性愛日記(1)  by 江口洋介 その1





 





 僕が生まれたのは昭和35年(1960年)、富山市の総曲輪(そうがわ)で、祖父は韓国の3世で、祖母は石川県の片山津温泉で芸者をしていて、見染められて結婚したのでした。
 元々は金貸業で、質屋なども何軒も持っていたようです。太平洋戦争で、戦地に出掛けたご主人のために、奥さまが借金を作ると、その人を妾にして自分の持っている家を貸して、身体で返させたのだそうです。

 僕の三男の父の時代に、総曲輪というかなりの繁華街に、借金のカタに取りあげた500坪にビルを立てて、ソコにパチンコ屋を経営したのです。
 戦後まもなくで、パチンコ屋が珍しいのか、大流行りでかなりも儲けて、ビルを各地に立てて、僕もそこで生まれたのです。

 父の両親つまり祖父と祖母の間には、6人の男女の子供がいて、僕の父親は先生を目指して、師範学校に入り、母とは勤めた中学校で知り合い、恋愛の結果1歳上の母親と結婚、4人の子供が生まれ僕は末っ子でした。

 17歳のときに父親の兄貴である人に子供がいないので、僕を養子に欲しいと言ったのです。
 僕の了承を得たらという約束で、僕は17歳で東京の新宿に出てきました。ソコの夫婦は新宿で小料理屋を経営しており、中野坂上に住まいは有りました。
 子供は居ないので、40歳ぐらいのお手伝いさんがいて、二人が出掛けると洗濯から掃除、夜食の料理を少しだけ済ませて、4時半には帰宅していました。

 僕は生れて初めての東京が珍しく、毎日の様に新宿や渋谷、時には上野から銀座まで出掛けて、お上りさんを楽しんでいました。高校は弥生高校に編入で入りました。直ぐに同級生の友達が出来て、良く連れ立っては出掛けました。
 彼は僕みたいな田舎者では無いので、その頃には童貞はとっくに失っており、僕にも遊ぶ場所を教えて呉れましたが、どうも不特定多数のオトコと寝る女性には興味が無く、暫くはチェリーボーイで居ました。

 17歳の夏休みに、その彼の家に電話をすると、お姉さんが出てきて「ちょっと出掛けているけど、直ぐに帰るから家に来なさいよ」と言われて、本町の家に出掛けました。家は古そうですが、かなりの豪邸で二階建てで、和風の日本庭園が着いていました。
 早速応接間に通されて、お茶とお菓子をご馳走になりました。休日なのに、彼も両親もいなくてお姉さんだけでした。

 夏休みなので、お姉さんは浴衣姿で、それこそ前に屈むとオッパイがポロリと飛び出して見えます。
 僕は母親のオッパイしか知らないので、本当にドキドキしてペニスに血が入り、勃起し出しました。
 23歳の姉はそれを見逃さず、ズボンの膨らみを指摘してからかいます。
「ココが見たいの?」といきなり浴衣の前を開き、完全にブラをしていない、ふっくらとした乳房を見せて呉れました。

「えっ、本当に良いんですか?」
「部屋に来ればもっと、アソコを見せてあげるよ」と裾を捲るとココもショーツを着けておらず、ノーパン状態でやや毛足の長いヘアが、丁度銀杏の葉の形にふっさりと繁茂していました。
 肉ビラの周りもまばらに生えて、肉ビラは濃い目の赤褐色で、中ほどがコブの様になって迫り出していました。

 ベッドに押し倒されて「親友が帰ってくるので止めて下さい。無理で〜〜す」と叫ぶのに、ズボンのベルトに手を掛けて脱がそうとします。
「夜までは帰らないから、安心しなさい」と、とうとう下半身が丸出しにされました。
 当然勃起物は、長さ18pになり、肉筒の薄皮を剥かれます。
 白いカスが付いており、仮性包茎なのでぷ〜んとイヤな匂いが漏れて出ます。お絞りで丁寧に拭き、白いカスを拭います。

 白魚の様な長い指で触られるだけで、物凄い勢いで精液を放出して、彼女のメロン状の胸元に掛けてしまいました。
「あっぁぁぁっ、ゴメンナサイ。女性の身体も初めてだし、アソコを見たのも初めてで、興奮しちゃって」謝りました。
「いいのよ、童貞クン、家の弟なんて家に彼女を連れ込んでSEXしてるらしいのよ、ママが言っていたわよ。だからむしろ可愛いじゃないのよ」とお絞りで丁寧に精液を拭いて、綺麗にして呉れました。

「じゃあココに寝てよ」とベッドに寝かされました。
 もう彼女はスッポンポンで、全裸を初めて直視しました。モサッと繁茂した陰毛は、一塊まりに闇を作り、濃く密生していて、その下には赤い肉の滴が滝になり、汁を滲ませていました。
「早く舐めてよ〜〜」とマンコを全開にして見せます。
「その前にキスしようか?」と唇を突きだし、生まれて初めて女性の口に舌を入れました。
 チュウチュウと吸われると、完全にペニスがゆらゆらと揺れて、挿入をせがみます。

 前にエロ映画で、かなりの奥さまと若者が交わるアダルト映画を見たのです。ですから、性交の仕方は解っているつもりでも、矢張り目の前に見えると興奮して、早く挿入をしたいのです。
 太腿を広げて肉唇が開きます。ソコはネットリとした真珠色の愛液が鮮紅色の粘膜が薄く覆い、白い肌と対照的にザックリと割れた赤い貝の中身を、曝け出してくれました。

「アン、こんなになっているのですね〜」僕は慌てて、匂い立つ泉に唇を押しつけました。
「はぁぁん、最高よ〜〜。続けてよ〜〜」と腰を突きだします。
 ヒップが突き出されると、なおさら舐めやすくなり、お尻の孔から陰核までぺロペロと舐めてやりました。エロ映画の受け売りで、覚えていました。

 塩味の強い匂いが漂い、僕の顔を太腿で挟みました。
 キラキラした肉唇は新鮮な貝や、魚類の内臓を思わせますが、グロテスクではありません。肉芽を指で摘まみ、それを引っ張るとまるで貝紐の様に伸び、透明な液体が次々と溢れ出ました。
「そろそろ入れて見ても、良いわよ」と裸の身体を上にして、僕の勃起した陰茎を持ち、跨りそろそろとマンコの中に、入れだします。
 とても気持ちが良く、またも出そうな気分です。

「またも出そうですが、イイですかぁぁ」
「ダメよ、男は膣の中に出さなければイケないのよ〜〜。我慢しなさい、男でしょ」
 ギュッと陰嚢の根元を掴まれて、精液を出さない様に締め付けます。

「ワタシがイクまで我慢しなさい」と命令されると、矢張り我慢です。
 挿入をした儘で、気持ちが良いという髪を指で梳いたり、頭や髪の毛を撫でて、顔をじっと見つめます。首筋は彼女の急所らしく、ウナジや首筋を舐めたり、柔らかく締めたりさせられました。腋の下が最高に気持ちがいいと、舐めさせられます。
 執拗に攻められると膣がヌルヌルとして、愛液が分泌して匂いを嗅ぐだけで、被虐的らしくかなりの興奮度でした。

 騎乗位から、最後は正常位に変えて、ぐいぐいと攻めると彼女も、「イイワよ〜。キミが我慢しているからかなり興奮して、イキそうだよ〜」とマンコがピクピクと蠢きます。
「あぁぁぁっ、最高よ〜、イクワァァァ〜〜」反り返り背中を持ち上げると、僕も我慢できずに「出ま〜〜す」と、初射精を膣内に出させました。
(心に残る最高のセックス掲示板より 2011年4月20日)

 
 古き良き昭和を感じさせる投稿でした。え〜っと、昭和35年生まれで、17歳で上京……というと、これが昭和52年の頃のことですね。この頃は、男女ともに、性には今に比べて随分おおらかだったんじゃないかなって思います。日本民族はもともと性にはおおらかな民族だったらしいんですが、平成にもなると、ちょっとなにかあったらセクハラ、好きな女の子を追いかけたらストーカー、つまんない時代になりましたねえ。投稿でひとつ前の時代の性春を堪能させていただきますね。

 
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