ロシアンルーレット

敗 者 復 活 戦

 

2.

 二人が出会ったのは、真也が高3、ミコが高1の時だった。真也の方が2学年先輩だった。
 あれから4年。時がいくら経とうとも年齢差は変らない。けれども高卒で社会人となったミコと、就職活動にしくじってばかりいる学生の真也とでは、人生経験ではミコの方が先輩になっていた。

「希望の会社へ行っても、やりたいことが出来るとは限らないじゃない。部署だってたくさんあるんだしさ」
「わかってるよ、そんなこと」
「志望していた会社でなくても、やりがいのある仕事は出来るしね。可能性はどこにでもあると思うの」
「だけど、畑違いの会社に入ったら、限りなく可能性は低い」
「それはそうなんだけどさ、就職した限りは、それがどんな仕事でも、やり甲斐を自分で見つけなくちゃ」

 就職先が決まらずに真也が焦り始めた頃から、何度となく二人の間で交わされた会話だ。

 友人にも似たようなことを言われたのを真也は思い出していた。だが、その友人は、まだ社会に出ているわけではない。頭の中で組み立てた理屈である。
 しかしミコのそれは、ミコ自身が就職して感じたことだ。重みがあった。

「でも、ミコはこれといった希望職種があったわけじゃないだろ?」と、これも真也が何度となく答えた返事だ。
 ミコはどちらかといえば「給料さえもらえれば職種なんかなんだっていい」と考えていたクチだ。
「だけど、惰性で仕事してるわけじゃないわよ。自分なりに考えて、取り組んでるわ。これはどんな仕事でも一緒よ」
「ミコが一生懸命なのは、わかってるよ」
 職種にはこだわっていなかったが、給料と引き換えに割り切って仕事をしているわけではない。与えられた環境の中で、ミコはミコなりに精一杯やっていると思う。

 二人は既に酒に酔い始めていた。お互いにまじめに議論しようとは思っていない。どちらかというと、それぞれの考え方を勝手に喋っているだけである。
 反論をしながらも、きちんと主張を聴いてくれるミコ。何度も打ちのめされながらも、夢を諦めない真也。それが二人にとっての癒しだった。

 そして、ミコは実は羨ましかったのだ。
 どれだけ説得口調で真也に話しても、絶対に自分の主張を曲げようとしない真也を見るのが好きだった。

「でも、最近は、ちょっと本当にしんどい」と、真也が弱音を吐いた。酒は本音を語らせる。
「最近? 就職活動なんて、いつの時代もしんどいものじゃない?」
「いや、そういうしんどさじゃなくてさ……」
 夢も情熱も自分の中では変わらないのに、気がついたら希望以外の職種にもエントリーしていたと、真也は告白した。
「気がついたら? そうかなあ。無意識にそんなことするものなの?」
「ていうか、まるで抵抗感なく『ま、いっか』ていう気持ちになってしまうんだ。で、後からそのことに気がついて、愕然とする」
「後で気がつく、か。ま、気がつくだけまだ重症には至っていないってことよね?」
「まあ、そうかもしれないけど……」

「こら、真也。弱気になるな!」
「……弱気にもなるよ。ああ、自分はどの会社からも必要とされてない人間なんだ、とか思うとね。たった一社の内定さえ取ることが出来ないんじゃ、彼女にだって見限られるだろうし、結婚なんてとてもおぼつかないしな。いや、ミコ、おまえのことを言ってるんじゃないよ、あくまで一般論」
「一般論なんて興味なし。あたしは自分の彼氏が一年や二年、就職にしくじったからって、そのことが原因でどうこうなるような女じゃないよ」
「わかってるよ、そんなこと」
「じゃあ、そんな一般論なんて話さないで」
「ごめん、そういう意味じゃないんだ。つまり、弱気になってるってことさ」

「ねえ、真也。あのさ、のんびりやろうよ。今の真也が『のんびりやろう』なんて気持ちになれないのはわかってる。でもさ……」
「ああ、そうだな。どうせ巡り合うのはたったひとつの会社だけだ」
「そうそう。あたしだって、何が正しいのかなんてわかんないし、真也が就職先にこだわって浪人しようと、妥協して就職しようと、あたしはなんとも思わないよ。どれも正解のひとつ、じゃない?」
「心ならずも気がついたら妥協していた。で、面接とかにのぞんだ。それでもやっぱり、不採用。俺って必要とされてない人間なんじゃないか、そんな風に思うと落ち込むんだよ」
「別にいいじゃない。世の中から必要とされてる人間なんて、いったいどれほどいるっていうのよ。自分の存在意義なんて、自分で決めればいいじゃん」

 真也を励ますことになるかどうかわからないけれどと前置きをして、ミコは自分の会社の話をした。
 上司の就職活動のエピソードである。その上司は、同期の中では出世頭である。他の同期の連中は昇進も出来ずにダラダラととぐろをまいている。その上司がとりたてて仕事が良くできるとミコには思えなかった。まわりの同期の連中より幾分マシ、という程度である。

「それもそのはずよ」と、ミコは言った。
 彼らはバブルの終焉間近に入社した。
「その頃の新人確保って、凄まじかったらしいの」
 なにしろ経済の絶頂期で、とにかく人手不足。求人に対して求職者が圧倒的に少なかった時代である。内定者を研修と称して拘束し高級旅館で芸者をあげてドンチャン騒ぎをしたり、海外旅行に招待したり。
「他社と連絡が取れない状態」にすることと、辞退させないために待遇を良くすることが目的である。中には外車をプレゼントするところもあったらしい。

「へええ、すごい時代があったんだなあ」
「だけど、そういう時に入って、ロクに仕事をしてこなかった人達って、そろそろリストラされてるんじゃないかなあ?」

「あたしね、高校野球ってすごいなあって思うの」
 ミコは唐突に話題を変えた。
 なんでまた、高校野球なんだ……。
 真也は思ったが、突っ込まなかった。閉塞状態にある就職活動の話題から遠ざかっただけで十分である。

 いや、どんな重苦しい話題だって本当のところ大歓迎だ。ミコが訪ねてきてくれるだけで、このなんの取り得もないマンションの小さな一室が、明るくなったような気がするからだ。

 真也は自分の住処のことを「マンション」と呼ばず、「下宿」と言っている。それなりにつつましやかな1人暮らしだが、「自分だけの城」というには、なんだか荒んでいる。そんな一室には、マンションよりも、下宿の方が似合う。
 ミコは真也の下宿の「一輪の花」だ。しかも大輪。無限の大きさと華やかさを持つ、真也の心に咲いた花だ。

「高校野球が、すごいって?」
「だって、プロって勝ったり負けたりするじゃない。でも、高校野球って、一度でも負けたら終わりでしょ? 甲子園で優勝するってことは、予選も含めて一度も負けてないってことなのよ」
 言われてみれば確かにそうだと真也は思う。

「高校の運動部って厳しいじゃない。あたしは運動部じゃなかったから実際にそこに身を置いた人の感覚はわからないわよ。でも、なんか、人生の全てをかけてる、くらいにやるじゃない」
 真也は頷いた。
「朝練やって、授業を受けて、それからまた暗くなるまで練習。土日は練習試合をしたりさ」と、ミコはまるで高校時代を懐かしむかのように、遠い目をしながら語った。
「でも、一度負けたら、全てをかけてたものがガラガラと崩れるのよね。そこから先に進めない。はい、それでおしまい、みたいな」
 遠くに向けられていたミコの視線が真也を捕らえた。その瞳の透明感に真也はドキリとした。

「それにさあ、どんなに厳しい練習に耐えたって、ベンチ入り出来るとは限らないのよね。ベンチに入ってもスターティングメンバーじゃなきゃ、出番があるかどうかもわからないしさ。そういう自分の責任が及ばないところで、勝ったの負けたのが決まっちゃうてのも、なんかムジョウというかフジョウリというか……。だけど、ううん、だから、っていうのが正しいのかな。なんか、凄いよね。壮絶だわ」
「まあな」と、真也は言った。

 それはトーナメント戦とリーグ戦の違いだよと口にでかかったが、やめた。ミコはシステムの違いに着目しているのではなく、そのシステムの中で戦っている者たちの壮絶さを言っているのだ。

「でもね、それがプロとアマの違いだと思うの。全てをかけて、なのに、たった一度の『負けた』だけで終わってしまう。それで終わってしまっても支障がないのは、きっと高校野球がアマチュアスポーツだからよ」
「プロにだってトーナメント戦はあるぜ」
「でもね、プロの大会なら優勝や準優勝でなくても賞金が出るし、スポンサーという存在もあるわ。年に何度も世界的な大会があるし、世界ランキング何位とか、年間ランキング何位とか、そんなランクのつけ方だってあるじゃない」
「ああ、あるね」
「弱いプロはそれだけでは食べられないかもしれないけど、アマチュアのコーチをしたり、全然無関係のアルバイトもしたりするでしょ? それだけで食べていける強い人でも、家族があってそれぞれの生活があるから、いずれにしても『全てをかける』ってわけにはいかないと思うの。でも、高校生なんて親に暮らしの面倒見てもらってるし、学校って言う社会の一員でいるだけで色々な優遇を受けてるし、まあ他のこと考えなくてもいいよね。まさに全てを甲子園にかけてるの。そういう意味でアマチュアなのよ、思いっきりね」
 真也はうんうんと頷いた。一部異論がないわけでもなかったが、異論を主張したからといってどうなるわけでもない。ミコの言葉を全て受け入れたってなんら支障もない。

 支障はないが、「だからどうだって言うんだ?」

 それには、真也が訊く前にミコが答えてくれた。
 思いつめていたことを吐き出すような勢いで喋っていたそれまでと違って、ミコはゆっくりと言った。ひとつひとつの言葉を掌で包むように。
「就職ってのは、間違いなくプロの世界よね」
 いったん言葉を切って、真也を見つめるミコ。
「プロの世界では、ちょっとやそっと負けたってどうってことないと思うの。むしろ、無敗なんてプロの方がおかしいよね」
 ミコのまっすぐな視線に思わず頷く真也。
「引退までにどれだけの成績を収めたとか、どれだけそのスポーツに貢献できたとか、そういうことが評価でしょ? 『後進の指導に当たる』なんて言葉もよく聞くわ。だから、1年目に芽が出なかったからって気にすることないよ。それがプロなんだよ」
 真也はミコが励ましてくれているのだと、やっと気がついた。

 何となく会話が途切れて、2人はモソモソとベッドに移った。
 いったん布団に潜り込んだ2人だが、ミコは上半身を起こした。大きくはないけれど、形のいい乳房があらわになる。ミコは胸を隠そうともしない。
 真也の顔を覗き込み、口を開いた。
「あたしね、はじめて真也に会ったとき、すごくまぶしい人だなと思った」
 まぶしい、だなんて最大級の褒め言葉だなと思いながらも、真也は素直に喜べなかった。今の自分はまぶしくないと思うから。

 ふたりベッドの上に並んで天井を見上げ、ミコの指は真也のペニスをまさぐっている。
「クラスメイトの男の子たちってさ、見かけだけはかっこいい人もいたけど、やっぱりどこかショボくって。でも、真也はなんか堂々としてた。妹の友達が来たからカッコつけてるんだ、というのとも違ったしね」
 確かに、ミコの前ではカッコつけたりはしなかった。少なくとも、付き合い始めるまでは。何しろ、妹の友達なのだ。妹といえば、家の中のそのへんに転がってる存在。妹が友達を連れてきてたって、「ああ、いたんだ」程度のものだった。
「真也ってコンプレックスのない人だったのよ。でも、はなもちならない自信家なんてのでもなくて、他人の凄さはきちんと認めてあげられる広い人だった。考えてみれば自信家なんてコンプレックスの裏返しだものね」

 真也が言葉を返さないからか、訥々と喋り続けるミコ。
「でも、今の真也は違うわ」
 言われなくても、わかっていた。
「不採用が続いて自信をなくしているし、内定をもらってる人に嫉妬もしている。けど、それが普通よね。みんな、そうだと思うわ。で、普通の人っていうのは、コンプレックスにさいなまれながらも、わずかに人より秀でている部分を自分の中から探しては優越感に浸るの。そうじゃない?」

 感じるところを刺激的になぞられながらも、真也のそれは半勃ちのままだった。
 いつから俺は、ミコの前でカッコつけるようになったんだろうと真也は思う。
 就職が決まらないというただの状況すら、ミコの前ではなんとなくカッコつかなくて、バツが悪かった。
 今だって、そうだ。半勃ちのペニスを、情けないと思う。恋人に直接触られているんだから、「どうだ!」というくらいギンギンでありたい。でも、そうじゃない。
 なんて無様なんだ、と思う。

「あ、でも、勘違いしないでね。昔の真也が良かったとか、今の真也が魅力ないとか、そういうことを言いたいんじゃないの。むしろ、そういう複雑な思いの中で必死で自分を輝かそうとか、長所を探して磨こうとか、短所を克服しようとか、チームプレイでそれぞれの短所を補い合おうとか、もがいている方が普通なのよ。これまでの真也が普通じゃなかったのよ。気を悪くしたら謝るけどさ、きっとこの『内定が取れない』っていうのは真也にとってはじめての挫折じゃない? 違う? でもいいのよ。挫折を知らなくちゃ人間は本当の輝きを得ることはないと思うわ」

 ミコは上半身を起こして、仰向けに寝そべっている真也に口づけをした。
 やわらかい感触がぬくもりを伝え合う。
「初めて会った時は、颯爽とした真也に一目惚れしちゃったわけだけど、今は違うわ。挫折の中にいる真也も好きよ。一般論は関係ない」
 語り終えてミコは再び唇を重ねる。
 真也はミコの背中に手を回してきつく抱き、ミコの唇を割って舌を挿入した。
「ん。むぐ……んん……」
 ミコの声にならない声が漏れる。

 ちょっと長いキスの後、「ね、気持ちよくなろう。エッチしよ」とミコが言った。
 真也とミコの上下が反転する。
 ようやく真也自身も、太く大きくそそり立っていた。

 

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