アスワンの王子
凶都の10 わかれの朝





 

 鈴の音が鳴り響いていた。

 チリリン、チリリン、チリリン。

 ロセリはクルクルと回って足首の近くまであろうかという長いスカートをフワリと腰の周囲に漂わせる。手には、鈴。自在に踊りながらも手にした鈴は一定のリズムを決して狂わさなかった。

 シャキーン、シャキーン。

 薄いが幅広の刃が重ね合わさる音がする。観客たちは振り向いた。客席の真後ろで、サナが剣の舞いを披露する。
 鈴の音と刃の打ち合わされる音が絶妙のハーモニーを奏で、観客たちを取り巻いた。
 そこにスズナスの銀竜とオリエーの黒竜、ホトケノの土太鼓が加わってゆく。
 無骨で素朴だが、人の心の奥から紡ぎ出される小さなオーケストラに、観客たちは言葉を失っていた。
 道具や照明を担当しているホトケノは舞台に立つことはほとんどなかったが、今日はそれに加わっていた。なにしろ、劇場が焼けてしまったので、舞台が始まってしまえば彼にはもはやすることはない。あらかじめ観客たちに蝋燭を一本ずつ配っただけである。火が灯され、各人が持つわずかな炎から発せられる明かりの集合体だけが、本日の照明器具である。観客の一人一人が手にした蝋燭に火がともると、久しぶりにホトケノも縁者の一人として加わった。
 彼が操る楽器は、楽器などと言えるシロモノではないだろう。左手のそれぞれの指と指の間に、木、竹、銅、鉄を挟み、それを右手に持った細長い石でリズミックに叩くだけなのである。とはいえ、どの部位を叩くかで音の高低があり、どれくらい力を入れるかで音の強弱がある。木、竹、銅、鉄のそれぞれの音色にこれがあるわけだから、使い手の技量でいかような世界観も表現出来るのだった。しかも、時々持ち替えたりもする。左手に石、木、銅、鉄。それを竹で叩く。また持ち替えて、今度は、銅で、鉄で、叩く。気がついたら、ポケットの中から新しい材質のものも登場していた。
 ヨウシャはソワンと二人で踊りながら、「これだけの腕があって、どうして今まで舞台に立たなかったのだろう」と不思議に思ったが、野外ステージから星空の果てまでも届くような音楽の厚みに、いつしか思考は中断し、踊ることだけに熱中していた。

 昨夜の戦いで、やはり劇場は燃えていた。
 なのになぜ、観客たちは気がつかなかったのか。そして、誰一人として、命を落とさなかったのか。それどころか、小さなやけどひとつ負っていない。
 まるで火に包まれていたことが幻のようだった。

 『我らは火事を否定せよ。さすればこの燃え盛る劇場が『燃えている』と感じるものは何人たりとも存在せぬ。それこそが人の心の力ぞ』

 老師はそう言った。ヨウシャは「意志の力で火事という現象が否定出来るのだ」とその時は思ったけれども、そうではなかったのだ。実際は燃えていても、火事に巻き込まれていても、意志の力でそれを否定すれば、その現象に巻き込まれないということらしかった。
 実際は良くわからない。
 わかっているのは、銀竜詩人が演ずるべき場所はもはやなくなった、ということだった。

 今朝の出来事である。一人の男が慌てふためいて「劇場が燃えた」と伝えにやってきた。
 そして、興行の中止を申し入れた。
 リーダーのスズナスはまるで全てを知っていたかのように(実際知っていたのだろう)、「では、中止しよう」と答えた。
「だが、劇場がなくてもかまわない、焼け跡で良いので、今晩だけはやらせて欲しい」と言った。
「近所に音が響くし、風紀上の問題もあるし、ううむ・・・・。それに屋外でやるとなると、誰でも見れる。金を払わなかったものも見れる。通行人も見れる。そういう者を遠くへ排除するわけにもいかん」
「無料でかまわない」と、スズナスは言った。
「まあ、そこまで言うなら・・・」
 今夜、焼け跡で、最後の興行が決まった。

 ヨウシャのハートにスズナスの心が染みこんで来た。
 だから、理解できた。「今夜が最後のステージだ」と。
 サナとソワンは再会した。彼女達が銀竜詩人に留まる理由は無い。おそらくサナとソワンは、二人が夢見た平凡で平穏な生活を求めて、この町を出るだろう。そして、小さな村かどこか落ち着き先を見つけてささやかに暮らすに違いなかった。
 (そして、わたしは・・・・)
 王宮へ向かわなくてはいけない。アスワンの王子と会うために。アスワンの王子と寝るために。
 このメンバーでステージを踏むのは、今夜で終わり。その最後のステージをスズナスは用意してくれたのだ。

「今夜の演目はひとつだけだ。始まりはあるが終わりはない。演出も無い。心のままにやろう」

 こうしてこぎつけたラストステージ。
 観客たちの手にした蝋燭はまだ半分ほどもある。
「まだまだ踊っていられるわ」
 誰がリーダーシップを取るというのではない。誰もがなんとなく流れを察知して、音楽は強くなり、弱くなり、早くなり、遅くなった。
 ヨウシャは様々なものをイメージした。空、星、海、川、湖、大地、風、火、草、木。匂い、肌触り、味、音、物。優しさ、悲しさ、喜び、落胆、笑い、涙、孤独、共有。・・・・
 一緒につかず離れず踊っているソワンは、どう感じているのだろう。同じことをイメージしているかもしれないし、そうでないかもしれない。
 けれど、息を合わせて踊ることが出来た。どちらかがどちらかに合わそうとしているのではない。心のままに踊れば自然とそうなった。
 それは、ふたりの間に通じるものがあったからだと、ヨウシャは思った。
 望みがあり、望みつづけて、諦めず、決して諦めず、耐えて、耐えぬいて、一筋の光明を信じつづける。
 ソワンにとってのそれがサナとの再会であることを、ヨウシャはサナから聞かされて知っていた。
 飢え、乾きつづけた心。それを安易に潤す方法はいくらでもある。けれど、それでは望みは叶わない。望みをかなえるために飢えや乾きに立ち向かう。
 わたしもそうだ、と、ヨウシャは思った。
 セックスに身を投じて狂い死にしてしまった方が、耐えて旅を続けるよりも楽だろう。やがて自分が自分で無くなり、自覚しないままに朽ちていけば辛さの一切は感じなかったろう。けれど、それではダメだ。この旅に送り出してくれた母のために。そして、恋人アクアロスのために。
 もちろん、自分自身のために。
 願いは必ず叶うのだ。

 蝋燭が消えると、星明りが美しかった。

 銀竜詩人のステージは、この世の終わりとも思える激しい音楽と共に終わり、まもなく朝日が昇り、終わったはずの世界が再生された。
 誰もがそういうイメージを心の中に刻み、焼け跡を後にした。

 ステージが終わり、一行は宿に引き上げた。
「行くわ、私達」
 素早く荷造りを終えたサナが宣言した。
「一睡もしていないのに?」と、いれたばかりの茶を渡しながらロセリが言った。
「今夜の宿代は俺のおごりだ。もう1日ゆっくりしていくといい」と、スズナスが後をついだ。
「いや、脱走兵捕獲隊は再編成されて、すぐにでも私達を追って来るだろう。あたいとソワンは、彼らの手の及ばないところまで、逃げて逃げて逃げつづける。それがうまくいかなきゃ、結局同じだからな」
「そうか・・・、残念だ。ステージの無い夜ぐらい、ゆっくり話でもしたいと思っていた」
「一晩ぐらい、大丈夫じゃよ」
 いつのまに現れたのか、そこには老師の姿があった。
「見た目は華やかなこの都も、王政廃止の改革で揺れておる。ヤツらは混乱している。荒れてもいる。脱走兵捕獲隊もそう簡単に再生されぬ。大丈夫じゃ。それに、わしが守ってやる」
「それにしても早いにこしたことはないんだ」と、サナは言った。が、すぐに、「わかった。そうする」と自らの言葉を翻した。老師の言葉に、ソワンが涙していたからだ。
「最後の最後まで、面倒を見ていただいて、ありがとうございます」
 ソワンは深く頭を下げた。
「ふん、面倒などみておらん。わしは最初、そなたを犯して食うつもりだったのだよ。わかっておろう」
「はい・・・」
「全ては、そちの持てる力じゃ。意志のパワーだ。自分を救うものは自分しかおらぬ。自分の大切なものを守るのもまた自分。だからこそ、自分を大切に思ってくれるものからも守られる。そういうものじゃ。わかっておろう」
「はい・・・」
「ならば、一晩位ゆっくりしてゆくがいい。敵の真っ只中であるこの都で一晩位身を守れんで、これからの過酷な旅が立ち行くものか」
「なんだよ、守ってくれるんじゃねえのか?」と、サナが突っ込んだ。
「お前はわしの話の何を聞いておったのじゃ。わしは守ってやるが、自分とその大切なものを守るのは自分であって、だからこそ、自分も守られるのじゃ」
「はいはい、おおせのとおり・・・」
 適当に返事をするサナに、銀竜詩人のメンバーたちも、ヨウシャも、ソワンも、笑うだけだった。

「今夜は、乱れよう」
めいっぱい夕食を食べ、アルコールを流し込んだサナが言った。酒にはもっぱら影響を受けないサナだったが、ほんのり頬が上気している。
「武装解除しているの?」とヨウシャは訪ねた。
「ああ、なにしろ老師が守ってくれている」
 相変わらずの口調だが、ソワンの隣でサナは、いつもの戦士の表情はしていなかった。どこが違うのかと問われればそれを具体的に指摘することはヨウシャには出来ないけれど、なんとなく穏やかな顔立ちになっているなと思った。
「ふうーん」と、ヨウシャは言った。気配、とでもいうのだろうか。サナが身につけている特殊能力でそれを感じ取ることが出来るのだろう。ヨウシャにそれは近く出来なかった。
「人に保護されるってのは気持ちいいな」
 老師の存在を感じ取ることは出来なくても、サナの言っていることは理解で来た。
「そうね」
「でも、慣れたらまずい。本当の自由を得るまでには、まだまだ旅を続けなくちゃならない」
 サナはため息をついて天井を見上げた。
「そんなの、すぐよ。これまでの長さに比べたら・・・」と、ソワンはゆったりとした口調で言った。
「ああ、そうだな」と、サナは目を細めてどこか遠くを見た。これまでの旅の行程をひとつひとつ振りかえっているのかもしれないと、ヨウシャは思った。
 そっと、ソワンがサナに肩を寄せ、体を預けた。
「な、なんだよ」と、サナ。
「何って、こんなに近くにいるのよ。やっと会えたのよ。こうしていたいの」
 ソワンは眼を閉じた。体の触れた部分から暖かいものが流れ込んで来るような気がした。瞳を閉じてサナに身を寄せるソワンは、まるで処女の少女がはじめて本気で愛した恋人に全てを委ねているようにすら見えた。
 サナにもそれが伝わったのだろう。身をひねって隣の少女にくちづけをした。
 これまでの二人の長い時間を思えば、女同士のその行為がちっとも不自然には思えなかった。
 心を通わせた者同士が、あふれる思いに耐えきれずに体を求めてしまう。なんて素晴らしい事だろうとヨウシャは心が震えた。
「ヨウシャ、好きだったよ・・・」
「好き」を過去形で表現して、後から抱きしめてきたのはホトケノだった。
 わかっていた。舞台の上での激しいセックス。それは決して演出ではなかった。体の芯の奥底からそれはヨウシャにも伝わっていた。
「うん」と、ヨウシャは答えた。
 チラリとヨウシャを見たサナは、「遠慮せずにやっちゃいな・・・」とつぶやいた。
 そうね、そうしよう。
「わた、しも・・・」
 旅に出てから、恋人アクアロスのことを忘れたことは無かった。けれど、色々な男たちと交わってきた。それぞれの場面で、それは本気だった。感度が日々増してやがて狂い死にするまでセックスするという呪いのせいなのか、それとも自分が本当の淫乱になってしまったのか、区別がつかない。
 セックスを我慢すれば飢えと乾きに襲われる。だから、症状が進行しない程度にセーブしながら適度なセックスをし、呪いを解くといわれているアスワンの王子を受け入れるために王子の元へ旅をする。そんな運命の中で、数々の男たちとセックスをする。日々、感度は増してゆく。どこがボーダーラインかわからぬまま、快感に身を委ねる。
 そろそろ限界かもしれないとヨウシャは思った。
 後から抱きしめられただけで、体の振れる部分がまるで性器と化したように敏感に感じ、血液が逆流して熱く身が火照った。乳首が立ち、キュッとつままれると、背中がのけぞって腰がヒクヒクし、ジュースがアソコからあふれ出る。
 膣壁は挿入された男のモノをもみくちゃにしようと活発に動き始める。お尻の穴が開いてゆくのも感じた。
 乳首を離れたホトケノの手は、肌をしっとりと撫でながらゆっくりと下腹部に向かっていく。
 その動きや力加減は微妙で、まるでその部位に挿入されているような感じがした。激しく腰を振り間断無く訪れる快感に責めたてられるような具合ではなく、ちょうど「挿入したまま動かずにいる」状態でじわじわと侵食されてゆく感じに似ていた。はちきれんばかりに太く硬くそそりたったペニスと、ぐいぐい閉めつけるヴァギナが、その状態にあるのをじっとしたまま、ゆっくりと快感の同心円が膨らんで来るのを待っているような感じだった。  ホトケノの10本の指は男性器そのもので、それに触れられた所は次々の女性器に変化していった。惜しみなく快感が与えられ、ヨウシャの細胞はなすすべもなく、ただ汗を吹き出すばかりだった。
(あ、汗じゃない・・・)
 肌の表面に吹き出した液体。それはヴァギナに突っ込まれて濡れた指を肌にこすりつけられたのと同じ感じがした。・・・・ラブジュース。胸、お腹、腰、下腹部、触れられたところからラブジュースが湧き出してきているのだ。

 徐々に下がって来たホトケノの指がクリトリスに触れる寸前、ヨウシャは全身の細胞が歓喜にあふれて散り散りに飛んでゆくイメージにとらわれた。
「待って!」と慌ててホトケノの手首を掴む。
「どうしたの? 怖いの?」
 怖くは無かった。これまでさんざんわけのわからないセックスに身を投じ、その度に新しい快感に目覚めてきたヨウシャである。今更自分の身体がどんな反応を示そうと驚きはしない。
「ううん。わたしにもさせて」
 ヨウシャは身体の向きを変え、うつ伏せになって顔だけを上げた。目の前にはホトケノのペニス。
「なんか、いつもより大きくない?」
「もっと大きくなるよ」
「ウソ! だって前のときは・・・」
「コントロール出来るんだ。初めての相手に最大サイズで迫ったら、それだけで逃げられてしまうだろう?」
「そんなこと、出来るの?」
「ためしに、舐めてごらん?」
 ヨウシャは言われるままに、先端から丁寧に舐め始めた。
 ぱっくりと口に含んでも、カリの手前までしか届かなかった。歯が当たらないように唇に力を入れてすぼめながら穴の周囲を舌で徘徊した。
 ぐんぐん膨れ上がって来るモノを両手でしっかりとしごきながら、唾液をあふれさせてベロベロに舐めまくる。
 先端に触れるにはもはや寝転んでなどいられない。
 上から下へ、舐めても舐めても根元には辿りつかなかった。
 太さは手首ぐらい、長さは肘から指先に匹敵するほどだった。
 ヨウシャはホトケノに抱き付いた。
 二人がきつく抱き合うほど、その間に挟まれたホトケノのペニスはぐいぐいと絞めつけられ、ホトケノは歓喜の声をあげた。そそり立ったそれはヨウシャのあごに届くほどで、顔を少し下に向ければ舐めることも出来た。
 やがてそれがヨウシャの中に入って来た。
 その強烈さにヨウシャは思考も記憶も失った。
 だが、気絶したのではなかった。
 膨大な量の快感は身体の奥深く似しっかりと刻み込まれていた。
 我を忘れて狂い死にするまでセックスに没頭するとは、こういう状態なのだろうか。ふと頭の隅で考えないではなかったが、すぐに消えてしまった。ホトケノだけではなく、スズナスやハコベとも交わった。そこに、サナもソワンもロセリも加わっては離れていった。誰と誰がどういう風に交わったのか、わけがわからなくなった頃、オリエーのレズプレイが鮮烈にヨウシャを責めた。甘くネットリとした肉体の饗宴の中に突如ナイフを放りこまれたような、オリエーのセックスだった。イカせ、イカされしている間も、ふと見るとオリエーの女の部分にはスズナスが挿入しており、ヨウシャの口の中にはハコベの男の部分が蠢いていたりした。
 こうして誰もが疲れきって身体を横たえるまで性をむさぼり、やがて眠りについた。

 目覚めると、みんなは裸のままゴロゴロと転がっていた。
 ヨウシャは布をまとって、外に出た。宿の裏庭だ。
 世は明けていたが、果たして太陽はどの程度昇っているのだろうか? 周囲を建物に囲まれたささやかな庭なので、地平線など見えるはずも無い。それでも、手入れの行き届いた草花は、朝露でしっとりと濡れており、空気は澄んでいて、いつもとなんの変哲も無い1日が始まろうとしていた。
 ちっぽけな人間たちが様々な思いを抱えて右往左往していようと、1日が始まりそして終わっていく様は、ずっとずっと変わらないのだろう。
「ヨウシャ・・・」
 湯気の立ち昇るカップを抱えたホトケノがヨウシャの気配に振りかえった。
「あ、おはよう。邪魔をするつもりはなかったのよ」
「邪魔なもんか」
 ホトケノはカップの中身をあおると、小さな丸いテーブルに置いてあったティーポットから新しく液体を注ぎ、それをヨウシャに手渡した。
 湯気といい香りの立ち昇るそのお茶はいかにも美味しそうで、暖めてくれそうだった。
「ねえ、ホトケノ、昨日の・・・」
 あれは何だったのかしら、と訊こうとして、やめた。
 これまでの旅で、たしかに異形のものには出会っている。それらが常識ハズレの性器を持っていることも知っている。だが、ホトケノは人間である。あんなものを持っているはずが無い。すんなりと受け入れられるはずが無い。あれは幻覚だったのだろうか。それとも、ホトケノもまた異形のものなのだろうか。
 そんなことを尋ねようとしたのだけれど、もうどうでもいいように思えた。
「僕たちは都を離れるよ。とりあえず、城壁の外の市の仮説小屋で何日間か公演をする」
「あの城壁の裂け目から外へ出るのね?」
「ああ、出るのは自由だからね。それに、実質あそこは都の続きのようなものだ。荒っぽいけど活気があって賑わっている」
「そう・・・」
 裏庭の片隅に藁をしいてもらい、そこで眠っていたハックンが目を覚ました。
「サナとソワンもとりあえずは一緒に行く。でも、すぐにお別れだ。僕たちは公演のために何日も滞在するけれど、彼女たちは安住の場所を求めて、延々と旅を続けるのだろう」
「きっと、そうね」
 にゃおん。
 ハックンがヨウシャの足にまとわりついて来た。
「またお前と二人旅ね」
「王宮へ、行くのかい?」
「そう、行かなくてはいけないの。それがわたしの旅の目的地」
 背後からロセリの声がした。
「気をつけてね」
「・・・うん」
「今は、一応まだ王政がしかれていることになっているわ。けれど、王政廃止への準備が着々と進んでいるの。だから、王はもはや実権を捨てている。四天王の合議が最高議決機関よ。けれど、それも議員議会制までのつなぎなの。これからは、誰もが国を動かす力を持つようになるわ。有能な者も、悪知恵や策略に長けたものも、奉仕精神のあるものも野心のあるものも。気をつけなさい」
「簡単には会えないってこと?」
「それはどうかわからないけれど、色々な人が色々な思いで色々なことをしているってことね。庶民は毎日暮らしていかなくてはいけないから、表向き何ら今までと変わらないように見えるけれど、その裏では何もかもが混乱して混沌としているってこと。新しいシステムは確立されていないのに、古い慣習やしきたりはどんどん無くなっている。一筋縄ではいかないってことね」
「逆に、力で押せば、どうにかなるってことかもな」と、ホトケノが言った。
「けしかけるようなこと言わないで」と、ロセリが睨む。「野望か死か、ふたつにひとつの決意を持って乗り込む革命戦士じゃないのよ、ヨウシャは」
「わかっているよ」
「無理しないで。けれど、時には無理も必要。わたしは王の血筋をひくものだけれど、縁を切って王室を飛び出したから、もはや何の力にもなれない」
「うん、なんとかする」
「ただ、ひとつだけ教えてあげるわ。昔は、謁見の制度があったの。誰でも王に直接会うことは許されていた。けれど、その手続きには途方も無い時間がかかったの。けれど、多分そのシステムはもう崩れているわ。だから、王に会うための正門はないの。けれど、ややこしい手続きで延々と時間が過ぎていくってこともないかもしれない」
「行ってみないとわからないよね」
「そう。わからないわ。そして、行ったところで制度が崩れているからどうなるかわからない。時には、女の武器も使いなさい」
「はい」

 全員が旅支度を終えると、宿の部屋はガランとした。
 建物が立ち並んでいても、その姿を見ることが出来るほどに、太陽は昇っていた。
 王宮と壁の裂け目は反対方向。宿を出て、銀竜詩人の一行とサナとソワンは左へ、ヨウシャとハックンは右へ。
 ハックンだけが何度も振りかえり、行きつ戻りつを繰り返したが、最後にはヨウシャに従った。人間たちは一度も振りかえらなかったし、立ち止まりもしなかった。
 放浪のたびを続けるために都を出る一行と、確かな目的を持って王宮へ向かうヨウシャ。
 旅芸人を続ける限りはおそらく日々無事に暮らせるであろう銀竜詩人達と、明日の暮らしも知れないサナとソワン、そして目的を達成出来るかどうかも定かでないまま、しかし立ち向かわねばならないヨウシャ。
 それぞれの背中が、それぞれの物語を背負っている。
 

 

「王宮の1 荒廃」へ進む。

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