銀河鉄道999

第3話 夢の星(前編) 

 

 サイレンサー付きの銃なので、派手な音はしなかったが、それでもカゲローの右手にはズシリと来た。銃口の先からはかすかに煙が立ち昇っている。同心円状に丸が描かれた的には当らなかった。撃ち出した弾は周波数の高い音を発して何度も壁を跳ね返っている。
 防弾ガラスには、銃の先を差し込むほどの小さな穴が開いているだけだから、跳弾がこちらに戻ってきても自分にあたる心配はほとんどないが、カゲローはとっさに身を伏せた。

「いやあ、カゲローさん、銃を撃つのが始めてとはいえ、下手ですねえ」
 車掌が遠慮の無いことを言う。
 ギロリと車掌を睨みつけるカゲロー。
「あ、いや、失礼いたしました」
「いいんだよ。その通りなんだから」
 睨みつけたのは一瞬。どちらかというと、まるで狙いが外れてがっかりしたところへ図星を指されたから思わずそうしてしまっただけで、プライドを傷つけられたと言うよりも、むしろ落胆によるものが大きかった。
「少し、練習するといいわ」
 褒めもけなしもせず、リドリームは淡々と言い、そしてカゲローの肩をポンと叩いた。
「うん」
 再度狙いを定め、2射目に挑むカゲロー。
「それにしても驚いたよ。999号の中には、射撃練習場まであるだなんて」
「ドリームワークプラネッツにお降りになるお客様には必要なことです。身を守るためには必要なことです」と、車掌は言った。

 999号の乗客には、各停車駅で、停車時間内での途中下車が許される。その星での通貨まで支給されるくらいだ。旅人に必要なものを供給することは、銀河鉄道の輸送約款にも記された正式な旅客サービスなのだ。次の停車駅「ドリームワークプラネッツ」では、現金の他に銃が貸し出される。それに先立っての射撃訓練も、999の乗客へのサービスなのだ。
「実際に貸し出される銃は、弾を込めて撃つタイプの旧式の銃ではないわ。高密度エネルギーが射出される最新型よ。狙いを定めてロック・オンすれば撃ち損じることも無い。でも、実際に銃が必要な場面になれば、そんな暢気なことも言ってられない場合も多いわ。反射神経と正確な照準が要求される。だから、こういった旧式の銃でのトレーニングが有効なの」
 そういえば、と、カゲローは思い出す。自分を救ってくれたリドリームの銃は、旧式の弾丸を打ち出すタイプのものだった。
「練習するよ」
「がんばりなさい。練習が終わったら、食堂車で食事にしましょう」

 結局、さしたる練習の成果も出せないまま、カゲローは食堂車にいた。
 がつがつと鶏のから揚げをむさぼりながら、「でもなあ、身を守るためといってもなあ」と、銃の所持に100%納得のいかない様子である。
「貸してくれると言うんだから持っていくけど、結局、人殺しには違いないもんな」
「あなたは、私の銃に救われたことを、忘れたわけじゃないでしょう?」
「そりゃあ、そうだけど。でも、撃たれても死ぬ。撃っても死ぬ。誰かが死ぬことにはかわりないじゃないか」
「カゲロー、あなたは自分が死ぬことを選ぶの?」
「……死にたくなんか、ないさ」
 父にも会いたい。妹の所にも戻らねばならない。
「だったら、撃ちなさい」
「う、うん」
 ガツガツと食べていたカゲローの、食事のペースが落ちた。
「銃を抜くのは、相手があなたに銃を向けたときだけよ。人に銃を向けたら、逆に自分が撃ち殺されても文句は言えないわ。死にたくなければ、人に銃など向けなければいいの。銃を抜くと言うことは、死ぬ覚悟ができているということ。死ぬ、というより、殺される覚悟ね。あなたは自分から先に銃を抜いたりしないでしょう?」
「もちろん」
 そもそもカゲローは争いごとが好きではない。これまでの短い旅でもいざこざはあったが、それは全て相手からしかけてきたものであって、かつまた理不尽な納得のいかないものだった。そういう場合は断固として戦うべきだと思うが、自ら波風を立てたいとは思わない。
「だったら、堂々と銃を所持しなさい。あなたが銃を持ってると知れば、死ぬ覚悟の無い者は、あなたに銃を向けはしない。それだけで身を守ることになるのよ」
「それでも、相手が銃を構えたら?」
「撃ち殺しなさい」
「死ぬ覚悟なんかなくて、単に銃を持ってることが嬉しくて、自分が強くなったように錯覚してるだけの奴もいるかもしれない」
 事実、射撃場で銃を持った瞬間、カゲローは気分が高揚した。一発目が無残な結果に終わったから、そんな気持ちは霧散してしまったが。
「それでも、撃ちなさい。錯覚しているような人に、殺されてもいいの?」
「もしかしたら、威嚇だけかもしれなくても?」
「そうよ。銃を向けるということは、そういうことなの。カゲロー、あなたもそれを忘れないことね」
「うん」

 食事のあと、カゲローはもう一度、射撃場に向かった。旧式拳銃では練習の成果は上がらなかったが、高密度エネルギー弾でのロック・オンを使った射撃は、さすがに的のど真ん中に命中した。
「動く標的はどうかしら」
 思いついたようにリドリームが提案する。
「そういうプログラムもありますが、カゲローさんには無理じゃないですか?」
 車掌が応える。ちょっとバカにしたような笑いを含んでいるような気がしたが、車掌の表情は読めない。カゲローのひがみだけかもしれない。
「いいから、やってみて」と、リドリーム。
「はい……」
 車掌が傍らのボタンを押すと、射撃場の中央に小さな的が現れた。立体映像である。的は前後左右上下にランダムに動く。それどころか、的の大きさまで変化する。映像なので、大きさも自由に変えられるのだ。
 決して普通の動体視力で追えないスピードではないが、動きがランダムなので、たとえ射的の名人でもロック・オンしなければ命中しないだろう。
「やってみて」
「うん」
 見事、命中。
 立体映像なので、弾が命中しても何も起こらない。そのまま通過してしまうだけだ。そのかわり、映像の的に「HIT」という赤い文字が浮かび上がる。
 車掌は、ひゅーっと、口笛を吹いた。
「もう一度」と、リドリーム。
 また、命中。
「いい、カゲロー。ロック・オンすれば、高密度エネルギー弾は自ら目標を追尾してくれるわ。だから、百発百中なの。あなたは手動では無理だから、どんな状況に追い込まれても、冷静に狙いを定めて、ロック・オン機能を使うことね。しかも、一瞬で、よ」
「わ、わかったよ」

「え〜、毎度お騒がせして、もうしわけありません。次の停車駅はドリームワークプラネッツ。ドリームワークプラネッツです。停車時間は52時間34分18秒であります」
 車掌は相変わらず律儀に車両の端っこで、車内全体に対して案内するように言った。残念ながらこの3両目にはカゲローとリドリームの2人しかいないが。
 そして、忙しそうに車両を駆け抜けようとする。が、やはりカゲローたちのいる所でいったん足を止めた。
「先ほどお渡しした、支給金と銃、お忘れにならないでくださいね」
「ああ」と、鉄郎は返事をする。
「申し訳ないですけれど、今回はホームでお見送りはできません。避難民の方々の誘導やら手続きやらがありますから」
「どうぞ、私たちのことは、気になさらないで」
「助かります。ま、リドリームさんが一緒ですから、心配は何もありませんよ」
 車掌は駆け足で隣の車両に去ってゆく。

「ねえ、リドリーム」
「なあに?」
「ドリームワーク……なんとかって、そんなに荒っぽいところなの?」
「そうね。夢と希望がいっぱいあるっていうことは、失意と落胆も同じ数だけあるってことよ。そして、ひとの心の隙間を獲物にしようとする悪意も渦巻いている。夢捨てきれずに野望に取り付かれた者もいるし、今日の欲求を満たすのに精一杯の人もね……」
「なんだか、地球と似ているね」
「そうよ。……ドリームワークプラネッツは地球圏最後の星。その先は、外宇宙になるわ。環境改造で人間が住めるようにした星や人口惑星がたくさんあるけれど、地球圏で人が暮らせる星は、本当は地球だけ。でも、外宇宙ではそんなに資源投下も開発も進んでいないから、もともと地球に似た環境のところにしか人は住んでいないの。観測所や基地のようなところは別としてね。だから、駅と駅の間も長くなるわ。
 そのせいかしら、ドリームワークプラネッツで職業訓練を受けて、仕事が決まっても、赴任先が遥か彼方だったら、躊躇してしまう人も少なくない。本当に夢や希望を抱いている人、自分の将来を信じている人、真の勇気の有る人、何事も自分の力で立ち向かってやろうと決意できる人、……そんな本当の意味での強さを持っている人じゃないと、ここからさらに外へ旅立つことはできないわ。
 カゲロー、あなたはどうかしらね」
「どうって、……僕には選択肢、ないじゃん」
「そうね」
「それで、結局、この星から旅立てなかった人は、どうなるの?」
「たいてい、もうどこへも行けなくなる。二度と旅立てなくなるわ」
「そういう決まりなの? 厳しいね……。でも、決まった就職先を放棄したら、ペナルティがあっても不思議じゃないか」
「いいえ。そういうことじゃないのよ、カゲロー。ここではチャンスは誰にも等しくあるの。でも、一度勇気を失くした人間が、再びそれを取り戻すのはたやすくないわ。それに、生きていくだけなら、なんとかなるんじゃなくて?」
「そうかな。ただ、生きてるだけじゃ、仕方ない」
「そう。その気持ちを失わないで。その気持ちがある限り、あなたは大丈夫。ここに残ってしまった人は、ただ生きているだけの人。旅立つ人は、積極的に自分の人生を切り開こうとする人。ただそれだけの違いかも知れないわよ」
 視界に入ったドリームワークプラネッツは、漆黒の宇宙に浮かぶ、ひときわ輝いた宝石だった。
 これまで見たどの星よりも、多くの光を放っていた。
 それだけ人々が活発に動いている、ということだ。
 地球とこの星、どちらの方が人口が多いのだろうとカゲローは思った。

 地球の人口は、現在100億強である。公式資料では65億となっているが、一方で統計資料に現れない最下層の人々が35億と俗に言われている。
 かつて、地球の人口はいったん120億人まで膨れ上がった。既に宇宙開発は本格化していたが、移民は進まなかった。開発のための特別な人々が旅立って行ったに過ぎない。それでもこれだけの人々が暮らせたのは、開発された様々な星やコロニーから、あらゆる物資やエネルギーが届けられたからである。
 だが、限界がある。
 政府は、人々を説得した。地球は、宇宙開拓の人たちが届けてくれた物資やエネルギーで成り立っている。外宇宙で地球のために働く人々がいる。だから、外宇宙は暮らしにくい場所ではない。みんな、宇宙に旅立とう、と。
 移民がようやく開始された。
 同時に、営々と続く宇宙開発。
 地球人口が減り、住みやすくなると、また人口が増えた。すると、また移民が大量に進む。こうしたことの繰り返しのうちに、社会システムからはみ出した最下層の人々は、どんどん取り残されてゆく。そういう仕組みだ。
 新たに移民を開始するとなれば、新しい星がどうしても必要になってくる。なぜなら、既に予定数の移民が終わった星では、政府が樹立し、そこでの暮らしが形作られてゆく。暮らしよい星であれば、また人口が増えてゆく。キャパシティーを超えれば、移民星からさらに別の星への移民も発生する。
 ドリームワークプラネッツで職業訓練を受けた人が就職をする、という程度の個人的な動きはあっても、移民を大量に受け入れる、などという余力のある星は少ない。だから、また新たな星が必要になってくる。
 その開発過程で、人類はとうとう人類外生物に出会ってしまった。だいたいこのような流れである。

 999号は既に、駅から上空に伸びてポツンと途切れた線路に乗っている。
 そらに浮かぶ物体から地上を走る鉄道へ。浮力を失った車両には引力が大きくかかり、999号が駅へ向かって斜面を下っているのがカゲローにも伝わってきた。同時に急激な減速G。車輪がきしみ、金属どうしが擦れ合う音が車内にまで響いてくる。
 地上に降りた999号は、ゆっくりといくつものポイントをわたり、やがてホームに横付けされた。ざっと見渡すと、20番線くらいまであるだろうか。その一番端、銀河鉄道専用ホームに、999号は止まった。
 他のホームではひっきりなしに鉄道が発着している。その中には混雑した通勤電車もあれば、ちょっとばかり優雅な作りの、おそらく長距離列車だと思われるものもあった。大都会である。

「私たちが泊まるのは、ここ、メトロポリタンステーションホテル」
 駅のすぐ隣である。
「チェックインには少し早いわね。町をぶらつきましょうか」
 リドリームに促されるまま、カゲローは駅を出た。広い道がどこまでも伸びており、車がひっきりなしに走っている。その両側には高層ビル群が立ち並んでいる。ビルとビルの間には、そこへ行ってみなければわからない路地があり、迷路のように入り組んでいる。だが、そんな人の目に触れにくいような場所でも綺麗に整えられていた。標識や外灯があり、迷うことなどなさそうだ。
 ビル群の、だいたい3階くらいまでは、なんらかのテナントが入っているようだ。人の動きも活発で、確かに夢や希望が溢れた星に思えた。
「スクーターを借りましょう。スクーターなら、免許はいらないわ」
 カゲローたちが借りたのは、圧縮空気を噴出して浮力と推進力を得るタイプの、いわゆるエアスクーターだ。ナビまでついている。
「それから、ホルスターを買いましょうか」
 銃を携帯している人が結構いるな、とカゲローはさっきから感じていた。それはホルスターのせいだ。懐に隠し持っていたのでは、銃を持っていても外からはわからない。なるほど、ここでは腰にホルスターを巻き、そこに銃を携えることによって、身を守っているのだ。

 リドリームは何度もここを訪れているのだろうか。カゲローの先に立って、すいすい目的の場所に進んでゆく。ただ黙ってあとに従うカゲロー。エアスクーターは結構なスピードが出るので、肉声での会話は無理だが、リドリームはスクーターと一緒にヘッドセットを借りてくれていた。2者通話ができるように調整されたものだ。だが、特に会話をすることも思いつかない。
 古めかしい構えの銃砲店の前にスクーターを止める。
 綺麗に整えられすぎたビルの外観の上に、わざわざ古きよき時代を思わせるような装飾を施した店だ。手入れをしていないのか、わざとそういう演出をしているのかわからないが、せっかくの木彫のデザインも、所々朽ちている。
 店に入るとき、誰かにじっと見られているような気がしてカゲローは振り返ったが、往来は人がひっきりなしに通り過ぎている。老人から小さな子どもをつれた家族づれまで、年齢層も様々で、しかも動きにこれといった澱みもない。誰かがじっと自分を見ていたなど、勘違いとしか思えなかった。

 それよりカゲローは、店内のディスプレイに目を奪われた。
「うわあ〜〜」
 思わず、感嘆のため息をついてしまう。
 ショーケース兼用のカウンターに、壁に、処狭しと並べられた銃器の数々。大型のものは天井から吊ってある。字など書けないだろうと思われるほど表面がぼこぼこになったテーブルと、今にもスプリングが飛び出しそうなくたびれたソファーが店の片隅にあり、乱雑にいくつかのカタログが放置されていた。
 カゲローの読める言語のものもあり、店員とカウンター越しになにやら話を始めたリドリームを横目に、カゲローはカタログをめくりはじめた。
 リドリームが旧式だと言った、弾丸を射出するタイプの拳銃も、堂々と載っている。高密度エネルギー弾タイプのものも約半数を占めてるようだが、カゲローが銀河鉄道から与えられたロック・オン機構搭載のものは数が少なく、しかも高価だった。
 拳銃の次のページからは、ライフルやマシンガンなども登場し、戦地にでもいくのかというようなバズーカ砲や対空火器まで紹介されている。が、この店で扱っているのは、どうやらライフルやマシンガンまでのようで、それもわずか。ディスプレイされている品々のほとんどが、護身用の拳銃だった。

「ほら、カゲロー、どれにするの?」
 リドリームに促され、カウンターに近寄るカゲロー。カウンターの上にはいくつかのホルスターが載せられている。
 カゲローが選んだのは、皮で作られた、いかにもホルスターらしいホルスターだ。映像でしか観たことがないが、「SEIBUGEKI」というカテゴリに登場するガンマンが腰に携えていたのと同型のものである。
「小僧、随分クラシックなのが好みのようだな」
 小僧と言われたのは気に食わないが、反論はしない。店のオヤジは相当な年齢のようだったからだ。矍鑠(かくしゃく)とした動きに老いは感じさせないが、顔に刻まれた皺が年齢を物語っていた。
「他にもいいのがあるが、それでいいのか?」
 例えば……、とオヤジは説明を始めた。
 これはベルトで固定するタイプのものだとか、この金属製のやつは衣服に吸着するから腰に違和感がないとか、こっちのは軽くて扱いやすく初心者向きだとか。
「いや、これでいいよ」と、カゲローは説明を遮った。
「ふん。頑固者め。ま、ガンマンは頑固者でなくちゃいけねえ」

「このカードで」と、リドリームが支払いの手続きを始めたので、カゲローは再びカタログに見入った。これまで銃には関心が無かったが、造形美とでもいうのだろうか、人殺しの道具だというのになんだかとても美しいようものを眺めている気がして、飽きなかった。
「カゲロー、私は人に会わなくちゃいけないから、先に行くわ。夕方にはホテルに戻っていなさい」
 リドリームが声をかけて去って行ったが、右から左である。
 どれくらいカタログを眺めていたのか、時間がたつのを忘れていた。気がつくと、オヤジが横に立っている。
「銃って、美しいものですね」と、カゲローは声をかけた。
「ふん。銃の美しさがわかるのか? 本当にわかってるとすりゃ、大したもんだがな」
 褒めてるのかけなしてるのかわからない。この会話を契機に、カゲローは店を辞することにした。
 カゲローの背中に、「生き残ってたら、また、来いや」とオヤジは言った。

 店を出た途端に、誰かとぶつかった。
「いて、このやろ……」
 つんのめって倒れそうになるのを、かろうじてこらえる。ぶつかってきたのは、カゲローと同年代か、あるいは少し年上と思われる青年だったが、後姿を認めるばかりだ。猛スピードで駆け去ってゆく。
 追いかけてとっつかまえて、文句のひとつも言ってやろうかと思ったが、やめた。何か急用があるのかもしれない。これだけ人通りのあるところで、店からヒョイと出れば、誰かにぶつかってもしょうがない。
 傍らに止めておいたスクーターは無事だ。
 活気の溢れる場所だから、バイク泥棒くらいいたっておかしくないととっさに思って確認したのだが、なんともない。
「ま、こんなところで、揉め事を起こしてもな」
 2台あったスクーターは、今は1台しかない。リドリームは先に行ってしまったのである。
 カゲローはスクーターに跨り、気の向くままに町を探索しようと思った。買ったばかりのホルスターを腰に巻き、支給された銃を携える。夕暮れまでにはまだ時間があった。

 大通りに戻り、駅とは反対方向にひたすらスクーターを走らせる。やがて、町の感じが変わった。整然とした高層ビル群が、いくらか雑然としてきたのである。明らかに通行の邪魔になると思われるところに看板や自転車が置かれていたり、堂々と路上駐車がしてあったり。ビルのランクも落ちていて、荷捌き用の駐車場などそなえていないのだろう。荷降ろしのトラックなどもハザードをつけて作業員が慌しく仕事をしている。統一されたデザインの窓なのに、窓ごとに印象が違うと思ったら、どうやらマンションらしかった。住人それぞれの趣味で花を飾ったり、布団を干していたりする。
 無機質だった匂いにも、色んなものが混じるようになった。食べ物の香り、油の匂い、人の体臭……。町が庶民的になってきたのだ。下町、という言葉をカゲローは思い浮かべた。
 幹線道路がインターチェンジで分岐していくと、その先は住宅地だった。商店ビルや、公共的な建物らしいものがあるけれど、それほど高くない。マンションに混じって一戸建ての住宅もあり、たまに人がたむろしている地域があるなと思ったら、いわゆる商店街や食堂街だった。
 さらに進むと、またビル群が目立ってくる。駅前ほど高層に立ち並んではいないが、それに続く隣町の中心的な場所、とでも言えばいいだろう。だが、統制が行き届いていない。しかも、少々荒れているようでもあった。雑然としているが活気がありまがりなりにも手入れがされている下町と違い、明らかに放置されているものがある。窓ガラスが割れていたり、そこここに、回収される目途がたたないまま打ち捨てられたゴミがあった。
 そういえば、路上で座り込む人の様子も違っている。下町ではそれほど気にならなかった。なぜなら、それは人がたむろしているだけだったからだ。しかし、ここには行き場の無い人が路上で、ただ存在している。ホームレス、ワークレスの人たちなのだと、カゲローはすぐにわかった。徐々にではあるが、スラムの様相を呈してきたのである。
 食べ物屋も、軒を構えてはいるものの、屋台に近いものがある。

「さらに進めば、どうなるのかな?」
 荒廃の度合いがどんどん酷くなる、とは思えなかった。宇宙から見たこの星は、どこも輝いていて、単純に裕福層と貧民層が同心円状になっているとは考えにくかったからだ。きっと、色々な町がランダムにあって、年月の流れと共になんとなくそれが定着していったのだろう。
 カゲローのこの予測は正解だった。金融街やインターネット関連企業など、物を動かさずに商売をする「商業都市」や、その隣に今度は対照的に多くの物流を伴う問屋街があり、それらの裏で暗躍するマフィアがその活動の拠点を構える一角もあった。工場街や、この星の本来の使命である職業訓練のための施設群も、どこかにあるはずだ。
 地方へ行けば、銀河鉄道の駅があるこの町とは比べようも無い無残なスラムもあるのだが、とりあえずこの界隈では、今カゲローのいる場所が、もっとも荒れた地区である。しかし、どこを見ても何もかもが整備され、それゆえに人の温もりの感じない駅前高層ビル群よりも、カゲローにはこういった地区の方に心を惹かれた。
 ホテルに戻れば食べたいものが揃っているに違いなかったが、一軒のうらぶれた食堂にどうしても入りたくなった。

 その店は、5階建てくらいと思われるくすんだビルの1階で、通りに面して遠慮がちに扉があった。窓にはまっているのはスモークガラス。黒板に殴り書きされたものがどうやらメニューらしく、くすんだショーケースの中に食べ物のサンプルがあるから、かろうじて食堂とわかる。
 横手には2階に続く階段があり、階段入り口には扉も無い。上方にベッドのマークのある看板があるから、宿屋なのだろう。しかし、行商人のための安宿なのか、売春宿なのか、金のない旅人のためのドミトリーなのか、日雇い労働者のためのドヤなのか、全く判別がつかない。もしかしたら、その全てを兼ね備えているのかもしれない。

 カゲローは食堂の扉を開けた。
 途端にむっと漂ってくるいくつもの匂い。下層食堂の洗礼を浴びるかのごとく、異臭に満ち溢れた空気が、カゲローの頬をなぶり、鼻を曲げさせた。
「う!」
 むせそうになって、一瞬ひるむカゲロー。
 しかし、その先には、なんとも心なごむ風景があった。
 1番奥のテーブルでは、母親が場所を憚らず乳を出し、赤ん坊に吸わせていた。その隣では、制服の警察官が、瞬時を惜しむようにして食事をかっ込んでいる。また別のテーブルではサンドイッチ片手にカードにいそしむ男達がいて、また別の食卓では、近寄りがたい雰囲気を放った男がひたすら酒を煽っていた。
 カウンターには、スーツ姿もあれば、作業服のいかつい男もいる。ヘッドフォンステレオから流れる音楽に身体を揺らせながら、文庫本をめくる年齢不詳の女もいた。
 狭いステージには、派手な色彩のスポットが浴びせられ、しかし照明は相当くたびれているらしく、時折不意に消えては、またついた。その下では、露出全開の衣装を着た2人の女と、上半身裸の男が踊っていた。もちろん音楽に合わせてだが、その音楽すらも店の喧騒には勝てないらしい。
 人とテーブルと椅子の合間を鮮やかにすり抜けながら配膳を担当している女の子は、とびっきりの美少女だ。カゲローが扉を開けたときにかすかに鳴ったカウベルも聞き漏らさない。両手にトレイをそれぞれ持っているので、「あちらへどうぞ」と手で指し示すこともできない。が、ピタリとカゲローの視線を捕らえて、次にその視線をカウンターの方に向ける。視線を追うと、そこには空席がひとつだけあった。

 カゲローが近づくと、ジーンズと白いTシャツというシンプルな格好をした男が、少し肩をすぼめて、場所を広くしてくれた。「ああ、ここに座ればいいよ」という合図だ。
 カゲローが「どうも」と言って、座る。男は目深に帽子を被っている。表情がよく見えない。年のころは20代前半と思われた。
「ご注文は?」と、さっきの美少女がカウンター越しに声をかけてきた。ホールで配膳していたはずなのに、いつのまにカウンターの中に入ったのだろう?
 振り返ると、やはりさっきの美少女はホールにいる。
「え? あれ?」
 カウンターの中に視線を戻すと、もうひとりの美少女が「双子なの」とウインクした。
「お前、よそ者か……」
 隣の男がボソリと言う。白いTシャツにはシミも汚れも無く、清潔だ。照明の加減でよくはわからないが、ジーンズだって、きっとそうだろう。ファッションに無頓着そうないでたちだし、不躾なものの言い方も上流のものとは違うが、案外きちんとした人物なのかもしれない。
「ハンバーガー」と、カゲローは言った。
「はあ〜い、ハンバーガーひとつね」と、もうひとりの美少女が復唱し、カゲローに背中を見せた。

「お前、よそ者か?」
 少しの間をおいて、また男が言った。相変わらず、声のトーンが低い。わざとそうしているのか、もともとそうなのかわからないが、ちょっと不気味だ。
「そうだけど……」
「ふ、ん。チャカを持ってるところを見ると、一応、心得てはいるようだな。丸腰でこんなところへ来るよそ者なら、ただでは戻れないだろうしな」
 チャカとは、拳銃のことである。この付近が荒んでいることはわかっていたが、そこまで治安が悪いのか? カゲローは動揺した。だが、弱みを見せたらつけこまれる。俺はただ、ハンバーガーを食べたいだけだ。自分にそう言い聞かせた。
「何しに来た?」
 カウンターの上にある、得たいの知れない液体を満たしたグラスを、口に運びながら、男が問う。
 どう応えるべきか一瞬悩んだが、カゲローは「関係ない」と返事した。
「そうだな。俺には関係ない。問われてべらべらしゃべるようじゃ、ここでは生き残れない」
 カゲローは、なんなんだこの男は、と思った。よそ者であることに妙にこだわっているようだが、しかし「よそ者は出て行け」といった排他的なニュアンスは感じない。よそ者の心得を説いているようなことを言うが、親切心も感じない。どちらかというと皮肉を含んでいるようですらある。かといって、「無事に帰れると思うんなら、帰ってみな」といった挑戦的なものも感じない。
 よくわからない。
 単なる好奇心だろうか。
 双子の美少女は、それが商売だからだろう、カゲローがよそ者であろうがなんだろうが我関せずだが、こういった一見さんが滅多に来ない店では、肌に馴染むような雰囲気があったとしても、決して居心地のいいものではないのだとカゲローは思った。自分の肌には馴染んでも、他の客たちにとっては、闖入者なのだ。
 無機質な感じがしても、毎日、色んな客が入れ替わり立ち代りする駅のレストランの方が、実はカゲローにとって居心地がいいのかもしれない。
 本当は、こういう店でこそ、初対面でも歓迎されたい、そうは思うのだが、簡単ではなさそうだ。

 カゲローはハンバーガーを食べ終えると、「お勘定」と言った。カゲローの性格からすれば、本来なら「お勘定してください」とか「お勘定お願いします」と言うところだ。だが、なぜか無口になる。最低限のことだけしか言わないでいた方が、無難な気持ちにさせられるのだ。
「は〜い、ありがとうございます〜」
 カゲローはようやく気がついた。双子の美少女たちは、他の客には、こんな風に高めの声色で、屈託のない返事はしていない。「うんうん、それで?」とか「え〜? もっとゆっくりしてったらいいのに」とか「ま〜た失業したのお?」とか「さっさとしてよね〜」とか、普段の言葉で喋っている。やはり自分はよそ者なのだ。
 美少女から金額を告げられ、カゲローはここでの通貨のことをよくわかってないのに気がついた。
 以前、銀河鉄道から支給金をもらったときは、全てコインで、ずた袋に入れて渡されていたが、ここでは紙幣用の財布と小銭入れを受け取っている。小銭入れの中はカラである。カウンターの下で、札入れからそっと一枚の紙幣を引っ張り出す。ゼロがいっぱいついている。おそらく最高金額の紙幣だろう。ここでの相場はわからないけれど、場末の食堂でハンバーガー一個を食べただけである。高額紙幣で支払っていいものだろうか?
 しかし、現金はこれしかないし、カードも持っていない。そもそもカードが使えるような店とも思えなかった。こんなことなら、ホルスターの支払いを自分でして、つり銭を貰っておくべきだったと思ったが、後の祭りだ。
「じゃあ、これで……」
 のそのそと紙幣を持った右手をカウンターの上に持ち上げようとしたその時である。
「お、おまえ……!」
 これまで一度も視線を合わせずに、ボソボソと声を発していただけの隣の男が、カゲローを鋭く見据えた。目深に被った帽子のせいで見ることのできなかったその男の瞳を、カゲローは初めて見た。危険な光がギラリとカゲローを捕らえていた。只者ではない。
 しかし、確認できたのは一瞬である。
 男の激烈なパンチがカゲローの鳩尾に食い込んだ。
 苦悶が全身を貫いたが、長く続かなかった。
 気を失ったのである。

 

 

 

 ようやく第3話です。まだ今のところ、カゲローが旅する必然性が希薄で、第3話ではこれになんとか輪郭を与えたいなと思っています。旅の目的は、カゲローにも読者の方々にも、じわじわと明らかになってゆく、そしてそのことそのものがこの作品のテーマである、みたいな感じですから、どうしても最初から「ショッカーや死ね死ね団など悪の軍団をやっつける」みたいに明確にできないところが、この作品の難点なんですよね。
 そうそう、この第3話では僕の作品には珍しく、短期回収型の伏線がいくつか登場しています。回収しきれるのか? と自分でも不安になりつつ……。第3話では、999的なお約束も消化するつもりなんですよ。

 もともと銀河鉄道999は、後付設定てんこ盛りがしやすい原作だと思うんですが、それに加えて、訪ねる星ごとの設定ができるので、書いていてめちゃくちゃ楽しいです。星ごとに変化し、どんどん付け加えられる設定にうんざりせず、かつそれを楽しんで頂ければと思うのですが、いかがでしょうか? 感想をお待ちしております。