アスワンの王子
凶都の6 舞台公演 2





 

 ヨウシャは唄い終えた。
「よしっ!」と、スズナスは心の中で叫んだ。鼓膜を心地よく振るわせ、精神の深いところまで届く、ヨウシャの歌。しかも暗闇の中で、である。視覚というもっともわかりやすい人間の感覚が奪われた状態だ。次に人が頼るのは聴覚だ。暗闇は人を聴くことだけに集中させる。
 挿入されたままの最高の状態で紡ぎ出されたヨウシャの歌は、観客をしびれさせたに違いない。スズナスは確信していた。
 こういう場合、すぐに拍手は起こらない。まず最初に、しばらくの静寂が訪れる。そして、我に返った客からチラホラと拍手が始まり、それに誘発されるように場内に拍手の波が広がる。それはさながら集中豪雨のように激しく空気を叩き、観客のそれぞれが、自分の受けた感動の度合いを口笛や嬌声で表現しはじめる。会場の空気が熱く揺らぐ。その頃合を見計らって照明を点けていこうと打ち合わせてあった。アクターは舞台の上から拍手と完成を浴びながら頭を下げる、そんなシーンをホトケノは思い浮かべていた。
 ところが・・・・
 いつまで経っても拍手が始まらない。
 そもそも、「静寂」が訪れなかった。一定レベルの人のざわめきが常にあった。ざわめきは徐々に大きくなってくる。
 スズナスは戦慄した。「なに? 今の歌。全然ダメね」「こんな公演に金を払いに来たんじゃない」等々、客達が不平不満をささやき合っているのだろうか?
 いや、そうじゃない。空気は確かに熱い。声援や嬌声はきこえないが、喘ぎ声が聞こえてくる。
「おい、照明」
 ヨウシャの下で何度も射精をしてうっとりしていたホトケノに、スズナスは指示をした。慌てておきあがり、ステージ上のそこここに設置した蝋燭に火をともしてまわるホトケノ。合図を受けて会場の裏方も観客席に灯りをつける。観客席に設置された蝋燭は、舞台観賞の邪魔にならないようにするため、数はそれほど多くはない。それでもホール全体がほのかな明るさの中に浮かび上がった。
「な、なんだ、こりゃああ」
 スズナスは仰天した。

 ヨウシャの声は、決して官能的だとか、妖艶だとか、そういう類のものではなかった。むしろ純粋に歌を愛し、心の叫びのように唄った。だが、その純粋さ所以だろう。ヨウシャは間違いなくその瞬間セックスを謳歌していた。それが聴く人全てのココロと身体の隅々にまで届いていたのだ。
 客席ではセックスとオナニーが繰り広げられていた。
 きつく抱き合うもの、熱くくちづけを交わすカップル、ガールフレンドの服を剥ぎ取って乳房を握る男、彼の前にしゃがみ込んで股間に口を這わせる少女、椅子に座ったまま交わる夫婦、前の客席に手をついて尻を突き出す女と腰を振る男。そこには様々な痴態が繰り広げられていた。通路を使って正常位に励む男女までいる。
 もちろん全ての客が二人連れとは限らない。ホモもレズもいたし、オナニーに夢中になっている者もいた。オナニーをしている男と女による即席のカップルもいくつも生まれたろう。
「あ、あ・・・・」
 どうしたらこの状態に収拾をつけることが出来るのか、ホトケノには全くアイディアが浮かばなかった。

 ソワンもまた男に抱かれていた。しかも、3人の男に。1人は老人だった。ソワンが身を隠す場所を探してさまよい、ようやく見つけた廃屋の住人である。町外れ、というよりほとんど山中の小屋だった。都は周囲全てを城壁に囲まれているわけではない。山に接している部分には城壁はないからだ。そして、山という天然の要塞を利用して王宮が築かれている。ただし、山の全てが王陵という訳ではない。あくまで一部だ。山はもともと猟師のものなのだ。王宮部分はきっちりとガードが施され警備兵も配備されているが、それ以外の場所は人の手の及ばない場所。猟師でなければおいそれと踏みこむことは出来ない。犯罪者や逃亡者の逃げ場になっているが、そこは想像を絶する過酷な場所。道を失いやがて命果てるだけなのだ。もちろん軍団で行動できるような場所ではないから兵士だって近寄らない。山を越えたときに兵力が半減していては戦争になどならないからだ。魔道部隊を脱走したソワンが逃げ込むには絶好の場所といえた。ただし、死の覚悟と引き換えだ。
 だが、ソワンの生への執着が、奇跡を起こした。死の一歩手前で、廃屋に辿りついたのだ。実際にはそこ廃屋ではなく、この老人が細々と生活をしていたのだが。
 ソワンを抱くもう一人の男はスパイだった。どこから送りこまれた間諜なのか、本人さえももう覚えていない。すぐそこまで迫った生命の危機に気が触れてしまったらしかった。今は老人のために食べられる草や木の実を採集し、小川で衣服を洗い、燃料のための枯れ枝を集めるなどをして日々暮らしていた。年齢はわからない。生気をなくしたその表情は、老人以上に年寄りに見えた。
 3人目の男は、比較的若かった。老人はなにかの名人らしく、弟子入りを志願してようやく廃墟(のような住居)を探し当ててきた男だった。ただし、弟子入りはまだ認められていない。若い男は足しげく老人のもとに通い、町の様子を語ったり、土産を持って来たりしていた。いつだったか、この若い男が1人の女を連れてきた。「何ヶ月ぶりかのう、女が死なずにここまで辿りついたのは」と、老人は目を細めた。その夜、女は3人の男によってたかって嬲りものにされた。ソワンには何も言えなかった。ソワンはただ、「心と身体が癒えるまでここにいて構わない」という言葉に甘えているだけの身なのだ。翌朝、女はいなくなっていた。その日から3日間、食事には肉が出た。
「命さえ奪わないでいてくれるなら、何をされても構わないので、もう女の人は連れてこないで」と、ソワンは3人に頼んだ。その日からソワンは3人の男にかわるがわる、あるいは同時に抱かれた。二人の子供を出産した。子供は売られ、貴重な現金収入になった。

「ちくしょう、なんて舞台なんだ」と、ゴーギが悔しがった。
「どうしました、ゴーギ様」と、部下のラグジャー。
「男と女の交わりの匂いがぷんぷんしてる。ソワンの気配の残り香を見失った」
「そうですか。でも・・・・」
「でも、なんだ」
「我々以外は皆、なんらかの性行為をしているようです。つまり、ソワンも。快感に身をゆだねているはず。そうそう気配を消せるものでは・・・・」
「だが、何も感じない。つまり、ソワンは相当な使い手といえるだろう」
「手ごわいですね」
「ああ、その通りだ」

 客席で繰り広げられる性の饗宴は全くとどまることを知らなかった。それどころか、ますますエスカレートしていく。これでは舞台公演にならない。
 焦ったホトケノは、「客達の様子に頓着せず、続けよう」と団員に指示をした。
 次はサナの番だ。新人のヨウシャとサナを先にさせるのは、彼女達がまんがいち失敗した場合でもあとの演目でフォローがきくからだ。
 だが、どうやらそんな心配は不要のようだ。客席が乱れていようとも、サナは堂々と舞台に立った。両手を高く上げ、大きく広げる。その手には、鋭利な三日月型の剣。その両端を右手と左手でそれぞれ持って、高々と掲げている。
 ドド、ドド、ドド、ドド。小さく不気味に響く土太鼓にあわせて、ロセリが登場する。ロセリの手には刀。
 ロセリはソロリソロリと後方からサナに近寄り、刀を振り下ろした。サナは両手をわずかに後方へずらす。その手に持った剣でロセリの刀を受け止めた。
 シャキーン。
 刃と刃がぶつかり、喘ぎ声を出す。
 サナは身を翻し、剣で刀を跳ね上げた。刀は空中をくるくると回転しながら舞い、やがて舞台に突き刺さる。それはちょうどサナとロセリの中間地点だった。
 びいい〜んんん。
 刀は床に刺さった先端部分を中心にして、刀身を震わせた。
 それを合図に、ロセリが唄い始める。
 透明感のあふれる歌声が天から降ってきた。
 遠くにあるユートピアに誘われるような声。性交にふけっていた客達の視線が、いつのまにか舞台の上に集中していた。
(あ、あれはサナ!)
 ソワンがサナに気がついた。
(なるほどー。お互いに気配を消し、能力を使わず、かつ相手に存在を知らせてコンタクトする方法として、観客の大勢いる舞台に立つのはいいアイディアね)
 この舞台は10日間連続で行われる。明日、花束を持って楽屋を訪ねよう。それで二人は再会できる。そんな思いをめぐらしながら、天使の歌声に合わせて舞う親友を見つめるソワン。わずかに気配を消しそびれていることに気づかない。
「いた」と、ゴーギがラグジャーにつぶやいた。
 つぶやくと同時に交信術でソワンの現在位置をラグジャーに知らせる。それはまさに一瞬の技。
 ラグジャーが空気を操って網を形成する。それはスルスルと静かに、だが確実にソワンを取り巻いた。ラグジャーの目がキラリと光る。空気網はギュっと縮まり、今まさにソワンを捕獲しようとしていた。
 だが、空気網はちりぢりになって霧散した。
「な、なんだ!」
 叫んだラグジャー。隣の客に「うるさい」と叱られている。
 ラグジャーの術を破ったのは、ソワンが世話になっている廃屋の主、正体不明の老人だった。弟子入りを志願する若者がいるのだから、この老人は何らかの術使いなのであろう。だが、それがどのようなものか、ソワンは知らない。それどころか、ソワンは老人が自分を助けるために術を使ったことすら気がついていなかった。
「ぎゃあ!」と、ラグジャーが叫ぶ。
「うるさいって言ってるだろ!」
また隣の客に叱られる。
(どうした?)
 ゴーギは声を出さずにラグジャーに話しかけた。だが、ラグジャーは返事をしない。出来なかったのだ。ラグジャーは空気網によって内蔵まで締め付けられるほどの緊縛を受けていた。
 ラグジャーの様子を一瞬にして悟ったゴーギは震え上がった。
(火山老師・・・・、老師が近くにいるのか?)
 相手のかけた技を無力化し、その何倍もの力でかけかえす「鏡術」、これを使えるのは火山老師しかいない。だが、ゴーギは火山老師の姿を知らない。そういう人の存在を知識として知っているだけである。老師ほどの人物になればもちろん術者であることを他人に気取られるようなことはない。だから、ゴーギは、老師が近くにいることがわかっても、それが誰なのかさっぱりわからなかった。ただ、恐れおののくのみ。
 やがてラグジャーは呼吸困難に陥り、その場に倒れた。呼吸が出来なくなれば脳に酸素が行かなくなる。人間としての活動はそこで停止する。いや、それ以前に強烈な空気網でラグジャーの心臓は握りつぶされていたであろう。
(まずい。こんなところで死んだ男の同行者などということになっては、俺まで消されてしまう)
 ゴーギは静かに会場を後にした。
(それにしても、脱走隊員を老師が守っているとは、どういうことだ。下手に手出しをすれば全面戦争になる・・・・)
 それを避けるには、口を閉ざすしかなかった。「わたしの能力では脱走隊員を見つけることが出来ませんでした」と報告すればいい。今のところゴーギよりも能力の勝る者はいないから、それでソワンの捜索は打ちきられるだろう。ソワンの捜索が打ち切られれば、魔道部隊と老師の接点はなくなるはずである。

「良い歌だ。すごくいい。これならいくらでも踊れる」
一曲唄い終えたロセリの耳元でサナはつぶやいた。
「もう一曲しましょうか?」
「ああ、やろう」
 ヨウシャの唄で性のとりこになった観客たちも、ロセリとサナが一曲演じれば、すっかり舞台に夢中だ。鍛えぬかれたサナの身体は、その手足の一挙手一投足が、表情のわずかな変化が、計り知れないほど壮大な世界を描いていた。それに加えてしなやかな肉体が縦横無尽に踊り、剣がしなる。迫力満点の舞台だった。
 客席のあちこちで、観客たちは思い出したように身繕いを整えている。男性器をズボンの中に押しこむ男、乳房をシャツのしたに隠す女。
 二人の演舞が終わろうかというころ、白猫のハックンがステージに上がった。ロセリにまとわりついたかと思うと、サナのまわりを飛んだり跳ねたりする。観客の誰かが「幸運の白猫だ」と叫んだ。

 一日目の舞台が終了した。
「これなら行ける。噂が噂を呼んで明日以降も盛況だろう」
スズナスは満足気にそう言った後、すぐに沈んだ声で付け加えた。
「だが、サナ、きみのステージは明日限りになりそうだな」
「はい」
サナはわずかの躊躇もなくそう答えた。
「え? なにそれ? どういうこと?」
ヨウシャが慌てて問う。
「会場に、サナの探し人が来ていた。しかも危ういことに、気配を時々にじませていた」
「あなた、能力者なの?」と、サナ。
「いや、違う。ただ、芸人としてあちこちを巡り、色々な人に逢ううちに、なんとなく『感じ』るようになった。俺達はまあ、人に会うのが商売だからな」
「ふうん」と、ヨウシャは釈然としない。「だからって、明日で終わりにしなくても」
「ごめんね、ヨウシャ。きっと明日で終わり。ソワンとあたいは、気で交信することが出来ない。誰かに察知されるから。とすれば、気配を消したまま直接会うしかないのよ」
「でも・・・・」
だからといって、明日で終わりにすることはない。ヨウシャはそう言いたかった。
「いや、だめだ。今日もなにか不穏な空気が流れていた。何者かが何らかの行為をした。放置すれば俺達の舞台は荒らされる。それどころか、銀竜詩人そのものが消されることもある」
「本当は一刻も早く、出ていって欲しいんだろ?」
「正直言えばね。だが、まあ、俺もそんなに冷たい人間じゃない。明日、きっちりと再会を果たすまでは面倒見る。もっとも、面倒みてもらったのは俺達の方かもしれないが、な」
 その通りだわ、とヨウシャは思った。突然、拉致されて、団員にしたてあげられて・・・・。そりゃあ、銀竜詩人のメンバーになっていなかったら、こうも簡単に都に入れなかっただろうけれど。
「こっちこそ、感謝してるよ」と、サナが言った。
「淋しくなるわ」と、ロセリが後を継ぐ。
 ロセリの一言が、ヨウシャの身に染みた。サナとは明日でお別れなんだと、あらためて思った。
 

 

「凶都の7 サナとソワン1」へ進む。

作品集一覧に戻る