「キオト」
■■終

「キョウ……コ? ……キョウコッ!」
「キョウコさん? 気がついて?」
 私は、重い瞼を必死であけようとする。
 声の主は一人じゃない……複数の人に囲まれている雰囲気。声のする方に、顔を少しずつ動かして、重い瞼を必死でこじ開けようとする。

 はじめに目に入ったのは、涙を流している女性。
「よかった……キョウコさん……あなただけでも助かって」
 あなただけ?
 頭が重い。痛い。
 だめだ。だめだ。
 声を出そうとしても、もう何十年と喋ってないように、舌がもつれてかなわない。
「あ……あ……」
 私は、言葉の存在を取り戻す術を知らない。
 何があったンだろう? 誰も教えてくれない。誰一人。

 白髪まじりの女性は、ベッドの脇でわっと泣き崩れた。確か、この人は康之のお母さんだ。それを思い出すまで何分経ったのか判らない。
 そうして、私が瞬きを繰り返すと、しばらくぶりに見る父や母の顔まであった。
「何も言うな……今は……何も言わんでもいい……」
 田舎を捨ててから、口をきく事がなかった父と。その後ろで、私を見つめたまま泣いている母と。

 夢を見ていた。
 康之とキョウトで再会した夢。おかしいと気がついたのは、キヨタキのあたりからだ。何故彼が、真冬のキョウトにシャツ一枚でいるのか? どうも府に落ちなかった。

 何故、私がキョウトへ行ったことを知ってたんだろう? どうして、私は彼と一緒にいたのだろう? と……思っていても、口に出来ない奇妙な"ためらい"があった。

 真っ白な壁と天井。
 私は夢から引き返す。
 長い長い夢から醒める。

 長い旅路の果て。

 左手の薬指を右手で探したが、何もなかった。そのかわり、枕もとには一枚の写真。私は右手にくしゃくしゃと握った、その写真をみた。
 振り返った私の顔。あぁ、これは、キヨタキの松尾大社で盗み取られた一枚。無防備な私の素顔だ。あの時の康之が、今でも目に浮かぶのに。

 指輪は康之がとりあげたっけ。
 ……フリカエッチャダメ……
 そうね……振り返ってしまえば古い伝奇のように、私は黄泉(よみ)から戻れなくなる。私は生きて戻れない。ううん……それでも、康之と一緒のほうが幸せだったのに。

 魔方陣を模して、寺社を配置したキョウトは、「街を魔物から守るためにあえてそうした」と康之が教えてくれた。そして、"たましひ"は器となる肉体を失ってなお、彷徨(さまよ)い続けるのだと……も。

 生きているわたしと、死んでしまった康之。だから、彼はあの街から戻れない。目に見えない結界を、越えられなかった。彼は"キオト"を彷徨い続ける。

 閉じた瞼から涙がどっと溢れ出す。男性と違って、女性はストレス解消で泣けると、何かで聞きかじった。それは決別の儀式。新しく踏み出す"一歩"のために。
 暗闇の先には、まだ道がある。だから、私は振り返らない。泣きながらこの道を歩く。

 長い旅路の果て。
 どこまでが真実なのか?

 ところで、あなた。
 キョウトの街並が、どうしてこうなっているか、ご存知?

 

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