第4話 スーベニール「未来の子供達のために」  =7= 



 翌朝、時間通りに事務所に行くと、鍵が開いていた。珍しい。
 商店街の空きテナントを手に入れて以来、「風の予感」は社長の自宅がオフィスという憂き目からは開放されたものの、もともとフィールドワーク主体の仕事なので、せっかくの事務所もあまり使われることがなかった。
 依頼者との面談も、依頼者に都合のいい土地で喫茶店を使うことが多かった。
 社長といえども事務所でデンと構えていられるような大手ではない。そうであったとしても、相変わらず社長自ら案件を担当することをやめないだろう。おまけに、「事務所にいてもいい時」「事務所にいなくてはならない時」でも、社長は近所の喫茶店に入り浸っていることが多かった。必然、事務所の使用頻度が低くなるのだ。
 にも関わらず、定時に事務所がオープンしているということは、いつもと違う何かがあるに違いない。

 事務所をオープンした当初、社長は僕や清花のようにほぼ専属のスタッフを事務所に常駐させようと目論んでいた。
 「クラブの部員が用もないのに部室でごろごろしている、そんな風に使ってくれたらいいですよ。そのかわり、電話が鳴ったらちょっと話を聞いてあげて下さい」
 つまり、事務仕事があるわけじゃなく、ていのいい店番・電話番のボランティアである。まあそれでもいいかと思ったが、意味無く足が向くわけもなかった。
 「風の予感」の前のテナントがブティックだったので、店の正面は全面ガラス張りである。明るく見とおしの良いお店は好感度何割か増しのはずだが、業務内容が内容だけに、店内素通しではちょっといただけない。節約に節約を重ね、創意工夫だけで改装がされていた。
 前面ウインドウから80センチほどの空間を開けて、床から天井まで隙間無く真っ白なボードが設置された。
 ウインドウとボードの間には、揺り椅子と丸テーブルを置いた。揺り椅子にはスヌーピーの出来損ないのような犬のぬいぐるみが眠っている。それも、かなり時を経たようなぬいぐるみで、陽に焼けて薄汚れていた。揺り椅子自体も年代物のようで、まるでセピア色に褪せた一枚の絵を見ているかのようだ。
 丸テーブルの上には、ドライフラワー。根本を縛り、花のある方をふわりと開いた形に整え、花瓶もないままにそっと載せられている。その隣には小さいが分厚い本。黒い表紙の聖書だった。社長がどこかのホテルのデスクの引き出しから持ち帰ったものだ。窃盗である。

 自動ドアは取り替えて、すりガラスの両開き扉になった。
 「ひやかしの来店を防止するには、自分の手でドアを開けさせるのが一番なんですよ。ドアが勝手に開いたら、無関係のひとまで押し寄せる。でも、結局依頼に結びつかない。つまり、自動ドアほど非効率的な文明の利器はないのです」
 これは社長の弁である。しかし世の中のほとんどの商売は、「用のない客」をいかに店内に誘い込み、「必要のないもの」をいかに売りつけるかに躍起になっているのだから、良心的な商売といえなくもないだろう。
 内部はパーテーションで二つに仕切られて、手前が応接スペース、奥が事務所スペースだ。
 さらに奥には2畳ほどの小部屋がある。これは改装前からもともとあったものだ。給湯器つきの小さな流し、前の借り主が残していったデスクとスチール製のロッカーがある。ブティックの店主はここで事務を執っていたのだろう。

 「おうおう、久しぶりやないか」
 でっぷりと太って姿形だけでも暑苦しいのに、さらにコッテリとした大阪弁でじっとりと出迎えてくれたのは秋月だ。いつもと違う何かは、秋月の訪問だったか。
 秋月は僕よりも10は年上だろう。
 肥満度は130%か、140%か? お腹はでっぷりと張り出し、顎も頬も肉付きがいい。そのくせ身長は160センチ台半ば。顔の表面は油ぎっている。指先で触れると粘りのある液体が絡みついてきそうだ。禿、ほどではないが、頭皮が透けて見える程度には薄い。だみ声は大きく、ほこりがこびりついた眼鏡のレンズを拭こうともしない。うだつのあがらなさを威勢の良さでカバーして世の中を渡っている典型的な人物に見えたりするが、これが結構優秀な調査員だったりするから、人は見かけによらない。
 社長を一言で言うと優男だし、清花は可憐。そういう中にあって、秋月は異彩を放っている。もっとも僕も人のことは言えない。どこかパッとしない学生風情なのだから。
 秋月は土建屋の社長である。秋月というのが本名なのか風の予感での仕事用なのかは知らない。けれど、「秋」の「月」というなんとも風情あふれる名前を頂きながら、実態はギタギタの中年男という、そのギャップに笑えることは確かだ。
 「どうしたんですか」
 僕は秋月に問うた。
 「いや、何でもない。この近くでビルを建ててるんでな、たまにここでさぼってるだけや。ほな、さいなら」
 さいならって。・・・・いったい何をしに来ていたんだろう?
 風の予感にはあと一人、吉備恵子というスタッフがいる。年齢的には僕や清花より5つほど年上だろう。
 細身で中背。顔は整っているが、派手さが全くなくて美人という印象は受けない。中性的な雰囲気を利用して、時と場合によっては男にも女にもなる。少しそれらしいメイクをしたら死体にだってなれそうだ。僕や清花と同じく専属のスタッフで、清花以上に頭が切れる。今日は顔を見せていない。
 社長が何も言ってこないところをみると、今回の案件に関して、この二人のフォローは期待できないということだろう。

 応接スペースから奥の事務所スペースへ入ろうとした途端、清花が飛び出してきた。
 「あ、ごめん、和宣。わたしから約束しといて悪いんだけど、急な出張なの」
 「え?」
 「報告書、仙台まで届けに行かなくちゃ」
 「せ、仙台?」
 「昨日葵さんから仕入れた情報はメモして社長に預けてあるから」
 「ああ、すいませんね、立華さん」と、社長ものっそり出てきた。
 「本当は僕が届けに行くはずだったんですが、新しい依頼が入って、これから依頼者と面談なんですよ。秋月クンは本業で忙しいようですし、立華さんにお願いしました」
 「いや、メモさえ残して置いてくれてるなら、別に構いませんが」
 「自費でよければ、仙台まで立華さんと一緒に行ってもかまいませんよ」
 「自費? 社長は構わなくても、僕は構います」
 「やっぱりそうですか。いつも二人一緒なので、少しでも二人の時間を持ちたいかなと思ったんですが、これは余計なお世話ですね」
 「報告書を渡すのに、二人は要りませんから」と、清花は言い残してバタバタと出て行った。
 事務所には、事務机がひとつと、6人用の大きなダイニングテーブルがある。テーブルに陣取った僕は、社長から渡された清花のメモを見た。
 「さて、依頼者が来るまで、コーヒーでも飲みましょう。橘くんもいりますか?」
 「はい」
 「僕の入れるコーヒーは、まずいですよ。あまりにもまずいので、いつもは喫茶店に出かけるのですが」
 社長は奥の小部屋に引っ込んだ。ガーッという豆をひく音が聞こえた。
 まずいという自覚があるなら、インスタントコーヒーにすればいいのに。そんなことを思いながら、僕は清花のメモに視線を落とした。

   和宣へ by清花
 (走り書き、要点のみでゴメンね)

葵双葉の男性関係

青山健二 興味なし。
菅原謙介 元彼氏。今回の同窓会メンバーとはそれほど親しくなく、呼ばれてもいなかったようだ。
梶谷武史 弥生を健二からとった張本人だが、同時進行で双葉とも関係を持っていた。二股が弥生にばれて、梶谷は弥生と別れるはめに。ただし、弥生は、梶谷のもう一人の彼女が双葉だとは気づいていない。それどころか、梶谷の浮気に関して、双葉に愚痴とも相談ともつかない話をもちかけていた。双葉は少し心が痛んだが、梶谷と弥生がわかれた後もふたりの関係は継続。双葉は梶谷とのセックスが好き。相性があうんだってさ。
大田原光博 一度だけ寝た。荒っぽい印象があるけれど、きまじめで、つまんなかったというのが双葉の感想。大田原はかつて弥生とも寝たことがあるらしい。でも、この男は弥生の趣味ではないはずだと双葉は言う。

 な、なんだこりゃ?
 双葉の男性関係一覧だって?
 これが何かの役にたつのだろうか?
 役にたつと思ったから、清花はメモを残したんだろうけれど・・・。
 それにしても、なんだかすごいなあ。ズラリと並んだ男関係。手当たり次第、って感じだ。それとも、これが普通の感覚なのだろうか?
 僕は清花の残してくれたメモをぼんやりと見つめる。いつからあるのだろうか、社長のいれてくれたコーヒーがメモの隣でたっぷりと香りを含んだ湯気をたてていた。
 コーヒーに手を伸ばそうとしたときだった。
 「お帰り下さい!」
 応接スペースから、社長の声が響いた。大声を張り上げたわけではないが、いつもよりトーンが高い。
 普段、感情の起伏を表に出さない社長だけに、僕はいったい何が起こったのかと思った。
 モニターのスイッチを入れる。応接コーナーの様子は、モニターを通じて事務室でも見ることが出来る。
 「いいですか? ここは死者の気持を調査する機関です。あなたのお子さんはまだ生きているんですよ! 人に頼る前に、あなたが何をするべきか、よくお考えなさい!」
 風の予感を訪ねてきたらしい女性が俯いている。モニターでは表情はわからない。
 「生きている人同士は、心を通わせることが出来るんですよ。自分で努力をなさい。死者となってそれが出来なくなってしまった、そんな人のために風の予感は存在するんです。さあ、帰ってよくお考えなさい」
 ついに僕は、件の女性の声を聞くことはなかった。モニターは映像だけなので、ボソボソと喋っていたのでは、声が奥の部屋まで届かないのだ。

 「まったくもう、時間の約束が守れない人に限って、ろくな人はいませんね」
 社長がぶつぶつ言いながら戻ってきた。
 「どうしたんですか?」
 「児童虐待。そんなのが流行ってるんですか?」
 「流行ってるってことはないでしょうけど、マスコミが面白がって取り上げますから、耳にする機会は多いですね」
 「彼女の子供は小学校2年生だそうです。生傷が絶えないので担任の先生が虐待の事実に気がついたみたいですね。先生がもっと早く気づいてくれていたらここまでひどいことにはならなかったなんて言うんですよ。よく言いますよねえ、自分で手を下しておいて。衝動が抑えられないんですねえ」
 「それで、その人は何をしに?」
 「子供は強制的に施設に収容されました。もちろん母親は面会を許されていません。アメリカなら親権剥奪のケースでしょう。それでまあ、わたしはいったいこれからどうしたらいいんでしょう、子供はいまわたしのことをどんな風に思っているんでしょう、とまあそんな話でした」
 「そうなんですか・・・」
 僕が返答に窮していると、社長は話題を変えた。
 「おや、やはりコーヒーを飲んでいませんね? そんなに美味しくなかったですか?」
 「いや、まだ飲んでないのでわかりません」と、僕は言った。社長が大声を出すからびっくりして飲みそびれた、とは言わなかった。
 「僕はこれから出かけますけど、橘クンはどうしますか?」
 「もう少しここにいます。ちょっと考え事をしたいし、動きたい気分じゃないんです」
 「そうですか。立華さんも、報告書を渡すだけの往復ですから、仙台と言っても今日中には戻るでしょう」
 「いや、それまでは居ないと思いますが」
 「もうすぐお昼ですし、出前頼んでもいいですよ」
 「自前で?」
 「そのメモの分析をするなら、仕事ですから経費に付けてもいいですよ」
 「はあ」
 「出かけるときは、戸締まりは確認して下さいね」
 「わかりました」
 「電話は僕の携帯に転送のセットがしてありますから、出なくていいです」
 「いや、電話ぐらい、出ますよ」
 「考え事は集中するのが肝心です」
 「そうかもしれませんね」
 「そうそう、奥の小部屋にタタミが立てかけてありますから、疲れたらそれを敷いて横にでもなるといいです。毛布と枕は僕のロッカーに入っていますから」
 「毛布と枕? そんなものがあるんですか?」
 「いや、どうも、最近こっちで寝ることが多くなってしまいました」
 なるほど、社長は昨日も事務所に泊まっていたんだ。それで朝から事務所が開いていた、というわけか。
 社長は「じゃ」と言って出ていった。けれども僕はメモに集中できなかった。冷めたコーヒーを口にした。冷めてもそれなりの風味があり、まずいなんてことはない。
 ぼんやりとテレビを見ていると、お腹が空いてきたのでラーメンと餃子の出前を頼んだ。食べおえると、今度は眠くなってきた。商店街の喧噪が、別世界のように遠いところから響いてくるように思える。テレビの音もBGM、まるで子守歌のようだ。ラーメンと餃子は自前だなと思いつつ、言われたとおりに畳を敷いて毛布を被ると、すぐに意識が朦朧としてきた。
 もうだめだ。眠ってしまえ。そのうち、清花も社長も帰ってくるだろう。
 不思議なもので、昼寝を決意した途端に頭が回転し始めた。
 それにしても、清花はどうして双葉の男性関係のメモを残したのだろう?
 双葉は健二には興味がない。そう書いてある。
 ならば、関係ないはずだ。殺された弥生、依頼者の青山健司、そして青山から弥生を取った梶谷。この3人がやはりキーマンだろう。しかし清花がわざわざメモを残すくらいだから、双葉がどこかで今回の案件に絡んでくるのだろう。けど、それがわからない。
 メモを見る限り、同一のグループ内で、健二以外の全ての男性と関係している。彼氏がいるとかいないとかは双葉にとってどうでもいいことだったに違いない。アダルトホームページを作りながら「そういうの、嫌いじゃないんです」と言った双葉。
 ただ、健二とは避けている。興味なし、か。つまり、誰でもいい、というわけではないのだ。
 双葉と時々関係があった梶谷は、青山から弥生を奪った男。
 梶谷は双葉との関係が弥生にばれて、わかれを告げられた。だが、弥生は梶谷の浮気の相手が双葉だとは知らず、相談すら持ちかけている。
 一方で、弥生はチエに「妊娠したかも知れない」と、打ち明けている。浮気の相談は双葉に、妊娠の相談はチエに。
 ひょっとして・・・。梶谷の浮気の相手が双葉だと、弥生は気が付いていたのかも?
 だから、反応を見るつもりもあって、浮気の相談をその相手である双葉にした。しかし、妊娠したかもなどという深刻なことは、外野のチエに持ちかけた。
 天真爛漫で思った通りの行動をするという評判の弥生。確かにそれは魅力的だ。だが、同時に人を傷つけることも多い。弥生はそんな自分に気が付いていたのかも知れないと僕はふと思った。

 あれ?
 僕は違和感を感じた。
 こうした男女関係の話題に、健二がほとんど登場しない。
 どうしてだろう?
 同じ仲良しグループであっても、その濃度には差があって当然である。案外健二は、カヤの外だったのかも知れないな。
 ・・・あともう少し考えていたかったが、邪悪で心地よいものが僕を包み込んでしまった。
 



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