フライデーナイトアベニュー
5月の2回目の金曜日 その(1)





 「係長、ちょっといいですか?」
 コンピューターの画面とデスクの上を見比べていた俺に、吹田由香が声をかけてきた。
 「ああ、構わないよ」
 彼女は入社5年目の27歳。俺の部署にいるOLでは一番年上だ。口の悪い連中からは「目尻の皺」だの「乳が垂れはじめた」だの言われているが、若い連中と比べて冷やかしているだけであって、単独でみればそれなりにいい女だ。
 乱れた風合いの短い髪は若干茶色がかっていて、耳たぶのピアスが見え隠れする。仕事はそれなりに出来る。5年間ずっと同じ部署にいていろいろなことに精通しているのを割り引けば、それで普通なのかもしれないが。
 彼女よりも若いOLはいずれも入社3年以下で、由香は彼女達にとってよき先輩であると同時に、口うるさい存在でもあった。
 「こんなに長く勤めるんなら、総合職で入ればよかった」と、由香は時々言う。「あっさりと結婚退職する予定だったのにな」
 それが本当かどうかは俺にはわからない。贔屓目かもしれないが、吹田は新人の頃から仕事に対する姿勢が違ったように思える。「結婚までの腰掛け」的な仕事振りでなかったことは確かである。
 しかし、彼女自身が言うように位置付けとしては「一般事務」であり、年数を経たからといってそれほど仕事内容が高度化複雑化するわけじゃない。いわば、同じことの繰り返しであるから、要領が良くなっても不思議ではないのだろう。
 「じゃあ、総合職にかわるか?」と提案したこともあったが、「いまさら、でしょ? やっぱり、私にはお気楽稼業があってますから」と、食指を動かさなかった。

 彼女の用件は「お昼ご飯に付き合ってください」だった。

 妻と別居をするまでは俺は弁当持参だったが、今は外食である。その変化を一番に発見したのが由香だった。彼女はすかさず「呑みに連れて行ってください」と、俺を誘ってきた。
 彼女と外で飲食をするのは、そのとき以来である。俺は彼女と呑みに行ったときのことを思い出した。
 彼女が俺のことを悪くは思っていないことはわかっていたが、二人きりで呑みに行くような間柄ではなかった。そんな状況を作らないことこそがそれぞれにとっての分相応である。俺も由香もそのあたりのことはわきまえている。
 その彼女が唐突に「呑みに連れて行ってください」とは、いったいどうしたというのだろう?
 仕事関係なのかプライベートなのかはともかく、何か深刻なことを抱えているのかと俺は思った。
 だが、違った。
 「帰宅が遅くなることに、もう理由はいらないんじゃないですか?」
 外食が何日も続いたことで、彼女は俺の家庭の状況が変化していることを見抜いたのだ。
 これまでも外食が続いたことはある。子供の病気だとか、里帰りとか、そんな時だ。だが、思い返せばそういう時は、俺はそのことを口にしていた。
 「昼か。俺も一緒に行く。妻が里帰りで、弁当がないんだ。どこが美味い?」
 とりたてて意識はしていなかったものの、俺はそんなことを言いながら、同僚や部下と外食をともにした。
 しかし、今回は、俺は全く「弁当がない」理由を告げていない。しかも、誰かと連れ立って出かけるということもない。
 話題にされたくないという気持ちが、俺をそうさせていたのだろう。
 ともあれ、俺は由香と夜の町に出た。
 深刻な悩みの相談はなかった。若干の身の上の説明を俺はしたけれど、あとは馬鹿話をしただけだ。誰に気兼ねすることもなく、まずまずお気に入りの年下の女と酒を呑み、俺はそれなりの開放感に浸った。だが、それだけだ。
 以後、俺も由香も、お互い誘い合うこともなく、今日まで過ごしてきた。由香はあの日、おそらくベッドをともにすることを期待していたのだろう。だが、俺は由香を抱かなかった。女房が去ったというだけで、正式に離婚もしていないのに、別の女を抱くことなんて出来ない。などと殊勝な思いがあったわけではない。妻も恋人も失った俺は失意に包まれていて、新しい女など作る気にはなれなかったのである。
 由香が仕事以外で俺と行動をともにしようとしたのは、あれ以来初めてである。アヤコと寝たおかげで、精神的に身軽になることができた。今の俺なら臆面もなく由香を抱き、欲望のままにむしゃぶりつくことが出来る。
 だが、残念なことに、彼女が望んだのは「昼食」だった。
 「昼飯か。じゃあ、ちょっと早めに出よう。午後イチで約束がある」
 「わかりました」と、由香は言った。

 妻が子を連れていなくなってから、給料は全て小遣いになった。住宅ローン・公共料金・定期券その他固定支出を支払うと、意外なほど手元に残らなかったが、それでもそれまでの「小遣い」より遥かに多かった。
 慰謝料とか生活費や学費の仕送りとか、そのようなことは何も言ってこないからいいものの、それらを支払っていたらたちまち自分の生活費にも困窮してしまうだろう。
 世間の離婚族はいったいどのようにしているのだろうか?
 わが身にもいつ請求書が届くかわからないので散財は出来ないが、それでも今のところは「手元に残ったお金は自由に使える」状態である。

 由香とのせっかくの昼食なので、「お昼のミニ会席」でもどうかと思ったが、由香のリクエストで「Aランチ」となった。
 ただし、場所は定食屋ではない。自家製ケーキを売り物にした喫茶店だった。お昼時だけOL層を狙ってランチを提供していた。
 時間帯によっては「喫茶店」になったり「定食屋」になったり「パブ」になったりという営業形態はビジネス街にはよくあるが、ここはもともと「ケーキ主体のお店」なので、可愛らしいインテリアになっている。男一人ではこういう店に入るのには勇気がいるだろう。
 12時にはまだ少し早いため、店はすいている。わずかな客は全て女性だった。

 由香はAランチふたつを注文すると、「係長、見て欲しいものがあるんですけど」と言った。
 俺は、「ああ」と、答えた。
 彼女は一枚のコピー用紙をセカンドバックから取り出した。広げるとそれはA4サイズの大きさで、地図が描かれている。
 俺はそれを一目見て、驚愕した。あの日、アヤコが俺に見せた「フライデーナイトアベニュー」の所在地を記した地図とほぼ同じ物だったからだ。
 アヤコのそれと比べて、由香の出した地図は几帳面に書かれている。やはり手書きである。「フライデーナイトアベニュー」の部分は赤いマーカーでなぞってあった。
 「これ、係長の家の近所じゃないでしょうか?」
 鉄道路線と駅があり、駅名が記されている。
 「そうだな。俺の家はこの駅からバスだから近所とはいえないが、最寄駅には違いない」
 「そう。よかった」
 なにがよかったなのかわからない。食事が運ばれてきたので会話は中断した。このエビフライがどうこう、米の品質がどう、などという話題になったからだ。
 ケーキ喫茶だけあって、食後は有無を言わさずケーキがついてくる。ウエイトレスがトレイにケーキ5〜6種類を載せて持ってきた。この中の好きなものを選べるという。さらに、飲み物の注文を取って、いったんウエイトレスは下がった。
 「なんだ、ケーキはおいていってくれないのか?」
 「アレは見本。食べられないわ」
 「そうか。良く出来ているな」
 まもなく注文のケーキと飲み物が手元に運ばれた。
 由香はひとくちレモンティーをすすったあと、一呼吸置いてから、「ここ」と、地図上のマーカーで示された部分を指差した。
 「ここ、フライデーナイトアベニューなんですって」

 俺はどう答えようか迷った。会社の仲間の間でも、飲み会などのときは「フライデーナイトアベニュー」が話題になることはある。いまさら「なんだ、それは?」としらばっくれるのは不自然だ。
 かといって「そうだよ」と言うのも変だ。俺はあの場所のことを誰にも打ち明けていないし、ましてやそこで一人の少女と出会ったことは俺だけの秘密である。
 「ここが、フライデーナイトアベニュー」
 俺は鸚鵡返しするのが関の山だった。

 俺の反応には何の関心も示さず、由香は言った。「間違いないのね、この場所」
 「ここがフライデーナイトアベニューかどうかなんて俺は知らない」と、俺は答えた。
 「そうじゃなくて。確かに、この地図そのものは出鱈目じゃないんですね、ってこと」
 白々しいと思いながらも、俺はしばらく地図を眺めてから、言った。
 「細部までは不確かだが、このあたりは大体そんな感じになっていたと思う」
 「そうですか」
 由香は満足そうに頷いた。地図をたたんでセカンドバックにしまい、そしてケーキに手をつけた。
 「その地図は、どうやって手に入れたんだ?」と、俺は訊いた。
 「ううーん、それは誰にも教えないという約束で、教えてもらったんですよ」
 「それは吹田さんの手書きだね」
 「はい。コピーはダメ、自分で写してって、言われましたから」
 「その人は、男か女か、どっちだ?」
 「女の人です」
 「俺はフライデーナイトアベニュー自体に関心はなかった。だから、ただの噂話として放置してきたが、中には真剣に探した奴もいる。でも、見つけることが出来なかった。君はどうやってその場所を知っている人とコンタクトしたんだ?」
 「すみません、それも秘密なんです」

 その夜、俺は由香と寝た。
 唇を重ねただけで、由香は豹変した。体の力を抜いて、全てを俺に預けてきた。お互いの口の中を舌でねっとりと味わい尽くした。
 由香は自分で服を脱ぎ、妖しい肉体を俺の目の前にさらした。幼すぎず、熟れすぎず、歳相応の肉体だ。由香は足元に衣服を脱ぎ散らかしたまま立っている。俺は、唇を重ねてから、その位置を徐々に移動させて行った。
 柔らかくて暖かな曲線が、俺に蹂躙されてゆく。
 くすぐったいのか、感じているのか、ナイーブな震えを肌に響かせながら、時折由香は「あ」とか「うん」とか声をあげた。
 胸から腰へ。そして、茂みの中へ。
 二本の足の谷間に舌を差し入れると、ため息を漏らしながら由香はその場に崩れた。俺は彼女を抱きかかえてベッドに運んだ。
 由香のセックスは積極的なものではない。どちらかというとされるがままだ。だが、それなりの経験は経ているようで、俺が愛撫をしやすいように微妙に身体の位置を変化させてくる。
 冷静に俺のセックスを受け入れているようでもあったが、喘ぎ声はどんどんエスカレートして行った。
 由香をラブホテルに誘うのは簡単だった。
 「フライデーナイトアベニュー。そんなところに興味があるのかい?」  寂しい男女が一夜の相手を求めて集う場所。
 「ええ、まあ」と、由香は言った。
 「どうして?」
 目的はひとつしかなかった。セックスだ。
 セックスフレンドや、まして恋人を欲する人が集まる場所ではない。あくまで一夜の交わり。ファーストネームだけを教えあい、相手のことは詮索しない。望むプレイの方法があるのなら、それは相手に伝えてもいい。だが、それ以上の会話は不要だ。2回目を望むのなら自ら連絡先を教えるのはかまわないが、それに応じるかどうかは相手の自由。
 非常に単純なルールである。後腐れなく性欲を満たしあうにはこれで十分である。
 「どうして、だなんて」
 「いや、そういう場所が実際にあるのかどうか、あるとしたらどこにあるのか。そんな興味だけなのか、それとも、そんな場所があるのなら自分もそこで相手を探そうとしているのか」
 由香は笑った。「しょうがないわね、白状するわよ」という笑いだった。
 「2ヶ月前に恋人と別れたんです。新しく恋人にしたいと思うような人は現れないし・・・」
 「したくてどうしようもない?」
 「・・・そんな言い方・・・、でも、その通りなんです。わたし、性欲強い方だと思います」
 「2ヶ月もよく我慢できたね」
 「係長が相手にしてくれないから」
 「俺でよければ」と、俺は言った。
 半ば会話上の遊びだったが、由香は嬉しそうに笑った。それは、懐かしい同級生に久しぶりに会ったときの笑顔だった。心を許しあった親友と何かの事情でめったに会えなくなり、そして本当に長い年月を越えて再会した時のような。
 「2度と合わない人なら1回きりでも構わない。でも、係長とは毎日顔を合わすわ。だから、1回きりだったら後が辛くなります。これから、時々そんな時間をとってくれますか?」
 「俺は今、フリーだ。全ては君の望むままに」
 「はい」
 「どこの誰ともわからない相手とするより、俺のほうがいいだろう?」
 「もちろんです」
 俺は何度も体位を変えながら、しつこく激しく由香を攻めた。
 その間に何度か由香は絶頂を迎えた。その瞬間、彼女は「ああ、もう」と叫ぶのが癖のようだ。
 俺はそれほど強くない方だが、今日はなぜかなかなかフィニッシュを迎えなかった。一方で彼女はすぐに登りつめるタチのようだ。
 由香は激しく呼吸をしながら、「もうだめ、もうだめ、今度こそ係長もイッテ」と叫んだ。俺はその言葉を待っていたのかもしれない。由香を四つん這いにさせ、後ろから腰をぶつけるように振った。まもなく終わりを迎えた。避妊をしていなかったが、「このままでいいか?」という俺の問いに、由香は「ああ、いい、お願い」と答えたので、彼女の中に激しく大量に精液を放出した。気持ちのいいセックスだった。
 長い長い挿入を経てようやく出した俺は、もうへとへとだった。俺は仰向けになってベッドに身体を投げ出した。由香はすぐにイクけれど、淡白ではないことをこの後思い知らされた。彼女は俺を口に含んで無理やり大きくし、その上にそっと腰を沈めてきた。
 一回は仕方ないとして、さすがに続けざまに彼女の中に出すのはまずいだろうと俺は思っていた。妊娠の危険性がどんどん高くなる。だが、この体勢では膣外射精はむつかしい。彼女の膣壁から巧みに伝えられる甘美な恍惚感に包まれながら、俺は夢見ごこちになっていた。2度目の射精。
 さらに俺は彼女の口の中にも放出した。唇と舌と指がペニスの先からアナルまで、とにかく性感に繋がるところはすべて愛撫で攻め立ててくる。
 全てが終わったのは午前5時だった。イク感覚はあってももはや何も出てこないし、立つと痛い。痛くなるまでセックスをしたのは久しぶりだった。
 少しでも眠っておかないと会社で辛い。放っておいたらまだ続けそうな気配なので、俺はベッドから這い出し、シャワーを浴びた。

 後で訊くと、由香は2・3日の徹夜はそれほど苦にならないとかで、一晩中やりつづけたこともしばしばあるという。
 「じゃあ、寝ずにやりまくってそのまま会社に来てたのか?」
 「彼がいたときはね」
 木曜日に始まったセックスは金曜日の早朝に終わった。一日乗り切れば週末だ。

 ほんの数時間だが熟睡することが出来たようだ。俺は由香と別々にホテルを出て会社に向かった。
 昼過ぎになると睡眠不足がこたえてきたが、退社するとまた眠気はなくなった。俺は「鷹」に立ち寄った。
 カウンターでアヤコが一人で呑んでいた。
 俺は彼女の隣に座った。
 「この店は未成年にも酒を出すのかい?」
 「年齢は関係ない。こちらのレディーは、立ち居振舞いもマナーも大人でいらっしゃいます」と、マスターは微笑し、ウインクした。
 「木村は?」
 俺はアヤコに訪ねた。
 「来ると思うけど、でも、どうかなあ」
 「彼女、1時間は待ってますよ。もうベロベロになる寸前だよね」と、マスター。
 「うん、そろそろ帰ろうかと思ってたんだけど」と、彼女は言った。そして、俺の耳元に唇を寄せて「でも、ヨシフミが来たから、もう少しいようかな」と、小声で囁いた。
 店にはマスターしかいない。そこで俺に耳打ちするのは、「マスターにはきかせられない」と言っているのと同じだが、マスターは詮索しない。客商売とはそういうものだ。
 昨夜から今朝にかけて、あれほどしたのに、俺のモノはいきり立っていた。アヤコが一人で店にいると知ったときからだ。木村が来ないうちにアヤコを連れ出せば、今夜も女を抱ける。
 「それより」と、俺はアヤコの耳にかすかに唇を触れさせながら、「どう?」と言って、彼女の太ももに手を置いた。
 アヤコはズボンの上から俺に触れた。堅くなっていることがわかると、強く握ってきた。オッケーの合図だ。




5月の2番目の金曜日 その(2)

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