「キオト」
■■ポントチョウ
――閑散とした昼すぎ、差し向かいで庭を眺める――
 貧乏性の私たちは、トウキョウでだってこんないい食事はしない。
 だから、これが旅の開放感なのだろう。日常とは違う。せっかく来たのだからという言い訳も手伝ってちょっと小金を払って二人分のお弁当を頂く。
 その店は、キョウト特有の「いちげんさんおことわり」と言う しきたりもないらしく、女将がにこやかに座敷へと案内してくれた。

 間口は普通の一軒家にも見えなくはないが、廊下が長く、案内された部屋につくまで、こじんまりした池やら石畳が見えた。
 トウキョウでの生活からは想像ができない世界だった。普段、子供っぽい康之がなぜか大人びて見えるのは庭のせいだろうか? いや、私の方がきっと年甲斐もなくはしゃいでるのだろう。

 京懐石というと、貧相だとか、あるいは薄味で、年寄りの食べ物だとかいう輩がいるらしいが。時間を忘れ、ゆったりと味わうというコト自体理解できない類の人には、何を説いても無駄だろう。

 日常から離れて。
 ある意味、現実と違った世界に迷い込むことを願って。見知らぬ街で大好きなあなたと閉じ込められる幸福。時計にせかされることなく座敷から根雪の庭を眺める。
 おいしい物を口にするのは、抱擁を繰り返す悦楽にも似ている。私たちは、湯気をたてつづける鉄瓶に目を細めて
「こんな老後もいいかもね」
などと夫婦みたいな会話をする。

 傍目には新婚旅行にみえなくもないだろう。だが違ったのはスーツではなく、私がデニムのタイトで、彼もやはり、メーカーのジーンズをはいていたというところ。そして、ボロボロのスニーカーだったのに。
「よく、お店にいれてくれたよなぁ」
 なんて、あなたは笑いながらお鍋の豆腐をすくい上げる。
「響子、ほら」
 外での康之はかいがいしい夫(みたいな役割)を演じる。二人のアパートでは絶対しないことを、人前で平気でできる人だった。

 なんだって新鮮で興味深いのだ。恋の始まりとは。


 

モクジニモドル//ススム