「キオト」
■■■■あとがき

 柔らかくて優しい肌合い。ただ、ネルのように。
 そんな物語を書きたかった。いつだって「動機」はたわいないのですが。

「キオト」は京都(キョウト)をもじった呼び名です。その語感には、独特の風刺もこもってるのですが。関西に生まれ育っていない私からすれば、大阪だろうと京都だろうと、訪れる町は全て「未知への入り口」でした。

 そんな私が知っている京都とは「盆地で、夏は暑く冬は寒い」という程度でした。
 なのに、どうして「ネルのような物語」を紡ぐのに「京都」でなければならなかったのか? は、物語初出の2001年2月から、およそ3年近くたっても、うまくは言えません。

 よく、目が覚めると「妙な夢を見た」と、思うことがあるしょう。たとえば今暮らしている場所や友人たちが出てくるのに、何故かその場所が生まれ故郷だったりと、過去と入り混じったような。

 それは響子の夢の中のこと。
 彼女が、愛してやまない康之が、やはり愛してやまない京都で。本当は死に別れたはずなのに。一人で出かけたはずの響子は、康之と古都を巡ります。

 好きだから。本当に好きで好きでたまらない、なくてはならない「愛しい」存在がなくなってしまったらどうすればいいのでしょう?
 たとえば、愛する人を追って命を絶つのも一つの"証"かと思います。でも、そこにあるのは真実(ほんとう)でしょうか? 残った者はどうすべきなのでしょう?

 響子が康之に執着しないように……もう死んでしまった恋人の為に、残された人間の時間はとめることができないのだから。泣きながらでも生きていかねばならない。
 それが亡くなった者への答えでもある、と今は思いたいのです。

 いつか響子が康之を忘れたとしても、その恋が嘘になるわけじゃない。

 終ってもなお思いは残る。
 時間と共に形は変わっていくけれど。終ってもそれは嘘じゃない。

 嗚呼……彼らは結ばれたのでしょうか? 否、恋の終わりの儚さは響子を強くしたでしょうか?

2004/01/17 遠井未遥

 

モクジニモドル