Boy Meets Girl
「side TACT」

8.約束
 
 募る気持ちとは、会った時間に比例するのではない。図書館での「ジレンマ」が晴れていくような気配がした。

 目を覚ますとキリエの覗き込む瞳とかち合う。
「ん?」
 僕は目をこすりながらカラダを起こす。
「ううん……なんだか珍しかったから」
 彼女は笑みをこぼすとあの細いシガレに火をつけた。
「キリエさんは……」
「さんなんて、今更……」
「じゃ、キリエ……」
 もう酔ってないのに会話ができる。
「なぁに?」
「キミは、こういうことには慣れてるの?」
「こういうことって、セックス?」
「あ……まぁ……そういうことかな?」
「慣れって言うか、女になった頃からこういう商売してるの」
「え? 商売?」
「本当は売春は違法なンだけど、暗黙の了解になってるの」
 彼女はぼんやりと、遠い目をしてシガレを吹かしていた。
「軍人なんかがご指名にくるわけ」
 そして、ケロッと自分の生業を話すのである。
「あ……そうなんだ……」
僕はそのまま口ごもってしまった。
 彼女がどんな男と夜毎、何をしていたかを聞き出すつもりなど、毛頭なかったのに。

 僕は一過性の男。いや、男と呼ぶにはまだまだ未熟で。昨夜のコトは断片的な記憶でしかない。
 キリエの匂いも。あの喘ぐような声も。滑らかな肌触りさえ。僕を包み込み蕩けさせ電流が走るような快感。そして静かに訪れるあの射精の疲労感は……
 いつかは旅の思い出となるだろう。死ぬまでこの胸に閉じ込める"秘め事"。レプリカでは禁止された"直接性交渉"なのだから。

「軽蔑した?」
 キリエが灰皿にシガレをぎゅっと押し付ける。
「いや、どうして?」
 今度は僕がケロっとして答えた。
「誰とでも行きずりで、セックスする女だと思ったんじゃない?」
「ちょっと、早過ぎたかも知れないけど、でも、こうやって、大事なコトを教えてもらった……」
「ん? 大事なコト?」
 僕はキリエを抱き寄せて耳元に呟く。
「愛しくてたまらない相手と一つになりたいってコト……」
 まだぎこちないけれど。僕は気持ちを伝えたくて仕方なかった。そして、キリエの耳たぶを噛んでみた。

 とっくに夜は明けて、爽やかな朝陽が僕らを照らしていた。部屋はやっぱり、ガランと殺風景のままだった。大きなベッドと、昨夜の僕らの抜け殻だけが、床に散らばったまま。少し肌寒い部屋だから、キリエの肌の温もりが心地よい。

 募る気持ちとは、会った時間に比例するものではない。確かにセクスをするのは適齢期を迎えた男女なら、相手が誰であろうとも、身体的な快感は得られるだろう。
 いや、父さんや母さんがそれだけじゃなかったことを、朧気ながら僕は感じている。きっと、僕がキリエに惹かれ始めてるように、二人は "もっと知りたくて"近づき、そして"ひとつになりたい"と思ったに違いない。

 二十世紀の地球では、婚姻とは別にセクスは可能だった。規制とはまったく違う"想いの強さ"が男女を、いや、男でも女でも"愛しい"って気持ちに規制などなかったのだ。

 僕はキリエの肩を抱いたまま、唇を押し付けてみる。くすぐったいと、笑った彼女は無邪気な笑顔だった。それは、昨夜バーで見かけたキリエとも、「おいで」と僕を手招きしたキリエとも違う。

 やがて僕らは、余韻から抜け出さなくてはならなかった。

 お互い、背中を向けたまま着替え始める。この部屋は、キリエが時折使う"情事の部屋"だそうだ。僕はようやく、生活感がないのに納得した。

 部屋を出て、階段をそろそろと降りていく。昨夜辿った道は覚えていない。太陽が照らすこの繁華街は、化粧がはげた女の顔に似ている。闇夜が隠した"あばた"を容赦なく暴きだす光は、その潔さゆえ、眩しすぎた。

 この夢から醒めるのはとても悲しかった。

 キリエが繁華街のおわりまで見送ってくれた。この幹線道路を渡れば、僕はホテルへ戻らねばならない。
「じゃ、あと二日でしょ? 土曜には帰るって?」
「あ……うん……」
「何にもないトコだけど探してるもの、見つかるといいね……」
 僕は微笑むキリエと、お別れの握手をした。
「タクト、もっと自信もって…昨夜のあンた…よかった」
 キリエが、僕の耳元に囁いて離れる。

 顔から火がでるようだった。
 そして、バイバイと手を振るキリエを呼び止めて、僕は胸に膨れ上がるコトバを、ついに吐き出してしまった。

「一緒に……レプリカに行かない?」

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