フライデーナイトアベニュー
10月の4回目の金曜日 その(1)





 久しぶりに賑やかに「鷹」で飲んだ。木村とアヤコが一緒だ。
 木村は、自分がやりたいと思っていたボランティア稼業を、アヤコに一任したと言った。
 木村は「犬の散歩屋」である。会社を辞めて独立した。
 長期出張や海外旅行など、飼っている犬の世話が出来なくなったとき、飼い主は愛犬をペットホテルに預けたり、知人に委ねたりする。だが、木村の仕事はそうではない。犬は相変わらず飼い主の家にいたままだ。そこへ木村やスタッフが出かけて行って、いつも通りの散歩と、いつも通りのえさやりをする。ペットホテルでは、他の犬などから病気を移されないかとか、環境が変わって精神的に不安定になりはしないかとか、そんな心配をする飼い主がこの商売のターゲットだ。
 つまり、全ての仕事は、突発的に注文が入るのであり、その点、葬儀屋や消防署に似ていた。もっとも、人は必ず死ぬし、消防官は公務員だ。生活の心配はあるまい。けれど、犬の散歩屋はそうではない。いつ、注文が来るかわからない。
 そんな不安定な商売にも関わらず、月極契約の常連が2人もついてしまった。そのおかげで、木村の商売は安定した。一人は独居老人。寂しさを紛らわすために犬を飼いたいが、足腰が弱く散歩に連れて行くことが出来ないのだった。そこで、木村に散歩を頼んだ。留守宅の犬の世話と違い、エサの面倒は見なくて良い。しかも、月極だ。そこで割引での契約に応じたが、それでも月15万円だ。裕福な老人でないと払えない。木村は言った。
 「こういうことは、本来ボランティアがするべきだと思う。俺のように商売でやると、金持ちの老人しか、その恩恵を受けられない」
 稼業と平行してボランティアを立ち上げたい、そう木村は言っていたが、それをアルバイトのアヤコに任せたのだった。
 ちなみに、もう一人の常連とは、車椅子の主婦。旦那は年中海外出張に行っているので、寂しさを紛らわすために犬を飼っている。だが、車椅子のために満足に散歩に連れて行ってやれない。そこで、木村の所に、散歩の依頼が来たのである。


「本業と同じことをボランティアでするなんて、なかなか大胆だな。トラブルとか起こらないのか?」と、俺は訊いた。
「だから、彼女を責任者に据えて、やらせるのさ」
 木村は詳しくシステムを説明してくれた。
 まず、表立って看板を上げないことにした。連絡先が「商売」も「ボランティア」も同じではまずかろうという理由だ。木村の客が、「ボランティアで同じことをやってるくせに、こんなに料金を取るとはけしからん」とか「俺もタダにしろ。俺だって貧しいんだ」などと捻じ込んでこられるかもしれないし、逆に「ボランティアとかなんとかいいながら、そのうち請求書押しつけるんじゃなの」などと本来ボランティアから恩恵を受けるべき人に思われる可能性もあったからだ。
「看板を上げなきゃ、どうやって、お前達のやっていることを知ることが出来るんだ?」
「いくつかの、ボランティア組織に、『私たちはこういうことをしています』って、広報したの」と、アヤコは言った。
「該当する人がいて、犬を飼うことを望むのなら、『全面的に支援してくれる人を知ってますが』、という風に、広報してもらうんだよ」と、木村が付け加える。
「それで本当に人が集まるのか?」
「商売でやるんじゃない。急がない。大きく広報する必要も無いし、偉そうに宣伝する必要も無い。希望者が大挙しても困るしな。こういうことはゆっくりでいいんだよ。大風呂敷を広げて失敗したら、困るのは老人と犬だ。こういうボランティアって言うのはな、始めたら撤退することが許されないんだよ」
「なるほど」と、俺は言った。
 ビールを一口飲んでから、俺はアヤコに訊いた。
「会員制で寄付金を集めるって言ってたけど?」
「それはずっと先の話よ。実績の無いところにいったい誰が寄付なんて出すと思う?」
「そりゃあそうだが、じゃあ、活動経費はどうやってるんだよ」
「俺が全部出している。法人会員1号だ」と、木村が言った。
 木村の事務所に、ボランティアとしての犬の散歩屋も事務局を置いた。といっても、電話一本引いただけだ。アヤコは木村の商売においても中核的な位置にあるから、デスクは既に持っている。
「それから、彼女の給料を、歩合制から固定給に変更した。身分は相変わらずアルバイトだが、これで生活は安定するだろう?」
「そうか、そういうやり方があるのか・・・」
「あと、学生アルバイトの子とかに趣旨を説明して、ボランティアと兼任でないと、木村さんはバイトを採用しない、そんな条件つけちゃったのよ。おかげで何人か辞めちゃったわ。だから、忙しいのよ」
「そのかわり、熱心で真面目な子だけが残ってくれた」
「まあね」と、アヤコは言った。


 俺はアヤコの乳首を吸いながら、「いったい俺は何をやってるんだろうな」と思った。
 もちろん、勤勉なサラリーマンをしている。これは間違い無い。
 だが、ただ勤勉なだけだ。これといった崇高な理想もないし、野心に燃えているわけでもない。そして、一方で、妻と子に愛想をつかされ、その原因となった恋人ともわかれ、フライデーナイトアベニューで知り合った、エッチでちょっと頭の弱そうな17歳の女の乳首を吸いながら、溢れ出るジュースでドロドロになった蜜壷の中を指でこねくり回している。
 アヤコは確かにエッチだが、頭が弱いなんてことはちっともなかった。それどころか、やりたいこと、やるべきことをしっかりと見据えて毎日を過ごしており、その充実をしっかりと抱き、夜にはセックスに夢中になる。
 アヤコが熱くボランティアのことを語れば語るほど、快楽に没頭する彼女の姿との間にギャップが広がり、それが俺の興奮を高めて行く。
 それは、「あの高貴なお嬢さんが、こんな乱れ爛れたセックスをするなんて」というのと同じである。
「舐めて・・・」
 アヤコは壁にもたれて足を広げた。さらに自分の指で襞を広げて見せる。
 いかにアヤコがセックス好きとはいっても、まだ17歳だ。例えば30代の女たちに比べれば、それほど多くの経験があるわけではないだろう。いや、アヤコがどうこうというのではない。一般論としての17歳を俺は考えている。未経験の子だってたくさんいる。今の高校生はやりまくっているように思われている風潮があるが、実はそうではない。やりまくりッ子がいる一方で、経験の無い子はとことん経験が無い。普通のプロセスで恋愛をしている子がいかに少なくなっていることか。恋愛やセックスがどんどん歪んできているのだ。
 そんな17歳のアヤコが自分の蜜壷を指で開いて「おしゃぶり」をおねだりするなんて、たまらない。
 俺は、彼女がそこまで成熟しなくてはならなかったということにある種の悲しさを覚え、だからこそよりいっそうに興奮した。
「わたしも、してあげる」
 今度はアヤコがおしゃぶりをする番だ。
「随分上手になったね」
「だって、彼が教えてくれたの。ヨシフミはちっとも教えてくれないから」
 彼、と言われてどきりとした。まさか、相手は木村じゃないだろうな。
 いや、木村だって構わない。彼は独身なのだ。なにもやましいことはない。むしろやましいのは俺だ。
「アルバイトの大学生。だから、ヨシフミとはこれが最後」
 アルバイト学生と聞かされて、ほっとした。
「ちゃんとした彼が出来たのなら、これが最後じゃなくて、こうしてることだって問題だろう?」
「いいのよ。本当に最後だから」
 そうか。アヤコとのセックスは今回限りか。それもまたいいだろう。
 最後、という台詞に刺激されたのか、今日の俺は、自分でもわかるくらいに、強く、激しかった。アヤコもまた同様だった。


 深夜のニュースで、我が町のフライデーナイトアベニューが話題になった。
 S(スピード=覚醒剤)の資金欲しさに、売春行為をしていた女子高生が、補導されたのである。外国人を売人にしたてた巧みな流通ルートのために、Sの流れの解明すら出来なかったようで、普通のニュースでは流れなかったが、ゴシップ的に深夜番組で彼女の証言を元が取り上げられたのである。
 テレビカメラは、俺とアヤコが出会ったあの「通り」を確かに映し出していた。しかし、そこには駅裏通りの日常があるだけで、出会いを求めてさまよう男女の姿はとうとう流れなかった。
「いや、噂には私も聞いたことがありますが、こんな冴えない郊外の裏道がそうだとは思えませんね。たまたまその少女がそこで適当に声をかけていた、というだけじゃないでしょうか」
「繁華街ならともかく、こんな生活臭の溢れた場所で、そんな行為が行われていれば、逆に噂は広がりますよ」
「それとも、この少女一人の為に、こんな噂が広がったのかもしれませんよ」
 タレントたちが好き勝手なコメントを述べている。
 だが、そこは確かにフライデーナイトアベニューなのだ。なにしろ、俺とアヤコが出会っている。しかも、それは偶然の出会いではない。アヤコは誰かにそれを教えられ、地図まで書いてもらってやってきていたのだ。
 そう、そこはフライデーナイトアベニューなのだ。
「ここがフライデーナイトアベニューなのかどうかはともかく、信じてノコノコ行かない方が良いですよね。きっと取り締まりとか、強化されているはずですから」
「なあんだ。がっかりだなあ。さっそく今夜にでも行ってみようと思っていたのに」
「ダメですよ。そういうお金って、結局ドラッグの資金になって、暴力団の肥やしになるんですから」
「いや、なにも援交しようってんじゃない。純粋に出会いを求めてだね・・・」
「はい、では次の話題です」
 テレビはフライデーナイトアベニューをネタに話題を展開しているだけで、真面目にその「通り」の存在を云々する気は最初からなかったようだ。
 いずれにしても、あの通りがそうだと知っている人も、もうこれで近づかないだろう。


 ところが驚いたことに、翌日出社すると、別の部局の同僚である岡本に、「とうとう見つけたぞ、フライデーナイトアベニュー」と言われた。
 岡本とは同期入社である。研修期間の間、彼と2人で、北陸の支店で修行をした。それ以後、彼とは同じ部局にはならなかったが、少し前から「支店統括部」の一員として本社に戻ってきていた。
 それとなく聞いてみたが、岡本は昨夜のあの番組を見ていないようだった。なにしろ夜中の適当な番組だ。妻子持ちの岡本なら家族団欒を終えてみんなで眠っている時間のはずである。
 俺がフライデーナイトアベニューで一人の少女と出会ったことはもちろん内緒だ。だから、俺は、「本当にそんな都合の良いところがあるものか。単なる噂だよ。だからこそ、今まで誰もその存在を知らなかったんだ」と、アベニューの存在を否定した。
「いや、本当だ。間違いのない情報だぜ」
「じゃあ、訊くが、それはどこなんだ?」
「ほうらみろ。やっぱり興味あるんじゃないか」
「ミステリアスなことに関する興味だ。別にそこで女と出会おうと思ってるわけじゃない」
「だったら知る必要もないな。じゃ」
「おい、ちょっと待てよ」
「ダメダメ。その気のない人には教えるなって言われてるんだ」
「どうして? その気がなければ教えたって問題ないだろう?」
「存在が明らかになると、色々と障害が発生するだろう? 本気で出会いを求めてる人たちには迷惑なんだよ」
「じゃあ、どうすれば教えてくれる? 絶対内緒にしておくからといってもダメか?」
 俺は単に、そこが例の駅裏であることを、確かめたかっただけなのだ。確かめたからと言って、どうということはないのだが。だが、もし岡本が本気なら、昨日のニュースのことも伝えてやりたい。既に明らかになっていて、しかもドラッグ中毒の少女が売春したってんで目をつけられている場所だぞ、と。
「教える条件? そりゃあ、もう、そこへ行って実際に出会いを体験する。それしかない。いい思いを実際にしたら、べらべらしゃべることはないだろ?」
「わかった、わかったよ」
「じゃあ、あさっての金曜日、俺と一緒に来るか?」
「おまえ、本気なのか?」
「本気じゃない。単なる浮気だ。いや、浮気ですらないな。ただの一夜の夢だよ」
 やっぱり本気なのだ。
「わかった。付き合う」
「いいんだな。ちょっとばかり交通費がかかるぜ」
 交通費? そうか、岡本は俺がどこに住んでるか知らないのだ。大丈夫。俺には定期券がある。
 岡本はポケットから紙切れを取り出した。折りたたまれて皺になったメモだ。これと同じような光景が以前にあったなと俺は思った。そうだ、アヤコが地図を取り出したときと同じだ。
 岡本はメモを広げた。やはりそこには地図が記されていた。
 だが、そこは、俺とアヤコが出会った、駅裏の通りではなかった。
「どこかわかるか? わからないだろう? これは石川県金沢市」
「え? 金沢?」
 なるほど、こりゃあちょっとばかり交通費がかかる。
 土地鑑がないので地図を見せられても通りを特定することは出来なかった。
「だが、約束だ」
「ああ、わかった。今週の金曜日だな。行こうじゃないか」と、俺は言った。
 なにしろ、アヤコとのセックスな関係は終わったのだ。新しいパートナーを見つけるのも悪くない。
「じゃ。詳しくは社内メールで連絡するよ」
 去ろうとする岡本を俺は引きとめた。
「ちょっと、もう一度地図を見せてくれ」
「いいけど・・・」
 彼が俺の目の前で広げた地図をじっくりと見る。
 やっぱりそうだ。アヤコの持っていた地図と同じように、「タバコ屋」「銀行」などと書きこみがされていて、その筆跡がそっくりなのだ。といっても、アヤコの持っていたそれを克明に覚えているわけではない。雰囲気が同じ、と言った方がいいだろうか。手書きの地図を書かせたら、文字以上に書き手の特徴が出る。だから、克明に覚えていなくても、容易に「筆者が同一人物」と判断出来るのだ。
「お前、これ、どうやって手に入れた?」
「それは勘弁してくれよ」
 じゃあな、と手を上げて、岡本はその場を去った。




10月の4回目の金曜日 その(2)

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