第3話 プレゼント「青空」   =2= 



 「年功序列いうか、えらいランク付けの厳しいところやで、『愛の泉』いうんは」と、秋月は言った。
 「ま、わいは何とか一週間で代理店のランクになったけどな。社長の意向やとわいがこの二人を勧誘して潜入するっちゅうシナリオやったな。これから集会やらなんやら仲間と顔を合わすことも多なるからな、ちゃんと敬もうてや。
 『風の予感』では同僚かもしれんけどな、『愛の泉』ではわいは大先輩ちゅうわけや。下手な口の利き方したら、仲間やというんがバレて、何もかも水の泡や。そうでんな、社長」
 秋月は関西訛で一気にまくしたてた。
 しゃべり終えた秋月はハアハアと息を切らせている。息が切れるほど激しく喋り散らさなくてもいいのにと思うが、しゃべり方とは関係なく、単に彼が太っているせいかもしれなかった。
 僕は彼に対するイメージが全く間違っていたことに軽いめまいさえ感じていた。
 いつだったろうか。僕と清花の二人での捜査が行き詰まったとき、「秋月に手伝わせようか」と社長が言ったことがある。その時、清花はとても嫌そうに、拒否をした。
 面識のない秋月に対してその時僕が抱いたイメージは、細面で切れ者でキザで嫌みったらしくて、仕事は出来るかも知れないが人を見下したような所があり。。。。。というようなものだった。
「そんな人に手伝ってもらうなんてプライドが許さない。私達だけでちゃんとやれるわ」と、清花は言いたかったのだと思った。
 でも、そうではないと今なら断言できる。
 清花は生理的にこの男が苦手なのだ。
 肥満度は130%か、140%か? お腹はでっぷりと張り出し、顎も頬も肉付きがいい。そのくせ身長は160センチ台半ばだろう。顔の表面は油ギッシュ。指先で触れると粘りのある液体が絡みついてきそうだ。さらに言うなら、禿、ほどではないが、頭皮が透けて見える程度には薄い。
 禿、デブ、チビを地でいく上、だみ声は大きく、ほこりがこびりついた近眼眼鏡のレンズを拭こうともしない。
 今だって清花は秋月の台詞をうんざりした表情で聞いている。これが仕事じゃなかったら、さっさと席を立っているだろう。
 秋の月、なんてとんでもない。ガマガエルが遠慮なく肥え太ったらこうなるだろうな、とさえ感じるのだった。
「で、どういう手順で行きましょうか?」と、社長。
 典型的なブ男を前にして、社長は表情を変えない。あくまで「実」をとるのだ。
「ほんなら、まず、ランク付けについて、説明しとくわ。これはマルチには切っても切れないシステムやからな」
 秋月はA4のコピー用紙を広げた。
 秋月の隣に社長が座っていて、僕と清花は彼らの向かい側に座っている。
「社長、すんまへんなあ、逆さまに見てや」
そう言って彼は、僕と清花から見れば正位置になるように、字を書き始めた。つまり、彼は上下逆に書いているのだ。しかもその字の几帳面なこと。書道家が見れば欠点があるのかも知れないが、少なくとも僕の目には乱れを発見できない。それでいて、活字っぽくない、人間味に溢れた字体。こんな字でラブレターをもらったら誰だってイチコロだろう。但し、本人に会えばなにもかもぶちこわしになるだろう。
 秋月は一番下に「客」と書いた。そして、その横に「(友の会会員)」と書き添える。
 「客」の上に「販売員」と記し、さらにその上に、「販売店」「代理店」「総代理店」と積み重ねていく。
 「『愛の泉』が扱っている商品は色々あるけどな、メインは『クリーンハウスキット』ちゅうもんや。これを一軒に一台。ほこりや花粉や雑菌を除去して、安全・健康・快適なクリーンライフを過ごしましょう、ま、こういう商品や。煙草の煙やらペットの蚤やらも除去できる言う触れ込みや。もちろん冷暖房の機能かてついてる。ぶっちゃけた話、室外機がひとつの、集中式エアコンに、そういう雑菌やらの除去装置が付いてるわけや。
 ほんですごいんが、10年間のバージョンアップ保証付き。新しい雑菌やらが発見されたら、即座にそれに対応するフィルターを開発して、無料で設置や。
 これは他では考えられへんサービスやで。
 で、よう聞いてや。ここからが問題や。この商品、クリーンハウスキットは10年間バージョンアップし続けてくれるんやから、10年間新品状態で使えるわけや。せやから、この購入代金を10年間で割ったら一日あたり200円。煙草一箱より安いで。電気代はだいたい40円や。美味いこと考えてあるわ。一日一箱煙草すうんやったらいっそのこと禁煙して、その煙草代をこれに当ててみ。ただでさへ健康になるのに、ますます健康になれるんや。安いモンやろ」
 組織のシステム説明のはずが、いつのまにか商品説明になっている。
 社長もそのことに気が付いたのだろう。
「うん、商品知識はそのあたりでいいから」
「先へ進め、てか。しゃあないわ。せやけど、これは大事なことやで。この商品無くして、愛の泉のマルチは語られへん。ま、ええわ」
 秋月はやはりハアハアと息をしながら、水をがぶがぶと飲んだ。
「10年間毎日200円払うんや。いくらやと思う? 72万円や。安い金額ちゃうで。ちなみに定価は80万円や。せやけど、客は500円の会費を払って『友の会会員』になるんや。そしたら1割引や。500円払って8万円安くなるんやったらだれでも会員になるわな。この『友の会会員』いうんがマルチの末端なわけや」
 なるほど。
「友の会会員にはノルマもないし、在庫も抱えなくてええ。しかも500円の会費で終身有効や。で、本人が『退会する』て言わん限りは『会員限定特別割引』のいろんな商品のDMが来るねん。これは単なる通販のカタログや。パンツや靴下なんてものからタンスや包丁セットまであるわな。これを会員割引価格で買えるねん。悪い話やない。いらんかったら無視するだけや。
 せやけど、ここからがマルチらしくなるねんけど、この商品を誰かに紹介して売れたら、現金でキックバックがあるんやな。ポイントがついてそれを現金の代わりにしてなんか買えるいうんと違うねん。キャッシュや。もちろん、ハウスクリーンセットを売ってもええ。5%の現金がもらえるねん。72万の5%やで。ちょっとした小遣いになるやろ。
 ほんでこれがまた結構売れるんや。ほら、我が家はこんな商品を買って、クリーンに生活してるねん、とか言うて、友達とか、親戚とかに世間話でするわな。そしたら、一人や二人は本気で興味示すやん。で、売れるんや。
 そうやって『売った』いう実績作った友の会会員に、『販売員』になりませんか? 販売員いうんはレッキとした無店舗販売で、正規の値段で仕入れて正規の値段で売るんやから、差額は小遣いどころやあらへんで。きっちり商売として儲かりまっせ。とまあこんな風に持ちかけたら、自分の配下に販売員をゲット、ちゅうわけやな」
 「はい、質問!」と、学校の授業のように清花が手を挙げた。
 こういうリアクションをともないでもしなければ、機関銃のような秋月の解説を途中で止めることなどおおよそ難しかっただろう。
「よっしゃ。質問、ええでえ」
「友の会会員が友達とか紹介してひとつ売れました。なあんだ、結構簡単に商売なんて出来るものだなあと思って、販売員になりました。その時、過去に遡って、友の会会員としての売上げは、販売員としての売上げになるのかしら」
「それはあかん。友の会はあくまで商品販売の紹介や。謝礼みたいなモンや。そら、こんなに簡単に売れるんやったら、もっと早く販売員になっとったら得したと思うやろ。せやけど、これに味を占めて販売員になって儲けたろう思うようなヤツは、この先いくらでも売れると踏んでるさかいな、そんなに損したいう気持にはなってへんのや。ちょっと惜しかったぐらいやな」
「そうか。この先、いくらでも売れる、売って売って売りまくる。そういう気持で加盟するんだ」
僕は自分を納得させるようなつもりで呟いてみた。
「そうや。その通りや。せやけど、落とし穴があってな」
「落とし穴?」
「友達や親戚に、世間話をしながら、実はこの商品がどんだけええもんか、いうのをごっつうアピールしてたんやで、ちゅうことに誰も気がつかへんのやな。ホンマに一から営業しよう思たら大変や。せやけど、友の会の会員の間は誰も営業なんて意識してへん。だから苦労感が全然ないんや。ある日突然、『それいいわねえ、ちょっと紹介してよ』みたいに頼まれるわけやからな」
 「でも、実際に売ろうと思ったら」
「そら大変やで」
「ふうむ」
 僕も清花も腕組みをしてしまった。社長は少しばかり曇った目つきになった。その目つきが何を語っているのか僕には判断できない。
 やっかいなことに首を突っ込んだなあ、と嘆いているようにも見えるが、それはこの依頼を受けたときから覚悟の上だったろう。
 「ええか? ほな、話を続けるで。で、この友の会会員いうのは余録みたいなモンや。末端で取り逃しの無いようにフォローしてるにすぎひん。
 メインは販売員の勧誘や。
 これが上手い具合に出来てるねん。
 誘い文句はいくつか定型があるけど、代表的なんは『独立・起業してみませんか』いうやつや。なんちゅうても無店舗販売やから経費が格段にかからへん。しかも、本部のバックアップは万全や。例えば、いくら無店舗いうても在庫を保管しとく場所がいるわな。自宅に置いといたら邪魔やし、かといって倉庫を借りたらお金がかかるから、無店舗のメリットが半減するやろ。せやから、本部で預かってくれるんや。
 販売促進のための研修会や情報交換会みたいなんも頻繁にあるで。
 そうそう、客は九分九厘友の会にはいるけど、そこへのカタログの送付や注文受付もきっちり本部でやってくれる。せやから、新製品がじゃんじゃん出たかて、商品知識のひとつもいらん。単価の小さいもんでも売れたら確実にマージンが入ってくるんやから、将来に渡って大切な収入源になるわ」
 「でも、本部に直接注文するのなら、実際に売れたかどうかなんて、いくらでも誤魔化されてしまうんじゃない?」
「そこや。普通はそう考える。せやけど、こういう商売は本部に対して不信感を持たれたら終わりや。もともと胡散臭いやり方しとんねんで。疑問を持ったらもうやる気なくなるやろ。そやから、本部は絶対ごまかせへん。信用して一生懸命やったら絶対儲かるんやでいうんと、どれだけ本部が販売員との絆を大切にしてるんかいうんを、常に実感させとかんとあかんのや。せやから絶対ごまかせへん」
 「そのあたりの心理操作はマルチならではのノウハウがあるようですね」と、社長。
「そのとおりや、社長。ほんで話を戻すけどな。『独立・起業』の他に、もうひとつ代表的なうたい文句があってな。それが『副収入』いうやつや。今の会社を飛び出す勇気はないけど、もうちっと経済的にええ生活したい、そない思てる人は多いやろ。むしろ誰もがそう思てるわ。せやからいくらでもひっかかるねん。
 友の会はあくまで末端のフォローに過ぎへんねんで。この勧誘こそが命や。
 よっしゃ、具体的に教えたるわ。
 販売員になるには500万円いるねん。クリーンハウスキットは販売員にワンセット50万円で卸されるから、要するに10セット買わされるわけやな。
 高いようやけど、これは別に家賃でも権利でも加盟金でも何でもない。レッキとした商品や。売りモンやで。ひとつ売ったら確実に22万円儲かるんや。
 どんな商売でも、ものを売るんやったら在庫かかえるやろ。
 最初500万って聞いたらちょっとびっくりするけどな、落ち着いて、店舗を構えることや在庫を抱えることを話したら誰でも納得するわ。
 普通やったら商売始める前に500万やらそれ以上やらの金がかかるやんか。
 せやけどこれはそうやない。純粋に仕入れの代金や。売れたらそのまま儲かるねん。おまけに在庫は本部で管理してくれるし、注文が来たら直送や。もし不良品が混じってても、輸送途中で壊れたとしても、販売員の責任とちゃう。全部本部が面倒見てくれる。在庫や流通の管理をせんでいいいうんはものすごいメリットなんや。
 それに、最初の10個は必ず買わなあかんけど、そこから先は受注方式や。10個売ったらその報償として、その後は在庫を抱えなくてもよろしいという特典がつくわけや。
 最初に10個無理矢理買わされると思わせたら失敗や。どんな商売でも在庫を抱えるし、それが永遠に続くやろ。けど『愛の泉』は11個目からは、在庫を持たなくてもよろしいということになるねんな。
 これから商売始めたろと思てる人ばかりやで。10個だけ売ったら商売たたもうなんて決意して始めるヤツなんかおらん。せやから、10個最初に無理矢理買わされるなんて誰も思わへん。11個目からは得やと思うんや。そら、そういうふうに上手に話をするねんけどな。
 そいで1個売ったら22万や。
 テーマソングがあってな、これを研修会やら何やらで唄わされるねん。
 すごい歌詞やで。『月に一個で新入社員、月に2個で中堅社員、月に3個で管理職、月に4個で幹部社員』いうんや。何のことかわかるか? 収入のことやで。
 ひとつ売ったら22万やから、新入社員の月給や言うてんねん。よっつやったら88万やから幹部社員や言うてんねん。
 そら実状は会社によって違うからなんとも言われへんけど、所詮志気を高めるための唄や。
 せやけど、ようできてるねんで。月にひとつ売るだけやったらメチャクチャ楽な気がするやろ? それで新入社員や。副業でこれだけ儲けるなんてよほど上手いことやらんとアカン。独立して最初からこれだけ稼げるいうんもこれまたむつかしい。せやけど、たったひとつ売れたら新入社員や。新入社員で給料安くてもや、生活しとるやんか。いっこ売って生活できたらそら楽や思うで。
 ほんで、誰でも、一月にふたつやみっつ売れると思うやん。そしたら、唄だけで、エライ儲かる気になるねんな。
 で、月に四ついうたら、週にいっこや。『月』と『週』では精神的な現実感が違うわな。週に一個売るいうたら、ちょっとはプレッシャー感じるわけや。ちょっと頑張らんとあかんなと思うわけや。せやけど、決して無理な数字やない。普通にサラリーマンしてたかて、それぐらいは頑張るやろ。それで普通や。つまり、普通に頑張ったら週に一個売れて、幹部社員や。
 そんな風に上手に説明されてみ。誰でもその気になるやろ?
 おまけに、週にひとつ売ったら、それでその週は終わりにするか? そんなことないわな。月曜日に売れたらあとは休もうなんておもわへん。もっと儲けたろう思うやんか。
 この『儲けたろう』いう意識を、『儲かった』と勘違いさせるように上手に説明できるかどうかが、勧誘の上手下手の別れるところなわけや。
 最初は無理でも、慣れてきたら週にひとつは確実に売れる、調子が良ければ、ふたつみっつ売れるやろう、そんな風に都合のええように解釈するんが人間や。
 そんで、そこまで思いこんだら、もうやる気マンマンや。ええようにしか考えへんて。仮に、そんだけのペースで売れなくても、ひとつ売ったら一月生活できる、そう思ったら堅実な商売ですらあるような気がするで。
 そいで、次は『販売店』や」
 僕は手元のA4用紙に目を落とした。
 この先、販売店があり、代理店があり、総代理店がある。
 この全ての説明を聞くのかと思うと、多少うんざりした。
 ところが、この頃になって清花の目が輝き始めているのに気が付いた。
 「うんうん、それで?」という風に、身を乗り出してさえいる。
 まあいいか、もう少し説明を聞こう。
 「販売員が2個売ったら、自動的に『販売店』に格上げや。
 販売店になったら、販売員の勧誘が出来るねん。で、一人勧誘したら、50万円の報償が出るんや。何故かというと、販売員の勧誘イコール500万円の売上げやろ? つまり、一個売ったら5万円のマージンや。これは将来代理店になって、販売店や販売員に品物を卸したときと同じレートなわけや。販売員のうちに、ワンランク上の資格の蜜を吸わせてるんや。
 もちろん自分が代理店になったら、配下の販売店がひとつ売る度に5万円や。
 代理店いうんは、総代理店から45万円で品物を仕入れて、販売員や販売店に50万円で品物を卸す資格や。
 もちろん45万円で仕入れて、72万円で直接客に売ってもええ。
 せやけど、代理店いうんは5人勧誘したらもらえる資格やから、ひとりが月にひとつ売っただけでも25万円の収入があるやんか。
 それにここまで登ってくるヤツはそれなりに口も腕も立つから、自分と同じように、月にみっつも四つも誰でも売れると思うてるから、ノウハウを伝授してやったらそれだけで、5人が月に4つ売って、それで自分の中間マージンが100万円、そんな風に計算するやろ。
 せやからあんまり直接売ったりせんようになるわ。
 ほんで、これがポイントなんやけど、勧誘は下手やけど、品物売るのは上手、いう人かていてるんや。そういう人は、販売店の資格で45万で仕入れて、ずっと、客に直接売り続けてもええんや。
 逆に、勧誘は得意やけど、売るのは苦手や、そういう人は、初期の在庫を抱えたままで、それを売るのは諦めて、配下の販売店ばかり増やして儲けるのもいてるで。
 どっちでもええんや。やりやすい道を選んだらええ、そういう会社の方針や。これも魅力やな。枝葉の魅力やけどな。
 代理店は、配下の販売店のうちひとつでも代理店になったら、総代理店や。総代理店になったら品物を42万円で仕入れられるんや。それを代理店には45万円、販売店には50万円で卸す。客には72万円で売る。
 代理店に卸したら損なような気がするけど、代理店は配下の広がりが大きいから全体の売上げが大きいんや。
 配下の代理店が総代理店に昇格したら自分の傘下から抜けてしまうけど、その頃には下の方で一生懸命営業活動してるヤツがぎょうさんおるやろ。
 せやから一時的に収入が減ったり増えたりするけど、そんなに影響はないんや。

本部
40万円
支部
42万円
総代理店
45万円
代理店
50万円
販売店・販売員
72万円
客(友の会会員)


 ほんで、一般的には総代理店が最高ランクやけど、実はその上に、『支部』いうのがあるねん。
 支部は成績だけで誰でも昇格できるいうんやなくて、都道府県にひとつづつやから、前任者が本部付けになるか、辞めるかして、ポストが空いたときに選考で選ばれるんや。
 せやから、総代理店になっても成績上げるんに必死や。配下を叱咤激励したり、事業説明会や研修会やらにたくさん出席者を集めるように声をかけたりしてな。
 必死にならなくても、総代理店にまでなれば、黙ってても金は流れるで。せやけど、支部に昇格したら、自分が本部に呼ばれてもっといい思いをするか、そうでなかったら「辞める」言うまで、そのポストは脅かされへん。
 いわば安泰や。
 せやから、みんな支部を目指すわけやな。
 支部は品物を40万円で仕入れて、総代理店に42万円で卸すねん。
 もっとも、ここまでこれるようなヤツは自分が本部になって新たにマルチをするやつかて結構いてるで。ノウハウは身に付いてるし、それくらいの才覚がなかったらここまで登られへん。
 結論から言うたら、大抵ほとんどのヤツは『販売店』ぐらいになったら、もう終わりや。心も身体も疲れ果ててしまう。
 在庫を抱えたまま泣き寝入りや。
 契約書に『返品できない』って書いてあるからな。
 違法やいうて訴えてもアカン。本部に言うたら「こっちは善意で在庫を預かってるけど、所有権はもちろんあなたのものです。手元に欲しければいつでもお返しします」というだけや。
 品物よこせ、いうて、すぐに送ってきたら、詐欺でも何でもない。ほんまに販売員や販売店のためにサービスで無料で保管してただけ、やからな」
 「で、秋月は、その中で、既に、代理店のランクにあるのよね」
 清花が言った。
 秋月の年齢は清花よりも15は上に見えた。社長より年上なのは確実だ。
 その秋月に対して清花は呼び捨てだ。僕の勘が正しければ、秋月は本名ではない。『風の予感』でのコードネームみたいなものだろう。だとすれば、清花が彼のことを呼び捨てで呼んでも不思議ではないような気がする。
 「せや、代理店や」
「つまり、500万払って、10個の在庫を持つわよね。そのあと、ええと、5人の販売員を少なくとも勧誘したのね。なんだか、納得行かないなあ」
「なにが納得いかへんねん」
「うん、いくら『調査』のためとはいえ、ううん、調査のためだからこそ、そういうことは許されないと思うのよ。秋月に勧誘された5人は500万出してマルチの泥沼に引き込まれたのよ。わたしだったら罪悪感を抱くなあ」
 しごくもっともなことを清花は言う。
 そして、「秋月らしくない」と付け加えた。
 そうだ、そのとおりだ。秋月の説明を聞いているときはただ耳を傾けていただけだったけれど、犠牲者を出している事実に僕は清花の一言で思い当たった。
 秋月らしくないかどうか僕にはわからないけれど、調査のためにそんなこと許されないというのは僕も清花と同意見だ。
 むしろ僕は清花のように「秋月に対して」ではなく、社長に対して「らしくない」と思った。調査、とはつまり、僕たちの商売だ。自分たちの商売のために無関係な人を傷つけていることになる。社長がいかにしたたかであっても、そんなことをするタイプだとは思えなかった。
 さらに言えば、「社長を見損なったよ」とさえ感じる。
 「清花ちゃん、わいはそんなことはせえへん。全部架空の販売員や。金を出したんもわいやし、もちろんひきっとった。品物そのものは製品もアイディアも悪くない。わいはわいの信念で、ハウスクリーンキットを売ってもええと思ったからやっとるんや」
 架空? 全て金を出して引き取った?
 「ちょ、ちょっと待って下さい。それって合計いくらになるんですか?」
 僕は慌てて叫んでしまった。
 ええと、まず自分の在庫として500万円。それから、後の5人分は仕入が450万だから2250万。合わせて2750万!
 僕が「合計いくらになるんですか?」と、お金の心配を叫んだのと、清花が「架空の販売員なんて、どうやって誤魔化したのよ」と言うのが実は同時だった。
 「電話代行サービス、知っとるか?」と、秋月。清花の質問に対する答えの方が先だった。
「あ!」と清花が声を漏らす。「架空の名前で、受け答えしてくれるサービスね」
「せや。本来は電話秘書とか言うて、例えば個人経営とかで留守がちな商売とか、そういうんを肩代わりして、その会社名とか屋号とかで、用件を聞いといてくれるサービスやな。そこに、五つばかりの名前で登録しといたらええ」
「そうか。そういうのがあったわね」
「実際は杉橋はんに全部頼んだんやけどな。杉橋はんは、さらに知り合いに下請けに出したみたいやで。電話番号は回線分だけ違う番号が使えるけど、住所が同じになると変やろ。せやから5回線のうち4つ分は誰かに回す言うてたわ」
 そうか。杉橋が絡んでるのか。
 本当に彼は『風の予感』になくてはならない人なのだ。
「ほんで、仕入れた品物、合計60個や。これはな、わいが引き取って、既に売ったで」
「ええ?!」
 なんという早業。
 「社長しか知らんかったかな? 清花ちゃんには言うたことある思うたけど、わいの本職は工務店や。大工の棟梁や。ほんで、今、マンション作っとんねん。
 最初に言うたやろ、ハウスクリーンキットはエアコンやて。今時のマンションは全部エアコンぐらいついとるで。そのエアコン、どのメーカーから仕入れようとわしの一存や。まして、空気清浄装置付きやったら、みんな喜ばはるわ。10年保証はちょっとな、眉唾もんやから、それはうたってへんけどな」
「おかげで、『風の予感』オフィスがショールームにならなくて済みそうですよ」




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