コウモリとかめ 

  
第3章
コウモリの作る曲




 あといくつか、オリジナル曲を作ってみようと言うことになった。
 「カワラも何か作れよ」
 「そうそう。難しく考えなくても、思ったことを詞に託して、そのイメージを口ずさめば曲が出来るわ」
 カメもケイコも気軽に言う。
 だが、気軽に言ってくれたことで、僕は気が楽になった。
 カメもケイコも、それぞれ自作曲を作るほど、気合いが入っている。一方僕はというと、「卒業制作でやらなくちゃいけないから、やる。無難に終わればいい」くらいに思っていたことに、気が付いた。意識してそう思っていたのではない。卒業制作なんて誰もがそれくらいに考えていて、自分もそれでいいと、いつの間にか思いこんでいたのだ。
 だけどカメもケイコもそれなりに取り組んでいる。必死、というほどではないにしても、自分たちでやれることはやろうよ、というくらいには入れ込んでいる。
 僕のスタンスは明らかに一歩遅れていて、これではいけない、僕もオリジナル曲を作らなくては、そう思い始めたのだ。
 もちろん、曲を作ればそれで終わりというわけではない。僕たちにふさわしいアレンジをして、それを演奏するための練習をしなくてはいけない。力を余らせて適当にやることだけはしないで置こう、そんな風に思う。
 その最初の取り組みが曲作りである。しかし、お前も君も作るのなら、じゃあ僕も、というのではあまりにも安易であり、また照れくさくもある。
 「じゃあ、俺もひとつ挑戦してみるか」の一言が、自分の口からでない。素直じゃないのだ。
 しかし、二人が勧めてくれたことによって、僕は気軽に「よし、それなら」と、決意を口にすることが出来た。
 そして二人が帰った後、曲作りに取り組むのだが。
 僕は詞を1行もかけなかった。
 普段僕は何を考えているのだろう。どうしたいと思っているのだろう。何を不満に思い、何に喜び、何に泣き、何に笑っているのだろう。
 きっかけがつかめずにあれこれ考えていると、結局僕は普段何も考えて無くて、なんとなく過ごしていることに気が付かざるを得ない。
 しかしそれはそれとして、作品として詞を書くことは当然出来るだろう。
 プロの作品が全て自分の体験などを元にしているわけなどない。虚構の組立によりひとつの作品世界を作っているのだ。
 で、何をどのように書く?
 僕はプロじゃないのだ。自分の経験や普段考えていることを元にするより、他に書きようがないじゃないか。
 それにプロだって、全てが実体験ではあり得ないとしても、常に作品の題材を探し・考え・整理しているのではないか?
 僕は、ベッドに横になり、目を閉じて、違うことを考えてみることにした。
 歌を唄う、歌を創るとはどういうことか。
 聴いた人が気持ちよくなるとか、聴く人にメッセージを送るとか、そういうことだろう。
 僕は何を伝えたい?
 ひとつの風景を写生するとき、写真のような絵を描く必要はなく、そこには自分なりの思いを描き込むことが出来る。
 詞や歌だって同じだろう。
 目の前に見えていることを書く必要はなくて、理想のイメージとか、こんな風でありたいとか、そういうことでもいい。そう言うことの方が、たとえ現実離れしていても、メッセージとして送る価値があるのではないだろうか。
 
 


バカヤローと叫んでみたくなることがある

何処に向かって? 誰に対して?

その答えを僕は持っていない

いつも感じている憤りや苛立ちを

どう伝えたらいいのかわからないよ
 

試験直前 一夜漬けで 徹夜したことにも

時間を忘れて はしゃぎ回り 頬が痛くなるほど笑ったことにも

懐かしさを感じる自分が 情けない

どこか冷めてる どこにも行けない 言葉が出てこない
 

輝きを取り戻そう テーマは何でもいい

輝きを取り戻そう がむしゃらになろう

結果はいつも後から ついてくるはず

立ち止まることを覚えたのはいつから?

走りながら考えることの方が本当は簡単かも知れない
 

目の前のことが何も見えなくなってしまうことがある

自分の位置が分からなくなる

焦りが僕を包んで身動きできなくなる

心を閉ざしたら楽になれそうで

なにも伝えないでこのままいよう
 

ひとつひとつ 確かめなくても 流れていた時間

締め付けられるほど 辛いことも やすらぎも同じ場所にあった

懐かしさを感じる自分は もういらない

どこか冷めてる どこにも行けない 言葉が出てこない
 

輝きを取り戻したい テーマは何でもいい

輝きを取り戻したい 雨の日も外に出よう

理屈つけなきゃ気が済まない いつからだろう

立ち止まったら少し休めばそれでいい

走りながら考えることも子供っぽくて僕は好きだよ




 
 ううむ、なんとかできたようだ。
 恥ずかしいことこの上ない。
 現実の僕はこんなに前向きじゃない。心を閉ざして立ち止まっているだけで、輝きを取り戻そうなんて所に辿り着いてはいない。
 でも、「そのまんまの僕」を書いたんじゃ、あまりに暗く、希望がない。
 そんな歌は唄いたくない。
 嘘でもいいから、前向きな部分を織り込む。
 そしてそれは自分じゃないよといいわけしながら、自分の中で「一般的な元気ソング」の仲間に入れてしまう。つまり、これは僕じゃないよ、と。
 そうしないと恥ずかしい。自分そのものを語るなんて恥ずかしすぎる。

 これは僕じゃない。ただの作品だ。

 何度か読み返していると、そんな気分になってきた。
 ついでに、曲も付けてみるか。
 ピアノの前に座って、鍵盤に指を置く。
 やめておこう。時間が時間だ。
 こういうとき、電子ピアノが欲しくなる。
 音はヘッドフォンで自分だけが聞くことが出来る。夜中でも何でもお構いなしだ。
 しかし、無いものはしょうがない。
 メロディーを頭の中でイメージするだけ。
 なぜだろう、ぴょんぴょん飛び跳ねるような、明るい感じのメロディーしか浮かんでこない。
 しかも、似たような旋律の繰り返しになる。似たような旋律の歌は世間にはゴマンとあるけれど、僕は「芸がない」とあまり評価することはなかったのだ。
 でも、この歌はそれで良いような気がする。
 ピアノであれこれとを辿ってみることが出来ないせいもあるけれど、それだけじゃない。
 似たような旋律が、もともと僕の持っていたこの詩に対するイメージなんだと気が付いた。
 これで、いいや。
 どうせ誰も聞いたことのないオリジナル曲。それも発表するのは学園祭の一度きり。
 少しでも耳に馴染んでもらうには、似たような旋律を繰り返す方がいい。
 五線譜に書き留めて置いて、朝になったらピアノを弾き、録音をして、カメとケイコに聞かせてやろう。
 こんな曲ダメだ、彼らがそう言ったら、この曲は学園祭ではやらない。
 でも書き直すとか、手を入れるとか、そう言うことはやめておこう。僕自身のものとして、ここに置いておくのだ。
 少し、愛着が湧いてきた。

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