アスワンの王子
凶都の3 城壁突破3





 

 月明りは出ていたが、馬車の後方に巻き上げられる土煙のため、幌の中まで届かない。轟音と暗闇の中で、ヨウシャは確かに人の気配を感じていた。もちろんそれはサナではない。サナは殴られて悶絶しているはずだった。手を伸ばせばサナに触れることは出来るだろう。馬車はそんなに広いわけじゃない。けれど、サナ以外の誰かに手が届く可能性も決して低くない。自分達をさらった得体の知れない、誰か。それが怖くてヨウシャは手を伸ばしてあたりの様子を探ることが出来ずにいた。
 ガラガラガラガラ!!
 激しく振動する馬車がヨウシャの疲労をどんどん増幅させる。一日の行動を終えて、まさしく眠ろうとするところを、ヨウシャ達はさらわれたのだ。疲労もピークに達するだろう。
 ヨウシャは意識が朦朧としてくるのを感じ取っていた。
 暗闇の中、眼を閉じていても開いていても、視界に何も入らないのは同じことだ。だが、ヨウシャは今まさに閉じようとしているまぶたを、残りわずかな意識を集中して、一生懸命開こうとした。眠り込んでしまったら自分の身に何が起こるかわからない。
 けれど、無駄な抵抗だった。ヨウシャは意識の奥の深いところ、まるで音も光も届かない湖の底に引き込まれてしまったかのように、ある時を境にふっと吸い込まれてしまった。


 目が醒めた。
 振動も轟音もない。馬車は止まっていた。
 自分の周囲もうっすらと見える。馬車の後方、人が乗り降りする部位の幌がきちんと閉じておらず、そこから赤黄色の光が差し込んでいた。だが、夜が明けたのではないのはわかる。ネットリと空間を覆う闇。ただ、幌の後方からのみ光が入ってくる。それは不安定に揺れていた。パチパチと火のはぜる音がする。
 幌の中には自分しかいない。
 どこに連れてこられたのかはわからないが、馬車は休憩し、ヨウシャ以外の者は外にいるようだ。人の声も外から聞こえてくる。火を囲んでいるのだろう。会話の内容までは聞き取れないが、サナの声も混じっていた。
 幌の裾をひょいとまくって、サナが顔を出した。
「目が醒めたかい? 出ておいでよ。薬草茶を沸かしてる」
ヨウシャはコクンとうなづいて、腰をあげた。天井が低いのでおもむろに立ち上がることは出来ない。中腰のままそろそろと馬車を降りた。
 馬車は街道から外れた空地に止められていた。2頭の馬は水の張られたタライに仲良く口先を突っ込んで水を飲んだり、傍らの草を食んだりしていた。
 パチパチと燃える炎の周りには、4人。殺気や悪意は感じられない。目が醒めたばかりで感覚が鈍っているのだろうか、とヨウシャは思った。何の前触れもなく荒っぽく馬車の中に招待してくれた連中である。まがまがしい気配を消して穏やかな雰囲気を演出するぐらいたやすいだろう。だが、それにしては、サナまでが警戒を解いているのが変だ。
「この人達は?」と、ヨウシャが問う。
男が3人、女が一人。揺れる炎のために彼らの表情はわからない。
「わたしはロセリっていいます。先ほどはごめんなさいね。突然のことで驚かれたでしょう? お詫び、にはならないかもしれないけれど、これを飲んで心と身体を癒してくださいね」
ロセリと名乗った女はにっこり微笑みながらカップをヨウシャに手渡した。ヨウシャがそれを受け取ると、さらに微笑みが大きくなる。ヨウシャの表情と反応の全てを確認するように慈悲深くヨウシャを見つめる。ロセリが発する言葉から受けた印象とは違い、近くで見つめると驚くほど若い。彫りが深くてはっきりとした顔立ち。闇に溶けてわかりにくかったが、漆黒の髪は長く、腰ほどまである。
「あ、ありがと」
(この人達のこと、信用してもいいの?)
 毒か何かが入っていて、飲んだ途端にもだえ苦しむ。そんなシーンを思い描いたヨウシャは、邪気のないロセリの笑顔に惹かれつつも、全てを信じることが出来なかった。
 だが、受け取ったカップから立ち上る芳香がヨウシャの鼻をくすぐったその瞬間、全ての疑念は消えた。
「めったに手に入らない最高級薬草茶だ」と、サナが解説する。
「ええ、そうですの。私達はあちこちを旅して唄と芝居を演じています。旅芸人、ですね。私達のことを大変気に入ってくださったある高貴なお方がくださいましたのよ。普通ではとても手に入れることは出来ません」
体調を整え、心を癒す茶。軽い疲れから重い病にまで効果があり、健康なものが飲めばますます身体が丈夫になる。そしてなにより、天にも誘うような柔らかで深い香りが、ささくれ立った精神を落ち着かせ、かつ勇気と正義を与えてくれる。
 誰かが茶の薬効を解いたのではない。ほんのひと筋立ち上る香りから受けた、ヨウシャの印象がそれである。
 茶を飲み終える頃には、すっかりヨウシャは、この4人の旅の芸人に心を許していた。
 薬草茶のせいで誰もが善人に見えてしまったのかも・・・そんなことも考えたけれど、この薬草茶は、良いものだけでなく、悪しき者も際立たせる効用があるに違いない。彼らが自分やサナに敵対する者であれば、茶によって研ぎ澄まされた神経が警告を発してくれるに違いないとヨウシャは思えた。
「おまえの身体にもいいはずだ」と、サナが小さな声でつぶやいた。
 タイムリミットが近づいている。だが、この茶はそれを先に延ばすことが出来る。そのことはヨウシャも感じていた。
 だからこそ、この茶の味と香りは心の底からヨウシャをくつろがせてくれたのだろう。

 旅芸人の一行は、ヨウシャとサナをさらった非礼を改めて詫びた。そして、焚き火を囲んで自己紹介となった。
「あちこちを流れる身は、それぞれ事情があってのこと。ここで述べたこと以外は詮索無用にしていただきたい」
 年かさの男が口火を切った。
 男はスズナスと名乗った。この旅芸人一行のリーダーだ。四角い顔に短い髪。お世辞にも男前とはいえないが、意思の強そうな眉と口は、この男に任せておけば間違いはない、と思わせるほどに力強かった。弦楽器、打楽器、歌、舞踊とおおよそ舞台の全てをこなす。
 スズナスの隣に座っている男は、ハコベです、と自己紹介をした。
「馬の世話や馬車の整備など、移動に関することは全て私が取り仕切っています。そのほかに、興行その他の各種手配、大道具小道具衣装なども私の担当です。一通りのことは出来ますが、舞台に立つことはあまりないですね。照明も私が受け持っています」
 一番若い男は、「僕、ホトケノ」とだけ言った。そのあと何らかの役所を述べるのかと思ったら、それっきりだった。無口なのだ。
 かわりに、ロセリがホトケノのことを語った。
 流しの旅芸人などになる者は、やむをえない事情を持つものが多い。赤子のときに両親に捨てられて拾われたたとか、それまで済んでいた場所にいられなくなってしまったとか。だが、ホトケノは違った。自ら望んで旅芸人になったという。
「そ、そそ、そんな、カッコいいもんじゃないって」
 ホトケノは時々どもりながら一生懸命自分のことを説明した。無口なのではなかった。どもり癖が彼をお喋りから遠ざけていたのだとヨウシャは思った。だが、話し出すと止まらない。どもったり、うわずったりしながら、彼は自分のことを語り終えた。
 それによると、こうだ。どんなに勤勉に百姓をしても、天候が芳しくなければ作物はとれない。腕のいい漁師でも海が荒れていれば仕事に出ることは出来ない。そこには自分の努力や工夫といったものが届かない世界が存在する。ならば、商売はどうか? これも同じで、人々の欲求と自分の提供するものが合致しなければものは売れない。宮仕えなどもちろんごめんである。
 自分の能力だけで純粋に勝負できる仕事は、ないのか?
 そう考えて出した結論が旅芸人である。芸は磨けば磨くだけ、人に感動を与えることが出来る。
 荒れ狂う海で命がけでとった魚なのか、運に恵まれて大漁であったものなのか、食卓に並べられればわからない。だが、芸人はそうじゃない。自分が演じ、紡ぎ出す世界が、観客をとりこにするか、客席からそっぽをむかれるか、それは全て自分次第なのだ。
 ヨウシャは将来自分がどんな職業につくか、あまり考えたことはなかった。もっと消極的ないい方をすれば、仕事なんて何でも良かった。愛する人と一緒に暮らし、愛する人の選んだ仕事を一緒にこなす。ヨウシャの村のほとんどの女がそうだった。だから、そのことについて特に思考をめぐらせたりなどする必要がなかったのだ。
 だが、熱く自分のことを語るホトケノに、ヨウシャはかすかな感動を覚えた。
「ホトケノは、すごく努力家なのよ。彼の踊りは本当に人々を感動させるわ。心が震えるのよ」
 うっとりとした口調でロセリが付け加えた。
 ヨウシャとサナも自分達のことを語った。ヨウシャは何一つ隠さずにありのままを告げる自分が信じられなかった。乱暴に拉致されたのが嘘のように思えた。
 一通り自己紹介を終えると、スズナスは「手荒なことをしてすまなかった」と、もう一度謝った。
「訳をきいてくれるか?」
ヨウシャは頷いた。サナは何も言わなかったが、もちろんそれはオーケーの意味だ。

 この旅芸人の一座は、名を「銀竜詩人」という。リーダーのスズナスの所持する弦楽器はギターに似ているが、少し違う。ギターよりも一回り小さく、弦は5本。反響のための空洞はなく、純粋に弦の響きだけで音を聴かせる。透明でどこか哀しげな音色を持ち、それが人の心を打つが、扱いは難しい。ネックの部分に伝説上の生き物、銀竜がかたどられている。それがこの一座の名の由来だ。
 年に4回、季節が変わるごとに「銀竜詩人」は都で公演をしていた。もちろんそれは十分な実績と認められ、特権を所持している。
 特権を示す書類には、一座の名前のほかには、リーダーの名前と一行の人数が記されているに過ぎない。男女各3名の合計6人、と。
「だが、ここにいるのは4人。流行り病で女が二人欠けた。これでは書類の内容とは異なる。つまり、人数が欠けていては特権でもなんでもないのだ」
 前回の公演中に、次の舞台の段取りはハコベが整えている。興行の日はどんどん迫ってくる。だが、人数が欠けて書類の内容と異なれば、特権所持者として都に入ることは出来ない。都入りできなければ、小屋をかけられない。約束をたがえたことになり、その時点で特権は消える。
 都での舞台は、一座にとって貴重な収入源だった。なにしろ地方公演とは観客動員がまるで違う。都で興行収入を上げられなくなれば、一座の存続はきわめて困難になるのだ。
「だからどうしても女二人が必要だった。あんたがたにとっても悪い話ではあるまい。検問を受けずに都入り出来るのだからな。だがもちろん、誰でもいいという訳じゃない。我々は旅芸人だからな」
「でも、わたしは何の芸も持っていないわ」と、ヨウシャ。
「いや、そんなことはない。こと芸に関しては、俺は見る目がある。ひとめ見ればわかる。あんたには歌を歌ってもらう。なんでもいい。一番あんたの好きな歌がいい。好きな歌には魂がこもる。魂のこもった歌はそれだけで人を引き付ける。一度だけ聴かせてくれれば、俺の銀竜とホトケノの土太鼓はあわせてやることが出来る。そして、ロセリが踊る」
「あたいはどうするのさ」と、サナが言った。
「あんたは剣の舞だ。三日月型の剣を持ってもらう。両手の幅ほどもある長い剣だが、刃は薄い。軽く操ることが出来よう。ロセリの歌に合わせて心の赴くままに舞うがいい。あんたには剣術の心得があるだろう? そして、心の奥には深い悲しみがあり、同時に諦めない夢がある。間違いなく観る者を感動させるだろう」

 果たしてわたしに聴く人の心に響く歌が歌えるだろうか? ヨウシャは不安になったが、スズナスの見たて通り、サナならその剣の舞をこなせるのではないか?
 ヨウシャはサナを見た。サナは「ふうん、あっそ」と言わんばかりの表情をしていたが、言葉に出して否定も肯定もしなかった。さりとて、なにか考えている、というふうでもない。
「このお嬢さんがたはどうやらわかってくださったようだ。では、眠るとしよう」
 リーダーの合図でハコベとホトケノはその場に身体を横たえた。ロセリに促されてヨウシャとサナは馬車に乗った。どうやら荷台で眠ることが許されているのは女達だけのようだ。
「えっと、あの、スズナスは?」
「彼は火の番。野宿のときは一晩中火を絶やさないようにするの」
「じゃあ、眠らないの?」
「いいえ。交代するわ。男衆は順番に眠るのよ」

 ヨウシャが目を明けるとあたりはすっかり明るくなっていた。幌の中にも太陽の発する光は届いた。いつ朝になったのだろうか? 闇から昼の明るさへの移り変わりをヨウシャは全く気がつかなかった。いつもならヨウシャは夜明けのと中で何度か目を覚ます。なのにう今日に限ればまるで目が開かなかった。旅も終盤に近づき、疲れがたまっているのだろうか?
(ううん、そんなことはないはずだわ」
 時間に追われる旅ではあったが、休むべきときは十分急速はとっている。ということは、旅の道連れが一挙に6人になったせいで気が緩んだからだろうか。  いずれにしても頭の中はスッキリしていた。
 朝食はパンと薬草茶だ。いつの間に起きたのか、ロセリがせっせと用意をしていた。
「さ、どうぞ」
「あの、これ、高いんでしょう?」
「買えば、ね。でも、貰い物だから」
「それにしも、貴重品には違いないんでしょう?」
「遠慮せずもらうといい。ヨウシャの事情は了解した上で一座のメンバーとして認めてくれたんだ」と、サナが言った。「おまえの身体にとってこの薬草茶は時間を止める魔法の薬だ」
「そうよ、サナさんの言う通りよ。遠慮はいらないわ。それに、もう作ってしまったんだもの、残ったりしたらそのほうがもったいないもの」
「じゃあ、頂きます」
 朝食を終え、火の始末を済ませた一行は、再び馬車で走り始めた。いつ教われるかと暗闇の中で身体を堅くした昨夜と違い、激しい振動すら気持ちを和ませてくれた。
 それに、どんなに乗り心地が悪くったって、ただ座っているだけで目的地まで運び込んでくれるのだから、こんなに有難いことはない。
 こうして馬車に揺られていると、これまで一歩ずつ歩いていたのが嘘のようだ。
 自らの身体を動かさずに前進をする。ただ座っているだけでいい。ヨウシャは眼を閉じ、いくつかの懐かしい思い出に思考をめぐらせるうちに眠ってしまった。

 城壁に辿りついた。この壁の向こうが都である。城壁にはふたつの穴がうがたれている。都の外と中をつなぐ通路である。片方が特権を持つ者用、もう片方が特権を持たない者用だ。
 「銀竜詩人」の一行は、特権を持つものの最後尾につく。といっても、待っているのは5組もないだろう。しかもスイスイ前に進む。対して特権を持たないものの列は、どこまでも続いており、かつ遅々として進まない。
 通路として城壁にうがたれた穴は、大きく、そして威圧感に満ちていた。縦横共に大人の男の身長4人分くらいの大きさである。しかも奥行きが結構ある。城壁の壁が厚いからだ。こちらは身長10人分くらいはあるだろうか。
 「銀流詩人」の順番になる。全員馬車を降りるように命じられた。
 いざ、城壁にうがたれた巨大なトンネルの中に立ってみると、なかなか荘厳である。岩と岩を重ね合わせ、隙間と土で埋め、延々と築き上げられたものであることが理解できる。外の陽射しとは裏腹に、空気はひんやりとして、かび臭い。
 検問官は4人。濃い緑色のマントを羽織っている。腰にサーベルでも刺しているのだろう、剣の先がマントの裾からはみ出していた。それなりの殺傷能力がありそうだ。同じ色の角張った帽子も全員が着用しており、きちんと顎紐かけている。
 身だしなみさえ整えておけば制服というのはそれなりに威厳を見る者に与えるものだ。だが、肝心の検問官の表情は険しくない。どちらかというと弛緩していた。
 リーダーのスズナスが差し出した特権について記された書類を、検問官の一人が手に取る。形ばかりのチェックが行われているようで、スズナスと検察官で会話が弾む。
 「もう皆さんの公演の時期なんですね。毎回楽しみにしているんです」
「おお、君か。門番に出世したのか。良かったな」
「門番ではありませんよ、検問官です」
「仕事の内容は門番だろう。名前にこだわっていると思わぬ落とし穴に落ちるぞ」
 その傍らで、もう一人の検問官が書類を覗き込みながら、「おい、もういいぞ」とささやいた。
「よし、じゃあ全員乗りこんでくれ」と、スズナス。
 ヨウシャは馬車の荷台に足をかけながら、脇の下が冷たくなっていることに気がついた。分厚い城壁のトンネルは外界よりもずっと気温が低いというのに。
(冷や汗?)
 けれど、どうして、そんなものが? 特権を所持するものとして何事もなく平穏に検問を通過するはずなのに。
 それとも、何か起こるというのだろうか。なにか、良くないことが。・・・神経がそれを察知しているのかもしれない。ヨウシャは身を堅くした。
 馬車の荷台がかすかに傾斜したかとおもうと、ギッと音を立てて動き出す。
(何事も起こらなかった!)
 ヨウシャが胸をなでおろしたその瞬間、鋭い声が響いた。
「おい、待て!」
つんのめるようにして馬車が停止する。
 後方から幌が跳ね上げられ、検問官の一人が顔を覗かせた。書類を検査していたときには静かに立っていた、だが一番気難しそうな顔をした検問官だった。肩には星4つの階級章が縫い付けてある。4人いた検問官の中では一番の上官だ。
「おい、おまえ、降りろ。詳しく調べる」
指差されたのはヨウシャだった。

 「おいおい、よしてくれよ。我々は特権の書類をもっているぞ」
 ヨウシャを自分の背中でかばう様に、スズナスが前へ進み出た。
「それはわかっている。だが、不審者は詳しく調べねばならない」
「不審? 彼女のどこが不審なんだ、言ってみろ」
 問答をしているところへ、さっきスズナスに「門番」と呼ばれた顔なじみの検問官がやってきた。
「すいません、スズナスさん。宿はいつものところでしょう? 後で警備隊に随行させてお送りしますから、ここはひとつ・・・」
「だから、なにがどう不審なんだと訊いてるんだ」
「勘だ」と、上官は言った。
「いつからそんなことが許されるようになったのかしら? あらゆる検問を省くための特権だったはずですわよ」
気丈にも凛とした声で口を挟んだのはロセリだった。
「お嬢さん」と、上官はそれまでよりも丁重な口調で呼びかけた。
「時代は変わったのです。いかにあなたが国王の娘だとて、今は通じないのです。ご理解頂けますか?」
「え? 国王の娘!?」
ヨウシャは驚いて奇声をあげ、
「ふん、只者じゃないとは思っていたけどな」
と、サナがつぶやいた。
 銀竜詩人の他のメンバーはロセリの素性を知っていたとみえ、特に何の反応も示さない。
「私が国王の娘と知って、そこまで言うのですね」
「お嬢さん、もともと国王の娘、というだけでは何の権限もないんですよ。わきまえていただけませんか?」
「もちろん、そのことはわきまえています。しかし、一般市民の一人として、きまりごとを守れない役人がいることを父に進言することは差し支えないはずよ」
「ですからね、お嬢さん。時代は変わっていっているのです。先ごろ国王は王政を廃止して議会制を導入すると宣言されたのをご存知ないのですか?」
「な、なんですって?」
「やはり、ご存じなかったのですね。あなたの父上は立派な方だ。都が大きくなり、人口が増え、世の中は多様になった。こんな世に王政はふさわしくない。議会制を導入しよう。これからの世の中は、みんなで話し合って決めていくのだ。そうおっしゃいましたよ。もっとも、この崇高な理想は、はねっかえり娘のあなたには理解できないかもしれませんね」
「王は引退なさったのか?」と、スズナスが声を張り上げる。
「まだ移行期間だ。完全には引退されてはおられない」
上官は話し相手がスズナスになるととたんに態度が変わる。
「今は王直属の四天王が、城壁、警備、政治、王宮のそれぞれの長官となり、この4人に王を交えた5人の話し合いで全てが決められる。だが、これも『何事も話し合って決める』ための準備期間のようなものだ。四天王なんて制度も議会制が導入されれば廃止される」
「では、城壁の責任者、四天王の一人を出しなさい」と、ロセリ。
「お嬢さん、そんなことをしても無駄ですよ。今、ここでの最高責任者は私なのです。部署ごと、役職ごとに権限が委譲され、全てが任せられるのです。四天王や王はただ決めるのみ。その決まりごとに従って判断するのは、それぞれの部署の責任者。何度も申し上げますが時代は変わっています。動いています。王の一言で動く世の中ではすでにないのです」
 気がつくと、銀竜詩人の後ろに列が伸び始めていた。特権の者たちの入り口で、これは異例のことだ。
「ここは、従ったほうがよさそうだな」と、スズナス。
「お願いです。そうしてください」と、顔なじみの検問官が頭を下げた。
「すまないな、ヨウシャ、悪いようにはしない」
ヨウシャは「はい」と答えた。それしか取る道はなかった。一人この場に残される不安はあったが、さりとてこれ以上銀竜詩人のメンバーに迷惑をかけることは出来ない。ここまでこられただけでもよしとしよう。
 「頼むぞ。彼女の何をどう調べるのかは知らんが、気が済んだらきちんと宿まで送り届けてくれ」
 ヨウシャは馬車を降りた。
 間際、サナが耳元にささやいた。
「心配するな。近くで待機してててやる」
 ヨウシャ一人を残して馬車は去った。
 ヨウシャは検問官の上官に腕をつかまれ、「さあ」と促された。これからどこへ連れていかれるのだろう。
 
 


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