遥かな草原の香り
=14=     

 

 大いなる快感に包まれながら、あたしは引っ張られるような、押しつぶされるような感覚で、フルダのいる世界へと浮遊した。
 意識が遠くなる。その意識の最後のわずかな破片がふうっと消え去ろうとする。その寸前に、あたしは着地した。足の下に、しっかりとした地面がある。ふらついて膝を突く。ひんやりとした、人工物の感触。
 そこは床だった。風がない。煌々と明るいけれども、太陽の光じゃない。見回すと、あたしは理科実験室のような、科学研究室のような、そんな部屋の中にいた。戦いの最中に呼び出されたものとばかり思っていたあたしは、「え? ここは?」と呟いた。
 あたしの傍らにデイパックが落ちている。あの中に戦闘服が入っているのだと直感的に悟った。

「説明するよ」と、フルダが言った。
 いや、その男はフルダではない。似ているが、違うような気がする。年齢の頃はおそらく20代半ば。フルダは今まさに朽ち果てようとせんばかりの老人になったはずだ。胸には名札。「ZANSO主任上級研究員 ハタナ」と書かれている。
 やはりフルダではないのだ。しかし、この男が醸し出す雰囲気というのか、空気というのか、それはあたしの良く知っているフルダと全く同じものだった。
 この男から感じるのは、まさしくフルダそのものの気配だ。
「フ、ルダ……?」
「ああ、そうだよ。よくきてくれたね」
 中央の広いテーブルには実験機材と思われるものや書類があり、壁に沿って書類棚がしつらえられ、また執務机の上ではパソコンが稼動中だった。そんな部屋の片隅に、申し訳程度のソファーセットがある。フルダはあたしを促し、あたしはそこに座った。
 実験機材に紛れていたウオーマーとデカンタ。フルダのものと思われる飲みかけのカップにコーヒーを注ぎ、あたし用には新しいマグを水屋から取り出し、二人分のコーヒーを整えてからフルダはあたしの向いに座った。
「フルダ……よね? ハタナ……さんって、何?」
「いや、ま、なんというか」
 フルダは照れくさそうに話し始めた。

「まず、ここなんだけど……。ここは『ZANSO』っていう研究機関の一室で、政府直属の特務機関っていうことになってる」
「ザンソー?」
「うん。で、ZANSOっていうのは、科学的なことも非科学的なこと──ここでは、非解明学って言うんだけど、ようするになんだかよくわかってないことって言う意味だよね、そんなのも含めて、死鳥の脅威に対抗するための研究と実戦の機関なんだよ」
「前にいた所とは、違うの?」
「違うね。どう違うかっていうのは、おいおいとわかってくると思うけれど……」
「で、フルダはどうしてフルダじゃないの?」
「いま、僕がつけている名札の名前。ハタナという人はおそらく死んだんだと思う。あるいは、僕がハタナの肉体をいつのまにか得ていたように、彼もどこかで違う肉体に入り込んでいるのかもしれないけれど」
「彼も? その人は男なの?」
「男だ。死ぬよりマシだろうけれど、女の身体を得てしまっていたら、どうしようかと思うよ」
 ここでフルダは初めて微笑した。
「なかなか優秀な男だったらしいな。おかげで僕は、上級研究員の中でもトップの主任だ」
「偉いのね」
「ああ。だが、僕自身の功績じゃないからね。しかも、今はこの身分も危ないときてる」
 あたしとフルダが以前いた世界では、源力という自然界に浮遊するパワーを身に纏い、それをもって黒死鳥と戦っていた。しかしここでは、科学力で対抗するのが正道であり、あくまで源力はおまけのようなものなのだ。
「僕はここで、テレヌルと同じもの、いや、それ以上のパワーの増幅力を持ったものを開発した。実際に僕はそれに搭乗して、黒死鳥や白死鳥と戦い、撃退した。ここでそれまで行われていた戦いに比べて、あっけないほど簡単に勝負はついたんだよ。で、このテレヌルはナンだってことになって、開けてみればただのパワーの増幅器。操縦桿も無いし、武器も搭載していない。精神力だけで操縦するしろものだからね。で、僕は神か悪魔か魔術師か、それともペテン師かってなことになってるんだよ」
「悪魔もひどいけど、ペテン師って最低ね」
「でも、とりあえず、今までのように町を廃墟にしたりせずに撃退したから、今のところ身分は保留だけれど、それでも僕はやっぱりいかがわしい人間なんだよ」
「失礼な話ね」
「ま、とりあえずは功績ありってことで、専用の研究室とか与えられて、身分は相変わらず主任上級研究員だけれど、疎ましがられて、孤立していることは確かさ」
「で、あたしっていう、強〜い味方を呼んだってわけね?」
「いや、そうじゃない」と、フルダは俯き、頭を抱えた。「キミを巻き込むつもりは、もうなかったんだ……本当は……」
「そ、そうなの?」
 フルダは喜びに満ちたあたしの心を、ひっくりかえすようなことを言う。
 あたしは、巻き込んで欲しかった。大好きなフルダの役に立ちたい。一緒に戦いたい。ううん、もっと正直に言えば、一緒にいたい。
 確かに、それは不謹慎なことかもしれない。フルダは戦いのためにここにいるのだし、あたしがここに来た(呼ばれた?)のだって、そう。戦う術を持たない人たちの命を守らなくては、あたしたちがこの世界にいる意味はない。
 でも……。
「キミを巻き込むつもりは、もうなかったんだ……本当は……」
 あたしはフルダの言葉を頭の中で繰り返した。それって、どういうことよ、と聞き返すこともできなかった。

「この研究所は優秀だ。物理的な破壊攻撃だけで、いずれは死鳥を、滅ぼすことが出来るだろう。今はせいぜい、追い返すことしか出来ないけれどね。でも、僕は気づいたんだ。死鳥の滅亡は、人類の崩壊に繋がるんじゃないかってね」
「どうして?」
「まだ確信が持てないので、言葉には出来ないけれど、とりあえず僕は行動を次のステップに移そうと思う。だから、キミを呼んだんだ」
「よく、わからないわ」
「うん。多分、そうだろうね。先日の出来事から説明するよ」

 その日、白昼に関わらず、突然、日が翳った。天空には大空を覆う不吉なもの。何故雨が降らないのか不思議に思えるほど質感を伴った黒い雲。いや、それは黒い雲ではなく、黒死鳥。この世のまがまがしいものを象徴するかのような黒だ。

「ちょっとまって」
 あたしは言葉を続けようとするフルダを遮った。
「あたしを呼ぶときにも言ってたけど、この間、やっつけたはずの黒死鳥が、どうしているの? その時の戦いで、フルダはパワーの全てを使い果たして、老人にまでなってしまったのよ……」
「黒死鳥は、死んではいなかった。いや、蘇るといったほうが正しいかもしれない。それにヤツは、次元間も時間も自由に乗り越える、観念的な存在……」
(観念的?)
 あたしにはよくわからなかった。
 フルダは話を続けた。

 その日現れたのは黒死鳥だけではなかった。同等の大きさ、質感を持って、黒死鳥に寄り添う白いもの。同様に巨大な鳥のごとき姿をしてはいるが、まばゆいほどの白い姿。それが、白死鳥。
 清潔、とか、純白、などという白い色の持つ肯定的なイメージの全てを簡単に覆す気味の悪い白。白すぎる白。表層を偽善と虚飾で被うための白。
 黒は暗闇や恐怖を与え、同時に横に存在する白は、「無に帰す」「虚脱」などの生理的な嫌悪感を人々に植え付ける。
 悲鳴を上げて逃げ出したくなるのが黒なら、背筋が凍りつくのが白。

 だがこの日、黒死鳥と白死鳥は、町や市民に対して攻撃を加えたのではなかった。ただ上空にたたずんでいるだけだった。にも関わらず、多くの被害が出た。
 本来力を合わせて黒死鳥・白死鳥と闘わなければならない市民の一部が、二死鳥からの精神感応によって、市民の敵となってしまったからだった。
 羽ばたきひとつで甚大な被害を与える力を持った死鳥達、だがそれらは上空で何気なく静止しているだけで、実際に町や村、そして人々を襲ってくるのは、つい先日まで仲良く平和に暮らしていた市民の一部なのだ。
 暴れる市民は軍隊によって取り押さえられた。その頃にはもう、黒死鳥も白死鳥もいなくなっていた。

 フルダは顛末を、責任者の一人、ヤマモ博士に報告した。
 特務研究機関『ZANSO』には、いわゆる所長など、最高責任者はいない。10人程度の複数の責任者の合議で全てのことが決められる。最高責任者はあくまで政府であるという考え方によるものだが、実際には多くの権限が研究所そのものに与えられている。政府決定を覆したことも少なくない。だから、複数責任者制の本当の目的は、一人のトップによる誤った独走をふせぐためのものだと誰もが考えていた。平たく言えば、マッドサイエンティストを生まないための制度だ。
 責任者の中で、ヤマモ博士だけが、フルダの理解者だった。フルダの言う「源力」、すなわち精神的な部分も含めて、目には見えないがなんらかの作用をする大いなる力がこの世には存在し、死鳥の出現もそれに左右されているのだということを、ヤマモ博士は解明しつつあった。
「だが、ここでは大きな声では、そういうことは言えないんだよ。言えば異端になる。だから、私はじっと我慢をして、体制に組しながら、それでも研究を続けているのだ」
 フルダの理解者ではあったが、そういうことを大きな声で言ってしまったフルダに、「もっと上手に世渡りしなさい」と説教しているようでもあった。

 報告を終えたフルダに、博士は言った。
「わかった。だが、まだデータ不足だ。現状では、死鳥に怯え、精神に異常を来たした者が暴れた、という結論が一番説得力がある。死鳥から怪電波を浴びせられて市民が市民を襲った、などと誰が信用するかね?」
「怪電波じゃありません。精神感応です」
「わかってるよ。だが、精神感応などと、怪電波以上に納得しずらい表現だ」
「……そうですね……」
「引き続き研究を続けてくれ」

 唯一の理解者の言葉である。フルダも「はい。わかりました」と言いたかった。しかし、出来なかった。
「……しかし博士、捕虜達はもう体力の限界です」
「だったら規則に従うんだな」

「捕虜? 戦争でもしてるの? だけど、捕虜は丁重に扱わなくちゃいけないんでしょ?」
「別にこの国がどこかの国と戦争しているわけじゃない。精神感応で市民を襲った連中のことだよ。軍が取り押さえて収監した」
「それを研究材料にしてるの? ひどい。元は罪の無い一般市民で、それこそ精神感応でおかしくなっちゃっただけなんでしょ?」
「だが、彼らからデータを取るしか、研究の方法は無い。そして、彼らはもう限界だ」
「じゃあ、どうするのよ」
「規則に従うとは、つまり、薬殺さ」

 あたしは感情の昂ぶりが押さえられなくて、フルダにつっかかった。
 精神感応してしまった人たちを、治癒に導くどころか、研究材料にし、体力の限界になったら処分してしまう。こんなやり方をしていて、黒死鳥に勝てるわけないと思った。
 倒したはずの黒死鳥が蘇っている。このことは、フルダやあたしのような特殊能力者だけでは太刀打ちできないことを物語っているんだとあたしは思う。それはつまり、みんなで力をあわせないと勝てないって言うことだ。あたしの中に方程式がどんどん出来上がってくる。黒死鳥に対抗するための方程式だ。
 武力ではなく、心の力。思ったり、願ったりするパワー。
 今までだってそうだった。あたしがパワーを身に纏ったのは、あたしが念じたから。あたしだけでなく、フルダや色々な人たちの想いが、積み重なったからだ。だからこそ、自然界はあたしにパワーを授けてくれた。
 人間同士が、愛し合い、信じあうことが出来なくて、どうして強大な力に対抗できるんだろう?

「そもそもどうして捕虜が体力の限界になるのよ。実験材料にするならなおさらよ。手当てをして、栄養を与えて、きちんとしなくちゃ」
「いや、それは無理なんだ。彼らが受け付けないんだよ」
 水も食事も栄養点滴もなにもかも受け付けない。
 研究の結果、彼らは精神感応した瞬間から、生きるためのエネルギーは死鳥達から供給されるようになったことがわかった。そして、死鳥が去って、供給源が途絶えた。通常の「飲まず食わず」ではとっくに死んでいるであろうことを思えば、どうやらエネルギー供給はゼロにはなっていなかったようだが、最近は特に衰弱が激しい。
 死鳥の意思によるものか、それとも単に距離的な問題なのか、わずかながらに与えられていたエネルギーが途絶えたと考えるのが妥当であるとフルダは言った。

「彼らを生かす方法がひとつだけある」
「それは?」
「解放することだよ。きっと彼らは、死鳥からのエネルギーを受けることのできる場所や方法を知っている。だから、拘束を解けば、自ら生きるために、なんらかの動きをするだろう」
「じゃあ、そうすればいいのよ」
「否決された。説得はしたんだが」
 会議の様子を説明するフルダの表情は、痛々しかった。

「捕虜と言っても敵じゃない。我々と同じ市民なんですよ。彼らは精神感応して以来、一切の飲食をしていない。おそらく死鳥と共にあることによって得るエネルギーだけで生きている。そして、捕虜となった瞬間から、エネルギーの供給を受けることが出来なくなってしまった。つまり、衰えて死するだなんです」
「かといって、死鳥のもとへ開放するわけには行かん。わかるだろう? そうすれば彼らは再び我々を襲って来るんだからな」
「しかし、彼らにも家族や友達がいます。人類を救うべき立場にある研究機関が捕虜を処分していた、彼らの家族や友達にそのことがわかってしまったら、信用問題です。いえ、それ以前に、人々を生かすための研究機関である我々に、そんなことが許されるはずが無い」
「いいかい、ハタナ君。この町は死鳥たちによって、もう既に戦場となっているんだよ。しかも先日の戦いでは、市民が敵味方に別れて死闘を繰り広げることとなってしまった。捕虜たちはもうすでにそこで、家族だの友達だのの区別がなくなって、一般市民を殺戮しているんだ。これを敵とみなさなくて、どうするかね。辛いだろうが、捕虜の処分など、戦いの大きな流れの中では氷山の一角だと理解せねばならん。小さなことをいちいち気にかける暇があったら、研究を遂行することだ」 「しかし、元は一般市民です」
「そこまで言うなら、私はキミが研究を怠っていると指摘せざるをえんよ。精神感応した者を元通りにする。その研究はどうなっているのかね? それが完遂されてこそ、君の理想を実現できるんじゃないかね?」
「その通りです」
「では、つべこべ言わず、研究を続けたまえ」

「僕はだめだと思った」と、語り終えたフルダはつぶやいた。
 あたしは「どうして?」とは訊かなかった。あたしにはもうわかっていた。人が、大勢の人を守るという大儀のために、一部の人を犠牲にする。そういう歪んだ考え方、人の心の弱さに付け入る存在、それが死鳥なんだ。
 この思いをフルダに告げると、「その通りだ」と、彼は言った。
「だから、僕はもうここでのうのうと研究者面しているわけにはいかない。これでは何も解決できない」
「じゃあ、どうするのよ」
「ここを出ようと思う。僕は僕なりのやり方で戦おうと思う。そのために、キミを呼んだ。この戦いにはキミが必要なんだ」
 大変なことをサラリという男だなと思ったけれど、でも、フルダの決意の重さはずっしりとあたしに伝わってきた。
 あたしは無言で頷いた。

 あたしとフルダの二人で、死鳥と戦う日が再びやってきた。それはあたしにとって大きな喜びだった。
 好きな人の傍にいられる、という喜びでは、既になかった。同じ目的をなしとげるために、志を同じくする人と一緒に行動する、その喜びだった。好きな人の力になってあげられるという喜びでもあった。
「見てごらん」
 フルダはテーブルに載せてあったリモコンを手に取り、いくつかのスイッチを押した。テレビの電源が入り、画面に映像が浮かび上がってくる。
「これは、この前の戦いのときに、この研究所の屋上から所員が撮影したものだ」
 研究所は小高い丘の上にたっていて、町を見おろすことが出来る。その町は、大きく深い影の下にある。上空には見覚えのある黒死鳥。そして黒死鳥と同じ質感を持って大空を覆う白いヤツ。あれが白死鳥だろう。
「黒死鳥は以前キミが倒している。もはや敵ではないと思う。けれど、白死鳥に同じやり方が通じるかどうかはわからない。けれど、戦わなくちゃならない」
「うん」
「行こう」
 フルダは低い声で、しかし、力強く言った。そして、立ち上がった。
「そして、もうここには戻らない」
「二人だけの、戦いが始まるのね」
「いや、仲間がいる。まずはそこへ向かう。当面の生活用品一式は車に積んであるが、前の世界でのように、キミがお姫様のような扱いを受けることは、もう、ない。元の世界に、いつ戻してあげられるかもわからない。覚悟はいいかい?」
「はい」
 あたしは力強く返事した。

つづく

 



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