フライデーナイトアベニュー
4月の最初の金曜日 その(3)





 アヤコはその夜、3回イッた。
 その度にアヤコの感度は確実に増していた。一度目は全身をこわばらせて「イクー」と叫んだだけだったが、2回目は意味不明の言葉を途切れ途切れに叫びながら、電気ショックでも与えられたかのように腰がぴょんぴょんと跳ねた。3回目は痙攣をしながら潮を吹きやがて失神した。
 天性の淫乱かもしれないと俺は思った。ツボをこころえた妻に対してだって俺はココまでの快感を与えたことはない。

 失神から覚めたアヤコは「ああ、すごく気持ちよかった。むちゃくちゃ感じちゃった。死ぬかと思った」と、言った。そして、俺の欲棒を手にとりマッサージをはじめた。
 「これ、大好き」
 甘ったるい声でアヤコはそう言った。
 「こうすると、彼、とっても喜ぶの」
 隅から隅までねっとりと舐めあげる。俺は即座に反応した。信じられないくらい上手い。感じるポイントがアヤコの彼と俺が同じなのか、それともたった3回のセックスで俺のツボを心得てしまったのか。後者だとすれば女神のような女だ。
 俺は限界に近かったが、それでもトロリトロリと液体を吐き出し始める。
 「大きいほうよね、これ」
 大きさの話題は時として男を傷つける。が、無頓着にそんな話題が出来るところが高校生だなと思った。
 「わたしの知っている中では、2番目に大きい。今の彼のが一番大きいの」
 「大きさが全てだと思うかい?」
 「そうねえ。全てだとは思わないけど、小さいよりいいよ。彼のは大きすぎて最初は大変だったけど、後ろから壊れるくらいに突きまくられると、最高にいいの」
 「どんな風に?」
 「真っ白になって、真っ赤になって、真っ黒になって、真っ青になる。そんな感じ」
 俺はなるほど、とだけ答えた。

 朝、目が覚めると、アヤコはいなくなっていた。テーブルに置手紙があり、「アルバイトがあるので先にチェックアウトします。ホテル代だけおごってね」と書いてあった。
 連絡先やそのヒントになるようなものは何も残されてはいなかった。
 昨夜、彼女の入浴中に免許証を盗み見したけれど、そのときは住所や本籍の欄には全く興味がなかった。生年月日を見て年齢を計算しただけだ。そのときは、まさかもう一度会いたくなるなどとは思いもしなかったのだ。
 しかし、仮に住所を控えていたとしても、彼女に連絡するわけにはいかない。それが「フライデーナイトアベニュー」のルールである。
 妻と恋人、二人の女が俺のところから去って行った。空虚さが残った。その穴を埋めるように現れたアヤコ。そして、彼女も去った。しかし、空虚さはなかった。心のもやが晴れて、すがすがしくもあった。
 まるでひとつの物語がきちんと終局を迎えたように。
 このドラマの中で、俺は登場人物であると同時に観客だった。

 思えば妻や恋人だけでなく、友人にしても家族にしても、そしてありとあらゆる知り合いにおいて、「始まり」や「終わり」がきちんと演出されていることなんてありえないのだろう。まだしも「始まり」はいい。出会いである。それまで全く見知らなかったものがその時点から知り合いになる。それはいい。しかし、終わりは?
 決定的なのは「死」だろう。「死」は確かにドラマティックだ。ただし、臨終を看取ったとか、葬式に出席した場合においては、だ。
 自分の一生の中で知り合った数々の人の「死」全てに立ち会うことなどありえない。
 例えば高校のクラス名簿を開けば、ごく一部の友人以外とは、もはやまったく音信不通状態だ。決定的ななにものもなく、いつのまにか、本人達の知覚し得ない時と場所で、僕とそれら友人との関係はなんとなく終わってしまっていたのだ。
 日常的な付き合いがなくても、「年賀状のやり取りだけは続いている」という人たちもいる。この相手は毎年新しく増えていく。年末になると「この人には年賀状くらいは出しておかなくては」というアレだ。
 毎年新しく年賀状を出す相手がいるのに、総数はさほどかわらない。
 どちらからともなく、「この人にはもう出さなくていいや」と判断し、いつしか名簿から削除されていく。そのうち転居などで行き先がわからなくなり、望んでも連絡がとれなくなる。

 なにものにもわずらわされることのない一晩だけの関係とは、「始まり」と「終わり」がきちんと演出されていて、完結している。
 フライデーナイトアベニューな関係とは、そういうことだ。
 未練も名残もなく、映画のエンドマークを確認して、席を立つ。
 このすがすがしさが、フライデーナイトアベニューの伝説を一人歩きさせ、実在するかどうかもわからない噂話であるにもかかわらず、こころをときめかせるのだろう。

 アヤコについてはわからないことだらけだ。
 7万円以上の現金を財布に入れておきながら、どうして「お金をあんまり持っていない」などと言ったのか。
 家出少女だと思っていたけれど、「アルバイトがある」と朝早くに出て行ったのなら、放蕩していたのでもないだろう。「いずれ帰るが家出みたいなもの」などと彼女は言ったけれど、適当に話をあわせただけなのかもしれない。
 だが、詮索はよそう。
 ストーリーを作ることは出来る。そうして想像の中で遊ぶにとどめておくのがいい。
 たとえば、こうだ。家出をして、幸い職が見つかった。だが、住むところはまだ見つかっていない。給料日までは日がある。ホテル暮らしなど出来るはずもない。
 寂しさや心細さが募り、それらを紛らわすために男に抱かれようとする。
 つじつまはそれなりに合っている。
 けれど、アヤコが実際にそうかどうかはわからないし、正解を確認する方法もない。正解を知ったところでなんのプラスにもならない。
 一方で名作と評価されながら、口の悪い評論家が「○○の部分が未解決のままほったらかしてある」と批評する映画が実在するように、俺とアヤコの関係もそうなのだ。
 不都合なことは何もない。

 俺はホテルをチェックアウトした。通りに出て、ああ俺は今ラブホテルから一人で出てきたんだと思った。不思議な気がした。
 駅前のスーパーで食料品を買い、バスに乗り自宅に向かう。平日のように会社の行き帰りに店によったり、外食をしたりなどの機会が土日は極端に減る。怠惰な気分に身を浸してごろごろ過ごすのに困らないだけの食べ物は仕入れておく必要があった。
 妻がいなくなってから、休日にだらだらと過ごすことに極度の不安を覚えたものだが、アヤコのおかげで解消されそうだ。
 見慣れたはずの風景が新鮮に見えた。
 厳密に言えば、昨日と同じ風景などどこにもありはしないのだ。植物は目に見えない速度で成長し、看板は風雨にさらされて汚れ、行き交う人々は確実に一日分歳をとる。時計のように正確に毎日同じ行動をする人だって、踏みしめる地面の位置は毎日変わるだろう。
 同じ事など何もない。
 見慣れた風景、通いなれた道が、「同じ」に見えるのは、感性が鈍っているからに違いない。
 アヤコは俺の感性を、砥石で包丁を研ぐように、磨き上げてくれた気がした。

 心の底からくつろいだ気分になると、不思議なものであれこれ身体を動かしたくなった。
 食器を洗い、洗濯をして、掃除をした。
 シンクの洗い桶に放り込まれたままの汚れた食器類。これまでは、その中で必要なものだけを洗って使い、使い終えるとまた洗い桶の中に突っ込んでいた。それらをきちんと洗い、食器棚に収めた。
 ワイシャツはクリーニングに出していたが、それ以外のものは脱ぎ散らかしたままになっていた。下着類は替えがなくなると、風呂に入るついでに手洗いして、浴室に干しておいた。その日はとりあえずコンビニで買った新品を身に付けた。それ以後は、入浴前に浴室に干しておいた下着を脱衣所に移動させ、今身に付けていたものを入浴のついでに洗って浴室に干して…の繰り返しだった。
 部屋に散らかった衣服を、洗濯機で洗濯するもの、クリーニングに出すもの、そのままたたんで引き出しに直すもの、捨てざるを得ないものなどに分類した。
 散らかった新聞や書籍を片付け、ようやく掃除機をかけた。
 気が付いたら午後2時で、焼飯を作って食べた。
 もはやダラダラして過ごしたいと言う気持ちは消えており、日が暮れたら「鷹」へ行こうと思った。

 「鷹」で再開を果たした同級生の木村に、彼の仕事の話を訊いたのは確か3回目に彼と顔を合わせたときだった。
 「ところでお前、独立していったいどんな仕事をはじめたんだ?」
 「笑うなよ」
 「笑うかよ」
 「なら言うけど、犬の散歩屋だ」
 「犬の、散歩屋?」
 散歩屋というからには、犬を散歩させるのだろう。しかし、それがどう商売に結びつくと言うのか。俺はさっぱりわからなかった。
 説明を求める俺に、「これを見れば早いだろう」と、木村は一枚のチラシをくれた。
 「旅行や出張などで自宅が不在に。でも、大切なペットが....
 そんなときは『犬の散歩屋』を思い出してくださいね。
 いつもと同じコースで散歩します、いつもと同じゴハンを与えます。
 ペットホテルでは環境の変化や病気が心配というアナタ。…」
 とまあ、こんな具合にコピー文句が並び、若干のシステムの説明などと共に連絡先が明記してあった。
 「儲かってるのか?」
 「赤字か黒字かときかれたら、黒字だね。わずかながらに」
 「そうか」
 「注文は多くない。料金が高いから」
 「高い?」
 「安く出来ないんだ。いつもと同じ環境で散歩させてやる、というのがウリだからな。一匹づつしか連れて行けない。大量生産の出来ない商売だ。しかも、朝夕2回。だいたい時間が決まってくるから、一人のスタッフが受け持てる数には限界がある。真昼間や真夜中に散歩に連れて行けるなら話は別だけど」
 「なるほど」
 「それに、引き受けるには事前にそのワンちゃんと面接して、俺やスタッフが引き受けられるかどうかを審査しなくちゃならない。断らざるを得ない場合もある。注文の全てをこなせるわけじゃない」
 「社員一人と、あとはアルバイトだったっけ?」
 「ああ。犬好きは多いからね。希望者はいくらでもいる。その中で誠実そうな人を採用する。ただし、注文があってはじめて仕事がもらえるから、アルバイトするほうも定期収入を望めない」
 「大変そうだな」
 「ああ、大変だ。アルバイトにある程度の収入を確保させるには、手広くやって、全体としての注文が途切れないようにしなくちゃならないだろ? でも、そうすると、逆の悩みも発生するよ。オンタイムでの仕事なら、それ以外の日は全て休みだ。けど、注文がコンスタントに入ると、今度はローテーションを組んで休日も確保してやらなくちゃならない。一定収入にならないからかけもちする学生も多くてね。この日はオッケーで、この日は駄目とかの条件も呑んでやらないと駄目だ」
 「希望者は多いんだろう? だったら、ある程度厳しい条件をつけてもいいんじゃないのか?」
 「希望者は多いけれど、相手は生き物。しかも、言葉の通じない犬だ。慎重に人選しないとな。信用を得るには時間がかかるが、失うときはあっという間だ。俺が本当に信頼できる人でないと任せられない。それに、犬も人を選ぶしな」
 「簡単には出来そうもない商売だな」
 「元手はかからないから、楽にはじめられるけれど」
 「でも、一応黒字なんだろう?」
 「商売が黒字なのと、生活が出来ると言うのはまた別の話さ。でもまあ、最近は常連がついたから、少しは安定しているけれど」
 「常連? そんなに留守がちな人がペットなんて飼うのか?」
 「いや、金持ちの一人暮らしの老人だ。ずっと犬を飼いたいと思っていたらしいんだが、足腰が弱いから散歩に連れて行けない。だから諦めていた。そこに散歩代行の存在を知った。だから、毎日の散歩は俺達に任されている」
 「寂しい一人暮らしがそれで解消されるわけだ。なかなか社会にも貢献しているじゃないか」
 「さあ、どうだろう。普通の一人暮らしの老人には払える金額じゃないからな」
 「いったい、いくらとってる?」
 「月、15万円」
 「なるほど、それは高いな」
 「これでも餌の世話がない分と、月間契約してもらってる分を、割り引いてるんだぜ。でも、隠居して年金くらいしか収入のない老人には払える金額じゃないだろう」
 「そうだろうな」
 「もともと単価が高くなることはわかっていたんだ。けど、俺はそれでいいと思ってた。だって、そうだろう? ペットを飼うのなら、誰も世話することが出来ない状況を作らない覚悟がいるはずだ。それを怠って、自分の都合だけで他人様にペットの面倒を見させようと言うんだ。高くてもいいだろう。もちろん、吹っかけてるつもりはない。犬一匹に一人の人手がいるんだ。しょうがない」
 「お前の言いたいことはわかる。筋もとおってると思う」
 「ああ、そうだ。けど、一人暮らしの老人から定期契約をもらったときは正直悩んだね。俺が受けるべき仕事でもないと思った。同じように寂しい思いをしていても、金のある奴は犬と一緒に暮らせて、金がなければ相変わらず寂しいまま。これはおかしいよな」
 「いや、そうじゃないだろう。お前は金持ちのわがままに付き合ってやってるんだ。商売上のメリットと引き換えにね」
 「確かにそうだ。けれど、本来こういうことはボランティアがすべきなんだと思うよ」
 「まあ商売でやる限りは金の払える人だけがお客だからな」
 「ああ、だから、俺はこういう形でのボランティアを立ち上げたいと思ってる。そうすれば、犬と共に暮らしたいと願っている老人が、お金のあるなしに関わらず、心が慰められるんだ」
 「なかなか考えてるじゃないか」
 「まあな。想いのままにやってみる、独立するってことは、そういうことだと思うから。金を稼ぐだけなら有能なサラリーマンを演じてるほうがいい。そのほうが楽だとは言わないが、確実だ」
 「お前は上手く言葉を選ぶ。もしサラリーマンが楽だなんてお前が言ったら、俺はお前を殴ってただろう」
 「いや、お前は殴ったりしないよ。黙って軽蔑するだけだ。俺はその方が殴られるより辛い」
 そんな会話を交わしたのだった。
 その常連の紹介で、今は2件の定期契約がある。2件目の依頼者は主婦。旦那が商社マンで海外出張が多く、しかも子供がいない。そして、彼女は車椅子の生活をしていた。
 旦那の稼ぎがいいので、支払いは苦にならないらしかった。
 「いずれにしても、月15万の契約がたった2件で、そこそこ俺の稼業は安定した。その程度の小さな商売なんだよ」

 すっきりと家事を終えた俺は「鷹」で一人飲んでいた。
 飲みながら、木村の仕事のことをぼんやりと考えていた。今日は彼と会えそうな予感がした。
 「会いたい」とか「会えればいいのに」などという希望を持たないときの「予感」とは的中するもので、まもなく彼はやってきた。
 今日は一人ではなかった。若い女性を連れていた。彼は時々アルバイト学生を同行させる。
 「紹介するよ」と、木村は言った。「うちのアルバイトでもっとも優秀な子だ。斎藤アヤコさん」
 女連れの木村を俺はぼんやりと見ているだけだったが、「アヤコ」という名前に俺の神経がピンと反応した。改めて目を凝らして彼女を見る。
 アヤコだ。
 熱く激しい夜を共にして、そして朝早くホテルを出て行ったアヤコ。そうか、犬の散歩のアルバイトがあったので、彼女はさっさとホテルを後にしたんだ。
 「はじめまして」と、アヤコは言った。
 フライデーナイトアベニューで出会った男女は、その後どこかで偶然出会うようなことがあっても、そのときの事を持ち出してはいけない。全ては一夜限りの夢の中。現実にはなかったこと。これも数少ないルールのひとつだった。
 俺も「はじめまして」と、言った。
 「彼女は未成年だから、なにかソフトドリンクを」と、木村はカウンター越しに店員に声をかけた。
 「邪魔だったら消えるけど」と、俺は言った。
 「邪魔なもんか。俺達はそんな関係じゃない。この子の優秀な仕事ぶりへの褒章として、ココへ連れてきただけだ。多分お前がいるだろうと思っていた。この3人なら楽しく過ごせるだろうと思ってな。俺だけだったら会話が持たない」
 「ご一緒していいですか?」と、アヤコは言った。

 「どうぞ」と、俺は答えた。




5月の2番目の金曜日 その(1)

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