アスワンの王子
海岸の4 伝説に埋もれて1






 ヨウシャはハナウにおんぶをしてもらって、一軒の住居に連れてこられた。
 家は植物の茎を編み上げて造ってあるようだった。触れると意外に柔らかく、しんなりしている。だが、何本かを編み上げるとしっかりした柱や梁になった。壁や天井は縦横に編み合わせて造られており、隙間がいっぱい空いている。洞窟の中なので、雨風の心配がないからこれで十分なのだろう。
「ここは地底の町だ」と、老人は問わず語りに解説を始めた。
 なるほどとヨウシャは思った。洞窟と言うにはあまりにもスケールが大きい。地底の町だと言われれば、そうかと納得できた。
 川が流れ、畑が耕され、草原地帯では家畜が飼育されていた。
「どうして真っ暗じゃないの?」と、ヨウシャは訊いた。
「まあ、ゆっくり話してあげよう」と、老人は言った。
 ハナウとおそらく同年代くらいの女が、食事を運んできた。髪が長く美しい娘だった。肌が光沢を放っていた。ヨウシャは自分の頬に手を当て、劣等感を感じた。ガザガサに荒れていた。厳しい旅で手入れする余裕がなかったこともあるが、地底の住む人は直射日光に当たらないから美しいのだと思った。
 娘の肌は美しく輝いているだけではなく、透明感がある。ちょっとはかなげな印象を受けた。
 ヨウシャは勧めに応じて食事に手を付けた。
 老人は地底の町の伝説を語り始めた。
 かつて、ここでの生活は熾烈を極めた。災害との戦いだった。
 河はよく氾濫した。
 作物がとれる頃には、満潮時に限って大きな雨風が襲った。作物は根から洗われ海に吸い込まれていった。
 海と河がおとなしくなる季節には、雨が降らなかった。乾期が訪れるのだ。
 堤防を築いたり、ため池を掘ったりしたが、人智を越える自然災害は、人の努力と工夫をあざ笑うかのように蹂躙していった。
 何年かに一度は大きな竜巻が襲った。土を焼いて頑丈なレンガを作って家を建てると、きまって水害に襲われた。レンガの家は風には強くても、雨に弱い。水分がしみ込んでもろくも崩れた。
 そこで木材を中心にして家が再建される。何年かの後にまた竜巻がやってくる。そんなことの繰り返しだ。
 幼いもの、体力のないもの、病気のものなど、弱いものがどんどん命を失った。
 幸いだったのは、乾季と雨季がはっきり別れていたため、決定的な流行病に冒されることがなかったくらいだ。雨期と乾期では活動する病原体の種類が違う。だから少しばかり病気が発生しても次の季節には消滅した。病は従って蔓延しなかったのだ。
 災害だけではなかった。
 広くて上陸しやすい砂浜は、侵略者の標的にされた。
 いまにして思えば、厳しい環境が人々を強くし、また弱者を淘汰していたのであり、だからこそこの町に住む人々が子孫を残せたのだが、当時はそんなことには思い至らなかった。
 人々はただ、安寧な暮らしを望んだ。この地に住み着いた先祖を恨んだ。
 そんなある日。
「旅の魔師がこの町にやってきたのじゃ」
「魔師? 魔術師じゃないの?」
「魔師だ。正しくは悪魔師。悪魔との仲介を生業とする特別な能力を持った者のことだ。悪魔師と呼んだのでは不吉すぎるから、魔師と言い習わされておる」
 悪魔は人と取引をする。人の願いを叶え、その代償を要求する。代償は金や物ではなく、人の魂や運命なのだという。
 悪魔はどんな要求でも受け入れてくれる。その見返りがとんでもないものだとわかっていても、窮地に追い込まれた人にとっては、悪魔が求める見返りの方がまだましだと思えることもあるが、決して取引をしてはならない。悪魔の求める代償は人智のおよばぬ所にまで至るからだ。
 ヨウシャは学校でそのように教えられていた。
 「悪魔は神の使いなのだよ、わかるかな旅のお嬢さん」
 ヨウシャは首を横に振った。
 「どんなに苦しいことがあってもみんなで力を合わせれば乗り越えることが出来る。それを悟らせるために多大な見返りを要求するのじゃ。そんなひどいことになるくらいだったら、知恵と技術と力を合わせていまを乗り切ることを工夫しよう、そう思わせるためにね。でも、それでも我々のように、悪魔に頼る人間がおる。そうなると悪魔は容赦しない。要求を呑む代わりにさらに過酷な運命を与えるのじゃ。人として存在することが理不尽とも思えるような運命をな。わしには悪魔の声がいまになって聞こえるようになった。
『神の与えた試練を乗り越えられないようなら滅んでしまえ』
 まさしく、この地底の町は滅びを目前にしているのじゃ」

 災害に犯されない安らかな暮らし、それが悪魔の用意した地底の生活だった。  地上と地底は大きく深い縦穴によってつながれたが、外に出ることは許されなかった。直射日光を浴びると皮膚は溶け視力を失しなう。肉と骨は干からびて砂と化す。これが悪魔の提示した交換条件だった。
 地底には清流が流れ、植物や家畜が用意された。家畜は気性が穏やかで力持ち、人に従順。しかも食べても美味しく栄養が豊か。地底であるから雨風に犯される心配はない。
「『これでいいか』と悪魔は問うた。
『穏やかな暮らしが出来るのなら、地上に出る必要などない。だが、暗闇は困る』と我々言った」
 悪魔は灯りを用意した。 「地上と地下を結ぶ、大きな縦穴がある。そこから入った光は洞窟の中を何度も何度も乱反射して屈曲し、そして我々に害のない穏やかな光となってこの地底の町を照らしてくれているんじゃ」
「でも、その縦穴から雨が入ってくるでしょう?」と、ヨウシャは疑問を口にした。
「地底湖があるんじゃよ。雨期に穴から進入した雨は地底湖に蓄えられる。そして乾期にその水は蒸発して縦穴から外へ逃げる。だから、この地底の町が水害に襲われることはない。そのかわり、外に出ることはいっそう困難なんじゃ。湖を泳ぎ、しかも縦穴を這い上がらねばならんからな」
「でも、外に出る必要はないんじゃないの? 地底の町で静かに暮らせるんなら」
「そう、誰もがそう思った。そして、外敵の進入もない。こんな理想的な住処は考えられない。だから、我々は悪魔と取引をした。だが、代償は大きかったよ。我々の選んだ道は間違っていた」
「どうして? 静かに安らかに暮らせるのに?」
 ヨウシャは過酷な運命を克服するために旅をしている。だから、ここでの生活を羨ましく思った。安全な地底の町で、恋人アクアロスと愛し合って暮らせたらどんなにいいかと思った。
「生まれて、そして死んで行くだけなら、人は人ではないのだ」
 老人の目がカッと見開かれた。

「人は何を求めて生きていると思う? 人は何が無くては生きていけないと思う?」
 老人は問うた。愛かな? とヨウシャは思った。
「夢や希望、じゃよ」と、老人は言った。
 穴蔵での生活には夢も希望もない。単調な毎日が繰り返すだけだ。生まれて、子孫を残して、そして死ぬ。これは人じゃない。
 野望も抱くことが出来ない。外へ出ればすなわち死という絶対律に支配されて、閉ざされた運命に従って行動する。
「人は!」と、老人は叫んだ。
「未来に大きな夢を描くことではじめて生命力を得ることが出来るのだ」
信念に満ちた絶叫だった。声が大きかったわけではない。しかし、魂の全てを注ぎ込んだ言霊だった。空気に電気が走ったような激しい振動が起こった。
「生きる力を無くした我々は、子供が出来にくい身体になってしまったのじゃ」
 災害や侵略が無くても子供が出来なければ滅びる。
 そこで生まれたのがセックスの儀式だ。
 適齢期の男女が毎日多くのセックスを繰り返す。
「同時にたくさんの男の精子を受け入れたら、どうなると思う?」
「わかりません」
「女の奥深くに辿り着く事の出来る精子はたったひとつだ。そこまでに多くの精子が果ててしまう。生命力の弱った男から放たれる精子はなかなか子宮に到達せずに果ててしまうのじゃ。さらに、複数の男の精子が、女の身体の中で混じり合うとどうなると思う? 殺し合いをする。たったひとつのゴールを求めて。そうして出来た子供はきわめて生命力が強い。だから我々はセックスを儀式化してあのようにしておるのじゃ」
「そ、そんな」
ヨウシャはショックを受けた。どうりで彼らは、女からの愛撫をねだったりしなかったのだ。彼らにとってのセックスは快楽を分かち合って楽しむものではなく、子作りのためだけにせっせと励むべきものだったのだ。
 それゆえ男は女を悦ばせる技術を身につけたのだろう。
 でも、と、ヨウシャは思う。
 女は良くても、男の人はどうなんだろう。あんな与えるだけのセックスで満足なのだろうか。ううん、男だけじゃない。女だって、与えられるだけのセックスに本当の悦びがあるのだろうか?
 わたしだったらイヤだな。男の人が悶え悦ぶ姿を見たい。思いきり感じさせてあげたい。
 感じたままのことをヨウシャは老人に告げた。
「いいかい、お嬢さん。生きていくためには食べねばならん。食べるためには畑を耕さねばなるまい。我々のセックスは、畑を耕すことと同じなんじゃよ。楽しいだの、気持ちいいだの言っていられないのじゃ」
 これが悪魔の与えた代償だった。

 老人はさらにいくつかの話をしてくれた。
 砂の中に通りすがりの者が引きずり込まれるのも、悪魔の仕業である。同族間の婚姻が続くと弊害が生まれるから、多少なりとも外部の血を混ぜなくてはならない。しかし、地底に住む彼らが外に出ることは出来ない。だから、外の人間を洞窟に放り込むしかなかったのだ。
 いっそのこと外部の血が全く入らずに地底の町が早々に滅びてしまえば話は早いが、完全に根絶やしにならないような工夫が盛り込まれたところが、いかにも悪魔の代償だった。長きに渡って彼らは細々と生き続け、苦悩するのだ。
 セックスの儀式に巻き込まれた外の者は、たいてい気が触れてしまうという。そのまま命果てる場合もあるし、なんとか精神状態に折り合いをつけてこの町で生きていく者もいる。
 気が触れたまま地底の町をはいずり回り、とうとう湖を泳ぎ、縦穴を登り切って、外の町へ脱出した者も何人かいるが、地底の人達がその後の消息は知る術はもちろん無い。
 ヨウシャは、そういう人達が「砂浜の村は恐怖のどん底」という噂のもとになっているのだと悟った。
「あの、いいかな?」
 不意に声をかけられた。ヨウシャに与えられた寝室に、ハナウが入ってきた。
「なに?」
「うん、ちょっと長老と君の話が聞こえたもんだから」
 ハナウはおどおどしていた。セックスの時は堂々としているように見えたが、ここにいるハナウは別人のようだった。
「どうしたの? 愛し合った仲じゃない。何でも言ってよ」
 ヨウシャは努めて明るく言った。閉ざされた運命の中にいるハナウに、優しくしてあげようという意識が生まれていた。
「愛し、愛されるセックスって、どんなの? 教えて欲しいんだ」
まるで童貞の気弱な少年だな、とヨウシャは思った。次々と20人もの女を抱いた猛者とは思えない。
 ヨウシャはすぐにハナウの置かれた状態を理解した。まさしく、彼は童貞なのだ。儀式の名の下に女を抱くことは出来ても、甘酸っぱい感情を抱いて、せいいっぱいの告白をして、やがて身も心も愛し合うようになる。そんなセックスの経験などないのだろう。
 おそらく生まれて初めて女性を口説こうとしているのだ。
「いいわよ」と、ヨウシャは言った。
 ヨウシャは裸になり、壁に持たれて座り、膝を立てて足を開いた。
「見て。ココを見られているだけで、女は感じるの。興味本位でいいのよ。思いきりエッチな視線で見つめて」
「ほら、もう感じてきたわ。濡れてるでしょ? 触っていいのよ。あん、そう。それから、舐めて。ココ、ココのおマメが凄く感じるの。ああん、そうそう。他の所も舐めて。もっと、そう、激しくして。前から後ろまで全部舐めるの。舌を入れてもいいわ。あ、ああん、感じるわ。ほら、もうぐちょぐちょでしょ? 指も、指も使って。ねえ、お願い」
「いいの? 本当にいいの? なんだか無茶苦茶な触り方してるけど」
「ムチャクチャでいいの。感情の赴くまま。ああ、我慢できない。私もしてあげる。ほら、もっとこっちに来て。そう、アナタのを私の口の中に」
「ええ? これを舐めるの? 気持ち悪くない?」
「あぐ。はぐ」
「すごい、すごく気持ちいい。出ちゃう。出していいの?」
ヨウシャは心棒から口を離した。
「いい? いまから色々してあげるし、出してもいいけど、出来るだけ我慢するのよ。長い長い時間をかけて感じ合って、それから最後に出すのよ。出してもすぐ『交代』じゃないからね。余韻を楽しみながら、また始めるの。何度も、何度もよ。わかった?」
「うん、わかった」

 


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