銀河鉄道999

第4話 天使の雫(後編) 

 

 フィラメント分岐点を出発した「999号」は、同じく太陽系辺境惑星「天使の雫」に向かった。
 冥王星のはるかに外側、散乱円盤天体と呼ばれる微惑星のひとつである。
 宇宙から見たその微惑星は、漆黒の闇の中に茶色の小さな点を、絵筆の先でわずかに触れたようなものだった。

「999号」が地表に近づいていくと、緑の点がいくつか見える。その傍らに、駅と温泉宿らしい建築物があった。
 緑の点は、やがて、大きく枝を広げた巨大な木だとわかった。
「太陽から遠くて、光量が少ないから、ああやって枝葉を広げないと、生き延びられないのね」と、リドリームが言った。そして、「しかも、水の量が限られるから、木の本数も限られる。水脈に沿って、ポツンポツンと生えているの」
「水の湧いている所があるっていうから、オアシスみたいなのを想像していたけれど、全然違うんだね」
 オアシスどころか、茶色一色の大地。風で砂が巻き上げられれば、その下は、大きな岩盤か、またはガレキがゴロゴロしているかの、どちらかだ」
「水が湧いているところを、人は見ることができないの。厳重に管理されているわ。大気に触れると、温泉の成分が変わってしまうから……」
「そっか……」

 銀河鉄道から支給された情報端末で、カゲローも勉強をする。
 それによると、一部の大金持ちしか訪れることのできない保養地であるが、鉱物資源もロクなものがないし、水量から滞在できる人間の数にも限りがあるので、大きな施設はできないし、いらない。
 そこでせめて、木々の温もりを味わってもらおうと、宿泊施設は地球がまだ緑に覆われていた頃の山小屋風建築物にしたとのことだ。
「ちょっと、楽しみだね、リドリーム」
「そうね。でも、荒野の中の山小屋だから……。本当の緑に包まれたソレとは、まるで、違うわ」
 伏し目がちに言うリドリームに、カゲローは「あれ?」と思った。
 リドリームは、その頃の地球を知っているのだろうか?
 だったら、いったい何歳なんだ?
 何か神秘的な雰囲気を携えている彼女だけれど、不老不死というわけではあるまいし、わけがわからなくなって、カゲローは首を横に振った。
 そこへ車掌が到着案内にやってきて、2人に声をかけた。「そろそろ、下車のご準備を」
 カゲローは情報端末をザックにしまい、それ以上、リドリームの年齢について、考えるのをやめた。

 山小屋は駅のすぐ隣だった。中に入ると、マキストーブのマキが真っ赤になっていたが、よく見ると模造だった。資源の無いこの星で、本物のマキをガンガン燃やすなど、叶わぬことなのだ。
 しかし、室内の気温は保たれていた。厳寒の外とはまるで違う。
 窓の外を見ると、宇宙服を身にまとい、囚人のごとく繋がれた療養者達が、ぞろぞろと歩いていた。
「どこへ、行くんだろう?」
「仮設のプレハブよ。そこに待機して、私たちが入った後の温泉に入るって聞いたわ」
「そうですよ。ですから、食事を終えたら、申し訳ないけど、さっさとお風呂に浸かってくださいね。あの人達が入った後は、厳重に洗浄消毒をするから、次に温泉に入れるのは、来週になりますからね」
 食事を運んできたオバサンが言った。

「え? リドリームと一緒に入るの?!」
 カゲローは目を丸くした。
「男女別に浴室を設けるほどの湯量がないのよ。それに、あの人達が、少しでも早く、治療のための入浴ができるようにするためよ」
「え、だって、でも……」カゲローは目を伏せた。目の前のリドリームはもちろん着衣だが、一緒に風呂に入ると聞かされて、着衣のリドリームさえも見ることができなくなったのだ。「だったら、温泉なんて、入らなくて、いいよ。999号にだって、お風呂はあるんだから」
「純情もいいけど、それより優先されることが世の中にはあるのよ。女の裸ぐらいで、ビビッててどうするの? さ、行きましょう」
 女の裸にビビってると言われてカチンと来たカゲローだが、だからといって、入浴中の目のやり場をどうしたらいいんだと思うと、「そんなもの見慣れている。恋人でもない女性の裸を見たりしないのは、紳士としての心得だ」などとうそぶく余裕もない。
「わたしらも、ご一緒させてもらうよ。中年夫婦が一緒なら、ただの混浴温泉だ。若い男女が一緒に入浴するのとはまるで違うでしょ?」
 食事を運んできたオバサンと、ご主人らしいオジサンが2人の前に顔を出した。
「療養者が待ってるんだ。あとがつかえている。男だの女だの言ってる場合か」と、オジサンがバアンとカゲローの背中を叩いた。
 

 それからの浴室の出来事を、カゲローはほとんど記憶していない。
 ほとんど下を向いたまま、そそくさと身体を洗い、そそくさと湯に浸かり、そそくさと脱衣場へ出た。温泉に浸かりに来たというより、機械的に身体を洗っただけである。ロクな記憶など残るわけなかった。
 脱衣場で衣服を整え、やっと深呼吸をひとつすると、どうやら湯船につかったまま会話するリドリームと管理人夫婦の声が聞こえてきた。
「温泉に浸かって、心と身体を温めて、休めて、きっと普段はピリピリしてるだろう人達も、ここでは何もかも脱力していくんだよ。そういうお客様の顔を見るのがヤリガイだったんだが、今は野戦病院にでも勤務してる気分だよ。次から次へと、身体の朽ちた人がやってきて……」
 そう語るのは、オジサンだった。
「この星のような温泉が、もっと水の豊富な星で出ればいいのにねえ」と、オバサンが言った。
「宇宙は広い。きっとどこかにあるさ」と言うオジサンに、リドリームが「そうね。そんな星を999号が見つけてくれれば、いいんですけどね」
「あんたタチなら、きっと見つけるだろうさ」
 カゲローはは思った。「999号」の終着駅がどこかも知らないし、自分の旅の目的が何かも今は明らかではないけれど、「999号」の長い長い旅の途中に、本当にもしかしたら、そんな星があるかもしれない、と。

 カゲローとリドリームのあてがわれた部屋はツインルームで、決して広くはない。そもそも、この建物自体が山小屋風で、小さいのだ。
 そのせいだろう。浴室の方から時折、悲鳴が聞こえた。
 手錠で繋がれ、足枷をつけられた囚人のごとき療養者達の姿を思い出し、カゲローは「リンチでも行われているのか!」と、とっさに思った。
 慌てて立ち上がるカゲローの前に、そっとリドリームが立ち塞がった。そして、首を横に振った。
「症状は人それぞれだけれど、皮膚がただれ落ちて、肉や骨が見えている人もいるのよ。痛いのは当然だわ」
「だったら、それなりの対処法があるんじゃないの?」
「ないわ。綺麗に洗い流すしかないの。それに、あの悲鳴は一時のもの。彼らはその後、手厚く看護される。明日には、私達と一緒に999号に乗って、医療施設が充実した星に臨時停車して降ろされる。心配ないわ」

「そっか、そうだよね」と、カゲローは落ち着きを取り戻し、ベッドの縁に座った。
 しかし、悲鳴を聞くたびに、彼はそわそわせずにはいられなかった。

 旅に出るまで、カゲローは決して裕福な生活をしていたわけではなかった。それどころか、生活費をいかに工面し、いかに節約し、ということを日々、考えなくてはならない暮らしぶりだったのだ。
 自分たちはまだ貧しいだけだったが、周囲には理不尽な差別を受ける者もいたし、病気のために働きたくても働けない人もいた。社会から虐げられた人々は、それぞれ苦しみや辛さに耐えながらも、助け合って生きてきた。助け合わなければ、生きていけなかったのだ。
 だから、そんな暮らしを経験したカゲローにとって、他人の悲鳴であっても、他人事じゃない。こんなときこそ、助け合わなくてはいけない。その思いが、彼をソワソワさせるのだ。

「せめて! せめて傍で、励ましてあげたい!」
 カゲローの心の叫びに、リドリームは「ダメよ」と、抑揚の無い声で言った。
「あの人達の身体から、完全にパラシウム3が洗い流され、または温泉の成分によって分解されたと確認されるまでは、防護服に身を包んだ医療関係者以外、近づくことは許されないの。わかるでしょ?」
「そりゃあ、わかるけど……」
 万が一、カゲローの身体にパラシウム3が付着したら、彼らと同じ運命になる。
 それは、自分にとっての悲劇でもあるが、それ以上に、1人でも多くの人を救おうとして動いている関係者全員の努力を無にすることでもある。
「コーヒーでも、頼んであげるわ」
 リドリームは、内線電話をとり、「コーヒーをふたつ」と告げた。

 コーヒーを飲み終えた後、リドリームは、「それと、もうひとつ、覚えておいて」と言った。
「なに?」
「あの人達の、本当の悲劇は、これからなの。医療施設に移されて、入院している間はいいけれど、悲劇は、その後」
「治癒して退院することが、悲劇なの?」
「そう。なぜなら、彼らには、帰る場所がないからよ。地球はいまだに汚染されたまま。治療を受けた者が、地球に戻ることを許されるわけがないのは、わかるよね」
「そ、そうだね」
 地球にはきっと、愛する人、大切な人が残されている。そういった人に会うことも許されない。もちろん、なんらかの通信は可能だろうけれど、通信で得るのは、日々、愛する人や大切な人が朽ちていく様子だけなのだ。
「帰る場所が無いだけじゃない。行く場所もないの」
「行く場所も、ない?」
「そこまで、当局がケアできると思う? 今にも死にそうな人を救うので、せいいっぱい。だから、彼らは、自力で仕事を探して、住むところを確保しなくちゃいけない。でもね、既に身体機能の一部が失われている人もいるの。そんな人に、仕事の場は、ほとんど無いのよ。運が悪ければ、野垂れ死にが待っている……」
「福祉政策があるだろ?」
「先天性の障碍者とか、労災に遭った人とか、ならね。でも、地球人全員が対象なのよ。それに、このペースでは地球人全員なんて、とても救えないし」と、リドリームは肩を落とした。
 彼女の責任ではないが、リドリームはまるで自分の無力さを責めているようでもあった。
 そして、ポツリと呟いた。
「わたし達に、なにができるかしらね……」