夜明けの町



 第1章

 テントを張る前にしておかなければならないことがある。ひとつはテント内部になる場所にあらかじめ全ての荷物を固めておくこと。それら荷物の上にテントを張るのだ。先にテントを立て、後に荷物をその中に入れるのは一苦労なのだ。出入り口が小さいからね。
 もうひとつ事前にしておかねばならないのは、整地。多少の傾斜があっても眠れることは眠れる。けれども、少しの工事を怠らなければこの季節は意外と快適に休めるのだ。
 この季節、つまり、雪の季節。
 テント設営の場所としてなるべく平地を選ぶのはいうまでもない。しかし自然界に完璧な平地なんて存在する方がおかしい。そこで、雪を集めて、低い方に少し盛ってやる。この一工夫が快適さを大きく左右する。
 冬の旅を選んだのにはもうひとつ理由がある。ソリが使えるからだ。僕が旅するのは、夏ならさほどの装備がなくても歩ける遊歩道だ。遊歩道といっても雄大に連なる山脈の裾野を延々と続く道で、町から町まで何日かかかるところもある。その間に、草原や湿地帯、そして森林などをいくつもいくつも渡り歩く。それでも夏の間は、足に少し自信のある程度の観光客が結構来る。山小屋が営業しているからだろう。難易度の低いトレッキングルートだと思えばちょうどいい。
 さすがに雪のシーズンには出会う人もわずかだが、それでもトレッカーはいる。テレビでよく見る冒険紀行のように谷をわたり崖をよじ登るというようなコースではない。ソリに荷物を積んで引っ張ることができる。


 日本を出発するときは、鉄道やバスを使って、絵はがきのモデルになりそうな、ガイドブックにでてくるところだけを、気ままに旅するつもりだった。
 それがこんな徒歩旅行をすることになったのは、エストニャースでの会話がきっかけである。
 エストニャースの町は登山客のベースとなるところなのだが、もちろん日本から訪れる旅人はほとんどいない。
 この町で僕はいつものように安宿を探して泊まった。
 駅の構内に小さいインフォメーションがあり、僕はクローズ寸前に飛び込んだ。駅前には小さな雑貨屋と服屋と食料品店があるきりで、泥だらけのバスが一台エンジンをかけたままとまっていた。良さそうな宿を自分の足で探したところで、いくつもありそうに思えない。それどころか、いくつもない宿屋があっという間に満員になってしまうのではないか、とさえ思った。
 しかしこれは杞憂だ。列車から降りた旅人風の人間は自分くらいだった。宿を求めていそうな風体の人など見当たらなかった。
 インフォメーションのおやじは、宿を紹介して欲しいという僕に、へたくそな英語とジェスチャーで言った。
 気ままな旅なんだろう、そういうやつはこの宿に限る、どうせお金もたいしてないんだろうしな。
 そのとおりなので、いわれるままに宿を決めた。黄ばんだ地図に印を付けておやじは宿の位置を示した。僕は地図をたよりに凍てついた町を10分ほど歩いた。
 最初、受付してくれたのは、予想通り、太ったおばさんだった。
 おばさんは「部屋は2階の手前の部屋」といってキーを渡してくれた。ソファーセットがひとつきりの、ロビーというより玄関で、カウンターもなにもない、蒔ストーブだけがカッカと燃えるそこで、僕はチェックインをした。
 それから食堂と酒場の場所を教えてくれた。帰りが遅くなるのなら玄関の鍵も渡すから、そう言って出かけるように、とも注意を受ける。
「何時に閉めるの?」
ときくと、
「今日はあんたしか泊まっていないから、あんたが帰ってきたら閉める」とおばさんは言った。
「1時間ほどで帰るよ。酒は、今日は飲まない。」
と、僕は言った。
 おばさんはにやりと笑い、僕のお尻を肉厚の手でパンとたたいた。
「早く出かけて、早く帰ってきな」
そんなふうなことなのだろう。
実際僕は、その通りにした。
羊肉をチャーシューのようにしたものにどろりとしたソースをかけたものと、とうもろこしのパン、コーラとミネラルウオーターの夕食を済ませて、40分ほどで僕は戻ってきた。ソースは甘くて辛かったが、寒さによくあった。

 宿に戻ると、おばさんではなくお姉さんがいた。
 おばさんは? とおなかの前で大きく弧を描くジェスチャーをすると、娘はケラケラと笑って、「もう寝たわ」といった。
 ここの娘さんなのか、従業員なのかわからない。
 とてもきれいな顔立ちをした子なのだけど、それだけに無表情だと冷たい印象を受ける。でも、笑うと何もかもが理想的な崩れ方をした。目も頬も唇も。きっと僕の話す英語があまりよくわからなかったので、無表情になりがちなのだろう。僕もそうだし、彼女も英語は下手くそだった。
 いつまでも燃え続ける蒔ストーブの前で、長い時間をかけて僕たちは会話をした。時間の割には、たいした量はこなせなかった。
 発音が理解できないと、筆談になるし、ジェスチャーも必要だった。
 けれども通じたときは、苦労した分その喜びは大きく、そのせいで僕たちはそのたびに長い間笑いあっていた。
 だからよけいに時間がかかるのだ。
 どこから来て、どんなところを巡って、明日はどこへ行く、そんな会話に漫才ほどの笑いが交わされるなんて、そうそう体験できることではない。
 場合によっては、わずらわしいし、うっとおしい。
 そしてまた、場合によっては、愉快で楽しい。
 この日、僕が後者だったのは、精神的な要素が大きかった。身体は結構疲れていたように思う。
 というのも、僕はこの町を最後に日本に帰ってもいいと思うくらい十分ほっつき歩いたし、存分に旅をしてきたと感じていたからだ。ホームシックにかかったわけでもないのに帰路についてもいいなどと思えるのは、よほど精神が充実した状態でないと感じることはできないだろう。旅を続ければ続けるほど、欲求不満になることもあるのだけれど、いわゆる完結感を持てることもある。完結感が持てれば、いつ帰っても欲求不満にはならないし、また旅を新鮮な気持ちで続けることもできた。
 そして僕は、旅を続けることを選んだのだ。
 裾野を巻くようにのびる遊歩道。隣の町まで歩いておおよそ4日から5日。決して危険なルートじゃない、けれどまあそれなりの覚悟は必要ね、ここへ戻ってくるなら装備は貸してあげるし、いらない荷物は預かってあげる、帰りはバスに乗ってくるといいわ、少し遠回りするけれど3時間はかからない、ただし、直通バスは日に2本、乗り継ぎ便を入れても日に5本しかないから、アストランプ(隣の町)に着いたら一晩泊まって、バスの時間をよく確認して、バスにあわせてチェックアウトするといい、なにしろここより3度は気温が低いからバス停で待っていたら凍えてしまう。
 彼女はそんなことをしゃべった。
 今更3度くらい低くてもどうせ氷点下なのだからそんなに変わらないと思ったけれど、僕はウンウンときいていた。
「装備って、何か大げさなものが必要なのかい? 僕は普通の旅人で、冒険家じゃないから、大それたことはできない」と、僕は彼女に告げた。
「テントがふたつ。小さいのと大きいの。2重にすれば少しは暖かいよ。それからストーブと燃料。それにコッフェルと寝袋。マットや毛布も必要ね。荷物が多くなるからソリで引いていくといいよ。ここまではかしてあげる。雪でも平気な靴とか、食料とかは自分で買ってね。防寒着はどの程度のものを持ってるの?」
 結局僕は、翌日に装備の使い方の講義を彼女から受け、必要なものを買い出しにいき、あとはゆっくり身体を休めとかなきゃということで、もう1泊する事になった。そして、さらに日が変わって、雪中ソリ歩行に出発した。
 出発前夜、彼女は地図も貸してくれた。
 細かな書き込みがしてあり、彼女自身が書いたものだと教えられた。同じコースを2年前の同じ季節に彼女自身が歩いたのだった。とてもすてきな旅だったわ。だから、いろいろな人に今まで勧めてきたの。装備の貸し出し付きで。でも実際に私の話にのってくれたのは、あなたが最初よ。
 最初で最後にならなきゃいいけれどね。
 遭難するってこと?
 そうそう。
 大丈夫よ、私のメモをきちんと参考にしてくれれば。
 だったら英語になおしてよ。
 現地語がわからない僕のために彼女は辞書まで持ち出して英訳してくれた。
 実際に歩いてみてわかったのだが、担げないほどの荷物をソリで引いているのは僕だけだった。めったに人と出会わなかったけれど、それでも一日で15人くらいとすれ違い、10人くらいに追い越される。みんな荷物は大きかったけれどそれなりにまとめて背負っていた。ソリを引くと歩くよりも時間がかかる。だから荷物も増える。そういう相関関係もあるような気がした。
 こんな風にして、僕は2日目の夜を迎えた。

 地面が雪面なのをいいことに、少しばかり整地した上にまずグランドシートを引く。それから新聞紙、毛布の順にしく。新聞紙は全面に敷き詰める。けれども、毛布は一枚だけ。毛布の上にちいさな一人用ドームテントをのっけて、毛布のない新聞紙だけの部分にはそりをのせる。そしてそれら全体を屋根型のテントで覆う。屋根の裾の部分とグランドシートはひもで結んでおく。
 普通のテントの設営順序とは違うかもしれないけれど、グランドシートをしくときに、ペグも地面に打ち込んでおく。ペグは本来、屋根型テントを支えるポールを垂直に保つために、双方向からロープで引っ張り、そのロープと地面のジョイントとなる金具である。
 双方向といっても、左右対称ではない。ポール自体屋根の両端に二本あって、それぞれが外側に引っ張る形になるから、真上から見下ろすとテントの長方形があり、その外側にペグとペグを線で結ぶとテントより大きめの長方形がある、そんな形だ。そして屋根自体が中だるみしないように、中間地点の屋根裾を引っ張るように、左右一つづつのペグを打つ。
 このペグを利用して、グランドシートが飛ばないようにロープで固定しておく訳なのだ。
 毛布を敷き、新聞紙の上にソリをのせると、暖かさを確保するためにあとは荷ほどきもそこそこの状態で、このように屋根型テントを設営してしまう。寒さがさほど苦にならなければ、先にドーム型テントを毛布の上に設営してもよい。その方が楽である。組みあがった屋根型テントの狭い内部での作業は結構やりにくい。ただし風があると、順番はすべて逆になってしまう。ソリを内部におく形でまず屋根型テントを組み立ててしまわないと、新聞紙はとばされるし、毛布はめくれあがるし、作業が全くはかどらない。
 とにかく屋根型テントの中に、ドーム型テント、という形で、その夜の住まいを作ってしまうわけだ。
 手早くやればどれくらいの時間でできるのだろう。などと考える。
 日暮れまでには十分余裕を持って設営を始めるし、ノルマも締め切りも無い旅だから、手早くやろうという気になどならない。だいたいここまで1時間ぐらいかけてやる。寝る場所を確保するために仕方なくするやっかいな作業、ではなくて、こうしたひとつひとつのプロセスが僕にとっての旅なのだ。
 次にするのは、明かりとストーブのセッティングだ。
 明かりの燃料はアルコールで、学校の理科の実験で使ったアルコールランプに似た形をしているが、火をつけた後、ガラス製の蓋をする。蓋は閉めても密封されない。蓋には4本の足が出ていて、足と足の隙間から空気が補給できるようになっている。しかも炎そのものはガラスでカバーされるから、いわば風防であり、火事にもなりにくい。ただし、すす掃除はまめにやらないとだめだ。
 ストーブは直径20センチ高さ20センチぐらいの円筒形の金属で、小さな穴がいくつもあいている。空気穴である。底はない。大きな業務用の缶詰を開けて、裏返したような形だ。持ち上げると受け皿がでてくる。受け皿には2センチぐらいの壁が周囲を囲っていて、そこに固形燃料を置いて火を付け、缶詰を裏返した蓋をして、あとは暖まるのを待つだけである。
 そのうち金属がカッカと熱くなり、そこから周囲の空気をじわじわと暖めていく。手で触れるとやけどをする。
 こいつは撤収の時が大変で、軍手でつかんで雪の上に放り出す。そして冷やさなくては荷造りができない。燃料が燃え尽きて自然冷却されればいいのだけれど、そんなことをしていたらテント内がしんしんと冷えてくる。だから燃料を切らすわけにはいかない。見かけによらず威力のあるストーブなのだ。
 燃料が切れてストーブが自然に冷却されるのと、太陽の上昇とともに気温が上がるのがうまくマッチするように燃料の量を調節し、実際にそうなるまでダラダラごろごろしているのも悪くはない。
 とまあ、こんな風に考えられるのも、テント経験2泊目ならではといえるだろう。
 雪をすくってコッフェルに放り込み、火を付けて飲み水を作る。いったん沸騰させたあと、水流が静かになるまで置いて、下にたまった細かな砂粒のようなものを動かさないように、そっと水筒に湯を流し込む。
 これを何度か繰り返して、一晩分の水を確保する。
 豪勢な食事は望めない。パンと缶詰、スープ、そしてインスタントコーヒー、それぐらいだ。オレンジより少し大きめの柑橘類が今はまだある。豪勢ではないが、贅沢だと思う。ゆっくりと流れていく時間を、例えば、だんだんと外が暗くなっていくこととか、コッフェルの中で氷が溶けて水になっていく課程とか、そういうことで実感できる贅沢さ。瞬間ごとにそのような小さなことにふと気づかされながら、ぼそぼそと食べる食事。
 完全に闇に閉ざされたあとはラジオを聴く。英語ですら満足にわからないのに、英語以外の言葉が理解できるはずがない。何か音が鳴っている、それが人間の声であるという安堵感。同時に、自分は一人であるという孤独感。所詮ラジオだ。こちらからの声は向こうには届かない。たまに音楽が流れるとほっとする。音楽は確かに国境を越えるのだ。意味が分からなくても何かが心にしみこむ。
 そしてひたすら思索の時間。もう何もするべきことがない。水筒の水をもう一度コッフェルにあけ、暖め、コーヒーを入れる。
 お茶うけは色々ある。ビスケット、チョコレートの類。日本では食べなれない、なんとなく粉っぽいぱさぱさしたビスケットと、濃厚なチョコレートだ。一応非常食だから、食べきってしまうわけにはいかないが。
 これくらいなら食べても大丈夫、ということを考えながら食べる自分が少し悲しい。そして結局、非常食が役に立つようなアクシデントなど無く、たくさんあまらして目的地にゴールするようなことになるのだ。

「元気でね」
不意に、あゆみの声がしたような気がした。
 元気でね。と。
 あゆみは別れ際に、そういった。空港で、ではない。旅立ち前の最後のデートで。
「なんていう顔してるんだよ、たかだか一月あまり、旅にでるだけじゃないか、それも気ままな一人旅に」
「永遠に帰ってこない、ふとそんな気がしたの」
「帰ってこないわけがない、それに戦争地帯に業務命令で仕事に出向くサラリーマンでもない。いたってのどかな田舎町を回ってくるだけだよ」
「それは、わかってるんだけどね」
 僕もわかっている。けれども、そろそろ旅は予定の日数をオーバーしようとしていた。
 あゆみのいう「永遠」とは、僕が永遠に帰ってこないことではなくて、彼女のところに「永遠」に戻らない、そういう意味だったのかもしれない。
 そんなことはない、と今僕は断言できないかもしれない。
 あゆみのことは一番好きだし、確かに愛している。それはわかる。
 けれど、この先のことは考えられない。そんなこととはかけ離れた世界に今僕は身を置いている。
 こんなところで、こんなときに、こんなことを考えてはいけないのだろう。そういえばしばらく手紙を書いていない。今頃手紙を送っても着くのは僕が日本に帰ってからだな、なんて思っているうちに、旅だけが長くなってしまったのだ。
 いずれにしても、ここから手紙は出せない。だから考えない。このまま明日を迎えよう。

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