アスワンの王子
王宮の4 ひとり





 

 漆黒の闇の一番奥深いところに、小さな意識がポツンとあった。
 一番奥深いところ?
 さあ、どうだろう。その認識は正しいのだろうか? 手探りをしようと伸ばした自分の手すらも見えない、真の闇の中では、深いも浅いも関係ない。ヨウシャはそんな風に思った。

 わたしは、どこに、いるのだろう?

 どうやらヨウシャは倒れている。背中が生暖かい。手を伸ばしてみる。ヌルリ、とした感覚。そして、痛み。
 ヨウシャは思い出す。わたしは王宮の案内人と一緒に、馬に乗っていた。案内人と一緒だと、結界に影響されないらしい。すんなりとトンネルに入って、出た。馬上では、案内人の上に座り、背面座位の格好で挿入されていた。馬の振動のひとつひとつが、ヨウシャに刺し込まれた案内人のペニスを通して、ヴァギナから全身にずんずん響き渡っていた。
 そうだ、わたしは、セックスに身を投じて、制御が効かなくなっていたんだ。
 母に聞かされていた。「やがて狂い死にする」と。
 ならば、わたしは、もはやセックスに身も心も奪われて快楽の虜になり、精も根も尽き果てて、いきつくところに辿りついてしまったのだろうか?

 だとしたら、ここは、あの世?

 でも、おかしいとヨウシャは思った。
 トンネルを出た途端に、背中を襲った激痛。そして、馬から振り落とされ、地面に叩きつけられた。
 我が目で見たわけではないのに、そのときの情景が記憶にこびりついている。
 後ろから矢を放たれたのだ。その矢は、案内人の背中から胸に貫通し、さらにヨウシャの背中にまで達したのだ。
 わたしがもし死んでいるのなら、その矢傷の為に死んだのだ。

 だが、わたしは本当に死んでいるのか?
 ヨウシャは疑念に捕らわれた。
 なぜなら、出血は止まっているようだが、相変わらず背中には現実感を伴った痛みが残っている。案内人を貫通することで、矢の勢いはほとんど衰えたのだろう。ちょっと刺さっただけで済んだようだ。とても死に至るような傷を受けたとは思えない。
 むしろこの痛みのおかげで、セックスに埋没しかけていた意識を、グイと引き戻されたような気さえする。
 ならば、なぜわたしは暗闇の中にいるの?
 トンネルを抜け出た一瞬、ヨウシャは王宮の庭にふさわしいその美しい光景に目を奪われた。死んでいないのなら、今再び、その風景を見ることが出来るはずだ。

 にゃおん。
 すぐそばで、ハックンの声がする。
 ハックン!
 叫ぼうとするが、声にならない。いや、主観的には叫んでいる。けれど、その声は自分の耳に届かない。
 にゃおおおんんん。
 「僕はココにいるよ」とでも言いたげなハックンの鳴き声。ヨウシャの叫びが届いたのだろうか?
 いや、それはおかしい。ハックンの声は聞こえるのだから、自分の声だけが聞こえないということはありえない。ということは、やはり自分は声を出せないでいるのだとヨウシャは思った。
 ハックンが鳴いてくれているのは、わたしの心が読めるからに違いない。ヨウシャはそう思った。
 にゃおん・・・
 ヨウシャは上半身を起こして、両手を広げてぐるぐる回した。なにものにも手は触れなかった。
 そうか、ハックンは小さいんだ。
 手を回して探索する位置を、もっと低くする。しかし、結果は同じだった。
 ハックン!
 やはり、声は出ない。
 にゃおおおおおんんんんん!
 ヨウシャの意識に反応するように、ハックンが声を張り上げた。
 (やっぱり、わたしの気持ちが読めるんだ)
 ヨウシャは嬉しくなった。
 (ハックン、あなたには、わたしのいる場所がわかるの?)
 返事がない。
 (そうか。ハックンも近くにわたしの気配を感じてはいるけれど、わたしがどこにいるかはっきりと認識することは出来ないんだ)
 それなら、まずは、なんとしてもハックンを探して、抱き上げてやろうとヨウシャは思った。

 立ち上がろうとして、ヨウシャはふらついてペタリと地面に座りこんだ。まっすぐに立つという事が出来ずに、バランスを崩したのだ。何も見えない、何にも触れない。基準にする物がなにもなく、「本当にわたし、ちゃんと立っているの?」と思ったら、とたんにグラリと身体が揺れたのだ。
 目に頼っちゃいけない!
 ヨウシャは自分に言い聞かせた。使えないものに頼っちゃダメだ。そのかわり、それ以外の使えるものを、フルに機能させるのだ。
 ヨウシャは三角座りをして、足の裏をピッタリと地面につけた。次に、掌を同じようにする。右手は自分のすぐ右側に、左手は左側に。そして、その手を前後左右に動かしてみる。地面は水平でツルリとしていた。地面というよりも良く磨きこまれた床という感じだった。
 足元は傾いていない。障害物もなさそうだ。
 ヨウシャは改めてゆっくりと立ちあがった。今度はふらつかなかった。何も見えないが、とにかく自分の周囲には恐れるべきものは何もないことを、先に確認したからである。
 さあ、一歩を踏み出すぞ!
 落ち着いて、ゆっくりと。
 ヨウシャは作戦を考えた。左足に体重をかけたまま、ゆっくりと右足を出す。だが、地面から足は離さない。すり足でゆっくりと進む。万が一デコボコがあっても、体重は左足にかけたままだ。ヤバイと思えば右足を引っ込めればいい。もし右足の下に何もなければ、体重を移して今度は左足を右足のあるところまで持ってくる。
 この繰り返しで、安全に進めるはずだった。

 でも、どこへ行こう?
 ヨウシャは頭を抱えた。
 見渡す限り、これ以上ない、というくらいの闇。そもそも見渡すことが出来ない。どっちの方向に進めば、何があるのか、さっぱりわからない。
 そこまで考えて、「そうだ、ハックンをまず探すんだった」と、ヨウシャは思いなおした。
 (さあ、ハックン、鳴いて。どこにいるの?)
 「にゃおん」
 ハックンはヨウシャの意識に反応して、鳴いた。
 (あ、あれ?)
 これまで気付きもしなかったが、いざ声の主を探そうとすると、その声がどこから聞こえてくるのか、さっぱりわからなかった。
 (もう一度、お願い)
 「にゃおん」
 やっぱりわからなかった。視覚と聴覚は別のもののはずなのに、ただ見えない、というだけで、声がどこから聞こえてくるのかさえつかむことが出来なかった。精神集中が足らないのだろうか?
 (今度こそ! ハックン、ごめん、もう1回鳴いて)
 「にゃおん」
 だめだった。その声は、どこかある一定の方向から届くというものではなく、なんとなく全体にぼんやりと漂っているかのようだ。
 視覚と一緒に、聴覚まで失ってしまったのか?
 まさか・・・・。
 ヨウシャはもう一度ハックンにお願いした。
 (にゃおん)
 やっぱりそうだった。ハックンがヨウシャに心の中で話しかけるのと同じように、ハックンもまたそうしているのだ。声を出しているのではなく、意識だけでやりとりをしている・・・。耳に届かないのは当然だった。

 ヨウシャは急に疲労を覚えた。めいっぱい身体を使ってヘトヘト〜、というタイプの疲れではない。八方ふさがりで、どうしていいかわらなくなり、深いため息でもつくしかないや、という時の疲労である。苦労して立ちあがったものの、立っている気力がなくなって、再び座りこんでしまった。
 ハックンを探すことも出来ない。どこかへ進もうにも、目標とするべきものが無い。
 あ〜あ・・・・
 声に出してみた。でも、やっぱり声にならない。あるいは、もしかしたら声は出ているのかもしれない。ただ聞こえないだけかもしれない。そう思って、ヨウシャはおもいっきり叫んでみた。

 誰か、誰かいませんか?
 わたしの姿が見えませんか?
 ここは、どこですか?
 声が出ないのか、耳が聞こえないのか、あるいは両方なのか。それらを判断する材料はどこにもない。

 いったいどうすればいいの?

 その答えはどこにもない。
 (ハックン、そこにいるの?)
 (にゃおん)
 (わたし、とりあえずどこかへ向かって進もうかと思うの。一緒について来れる?)
 返事が無い。
 (ダメか・・・)
 (にゃぉん・・・)
 心なしか、申し訳なさそうなハックンの声が届いた。
 (もー、どうでもいいや)
 ヨウシャはごろりと寝転んだ。不用意に身体を横たえて「しまった」と思ったが、しかし、幸いにも自分の背中には何も無かった。
 次から気をつけなくちゃ、とヨウシャは改めて思う。
 とにかく、何も見えないのだ。もしかしたら、聞こえもしない。あと残されているのは、嗅覚と触覚。それから、ええと、何だろう。今ある感覚を総動員して、慎重に、慎重に・・・。
 でも、どうすればいいのだろう?

 まず、自分の置かれた状況をしっかりと把握することだ、とヨウシャは考えた。理性の全てを失いセックスに没頭していたヨウシャ。このままではおそらく言い伝え通り狂い死にしていただろう。しかし、今はそうではない。きっと、矢傷の痛みがヨウシャを正気に引き戻したのだ。ヨウシャはそっと自分のアソコに触れてみる。濡れていた。それもズブズブに。周囲の状況に圧倒されて忘れていたが、指で触れると全身に快感の戦慄が走る。このままオナニーをしてしまいたいくらいだ。
 でも、待って。
 ヨウシャは自分でそれを引きとめる。
 もう少し、もう少し考えてから・・・
 ヨウシャは指の動きを止めた。しかし、指をそこから離すまでには至っていない。このままオナニーに没頭してしまいたい、という気持ちを制御できないのではなかった。この異常な状況において、自分が確かに存在することを確認できる唯一の手段として、この快感が有効であることを知っていたからだ。
 ヨウシャは再び思考を続ける。あれからわたしは、落馬をした。馬はどこへ行ったのだろう? 傷を受けたのは案内人。馬はきっとそのまま逃げたに違いない。そして、案内人は? 案内人の身体を貫通して自分まで届いた矢。おそらく案内人は生きてはいまい。案内人狩りが行われていて、彼が最後の案内人であると、そんな説明が記憶の片隅に残っている。
 落馬したあとは、意識が無い。気がついたら、ここにいた。
 わたしは、死んでしまったの?
 ここは、死後の世界なの?
 矢傷のおかげで正気を取り戻し、セックスの呪縛からいったんは逃れた。だが、その矢傷が実は命を奪っていたとしたら? セックスで狂い死にするのと、結論としては同じだ。
 だが、ヨウシャはどうしても自分が死んでいるとは思えなかった。
 なぜなら、背中には乾いた血がこびりついている。出血は止まったとはいえ、傷口はいまだにじくじくと痛む。手を触れたアソコからは快感が溢れ、これまでに無いほどのジュースがどくどくと流れ出ている。腰がひくひくする。これが、死んだ状態なのだろうか?
 (もういいや、我慢できないし)
 ヨウシャは思考を停止し、自分の指を動かし始めた。クリトリスを指の腹でこすり、指先でつまんだ。電流が走り、火花が散った。くうううーっと昇り詰めていく感覚。
 クリトリスからヴァギナの上を通過し、指先が肛門に届く。その間を何度も何度も掌を擦りつけながら往復させた。
 はあ、はあ、はあ。息が荒くなってくる。ラブジュースがヨウシャのお尻の下に泉を作り始めた。
 (ああ、感じる・・・。ああ、ああ、はあああ〜んん)
 矢傷のおかげでせっかく正気を取り戻したというのに、このまま快感の淵に溺れていいのだろうか? ヨウシャはふとそう思ったが、「大丈夫。今のわたしは自分を律することが出来る」と思った。それが確かな感覚なのか、それともオナニーをしたい自分へのいいわけなのか、区別はつかない。でも、もしわたしが本当に死んでしまっているのなら、そんなことはなんの意味も無いわ。とにかく、今はやりたいの。
 (ああ、何か入れたい。何かないかしら・・・)
 ハックンなら間違いなく的確に舌を使って攻めてくれる。尻尾を挿入してもらったこともある。もちろん、ハックンの持ち物も。ヨウシャのヴァギナはどんなものでも受け入れ、受け入れたものから一番沢山の快感が得られるように、アソコは変化した。
 ああ、ハック〜ン。
 近くにいるはずなのに、どこにいるかわからない。
 他に、他に何か入れるものは無いの?
 それは難しい相談だった。闇と床。これまでの探索では、床にはチリひとつ落ちていない。それどころか、磨き込まれていた。
 (くう、たまらない・・・)
 ヨウシャは強烈な刺激が欲しかった。なにか太くて長くて硬いものを無理やり押しこんで、ぐりんぐりんしたいと思った。だが、入れるべきものは自分の指しかない。
 人差し指、中指、薬指。
 3本の指を入れて激しく不規則に穴の中を掻きまわした。
 ああ、もっと。
 もっともっともっと、すごいものを!
 小指も入れたが、あらたに刺激を感じるほどではない。そのまま手をどんどん押し進めていく。親指も入った。だが、親指は短い。穴の中を掻きまわす他の指と違って、膣の出口付近をこちょこちょと動き回るだけだ。
 もっと、もっと奥に! もっと強く! ああ、もっともっともっとおおおおお!!!!
 ガンと手を奥に突いたら、ズボオと手首までが股の間に埋まってしまった。
(え? うそ・・・?)
 最初、信じられなかったが、しかしこれまで散々手首よりも太いものを受け入れてきたヨウシャだ。何の不思議も無かった。まして今は、ジュースがたっぷり溢れ出ている。床はベチョベチョだった。身体を動かす度に、床にぶちまけられた液体がビチャビチャと音を出す。
(あれ? おと・・・? 聞えるの?)
 だが、深く考えることは出来なかった。あまりにも激しい快感の為に、脳みそが溶けていきそうな恍惚にみまわれたからだ。
 穴の中で拳骨を作ると、ヴァギナがいっぱいいっぱいになって、膣壁に絶大な摩擦が与えられた。
 (ああん、もうダメ・・・・)
 もっと奥へ手を押しこみたかったが、残念ながら自分の手では限界がある。ただでさえ無理な体勢でオナニーしているのである。横向けになって身体を丸めて手首を折り曲げる。それでやっとここまで。せいぜいもう片方の手をお尻の穴に入れるぐらい。こちらは指3本を根元まで入れるのが精一杯だ。それでも必死に直腸を内側から愛撫した。
 朦朧とする意識の中で、性の快感だけがはっきりと膨れ上がっている。
 まばゆい光の塊が、ぐんぐん輝きを増してゆく。
 やがて、それは、パアンと弾けた。光の構成物が一気に四方八方へ飛び散って行く。
 あ、イッちゃった・・・・

 飛び散った光の粒は、いつまでたっても消えなかった。
 それらは光源となって、ヨウシャの周囲を照らしてくれた。
 (うわあ、満点の星空みたい)
 ヨウシャは無邪気にはしゃいだ。
 すぐ横に、ハックンがいた。手を伸ばしても届かないが、一歩進めば届く距離だった。だが、漆黒の闇の中ではそれは望めなかっただろう。誤って違う方向に一歩進めば、ヨウシャとハックンの距離は「2歩分」になってしまう。こうなればもうヨウシャがハックンに触れる可能性は、強烈に低くなる。視界がなく、手探りで触れる目標物も無い世界では、たった一歩が数万光年にも匹敵するのだった。
 それにしても、何も無い。ただ闇の中に、無数の光点がちりばめられているだけだ。まるで宇宙空間に放り出されて、星たちに取り囲まれているようだった。
 よく見ると、周囲や上方だけ出なく、自分やハックンの下にも、無数の星たちが瞬いていることに気が付いた。
 (え? どうして?)
 自分は磨きこまれたツルツルの床に寝そべっているはずだとヨウシャは思った。しかし、なるほど、自分は何物の上にもいない。身体の下にあったはずの床が消滅していた。
 ふわふわと漂っているわけではないが、なにかの固形物の上に自分は存在してはいなかった。
 お尻を支点にして、上半身を起こすことは出来た。だが、お尻の下は何も無い。闇と、その中に散らばる光があるだけだ。立ち上がってみる。これもオッケーだ。だが、何も無い空間にまっすぐ立ち上がるということは、横になっているのと同じでもあった。事実、ヨウシャは自分が立っているのか寝ているのか、わからなくなった。座ってはいない。身体を真っ直ぐにしているからだ。じゃあ、自分の体重は、いったいどこが支えているのだろうか?
 どこも、支えていなかった。
 ヨウシャは自分が立っているつもりになって、右足を一歩踏み出した。そして、次に左足、また、右足。歩くことは出来た。すぐ横にいたハックンは、いない。振りかえると、ハックンはヨウシャが進んだ分だけ後方にいた。何も無い空間だが、歩けば前に進むのだ。
 歩くだけではない。寝転がっているつもりになると、寝返りを打つことも出来た。ゴロゴロと転がってみる。目標物はハックンしかないが、確かに移動をしている。
 何も無い、まるで虚無の空間だけれども、身体を動かした分だけは、その空間の中を移動出来るようだ。
 これでどうやら、「闇に閉じ込められる」という状態では無くなった。
 生きているのか、死んでいるのかはわからないけれど、自分の意志で行動出来るということは、紛れも無く生きているということだ。もし、それでも死んでいるというのなら、文字通り「この世」から「あの世」へと旅立ったのだろう。
 しかし、それも不思議な話なのである。
 死とは、肉体が滅ぶこと。滅んだ肉体から魂だけが旅立つこと。なのに、今のヨウシャには肉体があり、傷は痛み、オナニーすれば気持ちいい。とすれば、生きているのか?
 ともあれ、行動出来るのだ。
 ヨウシャは意気揚揚と宣言した。
 (行こう! ハックン!)
 (にゃおん?)
 ハックンはキョロキョロと周辺を見た。
 まるで(行くって、どこへ?)と、言ってるようだ。
 確かに目標がなければ、どこへ行くことも出来ない。
 (けどね、ハックン。こんなところでいつまでも留まっているわけにはいかないの。どこへも行きつかないかもしれないけれど、進まなくちゃダメなのよ。さあ、ついておいで)

 ヨウシャが一歩、足を踏み出した、その時である。
 足元がグラリと崩れた。
 いや、星が広がったあのときから、ヨウシャには足元なんてなかった。視覚的には、何も無い所にただ存在しているだけのように思えた。しかし、足を踏み出せば、そこには足を支える何かがあったし、前に進むことも出来たのだ。にもかかわらず、今踏み出した一歩。それを支えるものは何も無かった。ヨウシャはグラリとバランスを崩した。

 くるくる、くるくる。
 身体が宙を舞っている。
 右に、左に、上に、下に。

 くるくる、くるくる。

 バランスを崩した身体はひたすら舞いつづけた。
 ヨウシャはそれを止めようとするが、身体に力が入らない。掴むものも支えるものも無いから、身体に力を入れてもただ「力んだ」だけである。
 身体の動きを止めるどころか、どんどん回転は速くなる。回転だけではない。どこか一方向へ進んでいるようだ。ヨウシャを取り囲んだ無数の光達は、彗星のように長く尾をひいて飛び去っている。その光の筋は見る見る長くなる。やがて、始点も終点もわからないただの光の筋だけがヨウシャの周りにあった。
 (ハックン?)
 (にゃおん?)
 (よかった。居るのね)
 激しい酩酊感とともに、ヨウシャは気を失った。

 ヨウシャは眠っていた。
 ふかふかの布団にくるまれて。隣には、ハックンも同様に、気持ち良さそうに眼を閉じていた。
 そこは、天蓋つきのベッド。
 ベッドは広い部屋に置かれていた。
 大きな姿見。天井でキラキラ光を跳ね返すシャンデリア群。その光は、開いた窓から注ぎ込む太陽光だった。爽やかな風も一緒に吹き込んで来る。
 磨きこまれた大理石の床。古いが手入れが行き届いた調度品の数々。天井に描かれた宗教画。
 ベッドの横には、ちいさなナイトテーブルがある。
 ステンドグラスの傘をかぶったランプ。夜になり、火を入れたらさぞ美しいだろう。
 そして、クリスタルガラスのグラスと水差し。
 そのグラスに伸びる、手。
 その手は、薄い布でグラスを磨き、そして、再びそっとグラスを戻した。
 まるで、ヨウシャがいつ飲物を欲しても、最高の状態で応対出来るように整えているかのようだ。
 手の主は、誰?
 ここは、どこ?

 グラスを戻したその人物は、ベッドの横の椅子に、そっと腰を降ろした。椅子もまた年代物だ。キッとわずかに音がする。だが、その楚々とした身のこなしは、それ以上の音を立てなかった。その人物は、そっとヨウシャの寝顔を見る。わずかに発してしまった音で、お姫様を起こしたりなどしては、申し訳ない。まるでそんな所作だった。

 ヨウシャは、眠っている。
 ハックンと、一緒に。
 

 

「王宮の5 かの人」へ進む。

作品集一覧に戻る