第6話 ヒーロー「あおい伝説」  =1= 



 僕は四輪駆動のマイクロバスなんてものをはじめて見た。車高が高い。安易にバリアフリーを口走る頭の悪い評論家をあざ笑うようなバスである。ペンション「ホワイトエンジェル」が客を送迎するためのものである。
 「それじゃあ、出発します」と、オーナーがハンドルをとった。
 強靭なサスに支えられて独特の振動をお尻に伝えながら、四駆のマイクロバスは動き出した。すかさず、最前部にあおいさんが立って、マイクを持った。

 「みなさん。本日はようこそ『ホワイトエンジェル』をご利用頂きまして、ありがとうございます」
 あおいさんの声は朗々としていた。窓の外はきれいな青空。車内は暖房が効いているが、外は寒い。
 「この送迎車は、まず、六日町スキー場へ、そのあと、八海山スキー場へまいります」
 結局、僕と清花は六日町スキー場へ、腕に覚えのある社長は八海山スキー場へ行くことになった。(番外編2参照)
 「それでは、当ペンションが誇るスキースクールの、コーチを紹介します」
 パチパチと小さな拍手が起こった。僕の隣に座る清花と、4人連れの家族からだった。ペンションからゲレンデへ行くだけだが、それでもちょっとした遠足気分なのである。
 「まず、六日町スキー場で、初心者&ファミリーを担当させていただくのが、わたくし、河浦あおいです」
 あおいさんは軽く頭を下げた。ちいさめの顔にショートカットのボブ。日に焼けた肌。まるで少年のようだ。
 「それから、八海山スキー場で、中級・上級コースを担当させていただくのが、都村武士」
 運転席のすぐ後ろに座っていたやたら座高の高い男がのっそりと立ちあがった。高いのは座高だけではない。身長そのものが高い。身体全体がでかい。スキーヤーと言うよりプロレスラーだ。あおい以上に真っ黒。ただ立ち上がるだけで威圧感を伴うが、お辞儀をしながら微笑むその表情でようやく客をホッとさせた。マイクロバスに乗車するとき、客のスキーの積み込みを黙々と手伝っていた男が彼だ。
 こういう男はトクだなあと僕は思う。第1印象はいかにも恐ろしいが、そういう男がせっせと働く姿は、人に好印象を与える。
 「そして、ハンドルを握るのは、わがペンションのオーナー、都村啓司です。どうぞよろしくお願いいたします」
 ん?
 あおいさんはオーナーの娘だったはず。なのに、姓が違う。あおいさんは既に結婚しているのだろうか? そんな風には見えないが・・・
 大男とオーナーの関係も、イマイチ良くわからない。親子という感じでもなさそうなのだが。

 僕の疑問には清花が答えてくれた。
 「都村武士さんは、オーナーのお兄さんの息子さん。あおいさんはバツイチで、姓は元旦那さんのものね。まだもとに戻していないのよ」
 「ふうん。なのに、実家には帰ってきてるんだ」
 「いいえ、一人暮しよ。スキーシーズンだけのお手伝い」
 「あ、そうなんだ」
 ちょっとだけ家庭事情が複雑?
 いや、複雑と言うほどのものではない。
 それにしても、清花はいつのまにそんな情報を入手したのだろう? オフだというのに、清花の情報収集能力はやはりすごい。

 六日町ゲレンデでバスを降りたのは、合計8人。一組のカップルは「迎えの送迎」時間を確認して、さっさと滑りに行ってしまった。スクールを受けるのは僕と清花のほかに、家族連れの4人組。双子の5歳の女の子とご両親だ。平日だが、幼稚園を休ませてやってきているとのこと。
 「どうしてもお子さんに合わせたスクールになりますから、タチバナさん方は、つまらないとおもったら離脱してもらって構いませんよ」と、あおいさんは言った。
 もともとこのスキースクールは、宿泊者へのサービスであって、無料なのである。
 「大人も子供も基本は変わらないんでしょう?」と、清花。
 「ええ、まあ、そうです。教え方は相手を見て決めていますけれど」
 「じゃあ、それでいいです。自己流でしか滑ったことがないから、きちんと習って行きます。ね、和宣なんかどうぜウンチなんだから、一緒に教えてもらおうよ」
 もとよりそのつもりである。運動音痴で自己流でしかもブランクがあるときてるから、教えてもらうより他にない。
 「このお兄ちゃん、ウンチなの〜? きたなーい」
 双子の一人がマジで嫌そうな顔をした。もうひとりもつられて同じ顔をする。
 「あっち行ってえ〜」
 「あ、あのね、ウンチっていうのは、大便のことじゃなくて、運動音痴の略で・・・」
 「大便って、なに?」
 正攻法で説明しても埒があかない。
 とうとう双子ちゃんは、両親の後ろに隠れてしまった。
 「いや、あの、申し訳ありません。これ、さゆり、みずほ!」
 「だってえ、きちゃないもの〜」

 とうとう収集がつかなくなってしまい、「じゃあ、午前中は広島さんご家族の専属ということで。タチバナさん方は申し訳ないけど、午後からにさせてください」と、あおいが言った。
 「いいわよ。無料なんだし、無理は言えないわ。ね、そうしましょ、和宣」
 「まあ1日中スクールよりも、午後からは自由にさせてやりたいと思っていましたから、それで構いません」と、家族連れのご主人が言った。
 「でも、僕は本当に不安なんだよ」
 と、僕は小声で清花に言った。
 昨日、半日足らずだけれど、足慣らしのつもりで、滑った。気持ちばかりが先走って、身体がちっとも言うことをきかなかった。リフトの鉄塔にぶつかりそうになったり、ガケから落ちそうになったり。こりゃあまずいと本気で思ったのだ。
 「わたしが教えてあげようか? それとも、ゲレンデのちゃんとしたスクールに入る?」
 「どうしようか」
 「もう、往生際が悪いんだから」
 あおいさんと広島さんご一家は、既にその場を立ち去っていた。

 「さ、和宣、行くわよ」
 清花はスキーを履いて、さっさとリフト乗り場に向かう。
 さ、行くわよって、おいおい。
 僕はというと、板を履くのにさえ難渋している。スキー靴が板に押し返されてしまうのである。
 「調整が不完全だったのかな?」
 僕は独り言を言った。スキーもウエアも完全レンタルである。
 「不完全なわけありませんよ。昨日はそれでちゃんと滑れたんでしょう?」
 隣であおいさんがクスクスと笑っていた。
 「え、いつの間に・・・」
 どうやらあおいさん達はリフトに乗らなかったようである。ゲレンデ下部のきわめて緩くそして広い斜面で、小さい子供を含んだファミリースクールを開校してたのだ。10メートルほど先に、僕を嫌った双子の女の子ともども広島さん一家がこちらを見ている。いったんその場所までみんなで行って、そしてあおいさんだけが見本を見せながらここまで戻ってきたのだ。
 「足を上げて、靴の裏にこびりついた雪を、ストックで叩いて払い落としてください」
 「あ、そうか」
 僕は言われた通りにした。
 「でも、昨日はそんなことしなかったけれどなあ」
 「雪の状態は、毎日変わりますから」
 「そう言われてみれば、そうだな」
 いくらブランクがあるとはいえ、こんなことまで忘れているとは、僕もどうかしている。自己流ではあったけれども、かつてはそれなりに飛ばして滑っていたのだ。
 「ほらー! 和宣イー! 何してるのー!」
 リフト乗り場で清花が叫んでいる。
 「いま、行くよ!」
 とは言ったものの、リフト乗り場までは緩やかな上り坂。
 どうやってスキーで上るんだ?
 もちろん、きまっている。スケーティングで行くのだ。この程度のわずかな斜面をカニ歩きする必要などない。だが、僕はリフト乗り場にたどり着いたとき、汗びっしょりになっていた。
 昨日出来たことが、今日、出来ない。どうなってるんだ。
 答えは簡単だ。からだのあちらこちらの筋肉がギシギシときしんでいる。筋肉痛なのだ。昨日、たった半日たらず、ギクシャクと滑っただけなのに、このていたらく。日頃の運動不足がたたっている。

 リフトに揺られながら、僕はおおいなる不安に襲われた。こんなことで無事に下ってこられるのか? そんな不安も、高度が増すに連れ、だんだん薄れて来る。雲ひとつない青空。身を切るような鮮やかな冷たい空気。白銀の世界に抱かれて増してくワクワク感。
 「振りかえってご覧よ、和宣」
 ひとつ前のリフトに乗っている清花が振り向いて話しかける。
 うん?
 僕は言われた通りにした。
 「わあ!」
 思った以上にリフトは高いところにまで僕たちを運び上げている。下界に広がる視野、そして遠くまで届く視線。雪に彩られた冬枯れの風景。厳しいけれど、美しい。心の中がすく思いだ。
 「綺麗よねー!」
 「ああ、綺麗だ」
 リフトを乗り継いで、一番上に来る。リフトから押し出されるようにして、僕はリフト降り場からゲレンデに滑った。昨日あれだけ苦労したひとつひとつの所作が、あまりにもあっけなくクリアされた。
 「あ、あれ?」
 やっと身体がスキーとは何たるかを思い出してくれたようだ。
 そう、確かに僕は自己流だ。他人から見れば、格好の悪いフォームだろう。けれど、自分なりに満足できるスピードでゲレンデを舞い降りることは出来たはずだ。
 「お先に」
 僕を待っていてくれた清花の横を抜け、僕は斜面に繰り出した。
 いける!
 エッジをあまり立てずにシュテムターンを何度かするうちにスピードに乗る。そして、パラレルもどきの不ぞろいな「バラレル」で滑降!
 「和宣ー。調子に乗ってると痛い目にあうよー!!」
 「へいきへいきー!」
 と、叫び返したときには、既に右足が大きく浮いており、バランスをあっという間に崩して、ひっくり返った。
 「ほらー」と、あざけるようにしながら、基本に忠実なシュテムターンでその横を清花が通過して行く。
 体制を整えた僕は直滑降で清花を追う。
 「よし!」
 追いついた。スピードを緩めようと思ったが、あれ? スキーってどうやってブレーキかけるんだっけ?
 もちろんエッジを立てるのだが、そんなことをいちいち考えているようでは手遅れである。僕は盛大にひっくり返った。

 僕は極端に体力を消耗してしまい、午前11時過ぎにはレストランに座っていた。広島さん一家を連れたあおいさんが、リフト乗り場に向かっている。ゲレンデ下部の超緩斜面でのスクールを終えて、いよいよゲレンデにチャレンジするのだろう。早々に休憩体制に入った僕を残して清花も一人で滑りに行っている。
 おそろいの体操服にゼッケンと言う、学校行事としてのスキー合宿の連中が多く、平日だと言うのにリフトはそこそこ待たされる。だが、ゲレンデは空いていた。スキースクールの場合、例えば10人一組とすれば、一人が滑っている間は残りの9人は自分の順番が来るまで待っている(または自分の順番は既に終えて、やはり待っている)ので、ゲレンデは意外と空いているものなのだ。
 そして、この六日町スキー場と言うのは、そういう学校のスキー合宿のメッカなのだった。
 清花が戻ってきたのは、12時近くになってから。顔が赤く日焼けしている。そのすぐ後から、あおいさん達もレストランにやってきた。家族団欒を邪魔しては悪いとでも思ったのか、あおいさんは広島さん一家に軽くお辞儀をしてから、僕たちのところにやってきた。
 「ご一緒してもいいですか?」
 「どうぞ」と、僕。
 「ちょっとかわいい子には、すぐへらへらするんだから」と、清花。
 「あ、ごめんなさい。お邪魔でしたね」
 「とんでもない。和宣をちょっとこらしめただけなんです。どうぞ、遠慮しないで。コーチの方と同席出来るなんて光栄ですよ」
 「あら、コーチだなんて。ただの宿泊者サービスですから」
 「がんばってるんですね」
 「ええ、まあ。うちみたいな平凡なペンションでは、これくらいやらないと、お客来ませんから」
 「看板娘ですね」と、僕。
 「娘だなんてとんでもない。わたし、これでもバツイチで、スキー以外にとりえもないですから。料理も掃除も父に叱られてばかりです」
 「あら? バツイチなんですか? とてもそうは見えませんね。若々しくって活動的で」
 よく言うよ、と僕は思った。あおいさんがバツイチであるという情報はとっくの昔にゲットしていたくせに。
 それから清花は、思い出したように言った。
 「あ、それでオーナーのお父さんとは、姓が違うんですね。もとご主人の姓を今でも名乗ってらっしゃる・・・。違う?」
 「いいえ、違いません。未練がましいでしょ?」
 「未練とか、そんな風には思いませんけど、何か事情でも?」
 こういうテーマの会話は清花の独壇場だ。僕などが口を挟む余地はない。そのかわり、僕には僕の役回りと言うのがある。ウエイトレスが運んで来た注文の品を、これはそこ、それはここと、テキパキと指示を与えるのだ。二人の会話を中断しないように。
 ちなみに、僕はカツカレー。清花はミートソーススパゲティ。あおいさんはヤキメシだった。
 「バツイチといっても、結婚生活が上手く行かなくて別れたとか、そういうのじゃないんです。ただ、彼が先に死んでしまっただけで」
 「じゃあ、彼は今もあなたの心の中で、あなたと共にあるのね?」
 彼女の境遇に清花なら同化できる。
 「さあ、どうなんでしょう。実はわたし、もう婚約者がいるんですよ。もちろんその人のことは愛しています。だから、死んでしまった元主人に、そういう意味での未練は、多分無いと思いますよ。もちろん、元主人のことも愛してますし、想い出なんかではなくて、確かにわたしの人生の一部ですし。だから、離婚したわけでもないのに、彼が死んだとたんに、姓を元に戻すってのに抵抗があったんです。これは未練じゃないんです。死と共に、彼と一緒に暮らしたことを白紙に戻してしまうような、そんなことはしたくなかったんです。確かに私の人生の一部だったんですから。ただ・・・」
 「ただ?」
 「これから結婚しようっていうのに、わたしがそういうスタンスでは、新しい主人はきっと気分が悪いだろうなあって、気がかりだったりします」
 「そのことについて、新しい彼に、何か言われた?」
 「別に、何も。出会ったときから彼にとって私は河浦でしたから。わたしがバツイチだってのは付き合う前から彼には言っていましたけれど、そのとき名乗っている姓が、どういう素性なのかなんて、普通は考えないでしょう?」
 「そうですね。きっと元に戻してるって、何の疑問もなくそう思いますよね」
 「隠すつもりは無かったんですけど、あえて告白するように伝えるのもなんだか妙ですしね。ずっと言いそびれていて・・・・」
 「新しくご主人になる方は、今もご存知無い?」
 「いえ。私たちに結婚話が持ちあがったときに話しました。でも、それまで隠していたようで、ちょっと罪悪感・・・。悪いことなんて何もしていないのにって、自分で自分に言い聞かせたり。そうすると自己矛盾がおこるんです。悪いことをしていないのに、どうして罪悪感をい持つのって? それで、自己嫌悪したり。なかなか自分の中で折り合いをつけるのが大変です。正直言って、彼の気持ちを察する余裕さえないんですよ」
 そして、沈黙が訪れた。
 「冷めないうちに、食べましょう」と、僕は言った。
 「うん、そうしよう」と、清花が言い、「そうですね」と、あおいさんが応じた。
 そう、例えば、こういうことを言うのが、僕の役回りだ。

 それにしても、オフだというのに、つくづく僕たちには「人の死」がついてまわるなあ。
 そういう仕事をしているから、類は友を呼ぶ的に、僕たちの回りに「人の死」にまつわるエピソードがやってくるんだろうか?
 いや、きっとそうではないだろう。人は生まれたからには必ず死ぬ。人の死はどこにだってある。人がいる限り。ただ、それにビビットに感応することが出来るかどうか、の違いだけだろう。
 もしも、そういうことにまったく感応できない人がいるならば、人はそれを「無神経」と呼ぶに違いない。逆に、感応度が強ければ強いほど、知らなくてもいい悲しみや、本来やり過ごせたはずの苦しみなどが、どんと心の中に入ってくる。それは時として辛く、時としてわずらわしいことではあるけれど、でもそういうことをいちいち享受して生きることのほうが人間らしくて幸せなことじゃないだろうか。

 「失礼します」と、若い3人組のスキーヤーが僕たちに近づいてきて、そのうちの一人が声をかけてきた。
 短い茶髪をぴんぴんに立たせ、片方の耳だけにみっつもピアスをした男である。スキーは上手いかもしれないが、それだけで中身の無い男のように思えた。第1印象は。しかし、それなりにきちんとした言葉遣いをする。
 「間違っていたら許してください。もしかしたら、あなたは、『双兎のあおい』さんじゃありませんか?」
 「あら。そんな昔のニックネームを覚えていてくださる方が、まだこの六日町にいたんですね」
 「おい、やっぱりそうだよ」
 「ああ、俺達、ラッキーだぜ」
 音量は落としても、決してヒソヒソ話ではない。あえてあおいさんに聞こえるようにしゃべっているみたいだ。
 「あの、僭越ですが、俺達と一緒に、滑ってもらえませんか。1回だけでいいんです。お願いします」
 3人のうちの一人がそういうと、他の二人がたしなめる。
 「おい、よせよ」
 「失礼だぞ」
 そうだ、失礼だ、と僕は思った。突然やってきて、この男達は何を言っているんだろう?
 「失礼は承知でお願いしてるんです。あの勇姿をもう一度だけ見たいんです。あなた方の滑っているのを見て、憧れていたんです。だから、俺、スキーをはじめて・・・。なのに、ご主人が亡くなられて、引退されて、それで、俺、もう双兎のあおいさんの姿はもう見ることが出来ないのかと、がっくりきちゃって・・・」
 「馬鹿、よせってば」
 「おい、いくぞ。すいません、すいません。こいつ本当に馬鹿で・・・」
 一人が「失礼男」の襟を掴んで引っ張ろうとする。だが、失礼男はその手を振り解いた。いや、僕はそのとき既に、彼のことを失礼な奴だなんてもう思ってもいなかった。なにがどうなってるのか事情はさっぱりわからなかったが、彼の熱意は確かに感じる。
 「お願いします! お願いします!」
 あおいさんは、無言だった。
 元失礼男を取り押さえようとしていた二人も、態度を変えた。きちんと頭を下げて、「俺達からもお願いします」と言った。
 「わかったわ」と、あおいさんは返事をした。
 「だけど、一度だけよ。それに、今の私はペンションのしがないお手伝い。サービスの一環として宿泊してくださった方にスキーコーチをしてる身。かつてのようなキレのある滑りは出来ないわ。幻滅させるかも」
 「そんなの、しません。お願いします」
 「しょうがないわね。本当に一度だけよ」

 何がどうなってるのかわからない。
 「というわけで、私は一本だけ彼らにお付き合いしますから、午後のスクールは2時からにしましょう。タチバナさん、ごめんなさいね」と、あおいさん。
 「申し訳ありません」と、元失礼男が僕達に深々と頭を下げた。
 「いいのよ。気にしないで。だって、あおいさんの本気の滑りが見られるんでしょう?」と、清花は調子がいい。
 「はい。そりゃあすごいです」と、彼はまるで自分のスキーの腕を自慢するかのように胸を張った。
 僕達は早々に昼食を切り上げて、彼らと共にリフトに乗った。一本目のリフトを降りたところで、「じゃあ、タチバナさんは、ここで見ててください。私達は一番上まで行きますから」
 あおいさんはそう言い残して、さらにリフトを乗り継いでいく。
 「なんか、あおいさんって、もしかしてスキーのものすごい名手?」と、僕。
 「そうらしいわね」
 「双兎のあおい、か。双という限りは一人じゃないよな」
 「さっきの会話からすると、もう一人は元ご主人ね」
 「その元旦那が亡くなって、あおいさんもスキーを引退・・・」
 「別に引退はしていないんじゃない? こうしてゲレンデでスキースクールをやってるんだもの」
 「でも、そう言ってたよ」
 「うん、だから、多分、その物凄いスキーをするようなことからは手を引いたのね、きっと。最愛のパートナーをなくして・・・」
 「そうだね」
 そして、僕達はゲレンデの中腹で、あおいさんが滑降してくるのを待った。
   




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