ロシアンルーレット

敗 者 復 活 戦

 

26.

「ちょっと今日あたり、店を開けてみようかねえ」
 日曜日の早朝、真也とミコが寝ぼけ眼で2階から降りてくると、おばあさんが二人に声をかけた。
「え? 開ける? まだスキー場はオープンしていないのに……?」
 呟くように疑問を口にする真也。ミコはと見ると、まだ意識がはっきりしていないのか、とりたてて表情を動かしたりはしない。
「スキー場のオープンはまだ先だけど、業者の人たちはボツボツやってくるからねえ」

 おばあさんの言う業者とは、旅行業者のことである。現地駐在の係員や、企画担当者である。宿泊施設やスキースクール、食事処など、最終的な打合せや下見など、やらなくてはならないことはたくさんある。
 スキー合宿で生徒を連れてくる学校の先生などを伴ってくる場合もある。
「そういった人たちに、『今年は店を開けますよ』ってアピールしとかないとねえ」
「でも、まだ店の準備が十分に……」
 真也が反論するのを、おばあさんは遮った。
「飲食の方はもうほとんど整っとるじゃろうが」

 確かにその通りだった。食材業者から大量に仕入れるものについてはまだ届いていないが、ある程度のサンプルはあるし、足りないものはすぐ傍のスーパーマーケットで買える。
「でも、お土産は……」
「土産は縮小するんじゃろ? 子ども相手のキャラクターものはもう仕入れん。菓子類はもっとあとじゃ。絵葉書とかその手のんは、昔のが残っとる。綺麗に拭いて品良くならべたらええ」

 しかし真也は、掃除がまだ完璧じゃないと感じていた。人様にお披露目できる状態ではない、と。
 掃除をする前は「この程度で十分」と感じていたのだが、店が綺麗になるに従って、汚さが目立つのだ。もっともっと磨き上げなくちゃいけない場所がたくさんある。

 しかし、真也はこれ以上、反論するのをやめた。
 久しぶりの店開きに心がはやっているのだろう。おばあさんの目がキラキラ輝いていたからだ。
 老人のやる気をそぐようなことはしたくなかった。

 おばあさんの指示で、2階の物置スペースに詰まれていたダンボールを真也は1階に下ろした。
 絵葉書、地名を印刷したペナントや提灯、キーホルダーに携帯ストラップ、トランプやUNOなど飽きの来ないカードゲーム類、その他いろいろ。
 真也は丁寧にそれらを拭いた。
 小動物のぬいぐるみや玩具は、埃まみれのビニール袋から取り出し、新しいものに入れ替えるだけで見違えた。
 新たには仕入れないといっていたキャラクターものは、今も通用しそうなものだけを取り出した。

「ああ、それはやめておこうか」
 埃を拭おうとしている真也の手を止めた。
「でも、これはまだ売れると思いますよ」
「ダメダメ。そういうのはいくつも点数が揃ってないとみっともないだけじゃからのう」

 おばあさんの解説は、こうだ。
 俗に「売れ筋商品」と言われるように、売れ行きのいいものは限られる。
 しかし、「売れ筋商品」だけを並べていたのでは、売れるものも売れない。
 最終的にお客様が選ぶのは「売れ筋商品」であったとしても、「自ら選んだ」という意識を持たせなくてはいけない。
 それが、ショッピングの楽しさというものだ。

 そして、提供する飲食物は、おばあさんの一存で決まった。たこ焼き、お好み焼きなどの粉モノと、定番のカレーライスと焼きそば、きつねうどん、おでん、ビールとジュース類、ソフトクリームである。
 たいした仕込はいらない。たこのぶつ切りは冷凍で入荷しているから、半解凍の状態で小分けしてラップに包み、そのうちのひとつを本日用として冷蔵庫に入れておく。残りは再度冷凍する。
 うどんも冷凍で、凍ったまま鍋に放り込めばいい。きつねうどん用の“あげ”は味付けのものがある。葱やかまぼこは切った状態のものが入荷している。出汁は所定の倍率で薄めて暖めるだけだ。
 おでんは調理済み5点セットが出汁と一緒に真空パックされていて、皿に移してレンジでチンするだけでいい。
 たこ焼きの粉もお好み焼きの粉も、調味料が配合された業務用のものが用意されている。具材はある程度用意しておけば、あとは売れ行きを見ながら、空き時間に補充していけばいい。最悪、注文を受けてキャベツを切る、などでも間に合う。
 カレーは業務用1号缶の缶詰を開けて温め、多少の隠し味を加えるだけだ。
 つまり、仕込みといえば、「ご飯を炊く」くらいなのだ。

「ち、ちっとも調理じゃない……」
「天候にも体調にも左右されず、同じ味を出すにはこれがええんじゃよ。それに、都会のモンは田舎の味付けを喜ばん」

 ミコが持ち込んだパソコンとプリンターで、真也はチラシを作った。
 スキー場のオープンに先立っての営業開始を告知し、業務の都合で早めにスキー場入りする業者を早々に顧客として捕まえれば、お客を誘導してくれるかもしれない。
 深夜まで営業することも、チラシで各宿に告知しておかなければ、わざわざ夜のスキー場で客は外出しないだろう。「漫然と店を開けていただけでは、客は来ん」と、おばあさんは真也にハッパをかける。

 コピーサービスをやっている店など知らないので、一枚一枚プリンターから出力することになる。それならばとカラーのチラシにした。カラーコピーは高いし時間もかかるが、プリンター出力なら気にしなくていい。インクの予備はミコが買い込んできてくれていた。

 50枚ほど印刷を終えて階下の店に顔を出すと、みやげ物のディスプレイがほぼ終わっていた。
 スペースはふんだんにあるが品数が少ない。けれど、空間を生かした配置は美麗なディスプレイとなって、品数の少なさを意識させない。
 むしろ、狭いスペースにごちゃごちゃとものを並べた一般的な土産物屋よりも、購買意欲をそそりそうだ。

 毛糸の帽子、ゴーグル、手袋、耳当て、リフト券ケースといったものが並ぶと、なるほどここはスキー場の中のお店なのだと真也は改めて感じた。
 既にストーブにも火が入り、いつお客が来てもOKの状態である。

「何時に開店にするんですか?」と、真也。
「こんな店に営業時間もクソもない。お客が来たら開店じゃ」
「でも、じゃあ閉店は?」と、ミコが問う。
「さあ、何時にするかのお? 夜食客を相手にするなら、人通りが途絶えるまでかのう?」
 チラシには11時まで営業、オーダーストップ10時半と印字されている。これは真也の独断でなく、チラシを作る前に一応は打合せをした上でのことだ。だが、おばあさんはそんなことはもう忘れてしまっているがごとくだ。
 真也は頭を抱えた。

 その視線がチラシに注がれているのに、おばあさんは気が付いたのだろう。
「チラシはチラシでええ。けど、11時2分に来た客を追い返すのかえ?」
 真也は抗弁した。営業時間終了直後に駆け込んだ店で、やんわり断られた経験は何度も有る、と。
「そりゃあ、大きな店が店員をたくさん雇って営業してる場合じゃ。自営業はそれじゃあいかん」

 片肺飛行とはいえ、とりあえず店は営業できる状態になった。
「ふう」
 真也は手を止めてため息をついた。チラシを作っているとき以外は立ちっぱなしだった。しかしディスプレイの前にいるときは少なくとも座っていた。けれど、相当くたびれていた。ずっと動き回っていたはずのミコとおばあさんの方がイキイキしているように真也には思われた。
「一休みするかえ?」
 炊きたてのご飯と、暖めたばかりの業務用カレーで昼食となった。時間は既に午後1時を回っていた。昼食に訪れるものは誰もいなかった。

 真也は疲労がこみ上げてくるのを自覚していた。それは労働に対する疲れではなく、どちらかというと精神的なものであった。こんな商売をしてていいのか、という疑問が、真也をどっぷりと疲れさせていた。
 土産物屋を開店するといっても、都会の雑貨屋じゃない。自分の目で選んで品物を並べるわけじゃない。スキー場の土産物屋である。定番商品しか並べようがない。飲食の部門にしたって、これといった自慢料理を出すわけじゃない。出来合いのものを温めなおして出しているのと、あまり変わらない。

 真也は就職活動の際のこだわりを、今さらのように思い返さずにはいられなかった。
「良い商品を仕入れて、その良さをお客にきちんと説明し、納得して買ってもらう」

 缶詰を開けただけのカレーも、冷凍のうどんも、真空パックのおでんも、自分の信念に反するものばかりだ。だからといって調理の技術があるわけではない。
 ☆印をもらえるようなレストランをやりたいと思っているわけでもない。
 けれど、せめて自分の選んだ商品を売り、自分の手で調理したものを食べさせたい。

 これまでの話の流れでは、確かに自分は店長だろう。しかし、オーナーではない。いわゆる雇われ店長というやつだ。
 これでは会社の言いなりになっている商社のサラリーマンと変わらない。

 自分はここで何が出来るのだろう?
 ここにいる意味はなんなのだろう?

 3時を過ぎる頃から、スーツ姿のお客がボツボツと来るようになった。
 遅い昼食なのか、間食なのか、わからない。
 客はカレーとおでんと焼きそばしかないと知ると、一瞬がっかりしたような表情を見せるが、すぐにその暗い表情は消え、概ね普通かそれより少し高いテンションで「じゃあ、カレー」「おでんとライス」などという注文が返ってくる。
「がっかりするのは選択肢が少ないからじゃよ。けど、定番商品じゃからな。実は自分の好物があると知って、喜んで注文してくれる。そういうもんじゃ。お客様の目を輝かせようと思ったら、売れないとわかっていても選択肢を増やしてやればいいんが、それはボツボツでええ」と、あとでおばあさんが説明してくれた。
 売れ筋で無い商品をボツボツ増やしていく、それを真也に期待しているのか、そのうち自分の手でやるからと宣言しているのか、真也にはわかりかねた。
 しかし、どうせ商品を増やすのなら、「新たな売れ筋となるような商品を自分自身で開発したい」と、ひそかに心に灯をともす真也だった。

 食事をしている間に、おばあさんはたこ焼きを焼き、「サービスじゃよ」と席まで運んだ。ついでにチラシを渡す。
 打合せにはなかった行動だ。おばあさんは「なんとなくそうしたら良いような気がしたら、勝手に身体が動いた」と言った。
 そのくせ、通りかかった人にチラシを配ったり、宿に持っていって挨拶をしたりなどという、真也が思いつくような営業活動はしない。
 それを指摘すると、「あんたは商売を知らん。人の気持ちがわかってない」と返された。
 望まない店から望まないチラシを手渡されたって迷惑なだけだとおばあさんは真也を諭した。「だが、自ら進んで金を払ってやろうと足を運んでくるお客を逃す手はあるまい?」と付け加えた。
 つい先日、宿やにもチラシを配らなくちゃいけない、などと言っていたのはどうなったのか。
 サラリーマンになったら、このような朝令暮改は日常茶飯事なんだろうか、真也は思わず考え込んでしまった。

 その日の客は、全部で5人だった。
「今夜の夕食はミコちゃんに頼もうかねえ」と、おばあさんが言ったのは午後7時ごろだったろうか。快く引き受けたミコが店から奥へ引っ込むのを背中で感じながら、真也は何をするともなくテーブル席に座っていた。
 それから約40分。夕食が出来たとミコが声をかけてくるまで、真也はボーっとしていたけれど、おばあさんはなにかしらこちょこちょと作業をしているようだった。

「店はこのままでええじゃろ。誰か来たら呼ばれるじゃろうし、誰も来んかもしれん」
 来ないだろうな、と真也は思った。

 食事をしながら、おばあさんは色々なことを語った。
 よく考えてみたら今日は日曜日だからそんなにたくさん業者の人が来るわけじゃないし、店を開ける必要なんて無かったかもしれないとか、いやいや本当に実力のあるビジネスマンは休日でも使わないとこんなところまで出張にこれないとか、そんな実力のある人に店の存在をアピールできたんだから効果絶大だとか、そんな風に思ったって所詮は自己満足の域を出ないとか。
 真也はじれったくなって、「いったいどっちなんだ」と叫びそうになったが、ぐっとこらえた。

「それにしても、数年ぶりの店番はこたえたわい。あー、疲れた、よっこらしょ」
 立ち上がるのかと思ったが、中腰になりかけて、また腰を下ろしてしまった。
「しかしま、わしよりも真也の方が疲れとるみたいじゃな」
 その通りだった。肉体的にはさほどではないが、なんだかぐったりしたような気分である。

「客が来て忙しうなったら疲れる。けど、ぐっすり眠れる。客が来んでも疲れる。気持ちがどっぷりと疲れるんじゃ。客商売は厳しいのう」

 真也は気が付いていた。多少のアルバイト経験はあっても、それは時給が保障されたもの。自営業としての客商売がどういうものかは知らない。
 それをおばあさんは今日一日かけて身体で、そして夕食をとりながら言葉で、教えようとしていたのである。
 しかし、真也が浮かない気分であるその本当の原因については、おばあさんも知りようがないだろうと真也は思っていた。

 ありふれた土産物と腹を満たすだけの食べ物を売りたいんじゃない。
 自信をもって良いものを売りたいのだ。
 これじゃ、売れさえすればなんでもいいという、これまで真也が受験してきたほとんど良心のない商社となんら変わらないじゃないか。

 再び真也は思索の底に沈んでしまった。

 自分はここで何が出来るのだろう?
 ここにいる意味はなんなのだろう?

「キミの言いたいこと、わかるわ」
 寝床でミコが言った。
「あれだけこだわっていたものね」
 これだけの台詞で、ミコは全てを理解しているのだと真也は知ることが出来た。

 恋人とは、ありがたいものだなと思った。
 同情するでもなく、深刻ぶるでもなく、慰めるでもなく、ただ単に「キミのこと、あたしはわかってるんだよ」とだけ伝える台詞。
 これでどれだけ救われることだろう。

「元気にしてあげるね」
 ミコはそう言って、真也のモノに手を伸ばした。ひとつの布団に裸で身を寄せ合っている。それだけで真也は既に半勃ち状態になっていた。堅さは最高の状態の時には遥かにおよばないが、一般的には十分なサイズにまでなっている。しかし真也のペニスはこの程度ではすまない。
「これがあたしの手で、もっともっと大きく太く堅くなるって思うと、それだけでゾクゾクするわ」
 掌で先端部分を包み、指先でカリの部分をひっかけて、強く弱く摩擦をくわえる。
 真也の本体はあっとう間に反応した。
 トロリトロリと透明な液体が先走る。

 もちろんこの間、真也も攻める。一方的に快感を受け取るだけではない。しばらく身体を交えてなかったが、昨夜のセックスでその溝は全て埋まった。それどころか、さらにまだ深みに達することが出来るとお互いに実感していた。
 けれど、明日の早朝にはミコはここを出る。出社時間に間に合うように出発しなくてはならない。だから、そこそこで切り上げて眠りにつかなくてはならないのだ。一晩中セックスに溺れて溶けきってしまいたいのはやまやまだけど。

「もう、入れて」と、ミコは懇願した。
 真也は上から重なる。先端がミコの中心部に触れる。さほど腰を動かすこともないままに、まるで吸い込まれるように真也のモノはミコの奥深くに達した。
「すごい、いいわあ、真也。ああ〜」
 無理やり押し広げられるようなこの感覚がたまらない、とミコは叫ぶ。
「ね、真也。今日は、このまま……。このままずっと入れたままで」
 ミコの声が官能を司る脳髄を直撃する。

 真也は子宮の奥深くまで突き刺す勢いで激しく腰を振った。
「あ、あ、あああ〜〜!!!」
 ミコは足を、真也に絡みつかせてくる。足だけではない。膣がねっとりと真也のモノにまとわりつく。
「お願い。今日は我慢しないで。いっぱい、……いっぱい……、中に、出してね……」

 真也が2回達するまでに、さほど時間はかからなかった。
 欲望のままに射精すれば、こんなに早くイッてしまうんだ。真也は自分の事ながら驚いた。

 真也は同じ体制でいるのが辛くなってきた。ミコもそれは同じだったのだろう。どちらからともなく身体を回転させ、今度はミコが上になった。
 けれど、ミコは動かない。ハアハアと息を切らし、上半身が小刻みに揺れている。真也もしばらくじっとしていた。
 にも関わらず、真也のペニスは津波のように押し寄せる快感を受け止めていた。ミコの膣壁がミコの意識に関わりなく、勝手に真也を攻め続けているのである。

 お互い腰を動かしていないのに、膣が震えて刺激を与えてくる女性、というのはこれまでにも経験していた。けれど、まるで激しくピストンしているのと変わらないなんてのは、ミコが初めてだ。ミコにしたって、これまでこんなだっただろうか。
 自分も何がしかの動きをしていたから気がつかなかっただけなのだろうか。それとも、こんなにまで激しいのは今までに無かったことだろうか。
 お互いがお互いに激しく呼応しあっている。

 このままだと3度目の射精に達しそうだ。真也は今回は我慢した。我慢するのは辛くない。我慢というより、セックスを楽しむためにコントロールしている、と言った方が正しいだろう。
 真也は上半身を起こして対面座位になり、ミコの体重を感じながら、ゆっくりと腰をこねくりはじめた。
 ミコも自分も相当声を出していたことに思い当たったが、おばあさんは相当疲れている様子だったので、真也はもう気にしないことにした。おそらくぐっすり眠っているだろう。

 合計5回、ミコの中で出し、最後の1回はミコの口の中に放出した。このとき、真也は執拗なクンニでミコを攻めていて、顔面で潮を受け止めた。
 店に関するもやもやした気分はすっかり吹き飛んでいて、ミコを抱きしめて目を閉じると、それからまもなく二人とも眠りについた。
 目が覚めると、ミコはもういなかった。出勤時間に間に合うように、そして真也を起こさないように、静かに出て行ったのだった。
 布団の中、あちこちに二人の液体が残っていた。

 

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