第4話 スーベニール「未来の子供達のために」  =11= 



 大阪行きのバスは夕方から夜にかけての出発だが、僕は昼過ぎには下宿を出た。まず事務所に寄って榊原チエからのメールをチェックするためだ。
 メールソフトを用いず、メールサービスを提供しているサイトのホームページにつなぐ形式のフリーの電子メールなので、下宿からつなぐこともできたが、清花も事務所に出ているような気がしたし、それなら二人でディスカッションした方がいいだろうと思った。
 よく考えると、僕と清花は待ち合わせの時間も場所も約束していない。僕も清花もまず事務所によるつもりになっていたからだろう。
 「風の予感」につながる商店街をぶらぶら歩いているとパン屋があった。いつも香ばしい匂いを店先に漂わせている。立ち寄ってみた。店内に一歩入ると、外に漂っていたのとは比べ物にならないほどの濃厚な香りが充満している。
 食事を全くしていなかったので、バケットを買った。社長の美味しいコーヒーがあれば、バターも何も要らない。
 外国映画のようにバケットを小脇に抱えて事務所に向かった。

 事務所には清花と社長の他に、杉橋も来ていた。昨日の今日では顔を出しにくかったろうが、さすがに榊原チエがどんな反応を示すか、気がかりだったという。
 「返信メールは届いてないわ」と、清花が言った。
 「悪質な悪戯だと、無視してくれればいいんですけれど」と、杉橋。
 けれど、僕は別な意見を持っていた。
 「マメにメールチェックしない人だったら、まだ読んでいない可能性もあるよ」
 インターネットを始めた頃、嬉しがってあちこちにメールアドレスを吹聴した。けれど、数日経っても一通のメールも来ないので、それっきりにしていたことがある。
 そうしたら、電話がかかってきた。大学の友達からだった。
 「おまえ、今日の授業はでないとまずいって、メールしておいただろう? どうして来なかった」
 「なんだよ、そんな大切なこと、電話で教えてくれよ」
 「何言ってるんだ。メールは一日一回はチェックしてくれなくちゃ。相手の都合お構いなしでベルが鳴る電話と違って、メールは自分が読もうと思ったときに読める便利なメディアなんだぞ。だから、せめて一日一回はだな・・・」
 まだまだ講釈が続きそうだったので「わかった、これからはそうする」と言って僕は電話を切った。
 そして、心の中で愚痴っていた。「いったいなんなんだ、電子メールって!」
 電話はベルが鳴る。郵便物や電報は届けられる。だが、電子メールは自らチェックしないと、届いてるかどうかもわからない。これが欠点なのだ。「これのどこが便利で新しい通信システムなんだよ!」

 「青山さんがメールアドレスを知っていたんだし、それなりにチェックはしてると思うけれど」と、清花は言った。
 そうかもしれない。
 つまり・・・、僕がなにか考えの淵に沈もうとしたとき、携帯電話が鳴った。清花の着メロだ。それで僕の思考は途切れてしまった。
 「はい? え? あら、榊原さん」
 今、僕達が話題にしていた榊原チエからだった。僕はメモ用紙に「メール」と書いて清花に示した。だが、清花は首を横に振った。
 そりゃあ、そうか。まさかこちらから「怪しげなメール来なかった?」なんて訊く事は出来ない。
 短いやりとりがあり、電話を保留にして清花は言った。
 「やっぱり彼女、メールを読んでいたわ。気味が悪いけれど、内容が内容だけに親しい友達には相談しにくい。変に勘ぐられるのはいやだから。そう思ったら、わたしたちのことを思い出したんだって。『優秀な調査員の方に是非なんとかしてほしい』そうよ」
 「確かに我々は優秀だよな。犯人が誰か、依頼を受ける前からわかってるんだから」と、僕は言った。
 「ちょうどこれから大阪に行くんだし、犯人をしょっぴいていこうか」
 そう言う清花に、杉橋は「勘弁して下さいよ」と、叫んだ。
 「どうする? 橘クン」と、清花。
 「もちろん、行こう」
 「オッケー」
 清花は保留を解除し、明日の午後、姫路に行くと伝えた。
 「ちょうど土曜日で仕事が休みだから、いつ来てもらっても構いませんよ。なんでしたら泊まって下さっても」という返事だったと、電話を切ってから清花は僕に言った。
 僕たちは甘えることにした。

 東京駅を出発したバスは順調に走って、高速道路に乗る。
 隣の清花は考え事をしているのか眠っているのか、眼を閉じたまま身じろぎもしない。席は6割方うまっていて、着席した客たちは早々にカーテンを閉めてリクライニングを倒していた。窓際に座っていた僕は、そっとカーテンをめくって外を見る。昼も夜も区別無く、たくさんの車が疾駆していた。
 時計を見る。いつもならまだなんやかやと活動している時間である。なのに、バスの中は深夜という名の海の底に沈んだみたいに静まり返っていた。きっと駅は人ごみであふれ、居酒屋では酒宴が繰り広げられ、オフィスではまだ残業に頭を抱えている人がたくさんいるのだろう。なのに、このバスの中だけは、誰もが眠ろうとしていた。バスという小さな箱の中だけは別世界の空間のように思えるのだった。
 「ちょっと、和宣・・・」
 清花が声をかけてきた。
 「何?」
 「まぶしい。カーテン閉めて」
 「ごめん」

 6時25分。僕達を乗せたバスは大阪駅に着いた。
 青山健二と梶谷武史はどこでお茶を飲んでいたのだろうと思いながら大阪駅構内をうろうろしていると、食べ物屋がぼちぼち開きかけたのでそのひとつにはいる。
 清花は和定食を、僕はホットコーヒーを注文した。まだはっきりとしない頭を振りながら、コーヒーをすする。バスの中では何度も目が醒めた。睡眠時間としては十分だったが、熟睡できなかったのだろう。一方、朝露に朝日を反射させてキラキラ輝く可憐な花のように、清花はいきいきしている。
 7時5分。
 「そろそろ、行こう」と、僕。
 「うん」と、清花。
 中央コンコースから改札を入る。
 そして、電光掲示板を眺めた。
 JR宝塚線・福知山線と書かれたボード。ここに三田方面に行く列車の発車時刻・行き先・番線が表示される。
 正式名称は福知山線だが、そのうち運転本数の多い篠山口より南の部分に「JR宝塚線」と愛称がつけられている。従って、○○線という表記がふたつ併記されていても、実体は同じ路線だ。
 「あった。7時15分。普通新三田行。6番線。これだ」
 僕は提示を指差した。
 「え? 6番線?」
 清花が叫んだ。
 「7時15分。普通福知山行。1番線。これも三田に行くんじゃない?」
 「え?」
 僕たちはJR監修の大型時刻表の巻頭地図を開いた。
 JR宝塚線および福知山線は・・・。
 大阪からふたつ西の駅「尼崎」から北へ分岐する。正確には、ここまでは「東海道本線」であり、分岐をする「尼崎」が福知山線の始発駅だ。主要駅を順にあげると、まず宝塚。宝塚歌劇や手塚治虫資料館などで有名なところだ。そして、三田。そのひとつ先が新三田。そして、さらに篠山口、福知山と続く。
 つまり、この「新三田行」と「福知山行」の2本の列車は同時に大阪駅を出発し、同じ線路の上を走って三田方面に向かうのだ。ひとつは三田のひとつ先新三田止まり、もうひとつはさらに足を伸ばして、終着駅の福知山へと至る。
 「あれ? あれ? じゃあ7時15分発がふたつあるのか?」
 東海道本線は複々線なので、物理的には同時に2本の列車が発車することは可能だ。
 けれど。尼崎から先は複線であるから、下り列車が使える線路は1本である。
 終着駅は異なるものの、「新三田行」も「福知山行」も、同じ福知山線の列車で、列車種別も両方とも同じ「普通」である。
 常識ではちょっと考えられない。
 「表示が故障してるのかな?」
 「なに言ってるの。JRの時刻表に書いてあるとおりだわ」
 「そうか、じゃあダイヤのミスだよね」
 ボソボソ言ってる僕に、清花は声を張り上げた。
 「もう時間がないわ。別々に乗りましょう。和宣、あなた6番線、わたしは1番線。三田駅ホームで会いましょう。もし、なにかの間違いでどちらかの列車が存在しなかったら、次の列車で追いかければいいわ」
 「わかった」
 僕たちは二手に分かれた。
 階段を駆け上がる。ホームに出る。ホームの両側に線路がある。6番線はどっちだ?
 ちょうど電車が入ってきた。「普通 新三田」の表示。これだ。
 乗り込む。列車が動き出す。僕は腕時計を見た。ジャスト、7時15分。電光掲示板は間違ってはいない。そしてまさしく、これが青山健二の乗った列車だ。

 大阪駅は環状線ホームの「内回り」「外回り」の他に、1〜11番線まで、合計13線ある。
 まず進行方向に向かって左手に環状線2本が別れていく。そして東海道線は11本あった線路が、片側2本、上下あわせて4本の線路に収束される。
 発車して間もなく、後から追いつくようにしてもう一本の列車が近づいてきた。そして、すぐ隣に並んで走る。近すぎて隣の列車の行き先表示が確認できないが、おそらくこれが清花の乗った「普通 福知山行」だろう。
 線路はピタリと寄り添ったかと思うと、時々離れたりするけれど、複々線を利用して確かに福知山線の普通列車が2本、並んで走っていた。電光掲示板も時刻表も間違ってはいない。
 でも、なぜ?
 その答えは、列車ダイヤを作ったJR西日本に訊かないとわからないだろう。
 併走していたはずの2本の列車だが、僕の乗った新三田行はスピードを緩め始めた。清花の列車がどんどん先行する。
 新三田行は、「塚本」という駅で停車した。清花の乗った「福知山行」は通過だ。塚本駅のホームを走り去る瞬間を見たわけではないが、そちら側の線路にはホームに鎖がしてあり、乗り降りできない構造になっていたから容易に想像できる。
 そうか。こっちが塚本に止まっている間にあっちが先行し、先に福知山線に乗り入れるんだ。
 なぜ、こんな変なダイヤなんだ?
 それほど乗客が多いわけじゃない。普通なら一本に集約してもおかしくない。
 わからない。わからないけれど、これが現実の列車ダイヤだから仕方ない。もしかしたら、このダイヤの不思議が事件を解決する手がかりなのかも・・・

 僕の乗った「普通新三田行」は、途中の川西池田駅で待避し、快速が先行した。この快速が「東西線系統」で、尼崎で合流して福知山線に乗り入れる列車だ。後で時刻表を調べると、奈良発新三田行快速だった。この時依頼者は眠っていて快速に乗り換えていない。僕も乗り換えずにそのまま普通に乗り続けた。
 ただし、大阪駅を同時に出発した清花の列車は、終始この快速に抜かされることなく先行し、その結果、清花の三田着は8時2分、僕の三田着は8時9分と7分の差がついた。
 ちなみに、途中で抜いていった快速に乗り換えると、三田着は8時5分である。
 わずか6分の間に3本の列車が次々と三田駅に到着していることになる。まさしく、時刻表など不要だ。
 ところが大阪発基準で考えると、7時15分の次は7時30分。梶谷武史が乗ったとされるのがこの列車だ。三田着は、8時20分。 この列車も川西池田で東西線系統の快速列車に抜かされており、梶谷武史はこれに乗り換えて三田に8時15分着、の予定だった。
 しかし、三田駅前の爆発事故のために、福知山線のダイヤはその日、ズタズタになっている。
 社長が調べてくれたところによると、青山健二が乗った列車はかろうじて三田に着いた。これは彼の証言と一致する。
 だが、この後、8時15分着、20分着、27分着の3本の列車が宝塚−三田間で立ち往生した。線路を逆行して引き返す方法もあるが、宝塚駅のホームにも、平常運転なら三田に8時33分と43分に着くはずの列車が足止めされていてホームに余裕がない。
 宝塚よりも大阪寄りで停車中の列車の乗客は、阪急など代わりの列車で移動することもできたし、道路も整備されているからバスなどで救出できたが、悲惨だったのが宝塚−三田間で止められてしまった3本の列車の客である。この区間はトンネルの連続する難所で道路事情も悪く、折り返し設備もない。従って、梶谷武史は相当長い間、いつまでたっても動こうとしない列車に閉じこめられていたはずだった。

 三田駅ホームで落ち合った僕と清花は、顔を見合わせた。
「ねえ、和宣。梶谷さんって、もしかして、青山さんよりも先に三田に着くことが出来たんじゃない?」
「うん、僕もそれを考えていた」
 7時15分発の列車に乗り遅れたふりをして、もう一方の7時15分発に乗る。
 そうすれば、青山健二よりも先に三田へ着くことが出来たのだ。
「でも、何のために?」と、僕。
「さあ」と、清花。
 目的はわからなかったけれど、これはすごく重要なことに思えた。根拠なく僕の勘に触っていたもの、どうやらそれがコレだったのだ。コレを発見するべく僕の脳細胞は無意識に時刻表を気にさせていたに違いない。なぜなら、この発見の後、僕は以前のようにモヤモヤと引っかかるものを感じなくなったからだ。
 なぜ気が付かなかったのか。悔やまれた。
 時刻表を凝視すれば発見できたろうし、以前関西に来たときに、正しく青山の辿った道をなぞっていれば、やはりその時に気が付いたろう。

 僕たちはこの後、新三田駅にも行ってみた。JRで一駅である。
 畑の中の何もないところに新しく作られた駅だった。バスに乗って、神戸電鉄のウッディタウン中央駅へ向かう。ここから神戸電鉄で新開地へ、そして姫路へ行くためだ。
 僕たちは姫路で、榊原チエに電話連絡をした。彼女は車で迎えに来てくれた。
 こうして僕と清花は、チエの家のパソコンの前に座った。

 チエはキーボードとマウスをかちゃかちゃと操作して、画面に件のメールを表示させた。「これです。あたしの所に届いた、妙なメール。悪戯にしては、気色悪いでしょ?」
 僕も清花も文面は承知していたが、改めて読み返す。確かに悪戯にしては度が過ぎるだろう。気色悪く思っても当然だ。
 僕と清花の役目は、適当な理由を付けて「心配しなくても大丈夫。こんなの無視すればいい」と言ってあげることだ。だが、適当な理由が思い当たらない。
 そして、もうひとつ。
 爆弾ホームページにアクセスしたのが、彼女なのかどうかを調べること。
 チエはマグカップにコーヒーを作ってくれた。僕たちはそれを受け取って、マグを片手に画面を見つめる。
「あたしは、知っている人にしかメールアドレスを教えていないんです。だから、知人の仕業か、それともどこかからメールアドレスが漏れたか」
 訥々と不安を語るチエ。なるほど、本文の気色悪さもさることながら、情報のリークも気になるわけだ。
「まさか、このメールに返信はしてないよね?」と、清花。
「ええ」と、チエ。
「その後、連絡は?」
「ありません」
「発信人のメールアドレスから発信者を特定する事は出来そうにないわ」と、清花が言った。
「どうして? あ、でも別に、犯人を突き止めようとも思わないけど」
「ほら、発信者のメルアドに、tokumailっていうのが含まれてるでしょ? これって、無料で匿名のメールアドレスを提供しているところなのよ。だから、ほら、あなたのメールに広告が挿入されている。この広告料があるおかげで無料でメールアドレスが取得できるの」
「ふうん・・・」と、チエ。だからって、あたしの不安の解消にはつながらないわ。そう表情に書いてある。
「つまり、悪質ないたずらだという可能性が高いと思うよ」
「そうかなあ」と、チエ。
「それとも、心当たりでもあるの?」
「ま、まさか。どうしてあたしが爆弾なんか」
 確かに「まさか」だろう。けれど、少し反応があったように僕には思えた。
「でしょ? だったらいいじゃない。もし、こういうことが続くようだったら、また力になるわ」
「え? ホント? 良かったあ」
 チエはようやく一安心という表情をしたが、一方僕たちの疑念を消すには、まだ材料不足だった。

 あの爆弾のホームページを、チエが閲覧していないという確証はないからだ。
 これを確認するのは簡単だ。ブラウザ(ホームページを閲覧するためのソフト)には「履歴」というのが記録されていて、これを見ればかつて訪問したページが全てわかるようになっている。また、パソコンのハードディスクには「キャッシュ」と呼ばれるスペースがあって、一度閲覧したページはしばらくの間この「キャッシュ」に保管される。従って、いちいちネットにつながなくてもしばらくは見ることが出来るのだ。
「多分ただの悪戯だ、ということで放置しておいてもいいけれど、もう少し調べてみたいの。ブラウザを起動させてもいいかしら」
「ええ、いいけれど。インターネットするの? 今、つながっていないわよ」
「いいの、つながってなくて。調べたいのは、履歴だから」
「え? 履歴って?」
「あなたが今までにどういうホームページを見たのかがわかるわ」
「え?」
 チエは清花を睨んだ。ギロリという音が聞こえてきそうだった。
「それって、あたしを疑っているの? あのメールは悪戯じゃなくて、本当なんじゃないかって?」
 眼光鋭く清花を睨んだチエだったが、それはホンの一瞬だった。今、チエは表情を曇らせている。まるで「あなたがた、あのメールを信用しているの?」とでも言いたげだ。
「ちょっと、がっかり、よ。あたしのこと疑っているのね。あんな悪戯メールを真に受けるのね」
「そうじゃないの。でも、何の根拠もなく悪戯メールが送られるとは思えないわ。何かのヒントがこのパソコンにあるかも知れない。だから調べるの」
 清花はうまくかわしたが、いずれにしても僕たちはチエにかかった疑いを解かなくてはならない。あるいは、疑念が確証になってしまうかも知れないのだが。
 僕は清花とチエのやりとりに口を挟まず、清花に任せることにした。
 清花はブラウザを開き、爆弾の作り方ホームページのアドレスをかちゃかちゃと打ち込んで、エンターキーを押す。
 画面上には、「ダイアルアップ接続をしますか?」というメッセージが現れた。清花は「オフライン作業」を選ぶ。
「榊原さん、見てて」
 ブラウザには、例の「爆弾の作り方ホームページ」が現れた。
「え。やだ。なにこれ?」
顔を覆うチエ。
「電話回線はつながっていないわ。つまり、このパソコンを通じて、以前このページを閲覧したことがあるって証拠よね。今見てるのは、そのときのページが保存されたキャッシュから呼び出したものなの」
「うそ。でも、あたし、こんなの知らない・・・」
 じっと画面を見ていたチエは、このページが何なのかを悟るにつれ、身震いを始めた。
「言い訳してもダメ。こうやって証拠が残ってるんだもの」
清花はぴしゃりと言った。
「だって、あたしこんなの知らないもの。関係ないもん。おかしいわよ、これ」
ボソボソと抗弁をしていたチエだったが、徐々に声が大きくなる。
「おかしいわよ! これ。絶対。だって、あたし、本当に知らないもん!」

 僕もおかしいと思う。チエの取り乱しようは、嘘を取り繕うためとは思えなかった。何しろ証拠が残っているのだ、いまさら知らぬ存ぜぬと大声を張り上げたところで、意味がない。
「そう。でも、あなたが知らなくても、パソコンは覚えていた」
清花は淡々と言った。
「もし、本当にあなたがこのページ知らないと言うのなら、あなた以外の誰かが、このパソコンを使った、という事よね」
 あ!
 そうか。その可能性があった。
 パソコンのハードディスクにはプライバシーに関するものだって収められているだろう。とくに家庭に置いてあるものならなおさらだ。そのパソコンを使わせてあげるということは、それなりに親しい人に限られる。だが、もしその親しい人との付き合いが人目をはばかるものだったら? そう簡単には教えてもらえないだろう。それを白状させるために、清花はわざとチエを追いつめたのだ。
「誰? あなたがこのパソコンを使わせたのは?」
「え、それは」
「もしかしたら、その人が爆弾犯人かも知れない。そう思うと、名前は出しにくいかもね」
「いえ、まさか、そんなことする人ではないと思うけれど、でも」
「でも、そう言われてみれば、そんなことしそう?」
「・・・・・・」
「いいわ。わたしが教えてあげる。ズバリ、梶谷武史くん。違う?」
 チエはハッとして、清花を見つめた。そして、しばらくの無言。その後、ゆっくりと口を開いた。
「・・・そうです。でも、どうして?」
 どうして知っているの? チエはそう言いたかったのだろう。だけど、清花はそれには答えなかった。
「お付き合いしてたの?」
「いえ。たまに会っていただけ・・・」
 身体だけの関係。僕はピンときた。
「そう」
清花は、ふーっと、ため息をついた。
「あなたと彼のことは、他の人は知っていたんですか?」と、僕はようやく台詞を口にすることが出来た。
「いえ。彼が、内緒にしてくれって。弥生さんと付き合って、別れて、今度はあたし。そんな風に思われるのが嫌だからって。俺はいいけど、あたしが傷つくかもって。彼はそう言った。
 でも、本当は違うと思うなの。多分、あたしは遊ばれてるだけ。わかってたんだ。どうしても、お付き合いしているとか、恋人同士なんだとか、そういう気持になれないもん。だけど、いいんだ。求められるって、けっこう、気分いいじゃない? ねえ。そうよね? あたし、求めてくれる人がいるだけでよかったの」

=作者注=
 福知山線のダイヤ解説。

 作中のようなダイヤが現実に発生したのは、それまでの運転ダイヤの経緯によるものが大きいと思われます。
 もともと福知山線の列車は一部の例外を除いて全てが大阪発着でした。そして、大阪−尼崎間は、複々線のうち「特急列車」などが使う外側の「列車線」を使って運転されていました。
 一方、東海道線の普通列車や快速列車、そして初期の新快速列車は内側の「電車線」を使っていたのです。
 ここで大きく異変が起きたのは、東西線の開通です。東西線には1時間に4本の快速列車が走り、これは純粋な増発列車として福知山線に乗り入れています。一方、普通列車も4本が運転され、これは東海道線から山陽線の「西明石」に向かいます。
 ところで、東海道・山陽本線の普通列車は毎時8本です。ここへ東西線の4本が乗り入れると、合計12本となり供給過剰になります。そこで、東海道・山陽本線の普通列車8本のうち4本を尼崎おり返しになりました。
 すると、尼崎駅に関係する普通列車の運行スタイルは次のようになります。
 1・三田方面−尼崎−大阪(毎時4本)
 2・     尼崎−大阪−高槻・京都方面(毎時4本)
 3.西明石 −尼崎−大阪−高槻・京都方面(毎時4本)
 4.西明石 −尼崎−京橋方面(毎時4本)

 よく見ると、尼崎−大阪間が相変わらず毎時12本で、供給過剰になっています。
 もともと三田方面へ向かう列車は、普通・快速・急行・特急をあわせても1時間に1〜2本だったので、問題にならなかったのですが、複線電化と共に列車本数が激増し、結果としてこういうことになったのです。
 しかし、それでも福知山線が大阪発着の全く別系統なら手の打ちようが無かったのでしょうが、東西線の開通・乗入れと共に上記のようなことになり、そこで1の系統と2の系統をくっつけてしまえ、ということになったようです。また、この背景として、この頃は一部の例外を除いて東海道・山陽本線の普通列車は全て西明石−高槻間の運転だったのですが、この半分を京都まで延長するために、車両を捻出する必要もあったようです。
 しかし、ここまで列車本数を集約してしまうと、ラッシュ時には対応が出来ません。そこで、朝ラッシュに関しては、この2系統のドッキングが行われていません。したがって、朝ラッシュ時とそれ以外の時間帯で運転系統が異なるわけですが、その入れ替えの時間帯にこのようなダイヤが発生してしまったと想像できます。これは土曜休日ダイヤだけの特異な例です。
 こんな単純なことはすぐに解消できそうなきもしますが、おそらく折り返し等の車両運用その他の理由で、走らさざるをえないのではないでしょうか?

 もっともJR西日本に問い合わせたわけではありませんので、この想像が正しいかどうかはわかりませんが、当たらずと言えども遠からず、のはずです。これがさしずめ商業出版の推理小説で使われるなら、「JR宝塚線0秒の死角」なんてタイトルになるかもしれませんね。

 



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