エッセイスト 咲夜

【3】 イメチェン その3

 

 あたしは、店長のおすすめカクテルに従って、差し出されたカプセルみっつを、コーラで飲み干した。口の中で感じるのは、コーラの甘みと炭酸のはじける感触だけで、特別な味はしない。
 カプセルに入っているのだから、当然といえば当然だ。
 クスリの摂取方法は大きく分けて三つある。飲む、吸う、打つ、だ。胃でカプセルが溶けて、じわじわと成分が吸収されるのを待たなくてはならない「飲む」は効果が現れるのが遅く、しかも弱い。即効性が高いのが「打つ」、すなわち静脈注射である。飲んだ場合は何パーセントかは吸収されずに排泄されてしまうが、注射なら間違いなく100%が摂取され体内を駆け巡るから、効き目も大きい。
 その中間に当るのが「吸う」であるが、これにはクスリの効き目と同時に精神的な作用がプラスされる。飲むも打つも一瞬だが、吸うはそのための時間が必要だ。「ああ、自分は麻薬をやっているんだなあ」としみじみ思いながら、吸うのである。

「初心者は、飲む、か、打つがいいね」と、店長は言った。
「どうして?」
「吸うはね、途中で迷いが生じてしまうんですよ。こんな悪事に手を染めていいのか、って。でも、途中で止めると悲惨だから。幸福な気分も味わえないし、でも、クスリが抜けるまで部屋から出られない」
 あたしは、体験記をレポートしなくてはならないので、いきなりガバッとクスリが効きはじめては困る。だから、ゆっくりな「飲む」を選んだわけだが……。
「ま、本当はあんまり初心者に打つは薦めたくないんですよ。ショックで心臓止めたりする人がいるからね。でも、飲んだはいいが、やっぱりクスリが効きはじめるまでに『やっぱりいやだ〜』とかって、錯乱して暴れる人もいるから、店長という立場からすると、さっさとトリップしてコーフクになっとくれ、ってとこですよ」

「クスリの効用とか、その人が安全な状態からはみ出してしまったとか、そういうのはどうやって判断するんですか?」
 そう質問しようとして、あたしは自分の舌がもつれていることに気がついた。もうクスリが回り始めているのだ。
 けだるいような脱力感。日常生活なら、「やば。風邪の初期症状かしら。気をつけなくちゃ」と気合を入れるところだが、そんなもの入るわけもなく、時々こみ上げてくる嘔吐感に身体を弄ばれる。
 吐きそうになるのを我慢するとか、いっそのこと吐いてラクになってしまえとか、そういう自分の意思などどこにもない。ただ、ゲロっとこみ上げてくるものを感じているだけである。
 椅子から転げ落ちたが、痛みは感じない。頬に触れた床の冷たさが、遠く離れては近くに接近する。この世のものと自分との存在が切り離されて、意識は鮮明になっていくのに、何も考えられない。

 そしてあたしは、迂闊にも気持ちい、と感じたのだ。

 何もかもがどうでも良くなって、意識が暗闇に吸い込まれてゆく。肉体はずっしりと重く、支えられずに、床に完全に横たわる。にも関わらず、どこかを漂っているみたいな。
 ガクガクと身体は震えているのに、寒くは無い。けれど、体温が急速に冷えていく。
「店長、このお客さん、初めてなんでしょ? ちょっとやばくないですか?」
「取材とか生意気なことを言ってるから、こんな目にあうんだよ」
「アレを飲ませたんですか?」
「そう。一発で中毒になるか、死ぬかのどちらかだよ」
 ひそひそ話なのはわかるけれど、なのにどうしてこんなに耳元で大声を叫ばれているように聞こえるんだろう?
「こんなとこで死なれちゃやばくないですか? せめて隔離室に運んでからじゃないと……」
「店長職は公務員なんだ。廃人を処分するのも公務員。わかるだろう?」
「はい……」
 そうか。あたしは半分の確率で死ぬのか。そして、あたしをハメた公務員は、公務員同士でもみ消し工作をするのか……。

 光ひとつない。どこかに閉じ込められたのか、視覚を失ったのか、わからない。
 なにもない。
 なにもないのが、こんなに気持ちいいとは……。
 このまま、死んでしまいたい……。

 脳みそまでもが性器になったようだ。あたしは次から次へと犯されている。その全身を駆け抜ける快感は、市販の媚薬では味わえない。
 溢れ出るラブジュースと、次々に流し込まれる精液に、全身が歓喜に打ち震えている。

 全身を包み込む陽気なリズム。あたしは踊り、唄い、笑う。

 あたしは嫌われ者。
 みんながあたしの悪口を言う。
 ああ、死んでしまおう。もう、死んでしまおう。死ぬことしか考えられない。
 でも、さっきからあたしに精液をかけまくっている男。この男だけがあたしを愛してくれている。なんて幸せ。
 キャ〜〜。
 この男のために、愛を叫ぼう。
 ああ、なんて気持ちいいの。とろけてしまいそう。

 悪い血は全て吐き出さないと。もう何度も何度も吐血したけれど、あたしの血はまだ黒い。
 ウ、ゲエ〜〜。
 ああ、また身体が軽くなった……。

 くるくる、くるくる。
 世界が回る。
 自分も回る。
 風が爽やか。
 ああ、あんなに苦しんでいたのが嘘みたい。

 いても、いいの?
 こんな、あたしでも?
 そう、いてもいいのね。
 優しさと、愛に包まれて、幸せだわ。

 別にもうどうでもいいわよ〜。
 何もしたくないし、何も考えたくない。
 そんなの、無駄だよねえ。
 いいじゃない、楽しいんだからさあ。

 幸いあたしは正気を取り戻し、“処分”されずに済んだようだ。
 清潔なベッドの上で目を覚ますと、サイドテーブルにあったミネラルウォーターのペットボトルをガブ飲みした。ボタンひとつでウエイターを呼べるという表示があり、あたしはおかわりを3回した。

 聴診器を当てられたり、瞳孔の検査をされたりして、最後に尿検査を受けて、店を出ることを許された。

「ふん、この客、これで中毒にでもなってくれたら常連として死ぬまで巻き上げられると思ったのに、相当クスリには慣れてるみたいだな。どうやって取り出したか知らないが、膀胱の発信機もないときた。おかげで検査にも手を掛けさせられたぜ、全く」
 店長の声が聞こえる。わざとか?
 いや、声のトーンはひそひそ話だ。それがまるで、クスリが効いている最中に聞こえたあの会話のように、はっきりとあたしの耳の届く。
 どうやら、副作用? 完全にクスリが排出されていない? それとも、幻聴?
「なにが初心者だよ。こいつ、影で遊びまくって……、う、あ、ありがとうございました」
 幻聴なのか、ヒソヒソ話を聴く能力が身に付いてしまったのか、それを確かめるために、店長の言葉が切れないうちに、扉をおもむろに開けてみた。すると店長は、慌てたように「ありがとうございました」と態度を客用に切り替えた。
 どうやら、幻聴ではないらしい。

 あたしが記事を書いた「ポズイン」創刊号は売れに売れた。
 表紙の写真のせいで、手に取ってくれる人が多かったのは言うまでも無いが、社会派雑誌として力の入った記事が掲載されていたからでもあった。
 創刊号なので、それなりの宣伝もした。しかしそれは、あくまで車内の中吊り広告やラジオや、書店のポスターなどである。とてもテレビ広告までは手が出ない。
 テレビでCMこそ流さなかったが、発売日の夕方のニュースではもう話題になった。翌日の新聞にも掲載された。

 あたしの記事も評判だったが、残念なことに書き直しを命じられたので、言いたいことの全てが表現できたわけではない。
 あたしの記事のスタンスが基本的に「こんなやり方、間違っている」という論調だったのがダメだしの理由だ。麻薬を娯楽として解放するかわりに、完全な監視下におき、かつ廃人になってしまったら問答無用で切り捨てる、ということに疑問を感じたからだ。

 麻薬の蔓延が社会現象となり、また、麻薬の力を借りないとどうしようもないところまで追い詰められた人間が多数出現する現実を見れば、「麻薬を解放するかわりに、監視下において、一般人に迷惑が及ばないようにする」というのは、ある意味、正しいやり方かもしれない。
 法改正がなされたとき、多くの人はそう感じた。
 しかしそれは、「麻薬」なんかに自分は手を出さないという自信があり、また麻薬に手を出す人を見下してさえいたからこそ、多くの人はそう感じたのだとあたしは思う。だからこそ、「そんなやつは社会から駆逐されても仕方ない」というところにさえも行き着くことができるのだ。

 けれどそれは、「麻薬は禁止」という前提があってこそ成り立った概念だ。

 条件付であっても禁止が解かれれば、それはもう悪ではない。麻薬を服用したからといって、人に後ろ指はさされない。誰かに見下されるいわれなど無い。堂々とドラッグに溺れられる。そんな状況を作っておいて、最終的に処分、というのは弱者切捨ての理論だ。

 またあたしは、この新しい法律に別の側面も感じ取っていた。
 最終的に処分されてしまうのなら、それは条件付の「容認」ではなく、やはり「禁止」であることには変わりは無い。しかし、なんでもかんでも「禁止」することに、極端に神経質になっている市民団体などもある。政府は市民団体に弱い。この「容認」はそれら市民団体へのガス抜きの側面が見え隠れする。
 また、現実問題として、安全性(すなわち危険性)が確認されていないドラッグは流通しているのだから、そういう禁止は片手落ちであって、その片手落ちの指摘を逃れるための方策でもある。

 そこには、大義名分も正義も何もない。

「でもね、咲夜ちゃん、それはあなたの主張であってねえ、証拠は何もないのよ」
「だけど、多くの人が気づき始めているわ」
「そうよ。それは間違ってないと思うわよ。けれど、今回の取材はその考えを検証するためのものじゃないし、『ポズイン』はそもそも政府バッシングの雑誌じゃなくて、読者に自分で考えてもらうための雑誌なのよ」
「だったら、エッセイなんていらないじゃない。レポートだけでいいでしょ!」
 編集長とやりとりしながら、あたしはいつのまにか泣いていた。
 頬を伝わる生暖かい水滴の存在に、自分でも驚いた。
 でも、すぐに納得した。
 あたしは、命をかけて取材をし、そして、感じたこと、気づいたことを、真摯に、テキストに叩きつけたのだ。
「気持ちはわかるわよ。だけど、表現者として、『どこまで表現するか』ってのはとっても大事なことだと思わない?」
 編集長はコーヒーをすすめてくれた。
「まじめに、一生懸命に、書けば……、読者には伝わるわよ。むしろ、エキセントリックに政府バッシングをしたら、読者は引いてしまうものなの。あなたの考えを押し付けたって、頷いてくれる人はたかが知れているわ。でも、読者が自分で考える材料を提供したら、もっともっとたくさんの読者が、あなたの言おうとしていることに気づいてくれると思うのよ」
 編集長の淹れてくれたコーヒーは美味しかった。胃から心にまで染みた。だから、あたしは書き直すことにした。
 あたしをとりあえず説得しようと詭弁をふるうような人に、こんなコーヒーは淹れられない。本気の人にだけ出せる味。
 編集長は、本気で、きちんと読者自身が気づいて欲しいと願っているのだ。

 書き直した原稿には、その場でOKを貰えた。
「だけど、本当にこれでいいんでしょうか? 感じたことの全てを書けたとは思えないんです。柳さんのお気持ちはものすごくわかります。だから、書き直しました。けれど……」
「咲夜ちゃん的には納得できてないんでしょ?」
「はい……」
「答えは読者が出してくれるわよ」

 話題が話題を呼んだ「ポズイン」創刊号は、あっという間に店頭から消えた。手に入らないという苦情が殺到し、雑誌としては異例の増刷を行うことになった。
 けれど、創刊第2号の取材・執筆を、あたしは断念せざるを得なくなった。クスリの後遺症で入院しなくてはならなかったからだ。
 突然、襲ってくる脱力感や、幻覚・幻聴。駅の階段で意識不明になって落ちたこともあった。これがホームでの出来事ならと思うとぞっとした。昼夜を問わずに、苦痛でうずくまることもあった。直感的に「クスリが欲しい」とその時は身体が脳に命令した。禁断症状である。
 一発で中毒になってしまっていたのだ。
 あたしの記事が載っていない第2号は、売れ行きが激減した。熱しやすく冷めやすいマスコミは、第2号はちっとも取り上げてくれなかった。増刷した創刊号以上の販売数を見込んで印刷した社は、返品の嵐に大打撃を受けた。
 あたしは「生活実感等身大エッセイスト」としての仕事を全て切られた。たとえ継続していたとしても、入院のために執筆どころではなかっただろう。

 3号のスケジュールが迫っていた。あたしは完全には復調していなかったけれど、半ば無理やり退院をした。あたし自身も、「ポズイン」も、そしてポズインの出版社も、巻き返しを図らねばならなかった。
 次の取材対象は「乱交喫茶」だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いかがでしたでしょうか。これにて第一話の完結です。もしかしてこれはそういう方向性の作品なのかな、と「そういう」を感じ取られた方がおられましたら、たぶん正解です。

 昔、構想したときは、主人公は少年でした。そして、とりあげる題材も、もっと少年らしいややもすれば青臭い正義感と爽やかさを含んだものでした。舞台も全くの現在。主人公はどこにでもいる非力な少年ですが、眠っているとき、夢の中で大活躍するのです。少年にとっては夢ですが、それは現実世界に一人の少年として実体化し、行動を起こすという設定でした。
 こんな風に作品が姿を変えてしまったのは、ひとえに僕が年を取ってしまったからでしょう。

 僕の連載作品としてはわりとハイテンポで掲載してきましたが、第2話までには少しインターバルを頂戴します。そして、第2話が始まったら、やはり少し早いテンポで掲載していこうと考えています。これは「四季」についても同じです。
 こんな感じで、いいですか?