遥かな草原の香り
=9=     

 

 パーメに導かれるようにして、スケルトンのピラミッドから通路に出たあたしは、自らの内部から沸きあがってくる力をもてあました。今にもダッシュせざるを得ないくらいに肉体が昂ぶっている。
「な、なに、これ……」
 思わず呟くあたし。
 パーメにはあたしがどのような状態になっているのかがわかるのだろう。
「これが温泉の力」
「温泉、か……」
 あたしは温泉が好き。元の世界にいたときにも何度となく出かけている。しかし、こんなに「力が漲る」という状態にまでなったことはない。せいぜい、いつまでもぽかぽか暖かいとか、肌がつるつるスベスベするとか、その程度だ。

「ただの温泉じゃないわ。特別な戦士のための、特別な温泉。国中からパワー溢れる温泉を集めてきて、ここにこうやって戦士のために用意しているの」
 あたし達は走りながら会話をした。相当なスピードで駆けているのだが、驚いたことにパーメも平気な顔でついてくる。
 そのことを問うと、「ここにいるのは、みんなそれなりの能力者よ。残念ながらあたしは戦士じゃないけどね」

 パーメとともにたどり着いたのは、一番最初にあたしが眠らされていた部屋だった。作戦総本部、という感じだろうか。そこにはパクラーレ将軍もフルダもいて、緊張感が漂っていた。いかにもこれから満を持して戦闘に出撃する、という雰囲気だった。空気がピリピリしている。
 天蓋付きのベッドが部屋に置かれたままになっているのは、作戦総本部としてはマヌケだが……。

「ゆっくりお休みになられたようですね」と、将軍が言った。
「おかげさまで」とあたしは返事した。
「うむ。気力体力が漲っておられる。さすがに戦士の中の戦士だ」
 パクラーレ将軍にもあたしの身体の変調がわかるらしい。
「そりゃあそうですよ。ゴールドに輝くオーラが立ち昇っています。今の聖姫様なら、この世のあらゆるものを味方につけ、全てのエネルギーを自在に操ることが出来ましょう」
 将軍は自信たっぷりに言った。
 そうなのか?
 本当にそうなのか?
 果たしてそこまでのものなのかどうか、あたし自身が一番理解していなかった。

 壁に埋め込まれた大型の地図には、青い点と赤い点がある。
「シグナルブルー、これが我々です。ここが現在地……」
 フルダが指を指した。
 その瞬間だった。ひとつだった青い点がいくつにもわかれ、それは10ほどの光点となって、一定方向へいっせいに動き出した。一定方向、赤い点に向かって。
 大きなガラス窓越しに、ゴオ、という爆音が響き、戦闘機が次々と遠くへ去ってゆく。
 馬車でも出てきそうな牧歌的な風景で、見下ろす川沿いの町も、平穏な田舎という感じだが、実際にはテレヌルや変幻自在なチルマなんて戦闘兵器があり、科学を超越したような源力というものが存在し、そしてまたミグ25かはたまたファントムかトムキャットかといわんばかりの戦闘機もある。あの戦闘機もきっと「別ななにか」でも「新しいなにか」でもなく、チルマの一姿なのだろう。
 赤い点に向かって青い点が去った後に、それでもひとつシグナルブルーが残っている。
「これが、僕達だよ」とフルダが言った。
 そして、説明を受けるまでもない。赤い点、シグナルレッド。これが標的である黒死鳥だ。

「我々も、行こう」とフルダが言った。すると、ガラス窓だった壁面がスイーと上部に吸い込まれて、部屋が外部と直結する。
「行くって、どうやって……」
 あたし達には何の乗り物もないのだろうか?
「僕達ほどの能力者になれば、生身で戦える。このまま行くんだよ」
 あたしの心を見透かしたように、フルダが言った。
「このまま? 生身? まさか、空を飛ぶとか? そんなことないよね。けど、走っていくわけでもないんでしょう?」
「空を、飛べるんだ」
「ええ?」
「ついておいで。ココロをひとつにすれば、僕が飛ばしてあげる。すぐにコツがつかめるよ」
 フルダが手を差し出す。あたしはその手をそっと握った。触れた手がものすごく熱い。それはフルダ自身のパワーであり、あたしから発したパワーでもあった。

 ふうわり

 身体が宙に浮く。
「さあ」
 フルダが声を出す。その瞬間。あたしは作戦総本部から窓の外へものすごい勢いで飛び出した。

 あたしの身体は導かれるようにして空中を突進していた。
 加速Gはまるで感じない。景色だけが猛スピードで後ろに去ってゆく。
 高速になると視野が狭くなると言うけれど、本当だ。
 風景を認知することのできる前方の部分、それは円形で、どんどん小さく、そして遠くなってゆく。加速している証拠だ。小さな円の中には空と雲、そしてディスプレイの地図上では青い点で示されていたチルマが鈍い銀色に光っているのが見える。
 視野に収まる円形の部分を頂点とした円錐形の、底辺の中央部にあたしはいて、遥か遠くにあるトンネルの出口に向かって突進していた。円錐の先っぽの部分以外はひたすら風景がびゅんびゅん流れている。

 あたし自身は「飛ぼう」とか「どこかへ向かおう」とかいうことを全く意識していなかった。
 ただ、身を任せているだけ。
 フルダの意識と、この自然界に浮遊する源力が、あたしを一定方向に導いているのがわかる。
「どうだい、コツはわかったかい?」
 すぐ耳の横ではあたしと空気の摩擦によって轟音が鳴っているのに、フルダの声が届く。意識波が直接あたしの脳に語りかけているのだろう。
「コツもなにも……」
 口を開きかけたが、ものすごい圧力がかかっているのがわかって、慌てて唇を閉じた。言葉を音声として発して会話することなど出来ない。意識で会話をするのだ。誰に教わったのでもないのに、あたしにはその方法がわかっていた。
 フルダへ、と念じながら意識の中で言葉をかける。
「そんなものわからない。あなたが導いてくれてるんでしょ?」
「じゃあ、ためしてみよう。スピードを落としてごらん」
「どうやって?」
「そうしようと思えばいい」

 スピードダウン!

 気合を入れるとか、念じるとかいうのとは少し違う。ただ、思うだけ。例えばそれは、歩くときに、「まず右足を前に出して、それから左足を」などと考えたりせず、ただ「歩いてどこそこへ行こう」と思うと自分がその方向へ向かって歩き始めるのに似ている。ごく日常のありふれた動作。
 そう、思うだけでいいのだ。確かにスピードが落ちてゆく。前方の視界の丸は広がり、ふっとんで何がなんだかわからなくなっていた上下左右の景色がゆっくりと形を取り戻してゆく。地上を見下ろすと深い森や青い湖があることすらわかった。そのかわり、前方のフルダとどんどん離れてゆく。

 スピードアップ!

 あたしを取り囲む世界がまた高速時のそれになり、ぐんぐんフルダの姿が近づいてくる。
「どう?」
「わかったような、わからないような……」
「少し練習しよう。でないと、戦えない」
 その通りだ。敵を目の前にして自分の身体を自由に操れなかったら、命を落とす。
「練習って、どうやって?」
「旋回、停止、上昇、下降、回転……。なんでもいい。動きをイメージしてごらん?」
 動きをイメージ?
 いったいどんな動きをイメージすればいいのだろう。実践ではどんな行動や所作が要求されるのだろう。あたしにはわからない。脳裏に浮かぶのは、アニメや特撮もので、ヒーローが宙返りをしたり反転をしたりする、そんなシーンばかりだった。あるいは、忍者がひらりひらりと屋根から屋根へ飛び移ったり、まるでトランポリンでも使ったかのように高い塀を飛び越えたり。
「うん、それでいい。思ったとおりに身体は動いているかい?」
「多分、大丈夫」
「多分、じゃない。自信をもって。自分の身体なんだから、自分の思い通りに動かせて当然なんだ」
 あたしはなるほどと思った。でも、だけど、変だ。だって、ここは空中なんだもの。地に足が着いていない。つまり支点となるべきところがない。どうしてこんなことが出来るのかわからなかった。
「それが、源力のパワーだよ。まわりの自然や物質やらがキミに力を分け与えてくれている」

 遥か前方を突き進んでいたはずのチルマの姿が徐々に大きく、はっきり見えてきた。距離が縮まってきている。チルマがスピードを落とし始めているのだ。
「敵が近い」
 フルダが話しかけてくる。
 あたし達もスピードを落とす。視界がはっきりしてくる。もうジョット戦闘機のような速度ではなく、おそらく旅客機程度。少し先の上空に黒くて平べったい塊が見える。黒死鳥だ。あたしのいた元の世界の、校舎の屋上に突如現れたあのおぞましいやつ。
「チルマが先制攻撃をかける。けれど、長くは持たない。せいぜい黒死鳥をひるませる程度、あるいはそれ以下。ひょっとしたらわずかの足止め程度にしかならないと思う」
 チルマから光の束が発射され、それが黒死鳥の巨体に吸い込まれてゆく。まさしくでかくてグロテスクな真っ黒な鳥。
「戦い方を説明するよ」
「はい」
 これまで、「うん」と返事していたのが、自然と「はい」という言葉に変化した。状況の緊迫が身体の芯まで感じ取れたからだ。あたしにとっての初めての戦い。度重なる戦いを経て、黒死鳥のことをよく知っているフルダのサジェストなしにはあたしには何も出来ない。
「黒死鳥にも弱点というか、そこを叩けば終わり、という部分があるはずだ。そこを一撃で攻める」とフルダは言った。「人間で言えば、心臓を槍で一突き、というイメージだ」
「その弱点は、どこにあるの?」
「チルマが先制攻撃をかけている間に探さなくちゃならない。きっと、どこかにある。きっとわかる」
「でも、どうやってそこを叩くの?」
「それはこれまでに何度もやっているだろう? 意識を集中すれば、浮遊するありとあらゆるエネルギーが集まってくる。それはわかるね?」
 源力を測定したときのような状態のことだろう。あたしは「はい」と答えた。
「そして、取り込んだパワアを、弱点めがけて一気にぶち込む。僕と、キミと、同時に。きっと感応しあって、増幅しあって、それはとてつもないエネルギーになる」
 随分抽象的だ。
 あたしがそう指摘すると、「やれば、わかる。やれば、できる」とフルダは言った。

 チルマと黒死鳥との戦いは、攻防と言うよりも、関取にぶつかっていく小学生のようなものだった。発射直後は野太く見える光の束も、黒死鳥にとっては蚊が刺したほどにもダメージを受けていないのだろう。大空に悠然と浮かんだ黒死鳥は身じろぎひとつしない。
 それはまるで、銀河系を横から見たときのような姿をしていた。中央部分にのみ厚みがあり、周囲は平べったくて薄い。厚みのある部分が胴体であり、薄い部分が羽だ。
 チルマは黒死鳥の下に入り込み、行く筋も行く筋も光の束を注ぎ込んだ。

「そろそろ限界だ」と、フルダが言った。「エネルギー切れが近いはず……」
「あたしたちの戦いの前に、少しでも黒死鳥を弱らせようとしてくれているのね」
「効果があるかどうかは、わからないけどね」
 フルダはそう言うが、あたしは「十分な効果」があると思う。勝てないとわかっていながらも、あたしたちのために黒死鳥に最接近して果敢に攻める。その姿があたしに力を与えてくれる。
「行こう!」とあたしは言った。
 儚いながらも必死の攻撃を続けるチルマたち。あたしの中に勇気が沸いてくる。彼らの励ましの声が大きく響く。
「ああ、行こう!」
 フルダが復唱し、あたしたちはスピードをあげた。

 フルダの言う「黒死鳥の弱点」、それが今のあたしにはわかるような気がする。あの厚みのある胴体部分、その中央に黒死鳥の心臓部がある。確認したわけではないが、そう感じる。力強い実感だ。
 空中を進むあたしが重くなる。野球で「重い球」「軽い球」などと俗に言うけれど、これまでのあたしが「軽いあたし」なら、まぎれもなく今のあたしは「重いあたし」だ。同じ攻撃を加えたとしても、きっと効果は大きいだろう。
 あたしの中に周囲からどんどんエネルギーが集まってくる。目の前に手をかざすと、かすかな光さえ帯びている。その輝きは、徐々にはっきりと、鮮明になってくる。あたしは自分が「どんどん重く」なっているのに気がついた。

 黒死鳥の羽の下にもぐりこみ、そして中央部へぐんぐん進んでゆく。あたしの中で今にも溢れんばかりのエネルギーが身もだえしている。
(まだよ。まだ。もっと、じっと、力を貯めるの)
 自分に言い聞かせて、力を制御する。
 そして、あたしは見た。
 胴の中央部に、わずかだけれど周囲の漆黒とは違う部分が存在するのを。限りなく真黒に近いグレーが渦を巻いている。あれが急所だ。
「ねえ、あそこよ」
「ああ!」
 力強いフルダの返事。彼も気がついていた。
 あたしとフルダ、二人で協力し合って、ありったけのパワーを集めて、あそこに叩き込む!

 意識を集中しようとした、そのときだった。
「待って」っとフルダが言った。
「なに?」
「こんなときに、と思うかもしれない。けれど、こんなときだから言っておかなければならないことがある」
 もったいぶった言い方に、あたしは苛立ちを覚えた。
「だから、何よ!」
 あたしの身体はもはや輝く光球になっていただろう。それはベストの状態のテレヌルよりも遥に巨大化しているはずだ。ちょっと油断したら思わぬところからエネルギーの雫が漏れて、もしそれが地上に落ちたら収拾がつかないほどの火事になるだろう。
 それほどあたしの中に蓄えられたエネルギーは限界点に達していた。
「聞いて欲しい。今のキミは全身にとてつもないパワアが満ち満ちているのを感じているはずだ。そして、それだけの力があれば、実は平行異次元を自由に行き来できるんだ」
「え?」
「つまり、キミが望めば、キミは自分の意思で元の世界に還ることが出来る」
 元の、世界……。
 あたしは心の芯にノスタルジックな感情がわいてくるのを感じた。両親がいて、学校があって、友達がいて、たわいもない会話があって、幼い恋に心を迷わせ、くだらない教師がいて、愚痴を言い合って、でも将来への不安も隠せず……。そんな、あたしの、本当はすごく身近にあったはずの過去の現実。
「も、戻れるの?」
 戦いの場にいることを失念して、あたしはフルダに問うた。
「ああ、戻れる。だから、こんなわけのわからない世界にキミは幽閉されることもないし、いわれのない戦いで命を危険にさらす必要も無い。還ろうと思ったら還れるんだ」
 フルダはそこで一呼吸を置いた。
「それでもキミは、この世界に住む僕達のために、戦ってくれるかい?」

つづく

 



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