第3話 プレゼント「青空」   =3= 



 「で、ともかく最初は事業説明会なんですね」
 社長は腕組みをし、目を閉じ、身体を後ろに反らせた。ギシッと、椅子がなる。安物の椅子なのだ。金が無くて、というより、「椅子なんて座れたらいいんですよ」という社長の呟きが聞こえてきそうだ。
 いよいよ僕と清花のマルチ潜入作戦が始まろうとしていた。
 事業説明会を明日に控えて、僕と清花と社長、そして秋月が打ち合わせに事務所に集合していた。
 社長はこの「有田探偵事務所」のオフィスを、大学のクラブハウスのように「たむろ」に使ってくれていいと言ってくれたが、用がなければ誰も来ないし、一人で事務所にポツンとしていてもつまらないので、僕はそんな使い方をしたことがない。清花も秋月も多分同じだろう。社長だって、携帯電話を持って飛び歩いてることが多い。もとより来客など無い。アポをとって待ち合わせをするときくらいだ。
 従って、オフィスに4人もの人間が詰めかけるなど、滅多にないことだった。もしかしたら、事務所開設以来初めてかもしれない。
 「本来は、」と、秋月が説明を始める。「『まあ一度、事業説明会をきいていかはったらええ。やる、やらんはそれから判断したらええんや』とか何とか言って、連れ出すんや」
「で、無理矢理はんこ、お押させるんですか?」と、僕。
「アホ言え。そんなことして訴えられたら終わりや。あの手この手で勧誘するだけや」
「そんなに簡単に乗ってくるかしら?」と、清花。
「そのための事業説明会やないか」
「というと?」
「入れ替わり立ち替わり壇上に立って、いろんな人が、みんなの気持ちをあおるわけや。ごっつい熱気で盛り上がるでえ。
 実はな、自分の傘下に販売店を入れようと思たら、必ず事業説明会に連れて行かんとあかんのや。
 なんでか言うたらな、あの熱気や大勢の仲間の存在をそこで感じさせるわけや。士気の向上や。これで絶対儲かるで、そういう気持にさせるんやな。
 せやから、最初からその気で来てるヤツは、絶対成功するぞーって確信もって、何の悩みもなくはんこついて、初期投資の500万を払って、在庫を抱えることになるんや。
 半信半疑で来た奴も、2割ぐらいは即決や。事業説明会だけで、ぐわあああんと、最大限その気になってしまうんや。だいたい2割ぐらいはそうや。
 せやけど、その場で仲間に引っ張り込めるのはそこまでや」
 「じゃあ、諦めるの?」と、清花。
「いや、そこからがいよいよ本番や。説得大作戦やな」
「説得、か。これがうっとおしそうですね」と、僕は天井を見上げた。「はんこを押すまで、何時間でもほとんど軟禁状態にされるんでしょう?」
「いや、とんでもないで。誰がどう見たって『いやや、もう帰る』言うたら、すぐに出ていけるシチュエーションにしとかんとな。喫茶店とか、レストランとか、まわりに人がいてる状況がなおええ。
 但し、実際に出て行くかどうかは本人次第や。親しくしとる仲間に応援を頼んで、ひとりかふたりを5・6人でズラリと取り囲んで、席を立ちにくい雰囲気を作るんや。あくまで雰囲気や。客観的に、物理的に見たら、いつでも席を立つことが出来る。せやから、ホンマに席を立つヤツかておるで。でも、立てへんヤツもおる。優柔不断というか、意志が弱いというか、流されやすい言うか。
 そういうヤツがカモや。『もうかるで』『わしらと一緒にやろうや』『みななこれで幸せになってるで』『頑張れば頑張っただけ報われる仕事なんてめったにないやんか』って、たたみかけるんや。
 ええことばかり言うて、暗示にかけて、その気にさせるわけや。脅したり、無理矢理いうのは禁止されとる。
 誠意と情熱で説得するんや」
 「何が誠意と熱意だよ。カモをひっかけてるだけだろう?」
今までですます調で喋っていた僕だが、思わずぞんざいな口調になる。
「本音はそうや。せやけど、そんなん相手に感じさせたら、一発で逃げられるわ。はんこつかせてお金だけとったんじゃなんにもならん。それで終わりや。そこまでや。お金だけじゃない。ハートも掴むんや。
 こんな商売、いきなり始めたってそんな上手いこといくもんか。自分の傘下が嫌気がさしたら、初期投資だけの分しか儲からん。そやないやろ。傘下が傘下を生んでこそのこの商売や。人を勧誘したら、今度はそいつに勧誘させなあかん。せやから、逃げられたらパーや。引き留めなあかん。せやから『今は苦しいかも知れん。せやけど、がんばったら必ず報われるで』いうて相手を説得せんならんこともいずれあるやろ。その時に、相手のハートを掴んでるかどうかで、説得力がちがうんや」
 「なるほど、マルチっていうのは、お金をむしり取るだけじゃないんだ。心まで盗むんだ」
「嫌な言い方するなあ。せやけど、その通りや」
 なるほど、その通りか。
 もしかしたら、これが実践出来るか出来ないかで、成功するかどうかが決まるのかも知れない。
 「それで、その説得は、どの程度効果があるの?」と、清花。
「ううん、むつかしいなあ、その質問。はっきり言って、人によるわ。中には『頼み込まれて仕方なしに来た。最初から全くその気はない』いうようなんでも、上手いこと勧誘する凄腕もおるけど、なかなかそうはいかんで」
「わかった。説明はもういいわ」と、清花。「で、明日のその事業説明会で、和宣は簡単にはんこを押して、私は押さなければいいのね」
「せや。実はもうひとつ仕掛けがあるんやけど、それは明日でいいわ」
「うん。わかった」
 清花はセカンドバッグを掴んで、席を立った。
 やけにそわそわしているなと思っていると、「さ、行くわよ」と、僕の腕を掴んで引っ張る。
「行くって、どこへ?」
「これから、時間無い?」
「いや、暇だけど」
「じゃあ、付き合って。愛の泉の本店ショールームへ行くわ」
 え?
 本店ショールーム?
 そんなものがあるのか?
「でも、クリーンハウスキットは、無店舗販売なんだろう?」
「そうや。でもな、パンフレットだけで高額商品はなかなか買いにくいやろ。せやから、ショールームを本部で用意して、ほんで、お客の候補になりそうな人を連れていってええんや」
「じゃあ、誰かの紹介がないと入れないんじゃ。。。」
「ううん、そんなことないのよ。不意の来客もオッケーなの。そこはぬかりなく調べてるわよ」
「ただし、買うときはその客の近くの販売員か販売店を紹介して、そこから買ってもらう仕組みや。本部は、直接売って客を取ってしまうようなことせえへん。そのあたりが上手いんや。そうすることで、本部への信用が増すというか、我々は誠意を感じるようになるわけやな」
 なるほど、よく練られている。
 マルチの親方なんて所詮守銭奴だろうが、あくまで外面は優しくて熱い。そうしてハートをがっちり掴むんだ。
「じゃ、行こう。お茶とケーキぐらいおごったげるから」
何だか馬鹿にされたような気もするけど、それでとたんに顔の筋肉が緩む僕も僕だ。
「あ、そうそう、清花ちゃん」と、オフィスを出ようとする僕たちの背中に、秋月が声をかける。
「ん? 何?」
「あんまり派手に動かんといてや。あとがやりにくくなるで」
「わかってるって」と、清花は振り向きもせず、右手を軽くあげた。

 僕はここのところ夜のバイトばかりで、昼間は部屋に閉じこもりがちだった。別に外出恐怖症ではない。夜働いて、昼は寝る。そういう生活をしていた。
 だから、陽射しの下、街路を歩くというのはしばらくぶりだった。
 手をつなぐでもなく、腕を組むでもなく、まして腰に手を回すなんて想像の他。僕と清花の仲は出会った頃と変わりない。
 だけど、清花を従えて歩くのは、僕にとってはとても誇らしげなことだ。
 特別背が高いわけでもなく、踵の高い靴をはくでもない。なのに清花は、ピンと伸びた背筋と、キュッと引いた顎のためか、道行く誰よりも堂々としていて、颯爽と歩いていた。
 僕が清花を従えているのではなく、客観的には清花が僕を従えているのかも知れない。女主人と従者。女主人は年若く、だが年齢以上の魅力を振りまき、事業か何かで成功したのか何事も自信たっぷりに振る舞っている。かたや従者は、自分とさほど変わらぬ年齢の女性に、忠誠を誓っている。
 だが、それでいい。人にどう見られたって構うものか。
 二人でコンビを組み始めた頃、僕の中に清花にたいして卑屈だった部分があったのは確かである。でも今は違う。僕は対等かもしくは若干優位に立っている。
 だからどうということはないんだけれど、このバランスが僕と清花にとってはとても居心地がいいのだ。
 居心地がいい。
 それだけでいいんだろうか。
 清花。。。。。
 僕は彼女と並んで歩きながら、時々首を振り、彼女の横顔を盗み見る。
 彼女の、意志の強さを秘めた表情は、しかし、とても穏やかだった。
 天に向かってまっすぐ伸びようとする野草の強さがあり、同時に自分を脅かすものが周りに何も無いという安堵から来る穏やかさ。彼女は両面を持っていた。
 だがそれも、自分の強さ故のことだろう。
 それとも、そういう自分をただ演出しているのかも知れない。そして、その演出が無意識のものか、意識されたものか。
 僕にはまるでわからない。
 そう、僕は清花のことなんてたいして理解しちゃいない。
 ただ、仕事上のよきパートナーであるだけだ。自惚れではなく、冷静に見て、僕と清花は結構いいコンビだと思うのだ。
 仕事上の。。。。
 はっきり言って、僕は清花が好きだ。
 告白して、ふられたとしても、きっと僕たちの仲が気まずくなるようなことはないだろう。
 だったら、一歩進むための行動を起こしてもいいのかも知れない。
 でも、その気にはなれなかった。
 時がまだ満ちていないことが僕にはわかる。
 告白してふられても気まずくならない。告白してつきあい始めても今までと何ら変わらない。僕にはそれがわかるからだ。
 変わるとしたら、デートの回数が多くなり、一緒に寝ることぐらいだろう。
 でも。
 デートの回数が多くなろうと、仕事にかこつけて出歩いただけだとしても、僕と清花の距離が縮まるスピードは変わらない。
 清花を抱くだけならもっと簡単だ。迫ればきっと拒否されない。
 彼女はおそらく気が付いている。元彼に抱かれるような懐かしさと、親友に抱きしめられるような安らぎと、恋人に身体を求められる喜びを、それぞれ同時に僕から得られることを。
 決して僕は自惚れているんじゃない。
 たとえ身体が触れ合っていなくても、空気を通して、肌と肌が感じあっていることに僕は気が付いていた。
 だから、今は清花を抱けない。抱いても抱かなくても、もう既に感じ合っているのだから。
 抱き合っても、新しいものはなにも生まれない。
 身体が欲しい。それだけの純粋な気持ちになれればいいのに。
 だったらことは簡単だ。
 だけど、僕は不純だ。

 「綺麗なショールームだったよねえ」
清花はアイスコーヒーのストローをすすりながら言った。
 すでにコーヒーは飲み干され、グラスに残された氷がわずかづつ溶けた水をすするのだった。
「おかわりすれば?」と、僕。
「そうね」
清花はいつにも増してご機嫌そうだった。
 ショールームは清花の言う通り、確かに綺麗だった。もっとも、汚いショールームなんて存在しないだろう。
 趣味のいいインテリアをセンス良く並べてあった。見た目は豪華ではないが、腰をかけると心からリラックス出来るソファーに案内された。
 部屋には一軒家の模型が置かれ、模型と同じ縮尺のクリーンハウスキットが設置されていた。
 屋外に設置された室外機と各部屋のエアコンがダクトでつながっていて、ダクトには小さなランプが明滅して、汚れた空気と浄化された空気の流れが理解できるようになっていた。
 実物大の室外機とエアコンもショールームにはおかれていた。実際の大きさを客に検分させるためだろう。
 案内係の女性が「この部屋の空気も当社のクリーンハウスキットで浄化された空気で満たされています。外から中へ入られたときにすがすがしく爽やかな感じがしませんでしたか?」
 「何が浄化された空気よ、馬鹿馬鹿しかったね」と、清花は2杯目のアイスコーヒーを飲みながら言った。
「馬鹿馬鹿しかった? そうかなあ。確かに爽やかだったけれど」
「湿度が低かったのよ。除湿してるの。わからなかった?」
「それは気が付いたけど、それも基本機能のひとつだろう? というか、エアコンって、そういうもんだよね」
「だから、その通りなのよ。実際に、粉塵とか最近とかが除去されてるかどうかなんて、除湿された空気が気持ちよすぎて、判断できなかったでしょって言いたいわけ」
「うう〜ん」
 僕は考え込んでしまった。
 季節は着実に秋に向かっていたけれど、しばらく昼間の陽気に触れていなかった僕は、喫茶店に入ったときの冷気にホッとした。
 でも、それはさっきのショールームの空気とは明らかに違っていた。
 涼しいことは涼しいけれど、肌に張り付いたベタツキがいつまでたっても消えない。
 だから、ショールームの空気はやはり特別なもののように思えるのだ。
 そのことを僕は清花に伝えた。
 「和宣、どうしちゃったの? いつもはもっと鋭いのに」
「へ?」
僕は自分のことを鋭いだなんて思ったことはない。
「ここ、喫茶店よ。小さくても厨房があるのよ。火も使うし、蒸気も上がるじゃない。ましてやここ、オープンカウンターじゃない」
「あ、そうか」
「わかった?」
「わかった」
 わかったけれども、これがいつもの僕だ。
 最初の頃から、僕たちはこんなコンビだったと思う。けれど。このことについては僕は清花には言わなかった。
「それにしても、あの熟年夫婦はちょっとかわいそうだったね」と、清花。
 僕たちと前後して、一組のカップルが、スーツ姿の男に案内されてきたのだった。
 僕たちのようにお茶を振る舞ってもらうでもなく、熱心に模型を見たり、スーツ男から説明を聞いたりしている。
 男は勤勉なサラリーマンのようにきちんとスーツを着ていたが、目つきが鋭く頬が角張っていて、しかも崩れた雰囲気を漂わせていた。
 怪しげな男。それが僕の第一印象だ。販売店か代理店か、ランクはわからないけれど、熟年カップルにクリーンハウスキットを売ろうとしていた。もしかしたら商品販売だけじゃなく、「こんなに素晴らしい製品を人様に紹介して、感謝されて、その上儲かる」なんてことまで言っていたかも知れない。
 説明を聞く二人連れは、まもなく定年を迎えるか、あるいは定年直後という年齢。それとも、定年を間近にして、このさい思い切って独立してしまおうか、ちょうど会社でもリストラを始めており、今なら自主退職すれば退職金割増、ナンてことになっているのかも知れない。まじめな顔つきで男の説明に耳を傾け、頷いたり考えたりしていた。
 目には熱意がこもっていた。
 (騙されるんだ)と、僕は思った。
 「うん。騙されて、全て失うんだ」
「全て失うか、大儲けするかはわからないわよ。でも、大儲けするということは、その影で泣く人がいるってことよね」
「いずれにしても」と、僕は言った。「あの二人は、『まともな商売を真面目にすれば、みんなに喜ばれ、自分たちも稼げる』って、完璧に信じていたよ。そういう目をしてた」
「お、ちゃんと観察してるじゃない」
「茶化すなよ」
「ん、ごめん」
「会ったこともないけど、依頼者のお父さんだって、きっと複雑な思いを抱いて死んでいったと思うんだ」
「多くの人を不幸に陥れ、自分だけ幸せになろうなんて、そんな行為をして、まともな死に方なんかできっこないよ、なんてことを、絵に描いた状態だった。そんな結論が出なければいいよね」
「うん、そうだね」
いずれにしても、いよいよ僕たちは明日乗り込むのだ。
 僕、清花、秋月。動くお金が大きいから、場合によっては社長も動くだろう。動かないまでもバックアップに余念はないはずだ。そして、力強いサポーターである杉橋。
 僕が携わった依頼の中で、最大規模になる。最強メンバー。
 それなりの戦果を得られるという予感が駆けめぐり、僕は思わず武者震いをした。





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