Boy Meets Girl
「side KYRIE」

9.記憶

 タクトがいないリビングのソファは、父親のゆりかごに他ならない。家事をこなすものがいないその家は死んだも同然。泥のように眠る彼を、最低限の優しさで包み込む。

「教授、それでは"双子"は完全なる"複製"ではないと言うことなんでしょうか?」
「育てる過程において一卵性で生まれた場合でも、育つ環境が違えば、やがて形骸はその名残りをとどめても全く違う人間として育つ可能性がある」
 ブラインドの隙間から外の景色を眺めていた男は、助手らしき若者に振り返った。
「"R計画"で近い未来、オリジナルとすりかわる為に、そして"レプリカ"の寿命を延ばす為にも、地球の"二の舞" は出来る限り避けたい」

 再び若者が疑問を口にした。
「ではシノワーズ教授、我々が"R計画"完遂の為に、この身をもって……」
 シノワーズと呼ばれた精悍な顔つきの中年の男は、低い声で相槌を打つ。
「我々が"レプリカ創世"のために、実験体を兼ねて移住するのだ。未来永劫に"絶対"はありえないが、我ら人類 が生き残るための、何万億の一の可能性であっても、見逃すわけにはいかないのだ」

 シノワーズは、薄暗い室内をぐるぐると歩いた。天井のファンが、止まるか止まらないかの動きで、ゆるゆると回っている。
「こんな作業を、誰が嬉々として携わる? だが"R計画"は、"Rebirth"すなわち"地球を蘇生させる"命題でもある」
「教授……もしや"R計画"というのは、単なる"レプリカ(複製)" ではなく?」
「私が妻と娘を捨てた償いは、この星の整備に他ならないだろ?」
シノワーズは冷ややかな笑みをみせた。

「我らが死んでも、それは歴史の中の砂塵にもならない。記録に残らずとも人類が生を受ける限り、何度でも"コピー" を繰り返していくのかも知れない」
 二人は短い休憩を終えて、その部屋を後にした。

 まだ、地球と呼ぶにはこの星は、"これほどまでに似通っているが、どれもが不足している"。
 何年かかれば、この複製はオリジナル、いや地球になれるのだろうか? 我らの故郷と呼ぶにふさわしいあの地球に…… 彼は渡り廊下で見上げた月に、子供の頃の地球を思い出す。

 シノワーズは、マスクをつけて帰路につく。ポッド(一人乗りの簡易浮遊車)を使えば、ものの十分もしないで家に着くのだが、唯一の家族である息子が、"オリジナル"に旅行中だ。誰もいない部屋に慌てて帰ることもない。作業服は、風にあおられても飛ばされないように設計されている。普通に歩行するより、はるかに困難であるが、絶えず砂塵が舞うこの星の環境を知る上でもこの足で歩く方が手っ取り早い。

 彼は息子には"環境整備士の類"だと言ってある。"R計画"の発案であり、指揮を執っているコトなど、到底知らせていない。いつか息子が"独立"する頃には、話してもよいかと思っている。そして、お守りの中に写った女性と、息子とDNAを同一にした娘がいたことも。

 いつか話そう。それが"オリジナル・ラヴ"のヒントにでもなればいい。

 愛することは いつも傍にいることではない。
 愛することは 絶えず抱きしめることではない。

 いつか話そう。自分が恋をしたあの頃を。いつか話そう。唯一愛した"お前の母さん"のことを。

 週末は仕事を早く切り上げて、久しぶりに食事でもしよう。そうそう、チューブやシリアルじゃない"キチンでの食事"を。シノワーズの目に我が家が映る。暗い寝室よりもソファなら温もりをまだ感じられる。

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