第4話 スーベニール「未来の子供達のために」  =2= 



 「と、いうわけで、明らかに殺人事件です」と、社長は言った。「しかも、犯人は捕まっていません。というより、誰が犯人かすらわかっていないんですよ」
 電話帳広告に関するディスカッションを社長が諦めて、ホッとしたのも束の間だった。かわりに始まった「仕事の話」は、とてもやっかいそうに思えた。
 「まさか僕たちに犯人探しをしろ、というんじゃないでしょうね」と、僕。
 「もちろんそんな依頼ではありませんよ。うちは『風の予感』ですからね。でも、もしかしたら犯人探しも必要になるかも知れません」
 社長は真剣にそう答えた。

 「へえー、面白そうね」と、清花。  好奇心のかたまりのような清花だから、きっとそういう反応をすると思ったが、まさにその通りだった。
 「でも、犯人が割れたところで、依頼とは関係ありませんから、ギャラにはなりません。警察から感謝状ぐらいは出るかも知れませんけれどね」
 「で、どんな依頼なんですか?」
 「依頼主は青山健二さん。調査対象は死んだ水野弥生さん。依頼主のもと同級生で恋人ですね」
 「ふううん、でも、いったい何が知りたくて調査依頼なんてしたのかなあ?」
 清花が首を傾げた。

 「青山さんが言うには、今回の同窓会のもともとのきっかけは水野さんだったのだそうです。何気なく友達に漏らした『広い家に一人暮らしで寂しい。またあの頃のみんなで集まって騒げたら楽しいのに』の一言がもとになって、共通の友人で仲間だった太田原さん−この方は男性ですが−がまとめ役をかって出ることになりました」
 「さらにそこへ、『これから集まる機会もどんどん減るだろうから』とか、色々な理由がついてきたのね」と、清花。
 「んー、まあそんなことはどうでも良かったんでしょうね、集まってわいわいやれれば」
 「そうかもしれませんね」と、僕。
 「でも、水野さんは何となくみんなでまた楽しくやれたらなあと口にした程度で、実際に話をどんどん進めたのは太田原さんだそうです。これは後日、青山さんが太田原さんから聞いています。
 『水野さんは東京から元クラスメイトを呼び寄せるほど大げさなことは考えていなかったんじゃないか』と青山さんは言っています。
 『太田原さんの計画に待ったをかけようと思えばできたはずだ』とも。
 けれど、そうはしなかった。その上、仲良しグループの一員ではあったとはいえ、
 『元恋人を二人とも呼び寄せたのはなぜでしょう。彼女への未練はもうないつもりでしたが、声がかかれば、彼女は僕のことをあれからどう思っていたのか気になります。そして、楽しくなるはずの同窓会で、どんな気持で殺されるのたのでしょう』
 そのあたりを調べて欲しいとのことでした」
 「結局、未練タラタラなのよね、その青山っていう人」
 清花の評価は手厳しい。
 「元恋人二人の内、どちらの方をより愛していたのか知りたい、そんなところなのでしょうか?」と、僕。
 「そこまで突っ込んだ質問はもちろんしていませんけれど、無くして知るその大切さ、というところでしょうか」
 社長はどこか遠くに視線を漂わせながら言った。
 「きっと彼女が生きていたら、青山さんも彼女のことを思い出すなんてのは、それこそ年賀状を書くときぐらいだったんじゃないかと思いますよ」
 わかるような気がした。
 僕は、付き合って別れた女性のことを思い浮かべた。3人いる。今、彼女たちとあえて再会したいとは思わない。いまさら伝えるべき事も聞くべき事もなにもない。青春のひとときを共有したパートナーである、というだけだ。
 そんな彼女たちのうちの誰かと、同窓会などで顔を会わす機会があったらどうなるだろう。お互い恋人がいなければまた付き合い始めるかも知れないし、楽しく昔話をするだけかも知れないし、その場限りの一夜を共にするかも知れない。あるいは、結局一言も話せずに終わるということも考えられる。しかし、そんなあれこれを思うのは、同窓会というある意味劇的な出来事があればという前提であって、普段は思いだしたとしても「元気にしているんだろうな」程度のことだ。
 だが・・・
 元気にしていないと知ったら?
 それどころか、死んでしまっていたら?
 まして、それを自分が発見したら?
 「ある」というだけで安心できることがある。自分で確認したわけではない。多分、押入の奥のあの辺にあるだろうな、程度の認識だ。
 ところがなんらかのきっかけで思いだし、探してみたら、見つからなかった。
 失ったとわかってはじめて心を支配する喪失感や焦燥感。
 それを青山は感じているんじゃないだろうか?
 「多分あるだろう」から「明らかに無い」に認識が変化したとき、人はそれが急にいとおしくなり、必要としないものに対してでも今まで以上に愛着を感じるのではないだろうか。
 「物」であってもそうなのだから、心と心を通じ合わせた恋人ならば、その大きさは他人には想像がつかない。
 「その依頼、引き受けてあげたいな」と、僕は言った。
 「いや、その、立華さんと橘君にやってもらうつもりで、もう契約してしまいました」
 しれっという社長に、清花は「苦労するわよ」と、言った。
 「苦労は報われますよ」と、社長は静かに微笑む。
 「大変なのはどの依頼も同じでしょう? この案件が特別に苦労するとは思えないけれどなあ」
 「何言ってるのよ、和宣。これは警察だってまだ解決できないでいる事件なのよ。簡単に奥深くに入り込めるとは思えないわ」
 「犯人探しじゃないんだから、それは関係ないだろう?」
 「問題がひとつあるわ」と、清花が言った。「依頼主の青山さんが犯人じゃないっていう証拠はあるの? もし疑われでもしているんなら、わたし達もおいそれと彼やそのまわりの人達に接触できないわよ」
 「その点は大丈夫です。弥生さんの死亡推定時刻には、彼はアリバイがあります。彼女が殺されたのは三田駅で爆発があった前後1時間の間というのが警察の見解ですから。その間、青山さんは間違いなく電車の中です」
 「じゃあ、完全に容疑の圏外なのね」
 「そうです。念のために調べたら、アリバイ工作の疑いもないと警察では見ています」
 「調べるって、警察はそんなことまで教えてくれるんですか?」と、僕。
 「杉橋さんにお願いしました。彼はハッキングの天才ですから」
 そうか、もうそこまで下調べをした上で、社長は僕たちにこの仕事をあてがってきたのか。
 「ねえ、和宣、やろうよ」と清花が言い、「ああ、やろう」と、僕は応えた。
 「あ、そうそう。いつの間にか僕の前でもファーストネームで呼び合うようになってますが、依頼者の前では気を付けて下さいね」

 僕たちはまず依頼者に会うことにした。
 待ち合わせ場所は、彼の住んでいるワンルームマンションのすぐそばの児童公園。清花はお茶でも飲みながらというのはどうかと水を向けたが、出かけるのは億劫なのでなるべく近場で済ませたいとの返事だった。
 「ふうん、あなたがたが、調査員?」
 青山は僕と清花を見比べながら言った。キョロキョロと目玉がせわしなく動いた。表情はどこか精彩を欠き、全体的に陰気な印象を漂わせている。
 彼はしわくちゃのジャージ姿だった。もともと無頓着なのか、もと恋人を失って気落ちし、服装にまで気が回らないのか、僕には判断できなかった。わかるのは、ついさっきまでこのジャージ姿で布団の中にいたであろうことだけだ。それにしても、と、僕は思う。いくら近所の公園とはいえ、大枚はたいて調査を依頼する相手の前に、こんな姿を現すのは感心できない。
 「どうぞよろしくお願いします」
 清花が名刺を渡した。
 「へえ、主任調査員ねえ。たいしたもんだなあ」
 青山は肩書きを読み上げた。本気で感心しているようだった。少しの間、清花の瞳を眺めていたと思うと、チラリと横目で僕を見、すぐに視線を清花に戻した。
 僕は、こんちくしょう、と思った。
 卑屈になっているわけでも何でもない。が、僕には彼の思考の変遷が手に取るようにわかった。
 (こんな人達が調査員? 俺と年齢もさほど違わないんじゃないのか? まかせて大丈夫なのか? お、へえ、でも、主任調査員か。それなりの人を派遣してくれたんだ。うん、なるほど、女の方は少しは出来そうな感じだよな、確かに。それにくらべて、こっちの男は・・・)
 清花は確かに美人である。それも、見かけだけの中身のない美人ではなく、いかにも聡明そうだ。頭の回転が速く、行動力にも富んでいる。いつも一緒に行動している僕が言うのだから間違いない。それに比べて僕は、さぞ見劣りするだろう。
 不信感を抱かれては元も子もない。仕事がやりにくくなるばかりでなく、最終的に調査報告書の信憑性に疑いすらもたれかねない。何が何でも全幅の信頼を寄せてもらわないと成り立たない仕事なのだ。信頼してもらうこと。信頼させること。これが相手の心に触れるための最初のゲートだ。
 幸いこの男は、肩書きに弱そうだ。
 清花に続いて、僕も名刺を差し出した。
 「え? 主任技術士、ですか。へええ、ふたりともすごいんですねえ」
 ありがたいことに青山の目に少しだが精気が戻った。
 「あ、しまった」
 ふたりの「主任」を目の前にして、とたんに自分のジャージ姿が気になりだしたと見える。胸元を叩いたり袖口を引っ張ったりと、青山は皺を伸ばそうと試みた。残念ながら彼と共に一晩布団に挟まれていたジャージがそう簡単にピンと張りを取り戻すことは出来なかった。
 ともあれ、「ふぬけ」状態からは脱したようだから、それでよしとしよう。
 服装はともかく、青山は肩書きに毒されていると僕は思う。若いんだから肩書きなどにこだわらず、力を出し切って思いきり行動するべきだ。とはいっても、彼はフリーターだし、組織の中ではただの兵隊、未来を嘱望された平社員ではなく、単なる雑用係なのかも知れない。
 でも、だからこそ、肩書きなどで人を判断せず、自由人として自分の目で人を見なくてはダメだと思う。
 言っておくけれど、(依頼主には言わないけれど)「風の予感」のスタッフは最低でも「主任」なのだ。
 「主任調査員」「主任技術士」「主任情報士」「主任業務官」「主任書記官」・・・・もうよそう。
 僕も清花も何種類かの名刺を持っている。時と場合によって使い分け、チームを組むときは役どころがダブらないようにする。
 学生の僕には会社勤めの経験などないから、主任が何ほどのものかは知らないが、誰でも彼でも主任なのは、依頼主に安心感を与え、かつ行く先々で仕事がしやすくなるだろうとの社長の配慮である。
 僕たちより年上の秋月や吉備恵子は「参事」の肩書きを使っている。
 参事ってなんだ?

 今日の目的は、依頼人と面識を持っておくことと挨拶であるから、名刺を渡しながら僕は「どうぞよろしく」と頭を下げた。
 「ところで」と、清花は青山に微笑みかけた。「依頼しておいたもの、持ってきて下さいました?」
 「はい、これですが」
 やれやれ、またはじまった。清花のスタンドプレーだ。清花が彼に何かを持参するよう頼んでいたなど、僕は全く知らされていない。
 清花に悪気はない。思いついたら行動せずにはいられない、ただそれだけだ。だが、コンビを組んでのチームプレイでは必ずしもベストの方法とは言えないだろう。事前に相談しろとまでは言わないが、依頼者にこんなものの提出を頼んでおいたよ、くらいは報告するのが普通だろう。一方的に進められてはコンビを組む相方は面白くないに違いない。もっとも僕は例外なのである。
 幸い僕は、新人の頃(今だって新人だけど)に洗礼を受けている。深く考えもせずに、「さすがに1年もキャリアが違うと、考えることもすることも差があるものだ」と関心すらしたものだ。
 実体はスタンドプレーだと後でわかったのだけれど、気が付いたときにはもう慣れていたし、それが清花のやり方だと理解もした。もちろん気分を害するなんて事もない。さすがに「先輩は違う」と関心まではしなかったけれど。
 ところで、僕のこういう反応は、清花にとってはとても有り難かったらしい。社長は僕たちの相性の良さを何となく見抜いていたようで、だからいつもコンビを組ませるのだろう。
 青山が差し出したのは、一枚のルーズリーフだった。名前・住所・電話番号・勤務先や通学先、そして、全員ではないがEメールアドレスが書かれている。ミニ同窓会に出席予定だった者の名簿だった。
 ここで僕が「これは一体何の名簿ですか?」などと言えば、全て台無しになる。調査員同士横のつながりがとれていないと依頼者に知らせることになるからで、我々に対する信用は失墜してしまう。
 僕は「お手数をおかけしました」と、微笑んだ。

 「自分の預かり知らぬところで行われたことに関しても和宣は気を回してくれるから助かる。そういう神経の使い方が、和宣の良いところなのよね」と、清花は言う。
 「よせよ、恥ずかしいじゃないか。結果として依頼が早くこなせるんだからそれでいいだろう?」
 「普通の人は、そうは思わないわ。勝手な行動をした。自分をないがしろにした。軽く見られた。そんなことばかり言ってわたしを責める」
 「そんなことがあったの?」
 「ないわよ。あると嫌だから、単独行動が中心だったの」
 「なかったの? だったら、決めつけるのはおかしいんじゃない? 良くないと思うよ」
 「なくたって、わかるわ。普通はそういうものよ。相棒に相談も連絡も無く、思いついたらつい行動しちゃうのよね。それはあまり良くないことだって自覚はしてるし、責められても仕方ないわ。それはわかってる。けど、実際に責められたらわたしはすごく嫌な思いをするだろうし、『行動力ないくせに、何を言ってるのよ』な〜んて反撃しちゃうわ、イきっと。けど、和宣はそうじゃない。適当に話をあわせてくれたりもする。ま、和宣のその少し変な感性がありがたいんだけどね」
 少し感性が変だと指摘されて、僕は憮然としてしまった。頭から非難されているわけじゃないのはわかるけれど、決して誉め言葉ではない。
 わかるのは、少し感性が変な僕が、清花にとってはありがたい存在なのだ、ということだ。だったら、ありがたいような表現をしてくれたっていいじゃないか。
 そう思いつつも、その少し変な感性が故に、清花に気に入られていることが、僕には嬉しかった。打算的だと思うけれど、清花のような素敵な女性に気に入られていると思うと、腹も立たない。これが見た目も悪く、性格も悲惨という女性だったら、その場でサヨナラだ。清花だから許せる。
 「そういうのを相性がいいって言うんですよ」
 社長のささやきが聞こえてきそうだ。

 「それじゃ、僕はこのへんで。確かに渡しましたよ」
青山は名簿を渡すと、そそくさと席を立った。
 「お急ぎなの?」と、清花。
 「別に。まだ他に何か?」と、青山。
 「ううん、これからどうされるのかと思って。」
 「何もしませんよ」
 「毎日、どうしてるの?」
僕は一瞬、清花が恋人に話しかけているのかと思った。それほど清花の「毎日、どうしてるの?」には、心からの心配が込められていた。いや、恋人じゃない。恋人なら寄り添っていてあげればそれでいい。だったら何だ? 先生と生徒だろうか。それも、かつての教え子と教師。
 先生は、彼が自分に恋心を抱いていることを知っている。生徒も、自分の恋心が伝わっていることに気が付いている。だけど、その気持を先生は受け入れることが出来ない。あくまで元生徒の一人でしかない。彼の苦悩を知りながら、最後の一歩に踏み込めない。だから余計に気がかりなのだ。
 最大限の慈愛と心配を表現した複雑な笑顔ともいえない笑顔が、青山の心に届いたらしい。彼は立ち止まった。
 「家賃を払って、とにかく食べる程度のお金は残ってるから。今は何もする気がしないんだよ」
 「そう」とだけ、清花は言った。
 「叱ら、ないの?」
 「どうして?」
 「事情を知らない友人や、上司が、僕の所を訪ねてきたり、電話をかけてきて、『何もする気が起こらない』って言うと、口を揃えて『そんなことではだめだ』とか、説教じみたことばかり言うから、だんだんうっとおしくなってきて、ほとんどもう没交渉なんだ」
 「いいじゃない。長い人生なんだもの」


 

 



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