遥かな草原の香り
=10=     

 

「それでもキミは、この世界に住む僕達のために、戦ってくれるかい?」
 この問いは、これが初めてではなかった。確か以前にも一度、訊かれたことがある。その時あたしは、なんと答えたっけ?
「今、そんなこと、考えていられない」
 目の前にあることが全て。
 やるべきことがぐわ〜んと迫ってきてるときって、行動の動機とか、目的とか、そんなものはすっ飛んでしまう。それって、よくあることだよね?
「わかった!」
 フルダは力強く答えた。……ような気がした。
 空中を高速で駆けているあたしたち。音声による会話なんてもとより出来ない。風圧で吹き飛ばされてしまう。けれど、意志と意志はしっかりと通じ合っている。
 そのことには確信はあるけれど、でも全てが意識の中で「想い」をキャッチしているにすぎない。だから、交わされる会話の全ては「……ような気がした」なのだ。

 黒死鳥の羽の下、中央部の“急所”に向かって潜り込んで行けば行くほど、その躯体の巨大さに圧倒される。
(こんなに、大きかった?)
 都会がひとつまるごと飲み込まれるのではないかと思うほどの大きさ。これまでのあたしの認識は、羽根を広げたその姿はちょうど野球場ひとつをすっぽりと覆うくらいのもの、だった。しかし、近づいてみるとそれどころではない。
 戦いの対象として目のあたりにしている今、その重圧のために実物以上に「巨大」に感じさせるのかもしれない。しかし、その分を割り引いたとしても、最初にあたしが感じた「黒死鳥」とは比べ物にならないくらい肥大化していた。
 もしかしたら、本当に質量が強烈に拡大しているのかもしれない。
「光球」となって急所めがけてすっとんでいくあたしは、ヤツにとっては敵。たとえ小さくても、エネルギーをたっぷりと蓄えたおそるべき相手。それに相対するために、ヤツも戦闘隊形をとっているのだ。そう考えることも出来る。

「力を蓄えて!」
 フルダが叫んだ。
「十分蓄えてるわ!」
「もっとだ!」
 もっと?
 あたしはもうこれ以上ないというくらいにエネルギーに満ち満ちている。外から見たらもはやあたしは「光の玉」どころではないはずだ。あまりにもエネルギー量が巨大なために、爆発寸前。まばゆく輝きすぎて肉眼ではもう目にすることが出来ないだろう。制御を失えば、あたしを中心として、四方八方にエネルギーの束が照射されて周囲の全てを焼き尽くしてしまう。
 全体としての制御を保っていても、何かの拍子に光の一滴を地上へ落としてしまうかもしれない。そんなことになれば多くの大地を焦土と化してしまうだろう。
 もちろんこれはイメージだ。
 本来はオーラのように、あたしの身体を包む何か実体を伴わないもののはずだが、このパワーの塊は、熱くしかもずっしりとした質量をたたえている。黒死鳥の弱点部分に向かってこれを一気に放出すればあっという間にカタがつく。
 これ以上力を蓄えて、いったいどうしようというのか?
「黒死鳥は強大だ。わずかの力も残さず、ジャムのエネルギーを叩き込みたい。だから、もっと力を蓄えるんだ」
 万全を期したい。そういうことだろう。
「でも、どうやって?」
「移動をやめるんだ。移動の力さえも蓄えるんだ?」
「え? 何を言ってるのよ。そんなことしたら、弱点の直近まで辿り着けないわ」
「僕が導く。ジャムを移動させることくらい、たやすい」

 あたしはフルダに言われたとおりにした。そのとたんに身体はバランスを崩した。空中なのに、なにかにつんのめったように身体がひっくりかえり、宇宙遊泳のように身体が舞った。スピードも落ち、あまつさえ地上に向かって落下すらし始める。
 あたしは望むだけで、空中を猛然としたスピードで飛ぶことが出来た。陸上のトラックを走るときのように、必死になって手を振り、足を前へ出しているのとは違う。運動をしているという実感がない。だから、エネルギーをそのために使っていることも特に意識しなかった。
 しかし、「フルダに身を任せる」と決めた途端に、移動に振り向けられていたパワーは一挙にゼロになった。
 身体は揺らいでいるけれど、すぐにフルダの制御下に入り、再び黒死鳥の中心部に向かって疾走しはじめるだろう。
 あたしはフルダに全幅の信頼を寄せていることに気がついた。空中でグラグラよろめく肉体はこのままだと地上に叩きつけられる。けれど、いったん緩めた「移動の意識」を再びそれに充当することはなかった。「導く」とフルダが言ったのだ。なんとかするに違いない。あたしはフルダに言われたとおり、さらに攻撃のためのエネルギーを強化した。
 光が膨張し、そしてより濃いエネルギーとして凝縮した。
 それはもはや「エネルギーが明るく輝く」どころではない。この世からその空間がすっぽりと抜け落ち、まるで虚無のように見えたに違いない。絶大な光量が視覚を超えた。

 いつの間にかあたしはバランスを取り戻している。そしてあの、黒死鳥の禍々しい中心点、漆黒のはずなのになぜか微妙にグレーな色彩を伴って渦巻状に体表面が回転している部分に突進し始めた。
「ジャムを補足するのに苦労したよ」
 フルダが苦笑いする。
「なにしろ今のジャムは、もう人智を超えた存在だもんな」
「何よそれ。気色悪いこと言わないで」
「ごめんごめん。でも、そうなんだ。ジャムは確かに人間の肉体かもしれないけれど、ジャムを取り囲んでいるのは神の輝きだから」
 後光を背負う、という言葉があるのを思い出した。
「そう、まさしくそれだよ。自然界の全てを味方につけて、多くの存在に支えられてエネルギーを供給されている。まさしく神のなせる技だ」

 フルダの導きによってスピードは回復している。しかし、未だに黒死鳥の弱点部分の真下には辿り着かない。
 それどころかちっとも距離が縮まらない。
 あれだけ飛んだのに……。
 あたしはそっと振り返った。そして目を疑った。
 黒死鳥はさらに大きくなっている!
 あたし達が進んできた分だけ黒死鳥のボディーは肥大化していた。そして、あたし達と中心部との距離は一定に保たれている。
「大丈夫だ」
 あたしの不安を感じ取ったのか、フルダが力強く叫んだ。
「確実に近づいている。これは幻惑だ。いや、実体でもあるんだけれど……。とにかく大丈夫だ。このまま進もう」

 フルダが「大丈夫」と言えば、本当に大丈夫な気がする。あたしはこころの中で「ウン」と呟き、迷いを捨てた。
 するとどうだろう。確かにこれまで縮まらなかった距離が、目に見えて変化した。ぐんぐん目的の場所、中心部の真下に向かって進んでいることを実感した。

 そして、あたしは理解した。
 幻惑だが、実体……。
 実体はあたしの心の持ちようでいくらでも変化する。そういうことだ。
 だからフルダは、「この世界に住む僕達のために、戦ってくれるかい?」と訊いたのだ。シチュエーションに流されてなんとなくそうしている、というのでは黒死鳥とは戦えない。「この世界のために」という確固たる想いが必要だったのだ。
 よし、やるぞ!
 気合を入れたそのときだった。いったんあたしを補足したはずのフルダに何か異変が起こったのだろうか。進行をやめたときのように、またあたしの身体がぐらついた。

「まずい!」とフルダが叫んだ。
「何よ。どうしたのよ。ちゃんとあたしをアソコまで連れて行ってよ」
「もちろん、コントロールを乱したわけでも手を抜いたわけでもない。でも、見てくれ! 黒死鳥が羽を!!」
 これまでに聞いたことの無い、フルダの悲痛な叫び声だった。
 それまで大空に悠然と浮かんでいた黒死鳥が、羽をすぼめようとしていた。あたし達を取り込もうとしているかのようだった。
 それはまるで肉食植物が獲物を捕らえる時のように、それまでは大きく花びらを開いて美しい姿を見せ、かつ芳香を放っていたのが、一瞬にして花びらを閉じて中に獲物を閉じ込めてしまうかのようだった。
 もちろん黒死鳥は美しくもないし香りも漂わせていない。ただの禍々しい黒だ。けれど、敵としてそこへ向かっていたあたし達には同じことだ。倒すべき相手としてそこへ向かって行くのは、昆虫が花びらに吸い寄せられるのと変わらない。
「やられた!」
 フルダは舌打ちをした。
「全ては罠だ。我々をおびき寄せ、封じ込めるための!」
 フルダの絶望的な悲鳴が届く。
「どうして? どうしてそうなの? ここまで来たのに! たとえ取り込まれてしまっても、黒死鳥をブッ倒せばいいんでしょう?」
「黒死鳥がその身体をどんどん大きくさせて、それから我々を包もうとしただろう? きっとジャムのパワーの総量を読んでいたんだ。それを中和させるだけの空間を作るために羽を前後左右に大きく伸ばしたんだよ」
 そんなはずはない!
 あたしは思った。自分が今、身に纏っているこのエネルギー。これを中和することなんて出来るはずが無い。
 黒死鳥の羽はどんどんあたし達を取り囲んでゆく。釣鐘の中にいるような按配になってきた。
「いいかい? ジャムは自然界の全てからエネルギーの供給を受けている。黒死鳥の羽が閉じて、その中に閉じ込められてしまえば、もはやそのエネルギーは届かない。ここは閉ざされた空間になってしまう。しかも、エネルギーには波長があるんだ。その波長に合わせて空気を振動させればパワーを無力化することさえ可能かもしれない」
「じゃ、じゃあ、どうするのよ!!」

 我々が言葉を交わしている間にも、どんどん黒死鳥の羽はあたし達を包囲していく。空気が変わり、これまでのサラリとした、パワーがじゃんじゃん回りからあたしに注ぎ込まれる快感が消滅した。かわりにじっとりと重く精神を蝕むようなザラリとした触感があたしを包んだ。
 太陽の光が気持ちよく降り注ぐ草原から、日の光など何一つも見えない奈落の底に放り込まれたかのようだ。

「時間が無い。完全に閉じてからでは手遅れだ」
「ど、どうするのよ……」
「距離は気にするな! ここから攻撃だ。黒死鳥の中心部へ向かってエネルギーを叩き込め!」
「わかったわ」
 あたしもそうするしか手は無いと思う。新たなエネルギーの供給は途絶えたけれども、あたしには溢れんばかりのパワーが蓄えられている。これを一気に、一点をめがけて放出すれば、勝てるに違いない。
「だが、この空間はもうほとんど閉ざされている。僕達も攻撃の余波でどうなるかわからない。下手をすれば一緒に消滅する」
 !
 それは、黒死鳥とともに死ぬ、ということか。
 もういい。別にいい。それでもいい。あたしは覚悟を決めた。
 どうせこのまま手をこまねいていれば、結果は同じだ。
「やるわ!」
 あたしは意識を集中した。
 あの、一点。
 まあるくあたしを取り囲んでいた膨大な量のパワーが、先端を伸ばし始めた。黒死鳥の中心部に向かって。
 同時に、ブルブルとエネルギーの光の外側が震えだした。
 それは一挙に爆発する寸前の状態。

 そして……



 太くたくましい光柱が黒死鳥のコアな部分をまっすぐに攻撃した。







命中

炸裂

光散










 かすかに記憶に残っている。
 あたしの攻撃が黒死鳥に到達する、その寸前だ。
「ジャム、キミをこのままもとの世界に送り返す。今なら間に合う。命中して爆発が四散すれば我々だって無事ではすまない。だから、その直前に送り返す」
「ちょっと待って」というあたしの声が、フルダに届いただろうか?
「じゃあ、フルダ! あなたはどうなるのよ!」
 叫ぶのが先だったか、それとも、あたしが世界から放り出されるのが先だったか?

 黒と白がせめぎ合い、どんどん小さな破片になっていく。破片が渦巻く。そしてすぐ、一方の方向に向かって押し流され、また戻ってきた。時間と空間の全てがねじれてあたしの身体はもみくちゃにされた。
「ああ、これで元の世界に戻るのね」
 めくるめく恍惚。昇天。あたしは快感の渦の中で、失神した。

 あたしは自分の部屋に倒れていた。
 全身にネットリと汗が張り付いていた。
 シャワーを浴びたいと思った。
 でも、立ち上がる力がなかった。
 そっと目を開ける。
 あたしのまとった戦闘服が黒死鳥との戦いが夢でないことを教えてくれた。
 でも、あたしは普通の高校生に戻っていた。
 あたしを抱くように取り巻いていたあの気持ちのいい空気は、全く感じることが出来なかった。
 傍らにデイパックが転がっていた。
 わずかに窓が開いていて、時折風が入ってきた。
 その風が肌をなぜる。少しだけ気持ちのいい粒子のようなものが混じっているようだ。
 絶対量が少ない。もっと気持ちよくならないと、身体が回復しない。
 そんなことをぼんやりと考えながら、ゆっくりと、でも確実に、もとの世界に戻ってきたことを実感しはじめた。
 「ちょっと、帰ってるの? ただいまぐらい言いなさいよ」
 母親の声がする。はあい、ごめんなさい、と返事をしておく。
 のろのろと起きあがる。ズタズタになったセーラー服が戦いの激しさを物語っていた。あたしは自分の姿を鏡に映す。
 セーラー服は、あちこちの布がホロリホロリと床に落ちた。
 身体に傷や痛みはない。セーラー服があたしの代わりに朽ちてくれたんだと思った。
 鏡の前のあたしは戦闘用に与えられた下着だけになった。いかにも不自然な格好。乳首が零れ落ちそうなくらい小さなカップのブラ。申し訳程度の三角形と紐だけで構成されたショーツ。恥ずかしさはあるけれど、むこうの世界でこれを身に付けたときのような迸る快感はもはやなかった。
 あたしはバスタオルを身体に巻いて、バスルームに向かった。
 母親に見つかって、「はしたない」とか何とか言われたけれど、あの戦闘服姿を見られたら卒倒されかねない。
 家にいるときはラフだと言ってもせいぜい短パンにタンクトップ。バンザイしたらおへそも見えるけれど、普通にしてたら何とか隠れる程度の丈はある。それがいきなりアレでは困ったものだ。
 ましていつものように洗濯かごに入れておくわけにはいかないから、シャワーを浴びながら手洗いしよう。
 脱衣室の扉を閉じ、バスタオルを外して、戦闘服を脱いで手に取った。柔らかくて肌触りがいい。上等な下着のようなだ。

 こんな下着を洗濯かごに残しておいて、母親に見られたら何を言われるかわからない。ついでだから、身体と一緒に洗ってあげようと思い、手に持ったままバスルームに入った。

つづく

 



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