第4話 スーベニール「未来の子供達のために」  =1= 



 『死者の気持ちを調査します
 わからないままになっていたあんなこと、こんなこと、気になって眠れない日はありませんか?
 オフィス「風の予感」がアナタのお役に立ちます。
 死者の気持ちをくみ取ることが出来れば、あなたの長年の気がかりはスッキリ解決。
 故人も言い残したことを伝えることで、心おきなく成仏できるでしょう。
 ご家族・ご親戚・ご友人・その他縁者など、調査対象に制限はありません。まずはお電話下さい。お見積もり無料です』

 ひー!!!
 僕はお腹を抱えて笑った。
 「心おきなく成仏できるって、死者がそんなこといちいち認識なんかしてないって! それにさ、僕たちが調査して、それでも成仏できなかったらどうするんだよ。JAROに訴えられるぜ、これ」
 「そ、そんなに笑わなくてもいいでしょう? 一生懸命考えたんだから」
 「な、なんだよ、これ清花が作ったの? 清花にコピーライラーが務まるわかないじゃないか」
 「・・・放っといて。これは私が受けた仕事なの。和宣に見せたのが間違いだったわ」
清花はほっぺたを膨らませた。すねたように見せかけているが、どうやらその実、かなり落ち込んだようである。言いすぎたかもしれない。
 「ごめんごめん。だけど、これ、『風の予感』のCMだろう? いったい何に載せるのさ」
 「電話帳、ってきいたわ」
 「・・・・社長がそう言ったの?」
 「そう、電話帳に広告を載せたいから、文章を考えてくれ、ってさ」
 「ふーん」
 清花が広告コピーをねえ。でも、清花はどっちかっていうと、フィールドワーク派なんだけどな。やむをえない書類仕事ならまだしも、広告文章を創作させるなんて、社長もどうかしている。そりゃあ、清花の感性は認めるけどね。でも、それも現場でこそ発揮されているように思うんだけどなあ。
 「それにしても、なんで今頃電話帳広告なんだろう。依頼が少なくて経営があぶないんだろうか」
 「でも、広告を打って派手に拡げれば成功する、というタイプの商売じゃないと思うのよね」
 その通りだと僕は思う。
 どのみち大量生産できる仕事じゃない。ひとつひとつの案件に調査員が張り付いてこなさなくてはいけない。となれば、案件が増えれば儲かるというものじゃない。
 案件が増えれば調査員を増やさないといけないし、そのためには育成しなくちゃならない。育成と言っても工場ラインの労働者のように一堂に集めて出来るとか、マニュアルがあればいいと言うものではない。僕と清花がコンビを組んでいるように、「先輩」と「後輩」が一組になって、案件に当たりながらひとつひとつ覚えていくより仕方ないと思う。
 つまり、広告のせいでどっと依頼が増えたら、こなしきれないはずなのだ。
 一方で、調査員を多く抱えると、常に一定量の調査依頼がないと、日当が払えない事になってしまう。となると、広告などの大量メディアで注文を取ると言うことは、賢明ではない。運営も経営も圧迫しかねないからだ。

 「社長にはそれとなく、どういうつもりなのか訊いてみようとは思っていたの。でも、それはそれ、これはこれ。私は仕事として広告文章を頼まれたの。だから、これはそれなりにして、提出しなくちゃいけないんだけど、でも、やっぱり変かなあ?」
 清花が不安そうに言った。僕が大笑いしたものだからただでさえ無かった自信がさらにしぼんでしまったのだろう。
 「まあ、商業広告だから、どのみちこんな書き方になるんだろうけれど、僕が笑ったのはコピーの出来・不出来はともかく、こういうのは風の予感に似合わないと思ったからなんだ」
 「そうだよね」と、清花。
 「大量に宣伝して客を集める商売じゃないと思う。そりゃあ、僕たちは風の予感に依頼が来て、そのギャラで食べてるわけだけれどさ」
 「うん、私も、なんか釈然としない。きちんとしたいい仕事、人の心に優しく触れるような仕事をしていれば、わたし達のことを本当に必要としている人は、どこからかききつけてやってきてくれると思う」
 「そうそう、クチコミ命、だよな」
 「安易な広告や安易な客が、安易な仕事につながるのよ」
 「客の質が落ちれば、仕事の質も落ちる?」
 「そういうこと。サービス業なんてのは、客が育てるのよ」

 事務所へ行く前に話したいことがあると清花から電話がかかってきたので、駅で待ち合わせをして、僕たちはディスカッションをしながら事務所まで歩いた。話したいこと、とは、もちろん清花の作ったコピーのことである。結果としてそれは裏目に出て、僕に大笑いされることになったのだけれど、清花は清花なりに懸命で、僕から意見をもらって、直すべきところは修正しようと思っていたのだった。
 けれど、そろそろそれも終わりに近いようだ。目の前に事務所が迫ってきた。商店街の空き店舗を少しばかり改造したオフィス「風の予感」
 社長は事務所を構えてからも、事務所を施錠して喫茶店に出向くことが多かったが、今日は僕たちよりも早く出勤していた。清花に宿題を出したから、提出を待ちかまえていたのかも知れない。
 おはようございます、と声をかけながらドアを開ける。
 「おはようございます」
 社長はニコニコと上機嫌だった。
 今日のいでたちは、薄いグレーの襟付きシャツにベージュ系のスラックス。ビジネススーツに比べると随分柔らかな印象を受ける。
 依頼人と面談するなど仕事上必要なときはさらにネクタイをしてジャケットを羽織ればオッケー。ビジネスとカジュアルのギリギリの線を維持していると言えた。
 崩してしまうと仕事の話は出来ないし、依頼人も不信感を抱くだろう。だけど逆に、サラリーマンのような無彩色かそれに近いビジネススーツだと事務的な印象を与えるに違いない。人の心に触れる仕事だから、事務的な印象は致命的だ。
 30代前半という年齢、短く品良くカットした髪、平均的な男性よりも小柄。これらとあいまって、このファッションが社長には似合っている。
 「お疲れさま」と、社長は清花に声をかけた。「ま、座ろうか」
 接客スペースの奥に、パーテーションで仕切られたミーティングルームがある。6人程度がディスカッションするのにはちょうど良い大きさのテーブルに、僕たちは腰掛けた。
 おずおずと清花が原稿用紙をテーブルの上に置く。社長は「これですね」と言いながら原稿用紙に手を伸ばした。
 社長の目が文字を追い始める。
 清花を見ると、まるで最後の審判をくだされる前のように、神妙な顔をしていた。
 僕の視線に清花が気付き、ギロりと睨む。
 僕は思わず吹き出してしまった。
 「なによ、それ」
 「いいから、いいから」
 社長は原稿用紙から目を上げる。
 「それにしても、君達二人は仲がいいですね。お互いにファーストネームで呼び合っているようですし」
 「え、いや、それは・・・・苗字が同じですから、ややこしいですし。それに、会ったときからそうしようってお互い話し合って、今ではごく自然に・・・あ、いや、深い意味は」
 ええい、なんでしどろもどろになるんだよ。
 別に見透かされているわけではないのだし。いや、見透かされているのかな? 僕の気持ちを・・・。
 「うん、わかっていますよ。僕や依頼人の前ではけじめをつけて、ややこしくてもファミリーネームで呼び合ってますしね」
 社長は僕たちから視線を外した。
 「ところで、電話帳広告の文案ですけど」
 手元の原稿をテーブルに戻し、清花の前に180度回転させてから置いた。原稿は清花から見て正位置になる。
 「こんな風にしか、なりませんか」
 ちょっと残念、というニュアンスが伝わってきた。
 「あの、社長」と、清花。
 「なんでしょう?」
 「出来の良くないものを提出しておいてこんなことを言うのは気がひけるんですが、電話帳広告なんて出す必要があるんでしょうか?」
 それとなく訊いてみると言っていた清花だが、真っ正面から切り出してしまった。
 ま、いいか。
 「気に入りませんか?」
 「いえ、気に入らないって言うわけじゃないんですけれど、こういう正攻法の広告は風の予感には似合わないように思うんです。馴染まない、と言った方がいいかも知れませんが」
 「そうですか。・・・うう〜ん」
 「経営が苦しいわけじゃないんでしょう? だったら、広告なんてやめましょうよ。みんな誠意ある仕事をしていますし、そういう気持は依頼者にもちゃんと伝わっていますよ。だから、口コミで新しい依頼者はやってくると思うんです。現に、やってきてますし」
 「ええ、それは私もわかっていますよ。けれどね、ちょっと事情があって、広告を出したいと思ったんです。ただ、広告文句を考えるとどうしても商売じみてしまうでしょう? いや、もちろん慈善事業ではありませんし、広告という限りは見た人に興味を持ってもらえるようなものでないといけません。興味を持ってもらえてかつ商売臭くない広告。むつかしくてね。僕には手に負えない。それで、立華さんにお願いしたんですが・・・、やはり無理でしたか」
 「やはりって、予想はついていたんですか?」
 「難しいだろうなとは思っていました。広告は広告ですから」
 「わたしったら、結局、上手くのせられただけなのね」
 「ま、その件は後回しにして、仕事の話でもしましょう」

 兵庫県三田(さんだ)市にある、JR西日本三田駅の駅前で起こった悲惨な爆発事故は、まだ記憶に新しいはずだ。
 三田市は人口増加率が10年も連続して日本一になる有数の人間増殖地帯である。人口が増えれば交通が便利になる。列車本数が激増し、スピードアップする。するとベッドタウンとしての価値が高くなり、また人口が増える。
 工場の誘致や大学キャンパスの移転なども重なって、その勢いはとどまるところを知らなかった。
 その一方、まだまだ自然が多く、ベッドタウンでありながら、都会の人にとっては手軽な日帰りハイキングやレジャーの対象にもなっていた。
 駅前はこの人口増加に対応するための再開発が始まっているが、まだ本格化はしていない。取り壊された建物の後に更地が顔を出したりもしているが、全体として旧態依然とした風情が感じられる。
 例えば、駅前のバス乗り場なども、ロータリー式ではなく、バスは広場へバックで進入して横並びに停車する。どこ行きが何番線に入るかなど決まっていない。空いている場所に停車し、係員がマイクを持って案内放送をする。
 なんとなくのんびりしていて、人の温かさを感じる駅前である。
 こういう三田市の性格上、日曜日などは混雑する。この町に住む人が出かけるのと、この田舎を訪れる人が交錯するからだ。
 駅の利用者自体は平日の方が圧倒的に多いのだろうけれど、彼らは手慣れた定期の通勤・通学客。一方、要領を得ない日曜日の利用者は、彼らがただそこにいるだけで古い駅前を必要以上に混乱させていた。
 そこで起こった爆発!
 後に、これは事故ではなく、人為的なものであると発表されたが、誰が何の目的で爆弾を仕掛けたのかは不明のままだ。
 テロの対象になどなりそうもない、明るい田舎の都市なのだ。
 死者が5人。だが、死者に比べて怪我人は明らかに多かった。爆発そのものもさることながら、駅前がパニック状態になったのがその主たる原因だと言われている。血みどろの地獄絵図が展開した。
 個人開業医なら車で5分以内のところにたくさんあったし、さらにもう少し行けば近代設備の整った市民病院もあった。
 だが、けが人搬送のための救急車が、パニックのために現場に近づけない。その場にいた全ての人間が逃げまどう。目的地を定めずに右に左に走り回るものだから、あっちこっちで人が衝突し、転倒した。その上をまた別の人が走り抜ける。またはつまずく。建物の瓦礫が散乱している。へしゃげた車が障害物を避けながらほうほうの体で逃げまどい、とうとう障害物を避けきれずに事故を起こす。そこへ、別の車が追突をする。
 駅前の交番も半壊状態だった。電話線は切れていたが、巡査は本署にかろうじて無線で連絡を送ることが出来た。だが、誰かが「助けてくれー」と交番へ突進してきたのがきっかけで人々がなだれ込み、巡査は悶絶して意識を失った。
 とにかく現場に近づけない。正しい状況を誰も把握することが出来なかった。
 このとき活躍したのがJR西日本だった。
 爆弾の設置場所、風向き、そして爆弾と駅の間にいた数台のバスが爆風の防波堤の役割をしたなど、様々な要因が重なり、駅の建物はダメージを受けたものの、列車は運行できる状態を維持していた。
 電話も無線もだめになり本社との連絡が途絶えてしまったが、やがて独自の判断で人道的な措置をとった。
 爆発の直後に、一本の列車が到着した。大阪発新三田行きの普通列車だ。これを救援列車に仕立てた。信号機を手動に切り替えて他の列車がこの区間に進入できないようにして、救援列車に怪我人を収容し、市民病院のある隣の新三田駅まで運行したのである。
 この迅速な判断のおかげで、放置すれば間違いなく出血多量などで命を落としていた人も救われたと後に報道されたが、本社と連携していなかったためダイヤは大混乱に陥った。三田へ向かう多くの列車が原因不明の赤信号でのきなみ立ち往生してしまったのである。
 救援列車に仕立てられたのは、大阪発7時15分の普通新三田行き。この列車に乗り込んでいた青山健二は、東京から夜行バスで大阪に早朝着いた。バスの中ではほとんど眠れなかったせいもあって、電車に乗り換えてからはすっかり眠り込んでいた。
 青山健二が目を覚めたのは三田駅に到着した直後だった。騒然とした空気が頭の中に突き刺さったからだった。健二の目的地は三田。やばい、降りなければ、そう思ったが列車の扉は閉じたままだ。そして、三田駅のホームには駅前の爆発騒動から避難してきた怪我人達が集まりつつあった。

 青山は中学・高校時代を三田で過ごした。高校卒業後は就職のために東京へ出たが、身分は正社員ではなくて、契約社員。待遇その他はほとんどアルバイトである。幸い契約は更新され3年目に入っていた。
 今回の帰郷は同窓会が目的だ。同窓会といってもクラス全員が集まる公式なものではない。高校時代に仲の良かった7〜8人が、久しぶりに集まろう、という話がまとまったに過ぎない。高校を卒業してそれぞれ就職・進学した今では、あれほど濃密だった付き合いが嘘のように、連絡も途絶えがちだ。
 この春、短大組も卒業をした。「これからますます会う機会も減るだろうし、一度会っておこうや」
 どこからかそんな話が持ち上がり、太田原が幹事役を引き受けた。
 青山は東京へ移り住んだが、同級生の多くは関西に在住している。そのせいかどうか、青山が連絡を受けたのは日も場所も決まってからで、それまでは「一度会う機会を作ろう」という話が持ち上がっていることすら知らなかった。地域的なことはもとより、青山の方からもとの仲間達に積極的に連絡を取ろうとしなかったことも原因かも知れない。
 しかし、懐かしいメンバーと逢うことに異存はない。誰かが音頭をとって日時を決め、「お前も来いよ」と誘ってくれるのなら、断る理由は何もなかった。
 同窓会は土・日の1泊2日で行われるとのことだった。定例行事の入っている者がいたのでお盆を避け、8月の終わりの週末と実施日は決まった。だが青山は、土曜日も仕事である。そこで仕事を終えてから夜行で帰郷し、日曜日をみんなと一緒に過ごし、さらにその夜の夜行で東京に戻る。そんな計画を立てた。これなら月曜日の仕事にも支障はない。
 休みを申請する事は出来たが、家族持ちの正社員が順次休暇を取っており、員数あわせのアルバイトが「休みたい」と言えば嫌な顔をされるのは目に見えている。なにしろ、1年更新という不安定な身分である。便利なヤツだと思わせとかないと、来年の契約もおぼつかない。仕事もそれなりにこなせるようになってきたし、来年あたりは「そろそろ正社員に」という話も来るかも知れないという下心もあった。ここで心証を悪くしたくない。

 眠りから覚めたばかりの青山を決定的に目覚めさせたのは車内放送だった。
 「ただいま三田駅に停車しております」という状況を説明するだけの放送が、やけに緊迫感を帯びて耳に突き刺さってくる。
 ドアは相変わらず開かない。
 「駅前でさきほど爆発事故が起こった模様です。原因は不明です。また被害状況もはっきりしておりません。駅及び周辺の状況の把握、安全等の確認が出来ますまで、いましばらくこのままでお待ち下さい。なお、列車のドアは当面閉め切らせていただきます。お急ぎのところ誠に恐縮ですが・・・・」
 ホームの上には爆風によって飛ばされたらしい瓦礫やガラスの破片が散乱していた。時刻表や駅名票の一部が不自然に歪んでいる。なんともない所もあれば、大きな力が加わったに違いない部分もあった。そこだけ強く爆風が吹いたか、あるいは何か物が飛んできたのかもしれなかった。
 青山は(よく脱線もせずに駅に着いたものだ)と、自らの身に何も起こっていないことにホッとした。
 ホームの上ではベンチがひっくり返っていて、人がうずくまっていた。服が破れていたり、血を流したりしている。駅舎自体におおきな破損がないところを見ると、難を逃れてきた人達なのだろうか。駅前が爆発でパニックになったとすれば、逃げ込む場所は駅しかないだろうと青山は考えた。
 階段からホームに降りてくる人が増えてくる。ズルズルと足を引きずったままようやくホームにたどり着いた人がその場で倒れ込んだ。隣にいた人がなにやら声をかけているようだが、もう反応しない。
 車内放送は同じ様なことしか言わない。つとめて冷静に放送しようとしているのはわかったが、それでも車掌の声はうわずっていた。
 爆発そのものは終結しており、車内にいる分には危険はなさそうだったが、いつまでも閉じこめられたらかなわないなと青山は思った。徐々にホームに増えてくる負傷者が「俺も列車に乗せろ・安全なところに避難させろ」などと騒ぎ出せば、列車内でも安全とは言い切れない。
 どれくらいの時間が経過しただろう。やがてJR西日本はひとつの結論を出した。

 「ご案内いたします。点検の結果、列車の運行には支障がない模様ですので、当列車はまもなく発車いたします。
 なお、発車に際して、当列車は救援列車として負傷者を収容し、隣の新三田駅まで運行いたします。三田駅周辺の道路が混乱し交通が遮断されているための措置です。負傷者収容のためいったん扉を開けますが、車内のお客様はどなた様もお降りになりませんようお願い申しあげます」

 新三田駅に待機していた救急車やバスなどに怪我人は運び込まれた。そして、駅前がガランとしてしまった。青山はしばし呆然と駅前に佇んだ。
 「このあと、いったい俺はどうすればいいんだ?」
 徐々に我に返った乗客達は、それぞれ自分の所用を達成すべく、行動を取り始めている。
 青山を乗せてきた列車はさらに三田駅を往復してきたらしく、新たな負傷者を運び込んできた。駅前に戻ってきた救急車やバスの類は怪我人を収容してまた走り去る。人道的な措置とはいえ、バスが怪我人の搬送に使われて路線バスが運休したのにはまいった。どうしようもない。タクシーを待つ行列はすさまじく長い。
 イライラと待つだけの時間が過ぎた。中には「どうしてくれるんだ!」と怒りをまき散らしながら駅員に詰め寄る客もいたが、どうしようもないだろう。
 やがて青山達一般客にも、バスがあてがわれた。JRは新三田のさらにひとつ先の広野で折り返し運転を始めたらしく、そこまで送迎してくれるのが1台。南へ向かう客のために神戸電鉄の横山駅まで送ってくれるのが1台。そして、最後の1台は周辺の住宅地へ向かうとのことだった。
 青山は住宅地へ向かうバスに乗り込んだ。住宅地に関連する3系統ぐらいのルートを1台のバスで回るらしく、これなら同窓会の会場に近づけるだろう。
 ミニ同窓会は水野弥生の家で行われることになっていた。土曜日は弥生の家でパーティーをし、女の子達はそのまま泊まる。男どもは近くのホテルに宿泊し、翌朝再び弥生の家に集合。青山ともう一人、日曜から参加する梶谷武史の到着を待って、みんなでどこかに遊びに行く予定だった。
 近くには温泉もあるし、自然の中でバーベキューが出来るところもある。大阪や神戸にも簡単に出られる。行き先は集まってから決めることになっていた。
 車窓の風景をながめるうちに土地勘を取り戻した青山は、バスの降車ボタンを押した。

 バスを降りて弥生の家に向かいながら、青山は「あ!」と叫んだ。
 そうだ、梶谷武史。ヤツはどうしたんだろう?
 梶谷武史。健二と同じく東京在住。
 梶谷は青山とは異なり、大学生である。所属サークルの行事でやはり土曜日のうちから来ることが出来ない。それならばと、青山が土曜の夜に出発する夜行バスの切符を2枚手配し、大阪までは一緒に来たのである。
 大阪駅の喫茶店で一休みし、コーヒーを飲んだ。
 「そろそろ行こうか。あまり遅くなっても悪い」
 青山と梶谷は、実は時間調整をしていた。どうせ夜遅くまで話が盛り上がり、連中は朝寝坊をしているに違いないと考えたからだ。
 ふたりが席を立った時間は7時12分。そのまま改札口に向かい、電光掲示板を見ると、いくつか7時15分発というのがある。発車間際を知らせるために、提示板の電光文字は点滅していた。
 そのうちのひとつに「普通 新三田行き 6番線」というのを見つけた梶谷が「あれだ! 6番線。急ごう」と、青山を促した。
 ふたりして階段を駆け上がる。列車はもうホームに停車していた。
 「すまん、先に行ってくれ!」と、乗車直前に梶谷が叫ぶ。
 「どうしたんだよ」
 「トイレ。急にもよおした」
 「次の列車にしようか?」
 「いや、先に行って、みんなに遅れると伝えてくれ」
 「快速か何かで追いつけないかな?」
 「この時間は快速がないんだ」
 「ん。わかったよ」
 青山は結局一人で列車に乗った。列車は15分間隔で運行している。一本遅れたところで大勢に影響はない。梶原は間違いなく次の列車で来るだろう。そんなことを考えながら、着席して目を閉じると、他愛なく眠ってしまった。

 現地についても梶原のことを思い出さなかったのは、爆発の混乱に紛れてしまったからだろう。あとほんの数分で弥生の家、というところで思いだしたのだ。
 青山が乗ったのは、福知山線が不通になる直前、つまり現在三田の地に辿り着くことが出来る最後の列車だったはずだ。
 ということは、当然梶谷は来られない。
 もしかしたら携帯電話か何かで、梶谷は既に弥生達に連絡をとっているかも知れない。逆に、携帯電話を所持していながらこれまで連絡をとらなかった自分こそが迂闊だったと青山は思う。
 三田駅周辺の基地局は爆発でやられていた可能性もあるが、新三田に着いた時点で一報入れるべきだった。しかしもう、弥生の住処はすぐ目の前だ。いまさら電話をすることもないだろう。
 弥生の家は高層マンションの3LDKである。賃貸ではなく、弥生の両親が購入したものだ。そのため、父親の転勤が決まったときも手放す気にはなれず単身赴任、その後タイミング悪く母方の祖母が倒れてしまって、母親は「しばらくのことだから」と田舎へ引っ込んでしまった。
 学校があるので弥生は身動きがとれない。今は独りで住んでいる。一人暮らしには大きすぎたが、賃貸ではないから解約することも出来ず、父も母もいずれは戻ってくるのだし、家を守ることにした。今回同窓会の会場に出来たのは、その広さと一人暮らしのおかげだ。
 健二はエレベーターに乗り、「8」のボタンを押した。8階の817号室が水野弥生の部屋である。
 閉ざされたゲージの中で、青山はふと弥生との甘い時間を思いだしていた。
 3年生の新しい学級に、弥生はいた。青山は一目惚れをした。2ヶ月間の猛アタックの末に、ようやく落とした。6月にはじまった二人の恋は、12月に終わった。
 6カ月は決して長い時間ではないが、若い二人の恋愛が熟するには充分だ。身も心も燃え上がった。そして、突然の別れは青山を失意の底に叩き落とした。周りに何も無い空虚な空間に、自分だけが存在しているような虚しさで、しばらくはなにもする気が起こらなかった。しかし時は流れ、失恋の痛手は既になく、今では全てがセピア色だ。懐かしいだけの想い出である。たったひとつのことを除けば・・・
 それは弥生を梶谷にとられたことだった。
 今では梶谷も弥生と付き合ってはいない。わだかまりもない。ただ心の片隅がちくちくと痛むのだった。
 「水野」の表札を見つけた青山はチャイムを押した。しばらく待ったが、インターホンから応答はない。
 中で盛り上がっているのだろうか。笑い声と呼び鈴が重なって聞こえなかったのだろうか。青山はもう一度ボタンを押す。
 だが、やはり反応はなかった。
 ノブに手をかけると、鍵はかかっていなかった。扉を開ける。そのとき青山を取り込んだかすかな違和感。
 原因はすぐに分かった。友達が訪ねてきているはずなのに、靴が少ない。
 もっとも大切な友人の靴だからときちんと収納しているのかも知れない。目の前に何足もの靴が散乱しているシーンを無意識のうちに思い浮かべていたから違和感を感じたのだろうか。
 いや、そうではない、と青山は思った。
 話し声が一切しないのだ。話し声どころか、物音ひとつしない。
 みんなそろってコンビニにでも行ったのか? ほんの数分のことだから、鍵などかける必要はないと判断したのか? いつ青山や梶谷が来てもいいように、リスクを承知で施錠しなかったのかも知れない。
 それなら、中で待たせてもらってもいいだろう。
 単なる鍵のかけ忘れという可能性もあったけれど、青山達が今日訪ねてくるのはわかっていたはずだから、あとで謝ればいいだろう。とにかく疲れた。
 青山は靴を脱いで上がり込み、手近なドアノブに手をかけた。
 そこはダイニングだった。
 弥生は留守ではなかったし、青山は疲れが一気に吹っ飛んだ。
 「み、水野、さん?」
 フローリングの床に仰向けになって倒れている弥生。声をかけても、返事がないのはわかっていた。けれど、青山はそうせずにはいられなかった。
 「ちょ、ちょっと、水野さん!」
 弥生の胸には包丁が突き刺さっていた。
 

 

 


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