかについては心許なかった。
 「授業料は出してやる。だが、生活費は自分で稼げ」
 親が出した大学進学の条件がこれだった。
 我が家は普通のサラリーマン家庭である。特別に裕福ではないが、苦学生を強いられるほどでもない。しかし、両親はまさか僕が「東京の大学にしか受からない」などとは想像していなかった。地元の大学に自宅から通うと頭から思いこんでいた。根拠などなかったに違いない。根拠のない思いこみ、よくあることだ。
 ともかく僕が東京に下宿して、そこから大学に通うなどという生活設計なんて全くしていなかったのだ。
 だが、結果として、僕は東京の大学にしか受からなかった。名だたるマンモス3流大学である。
 もっとも、僕は、半ばそう仕組んだのだけれど。
 高校生の僕は、東京に憧れていた。東京の何に? と、問われれば、なんとなく、とか、雰囲気に、などとしか答えられない。でも、ありとあらゆるものが存在する世界的な大都会「東京」で、僕は何かをつかめるだろうと、直感的に理解していたのだ。

 だから、地元の大学は、「少し実力よりレベルの高いところ」を受検し、東京の大学は滑り止めとして「少しレベルの低いところ」を選んだ。
 と、これは両親への説明である。
 「少しレベルが高い」ということは、頑張れば合格するということである。両親はそう理解した。
 実際は、「かなりレベルの高い地元の大学」と、「試験さえ受ければまず間違いなく受かる東京の大学」を僕は選んでいた。
 この段階で僕はまだ、両親が「地元の大学しか眼中にない」ということを知らなかった。「世間一般の高校生は、全国の大学から受験すべき所をセレクトしているものだ。それが受験生の常識だ」と、これは僕の思い込みである。

 二つの思いこみは、もともと相容れなかったのだ。親子だから、家族だから、話し合いなど無くても意思が疎通するなどと思ったら大間違いで、日常が「あ・うん」の呼吸で通じる分だけ、大きな出来事については逆にきちんと話し合わないとギャップが生じる。
 なんて事に気が付いても、時既に遅し。「そこしか受からなかったのだから仕方ない」という理由で、東京での一人暮らしが始まったものの、アルバイト漬けの大学生活を余儀なくされた。
 「じゃあ、生活費は自分で稼げよ」との宣告を背中に背負って。

 もちろん、全額を両親から負担してもらおうとは思っていなかった。ただし、生活費全額をアルバイトで、というのも想定していない。遊びに使うお金をちょちょいとアルバイトでひねり出し、おおかたの大学生がそうしているようなキャンパスライフを送ろうと、極めて安易に考えていたのだった。

 現実は厳しい。
 こうして僕は、身分は学生だが、実質的にはフリーター同様の生活を送るようになった。日々の糧を得るために、とても授業に出る時間がとれない。よしんば授業に出たとしても、提出課題やグループ研究などには手が出ない。

 その結果、仕事のあるときは仕事をする。無いときは、下宿でごろごろして過ごす。
 仕事のない時ぐらい授業に出席したらよさそうなものだが、単位を得るための所定の日数に達しないのは明らかだし、疎遠になればなるほど、顔を出しにくくなるものだ。

 1年生、2年生の時はかろうじていくつかの単位を取ったものの、3年目には全く授業に出ないようになっていた。
 どうせ4年で卒業できない、というのが明らかになったのもあったが、3年目の夏前に出会ったアルバイトが、僕の運命を決定的にしてしまった。

 調査会社「オフィス・風の予感」でのアルバイトだ。
 初夏から秋にかけて、僕は三つの案件をこなしてきた。
「風の予感」の日当は高い。
 一日1万円である。業務の性格上、残業手当も出張手当もない。しかし、まるごと1万円だ。
 プロの探偵がどの程度のギャラをもらっているかなど知る由もないが、僕には充分な額である。僕はいわゆる探偵業をしているつもりはないから、相場などどうでも良かった。
 おまけに案件調査中の必要経費は、食事を含めて全て依頼者負担であるから、その間は生活費がかからない。時給ン百円で、まかないを食べれば給料から引かれる飲食店のアルバイトとは比べようもない。

 もっともギャラの良さにつられてこの仕事を始めたのではない。実際にやってみて、普通のアルバイトよりも美味しいことに気が付いただけである。金銭面とは全く無関係に、僕はこの仕事が気に入っていた。それが、「風の予感」のスタッフを続けている理由である。

 「もう、終わり?」と、清花が言った。
 「終わりだよ」
 「ふうん、本当に単純な人生ね。まだ名古屋に到着していないわよ」
 「ほっといてくれ」


 「のぞみ9号」は定刻に新大阪に着いた。わざわざ関西までやってきたけれど、会う約束が出来ているのは、姫路在住の榊原チエだけだ。あとのメンバーは連絡が取れなかった。
 しかし、なるべく早く、会える人とは会っておきたい。チエとのアポしかなかったが、後は現地で手配をして、可能なら他の人とも面会しよう。そんな方針である。
 肝心の刑事事件も解決していないし、僕たちに出来る事といえば、関係者に会いまくるしかとりあえずはないのである。

 僕と清花は新大阪で在来線に乗り換えた。姫路行の新快速である。関東では優等快速列車を「特別快速」などというけれど、関西では「新快速」である。リクライニングこそしないものの、特急並の二人がけシートである。
 姫路にも新幹線の駅はあるが、「のぞみ9号」は停車しない。僕たちが乗った「のぞみ」より、10分ほど早く出発する「ひかり」が姫路停車だが、どこかで「のぞみ」に追い越されるらしく、「のぞみ」+在来線で行くのと到着時間はさほど変わらない。それなら現地の空気を味わっておこうと、新大阪から姫路までは新快速を使うことにした。
 しかし、この判断は甘かったことを後に思い知ることになる。僕たちは青山や梶谷らの足取りを辿るべきだったのだ。すなわち、ハイウエイバスで大阪へ、そして、7時15分発の列車で三田へ。そうすれば、僕も清花もきっと、巧妙に仕組まれたダイヤトリックとアリバイ工作がもっと早く見抜けたに違いない。でも、僕たちは刑事事件の解決に乗り出した探偵でも何でもないから、殺人犯を指摘することにつながるそんな行動など、まったく念頭になかったのである。

 僕たちの乗った新快速は、大阪、尼崎、芦屋、三ノ宮、神戸、明石、西明石、加古川と停車して、約1時間かかって午後2時前に姫路に着く。大都会から出れば、瀬戸内の海が望め、さらに田園風景とときどきやってくる地方都市。そんな車窓を楽しんでいるうちに、清花とそれほど多くの会話を交わすこともなく、予定通り姫路の地を踏んだ。


 チエは新幹線改札を出たところで待っていてくれた。
 白いVネックTシャツに、薄い灰色のスーツとスカート。黒のローヒール。職場から抜け出して来たに違いなかった。
 わずかに茶色に染めた髪は肩にかすかに掛かっている。前髪を髪留めであげてかわいいおでこが露出していた。
 彼女は打ち合わせ通り、薄い雑誌をまるめて左手に持っていた。
 「榊原さんですね?」との僕の問いかけに、彼女はとまどったような中途半端な笑顔で応じた。
 「はい。ええと、タチバナ、さんですね?」
 「はい」と、清花。
 「お二人とも、タチバナさん? ご夫婦ですか?」
 「いえ、偶然読み方は同じですけど、漢字は違うんですよ」
 僕たちは名刺を渡した。
 「あら、まあ」と、チエは言った。「恋人同士ですか? 違いますよね」
 「違います」と、はっきり言う僕を清花がちょっと睨んだような気がしたが、事実なのだから仕方ない。
 「なら、天気もいいですし、姫路城にでも行きましょう。あそこ、カップルで行くと別れるっていうジンクスがあるんです。恋人同士でなければ構いませんよね」
 「別れるジンクスがあるのは恋人だけ?」と、清花。
 「え?」と、チエ。
 「仕事上のコンビも解消できないかしら」
 「まあ」
 チエはくすくす笑った。


 

 


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