「キオト」
■■カチュウアン
――都会の喧騒を外れれば密かな桃源郷――
 嵐山は観光地として多く知られている。
 正確な場所はともかくとして、この地名を知らない人は殆どいないだろう。旅行雑誌でキョウトといえば「嵐山」は欠かせない。特に東からくる私たちには、それだけで神秘なる古(いにしえ)の「和国」を彷彿とさせる。江戸と違ったこの「古い日本」は、誰にとっても立ち返る原点に似ている。それは、普段生活をしてないからこそ、惹かれる感情かもしれない。

 なのに、この庵(いおり)は滅多と知る人が少ない。もちろん、件(くだん)の有名どころの雑誌に載ることもない。

 霞の中の庵と書いて「カチュウアン」と読むこの庭は、その昔、京都画壇の巨匠・竹内栖鳳(たけうちせいほう)が晩年過ごした別邸である。嵐山の駅から北へ北へ、幹線道路にぶつかるまで。そして、メモ書きの住所をたよりに最寄のバス停を探して歩く。

 まだ私が大学生の頃、どこかで拾ったチラシの一角に、雪の積もった庭園が写っていた。
 "霞中庵・入場料3000円・12歳以下入場不可"
 この文句を目にした私は、一度で気に入ってしまった。このご時世に、なんて高飛車な施設なのだろう? と。写真を見る限り、何の変哲もない日本庭園だろうとタカをくくっていた。しかし、私の興味は薄れなかった。寧ろ(むしろ)燃えるような恋心がくすぶり続けた。

 辿り付いた時はお昼の二時を過ぎていた。
 無機質なコンクリート塀に「霞中庵・竹内栖鳳記念館」とだけある。拍子抜け。それは百年の恋が一瞬で醒めるほどのショック。私がずっと想い続けたのはやはり「失われた楽園」だったのか? と。
「カツガレタカツガレタ」と、ごまかし笑いを康之に見せた。

 はるばる訪ねた憧れの地は「単なる美術館・それもどこにでもある建造物」だ。失恋以上の悔しさを噛み締めながら、警備員室で「おひとりさま、二千円になりました」と入場券と案内パンフレットをもらう。
 間口狭い庭に根雪が残っている。たしかに、チラシで昔みた庭はここだ。庭石を十も歩かずともすぐに美術館だ。ため息を漏らしていると、案外、康之の方が嬉々としているのに驚いた。
「響ちゃん、俺、日本画って直に観るの、初めてなんだ」
 入り口には、小柄な眼鏡の女性が、「スリッパに履きかえるように」と、お辞儀をした。

 館内には栖鳳の作品、そして彼の弟子たちの作品が均等な間隔で飾られている。ガラスがあると思ってうっかり近づくと、剥き出しで屏風が飾られていたりするので、康之はいちいち「へぇ〜」と声をあげながら見つめていた。間近で探索して。後ろへ下がってまた眺めて。

 本当は四時で閉館なのだが、閑散期ということもあって学芸員たちが「遠いところをいらしたのですから、ゆっくりお庭も見て行ってください」と、暖かい宇治茶と桜餅でねぎらってくれた。
 たしかに館内に入ると、私たちと日本画を学んでいるらしい初老の夫婦一組だけであった。もっとも近くにある美大の生徒などが、ここを教材代わりに常用してるらしいのだが。
 私たちは、喫茶室でひそひそとおしゃべりしていたが、もう一組の夫婦が、すでに散策しているのが見えたのをきっかけに、学芸員に会釈をして庭に降りることにした。

 足を踏み出した途端、眼前に広がるその庭に感嘆の声をあげた。
 あの美術館に続く道は単なる序章に過ぎなかったのだから。重く垂れた黒い雲が落ちてきそうなほど。見上げた私と康之はこの庭ごと吸い込まれそうだった。冬の芝生は勢いはないが、それでも丸ごと森が模されたような錯覚に陥る。

「東の大観・西の栖鳳」と並び称されたその彼が、絵を描く手を止めるほど見惚れた庭。
 元々、とある公家の別邸だった「霞中庵」と近隣の茶畑を買い取って、こつこつと作り上げた桃源郷である。大正のはじめ、約五年をかけて萱葺(かやぶ)きの画室・庭の草木・はては岩石の一つ一つまで。まさに終(つい)の棲家になっても惜しげないほど、愛してやまなかった様子がひしひしと伝わってくる。その深い愛情を一心に受けて、私たちはまっさらな赤ん坊に戻っていく。

「ねぇ、すごく山深い気がしない? 平地なのにね?」と私。
「さっきまでのクラクションが嘘みたいだ」と康之。
「ほんと、鳥があんなに鳴いてる」
「でも、一歩出ればアスファルトとコンクリートなんだよな?」

 私がずっとずっと康之に言い続けてきたことがある。今度キョウトに行くなら此処に来たいの。絶対絶対観たいの。雪の霞中庵。

 康之に「モノズキだなぁ」と笑われるかな? なんてビクビクしていたら、
「この庭、今観てもぜんぜん好きだけどさ……」
「ん?」
「俺も響子も、年取ってしわしわになった時にさ」
「しわしわになった時?」
「五十、六十になった時に響子と来たいなぁ。ここ」
 私は嬉しさと同時に、急に恥ずかしさを覚えた。
「あ〜モウロクしすぎたら、旅行すらできないってか?」
 私はうつむいたまま、康之の袖をぎゅっと握り締める。

 今は取り巻く環境が変わってしまったらしいが、当時、順路にならって庭を辿れば借景の嵐山は見えたそうだ。

 木々の間に見え隠れする小鳥。
 さっきみた屏風から抜け出たのだろうか? とまで思えるような。ありとあらゆる魔法がつまったこの桃源郷は、どこまでが真実(ほんとう)なのだろうか?

 ミニチュアの嵐山と評された、パンフレットの一文がじんわりと蘇る。

 

モクジニモドル//ススム