第5話 ティーンエイジャー「青春の光と影」  =2= 



 茨木省吾、18歳。その日、彼は家に帰らなかった。喧嘩で殴り倒されて卒倒していたのだから帰れる筈もない。
 目撃者の話では、5人と2人に別れての争いだったという。省吾は「2人」の側だった。年齢はみんな近そうだったという。
 省吾側のもう一人が誰なのかはわからない。「相手」の5人も同じく不明である。
 夏休みを目前に控えた暑い夏の夜だった。場所はいわゆる繁華街。居酒屋、ゲームセンター、カラオケボックス、喫茶店、その他が道の両側にひしめいていた。しかし、賑やかなのは通りだけで、店と店の間の路地は暗くて狭く、そのまま通り抜けて一本向こうの通りに出れば、そこが繁華街のそばだとは信じられないぐらい人通りがなかった。喧騒だけが届くに過ぎない。
 目撃者は、近所のスナックの店員で、ごみを捨てに出てきたところだった。酔っ払いの喧嘩は珍しくない。巻き込まれてもつまらない。無視を決め込んでいた。
 やがて一人がその場から逃げた。足をひきずっており、鼻血を出していた。多分この逃げた男が省吾側のもう一人だろう。
 すぐに乱闘は収まった。5人が一人を取り囲んでおり、罵声を浴びせていた。中央に倒れている一人、つまり省吾は、ほとんど動かない。うつぶせの状態で、顔の両側に手をついてなんとか顔面だけを起こしていた。5人のうち何人かが省吾の腹に蹴りを入れ、いよいよ省吾は昏倒した。5人は去り、スナックの店員は警察を呼んだ。
 省吾の通うA高校は、美代子の通う学校とは異なるが、近くである。2人がどのようにして知り合ったかは、不明である。

 僕と清花が一日かけて現場付近を聞き込みして、わかったのはこれだけだった。
 なんとか目撃者のスナック店員を突き止めることが出来たためだが、これ以上の情報はない。新聞のバックナンバーを調べると、事件直後の社会面にはそれなりの大きさで扱われていたが、それっきりだ。省吾を襲った少年達はすでに殺人容疑で逮捕されたと報じられていた。逃げた少年については触れられていない。
 マスコミにとってこの事件は、行き過ぎた喧嘩、またはリンチで、一人の少年が死んだに過ぎない。センセーショナルな少年犯罪に比べれば、マスコミにとってはありふれた事件である。新聞の読者の多くは、日ごろから素行のよくない連中が喧嘩をした、せいぜいそんな印象しか持たなかっただろう。
 「この程度じゃ、私たちの捜査の、何の役にも立たないわね」と、清花。
 「そのとおりだね」と、僕。
 新聞記事以外のことは、少年法の壁に阻まれて、僕達は何も知ることが出来なかった。
 僕達だけでない。茨木省吾の肉親も、事情は同じである。

 「ああ、疲れた」
 清花はまるで儀式みたいにビールをあおりながらタバコを吸った。
 一日の調査を終えて、僕達は同じ繁華街の一角にあるビジネスホテルに入った。「風の予感」のある街からここまでは電車で片道2時間。通えない距離ではなかったが、事務所に戻って清花とディスカッションをしていては、アパートに戻って眠る、という時間がなくなってしまう恐れがあった。
 調査に行く先々で一緒に宿泊するのは、僕と清花にとってはあたりまえのことになっていた。いまさら何を意識したところで仕方ないだろう。
「本当に疲れたね」
 僕はテレビのスイッチを入れた。ニュースをやっている。貴重な情報源のようでいて、実は偏見に満ちている。製作者は報道という使命感に燃えているのではなく、より高い視聴率をどうしたら取れるのかにだけ心を砕いて題材を選び、編集しているのだ。
「訪ねていって話を聞くべきところをピックアップしようか」と、僕。
 清花は天井を見上げながら、茨木君の両親、担任の先生、そして、茨木君の友達と、彼を襲った5人、などとブツブツ言った。
「それと、沢村美代子さん本人にはあえないだろうか?」と、僕は言った。
「美代子さんに? どうして? 彼女はある意味、今回の当事者でしょう?」
「まあね」
 今回の依頼はこれまでとは違う。
 これまでは、亡くなった人と直接関係のある人が依頼者だった。依頼者を救うための調査だった。
 しかし、今回は、依頼者を救うためではない。救うべき人は別にいる。依頼者の娘である。そのためには、その娘の胸中を知る必要があるのではないか。
 僕は清花にこのことを告げた。
 「でも」と、清花は言った。「こんな依頼を母親がしているって、美代子さんは知らないはずでしょう? どうやって接近するのよ」
「そこが、問題だよな」
「本人にしてみれば、きっと放っといてくれってとこじゃないかな。母親から見たら、彼女の行動は荒れているかもしれない。けれど、本人にしてみればそれでバランスを取っているのよね。そのことについてとやかく言われたら、余計に荒れるかもしれないわよ」
「いや、そこなんだよ」と、僕は言った。「恋人を失って失意の底で、やけを起こしているかのような彼女の行動が、実は、何らかの考えがあるのだとしたら?」
「だったら?」
「だったら、なんだろう」
 僕は自分が言おうとしていることが何なのか、いまひとつ自分でも良くわからなかった。

 翌日の放課後、僕達は茨木省吾の担任教師に会うことが出来た。
「あの事件から3ヶ月、ようやく校内が落ち着いてきたところなんですよ。いったいいまさら何を知りたいと言うのです」
 電話で面会のアポを取ろうとした清花に返ってきた返事はこれだった。
「去るもの日々に疎し、で、臭いものにふたをしちゃって、それでもう終わりなんですか?」
 狭い電話ボックスで僕は受話器に耳を寄せ、担任教師と清花の会話を盗み聞きする。
「失礼なものの言い方をされますね。先入観を持って挑戦的に挑んでくる方とお会いする気は一切ありませんし、会っても何も喋りませんよ」
 言葉を紡ぐスピードは冷静そのものを装っていた。野次馬根性で近づく者は許しません。堂々と宣告しているようである。
 しかしながら、どこか言葉が微妙に震えている。何か後ろめたいことがあるのだろうか?
「彼にはガールフレンドがいました。彼の死に大きなショックを受けて、今、とても荒れた生活をしています。私達はそれを解決するように依頼されたんです。茨木君は亡くなられましたが、彼女は生きている。あなたは教育者として彼女を救うべきではないのですか?」
 しばらくの沈黙。
「わかりました。あなたの言葉を信用したわけではありませんが、お会いしましょう。ただし、あなたが今なさっていることは『脅迫』ですよ」
「脅迫?」
「わたしがあなたに会わなければ、一人の少女が人生を台無しにする、だから会いなさい。あなたはそう言ったのです」
「人を救うことが脅迫だというのなら、それで結構です」
 そんなやりとりがあって、待ち合わせの場所を決めた。時間の約束ができないと言うので、清花は僕達が泊まっているホテルの1階にある喫茶店を指定した。いつでもいいからフロントを通して呼び出してくれ、と伝えたのだ。

 「どんな人だろうね」と、清花は言った。
「さあ、教師には立派な人もいるけれど、腐った奴もたくさんいるからね」
 そう答える僕を、「先入観を持ってはダメよ」と、清花はたしなめた。
「その台詞、そのまま返すよ」

 箕島と名乗った男性教師が僕達のもとにやってきたのは、午後7時を回っていた。
 どんな人かと言うと、第一印象はきわめて平凡な普通の人だった。
「私が受け持っていた生徒が夜の繁華街で喧嘩をし、それが原因で死んでしまった。このことは厳粛に受け止めています。私だって傷ついているんです。マスコミ、PTA、教育委員会。そんなものは私から言わせれば下衆な野次馬だ。ようやく静かになったと思っていたが、いったい今更なんなのです? 学校と言うところは日々問題を抱えているんです。過去のことをいちいち振り返っていたら、一歩も先に進まない。あなたがた外野はそこのところがわかっていないんです。さ、私の言いたいことは言いました。で、何が知りたいんですか?」
「過去のことを振り返らないから、いつまでたっても根本的な解決が出来ないんじゃないですか?」
「だったら、過去のことを振り返って分析し、それらを解決するだけの時間と人手が必要ですね。教師がどういう状況に置かれているか、知りもしないで教育論だけを振り回さないで下さい」
「時間も人手もないのなら、先に進まなくて結構。起こった問題を解決する方が先決だと思いますけれど」
「清花....」
 僕は、彼女を遮った。「用件に入ろう」
「そうしていただけるとありがたいですね」と、箕島は言った。
 清花が膨れてしまったので、僕が後を引き受けることになってしまった。
「茨木君にガールフレンドがいたことはご存知でしたか?」
「いえ、知りません」
「茨木君は、どんな生徒でしたか? あ、いえ、世間の校長の談話のような、『大人しい子でした』とか『明るく素直な子でした』とか、そんなコメントはいりません。個人的な感情が入っても結構です。先生は、彼をどんな生徒だと思いましたか?」
「扱いにくかったですね」
「といいますと?」
「大人をどこかコバカにしたような態度をとっていましたし、注意もきかない。ま、高校生というのはもともとそんなものです。大人と子供の中間にあって、自我が確立していると自分では思い込んでいるから、素直に大人の言うことを受け入れられない。その度合いに個人差はありますけどね、むしろ、物分りのいい素直で明るい子、というほうがおかしいんですよ。そういう意味では彼は普通の子ですよ」
「特に問題児ではなかった、と?」
「成績も人望も性格も、普通でしたからね。あえて問題にするような点は何もない。ただ、高校生の『普通』というのは優等生という意味じゃないですからね。だれでも揺れ動く年頃です。当然です。これを『普通』とコメントしたら、世間が納得しないだけです。『普通の子が殺し合いをするほどの喧嘩をするか』ってね。普通、するんですよ。それを世間がわかっていないだけです」
「あなたは教師として、そのことを世間にわからせようとしましたか?」
「あなたまでがそういう話題を口にされるのでしたら、私は席を立ちます」
「では、席を立つ前に教えてください。彼と一緒にいて先に逃げた少年と、彼を殺害した5人の少年、あなたはそれが誰かご存知ですか?」
「逃げた少年については確信があります。翌日学校を休みました。何者かに襲われて怪我で入院していると連絡がありました。彼らの喧嘩の相手5人は、憶測でしかありません。少年法で守られていますからね」
「それが誰か、教えてはもらえませんよね」
「もちろんです」
「学校では特に問題がなかった茨木君の、学校外での生活はどうでしたか?」
「どう、とは?」
「交友関係とか、アルバイトとか、家庭での様子とか」
「生徒であってもプライバシーは守られるべきです。そうは思いませんか?」
「個人的には、学校教育とはそういうトータルなものであるべきだと僕は思いますが、あなたはそういうディスカッションは望まないようですから、もう終わりにしましょう」
「それはありがたいですね」

 実は僕達は、茨木君と一緒にいて、先に逃げた生徒が誰なのかはつかんでいた。
 箕島との面会が放課後になるのならと、それまでの間に調査してしまったのだ。
 方法は簡単だ。茨木君と同じクラスの生徒を下校時につかまえて聞き出した。名札に学年とクラス名が書いてあるから、クラスメイトかどうかの判別はすぐにつく。
 別に脅して喋らせたわけではない。普通に訊いただけである。
 学校という閉ざされた環境にいるせいかどうかはわからないけれど、彼らは外からの刺激に飢えているのだろう。テープレコーダーとマイク、そしてシステム手帳を持って、僕達がインタビューをするといとも簡単に答えてくれた。
 逃げた少年は山浦といい、その後すぐに転校したとのことだった。
 義務教育ではない高校の転校は、それなりにややこしいだろうと思うのだが、事情が配慮された可能性は強い。

 杉橋が警察のコンピューターのハッキングに成功したと連絡してきたのは、その夜だった。
 杉橋の表の稼業は「便利屋」である。ゴキブリの駆除、便所掃除、引越しの手伝いからラブレターの代筆まで、なんでも請け負う現在の隙間産業の担い手、などともてはやされたのは一時で、ほとんどの便利屋が次々廃業する中、杉橋はハッキングという得意技で「風の予感」の情報屋として食いつないでいた。
 いまや「風の予感」の日常的な活動になくてはならない人なのだ。
 「どうせ5人の加害者が誰かなんてこと、だれも教えてくれっこないから、依頼しておいたのよ」と、清花が言う。
 もう慣れっこだが、清花のスタンドプレーである。
 パートナーを組んで仕事をしている僕にすら知らせずに、勝手なことをする。
「事前に教えてくれていてもいいだろう?」
「成功するかどうかわからないのに、わざわざ言わなくてもいいじゃない。成功したら報告するんだから」
 筋が通っているような、通ってないような。
「まさか和宣は、『俺に相談もなく』なんて馬鹿なこと言わないわよね」
「まあ、そこまでは言わないけどさ」
 でも、普通はそう思うだろう。僕は思わないけれど。そんな細かいことに神経を尖らせていたら清花のパートナーは勤まらない。
「じゃあ、リストをファックスして。あすから一人づつ当たってみる」と、電話越しに清花は杉橋に伝えた。
「その必用はないかも知れませんよ」と、杉橋。
「どうして?」
「沢村美代子さん、彼女がホームページを開いています。もちろん、本名ではありませんけどね。ただ、警察ではそのことを掴んでいて、そのHPをマークしていたんです。だから、資料として掲載されていたんでしょうね」
「そのホームページがどうしたのよ」
「全てが書かれています」と、杉橋は言った。
 僕と清花は、ホテルのビジネスルームに駆け込んだ。
「ノートパソコンぐらい持ち歩かないといけないね」と、清花が言った。
   
 




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