ロシアンルーレット

敗 者 復 活 戦

 

12.

 真也はなけなしの交通費を手に工房を出た。
 受け取るときには気が引けた交通費だが、いざ手中に収めてしまうと「これっぽっちの交通費で……」と感じた。これっぽっちの交通費で……、その後に続く言葉はなんだろう?
「これっぽっちの交通費で、不採用の落ち込んだ気持は慰められやしない」だろうか。
 それとも、「交通費を使ったことさえも無かった事にされるなんて」だろうか。

 さっきは無人だったショップに、1人の女性が居た。真也が工房に入るときにすれ違った彼女だ。あの時は木漏れ日のような女性だなと感じた真也だったが、今の印象はそうではない。蝶だ。美しい紋様をに彩られているようでいて実は燐粉を全身に纏っている。優雅に空を舞っているようでいて小さな羽根を必死に動かしている。

 向こう側が透けて見えそうなほど脱色したセミロングの髪も、あの一瞬のすれ違いだからこそきらめいて見えたのだが、今となっては無用なデコレートに思えた。
 彼女は壁にしつらえらた棚に正対していた。少し俯き加減の彼女の視線の先には、オルゴールがいくつかあった。
 真也は彼女がその商品に手を伸ばして蓋を開けるのを待った。木工細工の中から微細な音色が響いてくるのを待った。だが、結局彼女はそうはしなかった。彼女はすぐにでもオルゴールに手を触れそうな気配を漂わせていたが、どうやらそれは真也の錯覚だったようだ。

「あなたも面接に来られたんですね?」と、彼女は言った。
「残念ながら採用にはなりませんでしたけれど」と、真也は答えた。
「お互い様ですね」
 入念な化粧をしていたが、それは土台の悪さを隠蔽するものではなかった。素顔も決して悪くはないだろうと真也は思った。小さな顔の中におさめられたそれぞれのパーツはくっきりと際立っていた。
 清楚なお嬢さんにも水商売の女にもなれそうだった。
「帰らないんですか?」と、真也は問うた。
「木の香りが好きなんです。せっかくだから、何か買って帰ろうと思って」
「そうですか。じゃ、お先に失礼します」
 一緒にお茶でもどうですか、というフレーズが頭の中に浮かんだが、口に出すことは出来なかった。

 いったん下宿に戻った真也はうたた寝をしながらテレビを観、時間を見計らって再び外出した。ミコと待ち合わせをしているからだ。
 ミコが指定したのは彼女の会社の最寄り駅である。ミコの友人カップルもそこへやってくるのだろう。

 最初に着いたのは真也だった。駅前広場には花時計があり、その周囲には人待ちらしい男女が何人も佇んでいる。電車の到着に合わせて人の波が寄せては返し、花時計を取り囲んでいた人々の一部が入れ替わった。ロータリーを路線バスがぐるぐると回っていた。
 約束の時間の10分前。そういえば俺はミコの友人の顔を知らないぞと真也は思った。彼と彼女、あるいはそのどちらかが、自分と同じようにミコが来るのをここで待っているのかもしれないと真也は考える。ざっと見回したが、誰かを待っていると思えるような男女二人連れは存在しなかった。

「やれやれ」
 口に出すつもりはなかったのに、声が出てしまった。おそらくあまり気乗りしていないであろう自分が一番最初に来て待っているなんて。ミコに誘われたからノコノコ出てきたが、実はあまり気がすすまない飲み会であることに今さらながら気がついた。

 目と意識が周囲の風景に馴染んできた。こうして観察していると、待ち合わせを果たして次々この場を離れる人も多いが、じっと動かないでいる人も相当数いることがわかる。その中にもやたらとキョロキョロしているのがいて、約束の時間が過ぎているからなのか、それともそういう性格なのか。

 そういった待ち人の中に、ひときわ目立つ少女がいた。目立つといっても服装が派手なわけでもとびぬけて美人なわけでもない。他にすることもなくただ周囲を観察していた真也だからこそ彼女を「目立つ」と感じるのだ。
 真也がここに到着したとき、彼女は既に周囲の景色に溶け込んでいたように思う。真也が着いた後も風景の中の人々はどんどん入れ替わって行ったが、彼女だけはオブジェのようにその場にじっとしていた。
 身長は低めで、ショートボブ。目が澄んでいる。肌はとびっきり白い。その白さは青空の中の雲のように際立っている。雲にも色々と種類があるが、むこうにある大空が透けて見える雲だ。見方によっては、少女というより美少年に近い印象を与える。

 終始俯き加減だが、暗い印象は受けない。思い出したように顔を上げ、遠慮がちに左右を見て、そしてまた俯く。そのわずかな瞬間に彼女が見せる表情はとびっきり明るかった。「もしかしたらすっぽかされるかもしれない」なんてことは微塵も感じていないようだ。彼女の笑い声が今にもコロコロと響いてきそうだ。
 彼女が自分の方を見ないのをいいことに、真也はじっとその姿を観察していた。そうすると第一印象よりも大人びて見えた。自分よりわずかに年下、ミコと同年代くらいかなと真也は思った。
 その彼女が顔を上げた。とびっきりの笑顔を見せて、手を振る。待ち合わせの相手が現れたらしい。その視線を辿った先には、小走りに彼女に近づくミコがいた。

 数分後、真也たち一行は一軒の居酒屋にいた。あまり綺麗な店ではない。カウンターはほとんど配膳台と化しており、ホールにテーブル席がズラリとならんでいる。客席50〜60といったところか。喧騒が油っぽい空気の中を行き交っている。それだけに話題に制限はなく、また肘を突こうが何をしようが遠慮などいらなそうである。
 真也達が店に入ったときはまだ空席が目立ったが、徐々に込んできた。

 青空の中の雲のような少女は矢上香織と言った。ミコと同じく高卒で働いている。ミコと異なる点は、彼女が公務員という点だ。香織の彼は遅れて来るらしい。
「はい、名刺。社会人の証〜」と、おどけながら香織は紙片を差し出した。真也が就職できないでいることはミコに聞かされていたのだろうが、その明るい振る舞いからは嫌味なものはちっとも感じない。変に気遣いされるくらいなら笑い飛ばされた方が気楽である。
「馬鹿ねえ。プライベートで仕事の名刺を出すなんてナンセンスよ」と、ミコ。
「だって、プライベートの名刺なんて作ってないもん」

 真也は名刺を見て驚いた。肩書きがあったからだ。いわく「主事」である。
 真也はそれを読み上げた。
「あはは、バッカみたい。うちで主事ったら『ヒラ』のことよ。主事、主任、主査、主幹、参事……、なーんのことだかさっぱりわからないわ」と、香織は肩書きを笑い飛ばした。
 世の中には、肩書きひとつで大騒ぎする輩がいるのになと真也は思い、おそらく自分もそのうちの1人になるんだろうなと思った。

 それぞれが一杯目のアルコールを胃の中に流し終えた頃、香織の恋人がようやくやってきた。スーツもネクタイも若干歪んでいて、いかにも慌てて駆けつけてきました、という感じがする。
「すまんすまん、出ようと思ったら急な電話がかかってきて……」という台詞は香織に発せられたもので、真也とミコに向かっては「遅くなりました」と、きちんと頭を下げた。
 これが社会人というものかと真也はあらためて思った。

 彼は島崎正文と言った。身長は人並みだが香織と並べば長身に見えるかもしれない。決して太ってはいないが、ふんわりした見栄えだった。頬の肉がもう少しそげていれば精悍に見えるのになと真也は思った。短く清潔に刈られた髪は、社会人の心がけというより、面倒くさいからそうしているという印象を受けた。年齢は25だと彼は言った。香織は随分年上の男を恋人にしたものだ。

「遅いよ、島崎さん。今日はミコの彼を励ます会なんだから」
 やっぱりな、と真也は思った。
 友人とその彼氏に会うのに1人ではいやだからとミコは言ったが、実際にはそうではなく、真也のためにセッティングされたものだったのだ。
 そして、なんとなく気がすすまなかったのは、そういった額面上の誘い文句以外のところに何か意味があることを無意識のうちに悟っていたからだと改めて真也は思った。
 けれど、それがはっきりしてしまえば、悪い気はしなかった。
 むしろミコが自分のために何かしてくれた事が嬉しくさえあった。
 飲み会の真意をうっかりバラしてしまった香織をミコは一瞬にらんだが、真也は自分でもわかるくらい穏やかな表情に変化しており、それに気付いたミコは香織を咎め立てするのをやめた。
 しかし、気がつかないというのは恐ろしいことで、香織は追い討ちをかけてしまったのだ。
「さあ、メンバーも揃ったことだし、楽しくやろう。ほら、ミコの彼氏クンも内定が出ないことで落ち込んでばかりいないで、明るくお酒をのもう!!」

「こら」と正文は香織を肩でこづいた。
 所作も声も小さかったけれど、はしゃいでいる香織の浮き足立った気分を一蹴するには十分な迫力である。
「な、なによ、もう」
「彼だって好きで内定が出ないんじゃない。努力をしている人の前でそんなものの言い方があるか」
 正文は本気で香織を叱っているようだった。
「だって、わたし達まで暗くなってたら、励ましにならないじゃない……」
 ボソボソと抗弁する香織。反論するつもりはないらしく、むしろ言い訳に近い。
「ばーか、人を激励するっていうのは、明るくはしゃぐだけじゃないんだ」
「うん、ごめん……」

 ごめんと言いながら香織がミコの方に向き直ってペコリと小さく頭を下げたのは、香織が真也を元気付けようとわざわざ理屈を作って外に引っ張り出してきたことを思い出したからだ。本人の前で「励ます会」だのなんだの言ってしまったことを今さらながら後悔しているのである。
「あ、どうぞお気遣いなく。僕は元気ですから」と、真也は照れ笑いをした。
 ここまでハッキリと、励ますだの何だの言われると、それだけで励まされているような気になってくる。決して悪い気分じゃなかった。

 今朝までの真也に比べると確かに彼は元気になったな、とミコは感じていた。
「就職活動、何かいい感触でもつかめた?」
「いや、今日もひとつ落っこちた」
「ふうーん……」

 そのわりには真也の表情に屈託がないなとミコは思う。面接官はどうして俺の崇高な理想が理解できないんだと肩肘張った真也を、今は感じない。かといって情熱を放り出したようにも見えない。むしろ、一時期投げやりになりつつあった彼が、本来の持ち味を取り戻しつつあるとさえ感じる。

(恋人って言ったって他人だものね。所詮、自分で這い上がるしかないのかもね)
 ミコは目の前に置かれているアサリの酒蒸をほうばった。
「あ、おいしー!」
「おいしいでしょう? オススメのメニューなんですよ」と、正文はまるで自分が店主のような口ぶりだ。
「おいしいのはわかるんだけどさ、島崎さんったら、こんなオヤジな店ばっかりつれてくるのよ」
「ばっかりはないだろう? たまにはオマエの趣味にだって合わせてるじゃないか」
「たまには、でしょ?」
「まあそれは、予算の問題だけどな。だけど、うまけりゃいいじゃないか」
 香織が正文に叱られて場が暗くなるかと思われたが、食べ物の話題で盛り上がりつつあったので、ミコはほっとした。真也の言葉数は多くはないけれど、柔和な目元がミコをほっとさせる。これでこそ真也を励ます会だ。

 励ます、というよりも、真也に外の空気を吸わせようと思ってのことだったのだが、心配のしすぎだったかな?
 わたしもあまり神経をまわさず、ざっくばらんに話をしようとミコは思った。

「香織は彼のことをずっと『島崎さん』って呼んでるの? それともわたし達の前だからそういう呼び方をしているの?」
「ずっと島崎さん、よ。だって年上だし、最初からそう呼んでるし」
「最初はそうでも、付き合い始めたら変わるもんじゃない?」
「じゃあ、どうやったら途中から呼び方を変えられるの? わたし達はお付き合いをはじめたんだから、これからはファーストネームで呼び合いましょうって、宣言するの? なんか、そんなの変よー」
「別に宣言しなくてもいいけど、なんとなくそうならない?」
「じゃあ、ミコんとこはどうなのよ」
「え? あ? わたし? ええと、あれ?」
 そういえば普段のわたし達ってどうだったっけ? そんなことを考えながらミコは視線を外す。その先に、「本日のおすすめ」と書かれたメニューを貼った壁があった。どう見ても「本日」書かれたとは思えない汚れようだ。何日前に「本日のおすすめ」になり、それがおすすめのままいったいどれくらい経過しているんだろうかと、今の話題とは無関係なことをミコは考えた。

「下の名前で呼び合ってるんですね、羨ましいな」と、正文はほほえんだ。
「羨ましいんなら、あたしらも今日からそうしようよ」と、香織が甘えた口調で言う。
「はは、いまさら恥ずかしいじゃないか」
「恥ずかしいとか、そういう問題じゃないでしょ」
「そうかもしれないけど、どう呼び合うかは本質じゃないだろう。僕たちは僕たちのペースっていうかスタイルってもんがもう出来上がってるんだからそれでいいじゃないか」
「島崎さんは、彼女のことをどう呼んでるんですか?」と、真也が訪ねる。
「香織ちゃん、だね」
「もう、いつまでたってもちゃんづけなんだから。呼び捨てでいいのに」
 言ってから香織は赤くなった。ベッドの上でだけは正文も香織のことを呼び捨てにする。それを思い出したからだ。

 アルコールを摂取しながらの他愛のない会話が続き、真也は気分のいい一時を過ごした。帰宅してみればはたしてどんな話題をやりとりしたのかさほど覚えていない。ただいくつかのやりとりは強烈に印象に残っている。

「ま、就職なんて所詮、同時に選べるのはひとつだけだからね。一発で就職が決まる人も、なかなか決まらない人も、結局はどこか一箇所に落ち着くんだよ。ゴマンとある会社のなかでたったひとつだよ。そう思ったら、次々落とされたってどうってことないだろう? 自分にとってのたったひとつがそう簡単に見つかるわけがない」
 そこまで一気に喋ってから、正文は背筋を伸ばして座りなおした。

「世の中には事実と真実が別にあるって知ってるかい? 誰を採用するかは会社が決める。就職希望者が決めるわけじゃない。これが事実。でも、真実はそうじゃない。人事担当者は、この人が求めている就職先が我が社かどうかを判断しているに過ぎない。就職試験に落ちるということは、本人がその会社ではダメだとどこかで思ってるからなんだよ。空気というか雰囲気というかオーラというか、そういうものでわかるんだよ。担当者はそれを読み取ってるんだよね。つまり真実は、就職活動をしている者が会社を選んでいるってことなんだよ」

 いつまでも内定の出ない自分を慰めるための詭弁だと真也は思った。けれどもまた、それは同時に全くの出鱈目でもないのだろう。
 思えば、「浪人」という言葉に常に後ろめたさや敗北感やコンプレックスを感じていたっけ。
 だから高校や大学の受験先は浪人しなくてもすむように成績と相談して決めてきた。悪く言えば「妥協」してきたのだ。ならば浪人とは「妥協」しないこと、つまり志が高いということだ。

 だとすれば「浪人」のどこが悪いのだろう?
 就職と進学を同列に語ることは出来ないけれど、たったひとつを探すという意味では、似たようなものだと真也は思った。だから時間がかかっても何ら不思議ではない。浪人するのも悪くない。

「ところで、キミの希望職種は? 夢は?」
 正文に質問されて、真也は言い澱んだ。面接で理想を遠慮なくぶちまけたことが敗因なんだとミコに指摘されていたからだ。
 だが正文は「言ってみなよ。ここでそれを語ったからってキミの人生のマイナスにはならないだろう?」と、真也に言った。そして「むしろプラスになるかもしれない」と付け加えた。
「言いたく無かったら言わなくてもいいよ。そんなのホイホイ他人に語れるわけないわよ、普通」と香織は反論した。
「いや、言うべきなんだ。口にしたほうが夢は叶うんだぜ」
「言ったら島崎さんが彼の希望職種の世話をしてくれるとでも言うのー? 無責任なこと言っちゃダメなんだよー」

 酔いのせいもあるのか、随分香織は正文につっかかった。いや、恋人というのは本来こうして何でも言い合えるものなんだよなと真也は思いなおした。自分とミコだって意見は対立する。何でも考え方が同じ、というのが恋人ではない。
「もちろん世話なんかしないよ。けれど、彼の気付かない、あるいは出会わない何かに、僕が出会ったとき、それを教えてあげることは出来るだろう? 例えばそれが目立たない求人の張り紙かもしれない。その張り紙は彼の行動半径では絶対に目にしないものかもしれない」
「もー、理屈っぽいんだからー」
「理屈じゃないって。これは事実なんだ。夢は多くの人に語っておけば、誰かがチャンスを持ってきてくれる可能性が生まれるだろ? 言わなきゃソレまでさ」
「そんなこと言って、どうせまたどこか彼の知らないところで話のネタにするだけなんだから」
「だからって別に彼に迷惑はかからないだろ? 顔も名前も知らない人の話なんだし。それより、ネタにされた方が可能性が広がるんだ」
「ええと、真也君だったよね、こんなオヤジの話し、真に受けなくていいからね」
「25の青年を捕まえて何がオヤジだよ」

 香織の軽口を正文がまぜっかえし、話はうやむやになってしまったが、最終的には真也はミコに普段から語っている程度のことは伝えた。そして、正文にすすめられて携帯電話の番号を交換した。
 いい話があったら情報交換しましょう、とは多分に外交辞令的なものではあったが、この男ならいい話があればたとえ10年後でも連絡してくるだろうと真也は思った。

 しばらく泊り込んでいたミコも、今日は自分のマンションに帰って行った。扉を開けて自室に入れば久しぶりの一人の夜だ。
 真也は電気もつけずに今宵のやり取りを何度となく思い返していた。
 島崎正文……、今までに会ったことの無いタイプの人間だった。

 酔いが醒めつつあった。留守番電話のチェックをしていないことに気がついた。ランプが点滅しているので何らかのメッセージが入っているらしい。再生のボタンを押し、同時にパソコンを立ち上げた。メールも同時にチェックをしておこう。
 留守電には「内定通知」が届いていた。
 辞退者が出たので、繰り上がったとのことだった。
 浪人も悪くないと悟りにも似た境地になったその日に内定通知が来るなんて、不思議なものだなと真也は思った。

 

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