エッセイスト 咲夜

【2】 イメチェン その2

 

 平成の元号が終りを告げた瞬間から、私たちの生活は大きく変わりはじめた。従来の価値観を揺るがす大きな法改正が連続して行われた。
 これまで、法改正によって私たちの生活が大きく変わる、なんてことがあっただろうか? 例えば、「旅行業法」が改正されて、旅の本質が変わっただろうか。「著作権法」に自分の著作が保護されているなんてことを意識して仕事をしている人がいったい何人いるだろうか? 消費税が3%から5%になって、即座に生活に困窮した人がどれだけいるだろうか?
 けれど、今は違う。売春も麻薬も認められ、義務教育が無くなり、高速道路が無料になった。消費税は20%、累進課税は最大88%。破綻するはずだった年金は過去最大の支給率を持ってしてもまだざぶざぶ余っている。
 そして、一番の変更点は、ハンムラビ法典の「目には目を」に近い刑罰の導入と死刑の廃止、そして極刑の施行だろう。
「システムに取り込まれることに慣れた日本人」は、それでもまだ、なんとなくのほほんと日々を送っている。そこそこみんなが生活できる社会だからだ。少なくとも、この雑誌を手に取ることが出来る層にとっては。
 しかし、社会の実体は違う。失業率は10%を超えているし、クスリに犯されて路上で果てた死体は毎晩当局によってひっそりと片付けられている。犯罪の加害者からは人権が奪われ、過酷な刑に処せられている。
 これらを出来るだけ近い場所にまで接近して、体感・実感した思いを、エッセイとしてしたためていきたい。

「ん〜。つまらない書き出しだなあ。こんなこと、誰もが知っていることだし」
 キツネは言った。
「これでいいんじゃないかしら。シリーズの最初だし、これはこれで仕方ないと思うわよ」
 新雑誌「ポズイン」の編集長、柳長命が口を開く。彼の台詞を文字にすると、まるで女性が喋っているみたいに聞こえることがあるけれど、れっきとした男だ。
 考えながら喋っていると、どうやらそういう口調になるらしい。
「改めて『売春と麻薬』が認められたと文章にされると、『お!』って思うし、『出来るだけ近い場所に接近して』ていうのがいいよなあ」
「そうか?」
「とある調査によると、かつてのソープ嬢と、今の売春婦の人数を比べたら、3分の一まで減っている」
 彼の頭の中には、企画のためのいくつものデータが詰まっている。それを口にするときは、なぜか女性っぽい口調にはならない。パソコンのディスプレイに次から次へと無機質に表示される資料をまるで読み上げているかのようですらある。
「どうして? セックスって、日々どんどんフリー化してるじゃない」と、あたし。
「売春業の税率は高いからねえ。その分、女を買うのもバカ高くなってるでしょう? 出会い系サイトを使った『援助交際』なんて、もはや皆無なんだよね」と、キツネは答えてくれた。
「罰則が厳しくなったからな」と、キツネが相槌を打つ。
「そうそう。そうなのよ。ネットなんてかつて言われた匿名性なんてまるでないことが実証されてるよね。地下に潜ったウリなんてのは、もはや我々には知りようも無いんよねえ。おかげで、女を金で抱いた、っていう男は、平成の時代の10分の一とも100分の一とも言われてる」
「金で買わなくても……セックスなんて、いつでも……」
 言いかけたキツネをあたしはギロリと睨んだ。
 キツネはこのあと、「やれる」と続けるつもりだったのだろう。けど、女の子のいる席で「セックスなんていつでもやれる」は無いと思う。それも、パートナーであるあたしの前で。いくらあたしが、恋人という特定の関係ではなくて、単なるセックスフレンドだとしても。
 あたしの気持ちに気がついたのか、キツネは口をつぐんだ。
 そのかわり、「ああも乱交喫茶が乱立したら、やり放題ねえ」と、柳がキツネを補足する。
「やっぱり、エイズが完治するようになったのと、ウイルスのワクチンが大量生産出来る様になったのが大きいな。もちろん、それだけじゃないけど」
「つーか、政府は煽っているように思えるわよ」
「で、どうするの? これでいいの? それとも、書き直し?」
 世間話に流されてしまいそうな二人に、あたしは強い口調で言った。
「ええ、ええ。これはこれでいいわよ」と、柳。「それよりもねえ、肝心の本文、頼むよねえ。出来るだけ近い場所にまで接近して、体験してきてよね」
「はいはい、わかってますよ」

 あたしはもう、なんでもやってやるよ、という気分になっていた。
 何しろ、「ポズイン」創刊号の表紙、これを引き受けた時点でもうあたしの中ではナンデモアリなのだ。

 表紙にで〜んと掲載されるのは、あたしの全裸写真。それもただ全裸でポーズをとっているとか、その類のものじゃない。ハメ撮りだ。あたしは仰向けに寝ていて、大きく足を開いて宙に浮かせている。両足の間にはキツネが崩れた正座で陣取っていて、あたしの足を両手で広げながら持っている。そして、あたしの股間にはキツネのアレが見事に挿入されていた。
 しかもあたしは、イク瞬間の表情をさせられている。実際にキツネとエッチしながら、鏡を見せられて、「これ、この顔。咲夜、今、イッテるでしょ? この顔を撮影の時にはして欲しいんだ」と注文を受けたのだ。
 これまであたしは著者近影を公開していないから、この表紙写真のモデルイコール咲夜だとは、誰にもわからない。今までにワンナイトを楽しんだ男たちは気がつくかもしれないけれど、彼らだってあたしが咲夜だってことは知らない。
(だけど、親が見たら、泣くだろうな)
 創刊号ではこの表紙モデルが誰かについては触れないことになっている。けれど、これから徐々にそれとほのめかして、いずれこれが「本誌で連載しているエッセイストの咲夜である」とバラす、というのが誌の方針だ。
 それまでにあたしは、「なんでもアリライター」として名前を売らなくちゃいけない。もう「生活実感等身大エッセイスト」としては書けないだろうから。

「俺はこの写真には不満だなあ」
 ゲラ刷りを見ながら、キツネが言った。
「どうしてえ? ハメハメしてる極部もちゃんと写っているし、キツネちゃんのデカさもバッチリわかるし、いいんじゃない」と、柳は満足げだ。
「咲夜の良さが完全に表されていないんだよ」
 言い切るキツネに、(あたしの良さって何よ!)と言ってやりたかった。
「これで、別の男のを咥えて、ケツにもバイブがささっている、くらいじゃなきゃ」
「え〜! ちょっと、冗談じゃないわよ!!」
 叫ぶあたし。でも、柳の反論の方が激しかった。
「ちょっと、もう! ポズインはエロ本じゃないのよ。社会派雑誌よ。この表紙は、変革する社会の象徴なんだから。ズリネタじゃないのよ」
 ズリネタと言われてあたしは力が抜けた。
「確かにな。モザイクが必要なくなってから何年にもなるけど、修正なしのハメ写真はインパクト強いよな」

 で、あたしの第一回の取材先はドラッグ喫茶。
 あたしはカメラマンと一緒に、編集部でアポをとってくれていたドラッグ喫茶の一軒を訪ねた。

 法改正でそれまで禁止されていた麻薬の多くが、「場所を限定」することで認められるようになった。平成時代にもドラッグ喫茶のある国はあったようだけれど、あたしは知らない。
 ともあれ、相次いで行われたこういった法改正は、過去や海外も含めて、「いつかどこかであったこと」が参考になっている場合が多いと聞く。

「体験してみますか?」
 店長に薦められて、あたしは「はい」と答えた。
「度胸ありますね。好奇心はあっても普通の人は若干なりとも躊躇しますよ」
 実はあたしはクスリには慣れている。キツネと一緒に媚薬の類をしょっちゅう楽しんでいるからだ。
 こういった類のものが危険なのも承知している。法律で禁止されていないのは「安全」だからではなくて、「危険性がまだわかっていない」だけだからだ。お咎めなしだったクスリや成分は、いつだって後になってからご法度になる。
 だけど、この世の中、明日がどうなるかなんて、誰にもわかっちゃあいない。今の快楽に耽けるのが悪いことだとは、あたしにはどうしても思えないのだ。
「じゃあ、これにサインをしてください」
 誓約書というか登録証というか、そういうものだ。内容を読み、了解であれば署名の上、登録する。それだけである。

 書かれている内容はそれほどむつかしいものではない。
 まず、クスリの影響が身体から完全に抜けるまでは、店から出てはならない。これが一点である。
 ドラッグ喫茶には、2種類の個室を用意することが義務付けられている。クスリが抜けるまでの間に滞在するシングルの小さな客室と、クスリでおかしくなってしまった人を収監する頑丈な部屋である。クスリが抜けるまでは、前者の部屋に滞在する。
 後者については、政府より発表されているので、その存在は明らかにされている。だけど、多くの人は「麻薬といっても所詮はしっかりした管理下でのこと。かつてのようにクスリで身を滅ぼすなんてことはありえない」と思っている。
「どんな部屋なんですか?」
「ノーコメントですね。取材も見学も許可されません」
「じゃあ、その部屋に入った人を取材することは?」
「取材にきちんと答えられるような状態なら、そんな部屋に入れられたりしませんよ」
「じゃあ、部屋に入ったあとはどうなるんですか?」
「係員が専用の車で回収に来ます。そのあとのことは知りません。ただ、社会復帰したという話は聞いたことがありませんし、お店にも二度と現れませんね」
 多分、処分されてしまうのだろう。その人にだって、家庭や会社があるだろうし、ある日突然、収監されておそらく安楽死させられてしまうなど、人権とかの観点ではどうなんだろう? このあたりのことはあたしなりの意見というか思いを記事に出来るかもしれない。廃人になってしまうのがわかっていて、その処分をきちんとするからといって、国としてドラッグを認めてしまうのはどうなのだろう? いくつかの疑問が持ち上がる。

 次に、「モニターのための電波発信機の膀胱内埋め込みを了承すること」とある。
「尿成分と、体内を流れる微弱電流の解析機能があります。これらの情報を分析して、常に当局に電波送信する装置です。これにより、当局に常にあなたの身体情報をモニターされることになります。激しい幻覚とか精神錯乱とか、要するに他の人へ影響を及ぼしそうな状態になったら、当局が察知し、あなたは回収されることになるわけです」
「そのあとはどうなるんですか?」
「これも私は存じません。けれど、多くの人の想像通りでしょう」
「でも、なんか、ずっとモニターされるなんて嫌だな」
「だけど、人物は特定できませんよ。電波の発信場所は特定できますから、そこにドラッグをやった人がいて、その人が正常を保っているか、異常な状態になってしまったか、それだけがわかるようになっています」
「要するに、人に迷惑をかけなければ、麻薬もやり放題。けれど、人に迷惑をかける恐れが出たら、処分されるってことですね」
「そうです」
「それに、電波を発信している人が誰か、を特定できなくっても、登録用紙には住所も名前も書くんだから、当局は『誰が麻薬の常習者か』を常に?んでいることになるわよね」
「まあそうですね」
「だったら、発信機にシリアル番号をつけて電波と一緒に飛ばせばわかるんじゃないの? 政府のやることで、匿名性が維持されたためしなんて無いじゃない?」
「そんなこと私に言われても困りますよ」
「そりゃあそうかもしれないけどさ」
 あたしは何か釈然としないものを感じた。
「ま、地球が滅亡の危機に瀕しているときに、地下シェルターに入るとか宇宙へ移住するとか、そういうときの優先順位が下がるのだけは確かでしょうね」
「冗談のつもりで言ってるのなら、悪趣味よ」

 その機械は、長さが2センチくらい。両端は流線型とでもいうのか、細くなっていて、先端は丸みを帯びている。中央の一番太い部分で7ミリ程度だった。
「これをどうやって入れるの?」
「尿道から押し込みます」
「げ」
 あたしは一応驚いてみせた。
「女性は尿道が短いから、わりとすんなり入りますよ。男性は大変です」
「苦労して入れても、流れ出てくるんじゃない?」
「膀胱内で尿を感知すると、手足を伸ばします。細いアンテナがにゅう〜っと生えてくるって感じらしいです。いったん入れると排出されることはありませんので、安心してください」
「それはどれくらいの時間で?」
「4〜5時間もあれば、完全な状態になると聞いています。あ、でも、日常生活には支障はないですよ」
 身体に異物を挿入しておいて、日常生活に支障がないわけがあるまい。ドラッグを自由にやらせておいて、廃人になったら処分したらいい。そんなことを考えるような当局だもの、本当に「支障のないもの」などを開発しているとは思えない。

「わかりました」
 あたしはニヤリと笑った。
 咲夜さんをなめるんじゃないよ。尿道プレイの熟練者なんだから。まだ彼の本体は入らないけれど、親指程度ならラクラクだもの。こんなものあとで取り出してやる。
 だけど、どうやって記事にしよう。誓約書にサインをしたのに、取り出したりしたら、きっと何らかの罰則があるんだろうな。だとしたら、それを記事にするって、自分の罪を公表するようなものよね。それはまずいよなあ。
 ちょっと考えて、あたしはオシッコと一緒に放出されてしまったことにしようと決めた。そして、機器の欠陥として記事に書けばお咎めはないだろう。

 あたしは書類にサインをした。

 モニター機器の埋め込みは、白衣を着た男性がやってくれた。
 カメラマンがその様子を何枚も撮影する。まいったなあ、もう。
 白衣の男性は、「相当遊んでるなあ」と呟いた。
「こういうことは、事務的にやってくださいよね。少なくともアソコをさらけ出してるんだから」
 取材じゃなければブスっと無口でいるんだけれど、原稿を書かなくちゃならないから、どんなことでもネタを拾いたい。
「でも、遊んでるでしょ?」
 呟きだったのが、今度ははっきりとした会話用の言葉となってあたしの耳の届いた。
「しつこいと、記事にしちゃいますよ。こういうのって、セクハラの一環になるんじゃないですか?」
「知らないの? 麻薬する人は、法的にもワンランク下の扱いを受けるんだ。まあ、日常生活には支障がないけどね。でも、訴訟とかそういうことになったら、人権とか色々制限されるんだぜ。説明書、読まなかった?」
「だけど、誰が麻薬してるかなんて、わからないじゃない」
「この機器を埋め込むんだよ。レントゲンとか、その他の方法で簡単にわかるんだよ」
「あ、そ」
 あたしは記事にしようと決めた。

 手続きを全て終えて、あたしは「登録者カード」を貰った。次からは、これを見せればどんなドラッグ喫茶でもフリーパスになる。
 聞けば、登録者の全てがドラッグをするわけではないという。そのうちいつかクスリをしたくなるかもしれないからと、カード取得のためだけにサインをして機器を埋め込む人もいるらしい。ストレスと不安感が、「もしかしたら自分も麻薬に手を出したくなる時が来るかもしれない。そんな時に、いちいち手続きをするのは面倒だ。速攻でクスリをキメたい」というのがその動機とのことだ。そう思った時点で既にその人は追い詰められているとあたしは思う。ともあれ、それだけ平静ではいられない世の中なのだと思う。
 ドラッグにおぼれている人よりも、むしろそんな人に取材できはしないだろうか?
 だけど、どうやって?
 ドラッグを実際にやっている人を取材するには、店に入ればそれで済むけれど、手続きだけしてドラッグ未経験という人にはどうやってアプローチすればいいだろう。そんなことを考えながら、あたしは手続き場所の隣にあるドラッグ喫茶に入った。

 店内のレイアウトは普通の喫茶店と変わりない。テーブルの上には、もちろんコーヒーやジュースなどの飲み物があり、サンドイッチなどの軽食を取っている人もいた。
 しかし、空気というか雰囲気はどんよりと重かった。タバコだけではない、あらゆる種類の煙が充満して異臭を放ち、客たちの目はどんよりとしていた。嬌声をあげてはしゃいでいるものと、死んだように机につっぷしているものとの落差がひどかった。
 店の片隅でうずくまっている男は裸で、ペニスだけが極端に怒張していた。セックスしている男女は、多分、恋人などではなく、ここでトリップしている者どうしだろう。その隣ではひっきりなしにゲロを吐いている女がいた。
 カウンターで静かに何かを飲んでいる人もいるし、ふらふらと歩き回っている人もいる。
 経験が浅いのか、この様子をしかめっつらで眺めている客もいたが、目だけはギラギラしていて異様だった。

「いらっしゃいませ。登録カードはお持ちですか? はい、結構です。では、ドリンクとドラッグをご注文ください。メニューはこちらです。アッパー系とアンダー系をカクテルするのが人気ですよ。ただし、初心者の方は軽いものからお願いしますね。いきなり心臓発作とかで死んじゃう場合もありますから」
「それより、お手洗い……」
「あちらでございます」

 あたしは膀胱まで指を突っ込んで、モニター用の機器を取り出した。少し出血した。取り出した機器は便器にそのまま落とした。ポチョン、と寂しげな音がした。女子トイレまで男性のカメラマンを呼ぶことは出来ない。というか、手続きをしていないカメラマンは店内にすら入れない。吸う麻薬がある以上、店内に入るだけでも影響があるからだ。あたしは自分で便器に落ちたモニター機器を撮影した。ポケットにはいつも小さなデジカメを入れてある。撮影を終えたあたしは、水の中のそれをしばらく眺めた後、水を流した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 へへへ〜。もし、ちょっと驚いたり、引いたりしてくれたら、作者としては嬉しいです。つまりこれは、現在ではなく、近未来が舞台です。そして、現在のいくつかの価値観に「ノー」と言っている世界観の上に成り立っている物語です。それにより、現在の価値観をまた明らかにしていこうという試みでもあります。
 決してエロ小説でないこともご理解いただけましたか? 尿道プレイにまで手を出している咲夜を描くために、セックスはなんでもありな女性をキャラとして登場させねばならなかったのです。ま、エッチシーンも描きたいけどね。好きだから。
 さてさて。久しぶりの新作に、いつになく気分良く書いている峰ですが、このテンションがどこまで続くかなあ〜?